≪資料≫  「学習指導要領」 批判の軌跡(文教研) 
併せて<≪資料≫「学習指導要領」批判の論拠>も参照してください

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年月/掲載誌 批 判/主 張  戦後教育史関係事項  
※ この欄の「機関誌」は、文学教育研究者集団(前身は「文学と教育の会」)発行の『文学と教育』の意。
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※ この欄には、文教研会員の『文学と教育』および一般教育誌に発表した論考の一部ないし全文を発表年代順に取り上げた。
※ 本文中の「(…)」は、本ページにおける省略箇所を示す。
※ 本文中の「 [薄字] 」は、本ページにおいて付した注記であることを示す。

※ 文教研創立(1958.10)以前に発表された熊谷孝の「学習指導要領」批判関連論考は  別ページ  にまとめた。
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※ この欄の記事は主に以下の年表に拠った。但し、若干の改変を加えた部分がある。
(1) 『近代日本総合年表 第4版』(岩波書店2001.11刊)
(2) 『年表 昭和・平成史』(岩波書店 2012.7刊)
 


・1947.3.20 文部省〈学習指導要領一般編(試案)〉刊。以後12月までに各教科編を刊。

・1947.3.31 教育基本法公布(6・3・3制を規定)。


1948.7.15 教育委員会法公布(10.5 第1回教育委員選挙)。

・1950.10.17 文部省、学校の祝日行事に国旗掲揚・君が代斉唱をすすめる天野文相談話を通達。

・1951.7.1 文部省、〈学習指導要領一般編(試案)〉を改訂(中学に日本歴史復活など)。

・1951.11.10 日教組第1回教育研究大会(教研集会 ’53年以後毎年開催)。

・1952.6.6 中央教育審議会(中教審)設置(文相の諮問機関)。

・1954.1.18 中教審、教育の中立性維持に関し答申(〈教育2法〉の立案本格化)。


・1954.4.28 文部省、〈社会科の指導計画に関する資料〉を通達(中学に道徳倫理の単元設置、小学校高学年に地歴学習を導入など)。

・1954.5.14 参院文部委員会、〈義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法〉〈教育公務員特例法の一部改正法〉(教育2法)を修正可決。


・1955.12.5 文部省《高等学校学習指導要領一般編》(〈試案〉の文字消える。コース制を採用)

・1956.1.16 自民党文教制度調査特別委員会、教委制度改正要綱を発表(公選制廃止など)。

・1956.10.10 文部省、教科書調査官を設置、教科書検定強化。

・1957.7.30 文相、小中学校に〈道義〉に関する独立教科の設置を表明(道徳教育時間の特設問題起る)。


・1957.9.14 文相、教育課程審議会に小中学校教育課程改善などを諮問、道徳教育の強化などを示唆。(’53.3.15 同趣旨の答申)。

・1957.12.20 日教組、勤評闘争を強化、非常事態宣言を発表。
     
1958.10
機関誌 創刊号
《資料1》「私たちのしごと」

 文学教育の必要を口にする人は多い。が、その必要が、一般に過不足なく受けとられているとは考えられない。なかには、それを、あらぬ方向にゆがめようとしている人さえ、ないわけではない。
 とくに、学校教育の面において文学教育がおしゆがめられようとしている、こんにち、私たちは、まず《国語教育のなかに文学教育を明確に位置づける》ことから、仕事を はじめていきたい。当面の課題をそこに求めて学習活動をつづけると同時に、一方では、たえず、学校教育のワクを越えたところで活動をおし進めることで、《明日の民族文学創造の基盤》を確かなものにしよう、と考えるのである。

 サークル・文学と教育の会は、よりよい文学教育の実践をめざした《文学と教育の学習》のための集いである。他のサークルとの交流や、文書その他による対外的な活動も、先に予想している。

  一九五八年一〇月一六日   サークル・文学と教育の会
 
  
・1958.3.18 文部省、小中学校の〈道徳〉の実施要項を通達(4月より実施)。  

・1958.7.31 文部省、小中学校学習指導要領改訂案を発表(基準性強化)。



1958.10
機関誌 創刊号
 
《資料2》木村敬太郎 「サークル・文学と教育の会成立まで 

(…)八月の初旬、四日間にわたって、愛知県の河和で、「全青協」(全国青年教師連絡協議会)が持たれた。言うまでもなく、「勤務評定」斗争のさ中で、「道徳教育実施要綱」が出され、「新学習指導要領」の発表直後である。「新指導要領」の国語科は、まったく子どもをダメにしてしまう「内容」ではないか。この子どもをダメにしてしまう代物で、教育はできない。この代物が「評価の基準」で「勤評」されたら、たまったものではない。
 ここで、当然のこととして、昨年に引き続き、「文学の機能」が問題になり、「国語科における文学教育の役割」が、熊谷講師を中心として追究された。どんなに充実した会でも、四日間という限界はまぬかれない。お互に、「理論的追求」と、「積み上げ」を約束したのである。東京からの参加者は、定例の会を今後持とうと話しあった。
 丁度、時を同じくして、全く同じ理由で、〝ほんものの指導要領国語科を、みずからの手で組み上げよう〟〝文学教育の方法を客観化しよう〟としている、幾人かの教師たちの動きがあった。(…)
 
  


1958.10
機関誌 創刊号
 
《資料3》座談会 「改訂・学習指導要領(国語科)の問題点:熊谷孝氏をかこんで

《君が代》と《国民的自覚》
 九月例会と十月例会の二回のゼミナールにおいて、国語科学習指導要領改訂案の検討をやりましたが、問題点として指摘されたことを一つ一つ拾っていきましょうか。(…)
熊谷 学習素材の選択の基準として、現行指導要領には十四項目あげられているのが、今度は一〇項目に減っている。何が削られたのかというと、「自由・平等・博愛・正義・寛容の思想の理解と発達を助けるもの」といった項目であって、反対に、新しく(1)「道徳性を高め、教養を身につけるに役立つもの」を選ぶようにとか、(2)「国土や文化などについて理解と愛情を育て、国民的自覚を養うのに役立つもの」を選べ、という二項目が加えられている、ということ。(…)
 「道徳性」だの、「国土への理解」だの、「国民的自覚」だのと言う、新しく付け加えられた項目に問題がある。(…)
 「国民的自覚を養う」というんだが、問題はその実質的な内容ですね。一方で《君が代》を実習歌唱にしておいて「国民的自覚」をうんぬんするからには、これは《国粋主義》の線での国民的自覚と理解するほかない、という熊谷(孝)先生のご意見でした。
熊谷 戦前の国粋主義とイコールではないけれど、……ファシズムのニュー・ルック政策というところですか。(…)

「道徳」の特設との関連
 「道徳」を特設した意味と、改訂の狙いとの関連・関係(…)
 天野文相以来の「修身」復活のねらいが、両者の関連のもとで一おう成功した、ということ。
 もう少し具体的に……
熊谷 家を建てるのには土地が必要だ、ということ。「修身」という家を建てるための地所が「道徳」という名の空き地だった。ということが一つ。
 杭は打ってあるが目下空地だということなんですな。そいつをカヴァーするために各教科の内容のほうを「修身」の方向に改訂する必要があった。音楽科では《君が代》を必修にするという調子で……
A そういう一環としての国語科の改訂というわけですね。(…)
                           ×         ×         ×

文学教育の側面から
 改訂案による文学教育も、やはり経験主義学習だということが一つ。改訂案は「経験を広める」ための文学作品の読み、ということに終始している。(…)
 情操教育として文学教育をおさえていく行き方だ(…)
谷 と同時に、前に出た「道徳性を高め、教養を身につける」国語教育や文学教育というのは、一本テコ入れが行われているわけですよ。そこで身につける教養なり情操というのは、例の逆コースの意味での国民的目標に裏打ちされたものでなければならない、という但し書きつきのものなわけですね。(…)
 中学校の面で、もう一つ大きな話題を呼んだのは、改訂案の「指導計画作成および学習指導方針」の項の3で、「読みものは、文学作品に片寄らないで」とあって、その次のセンテンスで「古典にたいする関心を持たせるように留意」せよ、とある点でした。
 古典は文学でないのかね。(笑声)
熊谷 底意地の悪いいい方になるけど、文学性を疎外して考えられる古典、例の国民的自覚と結びつけて考えられる古典というのは、未来形における戦犯候補みたいなコテンですね。もっとも、これは古典のほうの罪ではなくて、悪用するほうの側に100ぱパーセント罪があるのだけれど。(…)
                           ×         ×         ×

課 題
 国語教育のなかで文学教育をどう位置付けるか、ということですが、それと同時に国語教育の指導体系というか、国語教育とは何かということですね、Oさんが問題にしていましたね。
 そのことの追求が、次回からの課題になるわけですよ。
 こちら側で実際に役に立つ指導要領をつくろう、というわけでしたね。(…)
 
   


1958.11
機関誌 第2号

《資料4》熊谷孝講演の記録 「改訂指導要領と国語教育」

[11月11日、杉並区荻窪中学校で国語教育研究会の月例会が行なわれた。この記事は、講師として参加した熊谷孝氏の講演記録(サークル・文学と教育の会メンバーによるまとめ)からの摘記である。]


ファシズム教育のニュー・ルック
 
新指導要領が、単にお粗末だ、というだけではなくて、ファシズム教育のニュー・ルックとして登場した、というのが、先生の講演の御主旨ではなかったろうか。特に、国語科として問題をしぼることなしに、他教科、中でも特設道徳(「太陽系の太陽自体が特設道徳である」と文部当局の担当官が発言して、学校教育の中心におこうとしている)との関連において、国語科改訂もまた、その真のネライは、ファシズム教育への改訂である事を示してくださった。
 
これを前提として、細部の批判にうつられたわけであるが、第一に、経験主義批判を話された。従来からの活溌な経験主義批判をうけながら、文部省は本質的に経験主義を変えなかったこと、また中学校の場合、部分的に言語主義への移行が見られるが、言語主義と経験主義とは、同じ一つの本質の二つの現象形態にすぎないこと、しかも、言語主義への移行は、戦前教育への逆行である事等である。教育は、その本質は経験の仕方の変革である。ところが、単に、経験を広めることに教育の仕事をすりかえている。その文部省の経験主義を、鋭く批判された。(…)

形象理論の復活について
 更に話題は、文学教育の側面からの批判に移られたわけであるが、文部省の意図する所謂道徳科文学教育は、全くナンセンスであること、これに反して、国語科文学教育は、今まで、本来アモーラルな立場に立つ文学の、その文学的感動を中心として育てられて来たこと、即ち、作品全体の認識を中心として、人間の生き方を内面からさぐって行く方向であること。しかるに「改訂」によれば、それが、部分的修辞の鑑賞に逆もどりする傾向であり、表現のコマ切れを問題にする方向であることを指摘された。
 これは明らかに形象理論の復活であり、移行の動きを見せつつある言語主義とのつながりがここにあり、しかも、修身教育の復活への、国語的賛同がここにあることを指摘されたわけである。
 その他、指導要領の文学観は、こんにちの文学研究の水準からは、あまりに蒙昧にすぎるという事実。また、国語教育の領域を〈話す・聞く〉〈読む〉〈書く〉という言語領域のみにおさえるおさえ方の問題、特に、コトバによる認識の二つの極として科学と文学を考えられるのが当然であるのに、その文学の国語科における重要性が全くないがしろにされている事、等々を豊富に提出してくださったわけである。
 特に結語は、現在、国語教育や文学教育の各種団体が作られているが、それを逆用してあらぬ方向へ方向づけていこうとするのが戦後ファシズムの新しい形態であり、その力が強く働いている現在、それを明確に把握して、今こそ意識的に民主教育を守らなければ、いつの日にそれを守る時があろうか、という、きわめて感動的なものであったことを報告いたします。
 
  
  
1958.11
機関誌 第2号
《資料5》「改訂学習指導要領をめぐって」

[改訂学習指導要領をめぐる論調を広く新聞・雑誌からリストアップ(10数篇)している]
    
  
1958.12
機関誌 第3号
     
《資料6》「今日の課題:国語教育の側面から」

[12月27,28日、東京・九段会館で日本生活連盟総会・研究集会が持たれた。助言者として熊谷孝氏、提案者として木村敬太郎氏が参加した。この記事は、その報告からの摘記である。]


 木村さんは、国語科による生活教育がいったいなりたつのかどうかという疑問から出発し、国語科には国語科としての任務、方法があること、したがって生活教育一般にけっして解消されはしないこと、またどの学科も生活指導的側面はもっているけれども、あくまで各教科独自の機能によって世界観の形成につながるのであって、理論と実践の問題を媒介にして、“生活”と“教育”との関連を明らかにしていきたいことを、実に厳密に批判・検討されました。その上で、新指導要領批判が簡潔に行われました。今までは、裏口営業といった形で要領をネグレクトしてきたが、今後はそうした形さえ圧迫されようとしており、新指導へのうむことない批判が必要だ、と力説されました。
 熊谷先生は、生活教育の“生活”があいまいな言葉であることをまず指摘し、私たちは“生活”をどう把握するか、国語生活という側面にしぼって生活をどう考えるか、現実の子どもたちは、どういう観点から見て“弱い”のか、子どもたちを民族の子として育てるために、私たちはどういう文学観言語観をもたねばならないか、と問題の焦点を指示された。 

  
・1958.12.9 神奈川県教委・県教組、勤評の〈神奈川方式〉を決定(自己反省の記録とする)。  
1959.3
機関誌 第5号
《資料7》熊谷孝 「国語教育としての文学教育」

 はじめに、教科論の面にしぼって、国語教育と文学教育との関係・関連について考えてみようと思います。文学教育が教科活動として、国語教育とどのような関係に立つときに、国語教育そのもののゆがみない体系的発展が約束されるか、というような点について考えてみよう、というのであります。
 自己流のいい方をすれば、それは《国語教育としての文学教育》について考えてみる、ということになりなす。つまり、教科論の面からとり上げるとはいっても、国語教育の部分として文学教育を考える、というのではありませんで、それはあくまで国語教育としての文学教育について考える、ということなのであります。いいかえれば、文学教育がそれとして国語教育である、という考え方を私はしているのであります。
 たんにコトバだけの問題でしたら、それを部分といおうと何といおうと、さしつかえないのですが、学習指導要領方式の形式論理に立って、文学教育は国語教育の部分だ、しかもその一小部分にすぎない、というふうないい方をされると、私はもう我慢ならなくなるのです。
 私は、こう考えるのです。それを部分といったっていい。すくなくとも、そのほうが通りがいいことは、わかっている。が、それが部分であるというのは、あくまで、方向分析的につかまれた《側面》という意味での部分ということでなければならない、というふうに考えるのであります。
 部分といえば、それはたしかに部分であります。国語教育という全体に対する、それは部分に違いありません。もしも、文学教育をもって、これを国語教育のすべてであるという人があったとしたら、その人の頭はどうかしている。が、それが部分であるというのは、くり返しになりますが、弁証法的な理解における全体と部分の関係――そうした関係理解のもとにおける部分ということであって、それ以外であってはならないと思うのであります。
 私がこだわるのはコトバではありません。そのコトバが意味する内容に関してであります。そして、その点にこだわるのは、右のような考え方にしたがって文学教育の位置づけを考えないと、現実の国語の学習が成りたたなくなるからです。
 というのは、こういうことです。アトランダムにいうと、国語教育には、文字学習や語彙学習、文法・作文・読解等々のさまざまの学習部面があるわけです。で、それらがたんに部分――学習指導要領方式の考え方による国語教育の部分(小さな全体としての独立した部分)であるのなら、文法の指導は文法の指導、語義・語感の指導はまたそれとして単独に、別個に成りたつはずであります。そして、それらの部分の寄せ集めとして、国語教育という《全体》が成りたつことになるはずであります。
 けれど、すくなくとも、私たちの学習体験や指導体験からすれば、国語教育のいとなみは、そんなふうに分解したり分割したりして行われ得るものではありません。それは、もっと、一まとまりの、一つながりの作業であります。
 現実の国語の学習にあっては、語義・語感に対する理解の伴なわない文法の指導というのはナンセンスです。また、文法意識――とまでいかなくとも、文法的な感覚にささえられない語義・語感・文脈の理解というのも考えられないです。
(…)
 
 現実の国語の学習指導というのは、つまりこうしたものだと思うのです。この文法の時間は、見ようによっては読解の時間であり、また文学史の時間でもあるのです。文法学習が軸になってはいますが、しかもそれは、おしなべて《国語》学習の時間なのであります。ということは、国語教育というものが、文法教育や文学教育などのただの寄せ集めではない、ということにほかなりません。
 文法の学習指導は、文法の学習指導としてそれだけで単独に行われ得ない。文学教育によるささえが、そこに必要なのであります。一方、文学の学習指導は文学の学習指導で、文法教育にささえられなくては、確実な成果をそこに期待しえないのです。そこに、つまり相互のささえ合いが必要とされるのであります。
(…)


 
国語科文学教育を、たんに話す作業や聞く作業、あるいは読んだり書いたりという作業のそれぞれの一小部分という風に考えないで、それをあくまで体系的に一貫した一まとまりの作業、すなわち《国語教育としての文学教育》として考える手がかりは、さし当って、まず、右のような点にあるわけです。が、国語教育のいわば柱を読解であるとか作文であるとか、そういうところで考えないで、軸を文法・文学その他に求めて行っているという点については、なお多くの説明を要するかと思います。
 この点については、あとで充分論議を尽したいと考えますが、第二信号系としてのコトバの機能において現実の言語過程をつかんだときに、いいかえれば、コトバの認識機能のもつ反映論的な意義において言語コミュニケーションの現実のプロセスをかえりみたときに、右のような方向における軸のとり方に、おのずからなって行く、ということだけを、あらかじめいい添えておきたいと思います。
(…)

 誤解のないように申しあげておきますが、私は、文学教育のいとなみそのものを、狭く国語教育のワクに縛りつけて考えているわけではありません。どころか、たとえばクラブ活動のような、教科外活動としての文学教育や、学校教育のワク外のさまざまの文学教育活動の意義・役割を、むしろ高く評価するものなのであります。国語科文学教育も、そうした外側の文学教育活動や、生徒たちの文学的環境との関係・関連をつかむことなしには、フルにその機能を発揮しえないのが事の実際であります。
 にもかかわらず、課題としてここでとり上げようとするのは、教科活動としての文学学習――国語科文学教育についてであります。というわけは、私自身、これまでに、しばしば口にもし書いてもきているように、特設「道徳」における例の《文学作品の利用》ということが、直接・間接に国語教育や学校文学教育の破壊を結果しつつある、ということが一方にあるからであります。いいかえれば、文学作品の《利用》による文学の道徳化、人間の捨象と文学的感動の疎外であります。
 それに追い討ちをかけるように、こんどの学習指導要領の改訂です。改訂案を見てみますと、まず、(1)全教科にわたって「道徳教育を徹底」させることを前提として、たとえば(2)音楽科では《君が代》を必修歌唱として全生徒に歌わせ、(3)国語科のほうでは、その学習教材に「道徳性を高め」「国民的自覚を養うのに役立つもの」を選ぶように、というのであります。《君が代》を歌いながら「高める」道徳性や、そこに「養われる」国民的自覚のどういうものであるかは、語るを要しません。
 それを文学教育の面にしぼっていえば、国語科文学教育も、特設「道徳」のそれにならって道徳化することを要求されている、ということになるのであります。と同時に、作品表現の切れはじについて、それの修辞のしかたを「味わって読む」ことなどに、おいおいとその主要な任務が局限されてきているのであります。
 現に、中学校国語科改訂案を見ると、「読み物は、文学作品に片寄らないように」という注意まで添えられている。それは、まるで、これまでの国語の学習が文学に片寄ってでもいたかのような口ぶりです。そして、文学に片寄るな、とあるその次のセンテンスには、「古典に対する関心を持たせるように留意せよ」とあります。古典は、どうやら文学ではないらしいのであります。すくなくとも、文学として――人間的感動においてそれを読ませたくないらしいのであります。なにか、戦前・戦時下の古典のとりあつかいに似てきている感じなのです。
 国語科文学教育は、このようにして、特設「道徳」の実施と学習指導要領の改訂とによって腹背に衝撃を受け、すでに、はやくも、よろめき出した恰好なのです。学校文学教育の破壊は、ところで学校教育のなかのたんに一小部分だけの破壊を意味しているのではありません。国語教育のすべてと学校教育そのものの破壊を――さらに、いっさいの文学教育活動と子どもたちの文学環境全般の破壊を、そこに必至的にもたらさずにはおかないのです。最近とくに目立ってきた、商業マス・コミによる児童向け文学作品やそのダイジェストなどの道徳化の傾向は、いったい何を意味するのでありましょうか。
 で、このさい、文学教育の教科としての位置づけや、教科活動としての視点からのそれの機能・役割・方法等々を、がちっとおさえておく必要がありそうに思われるのです。国語教育のカラにとじこもって文学教育を考えるのではなくて、文学教育を国語教育としておさえ、むしろ《国語教育としての文学教育》をケルンとして、文学教育活動の全般の成長と前進を期する必要が、いまはあるのではないか、と考えるのであります。そして、それは、教科論の面における私たちのたちおくれを、とりもどす、実践的な課題ともつながっているのであります。
 私たちは、外に対しては、教育の反動化を教科論と教科活動の実際面でもはね返していく必要がある。内に対しては、また、実践優先に名を借りた、理論軽視・理論疎外の現場主義を克服してかかる必要があるように思うのです。いま、私たちに必要なものは理論であります。強力な理論を身につけることで、日本の教育と国語教育、そして文学教育を内側からささえていくことなのであります。《国語教育としての文学教育》という私の提唱は、そういうことなのであります。(未完)
  
  
1959.4
機関誌 第6号
《資料8》熊谷孝 「原則的と現実的と」

(…)ところで、さきごろの警職法反対闘争ですが、あのときの、すさまじい盛りあがり方には、予期せぬものがあって、相手も首をすくめたに違いありません。が、しかし同時に、笑いが止まらなくて困る、というふうな一面が相手方にあったことも、見のがしえません。というのは、警職法に国民の目が一せいにそそがれることで、警職法とじつは表裏一体の関係にある一連の法案が、国民の監視の目をまぬがれて、悠々と通過しそうな見とおしを用意しえたからであります。
  つまり、それと同じことが、勤評と「道徳」の特設との関係、そして学習指導要領の改訂との関係においても見られるわけであります。
 現実という名の既成事実を、まず、どこかの一点で作りあげる。正面からではダメなら裏側から回る、というわけです。で、表なり裏なり側面なり、そのいずれかの一点で作りあげた既成事実に立って、第二、第三の既成事実をつぎつぎと作りあげていく、というのが、いつも変わらぬ相手の常套手段のようです。つまり、警察予備隊という既成事実の上にたって、それをアメリカ人たちからは、カントリー・アーミイ(土民軍)と呼ばれている、「戦力なき軍隊」自衛隊にまで仕上げていく、あの手口であります。
  いまさら言うまでもないことですが、「道徳」の時間特設は修身復活への第一歩であります。作成委員某氏の意見によれば、それは純粋に倫理学的要請にもとずく時間特設なのだそうですが、そうした学者の意図とは別個に、「道徳」という名の空地は、「修身」という家屋を建てるための、建築用敷地として用意されたもの、と考えるほかありません。
  それが空地であることをカヴァーするためにこそ、こんどの指導要領の改訂です。音楽科で《君が代》を必修歌唱として歌わせ、国語科では、国粋主義的な意味での《国民的自覚》を促がす――たとえば古典を、文学としてではなくて、右の国民的自覚を促がす道徳教材として使え、といった調子です。教科課程の改訂は、ですから、勤評を実施しようとするモクロミと同一のモクロミで立案されたもの、と考えざるをえません。
  だから、勤評闘争を軸としていえば、改訂指導要領返上闘争は、勤評闘争の重要な一環であります。今は勤評問題で忙しいから、このほうは後回し、という性質のものではないのであります。
  ところが、さきごろの第八次教研でありますが、朝日新聞の報道を額面どおり受けとるとすると、ちょっと不安になるのです。福島・和歌山・高知の教組から出された、改訂指導要領返上論に対して、「それは原則論であって容易ではない。」という「反論」が出て、うやむやに終ったらしい模様なのです。原則的には正しいが現実的でない、という例の論法によってであります。これでは、まるで、原則に忠実であることが、つねに非現実的な態度に陥ることであるみたいな印象を受けてしまうのですが、討議の実際は、新聞の報道とは、かなりニュアンスの違ったものであったろうことを、私は信じたいのであります。
   ただ、いささか危惧するのは、(朝日の報道にしたがえば)反論した側の論拠が「勤評闘争といった権力闘争なら職場の中はまとまるが、教科ごとに上からびっしりおしつけられた場合は、不安だ。」というふうなことである点です。
  それは、まるで、改訂指導要領返上闘争を権力闘争として考えていないみたいな口ぶりです。加えて教科指導や教科論の面においてこそ、教師は専門家として、自信をもって起ちあがれるはずであるのに、それが闘えない、そこのところで足並みが乱れてしまうというのでは、理論の裏づけをもち、理論的な反省を伴なって教科指導をおこなっているような教師は少ないと言っているようなものだからです。もしも、それが現状であり事実であるとしたら?……私が危惧するといったのは、その点であります。
  が、すくなくとも私の見ききしているかぎりの現場の実際は、科学的な教育の場であります。そして、現場の教科指導が、現に理論的・科学的にいとなまれているという点にこそ、この返上闘争の揺がぬ拠点が見いだされるのであります。
  
  
1959.4
カリキュラム
《資料9》熊谷孝 「国語教育としての文学教育」

 
はじめに、教科論の面にしぼって、国語教育と文学教育との関係・関連について考えてみようと思います。文学教育が教科活動として、国語教育とどのような関係に立つときに、国語教育そもののゆがみない体系的発展が約束されるか、というような点について考えてみようというのであります。
 自己流のいい方ををすれば、それは《国語教育としての文学教育》について考えてみる、ということになります。つまり、教科論の面からとりあげるとはいっても、国語教育の部分としての文学教育を考える、というのではありませんで、それはあくまで国語教育としての文学教育について考える、ということなのであります。いいかえれば、文学教育がそれとして国語教育である、という考え方を私はしているのであります。
 たんにコトバだけの問題でしたら、それを部分といおうと何といおうと、さしつかえないのですが、学習指導要領方式の形式論理に立って、文学教育は国語教育の部分だ、しかもそれの一小部分にすぎない、というふうないい方をされると、私はもう我慢ならなくなるのです。
 私はこう考えるのです。それを部分といったっていい。すくなくとも、そのほうが通りがいいことは、わかっている。が、それが部分であるというのは、あくまで、方向分析的につかまれた《側面》という意味での部分ということでなければならない、というふうに考えるのであります。
 部分といえば、それはたしかに部分であります。国語教育という全体に対する、それは部分に違いありません。もしも、文学教育をもって、それを国語教育のすべてであるという人があったとしたら、その人の頭はどうかしている。が、それが部分であるというのはくり返しになりますが、弁証法的な理解における全体と部分との関係――そうした関係理解のもとにおける部分ということであって、それ以外であってはならないと思うのです。
 私がこだわるのはコトバではありません。そのコトバが意味する内容に関してであります。そして、その点にこだわるのは、右のような考え方にしたがって文学教育の位置づけを考えないと、現実の国語の学習が成りたたなくなるからです。
 というのは、こういうことなのです。アトランダムにいうと、国語教育には、文学学習や語い学習、文法・作文・読解等々のさまざまの学習部面があるわけです。で、それらがたんに部分――学習指導要領方式の考え方による国語教育の部分(小さな全体としての独立した部分)であるのなら、文法の指導は文法の指導、語義・語感の指導はまたそれとして単独に、別個に成りたつはずであります。そして、それらの部分の寄せ集めとして、国語教育という《全体》が成りたつことになるはずであります。
 けれど、すくなくとも、私たちの学習体験や指導体験からすれば、国語教育のいとなみは、そんなふうに分解したり分割してりして行なわれ得るものではありません。それは、もっと一まとまりの、一つながりの作業であります。
 現実の国語の学習にあっては、語義・語感に対する理解の伴なわない文法の指導というのはナンセンスです。また、文法意識――とまでいかなくとも、文法的な感覚にささえられない語義・語感・文脈の理解というのも考えられないのです。

(…)
 現実の国語学習は、そうした相互のささえ合いの上に、全体的・統一的に一まとまりの作業として推められているわけなのですが、それが《教科論》の面に移されて論議されるとなると、文学学習より文法学習のほうがだいじであるとか、いや文学学習のほうをたいせつに考えなくてはとか、妙にズレた話のやりとりになりがちです。現場に密着して考えたら、そういうおかしな意見は出てこないはずなんですが、現実にそれがある。ふたことめには「現場では……」というようなことを口にする、現場主義者の間にそれがあるというのは奇妙なことです。
 そこで、次のことをはっきりさせておきたいと思うのです。いわゆる意味の文法学習が文法教育ではない、ということを、であります。あえて申しますが、いわゆる意味の文法の学習指導をおこなうのが文法教育ではないのであって、文法学習を軸とした、その側面からの統一的な国語の学習指導――それが文法教育なのであります。同様にして、文学教育は、文学の学習を軸として、その側面から文法も扱えば読解もやる、作文もやる、そしてまた話しことばの指導もおこなう、ということになるのであります。
 その指導は、必然的に《話す》《聞く》《読む》《書く》の四つの言語学習領域にわたって行われるわけです。したがって、文法学習なり文学学習なりに焦点をすえながら、話しことばの指導も、また文学のことばの指導も、具体的な内容の裏づけをもって、そこのところで行われることになるのであります。そうした意味では、文学教育も、また文法教育も、それとして国語教育そのものであるといっていいのであります。
 国語科文学教育を、たんに話す作業や聞く作業、あるいは読んだり書いたりという作業のそれぞれの一小部分というふうに考えないで、それをあくまで体系的に一貫した一まとまりの作業、すなわち《国語教育としての文学教育》として考える手がかりは、さし当って、まず、右のような点にあるわけです。が、国語教育のいわば柱を読解であるとか作文であるとか、そういうところで考えないで、軸を文法・文学その他に求めて行っているという点については、なお多くの説明を要するかと思います。
 この点については、あとで十分論議を尽したいと考えますが、第二信号系としてのコトバの機能において現実の言語過程をつかんだときに、いいかえれば、コトバの認識機能のもつ反映論的な意義において言語をコミュニケーションの現実のプロセスをかえりみたときに、右のような方向における軸のとり方に、おのずからなって行く、ということだけを、あらかじめいい添えておきたい、と思います。
 誤解のないように申しあげておきますが、私は、文学教育のいとなみそのものを、狭く国語教育のワクに縛りつけて考えているわけではありません。どころか、たとえばクラブ活動のような、教科外活動としての文学教育や、学校教育のワク外のさまざまの文学教育活動の意義・役割を、むしろ高く評価するものなのであります。国語科教育活動や、生徒たちの文学的環境との関係・関連をつかむことなしには、フルにその機能を発揮しえないのが事の実際であります。
 にもかかわらず、課題としてここでとり上げようとするのは、教科活動としての文学学習――国語科文学教育についてであります。というわけは、私自身、これまでに、しばしば口にもし書いてもきているように、特設「道徳」における例の《文学作品の利用》ということが、直接間接に国語教育や学校文学教育の破壊を結果しつつある、ということが一方にあるからであります。
 それへ追い討ちをかけるように、こんどの学習指導要領の改訂です。
 それを文学教育の面にしぼっていえば、国語科文学教育も、特設「道徳」のそれにならって道徳化することを要求されている、ということになるのであります。と同時に、作品表現の切れはじについて、それの修辞のしかたを「味わって読む」ことなどに、おいおいとその主要な任務が局限されてきているのであります。
 現に、中学国語科改訂案をみると、「読み物は、文学作品に片寄らないように」という注意まで添えられている。それは、まるで、これまでの国語の学習が文学に片寄ってでもいたかのような口ぶりです。そして、文学に片寄るな、とあるその次のセンテンスには、「古典に対する関心を持たせるように留意」せよ、とあります、古典は、どうやら文学ではないらしいのであります。すくなくとも、文学として――人間的感動においてそれを読ませたくないらしいのであります。
 国語科文学教育は、このようにして、特設「道徳」の実施と学習指導要領の改訂とによって腹背に衝撃を受け、すでに、はやくも、よろめき出した恰好なのです。学校文学教育の破壊は、ところで学校教育のなかのたんにその一小部分だけの破壊を意味しているのではありません。国語教育のすべてと学校教育そのものの破壊を――さらに、いっさいの文学教育活動と子どもたちの文学環境全般の破壊を、そこに必至的にもたらさずにはおかないのです。最近とくに目立ってきた、商業マス・コミによる児童向け文学作品やそのダイジェストなどの道徳化の傾向は、いったい何を意味するのでありましょうか。
 で、このさい、文学教育の教科としての位置づけや、教科活動としての視点からそれの機能・役割・方法等々を、がちっとおさえておく必要がありそうに思われるのであります。国語教育のカラにとじこもって、文学教育を考えるのではなくて、文学教育を国語教育としておさえ、むしろ《国語教育としての文学教育》のケルン[Kern 核、本質、中心部]として、文学教育活動全般の成長と前進を期する必要が、いまはあるのではないか、と考えるのであります。そして、それは、教科論の面における私たちのたちおくれを、とりもどす、実践的な課題ともつながっているのであります。
 私たちは、外に対しては、教育の反動化を教科論と教科活動の実際面でもはね返していく必要がある。内に対しては、また、実践優先に名を借りた、理論軽視・理論疎外の現場主義を克服してかかる必要があるように思うのです。いま、私たちに必要なものは理論であります。強力な理論を身につけることで、日本の教育と国語教育、そして文学教育を内側からささえていくことなのであります。《国語教育としての文学教育》という私の提唱はそういうことなのであります。
 
  
1959.5
機関誌 第7号
《資料10》小沢 「抵抗論は正しいか――改訂指導要領反対闘争をめぐって

 
都教組の四月中央委員会の席上、ある委員が大要次のような発言をした。
 私達は、改訂指導要領に反対して闘っている。しかし、実際にこの四月、教科課程を組むに当って、私たちの主張は《反対の為の反対》だとして校長あたりから片づけられることが多かった。いくら改訂要領の悪質さを言っても、それだけでは闘う力とはならない。この現状を救う為にも、日教組はその力をあげて真の民主主義教育のプログラムをつくるべきではないか。
 これに対して日教組副委員長であった藤山執行委員長の答は、
 日教組としてそういうものを出せば、文部省が出すものを日教組で対抗上出すという妙なことになって、我々の反対闘争の意味がなくなる。我々が反対しているのは、文部省のそれの「基準性」というもので、本来職場にあるべき教科課程の編成権を、文部省あたりで集権的に取りあげてしまうことにあるのである。だから、我々は今、改訂指導要領の基準性に抵抗し、自主的な教科課程編集権を守り、我々が行って来た民主教育を守る為に闘わねばならない。民主教育とは、各地域、各現場に応じた教育の謂であって、文部省に対して日教組が教科課程を出せというのは自ら民主教育を捨てるものである
 この藤山答弁は正しいだろうか。私は正しくないと決せざをえない。
 第一に、この抵抗論では、教育の原則が無視されている。アナーキーではないか、要するに抵抗すればいいというのでは。敵が明確な目標に向って、組織的に系統的に教育を利用しようとしているのに、民主教育の目標自体が混乱している今日、民主教育とは各地域、各現場に応じた教育をいうのであって、要は、基準性に抵抗すればいいというのでは、《反対の為の反対》の域から一歩も出てはいない。
 第二に、戦後教育の実状把握と反省に欠けている。戦後の民主教育といっても、それは、文部省発行の指導要領の線に従って実施されていたに過ぎないということ、我々の現場から積みあげていったものではなかったという事実。これをどう把えるのか。また、戦後文部省の民主教育(我々がやった民主教育)のその反民族性、その経験主義、その非能率性等々は、我々自体の苦い経験からの反省として現在批判されているではないか。この批判をどうするか。
 第三に、従って、全国的な勤評下での、また貧困の中におかれての、日教組員個々人の力量に対する判断の甘さが目立つ。日教組五十万人の大部分は、現在文部省の指導要領を否定し、自らの教育課程を組み得る力量を持ち得ない状態におかれている。だからこそ先のような発言も生まれて来るというこの現状で、藤山の答弁は、遂に答弁にならないのである。
 どうも、場違いなことを書いたが、この藤山流の抵抗論が、まだまだたくさん、進歩的だといわれる教師の中にあるように思われてならない。我々が今これを突き破らなければ、日教組の闘いは自殺に等しいものとなるだろう。
 我々の階級の為の教育、その目標とプログラムをこそ、今、明確にうち立てる必要がある。それがなければ、改訂指導要領は大手をふって日本中に浸透するだろう。(小沢)
 
  
1959.7
機関誌 第9号
《資料11》「〝講師団の日教組批判〟の問題によせて(反省と主張)」

 
〈1〉 統一を期待して
 日教組の教育課程研究会で、講師団が、組合の闘争のあり方について強い批判をしたことが、大々的に報じられた(朝日新聞 七月六日・朝刊)。
 私たちは、この報道記事をそのまま事実として認め、そのまま信用することに深いためらいを感ずる。
 が、新聞報道の影響が広く大きいだけに、私たちは、この報道が示している分裂の動きを批判し、よりよき統一のために、その問題点を、私たちのできうる範囲において、明らかにしたいと思う。

 まず、さいしょに、日教組のあり方が、ゆがめられた形であるにせよ、マス・コミに対立のかたちで反映されたということを検討する必要があるだろう。日教組成立以来の活動形態や活動方針が、いま、反省の時点に立っているとも考えられるからである。
 一例にすぎないが、その貴重な研究の時間を犠牲にしても、学者は、民主団体に協力し奉仕するのが当然だという、「論理」が支配的だった。この組合至上主義が、どれほど民主的な学問活動を阻害したことか。日教組のそうした便宜主義がもたらした矛盾。その矛盾の一端がここに反映したとも言えるのである。


 〈2〉 賛成な点
 (1) どの程度正確かは問題としても、「日教組の闘争は、独占資本反対に終始している」という園部氏の批判にはきくべきものがある。
 日教組は、自己の独自性に立脚した独占資本反対ではなく、労働組合一般としての発言や闘争に終始したような印象を与えている。(これはあくまで印象にすぎないのであるが。)げんに、勤評には職場の意見を結集し得ても、教育課程批判においては、統一的な意見をうちだすことの困難を告白しているような組合型教師も少なくない。
 (2) 「講師団は日教組版の教育課程をつくって文部省に対抗するという意図は持ちあわせていない。」という意見にも学びたい。
 指導要領という形でのよりどころは、たとえ民主的なものであれ、教師の創造性をおしころし、研究の自由、学問の自由を自らの手でしばってしまうことになりかねない。
 (3) さらに、「文部省の教育課程に反対するためにも、まず教育課程を研究しなければならない。現場教師の勉強が足りない」といわれている点へも注目の目をむけたい。
 教育課程の吟味なしに、たんに文部省で作成したものだから反対するといった組合型教師への批判であるが、私たち自身きびしく自己批判したい点である。


 〈3〉 私たちが疑問とする点
 (1) 独占資本反対闘争が教育活動の独自性に基づかぬという批判には、まったく賛成できるのであるが、教育闘争の独自性を強調するあまり、政治闘争と文化闘争をきりはなしてしまうというのには論理の飛躍があり、現在まで築きあげてきた統一行動を自らの手で破壊することにもなるだろう。
 当然、文化闘争は、教育課程の研究・その本質の探究を内に含んでいる。しかもその探究は、個々の研究サークルや組合の教育課程研究会での真摯な研究にとどまるものではなく、ある場合においては、実力的なピケ闘争をも含むと考えられる。
 したがって研究活動と政治活動とは、教育分野における権力闘争の重要な両側面をなしているのであって、両者の間に画然とした一線をかくすることは、反権力への統一戦線に水をさすようなことになりかねない。
 新聞報道を全面的に信ずるわけにはいかないが、伝えられた限りでのこうした形式主義的な考え方が、仲間に対する批判にあたっては、傍観者ふうの姿勢となってあらわれている。たとえば、教師の勉強が不足しているという当然に批判も、どこがどう不足しているのかを、仲間の立場で批判しないかぎり、たんに相手を卑屈にさせるだけである。勉強できない条件は何か。それを克服する手がかりや方法はどこに求められるべきか……があわせて究明されなくてはならない。
 (2) また、「指導要領の全体的意図は反動的だが、部分的には改良された点もあるので、この改良された点を足がかりとして、教育の改良運動を進めるべきだ」という発言が、真実講師団の側から行われたとすれば、これには異議をさしはさまざるをえない。すくなくとも、国語科に関するかぎり、部分的にも全体的にも、「改良された点」は見あたらない、と言っていいからである。
 うたい文句の《学習の系統化》は、何ら実現されておらず、それが経験主義的である点は何ら前と変りがない。また、その根底にある旧き言語観・旧き文学観も何ら改良されたわけではない。
 かりに、部分的な改良がそこに行われているとしても、またかりに、全教育課程の改訂のなかに一、二の教科に関して部分的「改良」が見られたとしても、それが果して、改訂の「全体的意図」における「反動的」なものを阻止する「足がかり」となり得るであろうか。当然、それが、どういう方向に運動している全体の、どういう位置におかれた部分であるのかをあらためて吟味する必要があるだろう。教科相互の関連の問題としても、一教科内の問題としても、である。

 一九五九年七月一一日      サークル・文学と教育の会

 〈あとがき〉  サークル・文学と教育の会月例会は、7月11日(土)午後5時より桜田小学校において行われた。
 その席上、“講師団の日教組批判”が、当面の緊急な課題をはらんでいるものとして、まず、さいしょに検討された。新聞報道がどの程度真実を伝えているものかに疑ぐ
[ママ]を感じながら、与えられた枠内において問題の本質を検討してみたのである。
 それというのも、たとえば、“素粒子”の「日教組講師団、漸く日教組の行き方に苦言。良薬は口に苦し。飲まにゃ病気は悪化する一方。」(7.6 朝日夕刊)とか、あるいは、“天声人語”の「講師団がいうように、文部省の教育課程の改良された点を足がかりにして、民主的な教育の改良に進んでもらいたいものだ。それを頭から絶対反対で……云々」等々の見解に見られるように、日教組の対立をゆがめ、さらにその対立を拡大強調するマス・コミ一流の“論理”に、私たちは、強い不満といきどおりを感じていたからである。
 したがって、私たちは、あくまでも、“統一”を基調として、賛成できる点、疑問な点を出しあった。
 この討議の内容は、運営委員会の責任においてまとめられた。文体、用語の統一にはできるだけ留意したが、なによりも、基本的な討議内容を忠実に伝えることに努力した。
 
  
・1959.7.4 日教組、中央教育課程研究会(~7)。教育課程自主編成をめぐり講師団・組合員、激論。 
1959.11
教育科学・国語教育
第9号
 
《資料12》熊谷孝 「文学教育の視点から」 

           
 移行措置下にある、こんどの教育課程は、「生活のうちに横たわっている原理、原則あるいは基本的なものをしっかり身につけていくように」学習の系統的な整理、系統化をはかったものだという。が、改訂指導要領に示されているプログラムが、それとして現実に右の歌い文句と合致するようなものになりえているか、どうか――そこのところを、国語の読解指導の面にしぼって検討を加えること、これがおそらく《読解指導の系統化》という標記の課題が要求している当のものに違いない。
 課題の要求しているところは、よくわかるつもりだが、しかし、わたしとしては、それへの直接の答案を書くわけには行かない。書けないのである。いや、書きようがないのだ。
 というのは、《読解指導の系統化》ということを額面どおりの意味に受けとるとすると、それは《読解指導》というワクづけ方や、そのワク組みを妥当なものとして認めたうえでの、それの系統化論議ということになってしまって、わたしとしては発言のしようもなくなるからだ。
 念のため、一言。読解指導というワクを認めないなどといっているのではない。学習指導要領一流のワクづけ方による、そのワク組みは、認めがたい、という意味だ。理由はあとでのべる。
 結論めいたことを先にいってしまうと、現に学習指導要領が指示しているような方式での《話しことばの指導》というような軸のとり方やワクの切りとり方が、国語学習の非系統化をもちきたしている当のものだ、という見方をわたしはしているのである。つまり、そうした軸のとり方こそ、新旧双方の学習指導要領に共通する(あるいは、学習指導要領一辺倒の国語学者や国語教育学者たちに共通した)言語観や文学観・教育観にもとづく、一種特有な国語教育体系論の具体化にほかならないのである。こうして実践的なカリキュラムとして具体化されたものが、ところで国語学習の系統化を促がすどころか、それを阻むものでしかない、という点にこそ問題があるのだ。
 だから、むしろ、国語学習の真の系統化を考える立場からは、こうした方式の軸のとり方やワクづけ方では系統的な指導は不可能に近い、という点に話題を集注させたほうがいいくらいである。そうでないと、ここがおかしい、あそこがヘンだ、というようなことを、それこそ非系統的に、アトランダムにしか指摘できないことになるからである。で、さしずめ、まず、その辺のところから話をはじめることにしよう。

           
 読解指導を国語教育の体系的主軸の一つとして設定する、という方式の考え方――これは、ところで、こんにちの国語教育理論の主流をなしている考え方にほかならない。主流には違いないが、しかしこの方式の考え方が、国語教育体系論として公民権をかちえた、唯一の正しい見解を示すものだ、というわけでは必ずしもないのである。この点に関して、これまでに論議が十分に尽されているとは、いえないのである。
 したがって、読解指導ということを、教科論・体系論の問題としてどう理解し、どうつかむかということで、標記の体系化の問題にしても、問題の仕方自体が変ってくるのである。あえてこの問題に紙幅を割こうとする理由も、そこにあるわけだ。
 で、読解を軸として考える考え方――それは、つまり、言語(国語)を音声言語と文字言語としてつかみ、そしてそれを裏返したかたちで、その学習領域を、《聞くこと》と《話すこと》、それに《読むこと》と《書くこと》との四つの軸でおさえて考える、という方式の考え方によるものである。論理そのものとしては、である。
 もっとも、それを、これまでの学習指導要領のように、《書くこと》を作文と書写とに分ければ柱は五本になろうし、また、こんどの改訂指導要領のように、逆に「聞いたり、話したりする学習」を一本にくくり、さらに作文と書写とを一本にくくれば、当然、軸は三つになるわけだ。
 ともあれ、このようにして、聞いたり話したりの《話しことば》の指導や、作文・書写の指導などとあわせて、読むことの指導――読解指導は、国語学習指導体系の主軸の一つだ、ということに学習指導要領では位置づけられているわけである。
 ここのところで、事ここに至ったいきさつをふり返ってみると、戦前・戦中において支配的だった形象理論による読解指導は、(生哲学方式のその論理の当然の帰結として)ほとんど、もっぱら、ある種の文学作品の?……むしろ、作品の性質がどうというよりは、文学そのものに対する態度・姿勢のほうに問題がある、といったほうが当っているかもしれない。
 それは、ひとくちにいって、“滲み出る芸術”をそこに期待した、観照的・詠嘆的な態度であった。ある現場教師のことばを借りていえば、それは、「そよ風にゆらぐ青葉に文学的美の表現を求めて児童国語教育指導の材料とせんとするが如き」態度による読解指導であった。
(1)
 ところで、この傾向は(傾向そのものとしては)、すこし形を変えただけで戦後にもちこされ、新教育の経験主義・教養主義と結びついて、コース・オブ・スタディーないし学習指導要領ラインの学校文学教育の骨格を形づくったのであった。
 したがって、こうした傾向に対しては、ずっと後になってからだが、「国語の学力を、文学的なものについてつければ、自然と理科や社会科の力もつくと考えられていたのではなかろうか。しかし果してそうだろうか」(2) というような批判もおこなわれることになった。「文学的文章の読み方が教えられると、なるほど、文の大体は読める。その感じもわかる。しかし、法律の文章のように、一つの文章で実にたくさんの意味をふくんでいるようなものの解釈も上手になるかどうか。」
(3)
 また、戦後数年の一時期にあっては、「いままでの国語教育は文学教育であった。すくなくとも、文学教育でありすぎた」というような声さえ聞かれた。
(4) 直接、形象理論の系譜を受けつぐ、国語教育界の指導者たちのあいだからの反省(あるいは批判)の声としてである。だから、文学教育一辺倒のこれまでの国語教育を、「われわれの日常における、話し・聞き・書き・読む言語生活教育にする」ことの必要が、それに力説されることにもなった。(5) むしろ、文学教育は、「書物を読む方法と能力を養う言語教育」の部分であるべきこと。(6) すなわち、言語教育ないし言語生活教育としての読解指導の部分として位置づけられるべきことなどが、そこに語られたのであった。いわゆる新教育への“手直し”がはじまった、一九五〇~五二、三年の時期においてである。
 文教当局が、今日、十分の自信と自負とをもって、いわば国定カリキュラムのかたちで、読解指導を国語教育の軸として押しだしてくる理由と根拠は、右に見るような歴史的背景のなかに用意されたもの、と見てよさそうである。

          
 けれど、文学教育を「話し・聞き・書き・読む言語生活教育」のその四領域のなかに分散・分解させ、とくに「読む言語生活教育」としての読解指導の一小部分としておさえる、というふうなことで問題が解決したわけではない。ことばの上だけの処理としては、それでカタがついたかもしれないが、国語学習指導の実際面において、文学教育や文法教育が学習そのものの体系的主軸として機能し作用してくることは、否みようがないからである。
 第一、たてまえそのものからすれば、国語教育は、これまでも「話し・聞き・書き・読む言語生活教育」としてワクづけられていたのである。が、この方式の指導のプログラムでは、現実にどうしようもないからこそ、そこに文法教育を軸とした国語教育が行われ、また、文学教育に軸を求めた国語教育が実践されることにもなったのである。
 つまり、この方式の指導では、ことばが思考や認識と結びつかないし、ことばを一まとまりの統一的なものとして生徒につかませることができない。国語教育の究極の目標であるはずの、国語としての「ことばそのものの訓練……第二信号系という本質をつかみだしてくる能力としての言語能力」(7) を系統的に身につけさせることは期待できない。指導のプログラム――教育課程の組み方そのものに混乱があるからだ。
 その結果、次のような、笑えない、“笑い話”をさえ生んだのが、この言語生活教育のカリキュラムであった。「ある村の学校での話です。一時間の国語の授業のうち、十分を聞くことに、十分を話すことに、のこりを読むこと・書くことにというように、割り当ててやっているが、そういうやり方はいいか悪いかという質問を、わたしの友人がうけたというのです。どんな答をしたかは、つい、聞きもらしましたが、友人はいうのでした。地方の学校では、そういう種類の質問が、じつに多いのだよ、と。」(8)
 それは言語技術主義の指導方式がいけなかったのであって、言語生活教育そのものが誤まりだということにはならない、という人があるかもしれない。が、文学教育や文法教育を、読解指導(読む言語生活教育としての読解指導)その他のなかに分散・分解・解消してしまう、やり方そのものが、じつは経験主義・言語技術主義にほかならないのである。アメリカ渡りのランゲイジ・アートの考え方では、「芸術的・文学的要素はほとんど考えられていない」のであり、それの日本版である学習指導要領の言語技術主義も、「ことばをことばとして教えていくということを、ことばがいちばん純粋な形で出てきている文学作品のなかで、とり上げていくことをやらない」点に、むしろ特徴が求められるのである。(9)
 くり返しになるが、つまりこうした教育課程では現実に国語の学習指導が成りたたないから、文学教育への道を一部の現場教師はえらんだのである。それが、しかし、すでに見たように、観照的・詠嘆的な、単なる情操教育や教養教育へと横すべりした点に問題があったわけだ。否定されるべきは、したがって教養主義・経験主義の文学教育であって、文学教育そのものではなかったはずである。民間教育運動と結びついた、その後の学校文学教育は、理論的にも実践的にもすでに経験主義・教養主義を克服しさっている。(10)

          四
 言語を、音声言語と文字言語としてつかむことに、むろん、まちはいはない。けれど、言語に音声言語あり文字言語ありということからして、言語(国語)学習指導の体系そのものが、読むこと・書くことの指導と、聞くこと・話すことの指導とを平行させ、あるいはそれらを組み合わせることの上に成りたつ、と考えることは、現実の事実(指導の実際)に反した、形式主義的な理解である。
 むしろ、音声言語であれ文字言語であれ、そこをつらぬく言語(国語)として一まとまりのものを――つまりは「第二信号系という本質をつかみだしてくる能力としての言語能力」そのものを系統的に身につけさせることができるように、学習指導体系が組まれなければならないのだ。
 だから、それはまた、言語の認識機能のもつ反映論的な意義において、言語コミュニケーションの現実のプロセスがかえりみられなくてはならない、ということでもある。あらいいい方をすれば、表現する(話す・書く)ことも、また理解する(聞く・読む)事も、それは認識・思考のプロセスにほかならない、ということだ。思考する、考えるということは、ほんらい言語コミュニケーションによる、ナカマとの体験の交換・交流を意味している。また、認識するとは、ナカマの体験をくぐってするところの、客観的世界の反映のいとなみにほかならない。(11) だから(と多分いっていいだろう)、言語のこの認識機能を見落した学習指導体系では、それは《国語》の学習指導体系として現場の実践に役だつものにはなりえないのだ。
 で、認識(反映)というこの一点にしぼって考えた場合、言語認識の極は科学と文学とに求められるのであり(一般的認識と典型の認識と)、そこにすくなくとも文学教育や文法教育が、それとして一まとまりの国語教育であるという位置づけ方を、国語教育の体系のなかに与えられねばならぬ理由と根拠をもつのである。
 わたしは、それを《国語教育としての文学教育》《国語教育としての文法教育》というふうに語ってきているが、あえていうが、いわゆる意味の文法の学習指導をおこなうのが文法教育ではない。そうではなくて、文法学習を軸とした、その側面からの統一的な国語の学習指導が文法教育である、という考え方をしている。同様にして、文学教育は文学の学習を軸として、その側面から文法も扱えば読解もやる、作文もやる、そしてまた話しことばの指導もおこなう、ということになるのである。したがって、文法学習なり文学学習なり、あるいは一種の科学学習なりに焦点をすえながら、話しことばの指導も文字ことばの指導も、具体的な内容の裏づけをもって、体系的に一貫した一まとまりの作業としてそこにいとなまれるのである。

          五
 多分、諒解していただけたかと思う。指導者自身、そのことを自覚しているといないとにかかわりなく、現場の学習指導が、じつはある程度に右のような指導体系を内に用意して進められている、ということをである。それと同時に、読解・作文・話しことばという、あの柱の立て方では、じつは系統的な国語学習は不可能に近い、ということを、つかんでいただけたかと思う。
 文学教育の面にしぼっていえば、第一、文学感覚が古い。これをしも文学観という名で呼ぶとすれば、その文学観は大時代な、すごく古風な文学観である。そこでは、文学学習は、たんに「経験を広め心情を豊かにする」ためのものとしてしか、つかまれていない。人間的感動に結びつき、経験の仕方そのものをつくり変えていくためのものとしては、文学は、けっしてつかまれていないのである。
 で、この古風な文学観にのっとって、小学校一年では童話や説話を読ませ、二年ではそれに加えて詩を、三年ではさらに物語や伝記や脚本を、というふうに読み物の種類をふやしていくことが、つまり文学読解の系統化だというように、そこでは考えられているらしいのだ。が、早い話が、一年生に十分感動を与えるような詩や物語だってある。(五年生の頃になると急に童話が姿を消しているが)また逆に、五年生か六年生にならないと、文学的感動においてそれがつかみきれないような、童話作品だってある。直接、読解の問題ではないが、「詩などを書く」ことを五年生ごろから指導するのが望ましい、としているのなどは、つまり《読むこと》と《書くこと》との間の系統化を無視したところからくる、大きなミスだ。(わたしの知っている現場では、詩を作らせる指導を、いずれも二年生ごろから始めて実績を挙げている。)
 それで中学校になると、「読み物は文学作品に片寄らないように」という注意を一方で与えながら、いわば作品の部分的な表現に目をとめて、その「修辞」に注意して、それを「味わって読む」ことなどが指示されている。と同時に、文学に片寄るな、とあるその次のセンテンスには、「古典に対する関心を持たせるように」と書かれている。つまり、古典は文学ではないらしいのだ。かつて戦前においてそうであったように、古典は「道徳」教材であって、人間的感動にささえたれた文学作品・文学教材ではないらしいのである。
 だから、「古典をわかりやすく書き換えた文章」(一年)からはじめて、やがて「現代語訳や注釈をつけた古典」を読ませる(三年)、というような配慮がそこになされていたとしても、それを手ばなしでよろこぶのは早い、ということになりそうである。たとえば、「すぐれた作品を読み、人生や社会の問題を考えていく態度を身につけること」(三年)というような指示にしても、それを「政治史や社会経済史に片寄る」な(二年・社会科)とか、「複雑な社会構造などの学習に深入りしないよう」に(同上)というような指示と、いったい、どう結びつけて考えたらよいのだろうか。
 (国立音楽大学教授)
  
1960.4
機関誌 第15号
     
《資料13》荒川有史/鈴木勝 「改訂指導要領の文学観」

 
改訂指導要領にたいする批判は、その発表後、さまざまな場でさまざまな角度からなされてきました。しかし、それらの批判は、指導要領のワク組をすっぽり肯定したうえでの、部分的な、表面的な修正に終っているようです。
 たとえば、国語教育を、「聞くこと、話すこと、読むこと、書くことの学習」の四領域から成りたつと規定しますと、文学の学習はその四つのうちの「読むこと」のなかに限定されてしまいます。そのうえ、伊藤整氏がいうように、現存の秩序を否定しよりよき未来への展望を明示するという文学特有の機能は完全に無視されてしまいます。みにくい現実には目をつむり、あたえられた秩序のなかで生きていく人間、そういう人間に慰さみとなるような教養としてのみ、文学はその生存権を許されているようです。このワクのなかだけで、思考力をどのように伸ばすか論じてみてもあまり意味はないと考えます。
 また、すでに多くの人が指摘しているように、読み物は、文学作品に片よってはいけないが、古典には関心をもたせるように、という指示などに、根本的な疑問を感じます。
 古典は文学としてではなく、教訓のために、つまり道徳教育の素材として活用せよ、というわけでありましょう。それはさらに、“君が代”の復活と見あう国民的自覚、ニュールックの国粋主義を核心とする国民的自覚の尊重へとつながっていくのでありましょう。
 人間変革とはなんらふれあうところのない国民的自覚。それに奉仕することを要求されている国語教育。これが改訂指導要領の基本線です。ですから人間のしあわせをねがい、人間を無気力と停滞からときはなす文学教育が、要領の国語教育に正当な位置を与えられていないのも当然なことかもしれません。
 実践面での計画設計にも、古い文学感覚と照応する児童観がハバをきかせております。ここに登場してくる児童生徒は、全国共通の顔をもっており、一年ごとに、同一歩調で成長していきます。成長の方向もあらかじめ決定されているのです。それぞれの社会における人間関係や家庭環境のゆがみが、全国的にも年齢的にもはなはだしい落差をうみだしていることを捨象し、予定調和の机上プランを提出しているわけであります。
 弁証法的な思考による以外、この複雑な現場を処理できないはずなのに、たとえば、英語の原級、比較級、最上級といった作文上の表現だけで処理された指導プランが、はたしてどんな役に立つというのでしょうか。
 こうしたさまざまな不合理を根底から是正するためにも、指導要領の文学観の批判をとおして、国語教育のなかに文学教育を明確に位置づけていきたいと考えます。読解ブームとよばれる奇妙な現象も、その地点で同時に批判できるのではないかと考えます。
 
   
1960.7
教育評論No.98
《資料14》熊谷孝 「国語教育としての文学教育を」

      
 学習指導要領の改定が「改悪」以外のものではない、という点については、いまさら、ここにくり返すまでもあるまいかと思います。改定教育課程が、その基本的方向において示す反動性については、すでに多くの批判が行なわれているわけであります。
 が、しかし、現場の実態はといえば、ときたま思いだしたように、それの改悪を口にし、またそれの反動性をうんぬんしながらも、現実にはすでに移行措置の線にそって、それを消化することに汲々としているの全般の実状である、というほかありません。
 現場の全部がそうだ、というのではありませんが、しかしそういう傾向が、ようやく全般的なものになろうとしていることは事実です。それは、いわば私たちにとって、「この目でみた現実」なのであります。私たちは、この現実――この現実の事実に対して、目をつぶるわけにはまいりません。
 ところで、それがいまや、全般的な傾向になろうとしている、ということには、実は、改定が改悪にほかならないという事実が、現場では判然とつかまれていない、ということが、そこに考えられるのであります。
 これはあながちに、現場の弱い部分においてそうだ、というだけではありません。あえて申します。それは全般の傾向であり、むしろ現実の一般的傾向にほかならないのであります。
 つまり、改定が改悪以外ではないという事実認識が、そこに欠けているのではないか、ということなのです。もしも、そうした事実認識が現場全般のものとなっているのであれば、かくもたやすく移行措置が現場に「浸透」し「徹底」し、かくもすみやかにそれが実現する、というようなことはありえない。そう思われるのです。たとえ、権力による強制がそこにあったとしても、なのであります。
 いや、「強制」は、現に手きびしく行なわれているわけなのですが、しかし教育課程の問題は教師にとって、他の問題とはまた違った直接的な切実さを持っております。学級経営者として、また教科担当者として、それは現場教師の日常のありかたを規制する、切実なデイリーな問題にほかなりません。
 したがって、それを「改悪」されたのでは、或いはそれが「改悪」であるならば、日常の教育実践に大きく響いてくるというか、その方向に大きな狂いを生じてくるわけです。さらに、その改悪が一定の限度を越えたそれであるような場合には、教育そのものが不可能にさえなってくるわけなのであります。
 だからして、多くの改定指導要領批判が語っているように、それが「限度を越えた」あるいは限度スレスレの、ともあれ民主教育そのものに狂いを与えるような方向性を示した改悪である、という事実認識が現場全般のものとなっているのであれば、そうやすやすと移行措置に引きずられる、というようなことは考えられない。たとえ「強制」がそこにあったとしても、抵抗路線は、けっして一つではない。幅のある柔軟な仕方ででも、それをハネ返しているわけなのであります。
 が、現場の実状はそれを受け入れ、それを消化することに忙しいとすれば、改定が改悪であるという事実認識はそこにない、と考えざるをえないわけです。で、私たちのサークルでは、そうした事実認識のために、当面の課題を教科論の面にしぼって、文学教育理論の追究を試みることになったわけです。
 一昨年来、《国語教育としての文学教育》という課題のうちだし方をしているのも、右のような理由にもとづくのです。《実践をくみあげて理論化を》――これが、そして私たちお互いの合いことばとなっているわけなのであります。

      Ⅱ
 私たちは、国語教育の課題を、第二信号系としてのことばの訓練という一点でおさえて考えております。思考や認識との結びつきにおいて、言語能力をひきだす作業が国語教育である、というふうに考えているわけです。
 文学教育も、そうした国語教育の体系的一環として、《子どもの認識をはぐくむ教育》である、というおさえ方をしているわけです。このようにして、また、文学教育も、まさに《国語教育としての文学教育》として、新しい国民づくりのための、子どもの認識の発達をささえる教育とならなければならない、という考え方をしているわけであります。
 いいかえれば、指導要領のように、それをたんに「経験jを広め心情を豊かにする」情操教育としては考えないわけです。単なる情操教育ではなくて、それは認識をはぐくむ教育である、と私たちは考えているのであります。それを、国語教育としての文学教育として、すなわち認識をはぐくむ国語教育の体系的な主軸の一つとしてつかむとき、それは本来的に認識の発達をささえる教育としてしか考えようがないわけであります。
 いや、そう考えないというより、文学教育活動の実際は、そのいとなみを欠いては、国語教育そのものがカタワなものになり、「思考や認識との結びつきにおいて言語能力をひきだす」という、国語教育プロパアな機能そのものがしぼんでしまうことになるのです。
 指導要領における文学教育疎外は、文学教育を認識 の発達をささえる教育と考えるかわりに、それを情操陶冶の手段としておさえる点に、その理論的根拠ないし前提を見つけているかのごとくであります。(それを情操教育としておさえ考えようとする、その根底にあるものは、文学の本質というか本性をその観照性――観照性の文学に求めるという、かなり時代がかった文学観にほかなりません。この点、機会をえて、くわしく述べたいと思います)
 で、つまり、こういうことなのであります。それを単なる情操教育の手段としてつかむことで、文学教育を――実は文学学習 を、国語教育にとって第二義的なものと考えるわけなのです。指導要領のおさえ方では、国語教育のなかから文学教育はその姿を消し去ったしまっています。いや、消去されてしまっているのです。
 そこにあるのは、文学教育という一まとまりの作業ではなくて、ただの文学学習です。それは、数多くの国語学習領域のなかの一領域、さらにその領域のなかの従属的な一小部分にすぎません。
 文学教育ではない、単なる文学学習、しかも、ただの情操陶冶の手段としてしかつかまれないとき、それがいわば第二義的・従属的なものとして考えられるようになるのは、当然のことでありましょう。従属的なもの、つまりツケタリです。第二義的なもの――それは、しょせんアクセサリーにすぎません。
 移行措置の施行前にあって、この文学学習がともかく一おうの存在理由を認められていたのは(誤解のないように断っておきますが)アクセサリーというもののもつ、必要性の限界内においてでありました。平時にはアクセサリーもまた必要なのであります。
 けれど、戦争街道の早がけ行進に移ろうというときには、もはや平時のアクセサリーは不要・無用のシロモノでしかありません。アクセサリーが必要であるとしても、それはまったく別個のアクセサリーにかえられなくてはなりません。
 改訂指導要領に示されている、国語教育への要求は、右に見るようなものがあるのではないか? いや、そういうものがあると判断することのほうが、ないと考えるよりはやさしい、ということなのであります。
 それかあらぬか、改定指導要領には、ふたことめには「文学に片寄らない指導を」ということばが、くり返されています。そしてそこに同時に、文学に片寄らないで、「古典」の学習指導に力をそそげ、ということが語られているのであります。
 文学に片寄らないで古典をしっかりやれ……ということは、裏を返せば、古典を文学として扱うな、ということにほかならないでありましょう。
 古典を文学として扱わないコテン教育――それは、たとえば『神皇正統記』などを範例とした、戦前・戦中のあの「古典」教育(修身教育の一環としての古典教育)の方向への復帰を、先に予定した事前工作である、と考えないわけにはいきません。
 もっとカンぐっていえば、古典を修身教育の手段として扱うと同時に、文学を危険視して生徒のそれへの接近を極力妨害した、戦前の学校教育のあの方向への逆行がすでに始まっている、とさえ思われてくるのです。
 文学をおそれ、それを排除するのに躍起だったということは、ファッショ的支配者の立場からではあるが、反俗に生きる文学の偉大な力が、それの認識機能において、そこにつかまれていた、ということを言いあらわす以外のものではありません。
 であればこそ、逆に、文学(そして文学教育)を疎外した国語教育、認識としての文学を捨象した、情操教育としての文学教育・文学学習を表面にうちだすことにもなったか、と思われます。
 ともあれ、改定教育課程の示す方向は、戦前のそれとかさなり合うものがあるようです。新しい国民づくりをめざして、文学教育は、こんにち、どのようなものにならなければならないか? 答えは、おのずから明らかであろうと思います。


 これは、私たちが所属するサークル、文学教育研究者集団の共同の見解を示すものであります。月例研究ゼミにおける集団討議の一致点を拾ったものです。
(文責、福田隆義、熊谷 孝)
 [文中、今日の人権感覚に照らして適切でない表現があるが、文章の歴史性を考慮し、そのままとした。]
・1960.10.15 文部省、高等学校学習指導要領改定(進学組・就職組の区別、倫理・社会の科目設置)。

  
1963.10
文学 第31巻10号

 
《資料15》熊谷孝 「〈動向〉文学教育の現状と問題点」

文学教育のカベ
 こんにち、学校文学教育が当面している第一のカベは、なんといっても改定学習指導要領による教師の指導の制限・制約だ。あるいは、教育課程の改定と、その改定と見合うかたちの教科書の改編という既成事実の上に立った、画一的で紋切り型なその指導方式の強制・強要である。それをひとくちにいえば、教育の自由がそこにない、ということだ。
 そこで、いま、もし学習指導要領がそこに指示している通りの指導を教師がおこなうとすれば、文学教育は道徳教育のただの一環となるか、読解指導という名の読みかた作業のごく片すみの一小部分として終始するのほかはない。いいかえれば、文学教育というこの一まとまりの体系的な教育活動は、すでにそこからは姿を消しさって、童話なり小説なり詩が、ただの読みかた教材か教訓ばなしの材料に使われる、ということになってしまうのだ。
 ともあれ、先年実施された教育課程の改定以来、文学教育は一方では、文学作品の道徳教材としての「利用」というかたちをとって、道徳教育の作業に組みこまれてしまっている(教育課程審議会答申『小学校・中学校数育課程の改善について』別紙(1) 「道徳教育の特設時間について」3・指導法、(2)読み物の利用、参照)。もっとも、国語科のほうでも、これまで通りに(?)文学作品を扱うことは扱うが、しかし、それもやはり、道徳教育と「密接に関連させ」たかたちで、という条件つきである(小・中学校学習指導要領「国語」第3・指導計画作成およぴ学習指導の方針・9、参照)。さしずめ、それは、「道徳」優先の文学教育といったところである。
 「道徳」優先の文学教育――それは、いいかえれば、文学作品の「道徳的解釈を前提としたプンガク教育」ということである。「道徳」実施要綱にしたがって例示すれば、それは、芥川の『蜘蛛の糸』を、「利己的な行動を反省して互に助けあう心持」を養うための教材として「利用」する、というふうな考え方のプンガク教育である。これは、ひどい。たとえそのような「解釈」を可能なものにしかねないような弱さ(作品としての弱さ)をこの作品が持っているとしても、この主題のすり替えは大胆すぎる。
 まっさかさまに、ふたたび地獄へおちてゆく大泥棒カンダタの姿にシンポライズされているものは、おそらく、エゴイズムに結びつかざるをえない疎外状況における人間の苦悶とか、しかしそこでのどうにも片づかぬ気持とか何かそういった方向のことではないか、と思う。もっとも、僕にはそんなふうに思えるというだけのことなのであって、こういうつかみ方でいいのかどうか全然自信がない。自信はないが、しかし、いえることは、まかりまちがってもその主題が《利己心のいましめ》といった方向のことではない、ということである。
 この場合、あえて一事が万事といっていいかと思う。《道徳教育としての文学教育》 における作品のテーマのつかみ方は、どれもこれもほとんど似たりよったりである。 『レ・ミゼラブル』は、そこではミリエル司教の徳行をたたえる高僧美談と化し、『リヤ王』はまた孝行むすめの孝子美談に早替りする、といったぐあいだ。
 ところで、さきに、国語科文学教育もやはり道徳教育に結びつかなけれはならないような、条件つきの文学教育にされてしまっている、という点にふれた。が、条件は上記のその一点に尽きるのではない。これからの「国語」の読解作業は、教材選択の上でも「文学作品に片寄らないように」と くに「留意」して進められなけれはならない、というのである(中学校学習指導要領 「国語」第3、指導計画作成および学習指導の方針・3、参照)。文学がどうのといったことは、ほどほどにして、文学作品に片寄るな――と、そんなふうにオカミからいわれたのでは、文学というものに対してシモジモが敬遠の姿勢をとるようになるのは、これは水の低きにつくの理である。
 多分、そのことと関係があるのだろう、官製の教研集会や公開研究授業などで文学教材を扱うことは何がなし憚られる空気だ、という。ある現場の先生は僕にむかって、こういった。「官製の研究授業などで文学の学習指導なんかやるのは愚劣ですよ。 助言者役の指導主事にいやみ をいわれるぐらいがオチですからね。見世物授業には説明文の読解をやるにかぎる。それも教科書に出ている文章を扱ってみせることですね。 抵抗がなくていいですよ」と。

教科書文学教材の問題点
 この現場数師のいう「抵抗のない教科書教材」ということについてなのだが、上記のような文学教育の否定は、現実には国語教科書からの文学教材の排除というかたちをとって進められている。まず、掲載作品の数が問題にならないぐらいに少ない。絶対量が少ない上に、それは故意に二流・三流の作品を選んだとしか思えないような作品の質である。
 それにくわえて、すぐれた作品も、原作のもつ文学精神を骨ぬきにし感動を水で薄めたみたいなかたちのものに改悪する、という操作が教科書検定においておこなわれている。いや、検定で直接手をくわえる、くわえない、ということより、あらかじめ改悪した上で申請しないと検定が通らない、という点に問題があるわけだ。
 それは、やや逆説的ないい方をすれば、今の教科書のあの「道徳」化され非文学化されたブンガク教材を扱うのだったら文学教育は不要だ、ということにもなりそうである。なるほど、あのてい の教材なら、「段落」に分けて各段落の「文意」をつかみ、それをつなげて全文の「要旨」や「主題」 をつかみ、それと同時に「うまい表現」の個所についてはその「修辞の仕方」を「味わって読む」という、例の「読解」方式の指導がちょうど似つかわしい、ということにもなろう。
 だからして、こういう教科書を使ったのでは文学教育はできない、という叫びが、いま、多くの教育現場の声になってきている。話を具体的なものにするために、一、二実例をあげておこう。
 これは先ごろ、文学教育研究者集団・安房文学教育の会共催の年度大会の席上、福田隆義氏(東京・墨田・業平小学校)が語っていたことなのだが、今の教科書教材の改悪ぷりは目にあまるものがある、というのだ。つい先ごろも、『第三の火』(さがわ・みちお作)という教科書の詩教材を教室で扱おうとして調ぺてみたら、改悪も改悪、あまりひどすぎる。たとえば、この詩の第五連は、原作では
文明の歩みは さらに進む。
三たび 人間のとらえた火、
これこそ第三の火――原子エネルギー。
  しかし、忘れてはならない、
  それは のろいの火 として最初 広島に燃え
  つづいて長崎――一九四五年。
 一しゅんのひらめき、天にそぴえる
 あくまの足もとに、
 つみもない たましい四十万が はかなく消えた。
人間は こんなおそろしい火を 手に入れたのだ。 (傍点・筆者)
となっているのだが、教科書では「のろいの火」が「戦の火」に、「あくまの足もとに」が「火柱のもとに」と改められ、さらに「つみもない」ということばがカットされてしまっている。
 「のろいの火」という個所は、すでに検定申請の際に、教科書会社の配慮からだろう、「にくしみの火」と改められていたのだそうだが、それでも、まだきついというのか、結果は「戦の火」というふうに骨ぬきにされてしまったのだ、という。「こういう例は別に珍らしくも何ともないのですよ。ほかに、私の扱った教材例からだけでも、プーシキンの『金の魚』、宮沢賢治の『虔十公園林』、新実南吉の『手ぷくろを買いに』『ごんぎつね』というふうに改悪の例は少なくない。教科書文学教材のほとんどがこの調子なのですね」云々。   
 文学の背骨を失ってしまった、こんなフニャフニャのプンガク教材で文学教育ができるだろうか。一体、またなんで文学を目のかたき にして、非常識きわまるこんな改悪をやろうとするのか。これでは、独占資本に奉仕する教育――と、そんなふうにいわれても仕方がないではないか。

文学観の問題 (…)
文学教育の限界(…)
第一信号系と第二信号系のあいだ―文学教育と国語教育―(…)
 
・1962.11.30 文部省、第1回中学校教科課程研究発表大会(~12.2、小学校は12.3~12.5)。〈文部省教研の初め〉。

・1963.5.13 日教組・出版労協など36団体〈教科書国家統制法案粉砕推進会議〉を結成。



1964.2
道徳教育No.34
 
《資料16》熊谷孝 「文学教育と道徳教育」

課題の前提条件
 
本誌・№31 に、「道徳の年間計画と副読本」と題して、都立教育研究所の相馬孝之氏が、次のような傾聴すべき所論を発表しておられた。

  ――道徳の時間が特設されようとする前後に、賛否両論が大いにたたかわされたが、そのうちに、「無能教師必要論」ともいうべきものがあった。つまり有能な教師は従来の全教育活動を通して道徳指導を行なうという立てまえでじゅうぶん成果をあげられるであろうが、「能力の低い一般教師大衆」にはそれが困難であるから、「集中と強化のために」やはり道徳の時間を特設すべきである、というのである。
 もちろん、道徳の時間の特設が、このような理由だけで決定されたものとは思わないが、無能よばわりはしないまでも、自ら求めずにもっぱら他力本願的な姿勢の教師が多いという事実に根をおいた特設論は、全く便宜的な方法論であり、道徳教育の本来のあり方は別にあるもののような気がしないでもない、うんぬん。

 自分をおさえた、ずいぶんひかえめな発言だと思う。ひかえめに――ではあるが、しかし問題の核心をついて鋭く、かつきめ細かに批判を展開しておられる。こんにちの道徳教育論議は、指導手順をどう組むかといった方法・技術の問題にテーマを求めるまえに、まず、相馬氏がそこに指摘しておられるような点に問題をかえして、原理的・原則的な反省をこころみる必要がありそうに思われる。いいかえれば、「道徳」の時間を特設して道徳教育をおこなう、という発想そのものから検討しなおす必要がありはしないか、ということである。
 氏の整理にしたがっていえば、その発想は、教師一般の能力の低さやその受け身な姿勢にたいする評価に端を発している。それは、いわば、教師大衆蔑視を前提とした、「便宜的な方法論」としての「道徳」の時間特設ということにほかならない。
 もっとも、それは「このような理由だけで決定されたもの」ではない。現状に即し現状打開のために、やむをえずに打った便宜的な措置という格好をとってはいるが、真の理由は他にある。その理由というのは――いや、そこまでのことは、今回はふれないことにしよう。寒川道夫氏流にいえば(『道徳教育と文学教育』――「国語教育」№61・所掲)、それは「すでに批判ずみ」のことである。あるいは、「周知のこと」「自明のこと」である。本誌などの執筆者の多くは、故意に意識してそこを素通りしているだけの話である。ではないかと思う。本誌№31がいま手もとにあるのだが、それについてみると、教育課程審議会の答申などに対して疑義をいだくような人たちの発言が、ひどくひかえめなものになりがちなのも、多分、そうした身もフタもないみたいなことは口にしないだけのエチケットを心得ておられるからのことに違いない。僕もまた、この席では自分をおさえて、そのようなエチケットにしたがうことにしよう。
 そこで、ともかく、「道徳」の時間の特設が所詮便宜的な措置にすぎない、ということをハッキリおさえた上で、「道徳教育の本来のあり方」をさぐるいとなみが、もうそろそろ始められてもいいころではないか、と思うわけなのだ。というわけは、暫定的な便法・手段であったはずの「道徳」の時間の特設が、いつか特設すること自体が目的であるみたいな格好になりかけている、ということが一方にあるからである。これでは本末転倒だ。問題は、子どもたちの将来と民族の明日のために、デモクラティックでヒューマンな国民的道徳感情をつちかう、という目的にとってどういう手段・方法が適切か、ということだろう。ではないのか?
 「能力の低い」教師がいることも事実だろう。「他力本願的な姿勢」の教師のいることもあるいは否定できないかもしれない。が、すべての教師が無能で自主性を欠いているわけではない。だからして、「道徳」の時間を設けて集中的に指導するというような便法は拒否して、自分は自分の「全教育活動を通して道徳教育を行なう」考えだ、というような積極的な姿勢の教師がいたとしたら、、むしろ肩をたたいて励ましてやるべきだろう。ところが、反対に、「一部ではあるが、道徳の時間を設けていない学校すら残存している。このような状態は、道徳教育の充実に大きな障害となっている」うんぬん(教育課程審議会答申)というような発言も一方ではおこなわれている。
 そこには、どうも、「道徳」の時間を設けないということが、一義的に道徳教育そのものに対して熱意や自信を欠いている結果だとする、性急すぎるというか、やや軽率な判断がはたらいているように思う。

 ――教師のうちには、一般社会における倫理的秩序の動揺に関連して価値観の相違がみられ、また道徳教育についての指導理念を明確に把握していないものが見られる。そこでいわゆる生活指導のみをもって足れりとするなどの道徳教育の本質を理解していない意見もあり、道徳の指導について熱意(、、)に乏しく自信(、、)勇気(、、)を欠いている者も認められる。また一部ではあるが、道徳の時間を設けていない学校すら残存している。このような状態は、道徳教育の充実に大きな障害となっている。(教育課程審議会答申、傍点筆者)

 何だかこれでは号令一下、右を向けといえばすぐ右を向くような、ヘンに飼いならされたサラリー・マン型の教師がほめことば(、、、、、)を頂戴している反面、自主的で意欲的な姿勢の教師は、ぐうたら(、、、、)だ、といって叱られているみたいな感じなのである。僕が知っているかぎりの教師の職場では、しかし「道徳」の時間を設けないかということでは揉みに揉みぬいてきた。そして大方は、なにせオカミの意向はハッキリしていることだし、さからっては(、、、、、、)後の祟りが恐ろしいから、という大勢順応論が勝ちを占めての「道徳」の時間の特設ということのようだ。だからして、僕の実感からすれば、特設することに踏み切った学校やその学校の教師たちのほうが、「道徳に時間を設けていない学校」の教師たちより、道徳教育や教育に対して熱意があるとか自信がある、というふうには思えないのだ。いわんや、「勇気」があるなどとは思えないのである。
 あえていえば、長いものには巻かれろ式の、卑屈なあきらめと忍従の精神状況のもとでおこなわれる道徳教育を、僕は信用しない。それは、相馬氏が指摘しているようないきさつ(、、、、)からすれば、自分達が「他力本願的な姿勢の教師」であり、かつ「能力が低い」ことを認めたも同然なのだ。「自信」も「熱意」も湧いてこないのは当然のことではないか。ことばを重ねるが、そういう精神状況のもとでおこなわれる「道徳」教育を、僕は信用できないのだ。それは教師にとっても、生徒にとっても精神衛生上よろしくないのである。
 ところで、つくられた既成事実は、さらに第二、第三の既成事実を生むようになる。便宜的な手段であったはずの「道徳」の時間の特設は、それが手段から目的に転化することで、さらに次のような事態をひき起している。

  ――今回、こうした道徳の時間に、読物資料の利用が望ましいという答申がなされた。それは、「各学校において、具体的、効果的な指導計画の作成の仕方や適切な教材の選定に種々の困難を感じている者が多い」という現状に即応しての対策であることは論をまたない。ここにいう「指導計画の作成や教材の選定に困難を感じている多くの者」もまた、大衆蔑視的な便宜論の対象となるものであろうか。
 もしそうだとすると、読物資料の利用についての教師用解説書はいうまでもなく、児童生徒用の読物資料(副読本)は全く二重の便宜性しか持たないということになる。
 さて、果してこの論理は正しいであろうか。論理の正誤はともかくとして、このような論理を認めるかどうかが、今日の私たちに課せられていることは認めなければなるまい。(相馬氏・前掲論稿)

  相馬氏がそこに指摘しておられるように、一つの便法(例外)を容認することは、また次の便法(例外)を認めることになるのである。それは、もはや、ただの便宜的な手段としてではなく、恒久的な手段として――いいかえれば、まっとうな論理にもとずくまっとうな手段・措置として、それを容認せざるをえない羽目になるのである。そこで、相馬氏ともども僕もまたいおう。「このような論理を認めるかどうかが、今日の私たちに課せられている」道徳教育論の緊急のテーマである、というふうにである。「道徳」の時間を設けて道徳教育をおこなう、というその発想自体を検討する必要がある、と先刻僕がいったのは、そのことなのである。

   文学教育とモラリティーの形成

 ところで、今僕に与えられている課題は、文学教育と道徳教育との問題について当たりをつける、ということである。この課題にとって、もし「道徳」の時間の特設ということを前提とするならば、初めから課題そのものが成り立ちそうにないのだ。つまり、「道徳の時間の」わく(、、)組みで文学作品を文学作品として扱う(、、、、、、、、、)ことは不可能だし、また、この「道徳」教育に結びつくことを先に予想した文学の指導といったふうなものは、国語教育の場においても全然考えられない、ということなのである。僕がそう考えるというだけでなしに、これは、国語教育や文学教育にたずさわる者の側からの世論のようなものだ、といっていい。
 たとえば、沖山光氏は次のように語っておられる(『とらわれることのない教材研究を』――「国語教育」№61)

  ――道徳教育の方便に国語教育が従属することは、論外である。国語教育はあくまでも、言語活動そのものが本質であって、道徳教育に従属することは戦時中のイデオロギー教育にも通ずる危険性をはらんでくる、うんぬん。

 また、たとえば、寒川道夫氏は前掲の論稿のなかで、次のように語っておられる。

   ――文部省検定のワクは最近ますますその傾向を強くし、国語教育の文学教材で特設道徳をやろうと意図しているもののごとくである。
 国語教育が言語の芸術的形象である文学をも教材としてとりあげることは、まさに国語教育の大切な本質であるから当然である。しかし、文学を道徳教育の手段とする、あるいはしもべとするなどとは、とんでもないことである。
 もとより文学は、人間の生き方の正しさ・美しさ・まっとうさを表現したものであるから、そこにはそれなりのモラルがあるのはいうまでもない。
 ことに成長過程にある子どもを対象とした文学作品は、絶対に子どもの自然な成長をゆがめたり、その未来にまちがった色づけをしたりするものであってはならないから、おのずからある限定も必要とする。しかしそれは、あくまでも主体的人間としての未来を築く子どもの立場からしてのモラルでなければならない。特設道徳は、すでに批判すみなように、そういうものとは異質な立場からの要求にもとずくものである。うんぬん。

 つまり、誰一人道徳教育そのものを否定している人はいない。「道徳」の時間を特設して道徳教育をおこなう、という発想の「道徳」教育に対して首をかしげているだけである。教師大衆に対する不信頼に出発し、またそうした教師への不信頼のゆえに、こんどは副読本の使用を勧告しその中に文学作品を盛り込む、というふうな、その発想に対して釈然としないものがあるわけなのだ。
 とりわけ、文学教育の側からすれば、「道徳」の時間のわく(、、)のなかで協力しろと言われても、これは手の施しようもないし、また、それができないなら国語教育や文学教育そのものを、もっと道徳づいた(、、、、、)ものにしろ、といわれれば、沖山氏や寒川氏たちと声をあわせて、「論外である」「とんでもないことだ」というほかないのである。というわけは――少なくともその理由の一つは、今日の「道徳」教育のたてまえそのものが徳目主義だからである。すでに述べたように、長いものに巻かれることが「勇気」のあることだったり、批判ぬきの「自信」や「熱意」であっても自信は自信、熱意は熱意であるといった方式の徳目主義、その通俗的な便宜主義・ご都合主義が、文学や文学教育の精神構造とウラハラなのである。

  ――生まれてはじめて算術の教科書を手にした。小型の、まっくろい表紙。ああ、なかの数字の羅列がどんなに美しく眼にしみたことか。少年は、しばらくそれをいじくっていたが、やがて、巻末のペエジにすべての解答が記されているのを発見した。少年は眉をひそめて呟いたのである。「無礼だなあ。」(太宰治『葉』)

 「無礼だなあ。」――これが、文学精神である。
 教師があらかじめ徳目と見合うような解答(、、)を用意しておいて、あの手この手と策を講じて生徒をそこへ誘いこむ――これは文学教育では、むろんないし、プロパアな意味での道徳教育でもないだろう。こと文学教育に関していえば、それは作品の表現が示しているような、まあたらしい感情、感情体験につながっていけるような感情の素地を、子どもたちの体験のなかにさぐり求めて、それを子どもたち自身に自覚させる作業だ。そのようにして、素地について自覚をもたらすと同時に、そういう感情の素地を一まとまりの感情体験にまで育くむ仕事だ。それは、いわば、素材(事物)とともに与えられた作品のテーマと、その同一事物に対していだく子どもたち自身のテーマとの対決を成り立たせる(媒介する)場である。
 それは、あるいは次のようにもいえようか。作品とむかい合うまでは漠然とした形でしか意識されていなかったようなその事物に対する自己の感情にテーマを与えることで区切りをつける体験である、というふうに――。つまり、そのことで、子どもたちは人生に対するある姿勢を主体的に準備するのである。あるいは、そういう姿勢をととのえる足がかりをつかむのである。
 そういう姿勢は当然、モラーリッシュなものを含んでいる。道徳感情――それは本来、人間の感情(生活感情)をある側面において切り取ったときに呼ばれる呼び名にほかならないのだから。が、ここでハッキリさせておきたいのは、文学教育によるそのようなモラル・モラリティーの形成は、まさに、文学教育プロパアな活動の結果としてのみ生まれ得るものだ、という点である。ある種の徳目に合わせて、それを教えこむ手段として文学作品を「利用」する、というような姿勢からは、かつての修身教育がそこに再現するだけのことである。文学作品を「道徳」教材として「利用」することは許されない。道徳教育プロパアな視点からいって、それは許されないことである。
 ことばを重ねるが、文学作品は、それをあくまで文学作品として扱うのでなければ、モラルの形成も、モラリティーの変革もそこに実現しはしない。文学は、そして究極においてめいめいがめいめいに、自分でわかるほかないものだ。自己の感情の素地が育くまれてくることで、同一の作品の表現する感情も(したがって道徳感情も)前とは違った次元で「わかる」ようになってくるものだ。
 たとえば、アンデルセンの童話だが、それは、おとなにならなくては本当にはつかめないような、ある側面を持ってはいないか。むろん、子どものうちに読んでいなくては話にならないが、それをまた育った心で読み返すことで、「私」の自我は根底から揺さぶりを受ける。これが文学というもの、芸術体験というものだろう。
 文学教育の作業は、だからして子どもたちの感情の素地を育くむものだ。それは、感情をくみかえ、つくりかえる仕事だ。そういういとなみを、文学教育は、作品の文学としての(、、、、、、)読み――じっくりとした読みの指導を媒介としておこなっている。そういう教育活動は、広い意味で、そして真実の意味において道徳教育活動の一環である、といっていい。いや、文学教育を欠いて真実の道徳教育は実現するはずがないのである。
 ぼくのいいたいことは、こうだ。文学作品の主題を強引に徳目化して解釈したり、文学教育の内容や方法や教材をヘンに道徳づいた(、、、、、)ものに改めようとする企ては、逆に道徳教育そのものにとってマイナスである、ということだ。早い話が「道徳」実施要綱が指示しているような、芥川の『蜘蛛の糸』を「利己的な行動を反省して互に助けあう心持」を養う教材に「利用」する、というふうな厚顔無恥というか非常識というか、ああいう強引さは「道徳」教育の信用をおとすだけの話である。(なお、この点については、小稿『文学教育の現状と問題点』――「文学」38年10月号所掲参照。)
 実施要綱がすでにこの通りだからして、「道徳」教育に「熱意」をもった現場は、だいぶひどいことになっているらしい。本誌・№31所掲の中西暘子氏の報告にしたがえば、氏が見学されたある学級での「文学教材を扱った授業」の模様は次のようなものだった、という。

  ――作品は芥川竜之介の「みかん」。中学一年生の授業。
 まず指導者は作品のあら筋をたずねた。次に生徒にこの作品を読んでの感想をたずねた。幾人かの生徒が答えたが、同じ内容の答が多く、大体次の三つにまとめられた。 
  (1) 姉妹の愛情に感動した。
  (2) 作者が女の子を見直したことはよいことだ。
  (3) 人間を服装や要望で判断してはいけないと思った。
 指導者はこれらの感想発表の間に、「作者のような経験があるか。」とか、「この作品を読んで、今後周囲の人たちをどういうふうに見ていこうと思うかなどという発問をし、授業の方向づけをした。(つまり、作品から離れた)
 まず、これでは、文学教材を手段にした一種の素材主義の教育にすぎない。……ここには、生徒の主体的な問題意識を大切にする指導もなければ、文学の機能への信頼もない。……また、生徒の述べた感想も、「道徳教育」を意識しての感想である。文学作品を読んでの素直な感想を、無理に押しのけているような不自然さがある、うんぬん。

 中西氏は、さらにことばを継いで次のように語っておられる。もしも国語の時間にこの作品に接したのだったら、「美しい人間感情に触れた感動」が生徒たちの心をとらえたであろう、うんぬん。「無意識の底に人間を信頼する気持、ひいては自分の内の善性を確信する気持……その根本のものを押えることなしに、皮相な判断や教訓めいた結論を生徒から抽き出すことに、何の価値があるのだろうか」うんぬん。
 現場人のこうした切実な声に、謙虚に、正直に応答できるような用意が、果たして当事者の間にあるのだろうか。
<国立音楽大学教授>
 
・1964.3.14 文部省、小・中学校教師用〈道徳の指導資料〉第1集70万部発行。


・1965.1.11 中教審、〈期待される人間像〉中間草案発表。

・1965.6.12 家永三郎、教科書検定を違憲とし、国に対し賠償請求の民事訴訟を起す(第1次訴訟)。
 
    
1966.2
教育科学・国語教育
第88臨増号
 
《資料17》熊谷孝 「言語主義からの解放」 

国語教育の改造のために
 <言語主義からの解放>という標題の意味ですが、さし当たって、それは、言語観ないしメディア観としての言語主義からの国語教育の解放という意味です。そのことを、ここでは教師の主体の問題として考えてみよう、というわけです。
 メディア観? ……コミュニケーション・メディア(伝え・伝え合いの媒体、体験の交流・交換のための交通手段)についての考え方、という意味であります。たとえば、「ことば」や視覚形象、視聴覚形象などさまざまのコミュニケーション・メディアの機能的性質をどう考えるか、その相互の関係・関連は? といったことについての考え方のことです。あるいは、<概念としての言語>と<形象としての言語>との関係、「ことば」の概念的操作とその形象的操作との関係・関連などについての考え方のことであります。
 また、ここに言語主義というのは、「初めにことば ありき。」――ドイツ観念論の伝統的な「ことば」絶対、「ことば」中心の考え方、たとえば「ことば」の芸術である文学に対して(それが崇高な「ことば」のいとなみであるがゆえに)芸術の国の王位・王冠を奉呈するというてい の、旧観念論美学の言語至上主義の考え方などを含みます。それは本来、事物主義(実在論・反映論)に対する言語主義(観念論)の意味なのですから。
 が、ここではおもに、次のような考え方をさして言語主義といっているわけです。(1)「ことば」には、その「ことば」をもちいた送り手の思想なり感情なりが自己完結的なものとして、内容として封じこめられている式の、「言霊(ことだま)」的な言語実体観にはじまって、(2)結局は「ことば」によらなければ事物や現象の本質(真実)には到達できない、といった考え方に至る一連の言語至上主義の考え方が、私がここにいう言語主義なのであります。
 国語教育界に支配的な言語主義は、ところで、「概念」中心主義とでもいべき言語主義であります。(言語主義というものが本来そういうものでしょうが――。)そこでは、「ことば」とは究極において「概念」のことなのであります。「ことば」と「概念」との混同・同一視に立ち、「概念」と「形象」との機械的なきりはなしの上に、概念が概念だけの自己操作によってひとり歩き できるような錯覚がおこなわれています。乾孝氏のことばを援用すれば、そこでは「概念は記号 の中で完結したもののように誤解されている」(『形象コミュニケーション』)のです。
 『ヨハネ伝』(? ――たしか、そうだったでしょう)の作者のことばをもじって言えば、「初めにことば (=概念)ありき。」なのです。「ことば (=概念)は神(=真理・真実)とともにあり。ことば (=概念)は即ち神(=真実)なりき。」なのであります。しかり而して、概念でつかんだその至高の真実の真実性は不変のもの、自己完結的なものとして記号の中に保障される、というわけです。<記号としての言語>と<信号としての言語>――記号 の中に保障される、というわけなのであります。
 例示するまでもあるまいかと思いますが、たとえば、「追体験」によって作者の意図・体験にせまることを終局の目的とした、一連の読解理論やその読解作業。そこには、作品(文章)というものにはその作者の「たましい」が宿っている、意図した送り内容がその記号の中に封じこめられている、という言霊(ことだま)信仰が横たわっています。この考え方では、作品形象は媒体であるよりは実体――作者の思想 を盛りこんだ容器 だ、ということになります。そこでの教師の関心事は、そこに盛りこまれ封印されている一定量の中身をどれだけ生徒に配分できたか、ということになってきそうです。
 また、たとえば、教室で『くもの糸』(芥川)を読ませれば、その主題は「利己心のいましめ」であるとか、『走れメロス』(太宰)のそれは「信義と友情」であるとか、「結局、作者は何をいおうとしているのか」「何が書いてあるのか」というかたちに授業をまとめないと気がすまない、というのなども、この「概念」中心主義のあらわれでしょう。いや、そういう操作をした後で表現読みをして形象に返していくんだ、と言ってみたところで、事態はあまり変わらないでしょう。
 私がいうのは、こうした言語主義的な観念に立つ国語教育、国語教育観からの解放ということです。こうした観念の束縛から自由になって、もう少しサバサバと、すっきりと国語教育の作業にとり組もうではないか、という提案・提唱なのです。そういう提唱をここでおこなうわけは、“上からの国語教育”と“下からの国語教育”とを問わず、こんにちこの只今、国語教育の正常な前進をはばんでいる内在的な要因のひとつにこの言語主義的な言語観・メディア観がある、と考えられるからなのであります。
 誤解のないように、ことばをかさねます。内在的な要因のひとつにそれがある、という指摘にすぎません。それがすべてだ、それが唯一の要因だなどと言っているのではありません。それは、もろもろの要因の中のひとつの要因にすぎません。しかし、見すごすことのできない「要因」であります。この要因は、教師ひとりひとりの実践に関して、その実践を実践主体の内がわから足を引っぱっている当のものだからです。あえていえば、それは、国語教育の前進をはばむもろもろの要因を温存させる、まさに“内在的”な要因だからであります。
 私が問題にしているのは、つまり私たち教師大衆個々人の主体の内部についてなのです。その主体の内がわにベッタリくっついて離れない、言語主義の残りカスについてなのであります。“上からの国語教育”の基本路線は、(そのさまざまのヴァリエーションにもかかわらず)言語主義路線にほかなりません。形象理論による戦前の国語教育がそうだったし、戦後・現在のその亜流や変種も同様であることは上記のとおりです。「昭和五年に出された国語教育の指導案(東京高師方式の指導案)と、こんにち多くの現場で見うける指導案とのあいだに一体どれだけの違いがあるか」という意味のことを林進治氏が語っておられますが(『私の体験した大正・昭和国語教育史・3』――「児言研国語」№5)、だいじな指摘だと思います。
 さて、林氏がそこに指摘しているような、言語主義的な指導原理と対決しつつ実践をくむ教師個々人の言語観が、その根底に於て上からのそれと同質のものであるとすれば、どういうことになるか、ということなのであります。国語教育の実践の問題は、教師の社会意識や政治的イデオロギーの進歩性というようなことだけではカタがつきません。教師その人がまっとうな現実観、まっとうな歴史感覚をもつことは、むろん必要なことです。が、それは、いわば国語教育活動にとっての大前提です。
 この大前提に対する前提、直接の前提としての言語観や言語感覚そのものがまっとうなものでなければ、まっとうで前向きな国語教育はそこに実現するはずがありません。そのことにくらべれば、指導過程や指導手順をどう組むか、というようなことは二の次の問題であるように思われます。いや、これは誤解をまねきやすい、いい方でした。方向と目的にかなった指導過程、「ことば」の機能(生産的・実践的なその機能)を生かした指導手順を組むためにも、言語観のひずみ が是正されなければならない、ということなのです。
 くり返しになりますが、そこに必要とされるのは、「ことば」本来の実践激な機能への実践的なアプローチを意図した、そのような言語観であります。「ことば」を記号 の中で完結した、自己完結的なものと考えるのではなく、行動との関連の中で信号 として実践的にはたらく「ことば」の機能と役割をおさえる、そのような言語観の獲得です。そのような言語観の教師個々人における獲得と樹立は、ところで、自己をつき放すかたちでの、自己内心の言語主義(=言語主義的観念)との対決、という姿勢においてしか実現しえないように私には思われるのです。

言語観の変革がもたらすもの
 誤解のないように、いいそえておきます。<国語教育をどう改造するか>という課題もを、私はとり違えているわけではない。課題が要求しているのは多分、国語教育の構造改革ないし指導過程の変革などについて、なにがしかの提案をせよ、ということだろうと思います。それは、わかっているのです。わかってはいるのですけれど、それは、かくかくしかじかのものとして構想されるべきだ、というようなところから話をはじめる気になれないのです。
 教科構造や方法体系、指導過程などについて形の上でいくら格好つけてみても、言語観そのものが変革されなくては、どうにもならない。教師その人の言語観が方向的に狂っていたのでは、読解がどうの、表現読みがどうのと言ってみてもはじまらない、という気がするのです。
 たとえばの話ですが、私たち教師がほんとうに言語主義から足を洗えるときがきたら、当然、国語教育は、もっともっと文法教育をだいじに考えた国語教育に変革されるでありましょう。その文法教育は、もはや、ただの知識のつめこみ教育ではなく、また場あたり主義の、非体系的な、移調のきかないブンポウ教育ではないでありましょう。それは、きっと、日本語の文法構造と日本人の思考様式との関係を段階に応じて、ダイナミックに、いきいきとつかませていくような、そのような体系をもった文法教育でありましょう。
 このようにして、言語主義が私たちにとって過去のものとなったとき、また当然、今みたいに文学教育を疎外した、学習指導要領方式の(また、それベッタリの)教科構造論や指導過程論、方法論を、現場の教師大衆はその実践において実質的に否定しさるに違いありません。イデオロギー一辺倒の素材主義の文学教育や、道徳教育まがいのブンガク教育、大河原忠蔵氏のいわゆる文学作品埋没型の文学教育や、それと対極的な、詩・物語文の読解指導と称する、文学教育のただの読み方指導へのすり替えなど一連のものも、その新しい言語観・文学観のもとでは徐々に、そしてやがては急激に姿を消しさることでありましょう。
 どうも夢みたいな話をして恐縮です。が、教師自身による教師の主体の変革、教師の言語観の自己変革ということを前提として考えた場合、それは、あながち夢ではない。そう思うのです。
 構えだけでは問題は解決されない。もろもろの要因が同時にはたらなければ、問題は解決の方向にむかいはしない。――ということは、わかっているのです。身にしみてわかっているのです。けれど、構えが主体の内部に用意されないことには、また解決もありえない。そう実感するのです。
 現に、各民間教育研究団体によっておこなわれている、教科構造や指導過程へのさまざまな新しい構想も、実はそれぞれにある種の言語観、ある種の発達観を前提としておこなわれているわけです。その 言語観なり、その 発達観が教師大衆ものとのなることを予想しつつ、また前提としつつ提案や実験的なこころみがなされているわけなのです。
 いまは話題を言語観の面にしぼって考えているわけですが、その言語観が中途半端な――というのは依然、言語主義に片足をつっこんだみたいな――ものである場合、たとえばそこに構想された指導過程論は、それが体系的に手のこんだものであればあるほど、基本的・方向的な面で矛盾をあらわなものにしてくる、という結果をうむでありましょう。こわいのは、その点です。
 体系化へのあゆみが、あるところまで進むと、こんどは出直しがむずかしくなります。基本的な言語観の面で、自身に矛盾をある程度に意識しながらも、その矛盾をとりのぞくことが部分的な修正では間に合わないとなると、「べつに矛盾はないんだ。なかったのだ。これでいいんだ、この儘で」というふうな自己欺瞞をやるようになりがちです。かえりみて、自分自身のなかにそれがあることに気づくし、周囲を見まわして、存外そういうケースの多いことを感じます。こわいのは、この点です。
 だからして、国語教育をどう改造するか、すべきかについて考えるためにも、まず、この言語観の問題におもいをめぐらす必要がある――と、そう思うわけでなのです。

国語教師の新しいタイプが要求されている(…)
こんごの課題(…)
  <国立音楽大学教授>
 
 1966.5
機関誌 第38号

     
《資料18》荒川有史 「独断と批判のあいだ――奥田靖雄〈文学における主観主義〉の問題点

1 論証ぬきのレッテルはり

 教科研国語部会機関誌「国語教育」№4に、「文学教育における主観主義 1」と題した奥田靖雄氏の文章が掲載されている。
 まだ完結していないので、全体としての批判は後日にゆずるとしても、今回は№4にしぼって検討してみようと思う。というのは、文教研メンバーを文部省の手先だなど中傷して以来、奥田氏の言動には常軌を逸したものがあり、そのデマゴギーをたえずあばいていくことは、文学教育運動をおしすすめていく上から、きわめて必要だと考えるからである。
 もっとも、故戸坂潤氏が指摘しているように、論証に裏づけられない独断は処理しにくい一面をもっているが、独断が真実らしさを保証するためにとりあげている部分的な真実を手がかりに、こんにちの文学教育の問題をいくつか整理してみたい。
 奥田氏は、荒木繁氏の「文学をどう教えるか」(「生活教育」別冊)の発表で、アンチ教科研の統一戦線が結成されたと考える。これに文部省が一役加われば、これで役者は全部出揃った、と言明する。
 氏によれば、教科研国語部会は一貫して文部省の方針を批判しつづけてきた。だから、教科研国語部会を批判することは、文部省と手を結んだ証拠である、ということだ。
 この考え方を適用するとどうなるか? 文教研は、機関誌「文学と教育」創刊号に学習指導要領批判を特集している。それ以来一貫して文部省の方針を批判しつづけてきた。だから、文教研を中傷する奥田氏は、文部省と手をむすんだことになる。こうした証明では、しかし話にならない。ある一つの理論の真偽を問題にする限り、その理論が生みだされた歴史的条件、真偽の相関関係、誤びゅうの発生理由、先行の理論との系譜(俗にいうクサレ縁)等々を、具体的に説明する必要があるだろう。
 そうした手続きをカットして、だれとだれとはツーツーで、そのだれかさんのあと押しをしている X は反動だ、というのでは、どうもおかしいなと思う。
 奥田氏のことばを、とにかく聞いてみよう。


  時枝誠記君の理論が四三年の学習指導要領の改訂に主導的な役わりをはたすだろうことは、ほぼ確実になってきている。
 アメリカ的技術主義から日本型の精神主義(「期待される人間像」の国語科での具体化)への移行の橋わたしができるのは、時枝誠記君の理論体系のみである。

 ここまでは、まったく賛成だ。だが、あとがおかしい。

  この時枝君の国語教育論の実践的なうらづけを林進治君の奈良小がかってでて、そして児言研が「一読総合法」の名のもとに、それの普及につとめている。

 さらに、熊谷孝氏が、荒木繁氏が、その系列化の一翼をになうという。こうした警察官的思考方法からは、学ぶべき何物も生まれてきはしない。
 また、氏は時枝批判を一手に展開しているような口ぶりだが、事実に反する。たとえば、文教研の熊谷孝などは精力的に時枝理論の批判を展開してきている。

  そこでは、「表現し、理解する活動・行為そのものが言語である」という考え方(言語過程説)にしたがって、(1)「生徒の外にある国語を生徒に与えることではなく、生徒の表現・理解の実践活動を調整・育成することが、国語教育の内容となる」とされる。したがって、(2)国語教育は、そういう調整のための「態度・技能・方法の教育」すなわち「能力主義・技能主義の国語教育」にならねばならない、とされる。国語教育理論に移調された言語過程説は、だからして、現行指導要領と軌を一にした能力主義であり技能主義である。
 このようにして、また、(3)内容主義を排して能力主義・技能主義に徹した「昭和三十五年の指導要領の改訂」に対する絶賛がそこに語られ、(4)「秀れた教材」をもちい、その「教材の思想内容によって、生徒の人間性にある感化を与えようとする」「従来の考え(?)」がそこに批判される。そこに具体例としてあげられているのは、文学教育である。人間的感動において文学を体験させようとする、従来の(?)文学教育の考え方が真っ向から否定されているのである。
 何か、どこか、おかしくはないか。
 (「国語教育時評5・技能主義では“国語”は教育できない」国語教育65年6月)

 文部省的問題意識に対して、「何か、どこか、おかしくはないか」と問い続ける姿勢は、文教研の基本の姿勢でもある。
 奥田氏のように、自分たちだけが、という発想は、一種のうぬぼれであり、白虎隊的悲愴感の流路であり、運動としてはセクト主義におちいっていることを物語る。
 以下、奥田氏の文脈にしたがって、一つ一つ問題点を検討してみようと思う。

 文学の授業をどうくみたてるか
 話題を具体的に進めよう
。(…)
 
・1966.10.31 中教審、〈後期中等教育の拡充整備について〉最終答申(技能科学科・家政高校の設置など〈多様化〉を強調。〈期待される人間像 〉は別記にとどめる) 
 1967.3
 教育科学・国語教育
第101号
 
《資料19》熊谷孝 「習指導要領の10項目の撤回を」  

民主教育の視点から
 近く中間発表のかたちで大綱が示されるという、教育課程改定の内容について、先ごろ、文学教育関係のある雑誌に、次のような観測と意見が掲載されていました。民主教育の原則と基本線を守りぬこうとする、多くの教育現場人の考え方を代弁している見解のように思われますので一部、引用しておきます。それは同時に、ここでの私の発言にレールを敷いてくれるものでもあるからです。


 ――教育課程審議会の内容は極秘とされているので、そのことを知ることはできないが、審議会委員諸氏の最近の言動などから、およその推測が可能ですし、とくに小学校部門の委員長である輿水実氏の最近の論文、著書を見ると、氏の意見ではあるけれど、ほぼ方向がわかるような気がします。(中略)氏は、次のようにいいます。「アメリカでは国語教育が国防教育の指定を受けて、非常に重要視されていることは周知のことである。人間形成の問題、『期待される人間像』」の問題への国語科の寄与も、当然実験学校をつくって研究されるべきである。」(中略)氏の機能的言語観によれば、国語科の教科構造は、①スキルによる学習指導、つまり、「言語技術教育」と、②人間形成を目的とする「文学教育」とになります。
 さらに、③戦後の国語教育の欠陥は文学教育の軽視にあったとし、今の総合教科書が人間形成とか文学教育の面では、かつての「読本」の復活を主張する。その際に、④読み物による道徳教育もあわせて行なえるような読み物教材集を作りたい、というようなことを主張しています。これらの主張のどのくらいが42年度のものに出るかは別としても、この種の考え方がつらぬかれるだろうことは確実です。文学教育という大義名分のもとに出されるものが、果たして何を意図するものであるのかを見極める必要があると思います、云々。

 右の引用は、(上記のように)この稿にとって、ただの引例(単なる一事例の提示)にとどまるものではありません。私のここでの発言の前提となり足場となるものです。むしろ、私自身の観測なり意見を的確に代弁してくれているものとし、引用させてもらいました。そのようにご承知いただきます。
 そこで、さし当たって私がこの稿で考えてみようとするのは、右の引用の結語に示されているような事柄についてであります。すなわち、そこに「文学教育という大義名分のもとに出されるものが、果たして何を意図するものであるのか」ということを考えてみよう、ということなのであります。そのこととあわせて、少なくとも改定案の下敷にはなるらしい、スキル学習ないし言語技術教育の発想にふれて考えてみよう、ということなのであります。
 考えてみる? とはいっても、とり立てて何か特別に、あるいは特別のことを考えてみる、ということではありません。私たち教師大衆みんなの胸の底のここにあるものを、いま与えられたこの機会に、ハッキリと口に出していっておこう、というまでのことです。


改定の基本的なねらい
 ズバリ結論から申しましょう。国語科構造改革に関する教育課程審議会委員諸氏の意見を(それは公的には今のところ、個人意見の域を出ていないわけですが)どう思うか、と問われるなら、信用ならん、と答えるほかはありません。
 いや、信用できる、できないの問題ではなくて論理の問題としてどう思うか、ということを聞いているのだと、こういわれたとしても、やはり同じことばを答としてくり返すほかはありません。理由は、次のとおりです。委員諸氏の意見はいずれも、昭和33年度の改定においてもたらされた(作りあげられた)学習指導要領の拘束性・基準性(「学習指導方針」の10項目)を、「いうまでもない前提」「暗黙の前提」として立論されているものだからです。
 家永三郎氏の歴史教科書批判に示されているような、ムチャクチャな教科書統制をやり、現場の教育活動をがんじがらめに縛り上げている、学習指導要領のあのおそるべき拘束性と拘束力。そういう拘束のワクを撤廃することを考えないような、非教育的で「政治的」な立論は、最初から信用できません。
 教育課程――学習指導要領の改定は、それが文部省がわの歌い文句のように「改善」「改良」であるのなら、まず、この拘束の10項目を撤回すべきです。撤回、撤廃を前提として改定案の作成にかかるべきです。この拘束のワクを撤廃することを考えようともしていない以上、たとえ部分的に、どんなまとも なことをいい、またどんな調子のいいことをいっていようとも信用なりません。それは、まるで、相手をロープでぐるぐるに縛り上げておいて、「さあ、どうか自由に行動してください」と言っているみたいなものなのですから。
 “ことば”として同一の意見も、それがどういう立場で、だれに向けて、いついかなる時に語られているか、ということによって、その“ことば”、その意見のもつ意味(=意味内容)も違ってまいります。したがって、その意見の果たす実効も、であります。委員諸氏の意見は、それがたとえ個人意見のかたちをとっていようとも、教科書統制や何や反民主的な文教政策の実施を必至なものとした(また、そのために作られた)学習指導要領のこうした性格の是認の上に立った、協力的な意見なのであります。とすれば、その意見を当然、学習指導要領が現に果たしつつあるはたらき と役割の中に位置づけて、まさにそのようなものとして、それに検討を加えるほかないでありましょう。
 33年の学習指導要領の改定の第一の要因が政治的なものであったことについては、文部省と日教組との「不信と敵視、そのあげくに力で事を決するという最も反教育的なことが、日本の教育のすべてを左右した。親にとって、子にとって、これほど不幸な歴史はない」といった論調の、いわば中立の立場をとる朝日新聞さえもが、次のように語っています。

 ――文部省と日教組の間には、はじめからこんな深いミゾができていたわけではなかった。対立がはっきり表面に出てきたのは、自由党吉田内閣の岡野文相時代からだ。(中略)二十七年九月、当時自治庁長官の岡野清豪が兼任のまま文部省に乗りこんできたのを皮きりに、(中略)党人文相が教育行政をきりまわすころから、文部省と日教組の間は険悪になってきた。(中略)「日教組は選挙にじゃまだ」という保守党と「日教組をこのままにしておいては日本の教育は赤くぬりつぶされてしまう」という文部省とが手を組み、旧内務官僚出身の大達茂雄氏が文相として登場、いわゆる「日教組退治」に、まず教師の政治活動を禁じる「教育二法」からはじまり、つぎに教育委員制度の改革に手をつけた。(中略)結局、三十一年七月、参院に警官隊出動という大混乱の中で、「教育委員の任命制」の法案を成立させ、その結果、革新系委員が六、七割を占めていた都道府県教委を保守色に一変させた。このときから日教組は、はっきり守勢に立った。学習指導要領の改定、勤評、学テ、道徳教育の特設と、攻めるもの、守るもののはてしない抗争が続いた、云々。(朝日新聞、41年12月19日、朝刊・7面「教育66」) 

 このように見てくるならば、42年度のこんどの改定が、33年度の改定においてねらい とした拘束性を、いっそう強化しようとするものであることは自明である、といっていいでしょう。それは、拘束のワクを撤回するどころか、強化しようとするものなのであります。審議会委員諸氏が現に果たしつつある役割は、まさに、そのような拘束性の強化に対する協力以外ではありません。その発言が、たとえ個人の資格のおける発言だとしても、ある聞き方でしか聞けない、という私の気持も多分、わかっていただけるかと思います。


文学教育という名の道徳教育
 ここで最初の引用の文章にかえりますが、「戦後の国語教育の欠陥は文学教育の軽視にあった」という当事者の反省は、もっともです。「今の総合教科書」では文学教育も何もかも、うまくいかない、という反省も、もっともだと思います。そこで、文学教育を充実させるためには、ヴォリュームのある系統的な「読本」を作る必要がある、という提案にも、むろん賛成です。が、問題は、そこに提唱されている文学教育なり文学読本の実際の中身です。
 当事者によって考えられている文学教育というのは、しかし、「期待される人間像」への国語科の寄与として構想されている「人間形成」のためのブンガク教育以外ではない。そのようなブンガク教育のための「読本」の中身は、また、「道徳教育もあわせて行なえるような読み物教材集」でしかない。
 となると、「賛成だ」とか「もっともだ」といった前言は撤回せざるをえなくなります。それは文学教育の道徳教育化、むしろ道徳教育への隷属以外ではないからです。そこに語られている「道徳教育」の実際の内容が、「いまわしい出自をもつ特設道徳」の徳目主義のそれ以外のものではない以上、<注1>そう考えるほかはありません。それは、33年度の改定このかた、ひたすら特設「道徳」の下請け教科化しつつある国語科の教科内容<注2>を、こんどはそれを完全隷属化するたくらみ 、もくろみ であると判断するほかはありません。


 <注1>この「いまわしい出自を持つ特設道徳」について、益田勝実氏は、本誌№97で次のように語っておられます。
「どこに出しても自明の価値のある、今の日本人にとって最も切実な、生きるための課題(筆者注――社会保障の問題、文化生活の問題、反戦・平和の問題など)を、他の従属的・副次的なものと区別しないかぎり、特設道徳は汚名をそそぐことはできないし、存在理由はない」云々。
<注2>この点については、本誌№84所掲の拙稿「岐路に立つ国語教育」(その第二項「窮地に追いこまれる国語科」)を参照してください。

 で、もし、かりに、道徳読本兼用のブンガク読本で(つまりは道徳教育と抱き合わせのかたちで)真実、文学教育が可能であるというふうに審議会委員諸氏が考えておられるとすれば、これらの委員諸氏には文学を語る資格も、したがって文学教育や国語教育を云々する資格もない、と断ずるほかはありません。上記、「今の日本人にとって最も切実な、生きるための課題」は棚上げにして、故意に道徳教育の課題を「他の従属的・副次的なもの」にだけ限定し、つまり、そのことで、通俗に奉仕しようとする特設「道徳」。そのようなえせ 道徳教育と、通俗への反逆と抵抗を生命とし、人間にとって第一義的なものを追求しようとする文学と文学教育とは、これは、まさに水と油だからであります。
 国語教育界の理論的エリートであるはずの委員諸氏に、ここの道理がわからぬはずはない。多分、わかっているくせして、わからんふり をしているのだろう、と思います。たくらみ―あるいはたくらみに手をかすものだ、というほかありません。


スキル学習では国語は教育できない
 そこで、文学教育と言語技術教育との二本立ての構想のその教科構造論ですが、上記のように、そこに考えられている文学教育というのは、じつは文学教育とは似ても似つかないものなのですから、このほうは初めから問題になりません。もう一方のスキル学習、言語技術教育というのも、これまたその基本的発想において、ランゲージ・アートのあの実用主義・経験主義・技術主義の発想を越えたものではなさそうです。
 ランゲージ・アート云々。――多民族国家としてスタートしたフロンティアのアメリカは、国民の使用しているまちまち の多くの民族語の中から、イングリッシュを選んで“国語”とし、さし当たってそれをプラクティカル・イングリッシュのかたちで普及につとめたわけでした。それは、民族の主体性における外界認知の基礎手段の体系(民族的体験の共通信号の系)としての国語であるよりは、同じ一つの国家社会を構成する諸民族にとっての日用的な共通の通信手段にほかなりませんでした。
 そのような必要に応じての、実用(日用)英語習得のためのスキル学習とその方法、それがランゲージ・アートであり、また、そのような必要と目的に奉仕する方法に徹しようとするところに、ランゲージ・アート(言語技術主義)の根本思想もあったわけでしょう。そのような出自をもつランゲージ・アートが、その後の「繁栄のアメリカ」の段階では、現状適応 のための国語教育のアート(手段)として、さらに対ヴェトナム戦争の現段階では、現状肯定 の国防教育としての国語教育の方法的役割を分担する、ということになるわけなのでありましょう。
 ランゲージ・アートの思想を支えている言語観は、(アメリカの場合と日本の場合とを問わず)機能的言語観、究極において言語道具説にほかなりません。言語の機能を、はっきりとコミュニケーション・メディアとしておさえている点は、道具説のすばらしい点です。が、しかし、そこでは、コミュニケーションということが伝えあい という形ではつかまれていない。したがって、思考ということが、言語(内語)による人間の内がわでの伝えあい であるという、言語と思考の関係がつかまれていない。
 また、思考と言語という場合の“言語”というのが現実には民族語、国語のことであり、そのことでまた、思考の発達の仕方なり思考の脈絡が、そこに用いられる言語(国語)によって異なる、という言語事実(思考活動の事実)がつかまれていません。この道具説にあっては、言語(したがって民族語・国語)は、思考活動そのものとは内部的関連をもたない、思想を乗せて走るだけの、ただの貨車としてしかつかまれておりません。

 つまり、言語道具説のそのような考え方に立ってこそ、観光に来日する外国人が事前にニッポン・コトバの「しきたり」や「きまり」をおぼえる式のスキル学習を、もっと深め「科学的」にやれば、それで国語教育のまず半分が成り立つ、という発想・判断になるわけなのでありましょう。
 さて、その後の半分は、これは文学教育という名の道徳教育で、というわけなのであります。ここのところで、道具説の即物主義は「期待される人間像」の精神主義と結びつく、という点がこの教科構造論の特徴というか特色なのであります。
 ところで、文学教育を表看板にしたこの道徳教育ですけれど、その構造論にしたがえば、これがまた、鑑賞スキルの系統学習と、鑑賞(楽しみ読み)学習との二本立てになっているようです。このほうのスキル学習は、鑑賞学習の内容やありかたをハッキリ規制するかたちのものになっている点が特徴的です。その規制のしかたに吟味を加えることで問題の所在がハッキリしてくるわけなのですが、紙幅が尽きました。教科構造(むしろ国語教育というものの構造)に関する、パッシヴな意味での私の見解については、この稿に先だって活字になるはずの小著『言語観・文学観と国語教育』(明治図書刊)の関係各項について承知いただきます。
  <国立音楽大学教授>
  
・1967.6.23 家永三郎、新たに国に対し教科書不合格処分取消しの行政訴訟を起す(第2次訴訟)。

・1967.7.24 教育課程審議会〈小学校教育課程改善についての中間まとめ〉を発表。〈国民性の育成〉を強調。社会科に神話・伝承を導入、毛筆を必修。(10.30答申)
   
1967.9
機関誌 第46号
《資料20》熊谷孝 「文体喪失時代の文学教育――横浜合宿研究集会 基調報告レジュメ  

1.マス・コミ的文体の氾濫 (…)
2.私の言葉・他人の言葉 (…)

3.「多様化」構想の下請け教科
 
マス・コミの機能をフルに活用し動員した人間のこの画一化への動きは、教育マス・コミの面では、たとえば、最近の後期中等教育の多様化構想などにハッキリあらわれてきている。独占資本の眼先の要請にこたえた、(予想される五年先、六年先の科学技術の発達にはとてもついていけないであろう)消耗品的な中級技術者の大量生産。就業率一〇〇パーセント、たゞし何年か先には新卒の後輩の冷笑を背中に感じながら、事務系等への配置転換の憂き目を経験せざるをえないであろう「将来性ゼロ」の技術要員の養成。(教え子たちのこうした「運命」を、じっと手を拱いて見ていられる教師がいるとしたら、その神経は見あげたものだ。芥川竜之介ばりにいえば、それはもはや「良心」の問題であるよりは「神経」の問題である。――『侏儒の言葉』の「わたし」の章参照。)

 ところで、小中学校の国語科は、そういう多様化構想の下請け教科にされはじめている。先ごろ公示された教育課程改定案を見たらいい。何のための漢字学習の強化なのか? 何のための作文指導の強化、何のための読書指導の特設(?)なのか? また一体、何のための毛筆習字の必修化なのか? 問題は、こういう事態に対応する教師の「神経」である。つまり、新しい刺戟に対して、それがどういう事態を予告する前ぶれ(信号)なのかを先取りする形でキャッチする(反応する)、そういうピリッとした神経が教師その人にほしいのである。
 「そんなことを言ったってムリだ。事情がよくわからないんだ、事情が――」という人があったら、どうか、せめて、アナロジー(類推)の作用をはたらかせてみてほしいのだ。富国強兵政策のもとでの戦前の天皇制臣民教育が、なぜ、どういう必要から道徳教育(修身)と神話的日本歴史教育(国史)、そして読み(、、)書き(、、)・ソロバン教育に身を入れたのか、ということを思ってみてほしいのである。また、戦中の産業戦士やその指導者養成教育の目的と今日の中級技術者教育や理工系大学教育重視の目的と、どこがどう違うのかを考えてみてほしいのである。また、そことの関連の中に、体制側の求める今日の読み・書き教育のありようと目的に思いをめぐらしてみてほしいのである。

4.この俗論、イヌに食われろ
 「しかし、そういうことは政治ないしイデオロギーの問題なのであって、国語教育そのものとは直接関係のないことですよ。とにかく読めるようにすること、書けるようにすること、それが国語教育なんですし、それが教師の仕事でしょッ。」愚論である。戦前・戦中の教師たちの多くの部分は、「とにかく読めるように、書けるように」子どもたちを仕込んで、「死んで帰れと励ま」して教え子たちを戦場へ送った。産業戦士として、兵士として上司・上官の命令を理解するのに必要な、その限りでの読み・書き・話す・聞く「国語」能力と、「詔書必謹」の「堅固な」道徳心と「神話」的な「必勝の信念」とを彼らに叩きこんで、である。
 もっとも、教師の思いどおりに彼らが飼育されたかどうかは、はなはだ疑問である。教師たちの言葉が現実の事実と矛盾していることに気づいたとき、学校という名の「格子なき牢獄」の中での彼らのアナーキーな反抗がはじまる。そのころの中学生たちの全日本的な愛唱歌の一節。「学校焼けるか寄宿舎焼けろ 校長コレラで死ねばよい。」
 また、これらの生徒たちが、やがて兵士としてかり出され、戦場送りの輸送船に詰めこまれたときに合唱した替え歌。「歓呼の声にだまされて 今出で立つ父母の国。 どうせ生きては帰らじと 思う心の悲しさよ。」(もと歌は、「歓呼の声に送られて 今ぞ出で立つ父母の国。 勝たずば生きて帰らじと 誓う心の勇ましさ。」)

 話題をもとへもどそう。「とにかく(、、、、)読み・書きのできる子供にすることだ」云々。とにかくでは困るのだ。理由の一半は、いま語ったとおりである。
 なんべんでもいうが、とにかく(、、、、)ではいけない。どういう読み方で文章が読めるようになったか、また、どういう書き方で文章が書けるようになったか(どういう文章を書くようになったか)、つまり文体のある(、、、、、)文章を書ける素地がそこにはぐくまれたかどうか、ということこそが国語教育、国語教師のいちばんの関心事なはずではないか。むろん、どういう仕方で話すのか聞くのか、という話し言葉のことも含めての話である。
(…)
 もっとも、「字が読めないことには……」というのは、その限りほんとうにその通りだが、しかし実をいえば、教師がその文字を教えるために口にする説明の言葉(=文章)が理解できるだけの言葉体験が子どもたちの内側に先行的に成り立っていなくては「字を読める」ようにはならないのである。
(…)
 だからして、むき(、、)になって「文字が読めなくては文章は読めない」という、あまりにも真理すぎる真理(「イヌの足は四本だ」式の真理)を強調するまえに、「文章がわからないようでは、文字もおぼえられない。おぼえようがないのだ」という、別のもう一つのほうの真理を真理として確認する必要があるように僕には思えるのだ。

5.文体剥奪の教育としての言語技術主義の教育
 却説。そこでともかく、多様化構想に奉仕する教科教育として規制されることで、国語科の内容はだいぶひどいことになりかかっている。とりわけ、いくら何でもあんまりだと思うのは、今度の学習指導要領改定の方向が、従来に輪をかけて、文体をもたない(もてない)人間に子どもたちを仕上げよう、としている点である。
 人間は自分の文体(自分なりの文体といってもいいが)というものを持っていてこそ、主体的に、個性的にものごとを考えることも出来るのである。クリエティヴな発想も、文体をもった人間にしてはじめて可能である。
 ところが、だ。こんどの改定案や改定案を作成した委員諸氏の発言に見られる、体制側の国語教育の発想と構想は、文体ぬきの言葉の教育である。いや、文体といえるようなものを終生もてなくなるような人間へ向けての、子どもたちの言語生活のコントロールである。そんな国語教育ってあるか。そんなものが国語教育といえるのか。
 言葉(=文章)は、そこでは意図し意識して文体ぬきの形で与えられる。そこでは、国語教育は言語技術習得のためのものなのだからして(つまり、それは、スキル学習という形のものであるべきものなのだからして)、教材の文章は極端にいえばどんな文体、どんな内容のものであっても構わない、という考え、考え方なのである。(ただし、傾向的なものや個性の強いものは、いけない。)必要なのは文体(、、)ではなくて、説明文だ物語文だという文種(、、)である、とそこでは考えられている。このようにして、体制側の発想では、文体(、、)ぬきの説明文や物語文の読解指導というああいう形のものになってしまうどである。体制側の考える読解指導というのは、文体ぬきのドッカイ指導である。
 どんな性質の文章を扱う場合でも、それを必ずいくつかの段落に分けて、そこに何が書いてあるのかということを言わせる方式の読解指導では、ハッキリいうが個性的な文章の個性は絶対につかめないのである。いいかえれば、文体との出会いを体験することが出来ないのである。つまり、また、その文章を読むことの意味が失われてしまうのである。どんな、いきいきした文章も教科書に載せると色あせた感じのものになってしまうとか、教室で読まされると興味サクゼンたるものになってしまう、などといわれるのは、教師がその文章の文体と隔絶した紋切り型の読解をはじめ出すからである。教科書欄外の妙な学習の手引きがまた、読むことの興味に水をさす。
(…)
 このごろ僕は、「話し合いの活発な教室」というものに、ある疑問を感じはじめている。研究授業などで、見た眼のはなやかでみごとな、子どもたちが「いきいき」とシャベリまくっている授業に対して、である。教師は次から次へと問いを発し、生徒たちはまた「活発に」よどみなく答えていく。生徒たちの手があがらなければ、教師は指名して答えを求める。指名されれれば存外、教師の期待しているような答えがスラルラとそこに出てくる。出される。
 この、スラスラ(、、、、)と、いきいき(、、、、)に疑問を感じることが、ときたま(、、、、)あるということなのである。教師も生徒も、けっしてどもらない。よどみなく、スラスラである。シャベリ通しにシャベっている。そこには、沈黙はない。間(ま)というものがない。文体を温めるに必要な沈黙と間(ま)がないのである。教師はまるで、声というものが教室から聞こえくなる瞬間のあることを惧れるみたいにして、生徒たちの発言を促し自分もシャベリまくる。「一瞬、声をのむ」という言葉があるが、この「声をのむ」瞬間はけっして教室に訪れない。僕の疑問は、こういう授業を通して真実文体との出会いを生徒たちに体験させることができるのか、ということなのである。

 文体ぬきのドッカイ指導――さいわい(?)小中学校の検定教科書に掲載されている説明文と称するもの、物語文と称するものの多くは、はじめから文体を持っていない。欠いている。また、原文はきわめて個性的な発想につらぬかれている文章も、それをズタズタに切り刻むことで、文体ぬきの文章に改ざん(、、)されている。原文をまるごと掲載している文章については、文体に眼をそらして指導するように指導要領や指導書で指示がおこなわれている。加えて、教科書欄外のおの学習の手引きの、手引きのしかたである。ペケだ。
 もっとも、こんどの改定案では、読解スキルの学習だけでは心もとないからというわけで、読書(、、)指導を国語科の作業に加えるというのだが、この読解指導というのが(教育課程改定審議会の小学校部門の委員長案にしたがえば)「道徳教育もそこで同時におこなえるような読み物教材集」による読書指導であることを理想像とするもののようである。つまりは、スキル学習の形で一方では、文体をもたない(もてない)人間に子どもを「教育」しつつ他方では読書指導と称して、特定の(というのは「期待される人間像」の要請にこたえるような)発想の文体の文章を反復して読ませるようにしむける、ということのようである。
 これ以上くどくはいうまい。国語教師の二十坪のなかでの闘いは、文体のある文章を子どもたちに与えていくことである。教師その人がハッキリした文体意識と文体教育意識をもって、子どもたちの主体の内側にすぐれた文体の素地をつちかうことである。そのことのために、小学校低中学年段階の読み物からして、文体のある文章がそこに選ばれなくてはならないのである。
 ともあれ、読解スキル、読書スキル、作文スキル――このスキル一点ばりの言語技術主義の教育が実は、文体剥奪の教育以外のものではないことの確認が、いまは必要なのである。あわせて文体の剥奪ということこそが人間から個性・主体性を剥奪し、人間相互の(民衆の成員相互の)連帯を断ち切り、人間を人間でないものにしてしまう当のものであることの確認が、である。
 <文体づくりの教育としての文学教育>という提唱を僕たちがおこなう理由は、もはや説明を要しないであろう。

6.文体教育のための想像力理論 (…)
7.「国語」の教科構造について (…)
8.文学教育の固有領域について(…)
   
    
1968.1
機関誌 第49号
《資料21》声明 「灘尾文相国防発言に抗議する」 

  昨年末、一二月二九日「国防意識の要請を」(朝日) 「小学生にも国防意識を」など、各新聞が一斉にトップ記事として扱った、灘尾文相の発言は、教育の軍国主義への意図を露骨に示したことを意味する。われわれは、日本の将来のために、厳重に抗議する。

 戦後、日本の教育が、大きく曲がったのは、一九五〇年である。この年、朝鮮事変が勃発し、警察予備隊が創設され、第二次米国教育使節団が来日した。それと呼応し、文相の「君が代」についての通達、修身復活が世論をわかせた。
 その後、日本の再軍備、そして、軍国主義への傾向は急速にたかまった。そのなかでも特筆すべきは、一九五三年、池田・ロバートソン会談である。アメリカの再軍備要請に答え「日本政府は教育と広報を通して愛国心と自衛のための自発的精神を養う空気をつくることに第一の責任をもつものである。」と約束して帰ってきた。
 その発想に基づいて、一九五八年、学習指導要領の全面改訂が行われた。「愛国心」を「国民的自覚」とか「国土や文化に愛情を云々」と表現した。いわゆる三三年度版学習指導要領である。
 さらに、昨年一一月、佐藤首相が、安保再改定への下ごしらえにアメリカに行った。そしてジョンソンと話しあい「みずからの国をみずからの手で守る気概をもて」というみやげをもって帰った。今回の灘尾文相発言「国防意識云々」は、たんに文相個人の放言ではない。一九七〇年安保再改定へむけての、政府と自民党の段階的、組織的な文教政策の一つのあらわれである。その証拠に、一九六五年から、極秘裡に国防意識をふくめた教育課程の改訂が進行してきたし、それに伴う教科書検定が予定されている。
 まさに、昭和初年、満州事変前夜の様相を呈してきた。

 われわれは、一九四六年「日本国憲法」を制定し、独立、平和、民主主義を民族の課題として再出発した。今回の灘尾発言は、それとまっこうから対立し、アメリカのアジア政策に従属した日本の再軍備を直接教育の場にもちこむものである。われわれは、政府と自民党、そして、その端的なあらわれである灘尾発言に厳重に抗議する。と同時に、進行中の「学習指導要領」改訂の方向に反対であることを声明する。
 一九六八年一月一日  
 文学教育研究者集団委員長  福   田   隆   義
 
・1967.12.28 灘尾文相、記者会見で国防意識育成の教育が必要と強調。 
1968.1
機関誌 第49号
《資料22》座談会 「国防意識に結びつく改訂学習指導要領の問題点」 

歴史の決定的瞬間
熊谷 きょうの座談会のテーマは、<政治と教育>というようなことです。と言っても、何も政治と教育一般について抽象論議をやるために僕たち集まったわけじゃないので、非常に切迫した具体的な問題をかかえているわけです。学校教育に安全保障の問題を、小学校のうちから国防意識を、という灘尾文相の発言です。出来れば学習指導要領にもそれを織りこみたい、という自民党右派政権の意向をストレートに代弁した、あの「政治」的な発言です。これに、しんそこ(、、、、)から怒りをおぼえて、「相手がその気なら、よし、こちらもやるぞ」という気持で、きょうここに集ったということですね。(…)
そのとき(、、、、)行動にふみ切れなかったら悔いを後々に残すに違いないような、そういう歴史的瞬間(、、、、、)というのがあるんだ、と僕は思いますね。特に、教師である人間にとってはね。そういうわけで、きょうの話し合いは、僕たちが具体的にどういう行動を選びとるか、という実践的課題に関して現実認識、事実認識、あるいは現状分析をたしかなものにし、自分たちの足場を見さだめるための会合だ、ということになります。自分たちの持ち場と任務をハッキリさせるため、といってもいいんですが。

〝ある朝、突然に〟ではない灘尾発言
福田
 今度の指導要領の改訂は、七〇年の安保の年へ向けての改訂だと思いますが、これまでの何回かにわたる改訂にしたって、日本の対外従属、再軍備の動きと結びついたものだったのですね。そしてそのつど、歌い文句をじわじわ、たとえば<愛国心>から<国防意識>へ、というぐあいにエスカレートしてきた。<君が代>を必修歌唱に制定したかと思うと、<日の丸>を学校行事に、国民行事に掲げるようにする。そして、オリンピックだ、明治百年だ、万国博だと既成事実の積み上げとムードづくりをやる。そのあげくの、こんどの灘尾発言ですよ。文教研の冬季合宿研究会から帰った翌朝、十二月二十九日でしたね、朝刊であれを目にしたときは本当にショックでした。すっかり腹を立てているところへ、夏目さんが最初かな、つぎつぎに文教研のメンバーから電話がありまして、「さっそく抗議運動をやろう」とか、「機関誌の次の号を〝抗議特集〟といこう」とか、「歳末だが明日にでも抗議の方法を考え合おう」という電話なのです。思いは、だれも同じだなと、文教研のナカマたちへの信頼感を深めましたよ。
夏目 灘尾発言ショックだった、とおっしゃったけど、確かにそうなんですけど、でも私としては何だかハッキリして、かえってよかったみたい。相手の本心はこうなんだろうと、今まで憶測のかたちでしか言えなかったことが、これからはハッキリ言えるでしょう。指導要領でいう<国民性の育成>だの<愛国心>というのが実は<国防意識>のことなんだ、ということをズバリ向うから種あかし(、、、、)してくれたわけですもの。現場の弱い部分にはマイナスに影響するでしょうし、問題の一つはその辺のところにありますけれどもね。……教育課程審議会の答申がなされたのは去年の十月三十日で、この三月に新指導要領が発表されることになっているようですが、そのちょうど間(あいだ)を縫って灘尾発言があったわけですね。まだ間(ま)があることですし、あきらめないで、今からでも発言の実際の内容がどんなに怖ろしいものか、その危険性を明らかにして反対運動を盛りあげていったら、<国防>がどうのこうのということを指導要領に書きこむような、憲法違反の教育体制への道を阻むことも不可能ではないし、少なくとも現場における教育活動の実際面で防げるわけでしょう。
荒川 指導要領改悪阻止の運動は、むろんやらなければならないし続けなければならないけれど、たとえ不幸にして改訂が実現したとしても、やはり反対運動は続行しなけれまならない、ということじゃないですか。悪法も法なり、ではいけないのであって、悪法はやはり撤回させるまで否定しつづけないといけない。それのどこがおかしいのか、そのおかしな点を明確にしてそれと闘いつづける、という姿勢が必要だと思います。
福田 賛成。灘尾発言にしたって、偶然にあの日の朝に行なわれたってなもんじゃなくて、長い年月をかけて、あんな恥しらずなことをヌケヌケと発言できるだけの土台づくりを、ちゃんとやっているわけですからね。アチラさんのそういう粘り強さを、僕らも見習う必要がありますね。

体制側も動揺している(…)

歴史の証言―だれが日本の教育の破壊者か―(…
熊谷 (…)事柄はいたって単純なのであって、たんに現象的にでもいい、現象を現象として年代的にたどりさえすれば事の真相が明らかになる、というふうな、ごくごく単純なことなんだと思います。民主教育の原理・原則からは当然、文部省や教育委員会は助言者の立場であって、教師や現場の監督・命令の機関ではないということ、十年ちょっと前までは日本もそうだったんだ、ということ、「政治」の暴力でそれが教師や親や国民の手から奪われたのだってこと、そういう事実を忘れないようにすることですね。忘れっぽいんだか、忘れたふりをするんだか、あきらめてしまったんだか、何かそういう人が多くてね。
荒川 つくられた既成事実をウ呑みにして、その事実を肯定することを現実的だと考える人たちが本当に多い。問題をいつも原則に返して考えてみる必要があるわけですよ。つくられた既成事実(、、、、、、、、、)を肯定して行動することが現実的であり、したがって現場的だという考え方ぐらい非現実的で非現場的なものはない。そういうのが結果的には教育破壊に協力するものだと思うのです。
熊谷 荒川さんのいう、現実的に見えるものが非現実的、つまり実際的でないということを現場の教育の実際面から少しハッキリさせたい、と思います。新聞記事の終わりのほうに出てきた道徳教育の特設(、、、、、、、)――その辺のことに即して、現場的とか非現場的、現実的と原則的ということを話し合ってみてください。


道徳教育と「期待される人間像」
福田 サークルでのひごろの討議を代弁することになりますが、たとえば国語科と道徳教育との関係です。小学校が全科担任制というに近い状態なものだから、僕なんかの場合ひどく切実なのですが、道徳の時間に教えたことと、国語の時間に教えることとが一致しなくてはいけない。一致させる必要がある。ところが、あのとき文部省のつくった道徳指導要領ですか、あそこでは文学作品を道徳的に、というのは後に「期待される人間像」という形にまとめられたような、体制側の道徳観、道徳観念にしたがった教訓ばなしとして教えるように指示されてあるわけです。かりに、そういうふうな道徳的な取り扱いを道徳の時間にやったとして、国語の時間には文学的に扱うというわけには実際問題として出来ないわけです。相手は、同じ子どもたちなのですからね。すでに国語の教科書自体が道徳色の濃いものになって来ていますけど、輪に輪をかけた格好で国語教育の道徳教育化がおこなわれている、ということですね。(…)

熊谷
 その勤評が、さっき夏目さんが指摘したように、こんどは強化されるだろうということなんだが、それはつまり、いっそうの強化、いっそうの改悪だということの確認が案外だいじなんだな。これは三十三年の指導要領の改訂のときもあったことだけど、改訂への反対が、これまでの指導要領はまともだったのだが、というふうな論調が反体制側の発言にも少なくなくてね。それぞれの時点での改訂が、実は一連の改悪への動きのステップなんだという事実認知に支えられないと、抵抗が持続性のないものに終わる危険性があるわけだ。という意味で二十六年の指導要領から順に教育課程の推移を簡単にたどってみませんか。そろそろ、国語科を中心に。

コスモポリタニズムからミリタリー・ルックまで
福田
 二十六年の指導要領について、文教研がまだ<サークル・文学と教育の会>といっていたじぶん、それを無国籍のコスモポリタニズムだといって否定しつづけた。教養主義、文化主義と言語技術主義との同居しているみたいな性質のもので、日本文学協会の国語部会で、荒木繁さんや益田勝実さん達が正面きって攻撃をつづけていた。
荒川 三十三年の改訂は、文教研の誕生の時期と重なるわけですね。というより、改訂という名の改悪への抗議・批判の線で結びあったどうしの集まりが文教研だった、ということでしょうね。汎言語主義の復活と言語道具説が表裏一体になってくるという、一見理解のつかないみたいな現象がそこに見られるのです。教育課程審議会のこの部門の委員長は、たしか時枝誠記氏です。その言語過程説がその本質において言語道具説以外のものでないことを私たちは見ぬき、「国語教育の教材は何でもよい。教材の文章の中味が思想的に高いとか低いとか、まともだとか、そうでないというようなことは問題にする必要はない。国語教育というのは国語自体、言語自体を教育する作業なのだから」という式の時枝の考え方を私たちは徹底的に批判しつづけたわけです。
鈴木 それも今にして思えば、三十三年指導要領の比較的ましな面だったのではないですか、時枝さんのそういう発想は。
佐伯 僕も、そう思う。彼、主観的にはきわめて良心的な、ごまかしのない研究者、国語学者なんだから、まさに立場だな。体制側の立場に立つことで、いくら良心的な者であっても客観的には持ってるその言語観のアナが救いがたく拡大されてしまった、という格好だよ。
夏目 今までの話の中でこぼれてしまった話として、三十三年の学習指導要領の例の<話題・教材選定の十項目>が、教科書の検定や現場の教育の実際にすごい拘束力を発揮するわけだけれども、これが時枝さんの見解とどう関連するか、ということですね。時枝さん個人としては、教材そのものは別にどうということはない、何だっていい、という考え方のようですけれども、文部省としては、どうでもよくはないのですね。つまり、教師の教材選択に拘束性をもたせたい、という意向があるわけね。そうとっていいでしょう? だから、表面、時枝先生のお考えが指導要領の根本方針でございます、というふうに言いながら、その指導要領、三十三年改訂の学習指導要領は非常に拘束性の強いものになっているわけですね。現実に、このころから教科書検定が急速に強化されますし、教委の現場に対する監督が強化され出すし、官製の研究集会がほうぼうで持たれることになります。
鈴木 四十三年の改訂は、この拘束の十項目をさらに徹底し、「期待される人間像」の線にそって強化しようとするものであることを、この冬季合宿(後注――一九六七年十二月二十六・七・八日、文教研・奥多摩合宿研究集会)で私たち、確認したわけでした。ハッキリいえば、輿水実氏なんかが国語教育の近代化(、、、、、、、、)と称して、言語技術主義を前面に打ち出し、同時に解釈学の復活をたくらんでいたわけなのですね。言語技術主義と解釈学主義、この二つのものは別々の土壌から生まれた考え方のように思われているが、独占資本に飼いならされた人間の大量生産に奉仕する、という意味では一つのものだ、ということですね。
夏目 こんどの教育課程改訂のこの部門の委員長である輿水氏が、自分でいってるように、とにかく解釈学・形象理論の復活が名実ともに四十三年の指導要領で実現するわけです。戦時に、解釈学や解釈学的国語教育が果たした「上御一人に帰一し奉る」式の、ファッショ体制への奉仕を思うと、何か不気味なものを感じます。西尾実氏が、昭和十五年でしたかしら、<国防教育としての国語教育>というようなことを提唱していましたが、今また輿水氏がそれと同じようなことを言っている、ということになりますね。灘尾発言の裏づけで輿水意見や指導要領のことを思ってみますとね。

主体喪失の悲劇
夏目
 冬の合宿研究会で、解釈学のはたした役割りや、批判すべき根拠などを話し合ったわけですけど、それを今日の時点で、もう一度整理してみませんか。
福田 合宿の最後に総括をしましたね。あのまとめが非常に大切だと思うんです。ごく結論的にいえば、それが主体喪失の論理だということ。己れを虚しくして、原体験を追体験するという、解釈学的方法を徹底したら、傍観者を作ることになる。第三の立場があるみたいに考えて、自分はたえず何もしないで眺めている人間。今日そして未来を批判的に生きることを放棄してしまうわけでしたね。あまり徹底しないと、純粋従属型の人間になるのでしたね。戦時中、天皇のため滅私奉公するいった……
鈴木 現在でいうと、家庭のために己れを虚しくして奉仕するといったマイ・ホーム族の中にそれがみられるということを知ったとき、ちょっと驚きでしたね。解釈学が過去のものでないんですね。ある心理学者は、男性の女性化を進歩的なことだといっているそうなんですけど、はたしてそれを喜んでいいんでしょうかね。政治的にいって、ふぬけの人間をつくっているわけですよね。
夏目 人間の内側から規格化し、類型化していく独占によるマス・コミ
[ママ]の疎外が、こうした文脈でもあらわれているわけね。国語教育の二十坪[教室の意]の中に関していえば、作品絶対主義になるわけですね。作者が何をいおうとしたのか、あるいは作品には何がかかれているのか? 読書百遍意おのずから通ずというわけで、三読法、三層法、あるいは読解の基本過程という名前で解釈学的国語教育は今日も生きているし、今後強化されるわけですね。
荒川 己れを虚しくするのではなく、己れの主体をもった人間をとりもどすことが大きな課題となってくる。国語教育としての文学教育という領域では、文体のある文章にとりくませ、文体のある人間を育てることが要請される。私たちが文体教育を掲げているのは、主体喪失の論理への抵抗であるわけなんですね。
佐伯 主体喪失ということと、国防意識ということ。ちがうはずなのに、灘尾発言がなされた時点では、こう、すうっとつながっていきますよね。座談会のはじめの方で話されたことなんだけれど、灘尾文相たちのいう国防意識というのは、体制側からみた国防ということでしたね。民族の独立とか、片面講和を否定するとかいう発想は何もない。主体喪失の人間を一方でつくっているから、こうした体制側の〝国防意識〟も、あまり抵抗なしに受け入れられてしまうという、悲劇がおこるんでしょうね。
(以下、次号)

 この座談会は、熊谷論文に対する不当な〝抗議〟が舞いこむ以前になされたことを付記する。(編集部)
 
  
1968.1
現代教育科学
第123号
 
《資料23》熊谷孝 「主体性放棄の同化の論理」

 「僕たちは人間として面白味のある人間を育てたいと思うんですが、親たちはそれを喜ばないです。画一的な、型にはまった教育を希望されるんです。」
 『人間の壁』の作者が伝える、(この作品の事実上の舞台となった)佐賀県の現場教師たちのナマの声である。「現在の教育というものが、どこか根本的にまちがっているんじゃないかという気がするんです。」(朝日新聞、4月30日朝刊掲載の石川達三氏の文「権力と教師の宿命的抗争」による。)
 そういう現場の先生の声に接して、この作家は、次のように考える。
 わかるような気がする  画一的な教育を身につけることが、画一的な試験をパスして、画一的な社会人になって行くのに、一番具合がいいのだろう。しかしそれは人間教育というよりは、サラリーマンを大量生産する〝メーカー〟の仕事にちかづいて行く。
 良心的な教師には、いつも懐疑と反省とがついて回る  懐疑は教育の現場での、ひとりひとりの教師の胸のなかの悩みである。文部省とは何の関係もない。いわんや政党の権力争いとは完全に無縁のものだ。しかしその教師たちに、お役所は画一的な指令でもって、やれ、こんどは道徳教育をやれ、こんどは国防思想を教えろと命令する。現場が反発するのは当然のことだ。
 三・三・四休暇闘争のときの文部大臣が灘尾さんだった  その人がまた大臣になった。何か意味ありげでもある。彼が防衛思想教育を口にすると、教科書業者は先走りして、たちまちそれを教科書の中に盛り込むだろう。業者は商売だ。防衛思想が商売に使われる。
 教育、人間をつくること  どういう人間をつくるべきかという所から、問題は紛糾する。(中略)だが、教師たち……わたしの知る限りにおいては、いかにも温和な、誠実な人たちであった。そしてまた、大部分は貧しい人たちであった。あの人たちを、よい環境の中において、上からの圧力のない所で。思う存分の教育をやらせてあげたいと私は思う。どんなに喜ぶだろう……。

 僕自身が教育行政に望むことも、そのこと以外ではない。現場の教師大衆が自分自身の良心にしたがって、ノビノビと「思う存分の教育」がやれるように、教師の身になってその作業をささえることがお役所の仕事なはずだ。(憲法を見よ。教育基本法を見よ。)
 教育行政にたずさわるお役所の仕事は、現場の教育内容に対してあれこれ口ばしを入れることではなくて、現場の作業がスムーズに進行するように教育の環境条件をととのえることである。お役人たちはそのことに専念するべきだし、また、そのことが唯一の 「お役所仕事」になる必要がある。所詮は数ある政党の中の一政党にすぎない、そのときどきの政府与党の文教政策を国会の審議も経ないまま、お役所が教育行政の中に持ち込み、それを教育の現場に押しつけるというようなことがあったら、越権だ。お役所とお役人は、ひたすら、教育の環境条件をととのえるという本来の業務に専念すべきである。そうではないのか。ところが、今は話が逆だ。逆になっている。
 僕たち教師は、学校教育、公教育の場をすぐれて人間教育の場とし、「人間として面白味のある人間」に子どもたちを育てたいと思っている。これまでの子どもにくらべると、知っている漢字 の数はふえたし、毛筆 で字も書けるようになった。そのかわりに、頭は固いし感情はカサカサ、おまけに皇国史観 まがいの神がかりの国家観の信奉者である、というような人間に子供たちをしたくないのである。
 つまり、僕たちは、目の前の子どもを幸福なブタにしてはならない、と思うのである。字が書ける、算数ができるというだけの幸福なブタに、である。高貴な人間性と民族の明日への責任において、子供たちを、だれかが要求するような一時間(ま)に合わせの、消耗品にすぎない「画一的な社会人」などにではなく、「人間として面白味のある人間」」に、と願うのである。
 それゆえの、最近の、教師たちの自主教研への異常なまでの盛りあがりなのである。「人間として面白味のある人間」を育てるためには、まず自分が、自分たちが「人間として面白味のある人間」にならなければならないからである。
 しかし、「教育研究はむずかしいです。いっせいストを組織するよりもっとむずかしい」(上記「権力と教師の宿命的抗争」所掲の現場教師の発言)のである。教育環境をととのえるお役所の仕事の一つは、だから教師たちのこの自主教研を、その気になって積極的に援助することである。ところが、今は話がアベコベだ。こうした各種の教師の自主教研の会場に、教室や講堂を提供することを拒む「学校」が最近ふえてきている、という。また、そういう教研の集まりに自校の教員が参加することを喜ばない管理職が目立って多くなってきている、という。自主教研に対するお役所のあるムードや姿勢を反映してである。
 端的にいって、お役人の顔色を見ての身のふりかた、というところである。が、その結果は、こんどは現場教師が管理職の顔色を見て行動するということになる。これでは「人間として面白味のない人間」に教師が変ってしまうことになる。
 教師の人間を通さない教育は、教育ではない。そこでは、まず教師の人間が問題なのだ。ということは、教育行政の問題としていえば、何よりも教師の人間をたいせつに考え、何よりも教師の思想と研究の自由を保障するような行政がおこなわれなくてはならない、ということにほかならない。ところが今のように、お役所が人間のカベ、教師のカベ、教育のカベであるというのでは、話がまるでアベコベだ。
 そのアベコベぶりを成文化して内外にハッキリ示したのが、今度の学習指導要領改定案である。教師の自由を保障するどころか、それは自由の制限、拘束、剥奪である。審議会の答申も相当のものだったが、こんどの文部省案は遥かにそれを上回っている。
 まず、「ここ(指導要領)に示す内容に関する事項は、いずれの学校においても取扱わなければならない。」(総則)というしめつけ ぶりである。第二に、社会科に「初めて国家の安全をおり込んだ。審議会の答申は、〝国家への理解と愛情〟をうたうにとどまっていたが、国家の安全という形で、国を守る気持の基礎をはぐくむ、と文部省は説明している」(朝日新聞、6月1日朝刊)のである。
 たとえば、そういうことが前提にあっての、つぎのような(国語教科書の編集と検定の基準となる)「話題や題材の選定」の「観点」の提示なのである。
   ――「わが国の国土や文化・伝統について理解と愛情を育てるのに役だつもの」
   ――「日本人としての自覚を持って国を愛し、国家・社会の発展に尽そうとする態度を養うのに役だつもの」
 石川達三氏のひそみにならっていえば、防衛思想も商売に、という業者がそれをどういう形で教科書に盛りこもうとするかは見えている。そういう教科書も教科書どおりに教えなければならないとしたら、これはどういうことになるのか。また、教科書と違ったことを教えたら勤務評定が待っているというのでは、人間教育はどういうことになるのか。
 作文指導は大幅に時間を割くという点については一般に評判がいいようだが、①上記の「話題や題材の選定」の観点・基準を前提として考えてみた場合、一般にその内容がどういうものになっていくのか、やはり大きな不安がある。子どもたちが教科書で読まされるものが読まされるものだからである。また、子供たちがそこに書く「題材」、そこにとりあげる「話題」が他動的、自動的に右の「観点」に制約されることになりがちだからである。
 さらにまた、②漢字学習の強化や毛筆習字の必修化とつなげて考えてみた場合には、それがただの読み・書き・ソロバン式の意味での「書くこと」の形式面の指導に終わりかねない危惧も感じるし、③作文や毛筆習字にかなり多くの時間を割いた残りの時間で、これまででさえ不足していた読みや話しことばの指導などが果たしてどの程度におこなえるものか、そうした点でも疑問は大きい。
 〈国立音楽大学教授〉
  
1968.3
機関誌 第50号
《資料24》委員長 福田隆義 「文教研の今日的課題――『文学と教育』No.50に寄せて 

 機関誌『文学と教育』No.49は、飛躍的に読者を拡大した。この事実は、反動化する教育政策のなかで、文教研の理論、ないし、研究姿勢が多くの仲間から、高く評価されたことを意味するだろう。しかし、文教研が、今日の時点に達するまでには、実に十年の歳月が流れた。その間、着実な研究と、地道な運動があった。

 一九五八年一〇月、「サークル・文学と教育の会」を創立。機関誌『文学と教育』の創刊号は、「改訂学習指導要領
(国語科)の問題点」(昭和三三年版)を特集。改訂の方向を、「ファシズムのニュー・ルック政策」と規定した。そして、改訂案は、世上一般の批判とはちがって、たんに、語句の入れかえや、部分修正ではまにあわない、その根底にある、言語観・文学観から考なおす必要のあることを強調した。
 それから十年、われわれは、われわれの言語観・文学観を確立するために、研究活動を精力的に続けてきた。そして、その成果を、機関誌『文学と教育』のなかで、あるいは、日教組教研集会の場で、近くは、文教研の著書『文学の教授過程』や、『中学校の文学教材研究と授業過程』として世に問うた。

 そして、今、再び、学習指導要領の改悪が、軍国主義の復活を明確にうちだす方向でおこなわれつつある。われわれが、十年前に予想したことが、現実の問題となった。まさに、教育のみならず、日本の進路にとって、重大な危機に直面したといえる。『文学と教育』
No.49が、飛躍的に読者を拡大したことは、こうした社会の動きと、無関係ではない。
 われわれは、ここで、文教研十年の歴史を、49号におよぶ機関誌をとおしてふり返ってみた。そして、われわれの見とおしと、理論の確かさに、自信をいっそうふかめた。
 文教研は、すでに、研究団体であると同時に、運動団体として、他の民間団体に先がけて、政治的実践もおこなってきた。が、今、新たな決意で、さらに、積極的にとりくまなければならない責任を痛感する。
 機関誌『文学と教育』も、そうした活動にみあう機能を備えたものにしたいと考える。  
 (一九六八・三・二〇)
  
  
1968.6
機関誌 第52号
《資料25》福田隆義 「指導要領改悪史(解釈学的国語教育の一現象 その1) 

1.指導要領との出あい
 昭和二十二年、それは、わたしがはじめて給料をもらった年である。〝終戦〟という解放感もてつだってか、ある種の期待と希望をもって、田舎の小学校につとめた。が、そこでわたしが、まず狩りだされたのが「再教育講習会」であった。アメリカの占領政策による、洗脳講習会である。
 わたしは、そこで、たいへんめんくらった。「コース・オブ・スタデイ」とか、「カリキュラム」あるいは、「ユニット」だの「ガイダンス」などなど、敵国語であったはずの、片仮名の氾濫に、である。
 それら、片仮名の意味は、今だによくわからない。が、なんとなく、そうしたウズの中にまきこまれていった。そして、何となく、自分の視野が広まったように思えた。と同時に、アメリカという国が、すばらしい国のようにさえ思った。まさか、ベトナムで、あれほどの非人間的な行為をしようなど、夢にも思っていなかった。
 ところで、そのころの教育思潮が、アメリカから直輸入した、プラグマティズムによるものである、ということを知ったのは、十年もたってからのことである。つまり、文教研機関誌『文学と教育』創刊号に、「改訂指導要領(三十三年版)批判」を特集したときである。そのとき、「二十六年版」と「三十三年版」とを、たんねんに比較検討した。しかし、わたしが初めて給料をもらった年にでた、いわゆる「二十二年版」は、つい、きょうまで、批判という視点では読まなかった。
 そして、二十年たった今は、資料をさえこと欠く。以下、国語科学習指導の目標にしぼり、資料という意味もふくめ、順をおって紹介しよう。

2. 国語科学習指導の目標(資料一)
 (1) 昭和二十二年版(試案) (…)
(2) 昭和二十六年版(試案) (…)
(3) 昭和三十三年版 (…)
(4) 昭和四十三年版 (…)

3. 「国語教育」アメリカ版

 
戦後の教育、ないし、国語教育について、波多野完治氏は、次のように説明している。
 「戦後の日本の教育は、国語教育をも含めて、アメリカ教育思想のもとに成立したわけですが、言語技術、すなわちランゲイジ・アートの考えは、アメリカ初等教育における国語教育のあり方から来ています。アメリカでは、国語(英語)の教育も、アメリカニゼーションの立場からとり扱われてきました。アメリカ国民を形成する現実の民衆は、外国からきた人びとであります。民衆はすべて外国からきたものと考えて、彼らを、アメリカ国民として最小限の実生活をいとなみうる程度にまでしあげていく。ここに、教育の目的と必要を見いだしたわけであります。こうして、言語政策および言語教育がアメリカニゼーションの重要な役割をになうことになったのでした。」(『第二信号系理論と国語教育』)
 昭和二十二年版の「あらゆる環境におけることばのつかいかたに熟達させるような経験を与えること」という目標は、国語教育のアメリカ版といえないだろうか。わたしたちは、かつて、この考え方を「場面言語の技術主義」と批判した。つまり、「あらゆる環境」に適応できるような、言語技術を、というのである。したがって、国語科の学習領域も、「話す・聞く・読む・書く」という、言語現象からの設定、ということになる。
(…)
 が、この言語技術主義・実用主義からは、しっかりした、考える子どもは育たない、ということは明らかである。そこには、変革の姿勢がまったくない。生活に適応し、大勢に流され、体制に順応する人間しか育たない。このプラグマチズムのなれの果が、「夢にも思わなかった、ベトナムでの非人間的な行為」となったといえないだろうか。
 ところで、この技術主義・実用主義は、二十六年版には、「ことばを効果的に使用する」技能と能力というかたちで受け継がれ、さらに、三十三年版、四十三年版にも一貫している考え方である。

4. ファシズムのニュー・ルック
 ところで、「あらゆる環境におけることばのつかいかたに熟達させるような経験を与える」国語教育では、大勢に流される人間しか育たない、といった。体制に順応する人間しか育たない、ともいった。というのは、独占資本の体制下という環境になれば、それに順応し、さらに、その終末段階であるファシズム体制下では、また、それに順応する、という結果になるからである。
 いつ、誰がつかいはじめたかは知らないが、国語科に、「価値目標」というのがあるらしい。それは言語技術や能力面からの目標に対してのいい方だそうである。たとえば、三十三年版の「思考力を伸ばし、心情を豊かにする」とか、今回、四十三年版の中教審答申にあった「国民性の育成云々」などが、それになる、というのである。
 そして、その「国民性」は、「最近の政治的・経済的情勢に応じて、『国民性』という形で打ちだされてきたものであると、わたしには思われる。」(現代教育科学、一九六八・一月号) 他人ごとのようなかきぶりだが、今回の改訂の理論的指導者であるといわれる輿水氏の論稿からの引用である。
 一方では、言語技術主義の教育を、そして、他方では、「価値目標」と称して、政治的・経済的要請に応じた内容を、ということになる。それが、ごく巧妙に軍国主義へとエスカレートしているのが現実である。
 しかし、こうした動きは、今、はじまったことではない。わたしたちは、すでに、三十三年版「改訂指導要領」の、こうした動きに対して、「ファシズムのニュー・ルック」と批判した。また、それ以前の、二十六年版にも、こうした方向への可能性が内包されていたわけである。
 次に、この「価値目標」の具体的内容となって、教科書に強い制約を加えている、話題・題材選定の観点を列記してみる。資料という意味をふくめ、二十二・二十六年版は、全文を引用する。

5. 話題・題材選定の観点(資料二)
 (1) 昭和二十二年版(試案) (…)
(2) 昭和二十六年版(試案) (…)
(3) 昭和三十三年版 (…)
(4) 昭和四十三年版 (…)

6. 現実はもっと厳しい
 二十二年版・二十六年版が、「試案」であったのに対し、三十三年版以後は、「基準性」をもたせ、より強力な制約を教科書に加えてきた。さらに、いわゆる「価値内容」といわれるものからみても、「自由」とか「平和」という、最も基本的な理念が消され、それにかわって、「道徳性」とか「国民的自覚」(三十三年版)あるいは、「日本人としての自覚」とか「愛国心」(四十三年版)が、うちだされてきた。が、ここで、わたしが、いちばん強調したいことは、そうした、ことばのうえの変化より以上に、現実はファッショ化の方向へ進行している、ということである。
 文相の「国防発言」、農相の「原爆発言」、さらに、防衛庁長官の訓辞、等々、その裏付け資料にはこと欠かない。
 いっぽう、「今後の国語指導法は、いわば、もっと、戦前の形象理論的、あるいは解釈学的な指導過程を取り入れることになるだろう。」(前記、現代教育科学)という、輿水発言を媒介して考えるとどういうことになるのだろうか。
 解釈学による指導過程、それは、あの戦前、戦中の国語を支配した、追体験方式の指導過程である(この点については、黒川氏の論稿参照)。「国防意識」を追体験によって昂揚しようというのである。

 戦後、国語科学習指導要領の変遷をたどってみて、わたしは、次のような結論をえた。
 「あらゆる環境におけることばのつかいかたに熟達させるような経験を与える」ことで出発した、言語技術主義も、「電話のかけかた」などという、場面に限定して考える範囲では、まだ、罪はあさかったといえよう。が、しかし、この論理は、根なしぐさである。ひとたび、その環境が、独占資本の支配体制、そして、ファッショ体制へと、エスカレートしたばあい、そのエスカレートした環境にも適用できる論理である。そして、適応する言語技術を身につけることになる。
 それが、指導要領の改悪というかたちで具体化してきた。つまり、体制側の「価値」を追体験によって昂揚させようというのである。そして、指導要領の表現より、現実は、ずっとずっと先を突っ走っている。
 さらに、その方向を裏側でコントロールしているのが、アメリカの世界政策である、ということをつけ加えなければならない。
  
・1968.5.31 文部省、小学校学習指導要領改定案を発表(神話の導入、国家主義の強化に批判強まる)。

・1968.7.11 文部省、〈小学校学習指導要領〉告示。
 


1968.8
機関誌 第53号
《資料26》熊谷孝 「日本の教育と母国語の教育」 

1.今の教育はどこか狂ってる
 「僕たちは人間として面白味のある人間を育てたいと思うんですが、親たちはそれを喜ばないんです。画一的な、型にはまった教育を希望するんです。(中略)僕たちは何だか現在の教育というものが、どこか根本的にまちがっているんじゃないかという気がするんです。」
 〝人間の壁〟のあの事件から十年をへた、佐賀県の現場の先生がたのナマの声である。(朝日新聞、68年4月30日朝刊/石川達三氏の佐賀の現場ルポによる。)
 佐賀と神奈川、神奈川と千葉、宮城、鳥取というふうに、多少の地域差みたいなものは、そこにあるだろう。だが、状況のそういう地域差を越えて、日本の教育の現場全体に共通する問題がそこに指摘されているように私は思う。今日の日本の教育現場人であって、こうしたことを思わぬ人があるだろうか。「今の教育体制は根本的にまちがっている。」「私たちが育てたいのは、人間として面白味のある人間である。いや、私たち自身が、人間として面白味のある人間、面白味のある教師になりたいのだ。ほんとうは」ということを。
 そんなことは只の一度も思ってみたこともない、ということをいう人がもしあるとすれば、本来の自分を偽っている人だ。権力の圧力の前に、自分がそういうことを考えている自分であることに恐れおののき、本来の自分に目つぶしを食わせ、権力の側の言葉、他人の言葉(=思想)をムリにも自分の言葉(=発想)として生きている気弱な人だ。きみ、もし人の子の師であるならば、自分の言葉(=文体)を失うなかれ、である。国語教育の問題としていえば、教師が自分の言葉をもたなくて、なんで言葉の教育ができようか、である。

2.人間として面白味のある人間に
 却説。石川達三氏は、上記の同じ文章の中で、次のように語っている。「画一的な教育を身につけることが、画一的な試験をパスして、画一的な社会人になって行くのに、一番具合がいいのだろう。しかし、それは人間教育というよりは、サラリーマンを大量生産する〝メーカー〟の仕事にちかづいて行く」云々。
 また、「良心的な教師には、いつも懐疑と反省がついて回る。懐疑は教育の現場での、ひとりひとりの教師の胸のなかの悩みである。文部省とは何の関係もない。いわんや政党の権力争いとは完全に無縁のものだ。しかしその教師たちに、お役所は画一的な指令でもって、やれ、こんどは道徳教育をやれ、今度は国防思想を教えろと命令する。現場が反発するのは当然のことだ。」
 ところで、私たちが願っているのも、佐賀の先生方と同様、目の前の子どもたちを「人間として面白味のある人間」に育てることである。人間づくり、つまり、そのこと以外ではない。教育――それは、もともと、人間をつくること、であるはずだ。人間の名にあたいする人間を、である。
 しかし現状況では、「どういう人間をつくるべきかという所から、問題は紛糾する。」なぜなら、「国の権力者は、その権力を保持するのに都合のいいような人間をつくろうとする」から〈石川氏、同上)。そこで、むしろ、画一的で型にはまった教育のシステムが要求される。また、そのシステム(体制)を定着させ維持するために、法的拘束力と脅迫で現場を縛りあげようとする。ハッキリいうが、これはヤクザの所業である。

3.京都府教委の指導要領批判を支持する
 このレジュメを私は7月10日現在で書いているが、たまたま、きょうの朝日の朝刊に、「文部省の新学習指導要領/京都府教委が待った」という見出しの記事が載っていた。「新しい指導要領案は、人間育成を期する教育基本法の精神に反し、戦前に逆行する」として再検討するよう京都府教委が正式に要望した、というのである。「これに従って教科書がつくられると、すべて国定教科書的になり、教師の学習指導も強くこれに拘束されて、戦前の国家統制時代に逆戻りする」云々。
 この要望に対する文部省当局の見解は、「この要望は十一日に正式告示されるが、その直前にこんなことをいってきても、事務的だどうしょうもない(、、、、、、、、、、、、)[ママ]」(初中局初等教育課長談)というふうなことだ。どうだ、この感覚! 俗吏的なこの感覚!

 告示の直前に云々というが、だいいち、こんどの改定案の提示は、世論にしたがって案を検討するというだけの時間の用意を最初から欠いていた。現に、「教育科学・国語教育」はその8月号(7月中旬発行)をこの改定案の検討特集号として編集し、「本誌がおそらく改定案に検討を加えたものとして最初のものとなるでしょうから、そのつもりで御執筆を」という意味の原稿依頼状を発送している。私も、そのつもりで書いた。ところが、それが活字になる前に「正式告示」だ。肩すかしを食ったという思いだ。

4.思う存分の教育をやりたい
 こうした状況では、石川達三氏でなくとも、「為政者と教育現場との抗争は、宿命的にほとんど半永久的なものにならざるを得ない」というほかあるまい。石川氏はさらに言葉を継いで、こう語っている。「だが、教師たち……わたしの知る限りにおいては、いかにも温和な、誠実な人たちであった。そしてまた、大部分は貧しい人たちであった。あの人たちを、よい環境の中において、上からの圧力のない所で、思う存分の教育をやらせてあげたいと思う。どんなに喜ぶだろう……。」
 私は、この文章が教師というものを美化している(あるいは美化しすぎている)とは思わない。佐賀の先生がたと限らず、教師というものは本来こういうものだ。と私は思う。上記1.に語ったように、なかには本来の自分に目つぶしを食わせているような教師もいないわけではない。が、彼の、彼女の本来の人間は、ひとしくそういうものだ、ということなのである。 私の怒りと憎しみは、むしろ、もともと「誠実な人」であるこの教師たちを、「上からの圧力」で、弱気で、あきらめのいい、ヘナチョコな人間にしてしまった、体制側のやくざなやりくち(、、、、)に向けられている。
私たち教師は心から思う、自分たち自身、人間として面白味のある人間になりたい、と。そして、子どもたちを人間として面白味のある人間にはぐくむ教育を思う存分にやりたいものだ、というふうに。

5.今次集会のねらい (…)
6.文体をもった人間に(当日の課題)(…)
  
  
1968.8
教育科学・国語教育
第118号
《資料27》熊谷孝 「人間教育の破壊」 

 「僕たちは人間として面白味のある人間を育てたいと思うんですが、親たちはそれを喜ばないです。画一的な、型にはまった教育を希望されるんです。」
 『人間の壁』の作者が伝える、(この作品の事実上の舞台となった)佐賀県の現場教師たちのナマの声である。「現在の教育というものが、どこか根本的にまちがっているんじゃないかという気がするんです。」(朝日新聞、4月30日朝刊掲載の石川達三氏の文「権力と教師の宿命的抗争」による。)
 そういう現場の先生の声に接して、この作家は、次のように考える。
 わかるような気がする  画一的な教育を身につけることが、画一的な試験をパスして、画一的な社会人になって行くのに、一番具合がいいのだろう。しかしそれは人間教育というよりは、サラリーマンを大量生産する〝メーカー〟の仕事にちかづいて行く。
 良心的な教師には、いつも懐疑と反省とがついて回る  懐疑は教育の現場での、ひとりひとりの教師の胸のなかの悩みである。文部省とは何の関係もない。いわんや政党の権力争いとは完全に無縁のものだ。しかしその教師たちに、お役所は画一的な指令でもって、やれ、こんどは道徳教育をやれ、こんどは国防思想を教えろと命令する。現場が反発するのは当然のことだ。
 三・三・四休暇闘争のときの文部大臣が灘尾さんだった  その人がまた大臣になった。何か意味ありげでもある。彼が防衛思想教育を口にすると、教科書業者は先走りして、たちまちそれを教科書の中に盛り込むだろう。業者は商売だ。防衛思想が商売に使われる。
 教育、人間をつくること  どういう人間をつくるべきかという所から、問題は紛糾する。(中略)だが、教師たち……わたしの知る限りにおいては、いかにも温和な、誠実な人たちであった。そしてまた、大部分は貧しい人たちであった。あの人たちを、よい環境の中において、上からの圧力のない所で。思う存分の教育をやらせてあげたいと私は思う。どんなに喜ぶだろう……。

 僕自身が教育行政に望むことも、そのこと以外ではない。現場の教師大衆が自分自身の良心にしたがって、ノビノビと「思う存分の教育」がやれるように、教師の身になってその作業をささえることがお役所の仕事なはずだ。(憲法を見よ。教育基本法を見よ。)
 教育行政にたずさわるお役所の仕事は、現場の教育内容に対してあれこれ口ばしを入れることではなくて、現場の作業がスムーズに進行するように教育の環境条件をととのえることである。お役人たちはそのことに専念するべきだし、また、そのことが唯一の 「お役所仕事」になる必要がある。所詮は数ある政党の中の一政党にすぎない、そのときどきの政府与党の文教政策を国会の審議も経ないまま、お役所が教育行政の中に持ち込み、それを教育の現場に押しつけるというようなことがあったら、越権だ。お役所とお役人は、ひたすら、教育の環境条件をととのえるという本来の業務に専念すべきである。そうではないのか。ところが、今は話が逆だ。逆になっている。
 僕たち教師は、学校教育、公教育の場をすぐれて人間教育の場とし、「人間として面白味のある人間」に子どもたちを育てたいと思っている。これまでの子どもにくらべると、知っている漢字 の数はふえたし、毛筆 で字も書けるようになった。そのかわりに、頭は固いし感情はカサカサ、おまけに皇国史観 まがいの神がかりの国家観の信奉者である、というような人間に子供たちをしたくないのである。
 つまり、僕たちは、目の前の子どもを幸福なブタにしてはならない、と思うのである。字が書ける、算数ができるというだけの幸福なブタに、である。高貴な人間性と民族の明日への責任において、子供たちを、だれかが要求するような一時間(ま)に合わせの、消耗品にすぎない「画一的な社会人」などにではなく、「人間として面白味のある人間」」に、と願うのである。
 それゆえの、最近の、教師たちの自主教研への異常なまでの盛りあがりなのである。「人間として面白味のある人間」を育てるためには、まず自分が、自分たちが「人間として面白味のある人間」にならなければならないからである。
 しかし、「教育研究はむずかしいです。いっせいストを組織するよりもっとむずかしい」(上記「権力と教師の宿命的抗争」所掲の現場教師の発言)のである。教育環境をととのえるお役所の仕事の一つは、だから教師たちのこの自主教研を、その気になって積極的に援助することである。ところが、今は話がアベコベだ。こうした各種の教師の自主教研の会場に、教室や講堂を提供することを拒む「学校」が最近ふえてきている、という。また、そういう教研の集まりに自校の教員が参加することを喜ばない管理職が目立って多くなってきている、という。自主教研に対するお役所のあるムードや姿勢を反映してである。
 端的にいって、お役人の顔色を見ての身のふりかた、というところである。が、その結果は、こんどは現場教師が管理職の顔色を見て行動するということになる。これでは「人間として面白味のない人間」に教師が変ってしまうことになる。
 教師の人間を通さない教育は、教育ではない。そこでは、まず教師の人間が問題なのだ。ということは、教育行政の問題としていえば、何よりも教師の人間をたいせつに考え、何よりも教師の思想と研究の自由を保障するような行政がおこなわれなくてはならない、ということにほかならない。ところが今のように、お役所が人間のカベ、教師のカベ、教育のカベであるというのでは、話がまるでアベコベだ。
 そのアベコベぶりを成文化して内外にハッキリ示したのが、今度の学習指導要領改定案である。教師の自由を保障するどころか、それは自由の制限、拘束、剥奪である。審議会の答申も相当のものだったが、こんどの文部省案は遥かにそれを上回っている。
 まず、「ここ(指導要領)に示す内容に関する事項は、いずれの学校においても取扱わなければならない。」(総則)というしめつけ ぶりである。第二に、社会科に「初めて国家の安全をおり込んだ。審議会の答申は、〝国家への理解と愛情〟をうたうにとどまっていたが、国家の安全という形で、国を守る気持の基礎をはぐくむ、と文部省は説明している」(朝日新聞、6月1日朝刊)のである。

 たとえば、そういうことが前提にあっての、つぎのような(国語教科書の編集と検定の基準となる)「話題や題材の選定」の「観点」の提示なのである。
   ――「わが国の国土や文化・伝統について理解と愛情を育てるのに役だつもの」
   ――「日本人としての自覚を持って国を愛し、国家・社会の発展に尽そうとする態度を養うのに役だつもの」
 石川達三氏のひそみにならっていえば、防衛思想も商売に、という業者がそれをどういう形で教科書に盛りこもうとするかは見えている。そういう教科書も教科書どおりに教えなければならないとしたら、これはどういうことになるのか。また、教科書と違ったことを教えたら勤務評定が待っているというのでは、人間教育はどういうことになるのか。
 作文指導は大幅に時間を割くという点については一般に評判がいいようだが、①上記の「話題や題材の選定」の観点・基準を前提として考えてみた場合、一般にその内容がどういうものになっていくのか、やはり大きな不安がある。子どもたちが教科書で読まされるものが読まされるものだからである。また、子供たちがそこに書く「題材」、そこにとりあげる「話題」が他動的、自動的に右の「観点」に制約されることになりがちだからである。
 さらにまた、②漢字学習の強化や毛筆習字の必修化とつなげて考えてみた場合には、それがただの読み・書き・ソロバン式の意味での「書くこと」の形式面の指導に終わりかねない危惧も感じるし、③作文や毛筆習字にかなり多くの時間を割いた残りの時間で、これまででさえ不足していた読みや話しことばの指導などが果たしてどの程度におこなえるものか、そうした点でも疑問は大きい。
 〈国立音楽大学教授〉
  
1968.8
 機関誌 第53号
《資料28》夏目武子 「わたしたちの立場と課題」 

(…)この頃から私たちの意識に深くのぼったのは、「一本勝負ではだめだ」ということである。「過去における自分の、ある事物とのある接触のしかた、あるいは過去の事物体験、それが現在の自分自身の行動体系につながるかたちの、ひとまとまりの体験になってきたときに、それを先行体験と呼んでいる」(『言語観・文学観と国語教育』P143)、行きずりの体験が自分にとってある意味をもってくる。今まで気づかなかったものに気づいて、ハッとすることと関係する。「先行していた何かが体験と呼ばれていいようなものとして形成される。この先行体験と新しい体験とが、いわば同時的にかさなり合ってそこに形成される」(同書)、私たちはたえず子どもたちに新しい体験を保障しなければならない。それには、子どもたちの感情の素地をはぐくむという意味で、どうしても教材のつみあげが必要になる。ある目的のために、作品を教材群として組織していくこと。作品を教材体系に組むのは教師その人である。ここでもまた、「わたしの文学」が再確認されることになる。
 一九六七年改定が時間の問題になってきた学習指導要領。その指導的理論家とされている輿水実氏の見解が注目され始める。
 戦前の解釈学そのままではなくても、あきらかに解釈学の復活が準備されていることに対して、黙っていることができない私たちは、輿水理論の分析に始まり、本家本元の「生の哲学」にさかのぼって学習することもした。解釈学的国語教育に真に対決しうるものをうち出していくという大きな課題の中で、今私たちは、背のびしながらも模索を続けている。
 構造を構造論的にとらえることの必要性をフランス構造主義から摂取し、読みとは「追体験」ではなく、印象の追跡としての批評であることを確認し、印象の追跡としての総合読みの原理と方法とを実践的にもあきらかにしようとしている。
 そして何よりも大きな課題は、今日の疎外状況克服の一つの武器としての、文体づくりの教育に取りくむことである。
 文体の面から、発達の面から、四領域の面から、等々、さまざまな視点から総合読みを実現させる必要のある段階にきており、それは明らかにされつゝあるといってもよいだろう。
 民族の共通信号としての母国語、母国語をだいじにしようとするがゆえに、私たちは民族教育を否定する外国人学校法案に反対し、灘尾文相の国防意識教育に反対する。二十坪の内と外とがいやでも統一されてしまうのであるが、今回の研究会では、いずれにしても、これらの問題について私たちの責任を明確にすることである。
   
   
1969.1
民族の課題に応える
文体づくりの
国語教育』
 
《資料29》熊谷孝 「教育課程改訂をめぐる問題点一、二――講演「日本の教育と母国語の教育」から

文体づくり〟という言葉に託して(…)

体制側のいう『国語の愛護・尊重』とは何か

 ……以上、今度の教育課程の改訂がどのような政治的意図のもとに、直接何をめざして行われたものであるのか、ということや、その最終答申案、カクレミノ審議会の最終案の線と実際の文部省告示の線との部分的な微妙な違いが一体何を意味しているのか、というような点について私の考えているところを端的に申し述べました。ともあれ、こんどの改訂の意義は、58年(昭和35年)の改訂のそれとのつながりの中で考えられなくてはならないし、直接的には70年安保へ向けての準備工作的な狙いのものであること、民主教育を守ろうとする教師大衆のあらゆる組織と組織活動を分断し破壊しようとするものであること等々を、きょうのこの公開研究会でお互いに確認し合いたいと思います。
 と申しますのは、この改訂に対する教育現場の反応が全般的にフヤけていると思うからです。小中に自分の現場を持たない私なんかは、きょうのこんな形でしかアピールする場を持つことが出来ません。どうか皆さんは、それぞれの自分の職場、自分の地域での同僚やナカマたち、それから児童の父母たちとうんと話し合っていただきたいと思います。
 フヤけてると言いましたのは、お配りした「講演と報告のための資料」という印刷物の最初のページをごらんいただくと解るんですが、ある小学校の校長さんは、こう言っています。「新聞なんかでは、こんどの改訂は日の丸路線だとか、灘尾文政がどうとか、国家社会への奉仕を打ち出したものだとかいって騒いでいるが、『国語』に関する限り、こんどの改訂の精神は本当だと思う。国語の愛護・尊重を呼びかけているところは共感を呼ぶ」というみたいなことを公言しています。その原文・出典は「資料」に示した通りですからおたしかめ下さい。
 この校長さん、これまで比較的いい線を行っている人だったものですから、驚きました。かんじんの所へきて、ガタガタに崩れてしまったという感じです。が、このガタガタが実は現場一般の線なのですね。自分では妥協のつもりじゃなくて、結果的には相手側のほうに回ってしまっている。そこが問題だと思うのです。
 カクレミノ審議会の小学校部門「国語」の委員長をつとめあげた輿水実さん、この当事者が「国語の愛護」ということについてハッキリこう言っています。
 ――「今度の指導要領の特徴は国語に対する関心、愛護、尊重を強く打ち出していることですね。国民学校時代に、国語の愛護、尊重を強く打ち出したんですが、それ以後ずっとなかったことなんでよ。国民性育成、国民的自覚の主張と非常に縁があるんじゃないか。」
 非常に縁があるんじゃないか……まるで他人事みたいな、おトボケぶりですけども、それはともかく、こんどの指導要領の謳い文句の「国語の愛護」とか「尊重」というのは、当事者の輿水さんが自認、確認しているように、意図においてハッキリ国民学校時代の、つまり太平洋戦争下のファッショ的な国語教育、国防教育としての国語教育の復活・再現を図ったものなわけですね。これこそ明治百年記念事業の最たるものだ、と言わなければないません。
 ですから、「『国語に関する限りは、私はこの度の改訂の精神が本当だと思う」というこの校長さんの受けとめ方は、現在の国語教育の九十度か百度の右旋回を全面肯定するものだ、ということになってしまうわけですよ。(九十度か百度といったのは、すでに60年安保挫折あたりからすごい右旋回が始まっているわけですから、これでちょうど百八十度右旋回することになるのです。)
 おそらく、この校長さんには――というのは、今まで正当な主張をつづけてきていたこの校長さんにとっては、という意味ですが――右旋回肯定なんて意志は多分ないんだろう、と思います。ところが、結果としては、それを肯定したのと同じことになってしまっているのです。これが、こわい。このこわいことが、いま、そこ、ここの現場に見られるという点に日本の教育と母国語の教育の問題点の一つがあるわけです。

教育職人的感覚の排撃――教科教育の原理への関心を
 この点に関して私は、問題が二つあるように思う。その一つは、国語教育に特別熱心な小学校の現場の先生たちが、「国語」という教科に肩入れしすぎるあまり、国語科を何か独立王国みたいに考えてしまって、他教科との関連や、学校教育全体との関係・関連の中で「国語」をおさえることを忘れている、という点です。
 というのは、実は私、非常に遠慮したいい方をしたわけなので、熱心なのはいいが国語屋という教育職人に……といういい方は、これはまた、ものごとには言っていいことと悪いことがあるわけでして失言の部類にはいってしまいますけれども、ともかく「木を見て森を見ない」教科主義みたいなセクショナリズムが実際にある、ということを私は言いたいわけです。
 小学校の全科担任制に対する中学校の教科担任制の中で、中学校は中学校で「私は国語のスペシャリストだ」という意識が、やはりこの「木を見て森を見ない」馬車ウマ的感覚に結びつきやすいのですね。
 そういうところから、改訂の全般の方向や、ある教科――たとえば社会科などについていえば「改悪」だといっていいが、国語科に関する限り 「改善だ」とか「まあまあだ」というつかみ方、受けとめ方に滑りがちなのですね。
 たとえば、六月二日の朝日の社説が、そういう受けとめ方、考え方を実によく代弁しています。改訂の基本方針には若干懸念される点があるし、社会科歴史の改訂ぶりには首をかしげさせられる点がなくはないが、しかし公平にいって、「国語」についていう限り、「漢字学習が強化され、作文、習字にも特別の時間がさかれるようになったことは注目すべき改善」だ、というのですね。

 問題の第二点は、こういうことです。朝日の社説ふうの考え方ですね。漢字学習の強化とか、毛筆習字の必修化、それからこんどの改訂の告示にしめされてるみたいな、カッコつきの作文指導の「強化」、それを教科内容なり指導過程の「改善」だと考えるそのピンボケな感覚……いや、感覚も感覚だけれども、国語屋ともいうべき人を含めて多くの現場人の、「国語」という教科の原理、原則、第一義的なことに対するはなはだしい勉強不足が問題だと思うのです。
 結構、率先して教育課程改悪反対のデモなんかに出かけて行くような先生が、そして社会科の時間なんかには基本線を守り通した授業をやっているような先生が、国語の授業になると、先生のアンチョコ、教師用指導書にオンブした授業を平気でやっている。
 あの指導書の基本路線というのが――部分的に例外はあるでしょうが――実は、さっき話題にした「国語愛護」「国語尊重」の国民学校方式、ファッショ体制奉仕の国語教育方法論なのです。具体的にいうと、「解釈学的国語教育」の指導過程なのです。この解釈学の指導過程を技術面で部分的に少しモダナイズして「国語教育の近代化」とか「現代化」ということをキャッチフレーズにおし出したのが、改訂指導要領の国語教育理論なわけでしょう。この点については、あとで時間を使って少していねいにお話しするつもりです。それから、指導書に書いてある指導の組み方というのが解釈学方式以外のものではない、という点の具体的な実証・分析は、きょうの午後、郷キミ子・黒川実両君の報告の中で行われることになっていますから、そのつもりでお聞きください。
 で、ともかく、一方で指導要領反対を叫びながら、一方では、それこそまさに指導要領方式を具体化した指導書の指導案にしたがって授業をおこなう、というのはすごい自己矛盾です。社会科の授業でやったことを、国語の授業でこわしている。しかも自分の手で。なおかつ、そういう自己矛盾におちいっていることに自分自身気づいていない。三派の学生諸君の言葉を待つまでもなく、これはマンガですよ。三派の諸君の「ナンセンスだ」「ありゃ、マンガだよ」というせりふ は今のところ大学教授に対して向けられていますが、どうか、こういう悪罵を受けるのが私たち大学の教師だけの範囲内にとどまるように、教科教育の原理に小中の現場人の関心が向くように皆さんの手で大いにアピールしていただきたい、と思います。

教育課程改訂の意義を、部分と全体との関係においてつかみとろう
 教師は勉強しなくてはどうにもならない、とくに第一義的なことがらについてうんと勉強しなくちゃ、ということを申しあげたところで、ちょっと問題の第一点に返ります。輿水実さんなんかが、かえって「森を見て木を見る」いい方をしているんですから皮肉です。「資料」の二ページ目の上段に書いておきましたから、一緒に目を通してください。
 ――「教育全体が『国民性の育成』という方向になってきたんですし、国語科はそれに寄与しよう、という姿勢できてるんです。」
 そういう教育課程全体の改訂の方向から、国語科では、漢字学習を強化したり毛筆習字を必修化したり、そのくせ授業――国語の授業の総時間数はもとのまま、という「姿勢」をとっているわけなんですね。これが国語科の「改善」の実態なのですね。いや、それにとどまるのではない。教科書の改編がすぐに行われるわけです。追っかけ追っかけです。追討ちをかける、という言葉がありますけど、それですね。
 ですから私たち、まかり間違っても、「国語科に限っていえば、こんどの改訂は改善だ」みたいな、たわごと は口にしないことですね。この点について、高橋碵一さんのすてきな発言があります。「資料」の第一ページの上段をごらんください。
 ――「教育は、部分で教育するのではなく、全体で教育するものだ。私たちは教育課程全体を問題にしなければならぬ。たとえば、理科の専門家が『こんどの改訂で社会科は悪くなったかもしれないが、理科はよくなった』といういい方をしたら、どういうことになるか、それが一番危険だ。かつて私たちの習った教育も、ある部分は非常に非科学的で、ある部分は相当科学的であった。けっして全部非科学的なことを言っていたわけではない。科学的なことと、科学的でないことを一緒に教えられたときに、結局出てきたものは何だったのか。(中略)どこかに不合理なことを認めていたならば、その教育全体は結局不合理になってしまう。どこの一点にも不合理を許してはならない。そうでなければ、子どもは健康に成長しない」云々。
 高橋さんのこの発言の中の「理科」という言葉を「国語」と置きかえれば、この発言がそっくりそのまま、現代国語教育批判、教師批判になるわけです。
 私の口ぐせですが、「部分」というのは「全体」に対しての「部分」ということ以外ではないわけです。その部分を全体から切りはなすと、それはもはや部分ではなくて、それ自体「小さな全体」に転化してしまうわけです。私の手の指にくっついている限り、無精して伸びたそのツメは私の部分です。けれども、ツメ切りで切り落されたそのツメは、もはや私の部分ではなくて、それ自体、小さいながら独立した全体です。リクツは同じことなのでして、教育課程全体との関連の中で考えないと、こんどの国語科改訂の意義 、そのおそるべき改悪であることの意義 や意味を意味をつかみそこなうことなしとしないわけです。

これが「教える」ということではないか(…)
 
 
1969.8
機関誌 第59号
《資料30》福田隆義 「私たちの立場と課題」 

 今回の学習指導要領・国語科編の改訂は、戦後の国語教育を一貫している、言語技術主義・実用主義の立場に、はっきり「国民性の育成」という方向を与えたといえます。それは、国語教育を「国防意識高揚」の手段とする発想であり、明らかに七〇年以後を想定した改訂であるといえます。そこでは、言葉は「お上」のもの、そして、上意下達の道具になってしまいます。上意下達の道具、それは、戦前・戦中の発想そのものであり、「人間破壊」「人間喪失」の教育を復活させることになります。
 こうした体制側の露骨な反動化に対して、わたしたちはどう対処したらいいのでしょうか。ある人たちは、直接行動で対決しようとしています。またある人たちは、指導要領とイデオロギー主義的な対決をしようとしています。が、果してそれが有効な方法であり、適切な批判であるかどうか、今、この時点でもう一度、真剣に考え直す必要を痛感します。
 文教研は、創立以来十一年、一貫して指導要領を批判し続けてきました。それは、部分修正意見などではありません。また、たんにイデオロギー主義的な批判でもありません。いつも、その根底にある言語観・文学観を問題にしました。そこが狂っていたのでは、まともな国語教育が実現するはずがないからです。そうした観点から指導要領を批判する一方、わたしたちは、わたしたち自身の言語観・文学観を変革し、確立する学習を続けました。そして、理論的にも、論理的にも、さらに実践的にも、指導要領と対決できる自信を深めました。
 わたしたちは、言葉を「お上」のものから、自分のもの、あるいは、自分たちのものに取り戻さなければならないと考えます。というより、言葉はもともと、わたしたち民衆のものであります。生産・労働の過程で、民衆の連帯・民族のあすの創造を保障してきたのが母国語であったはずです。自分の言葉に、あるいは、自分たちの言葉に。これが文教研年来の主張である「文体づくり」ということであります。
 今次集会も、そういう発想で立案しました。つまり、明日に生きる民衆の子を育てるために、今、国語教育は何をなすべきかを、言葉の機能・文学の機能に即して突きつめてみようというのです。
 第一部「私の大学」では、わたしたちめいめいの言語観・文学観の変革・確立をというわけです。そのうえにたって、文学教育の構造化を考えてみました。さらに、第二部「国語教育で何をするか」では、国語教育の中で文学教育をどう展開するかを、具体的に提案し、ご批判をいただきたいと思います。
        
・1969.4.14 文部省、中学校学習指導要領を改定。       
1969.9
教育科学・国語教育
第123号
 
《資料31》熊谷孝「言語の教育と文学教育」

〈何を〉と〈いかに〉と
 与えられた課題は、〈文学の授業で何を教えるか〉ということである。〈文学の授業で何をいかに〉の〈何〉がここの問われているのである。むしろ、その〈何〉が問いなおされているのである。
 多くの現場人の関心は、どちらかといえば〈いかに〉に――いいかえれば、文学の授業の技術的なこなし方手順に――向けられているようだが、関心の持ち方というか関心の方向をいっぺん〈いかに〉から〈何を〉に向け変えてもらおう、というのがこの課題、この企画なのであろう。あるいは、それは、この〈何を〉を考えなおすことの中で〈いかに〉を考えなおす必要はないか、という呼びかけなのであろう。多分、これは、そういう課題意識にもとづく企画なんだと思う。
 〈何を〉と〈いかに〉との関係だが、本来、〈何を〉を離れて〈いかに〉を問うことは無意味なことなはずである。〈いかに〉をいかに 上手にやってのけたとか、また、それをいかに トチったかというような評価は、これは〈何を〉の〈何〉の中身が何であるかによる。何 に対していかに 成功したか、トチったか、である。トチルこと一般なんて、どこにもありはしない。手段の価値は目的の価値に従属するのである。
 にもかかわらず、今日、多くの現場人の関心が〈何を〉を素通りして〈いかに〉という手段・技術の面に集中しているとすれば、それは〈何を〉がすでに自分たちにとっては自明だ、ということでなければならない。少なくとも、自明だというつもり になっている、ということである。それを自明のこととして問うことを忘れている(あるいは問いなおす姿勢を欠いている)ということは、こわいことである。かえりみて他をいうみたいなことになるが、ひとつ自分の常識――自分にとって常識であるもの――を疑ってみる必要はないか、ということなのである。

 かえりみて他をいう云々……僕自身のことをふくめて(むしろ僕自身の問題として)大学紛争と大学の教師の問題があるからである。たとえば、この問題の一環としての大学運営への学生参加の問題である。第一に、学生の参加を当然とする現在の自分の常識が一年まえの自分の常識の中にあったか、ということである。第二に、学生のゲバ棒に迫られることなしに、現在自分が抱いているような常識が果たして持てたであろうか、ということなのである。たとえ観念としてそういうことは考えていたとしても実現不可能ときめてかかってはいなかったか、ということなのである。ゲバ棒がその「実現不可能」なことを可能にするキッカケとなった、ということは大学の教師にとっていくら自分を責めても責めたりないくらいのものだ。学生の要求を待ってではなく、それは本来、教師が教師自身の手で闘いとるべきものであったのだから。
 だから、こういうことを僕が口にするのはてれる のだけれども、「今は“いかに”が問題なのであって、“何を”は自明である」というふうな自分の常識を疑ってみる必要はないか、ということを、あえて「かえりみて他をいう」格好で口にするわけなのだ。
 もっとも、〈文学の授業で何を〉の〈何を〉が自明であるというのにも、いろいろなニュアンスがあるようだ。

 「考えてみるまでもなくそれは自明のことだ」といった、いわば懐疑することをしらない不屈の信念型・自信型にはじまって、「きみのいうことがわからんではないが、いまさら考えてみたって、どうにもなるわけのものでもないだろう」という式の、半分ヤケッパチのあきらめムードの大勢順応型のものまであるようだ。
 が、この順応型も自信型もゲバ棒誘発型であることに変わりはない。あなた方が口をきわめて否定している「暴力」を誘発し爆発させるのは、ほかならぬあなた方ご自身である。ともあれ、〈文学の授業で何を〉の〈何を〉を、上からのきまり ――つまり拘束だ――にしたがってしか考えることをせず、それを自明のこととして懐疑することをしない姿勢、あるいは自身に故意に懐疑を回避する姿勢――こうした教師の姿勢に今日の文学の授業が不毛・不振の状態をつづけている内在的要因があるように僕には思われるのだが、しかしこれは後の話題だ。そこで、ともかく、〈文学の授業で何を〉ということである。

これが文学の授業か
 〈文学の授業で何を〉という場合の〈何〉は、ところで、〈文学の授業とは何か〉の〈何〉をどう考えるかによって、その中身がちがってくるだろう。60度ちがうとか90度ちがう、というちがい方ではなくて、次元がちがってくるのである。
 たとえば、ここに、文学作品を教材として――どういう目的に奉仕する教材=材料としてそれを考えているのかは一応いまは不問に付するとして――その 作品の文章の端々(はしばし)を「味わって読む」ことをし、そこからモチーフとかテーマというのをみちびき出せればそれで文学の授業は成り立つ、と考える〈文学の授業〉観も現にあるわけだ。あるどころの話ではない。それが現場全般の風潮であり傾向だ。かりに百歩ゆずってそれが全般的な傾向ではないとしても、少なくとも官製の教研や、その系統の各種の研究授業の場などでモデルとして展開されるブンガクの授業というのはそうしたものだ、ということなのである。
 そういう研究授業の場で「味わって読む」ことを教師が指示するのは、「気のきいたいい回し」「凝ったいい方」「上手な表現箇所」「深みのある語句・文・文章」等々である。
 それから、「筋を短い言葉でまとめる」ことが生徒たちに要求され、「作者の気持ちがよくあらわれているのは、どことどこでしょう?」というような発問がなされて、さて「主題は何か?」とくる。
 その授業の場で主題というのは、多くの場合、作品の筋書――むしろ、そこに扱われている事柄や事件の筋書――の要約に加えて「作者のいおうとしていること」である。それは、けっして「いっていること」でも、「いいえていること」でも、「実際にあらわされていること」でもない。いわんや、学習者が感動において受けとめた何かとは無関係である。感動は感動、主題は主題なのである。(いったい、人間的感動と無関係なシュダイというようなものが文学作品の主題であり得るのか。「味わって読む」のは、どうやら文学としてのその作品の主題に関してではなさそうである。)
 そこで、ともかく、この作品の主題はかくかくしかじかだ、というまとめ をやったところで授業が終わるのが研究授業の定石のようだが、そこに要約されるこうした主題というのが指導書――つまり教師用トラ巻(かん)だ――の指導案に書かれてあることのイミテーションなのだ。ところで、指導書の指導案と類似の線で授業がおこなわれ、かつ子どもたちをそういうプランに「いきいきと」たくみに乗っけることに成功したような場合に、その教師に対する指導講師の「講評」は絶讃に近いものになる、というぐあいだ。
 ともあれ、これは、そういう授業、そういう授業観が今日大勢を占めているという紹介、むしろ確認である。

教師の〈文学とは何か〉について(…)
文学体験は個別的、個性的なもの(…) 


  
1970.8
機関誌 第65号
《資料32》熊谷孝 「〝国語教育としての文学教育〟から〝文体づくりの国語教育〟へ」

〝国語教育としての文学教育〟から〝文体づくりの国語教育〟 (…)
文学教育のロマンティック・エイジ 
(…)

文学教育の抹殺と否定
 単に教えるためにだけ文学作品を読む、 という、そういうのじゃない、 まっとうな文学教育的関心を、 解釈学流の読解指導方式のものに関心の方向をズラす格好で、体制側の理論がそこへ割り 込んでくるのです。 そういう〝 時期〟がやっ てきたのです。 勤評の実施、特設「道徳」の施行、58年(昭和 33)の学習指導要領の改定という、 そういう一連の動きの中で、文学教育をただの〝文学教材の読解指導〟にスリ替えることを始めたわけでした。
  もっとも、 体制側の楽屋裏へ回って言えぱ、事情は多分、 ずいぶんと複雑だったんじゃないかと思います。 たとえば、言語過程説の立場を堅持する時枝誠記氏のような国語学者が、 58年の改定の表向きの立て役者でした。多分、そういうこともあって、〝 解釈学〟は表面上、この新指導要領の指導理論という格好では顔を出しておりません。 むしろ、国語教育の営みは、「国語に関してその言語過程の指導を行なうものなわけだから、教材の文章はいろいろな文種(、、)――説明文だ、物語文だというあれ――を児童・生徒の言語生活に即して与えればいいのであって、文章の言い表わす内容(、、)がどういうものか、というようなことは二の次の問題だ。」という考えかたが表面に出される、という格好でした。
 必要なのは文種(、、)であって文章の内容ではない、というこの考えかたは、実質的には文体(、、)軽視の文章観(言語観)を言い表わしています。 こうした考えかた(言語観)を拡大解釈(?)することで、そこに教材を〝 文体抜きの文章〟へと改変する結果をつくり出しました。 改変の実質的な中身は、文学の道徳化をはじめとする全教材の右寄り改変ということでした。それと同時に、(いつか私たちの機関誌で福田隆義さんや黒川実さんがそのリサーチの一端を報告していたような)教師用の指導書の指導案の内容に解釈学的国語教育の指導方式をたっぷり盛り込む、という手を使ったわけですね。
  ですから、現場の教師大衆がこの指導書を拠り所にして授業を行なう限り、右寄り教材を使って、右寄りの指導方法で国語教育を実践するという結果にならざるを得ません。時枝さんたち教育課程審議会委員諸氏の意図がどこにあったかは別として、教科書検定の実際は、また教委その他の教育管理機構を通しての教師大衆に対する〝指導〟の実際は札つきの右寄りの国語教育理論――解釈学的国語教育の理論による指導方法の指示以外ではなかったわけなのです。
 文学教育研究者集団の結成が、指導要領のいっそうの改悪が実施された一九五八年という年だったということは、だから新参加の会員の方々にもわかってもらえると思うのです。その結成の目的は 、文学教育のロマンティック・エイジを、まっとうにリアリスティック・エイジに発展させることで、文学教育の側面から母国語教育を右寄り改変・改悪から守り抜こうという決意のあらわれだったわけです。

教科構造論への志向

 
決意はたいしたものだったのですが、しかし実際にやれたこと、実践できたことというのは実はあまりそうたいしたことではありませんでした。……という評価は別として、私たちがこの時点でアピールし続けたのは、先刻申しました〝国語教育としての文学教育〟ということでした。
 そのアピールの内容は、(1)文学教育は、その教育活動の内容や性質から言って、国語教育の重要な一環であり側面だ、ということ。したがって、(2)それは、国語科の専売特許ではないけれども、国語科教育のなかにハッキリ市民権を認めてその権利を積極的に行使させるようにしないと、国語科教育や国語教育そのものがダメになってしまう、というようなことでした。つまりは、(3)文学教育を欠いては国語教育は国語教育としての任務を果し得ない、というアピールでした。
 何だ、そんなこと当たり前じゃないか、わざわざアピールするまでもないことじゃないかと、きょう初参加の方々が思われるようでしたら、それは私たちの運動がまんざらムダではなかった、ということになろうかと思います。私たちの〝国語教育としての文学教育〟という提唱は、四面楚歌だったのですから。にもかかわらず、終始一貫してそのことをアピールし続け、まずしい実践ではあるけれどもその実践の成果を次々に提示し続けてきたのですから。
 それに、以前は何となしに使っていた〝文学教育〟という言葉(概念)を体制側では58年前後から意図し意識して使わないように心がけ始めたのですから。〝文学教育〟にかえて使うようになったのは、〝文学教材の読解指導〟という言葉でした。また、〝文学作品の読みかた指導〟という言葉でした。
 ずっと後のことですが、「文学教育というのは、教師の趣味の問題にすぎない。少なくとも、国語科の中には文学教育というようなものはない。」ということを、文部省の役人や指導主事たちが公言するようになりました。たとえば、ここにいる夏目武子さんの文学教育の論文を、当時文部省の教科調査官だった沖山光氏が〝批判〟して、そう書いています。つまり、そういう情勢の中での私たちの〝国語教育としての文学教育〟という提唱だったわけです。
 それだけではありません。これは同士討ちみたいなものですが、(1)文学教育はほんらい芸術教育なのだから国語科から芸術教科へ移籍させるべきだ、という声。それから、(2)文学というものの性質からいって、文学教育というようなものは成り立つはずがない、という文学教育不可能論。――体制側は、何とかして文学教育そのものを国語科から、さらには学校教育の外へ追放しようと企んでいるおりから、私たちとしてはむかっ腹たつやらガックリくるやら……。今だから言いますが、「なんてカンが悪いんだろう、鈍いんだろう」と内心そう思いました。
 が、それはそれとして、国語教育ないし国語科教育のなかに文学教育を位置づけて考えるということを言う以上、私たちは、国語教育構造論ないし国語科構造論(教科構造論)を具体的な形で提起せざるを得ません。これは、光栄ある(?)国語教育のアウトサイダーをもって任じていた私個人にとっては〝無理無体〟以上のものでした。さいわい、国語教育のエクスパートぞろいの文教研のことでしたから、私自身は文字通り討論のアウトサイドにいて、みなさんの構造論への構想論議に耳を傾けることの中で、たっぷり勉強させてもらうことができました。
 その構想の根底にあったものは、人間の体験の日常性・科学性・芸術性の概念でした。体験――それを、行動、行為、実践と言い換えても問題の限りさしつかえないし、その体験を、認識・反映の体験、すなわち現実をある筋道して(論理として)つかみとる体験、というふうにしぼって考えてみてもいいかと思います。科学の論理をくぐり芸術の論理をくぐって日常性の論理を高めて行っている、人間の認識体験のノーマルな現実のありようが、まず、私たちの念頭にありました。
 そのことを言葉操作の問題との関係・関連においてつかみなおし、言葉操作の指導の問題として考えてみた場合、児童・生徒の日常生活における言葉操作のしかたを確実な思考と結びついたものにし、豊かな想像と結びついたものにするためにも、(1)言葉(国語)に関しての科学の論理、同様に(2)言葉に関しての芸術の論理が指導されねばならないというふうに、――当時、私たちは考えたわけでした。国語教育は、国語に関しての論理教育であると、そう考えたのでした。日常性・科学性・芸術性というつかみかたは現在でも変わっていませんが、後に第二信号系の理論に媒介され、さらに言葉操作の問題を文体の問題としてつかみなおすことで、現在私たちが主張しているような構造論へと修正されて行くわけです。
 (国立音楽大学教授)
・1970.1.12 中教審、〈高等教育の改革に関する基本構想試案〉中間報告。(大学多様化、教育と研究の分離、管理権限の集中、など)。

・1970.7.17
 家永三郎の教科書不合格処分取消しの行政訴訟、第一審判決において原告側全面勝訴(杉本判決)。7.24 文部省控訴。

・1970.10.15 文部省、高等学校学習指導要領改定。 


・1971.6.11 中教審、〈今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本施策〉を答申(〈第三の教育改革〉と称する。4・4・6制試行など)。

・1971.6.14 教育制度検討委員会(日教組)、報告書〈日本の教育はどうあるべきか〉を発表(中教審案を全面否定)。


・1974.6.1 学校教育法改正公布(教頭職の法制化)。

・1974.7.16 東京地裁、家永三郎の国家賠償請求訴訟(第1次教科書訴訟)で検定制度は憲法・教育基本法に違反せず、検定内容は一部不当、と判決(高津判決)。双方控訴。


・1975.12.26 文部省、〈主任制〉を公示(’76.3.1実施)。


・1976.5.17 中央教育課程検討委員会(日教組)、教育課程改革試案を公表(〈ゆとりのある授業〉を目指し、総合学習、家庭・技術科の男女共修、授業時数の2~3割削減など)。
1976.12
教育科学・国語教育
第227号
 
《資料33》熊谷孝 「言語の教育と文学教育と」

 領域の改定をどう受けとめるか、というこここでの課題に直接関係するのは、《まとめ》の4〈各教科・科目等の内容〉の中の、
   (1) <各学校段階別の改善の重点項目>
   (2) <各教科・科目別の主な改善事項>
という二つの事項の中の<国語>に関する事項である。
 (1)の<重点事項>のほうは、簡潔で大へんわかりがいい。小学校では「読み書き」の指導に力を入れなさい。また、中学校では「表現力」が生徒の身につくように特に留意して指導しなさい、というのであるから、目標がはっきりしている。
 実は私は、学習指導要領に示される指示内容というものも、いわば、この程度の(というのは言葉のあやだが、ともかく基本的にはこういう性質の)重点目標をはっきりさせた、ドライで、大まかで、あっさりした内容のものであるべきだと、つねひごろ考えている。あとのことは、いっさい、実際に教育に携わる現場の先生方自身の自主的な教科教育の研究と判断にまかせたらいい、と私は考えている。
 ともかく、あまりこまごましたことにまで規制を加えて、教師をティーチング・マシン扱いすると、学校が、教室が人間不在の味気ない、ただの学習塾と化してしまう。「ゆとりのある」「充実した学校生活」はそこからは生まれない。こと、国語科に関していうと、教師は、自分の言語観なり文学観に目つぶしを食わせた格好の、<国語>の授業はできないし、やりようがない、ということなのだ。教師の言語観や文学観にまで規制を加えるような指示や発言は、あくまで避けなければならない。

 というようなことを私がここで言うのは、《審議のまとめ》でいう国語科改定の趣旨が、何か分かったような分からないような、どうとも取れる不明確さを残しているために、それが受けとめ方では上記の現場教師の言語観・文学観の規制、ひいては授業そのものへのマイナスの規制にかわって行くような点がなくはないようにも感じられるからである。
 たとえば、<改善の基本方針>の項に示されているところの、今後、国語科では「言語の教育の立場を一層明確に」して、「表現力を高めるようにする」云々ということなのだが、ここにいう「言語の教育」というのは、具体的にいってどういう内容のものをさしているのか一向に明らかでない。言語の教育とは言語の教育のことだよ、では説明にならない。また、そういう「言語の教育の立場」というのは、どういう立場のことだろう? この点も明らかではない。
 そんな些細なことを気にしなさんな、と言われるかもしれないが、やはり気になるのである。これは決して些細なことではない。現に、先年、《審議の中間まとめ》が発表されたあたりから、次のような議論がジャーナリズムではさかんである。
 たとえば、「今の国語科教育は文学教育をやっているようなもので(ほんとうかしら?)、国語教育になっていない。国語科教育の実をあげるためには、いっぺん文学教育を振り切って言語教育に徹する必要がある。」というのである。で、そのためには、いっそのこと、「国語科を言語教育と文学教育にはっきり分けたらいい。」というのだ。
 また、「用字や仮名づかいがでたらめな文章を書きながら、何が鑑賞だ、感動だ。」というような意見もある。あらかじめお断りしておくが、そういうブンガク教育は、文学教育のマガイモノである。私自身の実感からすれば、ニセモノのおかげでホンモノが非難を蒙っているということになるが、それはともかく、文学教育を締め出すことで成り立つという、そういう言語教育というものが国語教育プロパアだ、というような考え方には我慢ならないのである。

 私が反問したいのは、《審議のまとめ》で言っている「言語の教育」というのは、まさかここでいわれているような意味での言語教育のことではないでしょうね、ということである。また、その「言語の教育の立場」というのは、いわゆる意味の言語教育がやはり国語教育の本筋・本道であって、文学教育は国語教育の付録だ、ただのアクセサリーだと考えるような「立場」のことではまさかありますまいね、ということである。
 どうもその辺のことがはっきりしないと、《まとめ》に対する賛否はいえない。

 私の個人意見だが、<言語教育>だ、<言語の教育>だというふうな言い方をするから紛らわしくなるのだ。国語教育そのものが全体として、<母国語に関しての言語操作の仕方の教育>なのである。その、言語操作の仕方の教育を<言語教育>とか<言語の教育>という呼び方をするとすれば(今いったように、そういう呼び方をすることに私はあまり賛成できないが)、言語教育なり言語の教育が国語教育のいっさいだ、ということになる。典型(フォアビルト)という意味での言語形象以外のものではない文学にかかわるところの教育活動――文学教育は、当然、右に規定したような意味での言語教育の体系的一環だ、ということになるのである。
 で、国語教育が言語操作の仕方の教育活動のひとまとまりの体系だ、ということを前提にして言わせて貰えば、言語機能の構造的本質からいって、国語教育の基礎構造は、
 ① 言語(この場合、母国語としての日本語)の概念的操作の教育活動
 ② 言語(同右)の形象的操作の教育活動
の二側面の統一形態を主軸 としたものである、と考えないわけにはいかなくなる。
 が、これは、国語教育の基礎構造なのであって、国語科としての教科構造はまた別個に考えられなければならない。(私自身はそれを、①文学教育、②文法・音韻・文字の教育、③論理教育の三側面の統一として考えているのだが。)
 で、その教科構造を、<まとめ>のように、表現と理解の二領域、言語事項の一事項として押える、という考え方も十分成り立ちうるわけだ。問題は、右の二領域を側面領域として統一的に押えるという構えがほとんどないにひとしい点である。<改善の具体的事項>を通して読んでみるとよく分かるが、表現(表現の指導)は表現(同上)、理解(理解の指導)は理解(同上)というバラバラ事件を結果している。

 また、そのようにして分割されたそれぞれの領域を、小から中、中から高というタテ系列で見てみると、これはもう説明の章句・用語を替えただけの、同一事項の繰り返しである。そして、ところどころに、「的確な」とか「一層」とか、そういった言葉でアクセントをつけているだけである。
 たとえば、小学校の部で、「文章の叙述に即して内容を読み取る能力」といっていたのを、中学校の同じ<理解>の項では「読解、鑑賞など理解力を養う」といい、高校では「読解及び鑑賞の指導を通して理解力を高める」云々というふうに言い換えている。これではただの“作文”ではないか。何のことはない、小・中・高を<読解><鑑賞>という言葉で通したらよいではないか。また、小・中・高を分けていう必要も、これではないのではないか。
 何とも理解がつかないのは、また、高校の部に至って突如 (突如という感じである) 読みの教材は「すぐれた文章」である必要がある、といっている点だ。小・中学校の教材の文章はまあまあでいい? まさか、である。
 
 
1977.1
機関誌 第99号
《資料34》副委員長 夏目武子 「〈巻頭言〉国語教育課程の新改定に思う」 

 「表現」「理解」――十月七日の朝日新聞は、こんな小見出しで、国語教育に関して教育課程審議会のまとめを要約して紹介していた。その後まもなく、店頭に並べられた教育雑誌十一月号に全文が掲載された。文学教育が国語教育の重要な一側面だという発想がない点では、従来と何ら変わるところがない。
 その後、しばらくして「教育課程基準の改善と新国語教育の課題」(国語教育臨時増刊 '76.12 明治図書)を手にした。何らかの意味で、国語教育に関して一家言をもっておられる41氏が意見を寄せられている。「今度の改善で、理解・表現という国語科の伝統的な考え方に立ち戻った」という全面評価もあれば、二領域・一事項という教科構造を認めた上での部分的批判はあったが、「文学教育」と表題に明示することで、文学教育を問題にされたのは、41氏中、熊谷孝氏だけであった。氏は、国語教育は「母国語に関しての言語操作の仕方の教育」であり、「典型という意味での言語形象以外のものではない文学にかかわる教育活動――文学教育」は、当然、国語教育の体系的一環であると、テーゼを出すことで審議会まとめを批判されている。
 教師も生徒も自分のことば=文体をとりもどすために、私たちは自主編成という形で文学教育に取り組んできた。神奈川県教研で、今年やっと、小学校でも教師が文学教育意識をもつ必要性が確認された。第26次全国教研では、大前提である教科構造論について討論する場がほしい。参加者全員で、文学教育が国語教育にどう位置づくのか、考え合いたいのだ。指導要領改訂期には、便乗主義が横行する。自分の人間を失わないためにも、あらためて自己の言語観・文学観を問いなおす、そんな機会にしたいと思う。

  
 
1977.1
機関誌 第99号
《資料35》教育課程の基準についてを読んで」 

  過日、教育課程審議会から発表になった「教育課程の基準の改善について」(審議会のまとめ)を読んで、会員からたくさんの感想・意見が寄せられた。こゝにその一部を紹介して、読者諸氏の参考に供したい。(編集部)

 10月7日の朝刊に教育課程審議会の「教育課程の基準について」のまとめが発表された。朝の職員室はこの話題でにぎわう。新聞に発表されたのは要点だけであり、まとめの全文を見たいという声が多かったが、学校中どこをさがしてもそれはなかった。第一線で教育にたずさわっている教員が知らないところで、教育内容が決められる、という感が強い。市販の11月号の教育雑誌(10日刊)にまとめの全文がのっており、それを入手することで全貌を知ったという次第だ。
 全文を読んでの感想。なぜ改善しなければならないかの理由が明確でない。従来のものでは、どういう欠陥があるのか、この方向で改めた場合、それが克服できるのか、こういう方向をとったのは、たとえば、民間教育研究の成果をとりいれた結果なのか、周辺諸科学、国語教育の基礎となる学問の新しい成果をとり入れたのか、児童・生徒そのものの変容に対応させるものなのか、その辺を明示する必要があるのではないか。
 指導要領が変わるたびに、教師が納得しないままに、もし自分の教育のあり方を変えるのだとするなら、教育不在と言わなければならない。教師の主体ぬきに教育は考えられないのではないか。
 そのことと関連するのだが、指導要領はもっと大まかなものでよい。このことだけは落さないようにという留意事項というか重点事項だけを示せば事足りると思う。個々の教師の言語観を一方的に規定してしまうことは、教師の意欲をなくすだけで、教育効果はあがらないと思う。
 そうした前提に立ってのことであるが、そして、審議のまとめだけではよくわからないことが多々あるが、現時点で私なりに考えたことを何点か記してみる。
 1 表現を重視することには賛成。だが「表現力を養うための基本的事項を取り上げて構成し」というのは、どういうことを意味するのか、はっきりしない。基本的事項とかあるところからすると予想されることは、現行指導要領の技術主義的言語観――教育観だが、いかがなものだろうか。ことばは発想抜きでは身につけることはできないのに、現行のものは、発想抜きにことばを教えようとしている。
 2 表現と理解の二領域にするということで、一見すっきりした感があるが、表現と理解が別個に並列的におかれている。機械的と言えよう。「ことばの発達は精神の発達と相即的であり、したがって精神の発達をうながすことなしには、ことば操作の次元を高めることが不可能である。たとえば読み(表現理解)の指導の教材には、児童・生徒の成長にとって十分精神の糧となりうるような、すぐれた文体の文章が系統的に選択して与えられねばならないということ、また、その指導は、作品の文章のあり方に即して、そのすぐれた現実把握の発想をつかませることが可能なような文体重視の指導にならなければならない。」(週刊『アルファ』大世界百科)という指摘を賛意をもって紹介したい。現実をみる眼は発想抜きには育たないし、現在はなかなか現実がつかみにくい。マス・コミに飼いならされた紋切り型のことばで表現しても、それは表現という名に価しないと言えよう。「飼いならされた言葉」ではなく「野生のことば」をとりもどすことができるような、ことば操作の仕方を体系的に組織的に指導していく教育活動が国語教育であったはずだ。
 ことばと書いたが、この場合、母国語を意味する。国語教育とは、自国民を学習者対象として、母国語の操作の仕方を習得させる教育活動である。
 表現指導とは、発想づくりのことであり、その発想をことばに定着させることでより確かなものにさせることではないだろうか。
 3 読解・鑑賞が羅列されているが、どういう関係にあるのだろうか。いわゆる説明文は読解で、文学作品は鑑賞というのでもなさそうである。言語観・文学観のちがいが、こうしたところにもあらわれるのだと思う。私は文学作品を文学として読むには鑑賞でなければならないと思う。「文学現象は、歴史社会的現象であるが、鑑賞による形象的認知においてだけ存在するようになる非物理的な実在の現象である。芸術現象・芸術作品というものは、『感動においてのみ認知可能なように創造されたもの』(ランガー)であり、その点が『ごく普通の受け身な認知となる自然界の客体とは違う』点である。」(『文学と教育』98号参照)
 受け手の鑑賞をまってこそ、芸術現象が芸術現象となるという指摘は、文学教育にとっても欠かすことができない視点である。「読解・鑑賞」と羅列するのではなく、この二つがどうちがうのか、どういう意味をもつのかを、明らかにすべきだろう。
 4 言語事項というとらえ方については、教材構造論的視点から考えてみると、国語教育は母国語の教育であり、母国語操作の教育であるわけで、母国語とは、それを用いる国民にとっては、自他・環境の認知を根幹とする国民共通のコミュニケーション・メディアにほかならない。しかも、その母国語のあり方自体が、母国の歴史の反映であり、母国の文化の基本的・基礎的一環であるという見地に立って、指導がいとなまれなければならないといえるだろう。母国語を身につけさせるための教材編成の基準も母国の文化の健康な面を児童・生徒の意識内容に反映させることが可能なような文体のある文章(作品)の選択ということが前提である。国語教育全体が母国語という言語の教育なのである。文法教育だけが言語教育であるとせまくとらえたくない。(T・N)

〇「教育課程の基準の改善について」を読んで――小学校の場合
 1 改善の方針」について
 今までの教育が「ともすれば知識の伝達にかたよって」いたことを改め、「自ら考え正しく判断する力を養う教育への質的転換を図る」とうたっている。が、それが「改善の重点項目」になると、ア、「……道徳的実践力を一層高める。」 イ、「……体力の向上を図る。」 ウ、「読み書きや計算などの基礎的な能力を確実に身につけるようにする。」 そして、エ、「我が国及び郷土の自然や歴史に対する関心を深め……」とつづく。
 「正しい判断力」も、こうしたワク組みのなかでの読み書きであり、思考や認識を育てる母国語の教育としては位置づかない。
 2 国語科の「改善事項」について
 内容を、二領域一事項に整理したという。が、「表現」の領域では「文章の叙述に即して内容を汲み取る」ことに重点をおき、「読書力」を高めることに発展させるとなっている。現行の指導要領から「聞く」をカットしたにすぎないように思う。
 「言語事項」については「発音・文字・文法」という註がついてはいる。が、この註だけでは、さっぱり要領を得ない。
 結局、どこを改善(?)したのか、どこが変ったのかさえ分からない。
 わかるのは、次のようなことだけだ。前記「道徳的な実践力」や「我が国及び……」と結びついた指導要領になり、そうした教材が盛り込まれた教科書が作られるに違いないということだ。そして、たとえば「読み取る」ということも、そうした教材の追体験的な読み方指導を、ということだろう。戦前・戦中への逆行でしかない。
 3 現場の悩みは別のところに
 小学校、特に未分化の発達段階にある低学年を担任して苦労するのは、友だちの意見や考え方をどう聞き、自分のそれと対比し、発想を組み変えていかせるか、ということにある。つまり、話し合い(、、、、)をどう組織化するかということだ。そうした組織化が前提にあって、総ての学習活動は保障される。
 「聞く」という言葉がないということを指摘したいのではない。「聞き方指導」という言葉があったとしても、この「改善について」の発想の中に位置づけるなら「聞きとりあそび」とか「ことばリレー」といった現行の教材と変わらないものになるだろう。そうではなくて、子どもの発達観や言語観に問題があるということを指摘したいのである。小学校6年間をひとくくりにしたり、伝え合い(、、、、)という考え方の欠落した言語観に問題があるということだ。(T・ F)

〇克服されてない言語技術主義
 全体として、<教育の自主編成>という視点、<国民の教育権>という視点の完全な欠落、<道徳教育>の強調にみられるような体制ベッタリの発想、現在の受験教育体制を前提とした姿勢、それにもとづく改善案(?)に過ぎない。
 国語科の場合
 1 小学校から高校まで一貫して、国語教育によって生徒の<表現力>と<理解力>を高めていくことが強調されている。だが、ここではどういう発想でものを考え、表現する生徒に、生徒一人一人を成長させていくか、という指導は全くない。発想との関連で言葉を問題にするのではなくて、<理解力><表現力>一般が問題にされているのだ。<表現>ということは、ここではしたがって発想ぬきの<上手ないいまわし>ということになってしまい、<認識>との関連が断たれ、また、真に個性的な<文体>を生徒一人一人に確立していくという方向も見失われる。<理解力>という点でも、ここで目指されているのは結局のところ<文章の叙述に即して……>といえば、きこえはいいが、その実態は、段落分けをして要旨をまとめるということに過ぎないのだろう。生徒の発想をすぐれた発想に貫かれた文体のある文章との格闘をとおして、高めていくという視点は全くここにない。言語技術主義に立った国語教育観がその根底にある。
 2 上記のような姿勢から、必然的に文学教育への全くの無視が生まれる。そのかわりのように<言語に関する事項(発音・文字・文法)>の<系統的指導>が強調されている。言語の基礎を<発音・文字・文法>とおさえ、それを知っておくことは、上記の表現の仕方、理解の仕方に役立つから重視する、そういう重視の仕方なのだ。言葉の静的な姿としての記号性の面だけの言語の把握が、言葉の生き生きとした動的な姿、つまり信号としての言語の面を無視して強調されても、真に表現にも、理解にも役立つものにならないだろう。<文法>などの重要性は信号としての言語操作を生活に身につけさせるための支えとしての重要性であるはずである。
 3 高校の部分で、<教材が基本的な古典の文章及び近代以降のすぐれた文章に精選されるように>とあるが、<基本的>とか<すぐれた>とかはいったい誰が決めるのだろうか。また、たとえ<すぐれた文章>であっても、1 や 2 でのべたような点からの扱いでは、つまり、<文体>という視点で文章をみていないのであるから、全く意味をなさない。
 <現代文>にしても、<読書の態度を身につけさせる>ために<文芸作品等>の<ある程度まとまった分量>を読ませるということだが、文芸作品を読ませるということがここではアクセサリーとしての<読書の態度>を身につけるための手段程度の位置づけしか与えられていない。(M・I)

〇<まとめ>についてのメモ
 1 教育の原点に関して
 道徳教育観に問題がある。<労働>ではなくて<勤労>の尊重であり、人間の尊厳なり民族の誇りに気づかせるというより「人間の力を超えたものに対する畏敬の念を育成する」という。
 2 母国語観に関して
 <民族の共通信号>としての母国語という視点から国語教育を構想していない。日本語そのものの体系的な知識といっても、それは文法、語句、文字、音声などの相乗的な世界にとどまる。この点、多数の民間教育団体の発想と共軛し、共通する。したがって、表現と理解といっても、内部コミュニケーションを支えとする相互の伝えあいという発想が欠如している。
 3 文学教育に関して
 母国語教育としての文学教育という発想を欠くゆえに、鑑賞のいとなみも、読解のレヴェルで片づけられている。言葉の形象的操作の訓練こそ、母国語教育の重要な一面であるという認識がゼロに近い。また、言語と文体という切り口で考えようともしないから、教材化の視点が明確になってこないのである。
 4 時間数に関して
 国語教育において何を教えるか、という明確な問い直しのないまゝに、時間数の減少が問題にされている。
 5 発達に関して
 コミュニケーション理論ないしイマジネーション理論を持たぬから、発達に即し発達を促すという側面から、母国語教育のそれぞれの段階における基本的課題が見えてこない。(Y・A)
  
  
 1977.8
機関誌 第101号
《資料36》熊谷孝 「文学の創造と文学教育――テスト体制下の国語教育と文学教育 

 (…)
 1.文学創造の論理を把握することが先決……
 当日、話題にしたいと思っていることの基本・基調の一つは、サブ=タイトルに書き付けたように、<テスト体制下の国語教育と文学教育>というような点について、であります。その点について考えてゆくことが実は、メイン=タイトルの<文学の創造と文学教育との関連>というテーマにつながってゆくように思うのです。
 文学の創造と文学教育との関連云々、というのは、<創造の完結者としての鑑賞者=読者>
(注)、それもすぐれた完結者としての読者(=受け手、送り手の内なる受け手をも含めての受け手)を創り出すことが文学教育の主要な任務だ、と僕は考えているものですから、それでは一体、<創造>といい<創造の完結>というのは具体的にどういうことであるのかを考えてみよう、ということで与えたタイトルだということになります。
 サブ=タイトルで示したような問題の追求が、このメイン=タイトルの問題につながってゆくと申しましたのは、今日のテスト体制下の(そしてテスト体制の論理と表裏一体の関係に立つところの)えせ(・・)文学教育や、文学作品の読み方指導などの発想が、文学創造の論理(=文学の論理)のつかみそこねによって導かれている面が大きいからであります。文学の論理のつかみそこねや、ねじ曲げによって導かれているその発想、教育の発想が、現実の事実としてどんなに非教育的な内容のものになっているかを、この際、具体的に指摘しておきたいと思うのです。
   
(注)創造の完結者としての鑑賞者――小著『芸術の論理』その第一部の各章参照。

 
2. 分業に責任を持つ、ということ
 右に述べたようなことと併せて、やはり基本・基調になる問題、話題は、先ごろ来トピックになっている学制・教育課程・入試システムなどの改善の問題について、であります。いや、そんな大仰な問題は、僕みたいな教育問題のアウトサイダアにはわかりかねることだらけなのですけれども、ただ、そんなアマチュアの僕にも言えることは、文学教育研究者集団のメンバーの一人として、文学教育の実際に携わっている者の側からの批判を代表する、という形の発言です。
 文学教育の今日の全般的な不毛と未成熟――という以上に、せっかく伸びかけた芽が片っぱしから踏みにじられ刈り取られている現状は、この入試ということと大きく関係しているからです。また、この教育課程や学制のありかたと深く関係しているからです。僕にだって発言権はある、と言ったのは、たとえばそういう理由からでもあります。
 「すべての教科、すべての分野に万事好都合に、公平にいっているというようなカリキュラムの編成というのは、できる道理がないではないか。どういじってみたところで一長一短……。教育全体の立場に立って、細かいことはガマンして貰わなくては……」というような発言も、時折り耳にします。
 お前の発言は教科セクトだ、いや文学教育セクトだ、と直接ひとから言われたこともあります。
 細かいことだ、セクトだ、云々。違うんじゃないでしょうか。部分部分にガタが来ていて、あるいはどの部分かにポッカリ大穴があいていて、何で全体がうまくゆくものですか。
 教科相互の関係は、また教科内各分野相互の関係は、分業による協業の関係です。分業による協業という形で、教科外活動という形の分業の協力をも得て、そこに学校教育という統一的全体が成り立つわけです。その場合、どの教科においてか、分業が分業としての責任を果たし得ないような状況・状態がつくり出されているとすれば、学校教育そのものにひずみをもたらすことは必至です。いいかえれば、学校教育が児童・生徒を人間のオシャカにしてしまう、ということ以外ではありません。
 「ここは御国を何百里」に始まる旧い軍歌の歌詞ではありませんが、「これが見捨てておかりょうか」であります。いや、黙っていられるか、であります。
 どの教科か、その教科内にひずみやゆがみがあったとしても、それは必要悪であってやむを得ないことだ式の、教育の論理を無視し子どもを見殺しにした、テスト体制擁護の教育課程論に対して、今こそ教科教育の立場からの批判・告発が必要なときなんだと、僕は考えます。

 3. テスト体制下の文学教育(一)
 テスト体制、云々。それは、ある意味では文学教育以前の問題です。しかし、学校文学教育ないし国語科文学教育にとっては、文学教育自体の問題なのであります。
 文学教育の場はけっして何も学校とか、教科とか、そうしたことに限定されるものではありません。(その点については、たとえば本誌本号別項の「文学教育運動への道」など参照。)が、しかし、何といってもその主要な活動の場は国語科という教科、国語の教室なのであります。
 そういうことを思ってみますと、テスト体制にがんじがらめにされているいまの学校教育の中で、教師=教師集団がテスト体制そのものに対して現実にどういう姿勢をとり、どういう行動を選びとるかが文学教育の実現を可能にもし、また文学教育の不毛・不在をそこに結果する、という関係に自然目が向くわけなのであります。もともと、文学教育は、テスト体制を否定する構えにおいてのみ成り立つ(あるいは実現可能な)教育活動にほかならないからなのであります。

 4. テスト体制下の文学教育(二) 〝文学作品の読み方指導〟批判
 国語の授業の中で行なわれる、いわゆる文学の授業についてなのですが、それを例の<文学作品の読み方指導>ないし<読解指導>の枠組みにおいて実施するというのでしたら、それはもうテスト体制(テスト体制の論理)と何の牴触もなくやれると思うのです。が、それは、文学教育ではありません。
 この読み方指導の発想が、文学教育本来の発想と矛盾・対立することで、テスト体制=テスト教育の論理につながっている、といいますのは、たとえば次のようなことです。

 日教組全国教研での幾つかの報告例などについてみますと、読み方指導の発想によって行なわれている<文学の授業>の実際の内容は、
    教材作品について、この作品の主題は何、副主題は何と何、その感動点はどことどこ、それから作者の意図は何々、というように、教師があらかじめ解答(・・)を用意しておいて、 
    それを、たとえば、描写形象の読み(一次読み)、表現形象の読み(二次読み)、主題の読み、という三段階の読みの指導の手続きを通って、 
  
 唯一絶対の正解(・・)である右の①の解答(・・)へと生徒を到達(・・)させる、というようなことです。
というようなことです。
 また、そこのところで、<到達目標>とか<わかる授業>とかいろいろなことが言われているわけなのですが、それの具体的な内容は、いま指摘したことに尽きているようです。
    つまり、そこにいう「到達目標を明確にした、わかる授業」という場合の到達目標云々ということですが、それは、教材作品に関して、教師がそのように(・・・・・)理解したという限りでの解答(注)を、唯一絶対の正解として、その解答への一致(・・・・・・・・)を生徒に対して求める、ということ以外ではなさそうです。 
    そこには、学習者の鑑賞の自由も、主体的な判断の自由もありません。何しろ、教師の解釈(・・)によって導かれた解答が、(いわば2プラス3は5だというのが正解であるのと同じように)唯一絶対の正解(・・)だというわけなのですから。
  
 ですから、、また、「わかる授業」というのも結局、この一つの正解(と称するもの)へ向けて、「わかりやすく」絵解き(・・・)して生徒にのみ込ませる(強引に説得する)作業にほかなりません。つまり、「落ちこぼれなく」、一律に、生徒に、うん、と言わせる作業のことなのであります。      

  どうなんでしょう、一つの正解をあらかじめ用意しておいて、ちゃんとした答を出せるか、出せないとしてもどの程度に「わかっているか」、全然ペケか、ということで選別してゆくやり方こそが、まさにテスト教育プロパアな方法ではありませんか。いや、それは違う、落ちこぼれ(・・・・・)を出さないようにすることがここでの指導目標になっている、と強弁するかもしれませんが、塾や予備校だって、落ちこぼれなく試験に合格させるということを宣伝文句に生徒募集を行なっているではありませんか。
 つまり、何が正解なのかよく考えてみないとわからないようなことは取りあげないことにして、答(=正解と称するもの)が出ている事柄に教授・学習対象を限定して、ドリル学習の形で、その正解と信じられているものへ向けて、わかれ、わかれ、と生徒をしごくというのがテスト教育のテスト教育たるゆえんでしょう。でしたら読み方指導方式のこの<ブンガクの授業>も、教師自身の主観的意図がどうあれ、その本質はテスト教育と少しも変わりがないではありませんか。
   
(注)教師がそのように理解したという限りでの解答、云々――その具体例については、「文学と教育」91号所掲の夏目武子氏の論文「到達目標でいいのか」を参照。特にその23~24ページの、黒島伝治『二銭銅貨』の主題に関する読みかた指導への批判は注目に値いします。なお、この項の僕の叙述は、右の夏目論文に負うところが大きい、ということを言い添えます。

 5. テスト教育方式の新学習指導要領案 
 文部省の新学習指導要領案は、もともとテスト体制の胎内から生まれたテスト教育方式のカリキュラム案、指導案なのですから、一つの正解は出しにくいような(もしも出したら自壊作用を結果するような)公害問題などについての学習指導は、障らぬ神で避けて通る、というカリキュラムを打ち出しています。直接、国語科についていえば、文学教育は敬遠です。敬遠(・・)かどうかわかりませんが、用語としても〝文学教育〟というような言葉を使うことは避けて、また用語の問題としてだけではなしに、実質的にも、主題が何、感動点はここ、と一つの正解が出せる(?)読み方指導(読解指導)方式の文学の授業の採用を提示(=指示)しております。
 先生も気の毒なら、生徒諸君も気の毒です。以前もそうだったけれども今後とも、文学の授業は一向に「改善」されないのです。扱う文学作品に関して、教師は、到達目標を明確にするという大義名分に縛られて一つの正解を用意してそこへ生徒の理解を、落ちこぼれなく(・・・・・・・)追い込まなくてはなりません。生徒の方はまた、なぜ自分の実感を自己否定しなければならないのか納得のいかないまま、教師の言いなりに、「この作品のここのところは、すごく感動的でえーす」というふうに答えないと、いい点が貰えません。内申書のことを考えると、自分の実感はぐっと抑えて、ということになります。どうも、大へんなブンガクの授業です。
 もっとも、これは、先生方が学習指導要領に順応してたてまえ通りにやればの話です。たてまえと本音(ほんね)は別、というのが一般ですが、本音イコールたてまえという形で、〝一つの正解〟を生徒に押しつけるような教師も、数多い教師の中にはいないこともないようです。文学教育を否定して、文学作品の読み方指導を主張する一群の教師たちです。自分の政治的・教育的イデオロギーと、自分自身の実際の教育理論や教育実践との矛盾・自己矛盾です。

 何でこんな指導要領改定案が評判がいいのか、僕には理解がつきません。いけないのは、君が代を国歌だと言ってる点だ、公害問題をはずしたことだ、あとは大体まあまあだ、といった見解や意見が民間教育の側でも通り相場になっているというのは、僕にとっては解(げ)せないことの一つです(7月27日校正の折り加筆。/世論に押され公害問題復活の由。指導要領の声価、倍増か。)
 決して文学教育セクトで言うんじゃありません。国語科における文学教育疎外――このことを何とも感じないというセンスは、狂ってる。テスト体制の論理を、頭で否定しながら、それに胸をむしばまれ足を食われて、動きがとれなくなっている状態としか思われません。何年にも、<文学教育・文学作品の読み方指導>という柱が日教組全国教研の討議の柱立てとして行なわれていることなども、水と油どころか、火に油、あるいは火に水みたいなものでして、ヘンな燃え方をするか、せっかく燃え上がろうとする火を消してしまうか、奇妙きてれつ(・・・・)な組み合わせだと思うのです。


 6. 読み方指導的発想による文学の授業に対する、現場内外からの批判(資料)(…)

7. ブンガク=芸術はアピアランスだ(…)
 8. 移調・変形による自我のつかみ直し
(…)
  
1977.7.23 文部省、小・中学校の学習指導要領改正。小学校算数で〈集合〉を削除、中学校1・2年の英語を周時限とするなど教科の内容・時間を削減、〈ゆとり〉志向。また、音楽で〈君が代〉を国歌と規定、問題化。 

・1977.9.22 文部省、教科用図書検定規則改定。義務教育諸学校教科用図書検定基準改定(20年ぶりの改定)。

・1978 文部省、高校の学習指導要領改正を告示。  
1980.8
機関誌 第113号
《資料37》熊谷孝 「文学の授業――その創造と変革への道すじ」(広島講演)

 (…)
教師論・授業者論の視点から
 
 さて、今日の話題は、<授業>一般との関連の中で、とりわけ<文学の授業>の<何>と<いかに>について考え合ってみることです。
 その<何>と<いかに>を、さっき夏目(武子)さんがコメントを添えながら読んでくださった、きょうの講演レジュメの(一)ですね、そのレジュメに書きつけておきましたような<教師論>の問題として考え合ってみよう、ということなのです。つまりは<授業者としての教師の人間主体>という側面から、授業というものを、また文学の授業のありようを問い直そう、ということなのですが……。
 問い直す? 実は、問うとか問い続けるというべきなのでしょう。いえ、そういうことであって欲しいものだ、と思うのですよ。
 だって、そうでしょう。およそ教育のいとなみは、教師の人間主体を通してのみ、良くも悪くも結果し実現するものなわけなんですから、その人間主体を問い詰めるということが、そのことが授業論の唯一の基本的な視点であるはずなのですよ。
 ところが、今の授業論では教師の人間を問うことが忘れられている。そこに問われているのは、教師の人間を素通りしたかたちの手段・方法、あるいは技術のことでしかない。そこでは、授業の<何>はすでに自明のこととして不問に付されているということなわけなんですが、<何>を素通りして<いかに>を、つまりは授業の対象や目的とするところのものの意味なり価値を問うことをしないで、いわば他から与えられた目的を実現する手段・方法をただひたすら問題にしている、という格好です。
 こんなことでいいんでしょうか。
 <何>と<いかに>との関係は、いいかえれば、<対象>と<方法>との関係、<目的>と<手段>との関係は、もともと目的がそこに前提としてあっての、その目的を実現するための手段であり、手段を組むということ以外ではないはずです。
 そこで、手段の価値は目的の価値に従属する、ということになるわけなのであります。
 授業目的を設定するということは、そこで価値観・価値意識においてその目的を選定し設定する、ということにほかならないわけです。
 また、ある価値観に立って選ぶ、決めるということは……それは以前に、あるものにプラスの価値を見つけ、あるものに価値を感じないという、その教師の対現実的な発想のありかたにかかわる事柄なわけでしょう。この対現実的な発想というのは、教師としてのそれであるという以上に、市民としてのと言ったらいいのか、究極においてひとりの人間としての全人間的な発想(・・・・・・・)なわけでしょう。
 それは全人間的な発想なのですから、個々の具体的な現実面についていいますと、その発想は政治へむけての発想であったり、文学・芸術へ向けての発想であったり、スポーツ・娯楽へ向けての発想であったり、それこそ教育や教育問題へ向けての発想であったり、というわけなのですね。
 それが全人間的な発想であるという限りにおいて、その教師の対政治的な発想・姿勢と、対教育的な発想とが、持続的なメンタリティーの問題として相関的・相即的な関係を示しているのが、まず普通だと考えられるわけです。ちなみに、この持続的なメンタリティーのことを、プシコ(心理)イデオロギーと呼ぶわけなのですが、たとえば右寄りのイデオロギーの持ちぬしである教師のほとんどが、いまの教育課程の積極的な支持者であったり、あるいは、もっと右寄りのものであることを教育課程に要求している、というのなんかは、彼らのメンタリティー、プシコ・イデオロギーからいって当然のことでしょうね。
 ところが、平和憲法、憲法第九条を是としているような教師が、また反安保のデモなんかにも積極的に参加しているような教師が、授業者としての教育実践面ではあっさり今の教育課程――学習指導要領に屈服しているような例があまりにも多いのですよ。それが節をまげてそういうふうにやっている、というんじゃなくて、はっきり言いますが無知のせいで、あるいは不勉強のせいでそういう結果になっている、というケースが少なくない。そういうことが国語科の場合に少なくない、というのは、どう考えたらいいのでしょうか。

授業の場に教師の人間が息づいていない
 今の多くの教育現場の実情は、授業の場に教師の人間が息づいていない。教師の人間不在の教室をそこ、ここに見受けます。他教科のことはよくは知りませんが、自分がタッチするような機会が多いせいか、国語の教室、国語の授業の場合に特にそのことを感じます。
 これは小学校の先生の場合ですが、他の教科を教えている時には割り合いノンビリとやっているその先生が、国語の授業をやるとなると方法主義者、技術主義者に変身する、というような例が少なくありません。どうしてなんでしょうか。
 小中学校の先生を読者対象にした国語教育の専門誌などを見ますと、よくもまあ飽きもしないで、と私なんか思うんですけれども、毎号毎号、こういう指導手順でやれば学習指導要領の、文部省の思し召しにかなう、うまい授業(・・・・・)ができますよ、というオタスケじいさんのご託宣が掲載・連載されている。
 また、オタスケじいさんのおっしゃる通りのことに多少自分の創意工夫を加味してみたら、それはもう授業がとてもうまくいった、何しろ生徒たちの目がキラキラ輝いてね、といった、実践報告と称する自慢話が毎号満載されているのが、今の御用国語教育雑誌の実態ですね。
 あんな雑誌を有難がって読むのはどうかしてる、と内心そう思うんですが、それが何万部という万単位で売れ行きを示しているんだそうですから、需要あっての供給、そんなことを公言したら、大方の現場人からフクロ叩きにあいそうでして、ダンマリをきめ込むほかはありません。ひどくハラ立たしいのですけれども……。

人間不在の方法主義
 ともかく、そういうことなのでして、教育ジャーナリズムの場でも、実際の授業の場でも今ハバを利かせているのは、方法主義であり技術主義なわけです。方法・手段・技術というものが、教師の人間主体を素通りした格好で独り歩きしている。技術主義・方法主義の横行バッコです。
 授業の主体であるはずの教師は、そこでは、将棋にたとえていえば、自分で頭を使ってコマを動かす棋士であるよりは、棋士の発想・技術に奉仕する只のコマとして位置づけられているわけです。あるいは、教師が自分をそう位置づけている、という場合が少なくない。
 ただ、コマにも棋士にとって使いいいコマと、使いにくいコマがある。オタスケじいさん方式の発想に従って考える限り、教師に対して要求されますのは、すすんでみずから使いいいコマになることです。
 もっとも、これは比喩です。比喩には比喩の限界があります。でありますからして比喩を離れて申しますと、このオタスケじさん方式の国語教育理論が教師に対して求めていることは、教師その人が自分の意思において方法主義の信奉者の道を選び取るような、そういうメンタリティーの持ちぬしとなることであります。指導要領や指導書の指示するような授業を続けていたら児童や生徒は先行きどうなるか、などとユメユメ疑ってはならない。オタスケじいさん理論が要求しているのは、教師が懐疑を知らぬ人になることであります。
 そこで、なのです。授業。授業と自明のことのように言われている授業というのは一体何なのか、ということですね。授業という以上、それは何かを教えることなんでしょうが、一体どういうことを、どう教えることなのか、ということを改めて問い直す必要が生じてまいります。
 それに、教えるというのは一体どういうことをさすのか、ということもですね。教えるというのは反面、学習者に学力をつけるということなんでしょうが、学力一般なんてどこにもありはしない。学校の授業で身につけさせる学力というのは、どういう学力なのか、いやそれはどういう内容的性質の学力でなければならないのか、ということですね。そういうことを問い直す必要がある。
 究極において、授業における教師主体の位置づけ方というか、教師自身の全人的な、また教育へむけての発想が問い直されることの必要が、いまや最も実践的な問題として生じて来ているわけなのであります。その辺のことに関係して、これから、東京の明星学園高校の黒川実さんに、今年の第29次全国教研に参加して実感されたことをお話しいただこうと思います。黒川さん、どうかよろしく。  
 (注/黒川氏の談話概要については、本誌112号所掲の同氏の「第29次日教組全国教研を傍聴して」を参照していただきたい。)

いい授業と、うまい授業
 今の黒川さんのご指摘を踏まえながら話を先へ進めたいと思いますが、日教組全国教研――といっても国語分科会の場合ですけれども、そこで考えられているところの、いい授業(・・・・)というのが、実は単に「イデオロギー主義的な、教科の論理を無視した生活指導的なもの」であるような場合が必ずしも例外ではなかった、むしろそれが他教科の分科会とは違って主流であった、という黒川さんの報告でした。
 だからして、それは母国語や、母国語文化としての文学を教えようとしているのか、それともただイデオロギー面で肯定できるような作品を材料に使って生活指導をやろうとしているのか、わけがわからない、というご指摘でもあったように思います。

 これは私の考えなんですが、文学作品を生活指導に役立てるということ自体はおおいに結構だと思うんです。また、それを、歴史教育の教材として使う……そうなくちゃならない、とさえ考えております。
 問題は、その場合の、文学の論理の無視という点にあるわけです。本当は、無視(・・)ではなくて無知(・・)のせいだと私は判断するわけなんですけれども、たとえばある歴史教科書では、日本近世町人の金(かね)の亡者的エゴイズムの一面を説明する際に、そういう町人の姿を現実的・肯定的に描いた作家として井原西鶴の名や作品名を挙げているのなどは、これはもう無知の極みというか、虚構とか典型化の何たるかをわきまえない、文学の論理の無視、無知ですね。
 西鶴が語りかけているのは、エゴイストとして振舞う以外に生きることのできない自分たちの苦悩を、笑いの中につき放すかたちで表現するという、そういうことにかかわる何かなのでしょうね。歴史学者のつかみかたには、何か作中人物のセリフや行動が作者西鶴の行動の代行だみたいな、文学以前、文学の論理以前の素材主義的な作品ハアクがあるわけなんです、この場合はということなのですけれども。ただし、そういう傾向が全般的にあることは確かなようです。
 ところで、さっきの黒川さんの批判は、他教科の場合ではなくて国語科の内側にそれが見られる。ばかりか、素材主義的・イデオロギー主義的な作品把握によるブンガクの授業が、いい授業(・・・・)だとして評価されていることへの黒川さんの批判でした。おっしゃるように、これはひどい。ひどすぎます。

 が、もっとひどいのは、カッコつきのそのいい授業(・・・・)いい授業(・・・・)としてスッポリ肯定した上で、それをさらにうまい授業(・・・・)(つまり、よくてうまい授業)として定着させるために、授業の到達目標(・・・・)というのを決めておいて、各教師をその目標へ向けて一斉にスタートさせる、というようなやりかたです。これで文学の授業が実現するのか? 
 そこでは、文学作品には主題・副主題・理想というものがあって、この作品の場合の主題は何、副主題は何というふうな取り決め(・・・・)が行なわれ、そのそれぞれの項目についての一つの正解へ向けて学習者を誘導するのが、授業の目的であり教師の任務だとされているわけです。

 
正解は一つ、その一つの正解はわが胸中にあり、と教師が胸を張って授業をやれるようにするために、到達目標(・・・・)という名前の模範解答集(・・・・・)が必要になって来るのです。
 また、どんな教師がその作品を扱おうと、生徒がまた、どのような生徒であろうと、授業の到達点は一つだということを保障するために、一定の到達目標の設定ということにもなっているらしいのです。
 どうもここまで来ると生徒不在の授業論という印象になりますが、それはそれとして、こうした授業の発想は、テスト体制下の教育発想と矛盾するところのない、○×教育の発想そのものです。しかも、そこで○とされているものが果たして○であるのか、×とされているものが、果たして×だと言い切れるのか、懐疑は全くそこにないのか、ともあれ私なんかにはとうてい理解しかねる文学授業論であります。こんな授業論、イヌに食われろ、であります。

(以下、 オール5と落ちこぼれと/国語教育とは何か/教室でしか学べないことをやるのが授業というものだ/言葉は辞書の中では眠りに就いている/原田先生の『最後の授業』論/教師の文学観と作品論を確かなものに/アメル先生後日譚 と続く)
 
  
1981.8
機関誌 第117号
《資料38》声明 「〝偏向教科書キャンペーン〟に抗して
            ―
自主編成の発想にたつ持続的・日常的な教育活動を
 
                              1981年7月11日 文学教育研究者集団常任委員会

 ’81・7・10付朝日新聞は、九日に終わった高校教科書の検定の模様を伝えている。「検定終了後の記者会見で、文部省教科書検定課が、文部省みずから、検定項目について、教科書会社に対し、一律に厳しく強い〝指示〟をした事実を認めた。」ということだ。また「高校『現代社会』の検定の〝基準〟が、政・財・官界の偏向教科書キャンペーンが掲げた〝批判条項〟と、ウリ二つといっていいほど似ている」ということだ。
 四月末以降の新聞の投書欄等に、政権政党が教育内容に介入することへの抗議が目立った。また、各地域の声を反映してか、各県の教育長ですら、その多くは、教科書の広域採択制度に疑問を抱き、教科書を政争の具にすることを憂慮しているということだ。文部省が検定した教科書に自民党が文句を言うという矛盾も指摘されていた。さまざまな抗議を一切無視し、また、その矛盾を異例と言える露骨な検定をする形で解消させた。文部省は、教育行政機関としての責任を放棄し、新しいタイプのファシズムを標榜する自民党タカ派の巣窟となりはてたことを、みずから証明したと言えよう。
 こうした教育の危機に対し、私たちが明確な危機意識を待ったならば、相対主義的な態度や傍観者的な態度でおられるはずはない。教師の抗議は、日常的な教育活動の中で、おしつけられた〝既成事実〟を返上するまで、持続的に続けられなければならない。そのためにこそ、日常的な教育活動を意識的にとらえ直し、教育の原点に立ち返って、理論的に整理することを提言したい。
 検定教科書という既成事実に呪縛され、本来、「教科書()教える」はずのものが、「教科書()教える」ことにすりかえられてはいないだろうか。文部省は指導要領改定のたびにその拘束性を強め、管理体制を強化し、教材選択権を制限しておきながら、「自由新報」ではぬけぬけと次のような暴言を吐く。「いまの法律は、小・中・高の教育では〝教科書を使わなければならない〟と義務づけてはいるものの、格別教科書が唯一絶対の教材だとは規定していない。つまり、教科書を〝一種の教材〟とみなし、教育の基本さえふみはずさなければ、教科書を超えた応用自在の教育をしても差しつかえがないというものである。だが、残念なことには、実力のない教師たちは、ただひたすら教科書にしがみつき、教科書を教えるのに汲汲としているのが実情である。」と。教師の『教科書信仰」が絶対であるから、文部省と日教組の〝教科書争奪戦〟が演じられるのだと言うのだ。教育がこんなに近視眼的にとらえられてよいのであろうか。教師がこんなに愚弄されてよいのだろうか。
 教師にむけられたこの汚名を即刻返上しようではないか。〝教科書を超えた応用自在の教育〟に取り組もうではないか。
 〝教科書〟の呪縛から解放されるには、自己の教育論の確立が必要であることを、私たちは実践的につかむことができた。国語教育は、ことば=母国語文化による人間形成という側面を分担する。自分がこの歴史社会に生き、歴史社会を創り上げてゆく人間として、自分自身が人間であることのために欠くことのできない、人間性に根ざす基本的な発想、あるいは発想の基本を、国語教育は、学習者の精神の発達を促す形ではぐくむ。そうした、地味な根気のいる、また、ごまかしのきかない持続的な教育活動である。それは、教師の主体を通さないかぎり、実現できないはずのものだ。教師その人の母国語文化への愛情が、国語教育のあり方を決定するゆえんである。
 私たちは、母国語文化への愛情から、「文学史を教師の手に」とりもどす共同研究、共同作業に長い間とりくんでいる。そうした共同作業に支えられて、小学校から大学まで、一貫した形での自主編成をめざしている。自主編成の発想に立ったとき、現行の教科書の問題点が見えてくる。
 今回話題にのぼった『大きなかぶ』『かさじぞう』も、母国語文化の問題としてとらえ、教材化の視点を明確にして、教科書に位置づけ直したらどうだろうか。教科書ではこれらの作品が文学作品として位置づけられているだろうか。翻訳あるいは再話である以上、その文体が、すでに訳出されている絵本の文体と比較して、もっともすぐれたものであるか、検討されねばならない。「自由新報」では『大きなかぶ』をソ連の民話ととらえ中傷している。ある民族の間に長い間あたためられてきた民話は、インターナショナルな普遍性を実現している。そのインターナショナルなものを媒介することで母国語文化はより豊かになる。訳文がすぐれた日本語になり得ている場合、それは日本文学と考えてさしつかえない。だからこそ、私たちは教材化しようとしているのではないだろうか。私たちの民族の間に語り継がれてきた民話の中に、現在失われつつある体験を見出した時、民話のリズムをもっともいかした文体の作品を選んで教材化する。『かさじぞう』を「暗い」という理由で抹殺しようとする文学観こそ偏っていると言えないだろうか。
 教師の抗議行動は、日常的な教育活動の中で、ねばり強く持続的に続けられ、その中で、自分をも鍛えて行くものでなければならない。
  
・1981.6.21 光村図書出版、自民党らが〈偏向教材〉と批判し、一旦差替えを決定した小学校国語教科書所収の〈かさこ地ぞう〉〈おおきなかぶ〉など差替えないと決定。  


・1982.6.26 新聞各紙、明春から使用の高校と小学校用教科書の文部省検定結果を報道(社会科で〈侵略〉を〈進出〉に、天皇記述への敬語使用、国民の義務の強調など)。


・1983.6.30 中教審、〈教科書の在り方について〉答申(都道府県教委に採択権付与、採択区域の拡大、検定結果の一部公表など)。


・1983.6.30 文部省、’84年度しようの中・高教科書の検定結果と検定意見の一部を初めて公表(〈侵略〉表現、反核・軍縮・自衛隊など)。

1981.11
機関誌 第118号
《資料39》「教育への不当な介入に抗議する」

  教師の人間が息づかない教育は、教育ではない。その、教師の主体的、創造的な実践活動を、管理と統制の強化で剥奪してきたのが、自民党ならびに文部省である。
 われわれ文学教育研究者集団は、〝教師の人間を欠けた教育実践〟を合い言葉に、研究をつづけてきた。文学の論理、教育の原理を踏まえた、自負と自信の持てる教育課程の自主編成をめざした研究である。既往現在の「検定」ずみの教科書では、真の母国語文化を子どもたちに受けつがせ、発展させることはできない。そういう判断からわれわれは、教科書のあり方と、それを規制する学習指導要領の発想を批判しつづけてきた。
 今回の教科書「偏向」キャンペーンは、われわれの批判に耳をかさないばかりか、憲法と教育基本法をも否定し、一党一派のイデオロギーによって教科書の固定化を意図するものと断ぜざるをえない。
 われわれは、教科書への権力の介入を絶対に許すことはできない。子どもや若者たちの未来と、日本の将来のために、断固、抗議する。
 一九八一年八月五日     文学教育研究者集団第三十回全国集会


文学教育研究者集団第三十回全国集会は、最近の目に余る教育の反動化の動きを重視し、上掲の抗議声明を満場一致で採択した。声明文は自民党総裁および文部大臣に宛てて送付された。
この声明文は同じく反動の潮流に抗してたゆまぬ運動を続けている日本民間教育研究団体連絡会加盟の各団体をはじめ広く友好諸団体に対し、連帯の証として届けられた。
また、朝日・毎日・読売等の各新聞社に対しても、歴史の証言の記録として留められることを願い、同様の声明文が送られた。
   
・1983.11.15 中教審総会、教育内容小委員会の〈審議経過報告〉を了承(高校入試の改善、中学校習熟度別指導、徳性の涵養など)。

・1983.12.5  文部省、校内暴力などの対策として小中学校での出席停止(自宅謹慎)処分について、都道府県教委に運用指針を通知(’82年度の停止処分547件)。 
1984.5
機関誌 第128号
   
《資料40》さとう・みつる「〈巻頭言〉 教育臨調/文教懇の欺瞞性
                                        ――文学教育の視点から批判する
 


 教育の対象は人間である。この自明の事実を今もう一度思い起こす必要があるのではないだろうか。教育の対象とする人間とは、一人ひとりの人間の行きかたや行動を直接規定する、その意味での人間精神のことであろう。この人間精神を豊かに開花させるための営みとして教育はある。教育は、だからこそ、人間が真に人間らしくあるための教養を培うものでなくてはならない。
 三月二二日に出された「文化と教育に関する懇談会」(文教懇)の答申は、こうした視点からみて大きな問題を含んでいる。この答申は、一見、人間ぬきの画一教育を批判するような素振りを見せている。が、教育から人間を奪って来た元凶については故意に目をつぶっている。また、例えば、大学における専門課程の重視(実は産業界の要請)という美名のもとに一般教養課程の見直しを提唱している。見直しというと聞こえはよいが、一般教養課程を改善していこうという姿勢は全く見られない。戦後のマスプロ大学の中で一般教養課程は軽視されてきたわけだが、さらに廃止に向かって一歩を踏みだしたようだ。
 教育はまた、教師の人間性をぬきにしてはありえない。大学は、教員を養成する機関としての意味も持っている。そこでどういう教育を受けてきたかということが教師の人間形成に大きな意味をもってくる。前述したように、一人の人間の、人間としての豊かさを保障するのは、幅のある深い教養である。そのような教育があればこそ、自己の専門に関しても、真に深い理解をもつことが可能となる。文学だけしか知らなくて何が文学だ、である。文学しか知らない教師には本当の文学教育などできはしないのだ。ところでこうした専門に偏しない、そして自己の人生、行動の選択に関わっていく幅広い教養を身につける場が、実は、大学の一般教養課程ではなかったのか。教員養成のありかたを、答申が本気で言うのなら、こうした視点から、囚われない自由な精神をもった教師が育つことを可能にするような条件の整備をこそ考えるべきなのだ。
 しかし、「人並み意識」が画一化をもたらしたなどと言っているようでは、とても期待などできぬ。「人並み意識」をこえるなどと言っても、それは要するに、体制側の要求にどれだけ巧みに対応できる人間になるかということにすぎぬ。文学教育の、ひいては教育全体の目ざす、人間の精神など、どこ吹く風なのである。
 こうした体制側の動きに同調するかのように、最近、「知とのたわむれ」などというキャッチフレーズとともに浅田彰氏などの本がもてはやされている。また、「カルチャッぽい」などという訳のわからない言葉がテレビを通じて流れて行く。両者とも、次元の違いはあるにせよ、そこで取り上げられるのは、要するにアクセサリーとしての「教養」である。行動の系とは切り離された、真のインテリジェンスを欠いた教養主義の戯れにすぎないのだ。そしてまた、エンターテインメントに終始する「文化」が、感性のみを強調した「主体性」が、わがもの顔に道を行く。そこでは個々の人間の、大切なセンシビリティーが愚弄されている。
 こうしたマスコミの体制迎合の姿勢を巧みに誘発しながら、また一方では、先程の私的機関にすぎぬ文教懇をもなしくずしに巻き込んでの臨時教育審議会(教育臨調)設置という形で、さらに教育状況を悪化させようというのが、中曽根政権のやり方である。一見スマートな「まやかし言葉」に胡麻化されず、その奪人間化の教育政策を糾弾せねばならぬ。
 
 
・1984.1.19 家永三郎、高校日本史教科書における731部隊・南京大虐殺・沖縄戦での住民虐殺などの記述への’82年度検定意見を不服として、第3次教科書訴訟提起(第3次訴訟)。  

・1984.4.23 文部省、小学生の〈いじめっ子〉問題に対処する指導書を全国の小学校・教育委員会に配布(この頃から問題が陰湿化)。

・1984.11.14 臨教審、〈審議過程の概要(その1)〉公表(学校教育の〈自由化〉提唱、内部の議論活発化)。


・1985.6.26 臨教審第1次答申(個性重視の原則など)。

・1985.6.29 文部省、都道府県教委などに、いじめ深刻化について緊急対応措置を通知(学校教育施行令の弾力的運用による児童生徒の転向容認など)。
1986.2
機関誌 第135号
《資料41》熊谷孝 「イヌに食われろ、共通一次」

 たまたま、そのとき、専任でもない僕が代行して出題することになった、入試問題例を、ここで《私の教室》らん(・・)の記事の材料に使わせてもらうことにする。国語の授業ないし文学の授業のありようと、そのテストのありようとの関係――端的にいうと、テストは授業のたいせつな部分だ、というようなことについて、ちょっと考えてみたいことがあるからである。今、そのことを、入試問題のありようにかかわる事柄としても考えてみたいからである。
 趣旨はそういうことなのだが、あとで提示するこの出題の事例、それがいつ、どこの職場でのことなのか、といったセンサクは、多分もう時効だろうとは思うけれども、やはりご容赦ねがいたい。あんたが非常勤で出かけていた職場だとすると、ええと、あそこでなければここか、それとも……といった消去法による割り出しなどもご勘弁ねがいたい。ぜっぴ、それはご無用に、と申しあげておく。

 四年制の大学でも二年制の場合でも原則に変わりはないが、その入試(国語の入試問題)のありようが実は、大学文学教育と、高校文学教育(小・中の文学教育を含めて高校文学教育)との直接の、そして決定的な最初の出会いの場にほかならない。
 ところで、というか、ところが、というか、実際には中学・高校の側では教師も生徒も、あらかじめ大学入試の出題傾向を熟知している。全般的にはその出題傾向は、ハナから文学教育を疎外した内容のものになっていることを、である。そのことを知りすぎるぐらいに知っているものだからして、一人でも多くの教え子を確実に大学へ送り込みたい(と考えるのが当然な)高校の国語の先生の授業のありようは、いきおい文学教育に背を向けたものになりがちである。文学教育そのものに背を向けることで、また実は国語教育そのものに背を向けた授業をやっていることになるのである。
 人間は言葉でものを考える。思索する。行動選択のための思索である。思索するというのは、概念的認知と形象的認知との支え合いにおける行動選択へ向けての思索ということにほかならない。その場合、概念的認知による支えの側面を欠いても、また形象的認知による支えの側面を欠いても、思索はカタワなものになる。日本語を母国語とする国民や国民の後続の世代を対象とする、第二信号系としての国語の教育活動は、とりわけ、すぐれて、母国語に固有のその概念的操作と形象的操作との両側面の統一における言葉の主体的修得をめざすものでなければならない。
 というようなことは、つまり国語教育の何かというようなことは、およそ国語教師であるほどの人にとっては自明のことである。つまりまた、アタマではそのことは分かりすぎるぐらい分かっていながら、入試のことを考えると文学教育の面に目をつぶる、という結果になるのである。

 大学側というか出題者の側からすると、逆に、また、中学・高校の国語の授業の実際のありようが、形象的操作の指導の面はカットという性質のものであるからして、いきおい、文学教育に目つぶしを食わせたような出題の仕方を選ぶようになる。一ばん極端な場合が、今年の共通一次である。何ともひどいものだ。設問はトータルで26問であるが、一つの例外もなく、全部が全部、○×式の選択肢による出題なのだ。「次のa~eの中から正解を一つ選べ」という式のものである。
 私は、多くの設問の中に選択肢問題を含んでいることを否定しているのではない。むしろ、独断と偏見に落ち入ることを避けて、他人の意見・判断に耳を傾ける、という思考方法を身につける(身につけさせる)ためにも、時として(、、、、)こうした問いの仕方(というか指導の仕方)をするのは、生徒を相手に教師が日常、実際にやっていることだろう。しかし、それは、時として(、、、、)であり、ケース・バイ・ケースに、つまり場面・場合に応じて、ということだろう。ではないのか。
 だから、出題のいっさいを選択肢で、というのは、これは何ともいただけない。多岐選択法というのは、いうまでもなく、多くの項目の中に正解を用意しておいて、それを探り当てるという方式のものだが、共通一次の場合は、言いまわしはいろいろだが結局、「選択肢の中に必ず正解が一つ(一つだけ)含まれているから、それを探り出して〇を付けるように」というのである。重ねていうが、全問がこれなのである。
 つまり、それはまた、正解は必ず誰かが用意しているものだ。要は、それを見つけることだけだ、と言っているようなものだろう。それにまた、何ごとによらず、まるごとに正解だといえるものは一つだ、と言っているようなものだ。この点からアプローチすると答はかくかくだということになるが、角度を変えて考え直すと、こういう答になりはしないか、というような、そんな考え方をする必要はない、と言っているようなものではないか。算数じゃあるまいし、と思う。
 こういう思考法では、主体的・客観的な新しい発見というものは拒否されてしまう。いいかえれば、学問精神の芽生えは、芽のままで摘み取られてしまう。また、どういう意味にしろ、形象の目、文学への目は塞がれてしまう。それにいけないのは、こうした選択肢一本では、後続の世代は、自分の言葉を持てないし、自分の言葉を操作してものごとを考えたり感じたり、ということのできない人間になってしまう、ということである。こうしてやがて、いや現在すでに、国語は滅びつつある、という状況・状態が自他にもたらされているのではないのか、というのが実感である。

 そこで、なのだが、自分の直接間接の見聞の限りでも、文学教育に熱心な先生は少なくない。いわゆる文学の授業なども「万難を排して」という格好で懸命にやっている。けれども、授業は授業、テストはテストというふうに区分(くわ)けして、授業で実際に扱っている文学をテストに持ち込むことをしない人が意外に多い。これじゃダメなんじゃないか、と思う。
 実は私も、そのダメな一人で、期末テストのほうは(小・中・高の場合に比べて抵抗が少ないものだから)一応すじを通しているが、入試となるといけない。やはり、高校の国語の授業のありように制約を受けるのである。あるとき、非常勤の職場で、冒頭に述べたような条件のもとで(結果はサンタンたるものに終わったが)、文学教育の視点から少しでもすじを通そうとしてみた出題が次のようなものであった。あと一歩でも二歩でも前へ、と思ってみた時は早くも僕の教師稼業もおしまいである。
 (国立音楽大学名誉教授)
 〔入試問題例〕 (…)

 [現代の言語感覚からすれば適切でない語彙が文中に用いられているが、原文を尊重してそのままとした。]
 
 
・1985.8.22 文部省の〈情報化社会に対応する初等中等教育の調査研究協力者会議〉、小・中・高教育のコンピューターの積極的導入の方針を公表(この年、コンピューター導入本格化)。

・1985.9.5 文部省、〈君が代〉〈日の丸〉教育の実施率の公表(卒業式の〈君が代〉斉唱率は小72.8%、中 68%、高 53.3%など)および実施の徹底について初の通知。 

・1985.10.23 文部省、〈児童生徒の問題行動実態調査〉
発表(校内暴力鎮静の一方、いじめ・登校拒否激増)。


・1986.10.20 教育課程審議会、〈中間まとめ〉公表(伝統文化・道徳の重視、小学校低学年社会・理科を廃止し生活科を設置、中学校選択教科拡大など)。


・1987.2.7 臨教審、教育政策に関する第4次(最終)答申提出(8.20 臨教審解散)。  

・1987.12.27 教育課程審議会答申(会長福井謙一)小学校低学年の社会・;理科を廃止し生活科を新設、高校社会科を廃止し〈地歴科〉〈公民科〉の新設、〈国旗掲揚・国歌斉唱〉の儀式での義務化など)。



・1988.2.15 文部省、大学入試改革協議会、現行の共通1次に代わる〈新テスト〉の最終報告をまとめる。7.29名称を〈大学入試センター試験〉と命名。’90.1 第1回実施。

・1988.5.16 文部省が作成中の新小学校学習指導要領に、教えるべき日本市場の人物10人の1人として東郷平八郎元帥が含まれていることが判明、問題化。中村源太郎文相、強く反対。

・1988.7.9 日教組の委嘱による教育課程検討委員会発足(会長山住正己)。
 
1989.11
 機関誌 第150号
《資料42》樋口正規 「教科書は誰のものか――学習指導要領に就いて

生徒と教師の教科書観 (…)

教科書検定制度の改悪
 皆さんご記憶に新しいと思いますが、昨年の九月から十月にかけて、三省堂の高校用英語教科書の教材差し替え問題がありました。「WAR」という教材の中に、旧日本軍兵士が赤ん坊を空中に投げ上げて剣で突き刺したという話が紹介されているのを、自民党の国家基本問題同志会が問題視し、文部省に圧力をかけ、その結果、「正誤訂正」によって「MY FAIR LADY]に差し替えられたというものですね。「正誤訂正」というのは、検定終了後(、、、、、)に気づいた(生じた)明らかな誤りを訂正するものです。それなのに、教材全体を差し替えてしまった。三省堂の自主的な判断によったものだとされていますが、外からの圧力に屈したものであることは明らかですね。三省堂労組の『見解』によりますと、申請から終了までわずかに二時間半しかかからなかったそうです。こうした異例の事態が、今後は当たり前のように行なわれる危険性があります。教科書制度が大幅に改悪されるからです。
 教科書統制は、制度面では検定制度や採択制度、内容面では学習指導要領というかたちで行なわれますが、今年の四月四日、新しい「教科用図書検定規則」並びに、「基準」が告示されました。これは今までの部分的な改訂とはちがって、実に四十年ぶりの大幅改訂です。
 問題点の第一は、審査手続きの一本化です。これまでの原稿本審査→内閣本審査→見本本審査という三段階の審査をやめて一本にまとめる、というものです。一見、簡素化されていいようですが、ちがうんですね。今までは原稿本審査で条件付合格になった場合、拘束力のある修正意見には従わざるをえませんでしたが、拘束力のない改善意見の方は従わなくても合格になる余地があった。調査官とのやりとりをしてなんとか合格を通す、というかたちですね。それが今度は、審議会による審査(合否の決定は保留)→検定意見の通知→審議会による再審査(合否の決定)となりますので、審議会への服従を強いられることになります。編集者や執筆者が検定意見に反論する機会はありませんし、教科書会社はなるべくスムースに通そうとしますから、自主規制がいっそう強まり、〝書かせる検定〟への悪化が一段と進むことが予想されます。しかも、検定周期の長期化(三年→四年)が、こうした動きに拍車をかけることになるでしょう。
 次に問題なのは、文部大臣の訂正勧告権を認めたことです。」
(…)
 続いて「基準」の方に目を向けてみましょう。「義務教育諸学校用図書検定基準」(高等学校もほとんど同じ)の「第2章 各教科共通の条件」の「範囲及び程度」という箇所で、教科書審査の基準として、学習指導要領に示す「目標」および「内容の取扱い」に示す事項を、「不足なく取り上げていること」、また「不必要なものは取り上げていないこと」と規定しています。つまり、指導要領にぴったりと添うような教科書にしろというわけですが、これまでとちがうのは、「内容の取扱い」までも加えたことです。それが何をねらうものであるかは後で見ることにして、ここで採択制度にも触れておきたいと思います。

広域採択の問題点
 一九六三年に「教科書無償措置法」が成立し、小中学校の教科書が無償になりました。同時に、教科書採択制度が改悪され、学校採択から教育委員会採択に変わりました。全国で四五七の採択地域を決め、その地域ごとに同一の教科書を採択することになったわけですね。これ以後、教師は自分の使う教科書を選択できなくなりました。
 その後、採択の広域化が進み、現在では一県一種類というのも珍しくありません。たとえば、一九八九年度用の小学校教科書の場合、国語では十三県、社会では十四県、といった具合です(出版労連「教科書レポート89」)。
 採択の広域化は、否応なく教科書の寡占化を促します。小学校の教科書は、現在、どの教科も上位二社の占有率が六割を越えています。国語は光村が60%で教出が21%、社会は東書が36%で教出が29%です(同前。一九八九年度用)。そこへ来て内容の改悪ということですから、事は重大です。
 高校は学校採択のままですから、一応採択権は行使していますが、きちんと検討するところは稀で、次年度の担当者の考えで決めるケースも少なくないようです。そんなわけで、検定教科書の批判的検討というのはどこでも十分には行なわれていない、というのが現状だろうと思います。
 もっとも、〝教科書裁判〟などを契機に、採択にかかわる情報公開を求める市民の運動や、教研と結びつけながら教科書検定審議会の調査員の民主的選出を求める教職員組合の取り組みなども進められています。私たちは、自由発行・自由採択の原則をふまえて、採択制度の民主化をめざす必要があると思います。

学習指導要領改悪のねらい――国語科
 今年の三月十五日に新学習指導要領が告示されました。多くの問題点を含むものですが、ここでは国語科に絞って考えることにします。
 指導要領の文章というのは、おもしろくないし、わかりにくい。そこで解説書が出る。本屋さんには何種類もの解説書が並んでいますね。改訂の意義やら歴史やらが実に細かく説明してあります。大分売れているそうですが、一体誰が読むんでしょうか。――まあ、私も読みましたが(笑い)。多分、伝達講習会などで使われるんでしょうね。
 国語科の目標を見ますと、小学校は「国語を正確(、、)に理解し適切に表現する能力を育てる」とあり、中学校は「(同)能力を高める」となっています。それが高校では「国語を的確(、、)に理解し適切に表現する能力を身に付けさせる」となっているんですね。「正確」と「的確」とどうちがうのか、伝達講習会でもあったら質問してみたいと思います(笑い)、高校はもう「正確」でなくていいんですか、と。
 今度の改訂で一番問題なのは、「教材選定の観点」ですね。小学校では復活、中・高では新たに加えられたわけですが、先ほどの教科書検定の「基準」と関連しますので、少し詳しく見ておくことにします。
 小学校の場合、「第3 指導計画の作成と各学年にわたる内容の取扱い」の「3」に、十項目にわたって教材選定の観点が挙げられています。その中に、「(8)我が国の文化と伝統に対する理解と愛情を育てるのに役立つこと」とか、「(9)日本人としての自覚をもって国を愛し、国家、社会の発展を願う態度を育てるのに役立つこと」とかいうのがあります。十項目すべてが悪いというのではありませんが、こういうものを含んでいること自体が問題です。こういう問題のある部分が全体を規定(、、、、、、、、)しているわけですから……。
 中学・高校の場合は八項目ですが、いずれにおいても、「たくましく生きる意志」「日本人としての自覚」が強調されています。なぜこうなったのか。指導要領のもとになった教育課程審議会の答申(一九八七年十二月)を見ると、はっきりします。
 教課審答申は、「教育課程の基準の改善のねらい」として次の四点をあげています。(1)豊かな心をもち、たくましく生きる人間の育成を図ること、(2)自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を重視すること、(3)国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視し、個性を生かす教育の充実を図ること、(4)国際理解を深め、我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視すること。
 ここで求められているのは、〝適応〟の能力です。今の日本の社会のあり方をよしと認めた上で、それにうまく「対応」できる人間、どんなにひどい世の中でも「たくましく」生きていける人間、それが求められているわけです。なにか、あの入江進二郎(石川達三『熔岩』)みたいな(笑い)、社会の矛盾の根源に目を向けることをしない人間の育成がめざされているようです。つまり、臨教審以来おなじみの「国際化」という日本の現実、それにどう対応するかというところからの、教育課程の「改善」なわけです。
 この「改善のねらい」は、当然、教科の内容に及んできます。国語に「改善の基本方針」では、「特に、情報化などの社会の変化に対応するため」に国語の諸能力を養うのだと言い、「教材については、……道徳性を養うことにも資するよう配慮する。その際、特に、……たくましく生きる態度を育てること、……我が国の文化と伝統に対する関心や理解を深めること、……」と、教材選定の観点を示しています。これが、先ほどのあの学習指導要領の記述に直結し、教科書検定の「基準」の拘束によって、教科書内容を大きく規定することになるわけですね。
 国語の学習指導要領の基本的性格は、言語技術主義と道徳主義の抱き合わせと言ってよいと思いますが、その根底にある適応の論理や国家主義に対して、厳しい批判の目を向ける必要があると思います。

自主編成の意識と力量を
 教師は検定教科書を 使わなければいけない、生徒にもそれを拒否する自由はない、と文部省は言います。しかし、一九七〇年七月のあの杉本判決(教科書裁判第二次訴訟第一審判決)は、それを真向から批判しました。「下級教育機関における教育はその本質上教材、教課内容、教授方法などの画一化が要求されるとの理由で、下級教育機関における教授ないし教育の自由を否定するのは妥当でないというべきである。」云々。
 私は学生時代にこの判決文に接して、非常な感銘を受けました。同時に、教育の自由を行使できるだけの力を身に付けなければ、との思いを強くいたしました。教師になってからも、何度となく読み返しました。杉本判決は、「教育の自由」の項を次のようにまとめています。――「かくして、教師の教育ないし教授の自由を以上のように解する限り、教師に児童、生徒にもっとも適した教材および方法を判断する適格が認められるべきであり、教科書の採択についても主要な役割を与えられるべきであるから、国が教師に対し一方的に教科書の使用を義務づけたり、教科書の採択に当たって教師の関与を制限したり、あるいは学習指導要領にしてもその細目にわたってこれを法的拘束力あるものとして現場の教師に強制したりすることは、(ママ)上の教育の自由に照らし妥当ではないといわなければならない。」
 ここに「べき」というかたちで打ち出されている理念をどう実質あるものにするか、そこに私たちの課題があると思います。教育課程の編成権を私たち現場教師の手に取り戻すこと、また、教材を選び教育課程を編成できる力量を私たち自身のものにすること、それが強く求められているのだと思います。父母が目の前の教師を見て、「この先生が作った教科書で、子どもたち大丈夫かな。」(笑い)と思うようでは、「べき」はいつになっても「べき」にとどまってしまうでしょう。
 教課審答申にも学習指導要領にも、「文学教育」という言葉は一度も出て来ません。そういう発想が全くないからです。しかし私たちは、「文学の人間回復の機能に賭けて、若い世代の〝魂の技師〟たろう」として、実践を積み重ねて来ました。国語教育としての文学教育の実現を当面の緊急課題として、自己の言語観・文学観を絶えず問い直しながら、共同の研究を進めて来ました。生徒たちの現実把握の発想を鍛えうるような、文体のある作品の教材化を抜きにして文学教育は始まりません。しかもそれは、教科書教材をひとつふたつ差し替えて自主教材を〝投げ込む〟といったやり方で実現できるものではありません。
 文教研は結成以来、学習指導要領を根底から批判し、文学教育を軸にした国語教育を提唱し続けて来ました。また、教科書教材の批判的検討、自主教材の発掘と教材化、文学教育の構造化に取り組んで来ました。教科書の改悪がますます強化されようとしている今、統制に反対する様々な運動とともに、自主編成意識に裏打ちされた研究・教育活動の広がりが強く求められていると思います。
 最後は決意表明みたいになりましたが(笑い)、以上でお話を終わらせていただきます。
 (千葉・安房高校)
   
・1988.10.3 三省堂、自民党から修正要求のついた来春使用の高校英語教科書〈FIRST ENGLISH SERIES Ⅱ〉13課War(戦争)の記述につき、文部省に文章差替えを申し入れる。出版社の〈自主規制〉、問題となる。


・1989.2.10 文部省、幼稚園教育要領、小・中・高の学習指導要領の改定案を公表。小学校低学年に〈生活科〉を新設、小学校低学年・高校の社会科の解体、卒業式などで〈国旗・国歌〉を指導するものとする〉と規定、など。3.15一部修正し告示。

・1989.3.8 教科用図書検定審議会、文部省の〈新しい検定制度〉を了承、臨教審提言の〈簡素化・重点化〉に沿う。

・1989.4.21 文部省、中教審(第14期)を5年半ぶりに再開(~4.24)、第1回総会、後期中等教育の改革など〈新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について〉諮問。

・1989.6.27 第2次家永教科書訴訟、東京高裁差し戻し判決〈訴えの利益なし〉として却下。7.9 原告上告せず。

・1989.10.3 家永第3次教科書訴訟で、東京地裁、原告の一部勝訴(国側に10万円の賠償を命令)、実質は敗訴の判決。
  

1990.11
機関誌 第154号
《資料43》芝崎文仁 「教組分裂の現状のなかの教研活動のあり方を問う」

 教育問題からみると、その後、二つの大きな流れがあった。その一つは、新学習指導要領の白紙撤回運動の広がりである。今回の学習指導要領は、六回目の改訂であり、告示形式として四回目のものである。また、今までの学習指導要領にもたくさんの批判があり、文教研としても厳しい批判をしてきた。しかし、今回ほど白紙撤回という国民運動として広く浸透したものはない。それは、各地の市町議会が白紙撤回の意見書を採択していることにあらわれている。私のいる神奈川県下でも、茅ケ崎市で白紙撤回の意見書を採択した(九月一七日)。二つ目は、「子どもの権利条約」の批准運動の広がりである。
(…)
 新学習指導要領の白紙撤回運動にしても、子どもの権利条約批准運動にしても、この様な運動は、私たちの研究活動にとって、無関係ではない。むしろ深く係わることで、研究活動の発展があると思う。

教職員を文部省のマシンにする
 私は、生徒の「彼はオレのマシンだ」ということばにショックを受けたという話をして、話を始めた。「パシリ」という言葉で、ある種の生徒のグループの中の上下関係を示すものと思っていた。それが今や「マシン」である。人間らしさの一かけらもないような冷たい響きを持っている。彼らの仲間関係も、そんなに冷たくなっているのだろうか。そんな思いを述べた。
 そして私たち自身の問題にかえって考えた時、新学習指導要領は、「教職員を文部省のマシンにする」ものだという思いがした。
 それを、いわゆる「法的拘束力」にしぼって話した。法的拘束力は、学習指導要領の三回目の五八年改訂の時に初めて使われた。学習指導要領を官報で公表したことから、法的拘束力があるというコジツケである。それは、初めての学習指導要領が試案として公表され、教職員の研修により、各学校の教育課程が豊かな内容をもつように期待されていたことに対する極めて反動的なものであった。その後、六八年改訂、七七年改訂を経て、今回の改訂である。
 今回の改訂にあたっては「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」と記述し、その実施について文部大臣が処分を表明し、強制しようというところに、大きな違いがある。そして九三年より本格実施に入り、移行措置もない九〇年より、「道徳」と「日の丸・君が代」は先行実施しようというのである。そのため、九〇年度の入学式から、「日の丸」は90%の実施率、「君が代」は75%と一挙にその実施率をあげている。更に、その導入に従わなかったということで、18名という処分者を出している。
 これは、戦後教育の総決算という臨教審路線の総仕上げとして、戦後民主教育を破壊することだ。そして天皇裕仁の死去に伴う天皇キャンペーン、秋に予定される天皇明仁の即位の礼、大嘗会とつながる天皇キャンペーンの中で、国民を国家主義イデオロギーに統一し、支配権力の支配基盤を安定化するために教育を支配の道具にしようとしている。そのために物言わぬ教師にする必要がある。つまり、教職員を文部省のマシンにするのだ。

学問・研究の自由と教育
 戦前戦後を区別する教育界の一つの基準は、教職員の位置にある。戦前は、現農政国家主義イデオロギーを子どもたちに注入し忠良なる臣民を育成することが教職員の任務であり、その意味で文部省のマシンであった。したがって、教職員には学問・研究の自由は全く認められていなかった。
 戦後の教職員は、戦前のそのような教職員のあり方に厳しい反省をし、労働組合運動として、自らの生活・権利を守り発展させると同時に、学問・研究の自由を求めて、教組運動として研究活動を推進してきた。これが組合教研である。第一回全国教研を一九五一年日光で開催し、以来今日に至っている。それを支えたものは、朝鮮戦争の勃発による世界危機に直面して、十五年戦争の深い反省のもとに言われた「教え子を戦場に送らない」の決意であった。そこには、精神の自由、学問・研究の自由のもとで真剣に教育の問題を探ったたくさんの教職員がいた。
 かつて熊谷孝先生が、雑誌『教育科学・国語教育』(明治図書)の国語教育時評を担当された時(一九六五年四月~六七年三月、後に 『岐路に立つ国語教育』にまとめて収録)、「研究の自由のないところに学問も学問精神も育たない。教育の自由、教師の人間としての自由のないところに、教育の名にあたいする教育はおこなわれえない」と書き、また教科書裁判にかかわって、「『精神の自由』に背を向ける学者はもはや学者ではない。」とも書いている(六六年二月号)。私たちがとかく時流に合わせて、本来の目的を忘れてしまう現実を直視しての警告と励ましであると思う。
(…)
 第三回全国教研の記念講演で、東大総長であった南原繁氏は、次のように述べている。
 「教育は左右いずれを問わず、一定のイデオロギーを詰め込むというものでは、けっしてありません。民主主義の普及の意味は、何よりも人間性の自由を尊重して、自由の研究討議によって各人のなかにより高い評価をつくりだすことであります。これが、民主主義の原理であると考えるのであります。」
 「諸君は、労働者、勤労者であると同時に、教育者であります。ほかならぬ人の子をあずかる精神の労働者である。その教育者の組合にあっては、なかんずく民主主義的な方法が守られ、個人の自由な判断と意見を中心として、討論、反省を重ねて、合理的な解決を期する責任ある行動が要請されます。……必要なことは一人ひとりが真理にたいする勇気と情熱をもつということであります。それを結集して、真理の為にたたかおうではありませんか。」
 これは、教職員が精神の自由を持つことの大切さを述べたものであり、熊谷先生のことばを借りれば、「『学問の自由に背を向けた教師は、もはや教師ではない」ということである。また、このような考え方は民主主義教師論ということで、今では一つ
[ママ]の運動理論となっている。

あるべき教研――教育研究の姿勢 (…)
  
・1990.1.13 〈共通1次試験〉から衣替えした初の大学入試センター試験始まる。国公立大学と一部私大参加。競争率、過去最高の3.9倍。

・1990.4.上 本年度より小・中・高校の入学式で日の丸掲揚と君が代斉唱〈義務化〉。日の丸掲揚は、公立小95.7%、中95.5%、高う64.8%。

・1990.6.26 日教組大会(~29)政府・自民党との対決路線を転換、文部政策立案に積極的に参加する運動方針を決定。


   
1990.11
機関誌 第154号
《資料44》夏目武子 「解釈学復活の今日的意味」

和辻倫理学と梅原・中村対談に即して (…)

自分は解釈学と無縁であるか
 解釈学がなりをひそめたのは、戦後のほんのわずかな間であったと言えよう。「国防教育としての国語教育」にすべった反省から、戦後の国語教育はスタートしたはずである。が、「電話のかけ方」「新聞の読み方」「手紙の書き方」などのHOW・TO物で国語教科書はみたされていた戦後の一時期。この「プラグマティズムの言語理論と教育論が――むしろ、プラグマティズムそのものが――生哲学のアメリカ的形態以外のものではなかった」と熊谷孝氏は指摘する。指導要領の改定ごとに目にみえる形で全面に押し出されてきた解釈学。「戦前の解釈学とは異なる」という断りつきだが、その実、根本理念はさっぱり変わっていない。国語教育の近代化、現代かという名前をつけることで、カモフラージュしているにすぎない。
 戦後文学の主流を占めた精神分析、実存主義を標榜する生の哲学に関しても、解釈学の系譜に属するものであったり、生の哲学のの別動隊であると熊谷孝氏はその著作の中で証明している。梅原・中村対談[梅原猛・中村元対談記録「日本人を語る」 朝日新聞1990.1.8/16掲載]を待つまでもなく、解釈学は戦後まもなく復活しているわけである。それにも関わらず、特に今回の対談を重視するのは、先に記したように、それが「国際的・国内的政治情況の特定の分析の仕方と、量に物を言わせた情報、報道のありよう」と、大いに関わっているからである。まさに時宜を得た「お先棒かつぎ」であるからなのである。
 一方、こうした情報に操られやすい私たちであることを考えてみたい。無意識のうちに解釈学を身につけてしまっている。厳密に言えば、つけさせてしまった私たちであることを思ってみたい。無意識であるだけに、解釈学復活のキャンペーンに乗せられ易い存在なのである。
 解釈学をどこで身につけたのか、と問われたら、私は学校教育の中でと答えたい。幼時、絵本や童話を楽しんでいたころ、母親から「作者はどんなことを言っているのか」などと聞かれなかった筈だ。「この作品の主題は」などとも聞かれなかった筈だ。動物と対話し、風や雲と楽しく話しあっていた。『大きなかぶ』を読んでいるとき、幼児は顔を真っ赤にして「うんとこしょ、どっこいしょ」とかぶを引こうとする。言葉という第二信号系が、第一信号系としての運動感覚の系につながっているのだ。汎言語主義とは無縁の時期が確かにあったはずだ。それが、十二年、あるいはさらに続く四年間の学校教育の中で解釈学に汚染されてしまう。そして、教師になった場合はその拡大再生産に従事してしまいがちである。
 教育的解釈学を研究し、それによって教室授業を展開している方の授業を実際に何度か見せてもらったことがある。私が教師になってまもなくのことであるから、三十数年以前のことである。が、いまだにその場面が忘れられないほどである。教室は静まりかえっていた。教師の声も抑制がきいていて、一人一人の生徒にしみこんでいくような話し方であった。新米教師の私は授業の進行に目をみはって細大もらさず見極めようと構えた。教材としてとりあげられた作品の題名と作者名がていねいな字体で板書され、そのあと黒板の上から三分の一ほどの位置に横に一本、フリーハンドで真っすぐな線が引かれる。教師の範読があったり、生徒が読んだりした後、問答が始まった。ある生徒の答えは線の左上に、ある生徒の答えは右下に書かれる。時には、生徒の答えをにっこり笑って受け止めたまま、黒板には何も書かないことがあったり、授業も終わりに近づくころには、実に整然とした板書ができあがっている。ところどころチョークの色が変わっている。黒板の左すみに「主題」が赤チョークで書き込まれて、その日の授業は完了する。葉書一枚に転写できるような板書がいいのだということを聞いた。途中に読みが入ったり、最後に読みを位置づけるなど授業者によって多少変化はあったが、板書に関してはほとんど同じという印象を受けた。そして、何だか変だなと思うようになった。教師が黒板に書かなかったあの生徒の考え方はすばらしかったのに、なぜそれが位置づけられなかったのか。板書すること、つまり、その作品の読みの過程から結論まで決まっていて、それに合わせて生徒の答えを黒板にちりばめていくのではないか。教師の解釈が絶対であって、それ以前の感情体験のありようの違いによる一人一人の生徒の受け内容に関しては、何ら顧慮もされていない。
 私が授業をみせてもらった先生たちは決して怠け者ではなかった。授業に対して熱心であった。板書の細部に至るまで徹底的に検討されていた。が、その原理が解釈学であったのだ。私の求める国語教育は解釈学ではなさそうだ、と思うようになった。では解釈学によらない国語教育とはどういうものなのか。文教研に入会し、論理的に解釈学批判がなされていることを知った。準体験という概念は追体験を否定する概念であることを知った。たいへんうれしかった。と同時に、批判している筈の解釈学に私自身汚染されていることに気づき、愕然となったことも事実である。解釈学に侵されている以上、
[前記の]「対談」のような発想を受け入れがちである。無意識のうちに身につけてしまったことは、自分自身、なかなか気づかないものである。

『人間の学としての倫理学』について (…)
  
・1991.3.13 文部省の調査研究協力者会議、指導要録についての絶対評価中心への移行を提言。’92年度から切換えへ。

・1991.6.30 文部省、教科書検定結果(内容)を公表(新学習指導要領などによる初の検定)、〈君が代〉は国歌、〈日の丸〉は国旗と明記、東郷元帥ら42人の人物指定。

・1991.12.13 日教組中央委員会、日の丸掲揚阻止闘争の強化を求める提案を否決。


・1992.3.3 日教組大会、組織を法人化して税制上の優遇措置を受けるため規約を改正、争議行為の項目を削除(実質的にスト権を放棄)。



・1995.7.- 日教組と文部省の和解協議、合意。9月、日教組はこれを受け、定期大会で大幅な路線転換。
  
1993.11
機関誌 第163号
   
《資料45》委員長 福田隆義 「日本の教育と母国語教育――あいさつにかえて

 今次集会 [第42回全国集会] の統一テーマは「現代史としての文学史――創造の完結者の視点から」であります。連続参加の方なら、このテーマに熊谷理論の継承と発展をめざす、私たちの思いを感じとっていただけるのではないでしょうか。
 私たちはこの一年、熊谷理論の再学習をつづけました。具体的には、膨大な著作を領域や作家別に整理、分担して要約(「文学と教育」一六〇号参照)、その一つ一つを例会で検討しました。そうした過程で、今次集会のテーマはもちろん、来年度以降、何年分もの課題が見えてきました。
 いうまでもなく、熊谷理論の神髄は〝創造と変革〟の理論で貫かれていることにあります。それは、めいめいが現代をどう生きるかを問うことから始まります。その問いは、民族の明日へ向けて創造と変革の道筋をさぐることと連動します。私たちはその道筋を、現実の仲間との連帯はもちろん、母国語文化と母国語文化創造の基盤となった、おおぜいの先達との真剣な対話をとおして探りつづけてきましたし、これからもその努力をつづけてまいります。
 そうした文教研の課題を確認し、この集会に臨んだ私たちにとって、おおぜいのなつかしい皆さんにお会いできたこと、さらには、何人もの若い新参加者をお迎えできたことは、何よりです。元気が湧いてまいります。この三泊四日が、文教研の存在理由を確認し、今後もご一緒に研究をつづけることを約束し合えるような集会になることを期待しております。どうか四日間は、文教研の会員として、この集会を盛りあげてくださるよう、お願いいたします。
 と申しますのは、今日の日本の文化状況、教育界の動向の中で、文教研の果す役割は大きいし、その存在理由が問われていると思うからです。教育問題についていうなら、政権党と財界の不当な教育への干渉と支配を、社会の進展に対応・適応する教育という名分にすりかえ「学習指導要領」の改悪を重ねてきました。小学校の新「学習指導要領」の学力観も、そうした干渉の反映です。学習内容は二の次三の次にした「態度・関心」の強調、これは対応・適応の教育の必然的な帰結ではないでしょうか。創造と変革の教育をこそと闘いつづけた私たちは、慙愧にたえません。まさに文教研の存在理由が問われる正念場です。
 さらに注目したいのが、次期改訂へ向けた文部省の研究開発協力校の動向、「生活科」後の教科再編の企みです。「全教科領域を総合化」(教育新聞/93.2.6)という、東京・金華小。「低学年全教科を廃止」(同/93.2.6)と謳う、東京学芸大附属竹早小。これらの記事から思い出すのは、戦後アメリカから直輸入した、あの「コア・カリキュラム」の発想です。経験させること自体が目的の経験主義・実用主義の教育です。それとどこが違うのか、私には五十歩、百歩だとしか思えません。経験を整理して考える、経験から汲みあげて思索する、そういう要のところが欠落しています。私たちの主張する、民族的発想において思考し、思索を促す母国語教育は位置づきません。
 いま一つ問題にしたいのは、「21世紀への教育実践を考える――これからの低学年教育とその発展」(記号科研究概要)というふれこみの、兵庫大学附属小の研究発表(92.1.31~2.1)です。新聞や雑誌の報道によると、「小学校低学年における国語科と算数科を廃止」して、「記号科」を新設するという。その理由として「いずれの能力も共通して情報処理・判断に際して必要な入力情報の符号化・記号化に関わる能力である」といい「そこで両者を結合させる統合原理として『記号操作能力(記号それ自体のもっているイメージと、それらを筋立てて構成していく考え方)』としてとらえる」からだといいます。
 言葉の本質を記号ではなく、第二信号系としてとらえる私たちは「信号操作」という概念を大事にします。だが、「記号操作」という概念はありません。また、私たちがその信号を、民族共有の財産として「記号化してつかむ」という場合の「記号化」概念と、ここでいう「記号化」とはまったく異質のものです。この研究発表が、情報化社会に対応・適応するための先導であることはいうまでもありません。が、一見新しさを装う「記号科」の言語観は「記号それ自体がもつイメージ」云々にもみられるように、言語実体説・汎言語主義によっているといえましょう。
 こうした動向は、小学校に限りません。中学・高校・大学においても、教科の新設、学部の統廃合という形で進行しております。そして何より、そういう施策を推進しているのが、母国語を喪失した政治家や官僚や評論家たち。民族の未来を民族的発想において思考し、思索する、これこそが母国語の生産的・実践的機能であるはずです。私たちが、母国語奪還を主張する理由はここにあります。
 
  
1993.11
機関誌 第163号
《資料46》樋口正規 「文体づくり・仲間づくりの文学教育――その方法原理

(…)
新教育課程への移行の中で
 御承知のように、新学習指導要領に基づく新しい教育課程が、高校の場合は来年度から一斉に展開されます。千葉県の高校ではそれに加えて、学科改編の嵐が吹きすさんでいます。房総半島の南端にある私の学校でも、「国際化」の名の下に来年度から「英語科」が新設されます。隣の職業高校では「商業科」を減らして「情報科学科」が、そして農業高校では「生活科」をなくして、「食品科学科」が、すでに作られています。中にはマリン・スポーツを中心にした学科の新設が云々されている学校もあります。一体、何を勉強するのでしょうか。そこでは、基本的な学力――未来の主権者として必要な学力――を高校教育の中でどうやって身につけさせるかということとはおよそ無縁の発想で、高校の改編・改悪が進められているのです。
 しかも見過ごすことができないのは、こうした動きが、現場の教職員集団の意向を無視して進められているということです。県の五カ年計画というのがまずあって、諮問機関にその方針に沿った提言をさせ、それを県教委が現場に押しつける、というやり方です。本校の場合、決定までの実質的な検討期間はわずか一週間しかありませんでした。「手続き民主主義」とよく言いますが、内容と形式は不可分のもので、民主的な手続きを経ずに強行するというのは、内容に問題がある証拠ではないかと思います。
 もう一つ、「日の丸・君が代」の問題があります。数年前のこの全国集会で、芝崎文仁さんが「きみは『君が代』を歌うか」というタイトルで講演をされましたが、現在、千葉の高校で「日の丸」も「君が代」も実施していない学校はわずか八校しかありません。昨年度、その八校の校長が県教委に呼び出され、実施に向けて職員を指導するように言われたそうです。それで昨年度末、未実施校では特にこの問題での攻防が激しかったのですが、同時に、すでに実施しているところでも、改めて論議し直そうという気運が高まって来ています。全体としてはかなり後退を強いられてはいますが、現場の状況はまだまだ流動的な面を残している、というのが私の実感です。

<文体づくり>という発想
 いまここで考えようとしている「文体づくり・仲間づくりの文学教育」、その支えになるのは熊谷孝先生の『文体づくりの国語教育』ですが、これが出版されたのは一九七〇年の六月なんですね。私は学生でした。沖縄の返還・復帰の運動、七〇年安保、そしていわゆる「大学紛争」――。「紛争」という言葉は、渦中にあった者としてはどうも馴染めませんが、ともあれ、そうした激動の時代に書かれた本だったということを、読み返すたびに認識させられます。そして、学生時代に先生方と自分がどういう対話を成立させることができたか、いろいろ反省させられます。『文体づくりの国語教育』で強調されていることの一つは、国語教育はあくまでも人間教育だということです。読み・書きや文法の力をつけることは大事だけれども、それは民族の課題、つまり働く民衆相互の連帯の回復という大きな目標に向けて営まれるべきものであること、国語教育の分担課題は<文体づくり>にあるということの強調ですね。教師としての生活を重ねるにつれて、この指摘は深く、より重く、私の中に響いて来るように思われます。
 さきほど御紹介したような、学科改編や「日の丸・君が代」をめぐる動き、それに対して一教師として対応する、また一組合員として取り組む、ということは当然あるわけですが、生徒と文章を読み合う時、これらの問題を十分に意識していただろうか、そういう反省も生まれて来ます。そんなこともあって、この四月、高校二年生の現代国語の授業で試みたこと、それを少しお話しさせていただきます。

新しい文体との出会い(…)
「日の丸・君が代」を考える(…)
言葉刺戟と先行体験の形成(…)
『太陽は四角!』をめぐって(…)

<読み>が変るということ
 自分の教室のお話しばかりで時間を使ってしまいました。この後のゼミナールにも直結する思いますので、最後に原理的なことを二点だけ確認させていただきます。
 ひとつは、読みの三層構造についてです。文章の理解は読み手自身による自己の印象の追跡というかたちで成立し展開していくわけですが、それは、①前、②中、③先という三層の読みの過程を繰り返しながら進められるということ。すなわち、①その文章表現が媒介しているある事物・事象に対る、読み手自身の反応様式の想起、②その自己の反応様式と、その文章に示されている別個の反応様式との対比・対決、③先への予測と期待、という三層の過程的構造の中で読みは進行する、ということです。
 もう一つは、<印象の追跡としての総合読み>についてです。印象というのは刺戟に対する全人格的(・・・・)な反応だということ。そういう印象の確かめと点検による印象の深化、それが印象の追跡に他ならないということ。そして、こうした印象の追跡を意識的に行う中で、読み手は、自己の発想を自覚し、その発想を点検し変革することが可能になるということ。また、そのためには、言表の場面規定を押え、自己の遠近法を調節する必要があること、などです。
 自分自身の印象を大切にしつつ、またそれに固執することなく、よりすぐれた発想を自分の中に組み入れる、そのことで自分をより豊かにしていく――そんな集会にできたらいい、と思っています。
 (千葉・安房高校)
  
  
 1997.8
機関誌 第178号
   
《資料47》福田隆義 「〈巻頭言〉二十一世紀に生きる子どもたちを見すえた母国語教育を」 

 「改革」という言葉が氾濫している。「政治改革」に始まって「行政改革」「経済構造改革」などなど。「改革」という言葉には、なにがしか期待を持たせる響きがある。が、その期待は裏切られるばかりだ。「教育改革」も、例外ではない。中央教育審議会(中教審)は、昨年につづき第二次「答申のまとめ」を五月三十日に公表した。予想はしていたものの、われわれの期待に応えるものではない。子どもたちの呻きや叫びを聞きとっていない。この答申を受け、今後は教育課程審議会で次期「学習指導要領」の改定に向けた審議が始まることになる。
 ところが、それを先取りする動きが、国語教育界にある。例えば、明治図書刊「教育科学・国語教育」(五月臨時増刊)では「二十一世紀の国語科学習指導要領」という特集を組んでいる。そこでの提案や意見の多くは、中教審の答申に即したもののようだ。「国際化」「情報化」に対応できる日本語の教育をとか、中教審答申でいう「生きる力」を踏まえた改善を、あるいは、新しい学力観の確立に連動すべきである、などなど。
 その中から「文学の読み」についての提言・意見を拾ってみよう。殆んどが大学の先生方の見解である。例えば「『読者論』による文学作品の解釈を自由に楽しむ仕事は、クラブ活動の受け持ちにしたらよい。すると『この教材の面白さはどうやって教えたらよいのか』という難題は無くなる。めでたいではないか」という提言。あながち挑発提言ではなさそうだ。というのは、それに対して「文学的な文章を排除するのではありません。当然『情報』の一種として扱います」と補足意見がある。さらには「文学好きは、今や〝趣味〟の問題」といい切る方も。また、やや視点は違うが「情報化時代が進むにつれて、国語科の授業のなかでも、文学をじっくり時間をかけて鑑賞するような読み方は減っていき、文学なども情報の一つとして位置づけられるようになりつつある」と状況を分析してみせる。「国際化・情報化」のすすむなかでは、外国人にも理解してもらえる「論理的言語」と「コミュニケーションの技術」の訓練に力を注ぐ必要があるからだ、というのが理由のようだ。そのこと自体は大事であり否定はしない。しかし、技術の訓練が国語(母国語)教育の最終目標ではないはずだ。ともあれ、この特集で見る限り、国語教育も時代の流れに対応・適応すべきだという見解が、多数であることは確かだ。
 むろん「文学作品を国語科教材から追放しようという声もあるようであるが、賛成はできない」という意見もある。「『文学作品の読み』は国語科固有の仕事」だとする見解、「文学の読み方と併せて自分とつなげての人間の生き方を学ぶ――自分探しの学びこそ重視されるべきであろう」という主張、「国語(日本語)を干からびた魅力の乏しいものにしてしまう」という危惧などがそれである。だが「文学教育」という発想からではないようだ。もっとも、「学習指導要領」には、「文学教育」という発想はなかったし、今もない。
 文教研は、一貫して「母国語教育としての文学教育」を主張してきた。文学教育は、母国語教育の一環、しかも重要な側面として位置づく。文学教育を外しては、母国語教育そのものが成立しないという主張である。文学教育は、言葉(母国語)の機能の一つ、言語形象を媒介に、人間が人間として明日を生きる道筋を思索する場といえよう。母国語はたんにコミュニケーションの用具ではないからである。
 前記「教育科学・国語教育」特集のテーマをもじっていうなら、今次集会の課題は「二十一世紀に生きる子どもたちをみすえた母国語教育を」である。国語教育界の混迷を打破する確かな足場を築く討論を期待している。

 
・1996.2.1 〈いじめ〉問題の解決をめざし、日教組第45次教研集会、大阪で開幕(~2.4)。2.10文部省、いじめみよる自殺続出に教育長を集め臨時会議を開催、2.13 省内に〈いじめ問題対策本部〉設置。 
1997.11
機関誌 第179号
《資料48》福田隆義 「〝文学教育の復権〟を訴える」

 私たちが、大学セミナー・ハウスに合宿研究会会場を画定してから、もう二七年になります。全国集会はもちろん、春・冬の合宿、後に全国集会準備合宿も加え、毎年四回の合宿を重ねてきました。今次集会は一〇一回め。それを記念する今夜のレセプションには、館長の岡宏子先生もご出席くださることになっております。
 二七年、一〇一回はもちろん、私たちは創立以来「母国語教育としての文学教育」を主張しつづけております。文学教育は、母国語教育の大事な側面として位置づく。母国語の機能からみて、文学教育を欠いては、母国語教育そのものが成り立たない、と考えるからであります。ところで、今次集会の《統一テーマ》は「文学教育の復権――読者論の視点から」。今ここで「文学教育の復権」を掲げなければならないことを残念に思います。と同時に、今だからこそ、積極的に私たちの主張をという、決意の表明でもあります。
 というのは、最近、国語教育から文学教育を抹殺しようとする動きが目立つからです。といっても「学習指導要領」に文学教育という発想があったわけではありません。読むことの、そのまた一部分として教科書に文学作品があったにすぎません。それをさえ非難し排除しようとした、自民党の教科書攻撃(『いま、教科書は……』 自由民主党・一九八〇年刊)は、記憶に新しいと思います。が、あまりにも稚拙であり、論理のなさに執筆者も出版社もあきれたのでしょう。それらの作品は、今も教科書に健在です。
 ところがここにきて、中央教育審議会や、教科課程審議会に注文をつけたり、それを支持する学会の動きが出ております。たとえば、日本言語技術教育学会が要請した、中央教育審議会あての提言です。「『国語科』教育の抜本的改革――次期学習指導要領改定へ向けての緊急提言」(一九九六年四月二八日)がその一つ。どうやら外国人にわかる言語技術の訓練を日本語教育の中心課題にせよということのようです。中教審答申でいう「国際化;情報化」に対応しています。その提言の趣旨が「教育科学 国語教育・五月臨時増刊号『二一世紀の国語科学習指導要領』」」(明治図書刊)に詳述されております。文学作品に関する個所でいうなら「例えば『読者論』による文学作品の解釈を自由に楽しむ仕事は、クラブ活動の受け持ちにしたらよい。すると『この教材の面白さはどうやって教えたらよいか』という難題はなくなる。めでたいではないか」といった調子です。が、冗談ではないようです。自民党の稚拙な個々の作品非難とは違って、教科書から文学作品を抹殺する「指導要領」を改定せよというのでしょう。この提言に、別の論者は賛成意見を述べ「文学的な文章を排除するのではありません。当然『情報』の一種として扱います」といい添えている。文学的文章の読みは「情報を客観的に読みとる」ことの一部分だというのです。
 ところで、文学作品を〈客観的に読みとる」とは、どういうことでしょうか。ここに「教材研究の定説化2『ごんぎつね』の読み方指導」(明治図書刊)という本があります。「科学的『読み』の授業研究シリーズ」のなかの一冊です。「科学的で客観的な読み」を「言語技術教育としてそれを方法化し体系化」しようと研究を進めている団体の著書。この一冊があれば誰にでも一定水準の順の授業ができる、というふれこみです。
(…)
 『ごんぎつね』に即していうなら、主題は「理解しえなかった愛の悲劇」。この定説、つまり、主題をつかませるために「構造読み」「形象読み」「主題読み」の、三段階の読みを設定します。「授業の定式化」です。
(…)
 こうした読みでは、読者である子どもの主体は位置づかない。また、教師の主体はどうなるのでしょう。教師の主体を通さない教育は教育の名に値しない。この発想は文教研の基本姿勢を示します。ここでいう授業の定式化は、文学作品の読みではない。主体の変革を促す契機ではありません。今次集会のテーマに『文学教育の復権』を掲げた理由です。
(…)
  
  
 1999.3
機関誌 第184号
  
《資料49》福田隆義 「〈巻頭言〉文学教育を抹殺して生きる力が育つか 

 十二月十四日公示の、一九九八年版改定「学習指導要領」小・中学校編を読んだ。読み通すには、たいへんな努力と我慢が必要だった。こんな文言を論議しながら書く(書かされる)方々に同情した。丹念に読む人はあるまいと思った。が、この文言が行政を縛り教師を拘束し教科書を規制すると思うと、黙視はできない。子どもたちの未来にかかわる問題であるからだ。
 すでに、中央教育審議会の答申や、側近のジャーナリストの誘導、先導的試行という名の実践報告などで予想はしていた。一言でいうなら、文学を教育の場から抹殺しようということだ。もっとも「指導要領」に、文学教育という発想があったわけではない。教科書に文学作品、ないし文学的な文章が掲載されていたにすぎない。それをさえ排除、または骨抜きにする読みをさせようというのである。
 たとえば、教材選定の基準に「説明的な文章や文学的な文章などの文章形態を調和的に取り扱うこと」という一項が加えられている。一見もっともらしい記述である。が、計算し尽くされた追加項目のようだ。マスコミは、この一項を鵜呑みにして騒ぎたてる。「案」が発表された翌日、十一月十九日の各紙は、つぎのように報道した。「文学的文章の読みとりに偏っていた現状を改め、生活に役立つコミュニケーション能力の育成を重視する」(朝日)、「六、七割を占めていた文学的文章を減らし、説明的文章を増やす」(読売)、「文学作品読解を軽減」(毎日)。あたかも、文学的文章の読みが、子どもの過重負担の元凶であったかのような報道だ。こうした論調で煽っておき、次期教科書から文学・文学的文章を締め出す。自主規制をさせるという筋書きだろう。それでも教科書に残った文学的文章は、情報の一つとして読ませる。たとえば[必要な情報を得るために]とか「効果的な読みを工夫する」などと強調する。文学を文学でないものにする読みである。
 いま一つ、せっかく国語科の目標につけ加えた「伝え合う能力を高める」も、生活に役立つコミュニケーションを、ということのようだ。今回の改定でも「生きる力」を強調する。生きる力は、生活に必要な情報を効果的に処理する能力だけではないはずだ。言葉の機能は、一方通行の伝えに終始する用具ではない。言葉は思考や思索の用具である。自問自答、自己凝視など、心に暖めた仲間、内に反映された仲間との対話を通して伝え合いも進行する。そこで果たす言葉の働きである。自他変革の契機をもたらす言葉の生産的機能といえよう。そうした言葉操作を身につけてこそ「生きる力」も育つ。
 ところで、その機能に概念的操作による思考と、形象的(イメージ)操作による思索の側面とがある。両者は支え合いながら、人間の認識活動を促し深めていく。文学教育は、いうまでもなく、後者を軸に展開する。概念としての言葉も具象的なイメージに裏打ちされて、はじめて自分のものになる。文学教育は当然、母国語教育の重要な側面として位置づけなければならない。さらにいうなら、すぐれた文学は、読者にイメージにおいて、あるべき現実、あるべき未来への思索を促し、あるべき行動の選択を迫る。いうなら、文学教育は読者の主体を賭けた感情ぐるみの認識をはぐくむ教育である。したがって、楽しい学習であり、ときには苦しい学習にもなる。そうした文学の機能を体制側は百も承知のはず。承知しておればこその文学教育の抹殺であり、文学的文章の排除である。
 この時点で「母国語教育としての文学教育」という私たちの主張を再度、確認し合いたい。秋季集会「心に〝あそび〟を――文学を読もうよ」も、そうした文学教育研究と文学教育運動の一環だった。今ほど、私たちの力量が問われているときはない。
 
・1998.12.14 文部省、小・中学校学習指導要領改定を告示。  

・1999 文部省、高等学校学習指導要領改定を告示。  
1999.8
機関誌
第185-186号
  
 
《資料50》芝崎文仁 「国民主権の思想こそ 国柄変ったことの意味/『君が代』問題に考える 

 いつのまにか国旗・国歌の問題が持ち上がってきて、あれよあれよという間に、「日の丸」を国旗として、「君が代」を国歌として法制化しようという動きが一段と激しくなってきました。そして、とうとう国会にその法案がだされました。そこで、改めて『君が代』という歌がいかなるものなのか、次の四点にわけて検討してみたいと思います。
 第一点は、国柄(国体)の大転換があったという共通認識に立って考えることが大切だということです。太平洋戦争の末期、支配層は、「国体護持」を唯一の条件にしてポツダム宣言を受け入れ、戦争を終結させました。その間に沖縄戦があり、各地の空襲があり、多数の国民が殺されました。生命・財産に大きな損失を蒙りました。その結果、形の上では日本は天皇制を維持しましたが、大日本帝国憲法下の天皇主権の国体とは違って、新しい日本国憲法の下では、前文において、「主権は国民に存することを宣言し、ここに憲法を確定する。」と高らかにうたい、国民主権の国であることを明確にしました。日本国憲法の第一章には天皇条項があり、形の上で天皇制は残されていますが、「(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」と規定されています。日本国は国民が基本の国柄(国体)となったのです。歴史における非連続の連続です。国のあり方が戦前と戦後では質的に全く違っていて、連続しておらず断絶しているのです。しかし、歴史はつながっています。政府・自民党には、連続面だけをみて、日本国は質的に全く同じものだと考えている節が見られます。が、それはまったくの間違いです。
 戦後の政府は、この国民主権という国柄への質的転換をはかるという点において、その実現をサボリ続け、憲法を蔑にしてきました。日本国憲法に則り、その内容の実現に行動してきたならば、『君が代』を国歌のように扱うことはなかったはずです。現内閣官房長官が、『君が代』は国民的な合意を得てきたといったいますが、かりにそれをいうことができるとすれば、例えば、政府が『君が代』を禁止しているにもかかわらず、国民がどこでもかしこでも『君が代』を歌い続けてきたという事実がある場合だけです。しかし、現実は全くその逆です。政府が憲法に違反して、教員に対する解雇罰を含む強制によって学校で歌わせてきたにもかかわらず、今もって、『君が代』が国歌だという合意はとられていないのです。実際には反対者がそれほど多数いるということです。大日本帝国憲法の下では、支配者は学校を通して『君が代』を広め、国民に天皇賛美の歌を歌わせてきました。今また、日本国憲法の下にありながら、学習指導要領を「望ましい」から「指導するものとする」と書き替え、ついで『君が代』斉唱の実施状態を調査するという形で学校に圧力をかけ、強制し、広めようとしています。
 第二点は、『君が代』の内容に関することです。いうまでもなく、『君が代』は、天皇讃歌として作曲され、歌われて来たということは否定しようのない事実です。今では『君が代』は天皇賛美の歌であるということで、国歌化に賛成・反対の別なく国民の一致した考えとなっています。
 この『君が代』の元歌は、古今和歌集巻七の冒頭歌「わが君は……」ですが、和漢朗詠集に採録された時に、「君が代は……」となります。以後、物語・お伽草子・謡曲・浄瑠璃・隆達小歌・盆踊歌・祭礼歌といったものから、いわゆる乞食の門付歌にまで歌い継がれるということになりますが、それぞれの場によって、「わが君は……」となったり、「君が代は……」となったりしていたそうです。このことについては国文学者の山田孝雄氏が『君が代の歴史』(宝文館出版、一九五六・一)の中で詳しく述べています。ところで、現行の作曲された『君が代』の歌詞のもとになったものは、薩摩琵琶『蓬莱山』によるものと言われています。それは、薩摩出身の大山巌が歌の選定をしたので、そこから取り出したのだということが定説のようです。古今和歌集以来の「わが君は……」や「君が代は……」の「君」は、天皇を指す場合もあるし、目の前の相手を指す場合もあり、当然のこととして多様に理解されてきたと言えます。そういう和歌の歴史があったにもかかわらず、作曲された『君が代』の「君」は明らかに明治天皇を指していました。そのことは、明治天皇の誕生日に天皇讃歌として初めて披露されたことでも分かります。
 一八九三年になると「祝日大祭日歌詞並楽譜」が定められ、その中に『君が代』が位置づき、各小学校で歌うことが義務づけられるようになります。国民(当時は臣民)誰しもが『君が代』を知ることになったのです。学校教育を通して『君が代』が広められ、天皇賛美の精神が養成されることになったのです。一九四三年の国定教科書で、「……実に国民こぞって御稜威のほどを畏み国体の精華を発揮し、唱和する歌」と規定されていることは、教育関係者であれば、だれでもが知っていることです。こうして、古今和歌集から明治初期までの「わが君は……」と作曲された『君が代』の「君が代は……」の「君」とは、質的に全く違ったものとなってしまったのです。ところが、この天皇讃歌の『君が代』にしても、一九三七年の第四期国定教科書ではじめて「国歌」と記述されたにもかかわらず、あの軍国主義のもとにあった一九四二年の第五期国定教科書では「国歌」という記述は再びなくなっているのです。あくまでも天皇讃歌であって、国歌にしてはならなかったからだということは明らかです。
 『君が代』が国歌でなかったもう一つの証拠として、一八八二年の国歌制定の計画があります。その計画の中で命を受けた文部省音楽取調掛は合計十編の歌詞を選定しますが、『君が代』はその選定から外されています。「畏れおおくも天皇讃歌」である『君が代』を国歌にはできない、してはならないということだったのでしょう。
 第三点は、文化の帰属性の問題です。このことは、非常に大事なことと、私は考えます。こうした視点からは今まであまり論じられていませんが、文化とは特定の人のものではなく、民族のなかで培われてきた民族共有のものだという点に立ってぜひ考えてみるべきだと思うのです。
 「君が代は……」という短歌(文化)は日本民族が長年月をかけて培ってきた民族のものです。それが明治になって天皇讃歌として作曲されることで、「君」はただ一人を指すものとなり、天皇が文化(短歌「君が代は……」)を独占するということになりました。文化を、天皇が国民から奪ったのです。それを、いま、文部省は、学習指導要領の中で「現憲法の下では日本国及日本国民の統合の象徴である天皇をいただく日本の繁栄を願うものとして理解すべきである」として、『君が代』を国民に返そうというわけです。が、私は遠慮したい。
(…)
 今大事なことは、『君が代』を文化という観点から、そしてまた「国民主権から」という立場から検討し直し、本来の意味での「君が代は……」や「わが君は……」を取り戻し、天皇讃歌としての『君が代』を徹底的に否定していくことだと思うのです。
 第四点は、公的な強制ということです。現学習指導要領で、それまでの『君が代』という記述を「国歌」と文部省は勝手に書き替え、それを理由に、『君が代』を国歌として各学校に強制的に押しつけています。「文部省は、己れを何様と思っているのか」といいたい。文部省があたかも国民の一段上にいて、蒙昧の民衆をしつけてやるといったような態度が見えて、腹立たしいかぎりなのです。これは、「国民主権」という憲法の規定からみて、憲法違反の横暴な行為です。公務員として当然守らなければならない憲法遵守ということから逸脱した〝文部官僚〟の行為です。学習指導要領に法的規制があるということ自体に問題はありますが、それを措いても、『君が代』の強制指導は、本来的に憲法違反なのですから、「実施率の調査」ということで強制するということも、勿論、間違いです。
(…)
 集団疎開児世代の者として、真面目に少国民たらんとし、特攻隊を夢みた私ですが、戦後の日本国憲法とともに生きてこられた喜びとともに、いまでは、『君が代』については許せないものを持っています。たった十歳の子どもに『死』を教え、それを純粋にそう思い込ませた学校教育とジャーナリズムをはじめとする社会の風潮も許せないのです。以後、物事を批判的な目でみて生きてきた私は、日本社会にあって、日本国憲法との関係で諸事万端けじめをつけていくことの大切さを身に感じつつ、これからも生きていくものです。
 そんな私が、ひとり「六甲おろし」を歌い、南無阿弥陀仏を唱えることに文句をいうひとはいないはずです。『君が代』の好きなひとは、私と同様にひとりかまたは仲間で歌えばいいのです。公立学校の教職員は、この「私」のけじめができてはじめて民主教育ができるのです。日本国憲法・子どもの権利条約のもとで公教育の意味を考えるべきなのです。
(…)
 国民の権利を剥奪したり、認めなかったり、制限する人たちは、総じて『君が代』を強制することに心の痛みを感じない人たちです。日本国憲法の、世界のなかでも優れた「国民主権」規定の意味を理解していない人たちです。『君が代』は、現在の日本にあって、「国民主権」・民主主義の思想を測るバロメーターの一つになっていると、私は確信しています。
  
  
2001.4
機関誌 第191号
《資料51》樋口正規 「文学教育の可能性――今、私にできること 

はじめに(…)
戦時下の児童作文(…)

教育基本法と教育勅語
 敗戦を機に教育も大きく変わりました。教師の中には、それまでの教育を深く反省して新しい教育を目指した人もいるし、急激な転換に耐えられなくて辞めた人もいます。また、じっくり考える余裕もなく、生活のために教師を続けた人も多かったようです。
 ともあれ、大きな流れとしては、戦前・戦中の軍国主義教育・皇民教育の反省に立ち、新憲法に則って教育基本法が制定され、民主教育の理念が提示されたわけです。今、首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」などを中心に、この教育基本法の見直しと「改正」が論議されていますが、果たして本当に変える必要があるのでしょうか。拾い読みしてみますので、御一緒にお目通し下さい。
(…)

「君が代」の国歌化をめぐって
 昨年八月、国旗・国歌法案が十分な論議もないまま国会を通過しました。国会審議中に、私は地元の新聞に「国旗・国歌に若者の声を」と題する短い文章を寄せ、「子どもの権利条約」にある意見表明権に関連させて、学問的真実に基づく自由な議論を呼びかけました。その時頭にあったのは、意味も分からないままに「君が代」を歌った、小学校時代の思い出です。
 歴史的にたどってみますと、一九五八年(昭和33年)の学習指導要領に「君が代」斉唱が明記されて間もなく、私も田舎の小学校でそれを歌い始めたことになります。(…)
 一九五〇年生まれの私が小学校に入った頃には、校庭の一角に、壊れかかった奉安殿が残っていました。薪を背負って本を読んでいる二宮金次郎の石像もありました。戦前を引きずりながらの戦後の始まりであったことが、今にして分かります。国旗掲揚台には、確か「天壌無窮」の文字が刻んでありました。元日は全校登校で式があり、「君が代」や「元旦の歌」(配布資料にある「一月一日」、千家尊麿作詞、明治26年)を歌いました。
(…)
 意味も分からずに、あるいは自己流の解釈をしたままで、詩や歌を覚えるということはよくあります。
(…)そのうち元日の式は取りやめになり、「君が代」も形式的に歌わされただけでしたから、深く考えることもないまま中学・高校と過ぎて行きました。けれども、自分が教師になって、「日の丸・君が代」の歴史を学ぶ中で、これはきちんと教えなければいけないと思うようになり、授業でもホームルームでも意識的に取り上げました。それが、今回の法制化によって少しやりにくくなりました。今までは「君が代」は国歌としての法的根拠を持っていなかったので、歌意を教えることで<あるべき国歌>への思索を促すことができましたが、今やそれが難しくなってしまいました。では、何も教えなくていいのか――。強制がいっそう強まる中で、今何をすべきか、悩んでいるところです。
(…)

文学教育運動の始発点
 戦後、憲法や教育基本法のもとに民主教育が進められますが、間もなく「逆コース現象」と言われる教育の反動化が顕著になります。そういう中で、文学教育運動が、戦前の綴り方運動などを継承・発展させるかたちで始まったわけですね。今、そこに目を転じてみることにします。
 最初に、一九四七年(昭和22年)に「試案」として文部省から出された学習指導要領です。基本的にはアメリカ渡りの言語活動主義・プラグマティズムに基づく国語教育の考え方が貫いていて、全体として決して評価できるのものではありません。しかしここには、今の指導要領などと比較して、文学の位置づけについて積極的なところが見られます。例えば、「国語科学習指導の目標」の「三」に、「豊かな文学を味わうため」という言葉があり、「文学は、国語科教科書・作文・読み物などによって学習し、生活に真と美とを見いだす力を与える。」と述べ、「美的意識を育て、文学の世界を味わう」能力の向上を目指しています。この「文学」という言葉は、その後の指導要領の中では注意深く避けられ、「文学的文章」という言い方に変えられます。もちろん、「文学教育」という言葉や理念は、この「試案」も含めて指導要領には皆無です。ただこの段階では、文学というものを、「真や美」を見出す力との関連において位置づけていたことに目を向けておきたいと思います。
 一方、こういう〝上からの文学教育〟とは違って、民衆の立場に立った文学教育の提唱と実質的な展開がありました。そしてその、言わば〝下からの文学教育〟の盛り上がりを示す画期的な動きが、一九五六年から五七年にかけての「文学教育の会」の創立でした。「文学教育の発展のために」と題した呼びかけ文書の発起人の中には、荒川有史・熊谷孝といった文教研メンバーの名前もあります。全国的な研究・運動団体を組織して、子どもたちの未来へ向けて真剣に運動を開始したのでした。お手元の文学史年表にありますように、この会の設立は、日本民主党の『憂うべき教科書の問題』(55.8)、文部省の「高校学習指導要領国語科編」(55.12)、そして任命制教育委員会の発足(56.10)と、教育への介入と統制が強められる時期のことでした。その後、道徳教育の強化や教職員への勤務評定実施への批判と抵抗の盛り上がりの中で、五十八年十月にはこの文教研が結成されました。こうした民間の教育運動というかたちで、文学教育は展開されてきたわけですね。

文学教育のめざすもの(…)

新学習指導要領の問題点
 ここでごく簡単に、最近改訂された学習指導要領に触れたいと思います。指導要領など一般の方は目にする機会が少ないでしょう。私たちも、普段はほとんど読みません。しかし、現実にこれが教科書を縛り、教育の中味を規定するのですから、軽視することはできません。大体十年に一度くらいの間隔で改訂されますが、特に今回の改定は大幅で、しかも大きな問題をはらんでいます。
(…)
 今回の改訂では、日常のコミュニケーションに困らないような実用的な能力をつけるところに力点が置かれています。「言語の教育の立場に立つ」と言っていますが。実のところそれは、国語科教育における実用主義・適応主義の徹底と文学教育の排除に他なりません。しかし、そういう中でも文学教育は続けられなければいけない。教育基本法第二条にならって申しますと、文学教育はあらゆる機会にあらゆる場所において行われなければならない、と思うのです。中心はもちろん国語科教育においてですが、教科の枠を越えて、文学教育意識を持って実践を続けることが大事だと思います。

地域との関わりの中で(…)
  (千葉・安房高校)
  
・2001.4.3 教科書検定、〈新しい教科書をつくる会〉の中学〈歴史〉〈公民〉教科書が合格。   
2001.11
機関誌 第193号
《資料52》福田隆義 「〈文学教育よもやま話 3〉 私と学習指導要領 

はじめに
 扶桑社版<新しい歴史教科書をつくる会>(つくる会)の「歴史教科書」が、いちばん「学習指導要領」に即している、――採択委員のなかには、こういう意見の人もあった、と新聞が報道した。また、<子どもと教科書全国ネット21>(教科書ネット21)の事務局長、俵義文氏によると<つくる会>は、四年後のリベンジを主張し、二〇〇四年採択の、小学校国語・社会の教科書の出版も企画しているらしい。 だからだろう、何十年も読んでいない「学習指導要領」を読んでみたいと思った。(…)

読まれない「学習指導要領」
 以前、なにかで読んだ。「学習指導要領」の執筆関係者の文章だったと思う。「学習指導要領」ほど読まれぬ出版物はない。拘束性をもちながら徹底しない規則はない、というような趣旨だったと記憶している。なるほどおもしろくない文章だ。あたりまえのことだが、拘束を感じる。私のような主体性のない弱虫は、読めば読むほど、文章に縛られて萎縮してしまう。授業の足しになるとも思えない。読まれないのが当然だと思った。なまじい読まないほうが健全で、自分の国語科の授業といえるような実践ができるのではないか。OBの率直な印象である。
 ところで、長いあいだ教職にありながら、私が真面目に「学習指導要領」を読んだのは、一九五八年の改訂版ぐらいである。文教研の前身<サークル・文学と教育の会>の誕生は、この年の一〇月。機関誌「文学と教育」の創刊号(一九五八年一〇月)は「改訂・学習指導要領批判特集」だった。その座談会に出席するために、まじめに読んだ。
 私の二十歳が敗戦の年。戦後十年間で、いくらか民主主義が身についたと思っていた。ところがこのころ、日本の進路を、大きく変えようとする動きが急だった。教育界では、勤務評定をはじめとする諸施策の実施。より端的にいうなら、六〇年安保闘争の前夜である。この改定で教育の内容も大きく右に旋回すると思っていた。
 危惧していた通り、「学習指導要領」から「試案」の文字が消え、拘束力をもつようになった。道徳の時間を設けて、道徳教育を強要するなどの形で表面化した。そうしたことへの一定の批判をもって、座談会にくわわった。それにはだれも、異論はなかった。だが、国語科の論議にはいったとき、私は驚いた。思いもしなかった視点からの批判だった。若輩の私は、大先輩や先輩の意見を拝聴することに終始した。拝聴? 傍観者ふうの言いかただが、あの時の私には、いちばんぴったりした表現だと思う。

教育の右旋回にたいする怒り(五八年版)
 いま少し具体的に述べよう。この座談会では、まず教育の右傾化に対する怒りが、こもごも語られた。改定版も、言語技術主義であることに変わりはない。が、指導上の留意事項に「学習の素材は、児童の発達段階に即応させ、次のような観点のもとに片寄ることなく用意する」という、教材選択の基準十ヶ条が、新しく加えられていた。そこには「常に正しく強く生きようとする気持ちを養うのに役だつもの」とか「人間性を豊かにし、他人と良く協力しあう態度を育てるもの」などに混じって、「道徳性を高め、教養を身につけるのに役だつもの」「国土や文化などについて理解と愛情を育て、国民的自覚を養うのに役だつもの」などの文言があった。
 教材選択に基準で選択された教材、それも、道徳性を高め、国民的自覚を養うような教材で、言語活動・言語技術の指導をということになろう。これでは、国語科は道徳教育や国民的自覚を養う教育の下請けになってしまう。国語科は下請け教科ではない。言葉は単なる道具ではない。そうした不満や政治性への偏向の危惧が語りあわれた。

文教研のスタートライン
 いま一つは、先に驚いたと書いた、そのことである。驚いたのは、大先輩や先輩の「学習指導要領」批判の視点だった。言葉は単なるコミュニケーションの道具ではない。思考や思索の手段である、というのである。
 その批判の要点を、記憶をたどりながら紹介しよう。一九五一年版もそうだった。この改定でも、字句の修正ではまにあわない。その根底にある、言語観・文学観の変革なしには、国語教育は成立しない。国語科の学習を「聞く・話す」「読む」「書く」の三領域に分け、それぞれの指導事項と学習活動が羅列してある。が、これでは言語活動・言語技術の指導にしかならない。だいいち、たんに聞く・話す・読むというようなことはありえない。何かを聞き、何かを話、何かを読んで、思考や思索をふかめるのであり、その何かが問われなければならない。われわれは、母国語の文化、文学の学習を軸にして、読んだり、話したり、聞いたりの、ひとまとまりの学習活動を文学教育と考える。それは、国語科教育の大事な側面として位置づくはず。それなのに、この改定でも文学は読むことのなかの、そのまた部分にしかならない。この発想では、国語科のなかに、文学教育は位置づかないし、位置づけようがない。文学教育は、国語科教育にどう位置づくのか、位置づけるのか、そこから学習を始めようということになった。「学習指導要領」の基底になっている、言語観・文学観から問い直そうというのである。それは、教科構造をどう考えるかという問題でもある。
 前記<サークル・文学と教育の会>の創立宣言「私たちのしごと」には、そう書きつけてある。この座談会は、いわば文教研のスタートラインだった。その後、文学や言語の機能の学習を重ね、国語科の教科構造を世に問うた。その構造のなかに文学教育を、国語科教育の一側面として位置づけた。「国語教育としての文学教育」の提唱である。教科構造は、またの機会にゆずるとして、私の理解している「国語教育としての文学教育」をつぎに略述しよう。

国語教育としての文学教育(…)
戦後・新教育のなかの国語科(…)

形をかえた拘束
 今回の改定でも、国語科教育を「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」と「言語事項」にわける。「三領域・一事項」というのだそうだ。そして、それぞれの指導事項が小学校のばあい、一・二年、三・四年と二学年まとめて列記してある。考えかたとしては、四十五年前
[戦後のコアカリキュラムの時代]とまったく同じである。一九五八年版への批判がそのままあてはまる。ただ、学校完全五日制、「総合的な学習の時間」の新設などで、国語の時間数も大幅に減らされている。そのしわよせと思いたいが、改定の基本方針に「特に、文学的な文章の詳細は読解に偏りがちであった指導の在り方を改め」云々とある。なぜ「特に」なのか、しわよせ以上のものがありそうだ。文学を詳細に読む、文学教育を主張する、それは偏向だという、偏見がありはしないか。
 教材選択の基準も、そのまま生きている。六八年、七七年、八九年版と、どう変わってきたかをたしかめる資料が手元にない。が、五八年版とは微妙な違いがある。たとえば、五八年版は「国土や文化などについて愛情を育て、国民的自覚を養うのに役だつもの」だったのが、今回は、より厳しく「我が国の文化と伝統に対する理解と愛情を育てるのに役立つこと」と「日本人としての自覚をもって国を愛し、国家、社会の発展を願う態度を育てるのに役立つこと」の二項目になるなどである。これは、微妙な違いではすまされないのかもしれない。「我が国」とか「日本人」云々は、<つくる会>の人たちが、国語教科書をつくるとき楯にしそうな文言である。冒頭紹介した、俵義文氏の、<つくる会>は、二〇〇四年採択の「小学校社会・国語の出版も企画しています」という警鐘は重く受け止めなければならない。採択にあたって、この部分を引用し、<つくる会>の編集した国語教科書が、いちばん指導要領に即している、という委員がでないとはいえないからである。
 もう一つ、違いがある。この違いのほうが大きいように思う。私には「七夕の会」が三つある。もと同じ学年を組んだ人たちとの集まりである。一つは、七月七日に集る、正真正銘の七夕の会。平均年齢は喜寿に近い。あとの二つは、年に一度集まるという意味の七夕。まだ現職もいるので、話題も職場の問題が多い。
 そこで「学習指導要領」は読まなかったし、しらなかったというような話をすると、OBは気楽なものだとか、昔はよかったという話になる。今は違うというのである。指導要領が読まれないのは、今も変わらないらしい。が、読まなくても、徹底させる仕掛けが整っている。それでなくても忙しい教師に、講演会、講習会、研究会への参加が命じられる。いつのまにか、指導要領を先取りする研究指定校になって実践を強いられる。そんな方法で、「学習指導要領」の徹底をはかっているらしい。命令、強要、服従、それは無責任教師のすすめである。さもなくば、面従腹背の教師をつくる。教育の場にはもっともふさわしくない、教師像が形成されるのではなかろうか。

 
  
2002.11
機関誌 第196号
《資料53》福田隆義 「〈文学教育よもやま話 6〉 文学に力を借りる 

はじめに
 年賀状はたいへんな数になる。暑中見舞いはせいぜい二十数通。当然ながら儀礼的なものが多い。が、なかには、何度も読み返す書状がある。身上の変化や、時代を厳しくとらえたものなどである。怒ったり、笑ったり、ときには考え込んだりで、けっこう、“喜寿”に近い使い古した脳を刺激する。今年も何度か読み返した、暑中見舞いがある。

「暑中見舞い」異変
 二十年昔の教生(教育実習生)先生から今年も暑中見舞いをいただいた。いつもになく元気のない文面である。私信だが引用させていただく。
 暑中お見舞い申し上げます。
 おかわりございませんか?
 今年から、楽しいはずの夏休みの研修権を奪われ、疲れもとれないまま出勤つづきです。これでは、やる気も張り合いもなくし、暗くなってしまいます。さまざまな締めつけに、ほんとうに悲しい思いをしています。
 元気がなくてすみません。
 子どものいない学校に出勤し、保健室あたりで悶々としている彼女を想像した。あるいは、雑用に追われているのかもしれない。子どもなら、とうに切れている。暴れている。嫁いだ娘が、いじめられているような気持ちになってしまった。娘なら「戻って来い」と声を荒げたいところだ。
 四年生を担当しているときだった。彼女が配属されてクラスがわいた。学年が明るくなった。子どもたちが「先生は、かわいそう。教生先生にみんな取られちゃったね」と同情してくれるほどだった。快活な彼女の人気はクラスの枠をこえていた。展覧会の飾りつけで、高いところは一手に引き受けてくれた。男まさりの梯子操作だった。習字が達者で、案内や説明書きはお手のもの。学年一同感謝したものだ。多才で気丈で、決して弱音を吐くような教生さんではなかった。
 また、律義な方で年賀状と書中見舞いは、二十年つづいている。しかも、印象に残っているものが多い。「小学校に採用された喜びと決意」、大変だけど、子どもはかわいい」というのがあった。「姓が変わったことと転居」の喜びの通知。「研究授業をすることになり、夏休み返上で勉強している」こと。「教生さんを引き受けることになった」という知らせ。「都の研究指定校になり、忙しい毎日です」というのも印象ぶかかった.彼女はいつも、やる気満々、明るいニュースばかりを届けてく れていた。 
  そろそろ四十代もなかば、教頭試験を受けるのではない かと思っていた。そのコースを進んでいるように思えた。 そこへ、右の暑中見舞いである。あの娘がこんなに落ち込むとは?という違和感もあった。あるいは、これまで暗い年賀状や暑中見舞いになることを、故意に避けていたのかもしれない。締めつけが、ここにきて限界点に達したのかもしれない、などなど想像している。ともあれ、やる気満々の中堅教師が、やる気も張り合いもなくしている。尋常ではない。これはもう、教育の「荒廃」どころか「破壊」である。締めつけが破壊をもたらしている。
  これはしかし、彼女ひとりの思いではない。多くの良心的な教師の思いを代弁している。というのは、民間教育研究団体(民教連)の、夏季集会に参加した教師の声でもあったからだ。参加者の多くは、年次休暇をとって参加している。それも認められず、子どものいない学校に出勤している人もあると聞いた。彼女もその一人。
  同好の士が集まって交流し合う研究は、教師の義務で自由だったはずだ。教師が研修や研究をとおして横に手を結ぶことなしに、ゆき詰まった教育の現状を打開する方途はない。校長に、その許認可を与える権限があるのか問うてみたい。あればその基準も知りたいところだ。こうした教育現場の声は、なかなか部外者に聞こえてこない。新聞の「声」欄で散見するくらいだ。マスコミもほとんど取り上げない。

校長に間違いはないか
 他方、これは東京商工会議所主催ということになっている。新聞(朝日・八月一六日夕刊)は、一面トップに「企業現場に先生も学べ」という大見出しで、百貨店や老舗で研修した教師を紹介。こっちはマスコミも熱心なようだ。参加者の感想は「ブランドイメージを壊さず、妥協せずに開発していることがよくわかった」というのである。そういう老舗もあるだろう。企業にそういう、一面はあるのかもしれない。さらに今後、教師はもちろん、子どもを受け入れる計画までたてているようだ。これは、教育の民間への移行であり、企業の営業政策でもあろう。教師がその一翼を担うことにならないか。
 ちまたに「世間知らずの先生」という批判のあることは知っている。ならば「雪印」や「日本ハム」で研修させてもらい、世間を知ろうじやないか。「東京電力」でも「三井物産」でもいい。ありのままを知りたいものだ。真の裏まで研修したいものだ。皮肉のひとつも言いたくなる。
 以下の引用は、暉峻淑子氏の文章である。「『校長のいうことはすべて職務命令だ』『校長が間違っていたら、どうするんですか』『間違う人を校長にしていない』これは本当にあった会話です。上からの命令は、たとえ、それが間違っていても従え、というのは軍隊です。学校は軍隊になりつつあるのです」(子どもと教科書全国ネット21ニュース)。「間違う人を校長にしていない」というのは、誰の発言かわからないが、地位のある官僚だろう。なかには、上意下達を旨とする校長もあるだろう。上意を先どりすることが、先進的な実践だと思いこんでいる校長もあるようだ。が、こう言われると、内心反発する校長先生もあると思う。あるに違いない。
 その証拠に、九七パーセントもの校長が、今回の教育改革で「もっと学校の現実をふまえた改革にしてほしいと考えていることが、国立教育政策研究所の調査でわかった」と新聞(朝日・九月二二日朝刊)は伝えた。校長は、不満があっても、あるいは、心ならずも、上からの指示や通達は間違いなく伝達する。反対と云えないのである。それを「間違う人を校長にしていない」と思い込んでいるのだろう。だから、こうした断言もできる。こわい発言である。おもいあがった発言である。
 その人たちが、子どもに対しては、個性の専重や、選択の自由をまことしやかに説く。がしかし、教師の研修には選択の余地すら残してないようだ。その人が強調する個性の尊重も、選択の自由もまやかしにちがいない。一貫性がない。教師の自由なくして教育の自由はない。やる気をなくした教師に、教育の再生ができるはずがない。締めつけは、教師を暗く悲しくするだけだ。聞く耳はもたないだろうが、これと同じ文面の書中見舞いを、文科行政当局者にさしあげたい。と同時に、私のような市民にも、もっと現場の声を知らせて欲しい。

理想的兵卒にはなるまい
 話がそれてしまった。書中見舞いに戻ろう。この返事には迷った。校長の悪口を並べたててもしかたがない。安っぽい同情の言葉は書きたくない。かといって、放っておくのは失礼だ。一日のばし二日のばししているうちに「兵卒」という言葉が浮かんだ。暉峻氏の文章を読んだからかもしれない。もちろん、芥川龍之介の『侏儒の言葉』のなかの「兵卒」である。文庫本を読み返しているうちに返事が決まった。ていねいに写した。

 ――理想的兵卒にはなるまい――

    兵卒
 理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加へぬことである。即ち理想的兵卒はまづ理性を失はなければならぬ。
    又
 理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負はぬことである。即ち理想的兵卒はまづ無責任を好まなければならぬ。(芥川龍之介『侏儒の言葉」より)
 「理想的兵卒にはなるまい」という言葉は、私がつけた見出しである。理性は失うまい、無責任にはなるまいという、連帯の挨拶のつもりで写した。が、読み返してみて、まったく愛想がない。ぶっきらぼうな返事である。なんの前提もなしに、この章句だけを引用したので、論理的ではあっても説教くさい。相手はすでに、押しも押されもせぬ中堅教師である。いかに聡明な彼女でも、とんだ誤解をまねきかねないと心配になってきた。迷いに迷った。が、彼女を信じて投函してしまった。

文学に力を借りる
 投函してからも、気になってしかたがなかった。そこで追伸を書くことにした。文教研で取り上げた、石川達三の『人間の壁』を思いだしたからである。文学にカを借りようと思った。
 秋風がたちはじめましたね。
 元気はでましたか。
 『人間の壁』(石川達三)を推薦します。
 私はサークルのみなさんと読みました。貴方の相談にのってくれると思いますよ。元気がでるかもしれません。
 ご承知のように『人間の壁』は、一九五七年八月二四日 から、「朝日新聞」に連載された長編である。私は新聞で読んだ。佐賀県が、児童生徒七千人増にもかかわらず、財政難を理由に、教員二五九名を整理する案を発表した。それに反対し、民主教育を守ろうとする、佐賀県教組の闘いが、題材となっている。さまざまなタイプの教師が登場する。闘いのなかで、転向する人もあり、成長していく教師もある。父母が介入し、街の顔役が絡み、国が権力を行使する。
 当時、私は下町の小学校にいた。戦争の傷痕がまだ残っているのに、「保守派」は教育の国家統制にのりだした。 ようやく定着しかけた民主教育の、切り崩しにかかった。教育委員が任命制になり、学習指導要領から「試案」の文字が消え、道徳の時間を特設し、勤務評定が実施された。当時の民主党がパンフ「うれうべき教科書」を配布したのもこの時期だった。それらを「逆コース」とか「反動文教政策」と規定し、民主教育を守る運動が全国で盛り上がった。その渦中で、私は身につまされる思いで読んだ記憶がある。佐賀県教組の闘いも、その一環だった。
 こんどみんなと読み返し、教育とは何か、政治と教育、組合運動と教育などなど、改めて考えさせられた。今日の事態は、一九五七年当時の反動化路線の線上にある。が、たんなる延長ではない。より深刻になった。これは教育に限ったことではない。が、着実に確実に、逆コースをたどってきた。私が子どもだった戦前の教育に似てきた。
 保守合同直前の民主党が配布した「うれうべき教科書」問題は、〈新しい歴史教科書をつくる会)の歴史教科書としてより具体化した。「勤務評定」は、教師の研修権にまでおよんできた。いまに、読む本も規制されるかもしれない。特設道徳は、文科省発行の道徳副教材『心のノート』 を全児童・生徒に配布し徹底をはかるという力のいれようだ。東京都は、教員の指導監督にあたる「主幹職」を新設して、さらに管理の強化をはかるという.教師を「理想的兵卒」にしてしまう計画だろう。その総仕上げが「教育基本法」の改定である。すでに日程にのぼってきた。
 それが彼女を悩ませている。暗く悲しい気持ちにさせ、やる気も張り合いもなくした元凶だろう。この葉書も、ずいぶんさしでがましいと、今は思っている。彼女のことだから『人間の壁』は、すでに読んでいるかもしれない。が、この時点で、もう一度読み返して欲しいという願いを託したつもりだ。
 戦後定着しかけた民主教育が、押し曲げられようとした時点で書かれた『人間の壁』は、私に語りかけたように、彼女にも語りかけるに違いない。彼女が直面している現実に対し、民主教育とは、政治と教育、教組と教育などなど多角的、多面的問いかけをするに違いない。また、ここに登場する一人ひとりの教師が、教育を守る闘いのなかで、何に悩み、どういう行動の選択をしたか、あるいは悩まずに通過したかは、自分が置かれた現実を見つめ直さずにはおかないだろう。いわば、彼女の悩みの相談相手になってくれると思ったからである。そうした思索を深める、思索しつづけることが、教師の力量をたかめる底力につながる。民主教育への情熱、実践への意欲をとりもどす。『人間の壁』推薦の理由である。
 企業現場で、あんこ玉を作る工場研修、「いらっしやいませ」と笑顔を作る練習の店頭研修もよかろう。が、前者とは質的な違いがある。つまらないのが、学校で悶々としていることだ。雑用をさせられることだ。せいぜい思いあたるのは、校長の悪口か、同僚のうわさ話ぐらいだろう。これは職場仲間の分裂・分断につながることが多い。明日ヘのエネルギーにはならない。

「学習指導要領」を「試案」に戻せ
 それにしても「新学習指導要領」と「学校完全五日制」 の評判はよくない。なにしろ、公立中学枚の「教師9割・ 改革『不満』」(前記・国立教育政策研究所調査)という結果がでている。こうした批判をうけ文科省はゆれた。とくに学力をめぐるゆれはひどい。それがさらに、現場を混乱させている。それなのに、強引に推進する。お役人の面子だろう。日本の教師のおおかたは、真面目で、誠実であると私は思う。子どもとの接点で考え悩んでいる。それを信頼できないのが、文科省の役人や一部の政治家だ。
 私は、一九六〇~七〇年代の教育課程の自主編成運動を思いだす。いまに「指導要領」の枠を越えた教科書も、現場教師と研究者によって作られるだろう。現にその動きがでているではないか。多くの現場教師の知恵と経験を生かさない、役人の机上プラン押しつけでは、行き詰まった教育の現状など打開できまい。
 現状を打開する第一歩は「学習指導要領」を、もとの 「試案」に戻すことだ。拘束制をなくすことだ。戻すことで教師の責任も重くなる。「理想的兵卒」ではすまなくなる。 研究の必要はいうまでもない。現場の経験が生かせる、創意工夫が生まれる。「試案」なら文科省も批判を受けてゆれなくてすむ。「指導要領外の活動も容認」なんていう、いやな言葉もなくなる。容認、などと威張らなくても、お役人の面目はたもてますよと進言したい。
    
    
2003.7
機関誌 第197号
《資料54》福田隆義 「〈文学教育よもやま話 7〉 教材体系<自主編成の資料>として 

はじめに
 昨年の文教研九月総会で、教科書が話題になった。小学校でどんな作品にふれてきたかを知りたい、というのである。そこで今回は、小学校に限ってだが、教科書に収録された文学教材といわれているものを中心に紹介しようと思う。あくまで紹介であって、推薦ではない。さいわい、市立の教育資料センターに展示会用の教科書が、そのまま保管されていて、自由に閲覧できる。昨秋の二学期もなかば、訪れる人はいないようだ。広い閲覧室をひとり占め。
 六社の教科書はまっさら。表紙も折れていない。手垢もついていない。展示会も形式的だったことを、教科書が物語っている。もっとも、自分の使う教科書を自分で決められないのなら、真面目に比較検討することもないだろう。
 テーブルいっぱいにひろげていると、五十年昔が甦ってきた。戦後、学校・学級ごと独自に教科書を選んで使えた頃のことである。が、そのことについては、次回にまわそう。一覧表でスペースをとりそうだから。

教科書の作品
 いうまでもなく、教科書に収録された文学作品、ないし文学的な作品は、「学習指導要領」によって拘束されている。そこには「文学教育」という発想はない。文学作品といっても「読む」領域の、さまざまな読み物の一部として位置づけているにすぎない。したがってといっていいだろう、骨太な作品が少なくなっていくのは残念だ。先生方のなかには、自分が子どものころ感動した、あの作品がないと、がっかりされる方もあるのではないかと思う。また、どの教科書にも指導内容はもとより、指導方法にいたるまで示唆がある。いわば、教科書の編集方針にそった、それなりの体系がある。その体系に組み込まれた作品である。そういう意味で、同じ作品も、出版社によって首をかしげたくなる教材化がある。教科書の編集方針が授業を規制しているといえよう。
 ところで、教科書に収録されているという理由だけで、あるいは、教科書会社の出版した「指導書」の示唆どおりに授業を組む無責任な教師は、まずないと思うのだが? 多くの教師は自分の鑑賞体験を通すだろう。その上で、目の前の子どもを対象に、内容も方法も自分の教育体系なり教材体系に、組み替え、組み込むという繰作をするのではなかろうか。いわば教育過程の自主編成である。六・七十年代、声高に叫ばれた自主編成の運動は、教科書もふくめた、柔軟な形で定着したと思いたい。
 文末の一覧表は、小学校の教師にとって、他の教科書にどんな作品が掲載されているかを知る、いわば、自主編成のための参考資料である。また、中学・高校の教師には、小学校で生徒がどういう作品に接してきたかを知る、めやすにはなると思う。そういう意味の紹介である。

教料書の定番「作品」
 全六社が取り上げている作品に『ごんぎつね』がある。訳者はちがうが『おおきなかぶ』も全六社。『かさこじぞう』が五社。教科書攻撃の対象になった『おおきなかぶ』も『かさこじぞう』も健在。あまりにも、お粗末な非難・攻撃だったからだろう。両作品は教科書の定番になったといえそうだ。作者からいうと、あまんきみこが七作品で五社。宮沢賢治が五作品、全社。それに賢治の伝記が二社。この伝記が賢治の文学を解明する教材として位置づけられるかどうか、検討の対象にはなるだろう。
 前記、三作品は文教研でも話題になった。記録として残っているものを紹介しよう。括弧内の漢数字は機関誌「文学と教育」の号数である。
  『ごんぎつね』……佐藤嗣男「南吉童話の成立(上)――〈文学史一九二九〉の位相の下に」(一八二)。同「南吉童話の成立(中)――『権狐』と『ごん狐』」(一八四)。読み返すことをお勧めしたい。
  『おおきなかぶ』……荒川由美子「絵本『おおきなかぶ』を読む」(一三七)。なお、この作品については『文学の教授過程』(熊谷孝監修・文学教育研究者集団著/明治図書・一九六五年刊)、『文学教育の構造化』(同・一九七〇年刊)で、取り上げた。教科書に掲載される以前のことである。が、残念ながら絶版。
  『かさこじぞう』……瀬田貞二再話・赤羽末吉画『かさじぞう』(こどものとも傑作集・福音館刊)を『かさこじぞう』と、比較して論じたものに福田隆義「民話の教材化――絵物語としての『かさじぞう』」(一四五)。同「『かさじぞう』――その源流と直接の母体を求めて」(一五五)。西平薫「国語教育としての文学教育――絵本『かさじぞう』を中心に」(一六六)などがある。

機関誌「文学と教育」を読み返す
 文教研は、教科書を無視したことはない。たとえば、最初の著作『文学の教授過程』(前出)は、各学年、教科書から一作品、教科書外から一作品という構成にした。教科書であろうと、これと思う作品は正当に位置づけてきた。以下スペースのゆるす限り、作品の論評や実践記録を「文学と教育」に拾ってみよう。紙幅のつごうで作者名、作品名に限らせていただく。なお、かつては教科書(要約・一部掲載をふくむ)に掲載されていた作品には*印をつけておいた。削除された作品の傾向がつかめると思ったからである。括弧内の漢数字は同じく「文学と教育」の号数。これも自主編成のための参考資料にしていただきたい。
 「文学と教育」では、池田香代子訳*『エーミールと探偵たち』(一九一)だが、教科書には高橋健二訳が掲載されていた。以下は、中学のほうが適切かもしれない。高橋健二訳『エーミールと三人のふたご』(一九四)、同『点子ちゃんとアントン』(一八八)、同『飛ぶ教室』(一八七・一八四)。今も研究を継続している。佐野洋子作*『おじさんのかさ』(一七六・一七三・一六八・一六五)。同『一〇〇万回生きたねこ』(一九二・一六四)も入れておこう。アンデルセン作・大畑末吉訳*『皇帝の新しい着物』(一七五)。なお、この作品については、熊谷孝著『文体づくりの国語教育』(三省堂・一九七〇年刊)「若い日のアンデルセン」、および『文学教育の構造化』(同前)にくわしい。御伽草子の*『一寸法師』(一七九.一六八)。岩倉政治作『空気がなくなる日』(一七八・一七二・一二三)。壷井栄作『あたたかい右の手』(一七二)。ロフティング作・井伏鱒二訳*『ドリトル先生アフリカ行き』(一六七・一三一)。これも他の作品をふくめ「ドリトル先生シリーズ」としたほうがいいのかもしれない。ブラートフ再話・ラチョフ絵・内田莉莎子訳『マーシヤとくま』(一八〇)。ノーソフ作・福井研介訳*『ヴィーチヤと学校友だち』(一四二)。ドーデ作・桜田佐訳*『最後の授業』(一一六)。プールリアゲ作・塚原亮一訳『太陽は四角』(一六二・一二四)。島崎藤村作『藤村の童話』(一二五)。
 増頁してもらったが、もう、紙幅がつきた。残念。
   
    
2003.7
機関誌 第197号
《資料55》井筒満 「真の伝え合いとは何か――「学習指導要領」における「伝え合う力」批判

1 伝え合いと「伝え合う力」
 最も人間的なコミュニケーションは、自他の相互変革を本質的な機能としている。 その点をふまえて、乾孝氏や熊谷孝氏は、 「伝え合い」という日本語を使ってコミュニケー ション理論を展開した。
  「伝達」などという言葉では、コミュニケーションの本質的な機能である相互変革という契機が消えてしまう。逆に言えば、相互変革という契機に目が向かないようなコミュニケーション研究にとどまっている限り、コミュニケーションを 「伝達」などという言葉で置き換えても満足していられるのである。 だが、自分たちの生きている日本社会の現実と格闘し、その現実の中から人間的なコミュニケーション(人間にとって最も必要なコミュニケーションのあり方)とは何かを探究していったとき、相互変革という契機が見えてくるし、また、その契機を明確に示すうえでどんな日本語が適切なのかという問題意識が生まれてくる。乾氏たちのコミュニケーション理論は、まさにそのような、 自分たちの生きている社会の現実から掘り起こされた理論であり、 「伝え合い」という日本語は、そうした探究過程の中で発見(=創造)された日本語なのである。
 乾氏は「『伝達理論』というと非常に硬い感じがして、『コミュニケーション理論』というと、なにかわかったような気がするのが、学問的植民地の悲しさです。」と語っ ている。(『生活のなかの心理学』/朝日新聞社/一九八一年刊)だが 、乾氏たちは、 生活から浮いた漢語を使ったり、「なにかわかったような」外来語にたよるのではなく、「伝え合い」 という日本語によって思索し、 日本社会が提起してくる諸問題に実践的に取り組んでいった。乾氏たちの仕事は、日本のコミュニケーション理論が学問的植民地的状況から抜け出すうえで大きな役割を果してきたと私は思う。
 したがって私は、乾氏たちの「伝え合い」理論を発展的に継承し、「伝え合い」という日本語を私の言葉・私たちの言葉としてさらに主体化していくことが、現在の日本型現代市民社会における疎外状況と闘っていくうえでますます必要になってきていると思っている。
 ところで、最近、国語教育の分野で「伝え合う力」という言葉が流行りだしている。だがこれは、乾氏たちの理論が普及したためではない。「学習指導要領(国語)」( 小・中学校〈二〇〇二年四月施行〉/高等学校〈二〇〇三年四月施行〉)に、教科目標として「伝え合う力を高める」がつけ加わったことがその原因である。

※教科目標の部分を引用しておく。「〈小学校〉/国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高めるとともに、思考力や想像力及び言語感覚を養い、国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる」。/「〈中学校〉国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高めるとともに、思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし、国語に対する認識を深め国語を尊重する態度を育てる」。/「〈高等学校〉国語を適切に表現し的確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高めるとともに思考力を伸ば し心情を豊かにし、言語感覚を磨き、言語文化に対する関心を深め、国語を尊重してその向上を図る態度を育てる。」

 川本信幹氏(日本体育大学教授)によれば、「伝え合う力」は、教育課程審議会の最終答申(一九九八年七月二九日)の「国語/ア 改善の基本方針」にあった「互いの立場や考えを尊重して言葉で伝え合う能力を高める」を学習指導要領の「目標」に転用したものだということである(「『伝え合う力』とは何か」/『日本語学』二〇〇〇年三月号)。
 だが、用語は似ていても、乾氏たちの「伝え合い」と学習指導要領の「伝え合う力」とではその内容が根本的に異なる。両者の関係について考えるうえで、次の小田実氏の指摘が参考になる。
 小田実氏は、一九九四年以降、日本社会で流行りだした「共生」という言葉について次のような意味のことを書いている。
 「共生」はまず対等、平等、自由な人間関係があっての「共生」であるはずだ。だが、主人と奴隷とが共に暮らしているような関係も「共生」と名づけることによって、「共生」という言葉の意味を曖昧化し、すり替え、骨抜きにすることがマスコミなどによって行われている。言葉が流行りだしたときには、その落し穴に注意する必要がある。(『「殺すな」と「共生」』(岩波ジュニア新書/一九九六年刊に拠る。)
 現状を変革するための概念を託した言葉と同じ(あるいは類似した)言葉(単語)を使いながら、そこに託す意味を、現状維持・あるいはその一層の反動化に奉仕する方向に組みかえる。そして、そのようにして骨抜きにされた言葉をマスコミを使って大量に流すことで、民衆・市民の意識を飼い馴らして行く。そういう世論操作に誤魔化されるなということである。
 小田氏が「共生」について指摘していることは、学習指導要領の「伝え合う力」にも当てはまるのではないか。このままでは、乾氏たちの仕事の意義が見失われ、骨抜きにされた「伝え合い」という言葉が「普及」するということになってしまいかねない。
 そうさせないために、いま、乾氏たちの用いた「伝え合い」と学習指導要領的な「伝え合う力」との違いを明確に認識しておくことが必要なのだと思う。私は、以下で、まず乾氏たちの「伝え合い」理論の骨子を紹介し、それをふまえて学習指導要領の「伝え合う力」について検討することにしたい。

2 民主的人格と伝え合い
 乾氏は、自己の心理学の形成史をふりかえりながら、次のように書いている。「私の心理学は、学園民主化のために活動していた復員学生たちとともに、戦後のわが国の現実を手探るところから始りました。 /…中略…私の考えるところでは、プラグマチストがアメリカ最新流行の話題を後追いするのは勝手だけれど、唯物論は輸入できない。 自分の生きている社会の現実から掘りおこすべきものです。 /だから、 私たち『法政大学心理学研究会』の仲間は、保育者たちと連帯して、アメリカ教育使節団の子ども像(生存競争を人間の本性とし、環境に適応するための自己防衛機制の完成=人格形成とみなす生物学主義的な人間観・注井筒)を批判し、三鷹・松川の被告たちの体験に学び、 第五福竜丸報道からマス・コミの内部矛盾に気づき、 反核の署名を集めながら人格構造の仮説を構築するなど、いつも問題意識に方法が追いつけぬもどかしさに悩みながらも、連帯して 歴史を推し進めてきた『人間』を中心に据えた心理学を、と勉強を続けてきたのです。 /…中略…『最大利潤』追求を人間の本性とみなす生物学的心理学からは、連帯の心理を理解することはできないのです。」(『社会主義者の心理学』 /新読書社/一九九三年刊)
  「自分は安全地帯にひそめて、ソッと相手の心をのぞき見するような心理学者にとっては、被験者は、上から外から操作すべきネズミ同様の『彼ら』ですが、私たちにとっては、弱く欠点だらけのお互いの連帯の鍵を『我ら』の問題としていっしょに追い求める協力者なのです。」(同右)
 最大利潤の追求を目指す生存競争に駆り立てるために、人間を孤立化させ、人間を上から外から操作しようとする心理学に対して、乾氏たちは、「連帯して歴史を推し進めてきた『人間』を中心に据えた心理学」を、「弱く欠点だらけのお互いの連帯の鍵を『我ら』の問題としていっしょに追い求める」心理学を志向したのである。
 また、生物学主義的な人格形成論に対して、乾氏は、人間の人格発達を次のように規定している 。
 「人格発達は、伝えあいによって次第に広い社会的諸関係を自分のうちに内化し、構造化することによって各人の主権者としての自己実現の力量を増やしていく」ことである。「 こうして協力の時空的ひろがりをましていく。こういうふうにして、歴史の中に、まさに主権者の名に値する人間の人口比、絶対数がふえてゆき、その人たちが共有する自由がふくらんでいく。歴史の細かい節で見れば、とにかく裏目に出、裏目に出しているんだけれども、長い目で見ればまさにそういう方向に進んでいる。それを媒介していく一つひとつの小さな歴史がわれわれの一人ひとりの人格発達であり、この人格発達が人類の歴史をまた媒介していく。」( 同右)
 乾氏は、主権者の名に値する人間の人口比の増大という人類史の発展方向を価値軸として、人格発達とは、一人ひとりが主権者としての自己実現の力量を増やしていくことだと規定している。主権者としての力量は、主権者相互の連帯、主権者相互の伝え合いによる相互変革をぬきにしては発達しえない。したがって,主権者としての「まっとうな人間像とは、連帯して歴史を推し進めることで生涯発達をとげる民主的な人格」(同右)のことなのである。
 このような生涯発達の過程は、「伝え合い」を真に実現しうる力量の発達過程でもある。だからこそ、「伝え合い」は、最も人間的なコミュニケーションのあり方だと言えるので ある。
 乾氏の「伝え合い」理論は、このように、連帯して歴史を推し進める実践(真の民主社会をつくりだすための現実変革)を通して、私たち一人ひとりが民主的な人格へと自己変革を遂げていくという課題の探究と不可分の関係にある。逆に言えば、この課題を探究していったとき、最も人間的なコミュニケーション(また人間にとって最も必要なコミュニケーション)とは「伝え合い」以外ではないことが明確になっていったということである 。

3 命令と相談――真の伝え合いとは
 乾氏たちの「伝え合い」理論は、また、アメリカ流のコミュニケーション理論との対決をとおして構築されていった。
 「僕たちはコミュニケーション理論なんてものを知らなかったので、これを早い時期に紹介してくれたのは『思想の科学』です。アメリカのコミュニケーション理論をそこで勉強したけれど、どうも読んでいるうちにね、これはラジオスポンサーの、まだテレビはありませんからね、ラジオスポンサーの発想だと僕は思うようになった。」(「講演 乾孝から見た現代心理学の課題」/「心理科学」一六号第一号)

 ※以下の「伝え合い」理論の要約は、前記の三つの文献に加え、次の乾氏の著作をふまえて行った。『児童心理学入門 増補版』(新評論/一九六六年刊)/『私の中の私たち』(いかだ社/一九七〇年)刊/『伝えあい心理学入門』(いかだ社/一九八三年刊)/『人格心理学』(新読書社/一九八三年刊)/『子どもと楽しくつきあう法』(童心社/一九八九年刊)

 ラジオスポンサー(一般化して言えばコマーシャルのスポンサー)の発想にたつコミュニケーション理論とはどのようなものか。乾氏は、その問題点を次のように指摘している。
 この種の理論では、送り手Aと受け手Bとは閉ざされた差し向かいの世界を形作っている。そして、Aの中に、ある日突然インスピレーションがひらめき、これを言わなければならないという送り意図が芽生えて、その送り内容を媒体に入れて送りつけるということになる。送り手の中に、突如、送り意図が出て来るという図式は、「資本家が儲けるのは天の声」という思想に通じている。
 さて、送り内容がうまく相手に届き、受け手が媒体(入れ物)から中味を取りだしそれを整理したときに「受け内容」が生まれる。この場合、送り手の送り内容と、受け手の受け内容がどの程度照応しているかということが「伝達効率」である。したがって、送り手から送られたものを、受け手が全部了承したら、「伝達効率」は満点ということになる。
 この理論が、コマーシャルのスポンサーのためのものであるという性格がここにもはっきり出ている。「伝達効率」が高いとは、例えば、「○○を買いましょう!」という送り内容が、多くの受け手の中に「○○を買わなくちゃ」という気持を呼び起こし、彼らを、購買行動にかりたてることに成功したということである。
 このようなコミュニケーションのあり方は、命令型コミュニケーションである。なぜなら、送り手は自分の席(この場合「なにがなんでも売り抜く」という立場)にすわったま ま、自分の要求を全て受け入れろと受け手にせまっているからである。どんなにソフトな言い回しであっても、その本質は命令なのである。
 もちろん、この種の理論でも、ツゥーウエイコミュニケーション(双方向伝達)の必要性について論じてはいる。だが、それは、「A→B」に「B→A」を補ったもの(往きと帰りとが足し算されたもの)なのである。「双方向」と言ってもこれでは、「お互いに命令の下しっこ」をしているにすぎない。
 また 、受け手側の反応を確かめ伝え内容を修正するというフィードバックによって、双方向伝達が可能になるとも言う。だが、この場合でも、伝え側は、自分の気に入るところまで相手を操作するという前提のもとに、その一方的な伝えの性能を部分的に改善しているだけである。
 乾氏は、右のように、コマーシャル・スポンサーに奉仕するためのコミュニケーション研究であったことが、アメリカのコミュニケーション理論を命令型コミュニケーション理論にした根本的な原因だと指摘している。
 この点について、ノーム・チョムスキーは、真の民主主義とは何かという問題と関連づけながら次のように論じている。
 「民主主義社会に関する一つの概念は、一般の人びとが自分たちの問題を自分たちで考え、その決定にそれなりの影響をおよぼせる手段をもっていて、情報へのアクセスが開かれている環境にある社会ということである。民主主義という言葉を辞書で引いてみれば、おそらくそのような定義が書かれているはずだ。」
 「そして民主主義社会のもう一つの概念は、一般の人びとを彼ら自身の問題に決してかかわらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間のあいだだけで厳重に管理しておかなければならないとするものだ。/そんな民主主義社会の概念があるかと思われるかもしれないが、実のところ、優勢なのはこちらの方だと理解しておくべきだろう。」
 後者のような「民主主義社会」を実現するために、アメリカ政府は、第一次世界大戦のさなかから組織的な宣伝活動をはじめ、平和主義の世論を戦争賛成論に転換させるうえで大成功した。この成功は、自由民主主義を唱える理論家とメディアの有力者たちに大きな影響を与えた。
 彼らの代表であったウォルター・リップマンによれば、「民主主義社会」における一般大衆の役割は、「『観客』になること」であり、彼らに許されるのは、せいぜい一時的に「特別階級の誰かに支持を表明すること」(=選挙)である。そして、そのような状態から逸脱しないように一般大衆を飼いならす「民主主義の革命的技法」が、「合意のでっちあげ」としての組織的宣伝である。それは、今日のいわゆる全体主義国家や軍事国家において棍棒が果している機能を、「民主主義社会」において果しているのである。
 「大衆の考えを操作する」という目的のためにアメリカが開拓したのが広報産業である。「広報産業は巨大になり、一九二〇年代には大衆が企業の原則にほぼ全面的にしたがうまでに」なり「いまや年間一〇億ドル近くが注ぎこまれる一大産業となっている。」
 広報産業の人々の頭には、「民主主義社会のあるべき姿が想定されている。それは特別階級が自分たちの主人のために 、つまり社会の支配者のために働くことを、教えこむことができる体制でなければならない。そして、残りの人びとはいかなる組織にも所属させてはいけない。組織は面倒を引き起こすだけだからだ。」
 「大衆はテレビの前にぽつねんと座って、頭にメッセージを叩きこまれていればよい。テレビはメッセージを繰り返す。人生の唯一の価値は、もっとモノを所有し、お前が見ている裕福な中流家庭のような生活をして、社会調和とかアメリカニズムのようなすばらしい価値観をもてることだ。人生にはそれしかない。」(以上、ノーム・チョムスキー著・鈴木主税訳『メディア・コントロール』/集英社新書/二〇〇三年刊、に拠る。)

 アメリカにおける支配的なコミュニケーション理論がなぜ命令型コミュニケーション理論にならざるをえなかったかが、このチョムスキーの指摘でいっそう明確になる。エセ「民主主義社会」に適応できる従順な大衆を大量生産するための「合意のでっちあげ」。この指摘は、現代市民社会における命令型コミュニケーションの特徴をよく示している。「合意のでっちあげ」だから、命令型コミュニケーションを「双方向伝達」や「フィードバック」という言葉でカムフラージュする必要があるわけだ。
 だが、もちろん 、「合意のでっちあげ」を目的とするところに「双方向伝達」(真の双方向伝達は伝え合いだが)などはありえない。H・I・シラーが指摘するように「双方向コミュニケーションの観念には、少なくてもコミュニケーション当事者の基本的な平等にもとづく相互依存性が含まれて」いなければならず、当事者が基本的に不平等であるかぎり、 コミュニケーションは、「操作的で、欺瞞的な一方向回路に変質してしまう」のである。(H・I・シラー著 /斉藤文男訳『世論操作』/青木書店/一九七九年刊)

 「合意のでっちあげ」ではなく、市民・民衆の中に真の連帯をつくりだす最も人間的なコミュニケーション、それは相談型コミュニケーション(=伝え合い)である。乾氏は 、相談型コミュニケーションについて次のように述べている。
 送り手Aと受け手Bは、閉ざされた差し向かいの関係を形づくっているのではない。私たちが何か話したいと感じるのは、相手と自分とが肩を並べて対面している課題があったときである。また、たとえ二人だけで相談しているときでも、両者は、そこに居合わせない大勢の立会人のもとで、共通の現実の地盤に立ち共通の課題に向かって肩を並べて相談しているのである。命令型コミュニケーション理論ではどうしても閉ざされた関係を前提にせざるをえないために 、人間的なコミュニケーションが本来もっているこのような開放性を見失ってしまうのだ。
 命令型コミュニケーションでは、Aは命令者としての自分の立場に居座り続けるが、相談型コミュニケーションでは 、AはBと相談することによってA’ にまで発展し、BもまたAと相談することによってB’ にまで発展する。このような相互変革を実現する対話、いつもU字型に相手をくぐって、両者が力を合わせて一人では見つからないものを探し発見していく過程が相談(=伝え合い)である。
 相談はその課題に対する各々の働きかけで発展する。だから、受け内容は必ずしも送り内容と合致しなくてもよい。最も重要なことは、ただ一つの結論で一致することではなくて、お互いにとっての課題を掘り当てて、お互いの役割分担をお互いに認め合うことである。一人一人が、自分の持ち場をどういうふうに守ること、発展させることが、自分にとってみんなにとっていいことなのかをお互いに確かめ合うこと、それが伝え合いのいちばん大きな意味なのだ。お互いが協力者の立場に立って自分の役割を演じるということは、一人一人が相手の立場をくぐって自分をとらえなおしているということである。そのことによって、私たちは、ただ頭で分かり合うだけでなく、相手の気持ちを自分の気持にすることができるようになる。また、協力して課題に取り組みその成果を共有することによって、各自の中に生まれた感動を共有することもできる。これが感動を分かち合うということである。感動の共有を可能にするという点でも、相談型コミュニケーションは最も高度なコミュニケーションである。
 さらに、乾氏は、右のような人格間の伝え合いと一人一人の個体内の伝え合いとの相互関係について次のように述べている。
 周囲の仲間との人間関係、コミュニケーションのあり方が一人一人の内面――意識の層を形成し、意識の層は、自分領域と仲間領域に分節する。このようにして心内化した協力者たちと心内で開く会議が「思考」である。自己を取り巻く世界の時・空的な広がりによって、仲間領域は抽象的な仲間までを含みこむものとなり、そのことによって、その個人の協力の範囲と能力は発展する。
 自分領域と仲間領域との問に水平な交流があり、心の中に信じるに足る仲間が住んでいてどこまでも心を割って話し合える関係ができていれば、真実を恐れず最後まで考えぬく強靭な思考力をもつことができる。仲間に対する信頼こそが情操の基本であり、仲間同士のぬくもりを感じる能力が情操である。そのような情操なくして、逞しく考え抜く力を身につけることはできない。
 だが、自分領域と仲間領域との間に高低があり、心内のコミュニケーションが命令型になっていると思考のスタイルは奴隷型か暴君型になってしまう。
 個体内のコミュニケーションが相談型の創造性を持ち得るためには、私たちは、お互いの人格を大切にした伝え合いに基く人間関係を私たちの周囲に作らなければならない。そのような人間関係を作る活動・闘いを通してこそ、私たちは民主社会の主権者に相応しい思考のスタイルを身につけることができる。
 以上が、乾氏たちの「伝え合い」理論の ――もちろん、私の理解した範囲内ではあるが―― 骨子である。
 次に、「学習指導要領」における「伝え合う力」の検討に移ろう。

4 「伝え合う力」と教育改革
 「1」でも言及したが、川本信幹氏は、前掲論文の中で、「『伝え合う力を高める』という表現を教科の目標に加えることにより、学習指導要領(国語)の今次改善は、俄然光彩を放つことになった。」と絶賛したうえで、この教科目標は、「教育課程審議会最終答申」(「国語/ア 改善の基本方針」)の中にある「互いの立場や考えを尊重して言葉で伝え合う能力を育成することに重点をおいて内容の改善を図」るを転用したものだと指摘している。
 また、「伝え合う力」が登場した背景として次のような点を挙げている。
 ①「特に情報化などの社会の変化に対応するため、目的や意図に応じて適切に表現する能力と相手の立場や考え方を的確に理解する能力を養」う(教育課程審議会「審議のまとめ」一九八七年二月二七日)ことが必要になってきたこと。
 ②「伝え合う力」は、本来、家族のなかで自然に育成されるものだった。だが、パソコンの普及などによって家族のあり方が変化して子どもの孤立化がすすみ、「伝え合う力」が育ちにくい環境となった。その結果、大人との「伝え合い」のできない子どもたちが、教師との摩擦を起こし、学級崩壊現象を誘発する要因の一つとなっていること。
 ③また、社会人になっても、同僚や上司との「伝え合い」ができず、環境不適応現象を起こして会社を簡単にやめたりすること。
 ④家庭では「伝え合う力」の育成が困難になったので、その役割が、「今や完全に学校教育、特に国語科教育に押しつけられる形になってしまった」こと。
 それでは、国語科教育の目標としての「伝え合う力」とはもう少し具体的に言うとどんな力なのか。
 川本氏によれば、「『伝え合う力』の中核に位置するのは、何といっても発信・受信の技能・技術」である。発信の技能とは、「自分で情報を表現する/受信者の知識・能力を考えて、わかりやすく表現する/受信者に最もアッピールする形で表現する……」ことなどであり、受信の技能とは 、「言葉で表現された情報を正確に把握し、その意味するところを理解する/言葉の裏に隠れた意図・感情などを把握すること/反応の必要な部分を的確に把握する/反応するタイミングを考える……」ことなどである。
 川本氏の解説は、教育課程審議会や「学習指導要領」の執筆者たちの意図を正確に代弁していると思われる。そこで、この解説に基いて「伝え合う力」の問題点について検討することにしよう。
 第一に、「学習指導要領」における「伝え合う力」とは、情報化などの社会の変化に適応し、環境不適合現象をおこさないために必要な技能なのである。だが、現代の日本社会(日本型現代市民社)会においては、「3」で話題にした「合意のでっちあげ」が「情報」化を手段として強力に推し進められている。したがって、そのような「合意のでっちあげ」によって飼い馴らされないような豊かで自由な思考活動・想像活動・瑞々しい感情を、生徒たちの中に培っていくことが教育国語教育の中心課題であるはずだ。そして、そのような認識活動・認識の構えとしての感情は、伝え合うという過程(教師・生徒・教材化された様々な作品との間で行われる)を通して培われるのである。
 それは 、また、伝え合いによる相互変革を通して、「えせ民主主義」が支配する現状を変革し、真の民主主義を実現する主権者としての資質・メンタリティーを培っていくことでもある。
 ところが 、「学習指導要領」の「伝え合う力」は、現状への適応能力に過ぎず、現状変革・相互変革という契機が全く抜けおちている。これでは、「伝え合う」という言葉をわざわざ使う意味がない。現状変革・相互変革という契機を示すために使ってこそ「伝え合う」という言葉は生きるのである。
 第二に、川本氏の解説は、コミュニケーション能力が衰退した原因が「パソコンを中心軸にした人間の孤立化」などにあると指摘するだけで、日本の社会構造との関係には 眼を向けていない。そのため、「家庭や学校を含む社会の変化」とは言いながら、結局責任を「家庭」に押しつけている。だが、「大企業優先国家・大企業中心社会」という特徴を持つ現代の日本社会の中で、民主主義が形骸化され、「学校教育から大企業にかけて競争主義的秩序が構築され、人間の可能性を成績や業績のみではかる能力主義社会が形成」された(歴史科学協議会編『日本現代史』/青木書店/二〇〇〇年刊)ことが、コミュニケーションの疎外をもたらしている根本的原因なのである。差別・選別の競争的秩序の中では、市民・民衆は孤立化され、命令型のコミュニケーションが支配的になり、伝え合う精神(=対話精神)が破壊されていく。そのような疎外状況は、当然、家族・家庭の人間関係の中にも浸透する。したがって、差別・選別の 競争的秩序の矛盾を直視し、それを変えていく様々な取り組み(教育もその重要な一貫だ)を通して、社会の様々な場面で(もちろん家族の中でも)、相談型コミュニケーションを私たちの中に回復していくことが可能になるのだ。
 第三に、現在進行している「教育改革」のあり方と関連づけることによって、「伝え合う力」の正体が一層明かになる。 堀尾輝久氏は、『いま、教育基本法を読む』(岩波書店/二〇〇二年刊)の中で「教育改革」について次のように指摘している。
 教育基本法改正論者たちの主張には、「子どもと教育の危機的状況の原因を戦後改革と教育基本法に求めるという短絡的主張が目立つ」が、「戦後史をたどれば、教育基本法は教育荒廃の原因などではなく、逆に、その精神が不当に軽視され、ゆがめられてきたことこそが問題であり、それが根づくことを妨げてきた政策にこそ、その原因の一端がある」といえる。彼らの主張は、「二一世紀をアメリカを軸とするグローバリゼーションと国際緊張を避けがたい所与のものとして前提し、そこでの生き残りをかけた大競争(メガ・コンペティション )の時代として捉え、経済の世界だけではなく教育の世界においても競争の原理と能力主義を徹底し、強者を良しとし、弱者を切り捨てる考えで徹底させようとするもの」である。それは、「大競争に打ち克つための人材養成を目標」とし、「一般大衆には有事に際して公=国家に奉仕する愛国心教育を強調する」という特徴をもっている。
 したがって、「それは、平和と人権を地球規模で確立し、人間と自然の新しい関係を創り出そうとする人類共生の地球時代の思想とは大きく隔たり、むしろその対極にあるもの」であり、「その方向での教育改革も、子ども不在、人間不在、人類的視点の欠落した改革」なのである。
 このような 「教育改革」を実現するために、国語科教育の果すべき目標として登場してきたのが「伝え合う力」なのである。大競争に打ち克ち、大企業の利潤獲得に最も貢献できる人材になるために必要な「発信―受信」能力、また、低賃金や無権利状態が押しつけられても環境不適応現象をおこさず耐え続ける人間になるための「発信―受信」能力、それが「伝え合う力」なのである。
 学習指導要領的な「伝え合う力」の正体は、「愛国心教育」の実態をみることでも明かになる。最後に、この点を取り上げよう。野田正彰氏は次のように指摘している。
 「新学習指導要領では小・中学校の授業時間と学習内容を三割減らし、『総合学習』の時間を導入し、『子供たちが自分で課題を見つけ、自分で解決する、生きる力を身につける 』と宣伝している。」
 「それでは、『君が代』国歌について考えようと、生徒が課題を出したらどうするのか。小学校の音楽では、『君が代』を『いずれの学年においても指導せよ』と強制している。 教員が国歌を歌わねばならないとする、歌の強制の法律はない。だが、国歌斉唱を実施しなかったとして、校長を処分し、協力しなかったとして教員を処分している。こんな教育状況から、どうして『生きる力』が湧いてくるの か。先生を処分で黙らせておいて、生徒に『生きる力』をつけさせるといっても、無理である。」
 「生きていくのに最も大切なのは意欲と判断力である。判断するために、想像し、会話をかわす能力が豊かでなければならない。」(以上の引用は、『させられる教育 思考を途絶す教師たち』/岩波書店/二〇〇二年刊より。)
 文部科学省は、一方では教師を処分で黙らせるという体制を強化しながら、国語の授業では、生徒が「伝え合う力」を身につけられるように指導せよと教師に要求しているわけである。こうした現状が存在するにもかかわらず、学習指導要領が目標としている「伝え合う力」は、相手の苦しみや悲しみを理解できる想像力や思考力によって支えられた能力(川本氏)だなどと言っても、何の説得力も持たないだろう。偽装していても、「伝え合う力」が目指しているのは命令型コミュニケーションに他ならない。
 相談型コミュニケーションの担い手は、真の民主主義・ 民主教育を実現するための様々な実践の中でこそ形成されるのである。
 (明治大学)
2008.7
機関誌 第208号
《資料56》夏目武子 「学習指導要領の改定に想う――変わらぬ言語技術主義の横行

指導要領改定とマスコミ
 二〇〇八年二月十五日、文部科学省は小中学校の学習指導要領改訂案を公表した。翌十六日の定期購読新聞は、それを大々的に報道していた。一面トップ記事に取り上げ、また、他の面でも多くのスペースを割き、特集面も設けられていた。十年ごとの従来の改定と扱いがすこし異なる印象を受けた。文科省のホームページに案文が全文掲載されていることや、案に対する意見の提出締め切り期日も示されていた。さっそく、そのホームページを開いてみると、まず現教育基本法(〇六年改定)全文の掲載、続いて学校教育法(抄)、そのあとにいつも通りに総則、各教科……、という順に掲載されていた。教育基本法が指導要領案の前に掲載されていることは、今までになかったことだ。
 私には異例尽くめに思われ、(三月二十八日官報告示前に)マスコミがどのように文化省の方針を媒介しているか、マスコミの報道(媒介)のありようを射程に入れる必要があると思い、定期購読以外の新聞にも目を通してみた。やはり、どの新聞も多くのスペースを割いていた。そして、その理由なるものが次のように記されていた。「これだけ社会の関心が高くなると、もはや指導要領は一部の関係者向けの文書ではない」(日経新聞、三面、編集委員コラム、以下引用はすべて二月十六日付)と。社会的関心が高まった事由について、日経のコラムは次のように説明している。「一九九八年改訂の現行要領は『生きる力』の育成を目指し、教育内容の厳選と総合的な学習の時間の新設を打ち出した。背景には初等中等教育が知識偏重の詰め込み型に陥った反省がある。だが新要領は世論の逆風を浴びた。内容の三割削減が学力低下の不安を招き、ゆとり教育批判が深刻な公立学校不振と大都市で私立ブームを呼んだ。指導要領が、これほど社会的関心になったことはない」云々と。


授業時間数増をトップ記事に
 〇六年の教育基本法の改定後の最初の指導要領改定。教育が社会的関心を呼んでいるのは、まさに学力低下の問題であるといわんばかり。学力低下の不安を煽り、指導要領の改定により問題が解決するかのような、肯定的に受け入れる下地作りのような気がする。ともあれ、各新聞の一面のトップ見出し(日経は一面の二番目の記事)を拾ってみる。
 授業時間数増を前面に出し、それを強調しているのは、朝日、神奈川、東京、日経、毎日、読売の各新聞。やはり、授業数増が、学力低下を解決するかのような錯覚を与えかねない報道である。授業時間増以外の見出しがあるのは、赤旗、産経。対照的な内容であるため、双方を紹介する。
 赤旗は一面トップで「改悪教育基本法を全面に」(本見出し)「学習指導要領 文科省が改訂案」(袖見出し)「指導方法まで制約」(途中小見出し)「道徳推進教師を配置」(横見出しで大きく)と。記事の一部を引用する。「改悪教基法で『伝統と文化を尊重し……わが国土と郷土を愛する……態度を養う』ことが教育の目標とされたことを受けて、『道徳教育』をすべての教科や活動で行うことを明記。『道徳の教科化』は見送ったものの、各校に『道徳教育推進教師』を配置させるなど、国家統制を強めるものになっています。」
 産経新聞。一面トップに、「『金太郎』『かぐや姫』そろばん 武道必修」(肩見出し)「伝統尊重鮮明に 新指導要領案 理数科の授業増」(横見出し)三面に「新指導要領案 改正教育基本法を反映」(袖見出し)「道徳心の育成重視」(横見出しで大きく)。記事の一部を引用する。「新指導要領案は、総則に改正教育基本法と学校教育法に対応したことを強調している。(略)再生会議が強く求めた道徳の教科化は見送られ、検定教科書は作られないが、文科省では教材を補充する方針で対処する。道徳以外の教科でも一体となって道徳性を養うよう強調した。(略)指導要領改訂を受け徳育充実を実現できるか学校現場は問われている」。
 トップ記事に授業時間数増以外の袖見出しを付けているのは、東京新聞で「道徳教科化見送り」。毎日新聞が「理数や道徳充実 内容増も」。

文科省の方針と重ねて
 赤旗以外の各新聞が、報道していることを裏付けるような記事に出会う。その一つとして、ここでは「クローズアップ2008」(毎日新聞)から引用する。新学習指導要領案のポイントとして次の六点が挙げられている。
  ・主要教科と体育の授業時間を約一割増やす
  ・理数教科を中心に学習内容を増やす
  ・道徳教育充実のための「推進教師」導入
  ・国語、社会、音楽などで伝統や文化教育の充実
  ・記録や論述、討論などの学習(言語)活動の充実
  ・小学校高学年に英語を導入
 さらに、記者会見などでの文科省関係者の発言が掲載されているのを部分引用する。「六〇年ぶりに改正された教育基本法は、その理念に『公共の精神、伝統や文化の尊重』などをうたう。言語活動の充実について、文科省は『国語の力をつけた上で、説明、論述、討論などの学習活動を充実させる』(文科省教育課程課長)。」「改訂の特徴として改正教育基本法を挙げた上で、『もう一つは学力の問題。習得活用、学習意欲について、中央教育委員会での議論の結果が反映されていると思っている』。今回、『脱ゆとり』での学力向上は大きなねらいだ』(文科相)。
 「学力低下への懸念は深刻だ。高校一年生を対象にした経済協力開発機構(OECD)の国際学力テスト『学習到達度調査』(PISA)で日本の成績は毎回下落し、学習意欲も他国に比べて著しく低いとの結果も出ている。このため、文科省にとっては学力向上対策が最重要課題。それが、学習内容を増やす改定につながっている」と文科省大臣官房審議官は本音をのぞかせる(以上前掲毎日新聞記事より抜粋)。

指導要領変遷史から、今回の改定をみる
 多くの新聞が授業時間数の増にまず目を向けている理由もこれでわかった。「また『教え込み』強化か」(東京新聞)「詰め込みの復活? 懸念払拭が課題」(毎日)と危惧・警戒を発している記事もある。が、子どもの立場に立って、現実に解決すべき問題に取り組んでいる現場教師の悩み・意見を文科省はきちんと受け止めているのだろうか。一〇年ごとに改定し、黙ってそれに従えというのであろうか。「脱ゆとり」云々する前に、戦後教育の流れをつかみ、その中での今回の改定であるということを考えたい。その点、指導要領変遷史を昭和二二(一九四七)年にさかのぼって紹介している神奈川新聞の記事に好感を懐いた。読者自身が、改定ごとの意味を考えながら、変遷史をたどると、戦後教育の全貌が明確になると思う。そうした意味で大きな問題提起をしていると思うので、すこし長くなるが全文引用する。
   時代状況、社会の要請反映
 約十年サイクルで改定を重ねてきた学習指導要領。今回の改訂の背景に学力低下批判や教育基本法の改正があるように、これまでの改定もその時代状況や社会情勢をを反映させてきた。
 もともと教職員の手引書との位置づけだった学習指導要領は、戦後復興を遂げた一九五八年改定で「教育は国力の重要な要素」との考えから文相(当時)告示に。「教育課程の基準」として学校への拘束力が強まり、道徳の時間を新設した。六八年改定では「高度経済成長をささえる人材養成を」との社会的要請を背景に、歴代最多の授業時間となる過密カリキュラムを設定。「新幹線教育」と称されたスピード重視の授業は、勉強についていけなかったり、ストレスに苦しんだりする子どもを大量に生み出し、受験競争も激化した。
 こうした「詰め込み教育」への反省から、七七年改定は、「ゆとり」を掲げ、主要教科を中心に初めて授業時間を削減。八九年改定では「心豊かな人間の育成」を打ち出し、小学校低学年に生活科を新設した。
 九八年改定の現行指導要領で「ゆとり教育」を明確化。社会で週休二日制が一般化し、学校週五日制も導入した。学習内容を基礎・基本に厳選する一方で、自ら考え問題を解決する「生きる力」を育成する目玉として「総合的な学習の時間」を創設した。しかし学力低下批判を受けた二〇〇三年の一部改正で、学習指導要領の位置づけを「最低基準」とした。(後略)
 大きな問題提起になっていると思う。私は読み終わって大きくいって次の二点について考えてみた。
 その一。昭和二二(一九四七)年指導要領が「手引書」であったことの意味。それまでの国家主義的な教育への介入、画一教育の反省から、今までとは異なる指導要領の趣旨の宣言である。四七年文部省発行の学習指導要領「一般編」の序論には次のように記されている。「いまわが国の教育はこれまでと違った方向に進んでいる」。「これまでとかく上のほうから決めて与えられたことを、どこまでもそのとおりに実行するといった画一的な傾きがあったのが、こんどはむしろ下のほうからみんなの力で、いろいろと、作りあげて行くようになってきた」。「ただあてがわれた型の通りにやるなら、教師は機械にすぎない」。「これからの教育が本当に民主的な国民を育て上げてゆこうとするならば、まずこのような点から改められなくてはなるまい」。「この書は、……新しく児童の要求と社会の要求とに応じて生れた教科課程をどんなふうにして生かして行くかを教師自身が自分で研究してゆく手引きとして書かれたものである」。
 文部省自身、自他共に納得できるものにしようとしている姿勢が、ひらがなが多くやさしいことばで書かれている文章からにじみ出ているようだ。
 教師たちは自主的な研究を重ね、自主的な研究会があちこちで開かれていた。
 それが五八年、指導要領が再び拘束性の強いものに変わる。日本民間教育研究団体連絡会(民教連)参加の多くの研究団体の誕生もこの時期に集中している。日本の教育に責任を持とうとするなら、四七年要領の方向(教師自身で考える)を強化してゆく以外ないと感じたからであろう。
 文教研の誕生もこの指導要領批判から出発している。『文学と教育』創刊号(一九五八・一〇)は改訂指導要領(国語科)の問題点を、熊谷孝氏をかこんでの座談会で大きく取りあげている。「道徳」を特設し、「道徳性を高め、教養を身につける」国語教育や文学教育というのは、一本テコ入れが行われている。「読み物は文学作品に片寄らないで」とあり、「古典に対する関心を持たせる」云々。文学性を疎外し、国民的自覚と結びつけて考えられる古典とは? 今回の改定も同様。「道徳」のより強化、文学作品云々どころか、文学という文字がない文学無視の傾向の強化。
 立命館大学人文科学研究会作成『総合現代史年表』は、五八年までを「平和と人権の教育の展開」から「教育の官僚統制の強化」へのいわゆる「逆コース」と位置づけている。この時期の歴史を、年表的にたどることでも、拘束性が強まった意味が歴然とする。が、今回はその紙幅がない。多くの人々と意見交換する機会がほしいと思っている。
 その二。「時代状況、社会の要請反映」とあるが、具体的にはどんな人たちの要請なのだろう。たとえば、「高度経済成長を支える人材養成」を望んだのは、ほかならぬ財界、大企業ではなかったか。その要請で、過密カリキュラムになり、その弊害から「ゆとり教育」となり、学力低下云々から今回の改定につながっている。国家百年の計として教育が考えられているのか、子どもの発達の保障とは何をどうすることなのか、学力とは何か、こうした基本的なことがネグレクトされたまま、目先の要請に応じての改定ではなかったか、等など疑問が生まれる。また、四七年の反省はどこへ行ったのだろうか、と。

識者の意見
 各新聞の社説の傾向や、各新聞の記事一覧表を作る予定であったが、今回は見送らざるを得なかった。各新聞掲載の識者の談話や意見などを拾ってみる。A「日本教育再生機構」理事長八木秀治・高崎経済大学教授と、B「教育基本法の改悪を止めよう!全国連絡会」呼びかけ人だった小森陽一・東京大教授と、対照的な二人の意見を掲載している朝日新聞から引用させてもらう。
 A 「基本法改正の理想が骨抜き」 教育基本法改正で掲げた理想が骨抜きにされ、現行指導要領とほとんど変わっていない。「伝統と文化の尊重」や「我が国土と郷土を愛する」ことは、主に社会科で学ぶはずだったが、小学校で増えたのは縄文時代くらい。道徳教育も「全教科で行う」と書いてあるが、具体性に乏しい。国の質を高める戦略に基づいた教育が必要だ。教育再生会議はそのためにでき、確かな学力や規範意識を打ち出したが、メンツを守りたい文科省官僚による揺り戻しが起きた。安部内閣があと三ヶ月持ってくれていれば、と悔やまれる。
 B 「主権者になる力育てぬ内容」 注意深く読むと、改訂案は国家統制的内容であることがわかる。特に、すべての教科に張り巡らされた言語教育は、上からも与えられたものだけを読み取らせ説明させるばかりで、自発的思考と表現を養う視点がない。「伝統と文化の尊重」では、「伝統音楽のよさを味わう」と国家の価値判断が前提とされている。改定教育基本法に入った「公共の精神」の名の下で、子どもを国家に従わせ、自らが主人公・主権者になる力はつけさせないという思想に貫かれている。大声で「愛国心」と叫ばれるより怖い。
 Aのような意見が強く文科省に寄せられ、案が修正されたと聞く。こんなに異なる考えが存在する時代であることを改めて実感した。自分はどちらの立場で考えているのか? 多くの人々の意見を聞きたくなった。

「言語活動の中軸教科としての国語科」?
 私は賛意をもって小森氏の談話を読んだ。二月一六日の各新聞に、「言語活動の中軸教科としての国語科」という言表がしばしば使われていた。そして朝日新聞には、二四面から二七面まで、「学習指導要領改訂案」が「言語力を育てよう」という見出しで、「改訂案のポイントと、すべての教科で充実がはかられた、言語力育成に向けた内容を整理した」記事が掲載されている。言語力はなんでも書かせれば、育成できるのだろうか。言語力とは何であろうか。二月一六日、小森氏と同じように私もここに注目した。
 図書館で三月二八日の官報告示のコピーをとったことも私にとっては異例である。が、多くの方が新聞報道で知るということを考え(官報告示と対比して必要な個所は告示に従ったが)、記者の感覚で要点を押えた要約になっている朝日新聞記事をそのまま引用させてもらう。
   学習指導要領改訂案=小学校(国語以外は言語力のみ)
 〔国語〕 言語力育成の中核を担う教科として、話す・聞く・書く・読むの各能力が確実に身につくよう、記録、報告、解説、推薦などの言語活動の実例を具体的に示した。さらに、伝統的な言語文化、言葉の特徴やきまり、漢字、書写から構成する「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」を新たに設けた。「話すこと・聞くこと」では、話題や取材について、「書くこと」「よむこと」では、交流について、指導事項は各学年に新たに設け、本や文章を選ぶことについての指導も明記。指導の過程を明確にするため、記述を詳細にした。「報告する文章や記録する文章をかくこと」「説明した文章を読むこと」(低学年)、「ことばの抑揚や強弱などに注意して話すこと」(中学年)、「事物や人物を推薦すること」「解説の文章を利用すること」(高学年)といった指導事項も加えた。古典充実のため、低学年では昔話や神話(告示で追加)・伝承(伝説を改める)、中学年では短歌や俳句、ことわざ、故事成語、高学年では古文や漢文、近代以降の文語調の文章を取り上げると定めた。(略)
 〔社会〕 〈言語力〉観察、調査・見学、表現活動の充実を引き続き記し、「考えたことを表現する力」の育成を各学年の目標に新たに定めた。
 〔算数〕 〈言語力〉算数的活動で、「言葉や数、式、図を用いて考え、説明する」「目的に応じて表やグラフを選び、活用する」事を定めた。
 〔理科〕 〈言語力〉「観察、実験の結果を整理し考察する」「科学的な言葉や概念を使用して考えたり、説明したりする」学習活動を定めた。六年の目標に「推論」を追加した。
 〔音楽〕 〈言語力〉鑑賞で、言葉で表す活動を追加。
 〔図画工作〕 〈言語力〉伝え合いたいことを絵や立体、工作に表す活動や、感じたことを話したり、友人の話を聞いたりする活動を定めた。
 〔家庭〕 〈言語力〉 生活の課題解決のために言葉や図表を使って生活をよくする方法を考えたり、説明したりする活動の充実。
 〔体育〕 〈言語力〉  運動領域では、「運動の行い方を工夫する」「作戦を立てる」を引き続き規定。保健領域では、知識を活用する学習活動を定めた。
 (小中共通)〔道徳〕 〈言語力〉 書いたり討論したりする機会を増やし、自分の考えを深め、成長を実感できる指導を重視する。
 〔総合学習〕 〈言語力〉 言語により分析し、まとめたり表現したりする学習を新たに定めた。
 〔特別活動〕 〈言語力〉 体験活動を通して気付いたことなどを振り返り、まとめたり、発表しあったりする活動を充実させる。
 私はとにかく二月二六日の新聞でこの記事を読んだとき、小・中学生はこれから大変になるな、ますます勉強嫌いになるのではないかな、と思った。「教科書に載っていない文学作品を取り上げるよ」と告げた瞬間、「どうせ感想文、書かせられるんでしょう?」と悲鳴に似た声があがった。作品をみんなで読みあう楽しさと充実感をまず実感することからはじめようと思い、「当分感想文は書かなくてよい」と告げると、ほっと安心した空気が流れた何(十)年か前の授業の一こまを思い起こしたからである。中学生は書くのは苦手なのだ。中学生に限らず大人も。
 この稿を執筆中の新聞に「『コピペ』論文許しません」なる記事が載っていた(朝日新聞五月二六日付)。大学で横行しているインターネット上の公開情報を引き写しただけの学生のリポート(コピペ)をチェックするパソコンソフトが開発されたということだ。安易にコピペできなくなれば、自分で文章を考えるから、学生のためにもなる云々。
 未知のものを既知に変える喜び、驚き。それが学習意欲につながると思う。その驚き感動から生まれた新しい発想をことばに結びつけることで、その発想自体が確かなものになり、持続的になる。その驚き、感動を保障しつつ、ことばに結びつける作業を積み重ねてゆくのが国語科の仕事であり、また各教科の独自性の上に立つ作業であると思うのだが、そうした指導への配慮は指導要領のどこに記されているのだろうか。小森氏の指摘するように、「上から与えられただけのものを読み取らせ説明させるばかりで、自発的思考と表現を養う視点がない」。
 とにかく言語能力を養うためだと、作業をしたあとには文章化が待っていると思うと気が重くなり、〈コピペ〉が横行するばかりか、学習意欲をそぐことになるのではないだろうか。ことばとは何か、認識とどう関わるのか、その問いが指導要領にはないのだ。いわば聞く、話す、読む、書くという言語活動主義に終始しているとしか言いようがない。それの延長として各教科における〈言語活動〉。

ことばと認識 文体づくりの国語教育
 文教研ホームページはなんとタイミングよく、熊谷孝氏「文学教育の視点から」と題する指導要領批判を掲載してくれていることか。五九年一一月、明治図書出版『教育科学 国語教育』掲載論文である。他団体への寄稿である関係上、ことばとは何か、国語教育の原点を踏まえつつ、実際の授業のありようと関連づけ、問題を投げかけるという形の批判である。ここでの指摘は、悲しいことながら、今回の改定に対しても当てはまる。ごいっしょに国語教育とは何をどうするのか、考え合う資料として部分引用させてもらう。

 《言語を音声言語と文字言語としてつかむことに、むろん、まちがいはない。けれど、言語(国語)学習指導の体系そのものが、読むこと・書くことの指導と、聞くこと・話すことの指導とを平行させ、あるいはそれらを組み合わせることの上に成り立つ、と考えることは、現実の事実(指導の実際)に反した、形式主義的な理解である。
 むしろ、音声言語であれ文字言語であれ、そこを貫く言語(国語)として一まとまりのものを――つまりは「第二信号系という本質をつかみ出してくる能力としての言語能力」そのものを系統的に身につけさせることができるように、学習指導体系が組まれなければならないのだ。
 だから、それはまた、言語の認識機能のもつ反映論的な意義において、言語コミュニケーションの現実のプロセスが省みられなくてはならない、ということでもある。あらい言い方をすれば、表現する(話す・書く)ことも、また理解する(聞く・読む)ことも、それは認識・思考のプロセスにほかならない、ということだ。思考する、考えるということは、ほんらい言語コミュニケーションによる、ナカマとの体験の交換・交流を意味している。また、認識するとは、ナカマの体験をくぐってするところの、客観的世界の反映のいとなみに他ならない。だから、言語のこの認識機能を見落とした学習指導体系では、〈国語〉の学習指導体系として現場の実践に役立つものにはなり得ないのだ。
 認識(反映)というこの一点にしぼって考えた場合、言語認識の極は科学と文学とに求められるのであり(一般的認識と典型的認識と)、そこに少なくとも文学教育や文法教育が、それとして一まとまりの国語教育であるという位置づけ方を、国語教育の体系の中に与えられねばならぬ理由と根拠を持つのである。(略)、話しことばの指導も文字ことばの指導も、具体的な内容の裏づけをもって、体系的に一貫した一まとまりの作業として営まれるのである。(略)指導者自身、そのことを自覚しているといないとに関わりなく、現場の学習指導が、実はある程度に右のような指導体系を内に用意して進められている、ということである。
 指導要領のような教育課程では現実に国語の学習指導が成りたたないから(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)文学教育への道を一部の現場教師は選んだのである(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)。》(傍点は夏目)

教室の実際から
 傍点部分の一人に私も入ると思う。実は、本誌二〇六号に「三八年前の〈私の教室〉」と題して、中学校一年生の「国語通信」(六九年四月~六月の授業記録)を掲載してもらった。実際の授業記録であるが、私以外の人には何がなんだか意味がわからないものだったのではないか、と反省している。その反省から、中学校教師として、指導要領通りでは授業が組み立てられず、自主編成せざるを得なかった、その証拠資料として、とらえてみたいと思う。
 一年の最初の国語の時間。「国語」の授業に関する方針というか、抱負を生徒にどんなふうに話されているのだろうか。私の場合は、「国語通信」に記したように、人間は「考えるらっきょう」であることを話す。「考えるらっきょう」という発想は、中学生に新鮮な印象を与えるようだ。母国語の学習を通して、「考えるらっきょう」になることが、生徒と私の間に生まれた国語学習の目的である。
 「国語通信」はここから始まっている。教師である私が、生徒に「考えるらっきょう」についてどのように話したか、その記録はない。記憶をたどりながら、記してみたい。
 「国語の勉強を、何年していますか」という問いから、あるいは、「ことばとは、何ですか」という問いから始める。前者の場合、押し問答の末、「十二年」ということに(母親の胎内から始まるということだが、この世に誕生後という意味で)。母親中心に自分の周りの人々が自分に語りかけてくれたことに反応して、声帯や口腔内の器官を働かして、アーとかウーとかいう音声を発したとき、周りの人々が関心を持ち、励ましてくれることが、ことばの獲得の第一歩。自分ひとりでは、言葉の獲得は不可能なのだ。
 幼年期になり、友だちができる。友だちにも「おかあさん」がいることがわかったときの困惑。それぞれに「おかあさん」がいる。ことばを通して、自分が関わる世界のつかみ方が変わる。
 「ことばは空気のような存在だから、ことばとは何か、と問われても答えられない」という生徒の答えを頭に置きながら、ことばとは何か、考えるきっかけを作る。熊谷孝『言語観・文学観と国語教育』(六七、明治図書刊)で梅干の話を知ってから、私も教室で話すことにした。口の中の唾液反応を確かめ合いながら、「ことばというものは、もともと、そういう反応を引き起こす条件刺激、信号、媒体なのです。“ことば”とは“ことば”信号なのであります。“ことば”というものは、そこにないもの――不在なものを観念やイメージとして呼び起こす信号のはたらきをする」(前掲書)という意味のことを話す。一年生には、信号、媒体という用語はあえて使わないことにしているが。
 ことばの獲得は、生まれてこの方、父母、兄弟姉妹、友人、教師、本、テレビなど、対話の相手はさまざまであるが、その対話を通して他の体験を自己に媒介することで主体的なものとなっていく。自己の内部に主体化された“対話の相手”は言わば“らっきょうの皮”のようなもの。それぞれの“皮”には、固有の表情があり、固有のリズムがあるはず。一年がかりで、お互い、刺激しあいながら、いい“皮”を作り合おう、と。
 授業の実際は、「国語通信」(本誌二〇六号掲載)に記してある。教室でしかできないことは、話し合いである。どんな発言でもよく聞くこと、うまく発言できない人の発言を笑うことは厳禁。補足しあい、みんなで深めていくのが授業であることを確認する。
  「国語通信」は大関松三郎『山芋』の中から数編選んで、教材化したときの話し合いの記録だ。話し合いのプロセスを残すことと、話し合いの深まりを確認するためである。どんな意見も聞き入れ掲載していくうちに、発言意欲が全体的に高まったのだろうか。授業終了のチャイムがなると、発言予約を受け、次時の初めに発言を保障しなければならなくなった。他のクラスの意見も知ることができるので、刺激になるのか、授業への集中が強まったような気がする。
 作品「みみず」について話し合ったとき、みみずへの同情だ、という発言から始まった。多くの生徒は同情することがすばらしいことと思っていたようだった。この最初の印象は話し合いの中で変わっていった。同情論とは異なる印象を持った生徒が、辞書的意味を調べてきたことに始まり、各自、詩を読み直したり、『山芋』の中の他の詩と関連づけたりしながら、同情でない人間関係とは何だろう、ということに話し合いは発展していった。考えが出尽くしたと判断したところで、私は「連帯」ということばを与えた。数日後、学級目標に「連帯」を掲げたクラスがあった。
 ことばと発想の二人三脚が、授業という共同作業のなかで保障される。文体づくりの国語教育(熊谷孝『文体づくりの国語教育』一九七〇、三省堂刊。それ以前に文教研の研究例会で共同研究が進められていた)をめざして、一まとまりの国語教育として、こうしたことを積み重ねるのが、私の目指す授業なのだ。同書には次のようなことがまとめられている。《文体作りの方法としての総合読みとは、、①自己の文体、自己の発想(発想のしかた)を自覚する読みである。②それはことばに表すすべを知らない自己の発想・想念をことば(文章)に結びつける読みである。③それは、自己の発想をことば(文章)に結びつける過程で、自己の発想のしかたを点検し、確かなものにする読みである。言い換えれば、その発想のしかた自体を変革することで、究極においては発想そのものを変革する読みである。(略)》
 文体づくりの国語教育に関して、昨年の全国集会での井筒満氏の基調報告が本誌二〇七号に掲載されている。ご参照願いたい。文体づくりの国語教育とは、ことばの教育を通しての〈主権者づくり〉だと思うが、何度読み返しても、そうした視点が指導要領には見られないのである。
 
  
・2004.10.28 天皇、〈日の丸・君が代〉は「強制しないことが望ましい」と発言、議論をよぶ。


・2005.3.11 文部科学省〈白書〉、〈ゆとり教育〉見直しへ。


・2006.12.15 改正教育基本法成立(〈愛国心〉盛込む)。


・2008.2.1 日教組教研全体集会、ホテルの使用拒否で中止に。


・2008.2.15 文部科学省、小・中学校の学習指導要領改訂案を公示。


・2009 文部科学省、高等学校・特別支援学校の学習指導要領改訂案を公示。


・2017.3 文部科学省、幼稚園・小学校・中学校の改訂学習指導要領を公示。完全実施の年度は、幼稚園2018年、小学校2020年、中学校2021年より。


・2018 文部科学省、高等学校・特別支援学校の改訂学習指導要領を公示の予定。高校は2022年度の第1学年より学年進行で実施。特別支援学校では幼・小・中・高の実施スケジュールに準拠して実施。 



 資料一覧
  ≪資料1≫ 1958.10  機関誌 創刊号   「私たちのしごと」
 ≪資料2≫ 1958.10  機関誌 創刊号   木村敬太郎 「サークル・文学と教育の会成立まで」 
 ≪資料3≫ 1958.10  機関誌 創刊号   座談会 「改訂・学習指導要領(国語科)の問題点:熊谷孝氏をかこんで」 
 ≪資料4≫ 1958.11  機関誌 第2号  熊谷孝講演の記録 「改訂指導要領と国語教育」 
 ≪資料5≫ 1958.11  機関誌 第2号  「改訂学習指導要領をめぐって」 
 ≪資料6≫ 1958.12  機関誌 第3号 「今日の課題:国語教育の側面から」
 ≪資料7≫ 1959.3  機関誌 第5号  熊谷孝 「国語教育としての文学教育」 
 ≪資料8≫ 1959.4 機関誌 第6号 熊谷孝 「原則的と現実的と」
 ≪資料9≫ 1959.4  カリキュラム  熊谷孝 「国語教育としての文学教育」 
 ≪資料10≫ 1959.5   機関誌 第7号  小沢 「抵抗論は正しいか――改訂指導要領反対闘争をめぐって 
≪資料11≫ 1959.7 機関誌 第9号   〝講師団の日教組批判〟の問題によせて(反省と主張) 
 ≪資料12≫ 1959.11  教育科学・国語教育第9号   熊谷孝 「文学教育の視点から」 
 ≪資料13≫ 1960.4   機関誌 第15号    荒川有史/鈴木勝 「改訂指導要領の文学観」  
 ≪資料14≫ 1960.7  教育評論 No.98  熊谷孝 「国語教育としての文学教育を」  
 ≪資料15≫ 1963.10 文学 第31巻-第10号  熊谷孝 「〈動向〉文学教育の現状と問題点」 
 ≪資料16≫ 1964.2 道徳教育 第34号  熊谷孝 「文学教育と道徳教育」 
 ≪資料17≫ 1966.2  教育科学・国語教育第88号  熊谷孝 「言語主義からの解放」  
 ≪資料18≫ 1966.5  機関誌 第38号  荒川有史 「独断と批判のあいだ――奥田靖雄〈文学における主観主義〉の問題点 
 ≪資料19≫ 1967.3  教育科学・国語教育101号  熊谷孝 「学習指導要領の10項目の撤回を」 
 ≪資料20≫ 1967.9   機関誌 第46号  熊谷孝 「文体喪失時代の文学教育――横浜合宿研究集会 基調報告レジュメ 
 ≪資料21≫ 1968.1  機関誌 第49号  声明 「灘尾文相国防発言に抗議する」  
 ≪資料22≫ 1968.1  現代教育科学 第123号  熊谷孝 「主体性放棄の同化の論理」 
 ≪資料23≫ 1968.1  機関誌 第49号  座談会 「国防意識に結びつく改訂学習指導要領の問題点」
 ≪資料24≫ 1968.3    機関誌 第50号  委員長 福田隆義 「文教研の今日的課題――『文学と教育』No.50に寄せて  
 ≪資料25≫ 1968.6     機関誌 第52号  福田隆義 「指導要領改悪史(解釈学的国語教育の一現象 その1) 
 ≪資料26≫ 1968.8  機関誌 第53号  熊谷孝 「日本の教育と母国語の教育」 
 ≪資料27≫ 1968.8  教育科学・国語教育118号  熊谷孝 「人間教育の破壊」 
 ≪資料28≫ 1968.8  機関誌 第53号  夏目武子 「わたしたちの立場と課題」 
 ≪資料29≫ 1969.1  『民族の課題に応える…』  熊谷孝 「教育課程改訂をめぐる問題点一、二――講演「日本の教育と母国語の教育」から   
 ≪資料30≫ 1969.8  機関誌 第59号   福田隆義 「私たちの立場と課題」 
 ≪資料31≫ 1969.9 教育科学・国語教育123号  熊谷孝 「文学の授業とは何か」 
 ≪資料32≫ 1970.8  機関誌 第65号  熊谷孝 「〝国語教育としての文学教育〟から〝文体づくりの国語教育〟へ」 
 ≪資料33≫ 1976.12  教育科学・国語教育227号  熊谷孝 「言語の教育と文学教育」 
 ≪資料34≫ 1977.1  機関誌 第99号  副委員長 夏目武子 「〈巻頭言〉国語教育課程の新改定に思う」 
 ≪資料35≫ 1977.1  機関誌 第99号  教育課程の基準についてを読んで」 
 ≪資料36≫ 1977.8  機関誌 第101号 熊谷孝 「文学の創造と文学教育――テスト体制下の国語教育と文学教育 
 ≪資料37≫ 1980.8  機関誌 第113号 熊谷孝 「文学の授業――その創造と変革への道すじ」(広島講演) 
 ≪資料38≫ 1981.8 機関誌 第117号  声明 「〝偏向教科書キャンペーン〟に抗して―自主編成の発想にたつ持続的・日常的な教育活動を 
 ≪資料39≫ 1981.11  機関誌 第118号  「教育への不当な介入に抗議する」 
 ≪資料40≫ 1984.5  機関誌 第128号  さとう・みつる 「〈巻頭言〉 教育臨調/文教懇の欺瞞性――文学教育の視点から批判する 
 ≪資料41≫ 1986.2   機関誌 第135号  熊谷孝 「イヌに食われろ、共通一次」 
 ≪資料42≫ 1989.11 機関誌 第150号  樋口正規 「教科書は誰のものか――学習指導要領に就いて 
 ≪資料43≫ 1990.11  機関誌 第154号  芝崎文仁 「教組分裂の現状のなかの教研活動のあり方を問う」 
 ≪資料44≫ 1990.11  機関誌 第154号  夏目武子 「解釈学復活の今日的意味」 
 ≪資料45≫ 1993.11  機関誌 第163号  委員長 福田隆義 「日本の教育と母国語教育――あいさつにかえて 
 ≪資料46≫ 1993.11  機関誌 第163号  樋口正規 「文体づくり・仲間づくりの文学教育――その方法原理 
 ≪資料47≫ 1997.8  機関誌 第178号  福田隆義 「〈巻頭言〉二十一世紀に生きる子どもたちを見すえた母国語教育を」 
 ≪資料48≫ 1997.11  機関誌 第179号  福田隆義 「〝文学教育の復権〟を訴える」 
 ≪資料49≫ 1999.3 機関誌 第184号  福田隆義 「〈巻頭言〉文学教育を抹殺して生きる力が育つか」 
 ≪資料50≫ 1999.8  機関誌 第185-186号  芝崎文仁 「国民主権の思想こそ 国柄変ったことの意味/『君が代』問題に考える 
 ≪資料51≫ 2001.4 機関誌 第191号  樋口正規 「文学教育の可能性――今、私にできること 
 ≪資料52≫ 2001.11   機関誌 第193号  福田隆義 「〈文学教育よもやま話 3〉 私と学習指導要領 
 ≪資料53≫ 2002.11   機関誌 第196号  福田隆義 「〈文学教育よもやま話 6〉 文学に力を借りる」  
 ≪資料54≫ 2003.7    機関誌 第197号   福田隆義 「〈文学教育よもやま話 7〉 教材体系<自主編成の資料>として」   
 ≪資料55≫ 2003.7   機関誌 第197号    井筒満 「真の伝え合いとは何か――「学習指導要領」における「伝え合う力」批判     
≪資料56≫ 2008.7   機関誌 第208号    夏目武子 「学習指導要領の改定に想う――変わらぬ言語技術主義の横行 
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