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熊谷孝「文学の鑑賞指導」(10/19)[熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作]
資料:文教研/熊谷孝への言及(大野 響)(10/13)[アーカイヴズ]
〈文教研関係図書 古書情報〉 (10/1)[古書情報]
『文学と教育』 第230号 J-STAGE公開(9/14)[機関誌]
資料:文教研/熊谷孝への言及(9/7)[アーカイヴズ]
『文学と教育』 第230号 発行(9/1)[機関誌]
NEWS memo
誰もが孤独の時代 人間性失わないで 
……ウクライナ人がロシア文化を排斥することに賛同はしませんが、その背景はよく理解できます。ただ、作家は人々を育むために働いています。ドストエフスキーが示したように、私たちは「人の中にできるだけ人の部分があるようにするため」に働くのです。
ウクライナ侵攻では人間から獣がはい出しています。私も「本当に、言葉には意味があるのだろうか」と絶望する瞬間があります。それでも私たちの使命は変わりません。文学は人間を育み、人々の心を強くしなければなりません。残虐な運命に身を置かれた時、人間をのみ込む孤独に打ち勝てるように。
……私たちが生きているのは孤独の時代と言えるでしょう。私たちの誰もが、とても孤独です。文化や芸術の中に、人間性を失わないためのよりどころを探さなくてはなりません。
ノーベル文学賞作家 アレクシエービッチさんへのインタビュー( 『朝日新聞』 2023年1月1日 朝刊 )より |
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岩波文庫 2022.8刊 太宰 治 『右大臣実朝 他一篇』 (解説 安藤宏)
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NEWS memo
〔 なぜ国語に文学 朝日新聞 2022.1.22「ひもとく」欄 〕 |
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異質な他者に触れ 心情思う
東京大学教授(日本近代文学)安藤 宏
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今、「国語」という教科で「文学」をどう扱うか、熱い議論を呼んでいる。
幸田国広著『国語教育は文学をどう扱ってきたのか』は、戦後の国語教育が文学の「鑑賞」から「読解」へ、つまり「おいしいかどうか」から「食べ方」の教育へと変化してきた経緯を丹念にたどっている。結果的に『羅生門』や『走れメロス』 など一部の教えやすい教材が定番化し、読解指導の硬直化を招くことになったのであるという。
一時代前の人格主義、教養主義が教室の「文学」観を狭めてしまった弊害など、なるほど傾聴に値する指摘である。だが一方で、後半の論旨には素直にうなずけないものがあった。感動中心の文学教育では社会に役立つ論理を身につけることはできず、今後は文学と言語運用能力の養成とを区別し、情報化社会に見合った思考力をめざさなければならぬ、というのである。
前半を読むと言語教育と文学教育との高度な融合を理想としているように読めるのだけれども、どうも後半の論旨はそのようには進んでいないようだ。「文学」と「論理」を分類すれば事態が解決するほど単純なものでないことは、昨今の教科書検定をめぐる一連の報道などからも明らかだろう。
まず「中身」から
これに関連して紅野謙介著『国語教育 混迷する改革』は、こうした一連の動向に警鐘を鳴らしている。教材読解の比重を減らし、言語運用能力、コミュニケーション能力の育成に傾いていく動きへの批判である。もちろん「話すこと」「聞くこと」の育成が重要だ、という主張に反対する人間はいないだろう。だが一方で、人生でもっとも多感なこの時期、悩みや劣等感を置く抱えた高校生たちに教室でいったい何を語らせようというのか、と紅野は問う。
コミュニケーションのためにはまずカバンの中身が必要だ。先人の優れた文章の読解を通して異質な他者への理解を深め、世界の成り立ちについて考えていくということ。一時代前の文学主義に代わる、こうしたあらたな「人文知」の啓発にこそ、問題を解くカギが隠されているのではないだろうか。優れた文章の「読解」を通して身につけていく力と、自身の考えを周囲に伝達し、対話していく能力とは本来分かちがたく結びついている。
真に恐ろしいのは両者を切り分け、何しろ情報化社会なのだから後者が大切だ、という論法に流れていく風潮だ。社会の在り方の本質に目を向けず、ただ「説明だけがうまい子」ばかりが大量生産されていく事態など考えがたいことである。情報化社会であるからこそ、異質な知性が求められているのだと思う。
「読解」の大切さ
その意味でも、渡部泰明ほか著『国語をめぐる冒険』は実践的な提案として楽しく読めた。「文学」と「情報」の切り分けに悩んでいる現場の教員にぜひ読んで欲しい一冊である。(略)
文学教材が重要なのは、それが現代社会を生き抜く知恵と不可分なものであるからだ。言葉をコミュニケーションのツールとしてのみ扱ったとき、「国語」は死んでしまうことだろう。その意味でも幸田がその著の冒頭に紹介している、言語教育と文学教育とは本来一体のものである、という理念にあらためて立ち返りたいものである。
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紅野謙介著 『国語教育の危機――大学入試共通テストと新学習指導要領』
(ちくま新書 2018.9刊)
(同書カバーより)「大学入試センター試験」に代わって新しく導入される「大学入学共通テスト」。試行テスト等の内容を見る限りでは、本当に国語の大学入試問題なのかと首をかしげたくなる。新テストは、「新学習指導要領」の内容を先取りする形で作成されており、これが文部科学省の目指す理想形だとしたら、いま国語教育は重大な危機に瀕していると言えよう。「大学入学共通テスト」と「新学習指導要領」をつぶさに分析し、そこからいま見える国語教育が抱える問題点を指摘し、警鐘を鳴らす。
[抜粋]
《資料》「学習指導要領」批判の論拠 [学習指導要領…論拠]
《資料》「学習指導要領」批判の軌跡 (文教研) [学習指導要領…軌跡]
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《資料》 文学の仕事 ――諸家の文学観に学ぶ(目次)
・ 戸坂 潤 「わが文学観―要点三つ」
・ 大江健三郎 「いま、なにが日本の作家に必要か」
・ A.ティボーデ 『小説の美学』
・ M.ゴーリキー 「文学論」
・ 森 鷗外 「今の諸家の小説論を読みて」
・ 森 鷗外 「沈黙の塔」
・ 森 鷗外 「文学の主義」
・ J.M.ギュイヨオ 『社会学から見たる芸術』
・ J-P.サルトル 『文学とは何か』
・ 芥川龍之介 著作より
・ J.デューイ 『芸術論――経験としての芸術』
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《論文紹介》 岩﨑晴彦 「 〈内なる対話〉を育む文学教育―『高瀬舟』と『レ・ミゼラブル』 」 (『教育』 2020.12) |
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【 例会 】
1月28日(土)
pm1:00~4:00
芥川龍之介
「南京の基督」
の印象の追跡
[詳細]
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熊谷孝著作一覧
(Ⅰ) 1934~1960
(Ⅱ) 1961~1970
(Ⅲ) 1971~1980
(Ⅳ) 1981~1992
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