熊谷孝 人と学問(カット:1987.8 全国集会会場にて)
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「文学と教育」第160号《熊谷孝 人と学問》目次
〈インタビュー〉文学教育運動への道(「文学と教育」№100掲載)
国語教育時評
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---文学の科学と文芸認識論---

 熊谷孝は文芸認識論を文学の科学の一側面として位置づけていた。……文学の科学の構造を、熊谷がどのように考えていたか……、文学の科学に関する熊谷の指摘を、箇条書き風に整理すると次のようになる。

 ①文学の科学という人間の科学は、社会科学の一つの対象領域である。人間と社会とは一体のものとして存在しているのであり、人間の科学は社会科学であってこそ真に人間の科学でありうるのである。こうした発想へ向けて大きな示唆を用意してくれたのは、パブロフによる第二信号系の理論――そのコミュニケーション理論としての側面である。文学の科学は、社会科学を否定するためにもちだされた人文科学などではない。

 ②文学の科学は三つの側面領域をもつ。第一の側面領域は文芸認識論だ。文芸認識論は、文学史を帰納し概括することによって、そしてさらに理論誌・学説史の否定的媒介において生まれたものである。歴史に前提されない理論はあり得ない。そして、そのような概括によって明らかにされたことは、文学というアピアランス(現象)をアピアさせる反映とは、すぐれて〈媒体による反映〉なのであり、その場合の〈媒介者〉が読者=鑑賞者だ、ということである。こうした読者=鑑賞者の役割・機能を理解することが文芸認識論の中心課題である。

 ③第二の側面領域は文学史研究である。歴史に前提されない理論はあり得ないが、理論に指向されない歴史は、また真の文学史ではあり得ない。文学の科学が目指す文学史とは、いわゆる意味の文学史と、いわゆる意味の文芸時評とを現代史の要求に応えるものとして統一することを企図したものだ。現代の実人生を私たちがポジティヴに生きつらぬいて行く上の、日常的で実践的な生活的必要からの、文学作品を媒介とした過去の読者、現在の読者との対話が目的なのである。作品相互の関連は、そこでは、同世代あるいは次の世代の他の人間主体との精神の関連という、人間精神の系譜の問題として把握される。〈現代史としての文学史〉は、このようにして、〈読者中心の文学史〉であり、〈文学系譜論〉である。

 ④第三の側面領域は文学教育研究である。これは、文学の科学の日常性にかかわる最も実践的な側面領域である。この側面が第一・第二の側面に支えられる必要があるのは言うまでもないが、同時にこの側面をとおして第一・第二の側面が問いなおされ、変革されていくのである。文学教育は、私たちの内部に真の文学の眼を培っていく人間教育であり、また、それは、文学の土台としてのすぐれた読者を育てていくことにもつながっている。そうした活動を対象化する文学教育研究が第一・第二の側面を深化させるうえで重要な意味をもつのは当然である。

(『文学と教育』№160 掲載、井筒満「芸術コミュニケーション理論への探究」より抜粋 [同論文の全文]


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