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荒川有史「国語教育としての文学教育」「印象の追跡としての総合読み」(7/5) [プロフィール]
文教研・夏季オンライン集会のご案内(7/2)
文教研・夏季オンライン集会のご案内
2020年2021年と新型コロナウィルスの感染拡大により、やむなく全国集会を中止しました。夏の全国集会が定着してから初めてのことでした。この間、2021年4月より例会をオンラインで再開し、何とか研究活動を継続してきています。しかし今年の全国集会も準備が整わず、中止とせざるを得ませんでした。そんな中でもなんとか現在の研究活動の成果を交流し合いたいと考え、夏季オンライン集会を開催することにいたしました。
開催は以下の要領で行いたいと思います。こうした形式の集会は初めてなので、基本的に文教研会員とそのお知り合いの方に参加していただければと思っています。よろしくお願いします。
日時 8月5日(金) / 6日(土) 両日とも 午後1時~4時
開催方法 Zoomによるオンライン
Zoomアプリをインストールの上、下記のアドレスへお名前を明記してご連絡下さい。
後ほど招待メールを送ります。
bunkyoken@nifty.com (文教研事務局アドレス)
内容 芥川龍之介「藪の中」の印象の追跡
テキストは各自でご持参ください。
【参考文献】
①文学教育研究者集団著・熊谷孝編『芥川文学手帖』みずち書房/1983
②佐藤嗣男『芥川龍之介』(おうふう/2001) 「芥川とチエホフ」補遺―「藪の中」「六の宮の姫君」に即して」
③「文学と教育」No.192/2001 金井公江「芥川龍之介『藪の中』を読む」
日程
1日目(8月5日)
・あいさつ
・ゼミナール:芥川龍之介「藪の中」の印象の追跡 前半
「検非違使に問われたる木樵りの物語」~「検非違使に問われたる媼の物語」
2日目(8月6日)
・ゼミナール:芥川龍之介「藪の中」の印象の追跡 後半
「多襄丸の白状」~「巫女の口を借りたる死霊の物語」
以上、ご不明な点は事務局までご連絡ください。
文教研事務局・℡&Fax 03-3787-7575
mail-address bunkyoken@nifty.com
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NEWS memo
〔 なぜ国語に文学 朝日新聞 2022.1.22「ひもとく」欄 〕 |
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異質な他者に触れ 心情思う
東京大学教授(日本近代文学)安藤 宏
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今、「国語」という教科で「文学」をどう扱うか、熱い議論を呼んでいる。
幸田国広著『国語教育は文学をどう扱ってきたのか』は、戦後の国語教育が文学の「鑑賞」から「読解」へ、つまり「おいしいかどうか」から「食べ方」の教育へと変化してきた経緯を丹念にたどっている。結果的に『羅生門』や『走れメロス』 など一部の教えやすい教材が定番化し、読解指導の硬直化を招くことになったのであるという。
一時代前の人格主義、教養主義が教室の「文学」観を狭めてしまった弊害など、なるほど傾聴に値する指摘である。だが一方で、後半の論旨には素直にうなずけないものがあった。感動中心の文学教育では社会に役立つ論理を身につけることはできず、今後は文学と言語運用能力の養成とを区別し、情報化社会に見合った思考力をめざさなければならぬ、というのである。
前半を読むと言語教育と文学教育との高度な融合を理想としているように読めるのだけれども、どうも後半の論旨はそのようには進んでいないようだ。「文学」と「論理」を分類すれば事態が解決するほど単純なものでないことは、昨今の教科書検定をめぐる一連の報道などからも明らかだろう。
まず「中身」から
これに関連して紅野謙介著『国語教育 混迷する改革』は、こうした一連の動向に警鐘を鳴らしている。教材読解の比重を減らし、言語運用能力、コミュニケーション能力の育成に傾いていく動きへの批判である。もちろん「話すこと」「聞くこと」の育成が重要だ、という主張に反対する人間はいないだろう。だが一方で、人生でもっとも多感なこの時期、悩みや劣等感を置く抱えた高校生たちに教室でいったい何を語らせようというのか、と紅野は問う。
コミュニケーションのためにはまずカバンの中身が必要だ。先人の優れた文章の読解を通して異質な他者への理解を深め、世界の成り立ちについて考えていくということ。一時代前の文学主義に代わる、こうしたあらたな「人文知」の啓発にこそ、問題を解くカギが隠されているのではないだろうか。優れた文章の「読解」を通して身につけていく力と、自身の考えを周囲に伝達し、対話していく能力とは本来分かちがたく結びついている。
真に恐ろしいのは両者を切り分け、何しろ情報化社会なのだから後者が大切だ、という論法に流れていく風潮だ。社会の在り方の本質に目を向けず、ただ「説明だけがうまい子」ばかりが大量生産されていく事態など考えがたいことである。情報化社会であるからこそ、異質な知性が求められているのだと思う。
「読解」の大切さ
その意味でも、渡部泰明ほか著『国語をめぐる冒険』は実践的な提案として楽しく読めた。「文学」と「情報」の切り分けに悩んでいる現場の教員にぜひ読んで欲しい一冊である。(略)
文学教材が重要なのは、それが現代社会を生き抜く知恵と不可分なものであるからだ。言葉をコミュニケーションのツールとしてのみ扱ったとき、「国語」は死んでしまうことだろう。その意味でも幸田がその著の冒頭に紹介している、言語教育と文学教育とは本来一体のものである、という理念にあらためて立ち返りたいものである。
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紅野謙介著 『国語教育の危機――大学入試共通テストと新学習指導要領』
(ちくま新書 2018.9刊)
(同書カバーより)「大学入試センター試験」に代わって新しく導入される「大学入学共通テスト」。試行テスト等の内容を見る限りでは、本当に国語の大学入試問題なのかと首をかしげたくなる。新テストは、「新学習指導要領」の内容を先取りする形で作成されており、これが文部科学省の目指す理想形だとしたら、いま国語教育は重大な危機に瀕していると言えよう。「大学入学共通テスト」と「新学習指導要領」をつぶさに分析し、そこからいま見える国語教育が抱える問題点を指摘し、警鐘を鳴らす。
[抜粋]
《資料》「学習指導要領」批判の論拠 [学習指導要領…論拠]
《資料》「学習指導要領」批判の軌跡 (文教研) [学習指導要領…軌跡]
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《資料》 文学の仕事 ――諸家の文学観に学ぶ(目次)
・ 戸坂 潤 「わが文学観―要点三つ」
・ 大江健三郎 「いま、なにが日本の作家に必要か」
・ A.ティボーデ 『小説の美学』
・ M.ゴーリキー 「文学論」
・ 森 鷗外 「今の諸家の小説論を読みて」
・ 森 鷗外 「沈黙の塔」
・ 森 鷗外 「文学の主義」
・ J.M.ギュイヨオ 『社会学から見たる芸術』
・ J-P.サルトル 『文学とは何か』
・ 芥川龍之介 著作より
・ J.デューイ 『芸術論――経験としての芸術』
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《論文紹介》 岩﨑晴彦 「 〈内なる対話〉を育む文学教育―『高瀬舟』と『レ・ミゼラブル』 」 (『教育』 2020.12) |
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文教研
夏季オンライン集会
8月5日(金)
8月6日(土)
pm.4:00~7:00
芥川龍之介
「藪の中」の
印象の追跡
[詳細]

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熊谷孝著作一覧
(Ⅰ)1934~1960
(Ⅱ) 1961~1970
(Ⅲ) 1971~1980
(Ⅳ) 1981~1992
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