1958年創立 Bunkyoken  
GROUP OF SCHOLARS FOR LITERATURE EDUCATION
文学教育研究者集団 略称:文教研》 [サイト・マップ]
最終更新日 2017年2月14日  [更新履歴] ▼頁末尾へ     

 例会/集会   機関誌  図書 年表   プロフィール  Key word   アーカイヴズ  入会案内 
     
  《抄録》芸術の論理――熊谷孝著作から を追加(2/14) [抄録]
「現実(像)/世界」 を追加(2/13) [key word]
秋季集会参加者の声 を追加(12/12) [参加者の声]

文教研の機関誌『文学と教育』第224号が J-STAGE上に公開 されました。

なお、創刊号~第223号については、NII-ELSに蓄積された電子データが、近くJ-STAGEに移行され公開の予定です。(オープンアクセス)


※ J-STAGE(Japan Science and Technology Infomation Aggregator, Electronic)は、
  国立研究開発法人・科学技術振興機構(JST)が構築した「科学技術情報発信・流通総合
  システム」。
※ NII-ELSは国立情報学研究所の電子図書館事業。 まもなくサービス終了の予定。
  (cf.CiNii
 J-STAGE
(開いたら右上の「誌名」をクリック、検索窓に雑誌名を入れる)

[《抄録》芸術の論理]
[《再読》巻頭言]  


【例会予告】

2月25日(土)

武蔵小杉
川崎市総合自治会館


渡辺治・他著

『日米安保と戦争法に代わる選択肢』

の検討


[詳細]



 文学と教育
 最新号目次
.第224号
[詳細] 
 文学と教育 ニュース版
- 復刻 -

 論文検索

CiNii
J-STAGE
NDL search
Google Scholar
 国文学研究資料館
   ……終了……
2016年 文教研 秋季集会
[プログラム]
【テーマ】 平和をつくる―― 一人ひとりの暮しの中から
 ≪ 花森安治「戦場」 と 大岡昇平「野火」 ≫

11月13日(日) PM1:15~6:00 /川崎市総合自治会館
[参加者の声]
  ……終了……
文教研[私の大学] 第65回全国集会
[プログラム]
岐路に立つ文学教育
――「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎)と「朽助のいる谷間」(井伏鱒二)

8月5日(金) ~7日(日)/東京八王子・大学セミナーハウス
     
    ★今日の国語教育が抱えている諸問題について考える
   熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育―国語教育時評集 (復刻) [目次]/[語録]




《現実(像)/世界》

現実は本来、
動的なものであり
多義的なものである。…


[key word]


『ざぶらん通信』[目次]

   ≪抄録≫ 芸術の論理――熊谷孝著作より   [『芸術研究 2』(1947.12)掲載全文][抄録]   
  ● 現実の生をはなれて芸術はない。それは、思考し行為する人間の生の表現として、限りなく歴史に結びついている。歴史の法則は運動であり、歴史的なものは転化し流動してやまぬものである。芸術も歴史的なものとして時代の子であり、それは時代と共に生れ時代と共に滅びゆく歴史の運命をになつている。古代社会には古代社会の芸術があり、封建社会には封建社会固有の芸術があった。(…)過去の芸術遺産をうけつぐことなしに新しい芸術の出発はあり得ない、ということを考えのうちに入れるとしてもである。芸術は、すぐれた意味において歴史的社会の反映であり、それの主体的な表現であるということができるであろう。(p.118-119)〈201702104〉  

 
 
★児童文学から成人文学まで ケストナー文学の全体像を浮彫りにする
   
『ケストナー文学への探検地図――「飛ぶ教室」/「動物会議」の世界へ
    文学教育研究者集団 著 (こうち書房刊)                 [Book Review]  

『岐路に立つ…』 《語録》

《再読》巻頭言

吉野源三郎 読む年表

花森安治 よむ年表

文教研ウェブサイト  サイト・マップ ◆更新履歴 リンク集
文学教育研究者集団  歴史 ◆プロフィール ◆声明 ◆会員動向 ◆入会案内
研究活動  研究例会史『文教研ニュース』記事抜粋Nさんの例会・集会リポート
公開研究集会  全国集会  ◆秋季集会  ◆出版記念研究集会
機関誌  『文学と教育』 ◆〈どう取り組んできたか。〉「私の教室」 主な連載記事  ◆初期『文学と教育』から《再読》巻頭言誌友・購読案内 ◆バックナンバー一覧最新号目次電子図書館 ◆『文学と教育 ニュース版』
関係図書  図書一覧内容紹介『ケストナー文学への案内地図』古書情報
基本用語  文教研基本用語解説〈文学と教育〉ミニ事典 ◆Key word
アーカイヴズ  熊谷孝著作 資料:鑑賞主義論争 〈解釈学主義〉批判「国語教育時評」「文学教育よもやま話」〈読者論〉の吟味国語教育/文学教育
参考資料館  年譜・著作一覧作家コーナー 国語教育・文学教育の「現在」 抜書き帖
その他  トピックスantenna-よろず紹介-album*花
 ☆【全国集会】   ☆【文教研・文学教育研究基本用語解説】
 ☆【秋季集会】   ☆【文学と教育ミニ事典】 「創造主体/本来の読者/読者の視点」他 
 ☆【研究例会史】   ☆【『文学と教育』総目次】 創刊号から最新号までの詳細目次
       
  電子図書館   紅梅 →album*花
  古書情報  
  リンク集   
  antenna   
  抜書き帖   
  HP・ブログから   
     
          《再読》 巻頭言    『文学と教育』 №111  1980.2
   
  内容と形式     副委員長 夏目武子


 「言葉の教育を忘れた内容偏重の指導や言語教育を手薄にする活動主義は、国語科の特質ということから望ましいことではない……」――官制国語教育の指導的立場にある某氏の言葉である。こうした論理では、文学教育は「内容偏重」で言葉の教育を忘れているものということになりそうだ。なりそうだ、ではなく、実際にそうした発言にしばしば出会う。日教組の教育研究集会においてすら、である。
 内容と形式の問題は、文芸認識論の上で避けて通れない問題であることを、芥川竜之介『文芸一般論』の共同研究の中で、あらためて痛感した。このような大問題が国語教育史と無関係なはずがない。芥川と同時代人であり、国語教育における解釈学の泰斗、垣内松三の『国語の力』(一九二二年刊)に目を通す。一章「解釈の力」の第十二項が「内容と形式」にあてられている。「エルチェ式の研究法よりいえば、内容の解釈に対して、語釈、文法的・修辞的解釈は形式の解釈である。それらの研究の方向が異なるのであるから、その分化が著しくなればなるほどこの対立は著しく目につく。……而して、所謂内容と形式と、内容主義と形式主義との対立が現われて来るのである。今日の国語の学習が、こうした無用の思弁のために煩され悩まされて居ることは決して少くない。」「文の研究に於て内容の無い形式ということが考えられるものでなく、形式を具えざる内容というものも見られるものでもないから、対立せしむるのみならず、その一に偏するのは過った考え方である。」云々。この言葉の限りでは見事な整理であり、『国語の力』が解釈学の原典となったことでもわかるが、そこには一つの体系がある。が、私たちは戸坂潤の次のような指摘に注目したい。解釈学は「事物の現実的な秩序に就いて解明する代りに、それに対応する意味の秩序についてだけ語る」「文献学主義は、現実の事物の代りに、文書ないし文献の語源的文義的解釈だけに立脚する」。
 内容と形式に関する解釈学というわく内での処理が、大正期以来ずっと国語教育界に根強くあるのではないだろうか。そこからはみ出したものに対しては、内容偏重というレッテルがはられる。――実際には、作品の言表の場面規定をおさえない、文体刺激に対する文体反応を無視したブンガク教育がなされていることも事実である。が、それへの批判が文学教育否定へと飛躍してしまう。それでよいのだろうか。
 本来、内容とは何だろう。言葉を通さない内容というものがあるのだろうか。『国語の力』発刊より三年後に発表された芥川竜之介『文芸一般論』を読み返す必要があろう。今日から見て克服すべき点を持つとは言え、国語教育界の誤謬を解く鍵が用意されている。芥川は言っている。「文芸は言語或は文字を表現の手段にする芸術であります。いま文芸というものを一人の人間にたとえれば、言語或は文字は肉体であります。文芸を文芸たらしめる魂は、只、肉体を通じてのみその正体を示すものであります。」「文芸上の作品は一方に内容を持っていると同時に、他方にはその内容に形を与える或構成上の原則=形式(生命を伝えられるか否かという言葉の並べ方)を持っている。」「形式を欠いた内容は机の形を成さない机とか、椅子の形を成さない椅子とかに同じものである。」内容と形式は不即不離の関係にあることを、みごとな比喩で語った後、「この問題は手軽そうに見えても、甚だ厄介な問題であります。」と付け加える。甚だ厄介な問題ととらえる芥川に対し、国語教育界では手軽に扱いすぎるのではないだろうか。だから「言葉の教育を忘れた内容偏重の指導」などという言葉が平気でまかり通ってしまう……。
 「机の形を成さない机」にどきりとしたり、ふきだしたりしながら、国語教育の世界では、あたりまえのことがあたりまえとして通らないことを痛感した。が、芥川以前に戻る必要はない。せめて、「机の形をした机」にしたいと思うこの頃である。(
20170216)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
     [《再読》巻頭言]
    ▲頁先頭へ 
文教研事務局

      © 2001-2017  Bungakukyoikukenkyusyasyudan