「文学と教育」主な連載記事 | |
◆ 《座談会》文教研理論形成史 ◆ 荒川有史 文学史一九三六年前後――島木健作『再建』の世界を中心に ◇ 荒川有史 文学史一九三七――『生活の探究』論争史を中心に ◆ 夏目武子 国語教育講座 ◆ 荒川有史 文学事象としての大逆事件――徳冨蘆花『謀叛論』を中心に ◆ 荒川有史 母国語ノート ◆ 荒川有史 なぜ、今、太宰文学か――〈現代史としての文学史〉の視点から ◆ 荒川由美子 絵本を媒介とした障害児とのかかわり ◆ 福田隆義 続 国語教育講座 ◆ 荒川由美子 子どもに精神の自由を ◆ 井筒 満 読者論ノート――W.イーザー著『行為としての読書』の批判的検討 ◆ 荒川有史 《私の教室》『女殺油地獄』――舞台形象への道すじをさぐる ◆ 佐藤嗣男 再び、『羅生門』について ◆ 荒川有史 芥川龍之介『芭蕉雑記』の教材化 ◆ 荒川有史 西鶴――人間喜劇の文学 ◆ 香川智之 山田洋次の映画づくりから学ぶ ◆ 香川智之 《私の教室》『多甚古村』日誌 ◆ 荒川有史 芭蕉俳論を読む ◆ 佐藤嗣男 南吉童話の成立 ◆ 荒川有史 近世偽書の条件――芭蕉俳論に即して ◆ 福田隆義 文学教育よもやま話 ◆ 夏目武子 『平家物語』を読む ◆ 荒川有史 西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師 ◆ 森田高志 《私の教室》蔵原伸二郎 ◆ 井筒 満 日中戦争下における芸術認識論の探求 |
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◆《座談会》文教研理論形成史 | |
第95号(1976.2) | 《座談会》文教研理論形成史(一) 出席者:荒川有史 熊谷孝 福田隆義 (編集部)佐藤嗣男 |
1 国語教育の自由と学校教育/2 文学観の問い直しから出発/3 言葉と事態 | |
第96号(1976.5) | 《座談会》文教研理論形成史(二) 出席者:荒川有史 熊谷孝 夏目武子 福田隆義 (編集部)鈴木益弘 |
(『芸術とことば』出版前後)/第二信号系理論に学ぶ/言語過程説の功罪 | |
第97号(1976.8) | 《座談会》文教研理論形成史(三) 出席者:荒川有史 芝崎文仁 夏目武子 福田隆義 (編集部)佐藤嗣男 |
「母国語」概念の成立/『文学の教授過程』の成立/「教材化」概念の提唱/「教科構造」成立史/『中学校の文学教材研究と授業過程』をめぐって/全国教教研と文教研 | |
第99号(1977.1) | 《座談会》文教研理論形成史(四) 出席者:荒川有史 熊谷孝 福田隆義 山下明 (編集部)佐藤嗣男 |
「国語教育時評」を中心に/「言語自体」ということ/静かな論争を期待する/第二信号系理論こそ原点/方法主義への批判/作用因としてのことば/現場の問題から/〈審議会まとめ〉の問題点/評価と教師の主体性/誤れる「世代」論/なつかしい瀬音が聞えるように/『国語教育時評』を再び | |
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◆ 荒川有史 文学史一九三六年前後――島木健作『再建』の世界を中心に | |
第124号(1983.5)〈その一〉 | 1 一九三六年の課題/2 『再建』の舞台/3 『再建』の視座/4 交錯する二つの視座/5 長編小説のモティーフ/6 主題的発想の多様性 |
第125号(1983.8)〈その二〉 | 1 人間回復と組織の再建/2 形象の眼を通しての統一戦線志向/3 第三の狂言回し登場の必然性/4 創造主体の動揺――長編小説の屈折 |
◇ 荒川有史 文学史一九三七――『生活の探究』論争史を中心に | |
第128号(1984.5) | 1 『再建』の発売禁止/2 『生活の探究』に対する中野重治の批判/3 創造主体の変質を語るもの――島木健作の反応/4 文学を読むということ/5 『生活の探究』論争史が提起した課題 |
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◆ 夏目武子 国語教育講座 | |
第124号(1983.5)第一回 | 母国語教師の条件 |
はじめに/荒れる中学生、今・昔/漱石の描く中学生/ことばによる人生設計の実験機/人間は考えるらっきょうである/再び『空気がなくなる日』について | |
第126号(1983.11)第二回 | 母国語文化と母国語への愛情を |
自主編成の立場に立って/『啄木詩集』を中学生に/『最後の一句』と『一話一言』/『最後の一句』――印象の追跡・1/『最後の一句』――印象の追跡・2/『最後の一句』――教材化をめぐって/漱石文学の教材化 | |
第127号(1984.2)第三回 | 自主編成の立場に立って――『十五少年漂流記』『走れメロス』を中心に |
おもしろくなった太宰文学/『十五少年漂流記』の教材化/『坊っちゃん』を読む/教科書の中の太宰文学/『走れメロス』――魅力的な書き出し/『走れメロス』――シルレルの詩との対比で | |
第129号(1984.8)第四回 | 教科書の中の「言文一致」 |
はじめに/言文一致をどうとらえるか/中学生・高校生が目にする「言文一致」論/明治三十年代の「言文一致」/「ホトゝギス」と言文一致 | |
第130号(1984.11)第五回 | 『君死にたまふことなかれ』――異端の文学としての位置 |
はじめに/『みだれ髪』と『君死にたまふことなかれ』と/桂月と剣南の論争/晶子の文学宣言――『ひらきぶみ』/教室の中の『君死にたまふことなかれ』 | |
第131号(1985.2)第六回 | 平和教育としての文学教育――『山椒魚』『鼻』を中心に |
はじめに/教科書の中の『山椒魚』/数字の訂正を/『鼻』の教材化/教室の中の『鼻』/『鼻』は悪文?/漱石の書簡の意味 | |
第132号(1985.5)第七回 | 印象の追跡としての総合読み――森鴎外『高瀬舟』に即して |
はじめに/印象の追跡ということ/庄兵衛の意識をこそ/安楽死の問題をめぐって/解釈学への疑問 | |
第133号(1985.7)第八回 | 解釈学批判ノート |
はじめに/科学分類論にふれて/教育と基礎科学/内容と形式をめぐって/日常的な教室の中で | |
第134号(1985.11)第九回 | 黒島伝治『電報』の印象の追跡 |
第135号(1986.2)最終回 | 太宰文学と文学教育――『走れメロス』に即して |
はじめに/太宰文学入門をめぐって/『走れメロス』の素材典拠/「もっと、恐ろしく大きいもののために走る」/「明るい健康的な面」を代表する短編か?/怒濤の葉っぱの世代の文学として | |
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◆ 荒川有史 文学事象としての大逆事件――徳冨蘆花『謀叛論』を中心に | |
第126号(1983.11) | はじめに/1 日本近代文学における異端の系譜/2 謀叛のすすめ――蘆花の文学精神/3 芥川世代の精神形成/4 幸徳秋水と徳冨蘆花 |
第127号(1984.2)(その二) | 1 秋水と蘆花の相互主観性/2 秋水の思想の変化 |
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◆ 荒川有史 母国語ノート | |
第132号(1985.5) | 1 平和を求める心性/2 母国語教師としての母親/3 母語の基盤――言語共同体/4 母国語概念をめぐって |
第137号(1986.7)〈その二〉 | 1 名著の魅力/2 民族の共通信号への胎動/3 〈地球〉の発見と人間の自立 |
第139号(1987.2)〈その三〉 | 日本人としての存在証明 |
1 二つの母国――一八歳の少女の苦悩/2 内なる母国の自覚 | |
第140号(1987.5)〈その四〉 | 日本語の壁 |
1 言葉をとおして思索するとき/2 言葉と文化の問題/3 母国語奪還のために | |
第141号(1987.7)〈その五〉 | 志賀の日本語・芥川の日本語――熊谷孝著『増補改版 太宰治』に寄せて |
1 なつかしさを喚起する文体/2 世代形成過程を生きる/3 母国語文化の外に位置づく志賀文学 | |
第144号(1988.5)〈その六〉 | 連想・読書雑感 |
1 曲言型批評への共感/2 言葉で思索する楽しさ/3 〈国語入試問題必勝法〉の行方 | |
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◆ 荒川有史 なぜ、今、太宰文学か――〈現代史としての文学史〉の視点から | |
第135号(1986.2) | 1 森鴎外と太宰治/2 太宰と芥川・太宰と井伏/3 真の現代文学とは何か |
第136号(1986.5) | 1 真の現代文学とは何か/2 『右大臣実朝』誕生の時代/3 日本列島不沈空母下の太宰文学/4 詐欺師と嘘つきと/5 世代形成過程から成人への歩みを描く |
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◆ 荒川由美子 絵本を媒介とした障害児とのかかわり | |
第135号(1986.2) | (一)子どもたちとの出会い |
1 せんせい、ボクはいつ?/2 絵本の読み聞かせ/3 ファンに支えられて | |
第136号(1986.5) | (二)教材化のむずかしさと楽しさ |
1 教材化の視点を持つこと/2 絵本のもつおもしろさ/3 教材化のむずかしさと楽しさと | |
第137号(1986.7) | (三)絵本『おおきなかぶ』を読む |
1 『おおきなかぶ』を読む/2 絵本『おおきなかぶ』の魅力 | |
第138号(1986.11) | (四)なぜ「障害児に文学を」なのか |
1 でも、家の子の場合は……/2 障害をどう受け止めるか/3 障害児に文学を | |
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◆ 福田隆義 続 国語教育講座 | |
第136号(1986.5)第一回 | 国語教育――私の遍歴 |
はじめに/戦後の教師として/狂っていたスタートライン/問われる言語観 | |
第137号(1986.7)第二回 | 言葉体験の端緒的成立を確かなものに――『おおきなかぶ』の教材化を中心に |
はじめに/『文学教育の構造化』の時点/今読み返してみて/多様な学習を保障する作品/芸術作品でなければ用をなさない | |
第138号(1986.11)第三回 | 教育課程の自主編成――『おしになった娘』(松谷みよ子)の授業を参観して |
はじめに/「なげ込み教材」という考え方/自主編成の基本路線/署名のある教育を | |
第139号(1987.2)第四回 | 長編の教材化――井伏鱒二訳『ドリトル先生アフリカ行き』を事例に |
はじめに/『ドリトル先生アフリカ行き』私の印象の追跡/指導過程をめぐって――四年生を対象に | |
第140号(1987.5)第五回 | 「表現学習」をめぐって――小学校低学年の場合 |
はじめに/学校教育のスタートライン/主柱・主軸のない作文指導/文学教育の一環としての表現学習 | |
第141号(1987.7)第六回 | 素材主義の克服を――教材選択『あんじゅとずし王』をめぐって |
はじめに/私の中の「安寿」と「厨子王」/子どもむけの『あんじゅとずし王』/『山椒大夫」につながる作品とは | |
第142号(1987.11)第七回 | 『ヴィーチャと学校友だち』――長編の特質を生かして |
はじめに/1 『ヴィーチャと学校友だち』/2 教材化をめぐって | |
第143号(1988.2)第八回 | 「おいたちの記」――小学校高学年の表現学習をめぐって |
はじめに/1 自分の知らなかった自分/2 親と子の“対話”から/3 書きなおしたくなるということ/4 記憶のみによる回想のむずかしさ/5 多様な方法の一環として | |
第144号(1988.5)第九回 | “文体意識”をはぐくむ試み |
はじめに/1 「マス・コミ的文体の氾濫」と今日/2 文体づくりの国語教育/3 これが“私の文章”といえる文章を/4 文体剥奪の過程 | |
第145号(1988.7)最終回 | 民話の教材化――絵物語としての『かさじぞう』 |
はじめに/1 民話を読む視点/2 民話の語り口/3 絵物語としての『かさじぞう』/4 小学校低学年の特性/5 民話を民話として | |
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◆ 荒川由美子 子どもに精神の自由を | |
第146号(1988.11) | 子どもに感動体験を/表現しなくなったタカシ君/百点をとったこと/テスト戦争/文学の眼を |
第147号(1989.3) | ――「モモからのメッセージ」 |
「はやく……しなさい」/「モモからのメッセージ」 | |
第148-9号(1989.7) | ――『モモ』の再読 |
「モモ」は桃?/モモのところに/ふたりの友だち/時間の国へ/おわり(ENDE) | |
第151号(1990.3) | ――死者との語らい |
父と娘/死者との語らい/旅立ち | |
第152号(1990.6) | ――『さっちゃんのまほうのて』 |
すずめの会/小学生になったら……/さっちゃんのまほうの手/可能性を信じて | |
第152号(1990.6) | ――人間ってやり直せるんだよね |
オトコグミって?/人間ってやり直せるんだよね/後悔しない人生を/私の中の私たち、私たちの中の私 | |
第155号(1991.5) | ――児童文学を読みませんか |
臨床心理士になりたい/夢を共に生きよう。/児童文学を読みませんか | |
第156号(1991.7) | ――出会いの場をつくろう |
小さな試み/障害者観の問い直し/障害者を産むのは恐い?/出会いの場をつくろう | |
第159号(1992.7) | ――絵地図からのよびかけ |
一枚の絵地図/歩けなくなった少年/絵の中の少年/家族 | |
第162号(1993.7) | ――絵地図への旅 |
お絵描きって楽しい?/絵地図からのYびかけ/家庭内の人間関係/課せられた課題 | |
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◆ 井筒 満 読者論ノート――W.イーザー著『行為としての読書』の批判的検討 | |
第156号(1991.7)(1) | 読者論の現在 |
第157号(1991.11)(2) | 「日本語版への序文」をめぐって(1)/「日本語版への序文」をめぐって(2) |
第158号(1992.3)(3) | 「日本語版への序文」をめぐって(続き)/Ⅰ章の論点(1) |
第159号(1992.7)(4) | Ⅰ章の論点(1)の続き/Ⅰ章の論点(2)/Ⅰ章の論点(3) |
第161号(1993.4)(5) | 1 前回の要約/「二重の回路」と「伝え合い」/3 「虚構言語」と「日常言語」 |
第163号(1993.11)(6) | 3 「虚構言語」と「日常言語」(続き)/4 日常性と芸術性(1)/5 日常性と芸術性(2)/6 読みの過程的構造 |
第164号(1994.3)(7) | 6 読みの過程的構造(続き)/7 読みの過程的構造(2)/8 読みの過程的構造(3) |
第165号(1994.6) | 「読者論ノート」番外編 安良城理論をめぐって(上) |
1 はじめに/2 シンポジウムの感想/3 安良城理論の構想/4 中性下人論と『羅生門』 | |
第166号(1994.8) | 「読者論ノート」番外編 安良城理論をめぐって(下) |
4 中性下人論と『羅生門』(続き)/5 「盗み」をめぐって/6 階級支配と民衆/7 西鶴をめぐって | |
第168号(1995.3)(8) | 8 読みの過程的構造(3)/9 ストラテジー論(1)/10 ストラテジー論(2) |
第169号(1995.6)(9) | 10 ストラテジー論(2)(続き)/11 読書過程と事物の観察/12 読書過程の弁証法 |
第173号(1996.6)(完) | 1 「歴史・社会学的方法」と「テクスト理論的方法」/2 「近代主義」/3 「反映」と「典型」/4 「日常性」と「芸術性」/5 「文学の機能」/6 「既知」と「未知」/7 「Ⅲ 読書の現象学」における「経験」論 |
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◆ 荒川有史 《私の教室》『女殺油地獄』――舞台形象への道すじをさぐる | |
第158号(1992.3)〈1〉 | 1 原宿と四谷の間/2 原宿文楽の意図とその達成度/3 床本を読むための柔軟体操/4 種本の正体をさぐる |
第159号(1992.7)〈2〉 | 1 オンブにダッコから一人歩きへ/2 文学形象から舞台形象へ/3 〈内なる観客〉との対話をめざして |
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◆ 佐藤嗣男 再び、『羅生門』について | |
第162号(1993.7)(上) | ――『こゝろ』(漱石)に共軛する下人の倦怠の心情 |
はじめに/詩的精神に支えられた散文の世界/失うべき何ものもない〈下人〉の登場/『こゝろ』の〈先生〉の倦怠感と下人の心情 | |
第163号(1993.11)(中) | ――芥川世代と漱石世代の異質性 |
『こゝろ』の〈先生〉の倦怠感と下人の心情――承前/初出『羅生門』稿の成立/芥川世代と漱石世代の異質性/〈よりそう〉文体――芥川文学の文体的特性 | |
第165号(1994.6)(下) | ――芥川の歴史小説の方法 |
二重の媒介構造を持つ作品世界 | |
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◆ 荒川有史 芥川龍之介『芭蕉雑記』の教材化 | |
第163号(1993.11)〈その一〉 | ――教室での対話を深めるために |
1 親鸞・乾孝・芭蕉/2 人を見て法を説く――芭蕉の教育法/3 連句とは何か | |
第164号(1994.3)〈その二〉 | ――創造と鑑賞の秘密を通路に |
1 連句のありよう/2 去来の構成意識/3 芥川の構成意識 | |
第165号(1994.6)〈その三〉 | ――創造完結者としての芭蕉 |
1 馬齢を重ねつつも/2 古典の再発見/3 先師・宗師・大山師の感受性 | |
第166号(1994.8)〈その四〉 | ――鑑賞体験の方向差・個人差 |
1 創造完結者としての芭蕉/2 表現理解を規制する想像意識/3 文体反応にみる方向差・個人差 | |
第167号(1994.11)〈その五〉 | ――芭蕉と其角の相互主観性 |
1 私の内なる其角像/2 〈内なる其角像〉のひろがり | |
第168号(1995.3)〈その六〉 | ――其角の視座 |
1 蕉門における其角の位置/2 其角人脈の多様性/3 其角像の再発見 | |
第169号(1995.6)〈その七〉 | ――時期区分論の視座を通路に |
1 課題の再確認とおわび/2 蕉門一座の人間模様/3 風狂精神の連続・非連続――芥川にみる時期区分意識/4 〈文学の科学〉構想の試金石 | |
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◆ 荒川有史 西鶴――人間喜劇の文学 | |
第170号(1995.8)〈その一〉 | 1 西鶴世代の発見――その原点/2 “こんにち”に立つこと/3 文学史の内側から〈近世〉を見る |
第171号(1995.11)〈その二〉 | 1 西鶴文学の基礎/2 転形期を生きた人々/3 新興町人の形成過程/4 児童文学と成人文学 |
第172号(1996.3)〈その三〉 | 1 課題の再確認/2 史実と虚構の間/3 対話の志向するもの/4作品形象から見えてくるもの |
第173号(1996.6)〈その四〉 | 1 課題の再確認/2 作品形象から見えてくるもの/3 文学以前か文学か |
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◆ 香川智之 山田洋次の映画づくりから学ぶ | |
第172号(1996.3)(上) | 芸術家の誕生/芸術は誰のために |
第173号(1996.6)(中) | 娯楽と芸術/「笑い」の質について |
第174号(1996.8)(下) | 「現実」をどうとらえるか/リアリズムについて/明日を生きるために、そして明日の現実をつくり出すために |
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◆ 香川智之 《私の教室》『多甚古村』日誌 | |
第176号(1997.3)(一) | |
第177号(1997.6)(二) | |
第178号(1997.8)(三) | |
第179号(1997.11)(四) | |
第180号(1998.3)(五) | |
第181号(1998.6)(六) | |
第182号(1998.8)(七) | |
第185-6号(1999.8)(八) | |
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◆ 荒川有史 芭蕉俳論を読む | |
第177号(1997.6)〈その一〉 | ――愛読と濫読との間 |
〈はじめに〉芭蕉俳論の課題と構成/1 『去来抄―先師評』の魅力 | |
第179号(1997.11)〈その二〉 | ――太宰治と芭蕉の間 |
1 継続課題の確認/2 子どもとは何かを問う視点/3 近世詩にける子どもの発見/4 芭蕉に通底する太宰治の主題意識/5 異端の系譜の原点に位置づく芭蕉 | |
第180号(1998.3)〈その三〉 | ――芭蕉像変容の契機 |
1 再読・太宰治と芭蕉の間/2 芭蕉像変容の機転としての〈第二芸術〉論/3 短詩型文学の行方/4 日本文化としての短歌 | |
第181号(1998.6)〈その四〉 | ――第二芸術論者の芭蕉像 |
1 課題の再確認/2 主題へ向けて――構成と展開/3 副題としての発句の位置/4 芭蕉三百年祭を照射する西鶴忌/5 近世日本の詩人としての芭蕉 | |
第182号(1998.8)〈その五〉 | ――第二芸術論者の芭蕉俳諧批判を斬る |
1 課題の再確認/2 風雅とは何か/3 文章作法の切り口から/4 近代主義の正体/5 近代主義・素材主義・部分主義 | |
第183号(1998.12)〈その六〉 | ――人間疎外とたたかう文学(廣末保) |
1 新しい課題の発見/2 芭蕉における〈俳諧〉の発見/3 抵抗としての亡命/4 近世文学史の起点 | |
第184号(1999.3)〈その七〉 | ――民衆詩としての芭蕉俳諧 |
1 課題の再確認/2 『冬の日』の画期性/3 文学史の中の近世俳諧 | |
第185-6号(1999.8)〈その八〉 | ――芭蕉一座の成立と展開(廣末保) |
1 課題の再確認/2 俳諧の場における個と集団の問題/3 芭蕉一座の成立と再生産過程 | |
第187号(1999.11)〈その九〉 | ――〈対象の声なき声〉の源流をさぐる(廣末保・熊谷孝・佐藤嗣男・藤田省三) |
1 課題の再確認/2 松のことは松に聞け/3 対象の声なき声に聴く | |
第188-9号(2000.8)〈その十〉 | ――〈軽み〉への道程(山本健吉) |
1 芭蕉奪還への道筋/2 〈あそび〉の視角/3 戦後十年のしごと/4 歳時記――日本文化の総決算/5 文学史の一環としての鑑賞と批評/6 〈かるみ〉にみる日常性・非日常性 | |
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◆ 佐藤嗣男 南吉童話の成立 | |
第182号(1998.8)(上) | 〈倦怠〉の文学としての南吉童話/自己疎外からの脱出口の模索/『権狐』から『手袋を買ひに』へ |
第184号(1999.3)(中) | ――『権狐』と『ごん狐』 |
「スパルタノート」版『権狐』(一)/「スパルタノート」版『権狐』(二)/「スパルタノート」版『権狐』(三)/「スパルタノート」版『権狐』(四)/「スパルタノート」版『権狐』(五)/「スパルタノート」版『権狐』(六) | |
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◆ 荒川有史 近世偽書の条件――芭蕉俳論に即して | |
第190号(2000.11)〈その一〉 | 1 偽書の成立事情をさぐる/2 偽書作成と剽窃行為との異質性/3 「真贋の森」が示すもの/4 偽書の判定規準 |
第191号(2001.4)〈その二〉 | 1 偽書の定義/2 「支考」臭の根源をさぐる/3 芭蕉の遺言書にみる支考像/4 支考に対する同門の拒否反応――其角との対比にみる |
第192号(2001.8)〈その三〉 | 1 必要な回り道――偽書の条件を問題にする意味/2 偽書の判定規準/3 同門の拒否反応の多様性/4 支考の衒学性に対する全面否定 |
第193号(2001.11)〈その四〉 | 1 支考批難ふたつの源流/2 『葛の松原』の成立事情/3 芭蕉と支考との対話/4 芭蕉の批評眼を移調して |
第194号(2002.4)〈その五〉 | 1 偽書問題の周辺/2表現理解の方向差と個人差/3 蕉風付合論の起点/4 『去来抄』よりの逆照射/5 去来と支考との対話 |
第195号(2002.7) 〈その六〉 | 1.偽書づくりの張本人/2.支考の著述とその源流/3.感動に始まり感動に終わる/4.俳諧作法の初歩/5.〈芭蕉種〉にみる主題意識の持続性・一貫性 |
第196号(2002.11) 〈その七〉 | 1.偽書説の再検討/2.〈おくのほそ道〉歌仙の基本形と変化形/3.芭蕉の評語を手がかりに/4.宗匠と連衆が奏でる交響曲 |
第197号(2003.7) 〈その八〉 | 1.芭蕉と去来の関係を主軸に/2.去来情報の位置――不易流行の実現/3.創作の動機と文体への定着/4.〈さび〉とは何か/5.蕉門における丈草と浪化の位置 |
第198号(2003.11) 〈その九〉 | 1.天才の超数学/2.さいごの〈必要なまわり道〉/3.浪化集にみる北枝と支考/4.浪化追悼句集にみる北枝と支考 |
第199号(2004.5) 〈その十〉 | 1.回り道のおかげで見えてきたこと/2.偽書制作の必要性・必然性/3.支考の方法意識/4.支考俳論の特性/5.ゆたかな〈芭蕉種〉の時間性・構造性 |
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◆ 福田隆義 文学教育よもやま話 | |
第191号(2001.4)(1) | 文学教師の条件 |
はじめに/学力低下の元凶/教師は授業で勝負する/教師の主体/私と『一寸法師』 | |
第192号(2001.8)(2) | まぶしかった新卒先生 |
はじめに/剣道三段だった新卒先生/若い仲間の組織者/若さの特権を生かした新人/巻き込まれて恩恵に/惚れた強み | |
第193号(2001.11)(3) | 私と「学習指導要領」 |
はじめに/読まれない「学習指導要領」/教育の右旋回にたいする怒り(五八年版)/文教研のスタートライン/国語教育としての文学教育/戦後・新教育のなかの国語科/形をかえた拘束 | |
第194号(2002.4)(4) | 『サクラ読本』一期生の弁 |
はじめに/ヒノマルノハタ バンザイバンザイ/『サクラ読本』巻一/神話が歴史/国語には「国民の魂が宿る」?/忠・勇の追体験/一期生のその後 | |
第195号(2002.7) (5) | 人間が人間として処遇されなかったころ |
はじめに/日本は「神の国」だった/軍の「予備校」さながらの中学/地獄への勧誘〈特攻隊員の募集〉/死への訓練/ETV特集「お父さんの髭は痛かった」 | |
第196号(2002.11) (6) | 文学に力を借りる |
はじめに/「暑中見舞い」異変/校長に間違いはないか/理想的兵卒にはなるまい/文学に力を借りる/「学習指導要領」を「試案」に戻せ | |
第197号(2003.7) (7) | 教材体系〈自主編成の資料〉として |
はじめに/教科書の作品/教科書の定番「作品」/機関誌「文学と教育」を読み返す/【教科書読物教材一覧表】 | |
第198号(2003.11) (8) | 教科書採択の「今昔」 |
はじめに/教科書が選べた時期/教師の採択権剥奪/見当違いの抵抗/編集者も悩む | |
第199号(2004.5) (9) | 記憶をたどる――「読み聞かせの時間」と民話 |
はじめに/初めての一年担任/「読み聞かせ」その後/『かさじぞう』と『かさこじぞう』/「笠地蔵」のルーツ | |
第201号(2005.5) (10) | 「強制」と「統制」――いつかきた道 |
はじめに/“私”の形成過程/総仕上げは儀式/国語は「魂の宿る所」か?/シミ抜きと色上げ | |
第202号(2005.8) (11) | 三十年めの「学年会」 |
はじめに/働くおばさん/学年会/仮説実験学習/身についた財産/多岐であった話題 | |
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◆ 夏目武子 『平家物語』を読む 《私の教室》 | |
第195号(2002.7) |
声を出して読む/一 下調べが大変/二 意味がつかめてこそ/三 文調の違い/四 グサットくる表現/五 やっと話し合いが/六 旅に出ました/七 課題はたくさんある |
第199号(2004.5) その2 ――課題をもらう |
課題1 これが『平家物語』?/律令体制から庄園体制へ/傭兵から対峙へ――清盛と後白河院の関係/課題2 『平家物語』は発禁にならなかったのか?/課題3 『平家物語』の文体 |
第202号(2005.3) その3 ――私の学習ノート |
「年去り年来つて、治承も四年になりにけり」をめぐって/「平曲」と『平家物語』との関係/「矢切の但馬」をめぐって/作者についての一考察/媒介するとは? |
第211号(2010.4) その4 ――私の学習ノート |
美しく、滅びる――実盛像 一/一所懸命生きる――実盛像二/実況放送を聞いているよう/「徒歩(徒歩)渡りの先陣」に笑い/動きがある 動画を見ているよう/兼平は義仲を超えた |
第220号(2014.7) その5 ――私の学習ノート |
『平家物語』の文体的特色/対比すること――重衡と従者・義仲と兼平/マイナスイメージの宗盛と、勇猛なその乳母子/勇将教経の豪快な最期/知盛とその従者の最期/知盛と宗盛/「見るべきほどのことは見果てつ」/平家ハアカルイ |
第221号(2014.12) その6 ――私の学習ノート |
◇第一句「殿上の闇討」 忠盛の人物像をめぐって ◇第二句 「三台上禄」 祇園精舎の鐘の声/古典の現代への媒介――木下順二の「無常』感/『平家物語』の全巻朗読――嵐圭史 |
第222号(2015.8) その7 ――私の学習ノート |
◇第三句「二代后」・第四句「額打論」 二条帝と後白河院/二条帝の「叡慮」/清盛と重盛/後白河院と清盛 ◇第五句「義王」・第六句「義王出家」――「女語り」/第六句「義王出家」 |
第223号(2015.11) その8 ――私の学習ノート |
◇第七句 殿下乗合(でんかのりあい)」 平家の悪行のはじめなり/用意周到な清盛像の造形 ◇第八句 成親大将謀反/成親の大将所望/鹿ケ谷 俊寛山荘/師高・師経事件 ◇第九句 北の政所請願/さるほどに ◇第十句 神輿振(みこしふ)り 神輿 内裏へ向かう/人間対人間として向かい合う/巻第一を読み終えて |
第224号(2016.7) その9 ――私の学習ノート |
◇第十一句 明雲座主流罪 ◇第十二句 明雲帰山 ◇第十三句 多田の蔵人返り忠 ◇第十四句 小教訓(こきょうくん) |
第225号(2017.7) その10 ――私の学習ノート |
◇第十六句 大教訓 清盛の胸のうち/清盛はかわいい?/上から目線の重盛/したたかな重盛 一族の中の力関係/平家物語において理想化された重盛の位置 ◇第十七句 成親流罪・少将流罪 備前の児島に流罪となった成親/裁判はあったのか?/成経流罪・成親は有木の別所に ◇第十八句 三人鬼界が島に流さるる事 人の命あるべしと思われぬ鬼界が島/康頼・成経 熊野権現勧請し、帰洛を祈る ◇第十九句 成親死去/残酷な殺し方 ◇第二十句 徳大寺殿厳島参詣/下臣の提言を入れての厳島参詣/すっかりその感激性を見抜かれてしまった清盛 |
第226号(2018.7) その11 ――私の教室 |
◇第二十一句 伝法灌頂(かんじょう) 後白河法皇と清盛のそれぞれの心の内/三井寺と叡山との対立 叡山内部の学生・堂衆の対立 ◇第二十二句 大赦 俊寛は赦免されず 俊寛をめぐっての(読者の)二つの立場/現代の読者(この会の)の印象 ◇第二十三句 御産(ごさん)の巻 見舞い皇子誕生 ◇第二十四句 大塔修理 平家と「厳島」の関係 その御託宣 ◇第二十五句 少将帰洛 ◇第二十六句 有王島下り 痩せ衰えた俊寛との再会/俊寛の最期と有王 ◇第二十七句 金(こがね)渡し 医師問答/重盛の求願/重盛病臥に臥すが、医療を受け付けず/重盛の夢・春日大明神の怒り、育王山を後生善所(ごしょうぜんしょ)に/理想化された重盛像 実は保守(旧守)の人 ◇第二十九句 法印問答 九ヶ条にわたる清盛の怒り ◇第三十句 関白流罪 身分の上下にかかわらず追放/左少弁行隆の還任(げんにん)/法皇幽閉/高倉帝の心痛 |
第227号(2019.7) その12 ――私の教室 |
◇第三十一句 厳島御幸 新帝、今年三歳 外祖父清盛、准三后/新院、通例と異なり厳島への御幸を/「世相はなほしづかならず」 語り口の変化 ◇第三十二句 高倉の宮謀反 践祚の可能性なくなった三十二歳の高倉の宮(以仁王)/源三位入道(頼政)の謀反の勧め/人相見による宮の決意 ◇第三十三句 信連合戦 信連の機転、宮を女装させて/信連の奮戦・侍らしさ 貴族には見られない新しい人物像 ◇第三十四句 競 頼政嫡子仲綱の名馬をめぐって/重盛の粋なさばき方 競、登場/競の活躍 頼政との信頼関係 ◇第三十五句 諜状 興福寺の諜、園城寺の衙 清盛の悪行の強調/古代末期の歴史社会的情勢/反平家の機運は源平合戦以前から |
第228号(2020.10) その13 ――私の教室 |
◇第三十六句 三井寺大衆揃ひ ◇第三十七句 橋合戦 ◇第三十八句 頼政最後 ◇第三十九句 高倉の宮最後 ◇第四十句 鵺 ◇第四十一句 都遷し ◇第四十二句 月見 ◇第四十三句 勿怪(もっけ)の巻 |
第229号(2021.9) その14 ――私の教室 |
◇第四十四句 頼朝謀叛 頼朝の旗揚げと負け戦 清盛の怒り/広本と略本 ◇第四十五句 咸陽宮(始皇帝の宮殿) 「咸陽宮」のあらすじ/『平家物語』の引用は『史記』そのままではない ◇第四十六句 文覚/文覚と頼朝 ◇第四十七句 平家東国下向 まばゆいばかりの大将軍・副将軍のいでたち/語りは長々と続く/清盛はどうしている? 願文がなぜここに? ◇第四十八句 富士川/斎藤別当実盛の東西軍の対比/人民(にんみん)の難を逃れる様と、平氏の、「聞き逃げ」 ◇第四十九句 五節(ごせつ)の沙汰 「横紙破り」の清盛 |
第230号(2022.8) その15 ――私の教室 |
◇第五十句 奈良炎上 重衡が大将軍/「火を出だせ」と下知した重衡・奈良炎上/激動の年 治承四(一一八〇)年 ◇〈巻第六〉第五十一句 高倉の院崩御 高倉上皇崩御・建礼門院右京大夫の弔歌 ◇第五十二句 紅葉の巻 ◇第五十三句 葵の女御 帝自ら身を引いた葵の前の事・小督の登場/小督と大納言隆房の悲恋/太政入道(清盛)の小督追放/主上の小督への想い/後白河法皇の悲しみ ◇第五十四句 義仲謀叛 義仲登場/反平家の動き ◇第五十五句 入道死去 清盛の最後 ◇第五十六句 祇園の女御 ◇第五十七句 邦綱死去 邦綱と清盛/清盛は『平家物語』でどう語られているか |
第231号(2023.9) その16 ――私の教室 |
◇第五十八句 須俣川(すのまたがわ) 後白河院、法住寺へ御幸/行隆、東大寺造寺、造仏の長官に/須俣川の戦い―― 平家 攻め勝つ ◇第五十九句 城(じょう)の太郎頓死 ◇第六十句 城の四郎官途 ◇〈巻第七)第六十一句 平家北国下向 義仲・頼朝の不快/平家の行動・「片道を賜はって」/経正の竹生島詣で ◇第六十二句 火打(ひうち)合戦 火打が城(じょう)での平家の勝利/義仲のはかりごと ◇第六十三句 木曽の願書 覚明登場/義仲の再度のはかりごと ◇第六十四句 実盛 立死(たちじに)した三郎左衛門/「説話的人格」――斎藤別当実盛/『奥の細道』の中の実盛 ◇第六十五句 玄昉(げんぼう)の沙汰 ◇ 第六十六句 義仲山門牒状 義仲の牒状/山門の返牒 |
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◆ 荒川有史 西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師 | |
第201号(2005.5)〈その一〉 | 1.ケストナー風の長いまえがき――俳号の行方をめぐって/2.華のお好きな戸坂潤・鶴のお好きな平山藤五/3.芭蕉俳号誕生夜話予告 |
第202号(2005.8)〈その二〉 | 1.おぼえきれない名前の行列――芭蕉俳号誕生夜話/2.俳号「はせを」誕生の契機/3.漢語調の迫力と字あまりの効用/4.「はせを」とはおれのことかと芭蕉言い |
第203号(2005.11)〈その三〉 | 1.長生きは三文の得/2.怠けものにも三分の理/3.「位」を洞察する風狂精神/4.西鶴俳諧への偏見を問い直す |
第204号(2006.7)〈その四〉 | 1.太宰治の語調を借りて/2. 西鶴ふうの連続と非連続/3. 芭蕉さんは百韻がおきらいか/4. 名人は危ういところに遊ぶ/5. あばれところに恋の付句の新機軸 |
第206号(2007.8)〈その五〉 | 1.論点の再確認から/2.近世俳壇史にみる西鶴と芭蕉の位置/3.矢数俳諧の題材一覧/4.静力学から動力学へ―『西鶴大矢数』の復権 |
第207号(2007.11)〈その六〉 | 1.前号からの要約/2.俳諧師にみる栄光の数々/3.なつかしき宗匠――宗因/4.西鶴と桃青の共存の時代 |
第208号(2008.7)〈その七〉 | 1.一行詩にはげまされ/2.好きこそ物の上手なれ、とは言うものの/3.芭蕉の豪語/4.所詮俳諧師、やっぱり俳諧師/5.元禄四年の時空間 |
第209号(2008.11)〈その八〉 | 1.俳諧における現代の一行詩/2.芭蕉の恋の句――現代史としての俳諧史/3.時間軸よりみた恋の十二句/4.西鶴の恋の句十二/5.元禄四年の時空間 |
第210号(2009.11)〈その九〉 | 1.さいごのさいごの自己凝視/2.さまざまの品かわりたる恋をして/3.夢を忘れない男と女/4.詩人と小説家の二人三脚/5.恥じらいは教養の尺度 |
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◆ 森田高志 《私の教室》蔵原伸二郎 | |
第203号(2005.11) (上) | ――『定本岩魚』と飯能 |
はじめに/さいたま文学館のこと/一九五四年八月十五日/邂逅(かいこう)伝説/うらやましい話 | |
第204号(2006.7) (中) | ――『定本岩魚』と、その周辺 |
「峠みち」の道しるべ石/高麗(こま)郷・奥武蔵/高校時代からの『岩魚』の読者/「めぎつね」の詩碑 | |
第205号(2006.11) (下) | ――『定本岩魚』「狐」六篇に即して |
○/おわりに | |
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◆井筒 満 日中戦争下における芸術認識論の探究 | |
第206号(2007.8) (一) | はじめに/〈論争〉における三つの切り口/「科学主義的」な芸術認識論への批判/芸術認識論の対象とは/芸術的認識の客観性・普遍性 |
第207号(2007.11) (二) | 芸術的認識の客観性・普遍性/戸坂・上野論争/唯物論的認識論と世界観/戸坂潤における「通説」批判 [文末に「この項続く。」とある] |
◆井筒 満 戸坂潤と熊谷孝 | |
第227号(2019.7) 〈上〉 | はじめに/思想―動的な観念の体系/思想―科学的認識と文学的認識/自己一身上の問題・共感的想像力/思想と印象・印象の追跡 [〈上〉は次号以降(2)(3)と続く予定] |
第228号(2020.10) (2) | 1 文学の科学の対象領域/2 〈私〉の形成―〈私たち〉という媒体による反映/3 〈自我〉・〈階級〉・〈思想〉 |
第229号(2021.9) (3) | 自己凝視―〈内なる私たち・読者〉との対話/自己凝視―〈第一次状況〉/自己凝視〈第二次状況〉/ |
第231号(2023.9) (4) | 1 〈思想〉―実感・観念・感情/2〈思想〉―実感・観念・イメージ |
∥機関誌「文学と教育」∥ |