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《新資料》 熊谷 孝 「道徳性の国民政策的陶冶」 (翻訳)(12/6)[熊谷孝 昭和10年代著作]
機関誌 『文学と教育』 第231号 発行(9/10)[機関誌(〈訂正〉追加]
文教研関係図書古書情報(9/10)[古書情報]
《資料》文学の仕事:熊谷 孝 『 文学入門 』 より(9/2)[資料:文学の仕事]
《資料》文学の仕事:アリストテレス 『 詩学 』 より(8/3)[資料:文学の仕事]
《資料》文学の仕事:J.エプスタン 「今日の詩——智性の新たな状態」 より(7/16)[資料:文学の仕事]
山元隆春『文学教育基礎論の構築』(6/1)[資料:文教研/熊谷孝への言及]
【山元隆春『文学教育基礎論の構築』より】
熊谷の文芸認識論は、彼自身述べているように、哲学者戸坂潤の文学論に負うところが大きい。〈印象の追跡〉について、戸坂は次のように言う。
印象の追跡は印象への追随であると共に、そればかりではなくて、印象から距離をつくることであり、印象を直ちに疑ふことであり、印象を仮構的に破壊することであり、印象をつきはなすことである。それがなければ印象は、少なくとも真に客観的な方向へは、追跡されない80。
<注80:戸坂潤 1948 『文学論』(戸坂潤選集 第8巻)伊藤書店、60頁。戸坂の『文学論』を熊谷の『文学教育』とつきあわせてみると、熊谷が戸坂から受けた影響の大きさと深さを知らされる。> |
〈印象の追跡〉によってこそ批評が〈客観的な方向〉へと向かいうるという戸坂の論は、読むことの理論を究明するうえでも非常に示唆的である。読者が自らの読みを対象化し、自立していくためには、読むなかで実感として捉え得た〈印象〉を〈追跡〉するという営みがどうしても必要になってくる。この〈印象の追跡〉という営みが、熊谷の読みの理論に従う文学教育方法論の重要な柱となった。熊谷の読むという行為を把握する際の原理としての〈印象の追跡〉論も、戸坂の理論を継承したものであると言ってよい。熊谷は言う。
必要なことは、自己の実感ベッタリな態度を拒否してかかることである。自己の想像的意識に与えられた実感・印象を一度突き放して対象化し、それを点検し追跡するという姿勢である。(中略=山元)どういう意味にもせよ、批評という行為・活動は印象の追跡以外のものではないということを、わたしは戸坂潤(1900~45)に学んだ。すなわち、印象の追跡としての批評だけが、自己の実感をささえとしながら、その実感の検証を通して実感をこえる(つくり変える)ことを可能にする、ということをである81。
<注81:熊谷孝 1970 『文体づくりの国語教育』三省堂、55頁>
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紅野謙介著 『国語教育の危機――大学入試共通テストと新学習指導要領』
(ちくま新書 2018.9刊)
(同書カバーより)「大学入試センター試験」に代わって新しく導入される「大学入学共通テスト」。試行テスト等の内容を見る限りでは、本当に国語の大学入試問題なのかと首をかしげたくなる。新テストは、「新学習指導要領」の内容を先取りする形で作成されており、これが文部科学省の目指す理想形だとしたら、いま国語教育は重大な危機に瀕していると言えよう。「大学入学共通テスト」と「新学習指導要領」をつぶさに分析し、そこからいま見える国語教育が抱える問題点を指摘し、警鐘を鳴らす。
[抜粋]
《資料》「学習指導要領」批判の論拠 [学習指導要領…論拠]
《資料》「学習指導要領」批判の軌跡 (文教研) [学習指導要領…軌跡]
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《資料》 文学の仕事 ――諸家の文学観に学ぶ(目次)
・ 戸坂 潤 「わが文学観―要点三つ」
・ 大江健三郎 「いま、なにが日本の作家に必要か」
・ A.ティボーデ 『小説の美学』
・ M.ゴーリキー 「文学論」
・ 森 鷗外 「今の諸家の小説論を読みて」
・ 森 鷗外 「沈黙の塔」
・ 森 鷗外 「文学の主義」
・ J.M.ギュイヨオ 『社会学から見たる芸術』
・ J-P.サルトル 『文学とは何か』
・ 芥川龍之介 著作より
・J.デューイ 『芸術論――経験としての芸術』
・J.エプスタン 『今日の詩 智性の新しい状態』
・アリストテレス 『詩学』
・熊谷 孝 『文学入門』
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【次回例会案内】
12月9日(土)
p.m. 4:00~7:00
〔オンライン〕
『マルクス自身の手による
資本論入門』
第1回
[詳細]

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熊谷孝著作一覧
(Ⅰ) 1934~1960
(Ⅱ) 1961~1970
(Ⅲ) 1971~1980
(Ⅳ) 1981~1992
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