熊谷孝『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集』 《語録》 

 
   国語教育時評 1 静かな論争を期待する (『教育科学 国語教育』 1965.4)
論理の問題イデオロギーの問題にすり替えてはいけない。イデオロギーの不一致は、論理の不一致をもたらすかもしれない。けれど、イデオロギーの一致が必ずしも直線的に、論理の一致を導くとは限らないだろう。
むしろ私はここで、論争よ起これ、といいたい。しかし、それは、静かな論争であって欲しい。あくまでも論理に対して謙虚な、静かな論争として終始することを期待したい。そのような論争であってこそ、そこに行なわれる問題の整理は、教育現場のもろもろの実践的要請に多角的にこたえ得るような、現実的で具体的な理論を準備することにもなるだろう。
● 文学は、作家が自己を語るカタルシスの場ではない。作家はむしろ、読者大衆のあいだに分け入って、もろもろのその 生活の実感、その 感情、その 体験を自己に媒介しつつ、それに「ことば」を与え、思想にくみあげ、それを読者(本来の読者)に向け返していく。また、そのことで、読者を相互に媒介しつつ、そこに相互の体験の交換・交流のための伝え合い の場を用意する。つまりは、その点に作家の任務と役割があるわけだろう。
読者がその作品の鑑賞過程において出会うのは、作者その人であるよりは、その作者によって媒介された、もろもろの読者である。自分がその本来の読者のひとりであるような場合、「私」は「私」自身をそこに同時にみつけることにもなるだろう。他の場面、他の状況に移調された「私」自身を、という意味である。
「主題が何かということが初めからつかめているのなら、何もわざわざ作品を書く必要はない。主題は作者にとっても、書いてみた結果つかめるようになってくるのだ」云々。――ある作家の発言だが、文学における認識と表現との関係・関連は、作家の主体に即していうと、そういうことにもなるだろう。
意図を更新しつつ意図をこえていく、という、そのような形象への外化行為こそ、作家の表現行為にほかならない。作家はそのような表現行為において、読者(本来の読者)相互の伝え合いの場、自他変革の場を用意するのである。

 国語教育時評 2 現場の問題から (『教育科学 国語教育』 1965.5) 
  テストの目的と方式が上記のようなもの[五段階評価法によって規制される面が大きい、云々]になりがちだ、ということは、ところでまた、テストのそういうありかたと見合うようなかたちで授業が進められがちだ、ということである。文学の授業に関していえば、作品の文章を段落に分けて各段落の要旨をいうとか、指導書という名の教師用虎の巻に記載されているような方式で、主題を徳目化して短いことばにいいかえるとか、何かそういうお手軽な授業になりがちである。
 お手軽な授業? ……かんじんの文学的感動、人間的感動を疎外したブンガクの授業という意味である。さらにいえば、作品表現への感動を媒介にして、子どもたちに自己内外の現実をみつめなおさせる、という本筋のところからはほど遠い、形式的で紋切り型な授業という意味だ。(20151214) 

私は思うのだが、五段階評価を不動の前提として考えるかぎり、この問題 [評価に困る、云々]の根本的な解決はありえないだろう、ということだ。また、テストを「ありきたり」の「紋切り型」の方法でお手軽に行なうことをやめない限り、(教師の主観において)授業そのものをいくら「本筋のところ」で進めてみても、子どもたちの授業への関心は、究極において本筋のところへ向かいはしないだろう。試験には出ないが、これはだいじなことなんだよ、ではダメなのである。だいじなことは試験に出なくて、だいじでないことがテストの対象になる? おかしなことではないか。(20151224)
「世代」に関する先刻の話題 [ある中学の国語教師が旧世代の先輩教師を評して「要するに、戦前派や戦中派はだめですね」と筆者に対してふと洩らしたこと] だが、各世代がそのパースナリティーの形成期において通過し体験した歴史の曲がり角は別なのだから、そこに形成されたお互いのセンシビリティーにある違いが見られるのは当然のことだろう。だが、その違いが、行動の選択に関して究極の判断を左右するような、そのような「違い」であるとは私には思えない。ものの考え方の一致・不一致を決定するものは世代であるよりは、歴史の道程をどういう姿勢、どういう立場で歩いてきたか、ということではないのか。
 お互いの「違い」に腹を立ててみたって、どうなるというのか。そんな違いに対してムキになるより、歴史の被害者としてのお互いの共通性に目を向け、協力して「加害者」どもに対する闘争を組むことを考えるほうが、ずっとノーリツ的だし意味がある、というふうに私には思えるのだが。
(20160104)

  国語教育時評 3 技能主義では“国語”は教育できない (『教育科学 国語教育』 1965.6)
  「ことば」を「ことば」として教育する(国語を国語として教育する)ということは、その思想内容・感情内容ぐるみに、その意味につなげてその 文字、その 音声を「ことば」として習得させる、ということだろう。意味を伴わない音声は「ことば」ではないからである。いや、意味認知を触発しないような音声や文字は、「ことば」信号にならないからである。オウムが口にする「オハヨウ」は、音声だが「ことば」ではない。 
「かささぎ」というのは鳥の名まえだ、あの鳥 のことをいうことば だ、というふうに、その 事実にその 音声を結びつけて教えることができれば、それで「ことば」の教育(国語教育)としての任務は一応終わる、と考える人があるかもしれない。だが、「ことば」は事物の等価物ではない。それは、事物の意味の等価物 なのである。その意味、その思想内容、その感情内容――「なつかしい瀬音」が聞こえてくるようなところまで(あるいは、それが聞こえてくるような感情の素地をはぐくむところまで)指導が行われてこそ「国語」自体の教育だ、といえるのではあるまいか。
【参考】かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける 大伴家持


「ことば」自体、国語自体というこのことばは、ところで、ごまかされやすいことばだ。ごまかされやすい? ……自己暗示にかかりやすい、という意味である。作用因としての「ことば」を疎外して、作用果としての「ことば」を、あるいは「ことば」の内容面を捨象して、その形式面を扱うことが「ことば」自体を扱うことである、という錯覚をひき起こしやすいのが、この「ことば」自体(国語自体)ということばなのである。
※ [ 作用因(としての言語)/作用果(としての言語) ]
これは文法教育ではなくて文学教育面の話だが、学界ではとうに批判ずみの、文学理論や文学史の旧説を「定説」みたいにして後生大事に持って回っている、というようなことが現場人のあいだにないわけではない。また、専門の研究者のあいだで甲論乙駁の未解決の問題に対して、なんの論証もなしに一義的に割り切った結論をだして得々としている、というようなことがないわけではない。

  国語教育時評 4 現場白書 (付・大久保忠利氏とのディスカッション)  (『教育科学 国語教育』 1965.7)
  ● ともかく、こういうもの[カンペー・アンチョコ・虎の巻]が出回っているということは、現場が足もとを見られている、ということだ。が、考えてみれば、この手のものとは違う「良心的」な指導書にしたって、それが教師の足もとを見すかして編集されたものだ、という点では同じことだ。結果は、「指導書のマイクロフォン」みたいな授業、「教師の自分というものがない」授業がそこ、ここに行なわれている(本誌No.78・本欄)ということにもなるのだ。
 私は思うのだが、ひとの足もとを見すかしたみたいな、ナメたまね をする連中に対しては、怒りをあらわにぶつけて然るべきである。カンペーも、アンチョコも、指導書の類はいっさい返上、と行きたいところだ。指導書無用の声が、現場人みんなの声となる日を私は期待したい。

● 端的にいうが、一般にどうも次のような考え方が染みついているのではないのか。何のかんのいっても、国語の読解というのは要するに、文字が読めて書けて、ごく普通の意味での語義や文意をわからせることが目的であって、その文章表現の意味を問うというようなことは指導の本筋ではない、という考え方が。
 いいかえれば、表現の意味について考えるというような仕事は、指導のアクセサリー的な部分であるか、いわゆる意味の語義・文意・書写などの理解・操作を実現するための手段だ、という考え方である。本末転倒とは、このことである。その表現の意味 を不問に付して一体、文 がつかめるというのか。語 がつかめるというのか。こういうナンセンスな国語教育観が、つまり直接的には指導書に飼いならされた国語教育観にほかならない

文学のことばとか文学語というようなことがよく言われるが、単語や語句や文そのものに関して、なにか特別に“文学語”というようなものがあるわけではない。語と語、語句と語句、文と文、あるいは文章相互の相克において、いわばコンテクストとしてそれが生まれる、ということ以外ではないだろう。伝えを概念的な伝えとしてではなしに、芸術の伝えとして実現するものは、そして[それは 実は送り手と受け手が置かれている場面の、共軛する場面規定である、といわなければならない。ツボをおさえた表現というのは、つまり受け手の場面(場面規定)を、感情ぐるみにきちんとつかんだ表現だ、ということだろう。

  国語教育時評 5 教材論の問題を中心に (『教育科学 国語教育』 1965.8)
  いや、実は、どういう意味にもせよ、筋を追ってつかむ以外に、内容も主題もつかみようがないわけだ。私の言いたいことは、筋を追うことが内容なり主題なりをまっとうに理解することになるような、そういう筋のつかみ方がそこに必要だろう、という点に関してである。
 主題は筋の中にはなく、読み終わった読者の心の中に主題が求められる、ということは、ことば
(筋)はその限りにおいては表現と理解を結ぶ(伝え合いを成り立たせる)媒体以外ではない、ということである。しかも、それは媒体(通路)なのである。唯一の通路なのである。作品の内容なり主題は、この通路をたどってつかむほかないのである。しかし、それは、そこを通って つかむほかない、ということなのであって、そこ (筋・ことば)に内容や主題がある、ということではない。  (20160114)

ことば は、部分で全体を代理するものだ。部分としてのそのことば (筋)があらわす全体像(作品の内容)が何であるかは、そのことば が作用因として操作されるその場面の状況規定できまる。作品表現本来の場面規定(表現の次元を規定するもの)をきちんとつかんだ媒介的な読み と、読みの指導ということがそこに求められる。私のいいたいのは、その点をおさえた実践的な研究を、ということである。 (20160124)

  国語教育時評 6 文学教育論の新しい動向 (『教育科学 国語教育』 1965.9)
  究極において文学観や言語観の違いにつながるかたちで、そこに示された各人、各民間教育研究団体間の文学教育観や国語教育観には、かなり際立った対立が見られる。その見解の相違は、同じ文学教育というものに対する考え方の違いを示すものであるという以上に、文学教育ということば(概念)をそこに当てはめて考えているもの が、めいめいに違っている、ということのようである。それは、あるいは、めいめいの考えている文学教育――<文学教育とは何か><文学とは何か><言語とは何か>が別ものだ、といっていいのかもしれない。少なくとも、そういう一面のあることは見のがしえないように思われる。(20160204) 
真鍋呉夫氏も言っている。「文学というのは完了した世界観を表現するものではなくて、未知の事物に対して、間違っているかもしれないけれども、大胆な仮説を提出するものだ。」つまり、文学というものは、「いままで、もっともらしい、わかりきったものとされてきたことを、プレヒトのことばでいえば異化する」わけだ。だからして、教室で文学作品を読ませるのはいいのだけれど、「それが完了形のかたちで与えられることに問題があるのではないか」云々。(同上・No.4)
 指導手順をさぐること、方法を組むということを否定などしているのではない。作品の表現を自己完結的なもの、完了したものとしてつかんで、指導手順を構想している点に疑問を投げかけているのである。文学が「完了形のかたちで与えられる」とき、それは、もはや文学でないもの、つまり「文学のようなもの」になってしまうからである。
20160214)

発達や発達の個人差・方向差を無視して、「何もかも教えよう」とする文学教育は、すでに文学教育の第一歩を誤っているのではないのか。「読みは、ひとり読み こそ究極のねらいであり、読みの指導は、子どもたちひとりひとりが表現をおさえた読み方ができるようになることを目ざして行なわれるべきだ。」という山地芳弘氏の指摘(6月18日、奈良小研究発表会)は、そこでまた文学の鑑賞指導の核心に触れたものということができるだろう。
 ひとり読み云々――「子どもたちが学校を終えても将来職場へ入っていく、そういう人生のずっと将来までを考えて、そして、その中で常に文学が子どもたちのものであるように、子どもが成長したその状態のものであって欲しいという願いが根底になくちゃ、文学教育に対するほんとうの構えは出てこない」
(大河原忠蔵氏――「国語通信」No.75)のだ。さらには、「作品も読めないというような忙しい、あるいは、いろいろな条件が出てきて読めなくなっても、やはり自分の働いている場所を、文学の目で見ていける力をつけてやりたい。そこのところを抜きに」して文学教育は考えられない(大河原氏・同上)ということが前提としてあるわけだ。(20160224)
[座談会記事の中での、寒川道夫氏の発言をうけて]そこに語られているのは文学教育の基本的な問題への原理的な反省の必要ということである。さらに付言して氏は語っている。ことの順序として、実は「まず、ここで、文学教育とは一体何であるかが問われる」べきである。そして、「それに答える」というかたちで、「文学とは何であるか」が探られねばならない。「そこから、では、その作品を子どもたちのものにしていくために、どんな手だてが必要であるか、ということが導き出される」べきであるのに、手順主義ではその関係のおさえ方がさか立ちしている、云々。
 寒川氏の批判は、おそらく当たっているのではないか。上記、諸氏の見解とかさね合わせて考えると、そういう判断に行き着くのではないだろうか。とすれば、(これは、三省堂「国語教育」6月号の波多野完治氏の論文からの孫引き引用だが)「自分が文学をわかりたい、その気持が、学習者に伝わるところに、本当の教育があるのではないか」(手塚富雄氏)というような構えが、基本的な構えとしてまず、こんにちの文学教師全般に対して求められるのではあるまいか。
(20160304)

  国語教育時評 7 すこし論理がなさすぎる (『教育科学 国語教育』 1965.10)  
  奥田氏の批判をひとことでいえば、熊谷孝は、帝国主義に奉仕する「御用学者」であり、この御用学者の所属する文教研(文学教育研究者集団)という団体は、「忠君愛国、滅私奉公の思想」をもつ反動どもの集まりである、というようなことだ。(…)

  奥田氏にこうして反動よばわりされる(させる)ような不用意なまね を、なぜ私たちがやったのか、といえば、こうだ。お互いがお互いに現状況下の日本の教師どうしであるという連帯感、さらには民間教育研究団体相互間の連帯感――そのことに対する、私たちの深い信頼と甘えからくる誤算によるものだった。
 いちいち、民族とはかくかくのもので、また民族精神というのは、かくかくしがじかのことをさす、といったコメントはそこに添えなくとも、まさか私たちが口にする民族的発想とか民族精神というのが、「大和魂」や「武士道の精神」のことである、というような理解
(つまり誤解)を、ほかならぬ 同一姿勢の民間教育研究団体のあいだで生もうとは思ってもみなかったのである。たとえ、ディテールにおいては、いろいろの意見の違いはあるとしても、究極のところ同じ地点をめざして歩みを進めているお互いどうし――という思いが私たちにはあったわけだ。が、全然の誤算であった。

 
さて、奥田氏によれば、熊谷孝の国語観・国語教育観は「ことだま主義」の由である。「日本語には大和魂がやどっているとみて、国語教育を日本精神をそだてる」場だと考えているのだそうだ。
 また、熊谷は、じつに「りっぱな民族主義者」である由。
 さらにまた、「文部省がわの御用学者がしなければならないしごと」を、「文部省がわの学者には、理論生産の能力がない」がゆえに、その仕事を代わってするところの「民間がわの学者」が熊谷である由。
 だからして、熊谷が、「唯物論的な反映論の生理学的な基礎づけである条件反射の理論をいくらふりまわしても、感情、体験、外化、表現、自己凝視といういくつかの単語のつながりは、垣内松三にそっくり」であり、「そこに血なまぐさいものを感じる」由。

 
ところで、敗戦とともにブルジョア民族主義者どもが一度はすてた、例の「民族精神」「民族主義」を、「帝国主義者の要求にこたえて、御用学者は再び拾いあげた。これが『期待される人間像』である。そこで、もはや明らかだろう、「“民族的発想”を強調するこの本(『文学の教授過程』)が『期待される人間像』の国語教育版」以外のものではない、ということが――。そのうち、「文学教育研究者集団に文部省から勲章がくるだろう」云々。オソレイリマシタ。
(…)


 
先刻いったように、批判はありがたい。どんなに悪意にみちた批評であろうとも、である。
 が、それは当事者にとっての話である。批評の果たす社会的な役割と責任ということでいえば、奥田氏のこのような批評はやはり困りものだ、と私は思う。事実に即して真実をさぐるべき批評(批評というもの)が、ここでは事実さえつかめていない。自分自身の傾斜した視点や角度、問題の解き口
(カインツのいわゆる“話の志向性”“解き口”である)に対してまったく無反省だ。「あいつは反動だ」という先入見と偏見だけでものを言ってるみたいな、こういう批評の流す害毒は、はかりしれないものがある。(20170202)

  国語教育時評 8 岐路に立つ国語教育 (『教育科学 国語教育』 1965.11) 
  『トロッコ』に話をもどしていえば、周知のように、中一の教科書に掲載されている『トロッコ』は、芥川竜之介作とは書いてあるが、芥川の書いた『トロッコ』とは別のものだ。そういう措置 がすでにとられている。心臓部をえぐり取られ、ズタズタに改ざん されることで、この作者が自身に媒介し読者に向けて媒介しているところの、疎外された塵労に疲れた人間の姿(その人間像こそ、この作品形象が保障する典型にほかならないだろう)は影すらとどめない。「塵労に疲れた彼」が、「全然何の理由もないのに」きまって思い出す、トロッコにまつわる少年の日の思い出――という回想の視点も、回想の必然性も、改ざん されたこの教科書掲載作品は欠いている。
 まったく理由もないのに、なぜかそこに回想されるあの日のこと、という、そのなぜ
(理由)が、おそらくはこの作品のハウプト・テーマに直結している当のものだろう。「なんの理由もない」――理由はなくはないのである。あえて誤解をおそれずにいえば、そのなぜ (理由)を自己につながる何かとして実感できるような人たちが、この作品の本来の読者なのだろう。あるいは、この作品は、そういう人たちの文学なのだろう。(20160314)
私のいいたいことは、そこで、こういうことだ。私たち国語教師が “木を見て森を見ない” 教科書教育主義にすべり、他教科の改定・改悪を“対岸の火事”視するような、職人的な、“国語屋”になってはおしまいだ、ということである。他教科の問題が同時に国語科の問題である、ということは、観念の問題ではなくて事実の問題である。その点を明確に意識し認知することが、教科別担当制の中学・高校において特に必要とされるもののように思われるのである。(20160324)
教科担当者としての教師の勝負のしどころは、“授業” である。勝負のしどころが授業以外ではないからこそ、その授業をゴマカシのないものとするために、教師は、“改定” という名の教育的改悪と闘わなければならないのである。ありていにいって、教師が自分で納得のいくような授業をするために、である。
 “闘う” といういようなことばは、本当は使いたくないのだ。話し合うことで、わかり合えるような相手だったら、としみじみ思う。ともあれ、教師という職業・職種は、人間工場の技術者・労働者だ。その最低ぎりぎりの任務は、目の前の子どもたちを人間のオシャカにしないことだ。その一線を守るためには、あえて闘うこともやらなけれなならないだろう、ということなのである。
 闘う? ……ヘンに道徳づいた授業はヤメにして、文学を文学として教える、国語を国語として教える、ということが、教科教師としての立派な闘いなのである
(20160404)

  国語教育時評 9 国語教育の自由のために (『教育科学 国語教育』 1965.12)
  じつは数年前に教育課程の改定がおこなわれた際にも、その改定に反対する声の中には、まるで、「現行の教育課程はまともなんだが……」と言ってるみたいな印象のものが少なくなかったわけだ。こんどの場合も、そういう印象になるのが、こわいのである。
 印象だけの中はまだしも、本気でそんなふうな考え方をするようになるのを、おそれるのである。戦後の教育のあの自由な状況と、最近のしめつけられ痛めつけられた教育状況――といった、異質なものを対比するみたいな考え方はうまくないな、と思うのだ。じつは、たんに、段階の相違を示すにほかならない、一つながりの政策状況を一つながりのものとして理解(把握)せず、自由の幻想を真実の自由ととり違えることが、こわいのである。
 この幻想を裏返しにすると、戦前・戦中の暗さにおもいを致すような場合でも、ひたすら「明るい」現在との対比の中で、暗かった 過去を思う、というだけのことに終わりがちである。それを、たんに、過ぎ去った日のことと考えることで、こんにちこの只今の情勢・状況を「急激な反動化」として評価することで判断を誤るのである。
(20160414)

こんにち、権力の側の、論理(はなはだ論理的でない論理だが)と心理と物理による、あの手この手の妨害にもかかわらず、文学教育への志向と関心がようやく現場人全般のものになろうとしていることの意義と必然性を、氏のことば[井上正敏氏の主張]はよく言い尽くしている。人間疎外のこのテスト体制のもとでの、それは「人間性の全人的回復をはかろうとする平衡感覚」のあらわれにほかならない。
 また、こんにちこの只今における文学教育の必要は一面、「ことばの生産的機能を国語教育の内容として大きく持ちこむ必要」[(井上氏)]と結びついている。(20160424)
 

 国語教育時評 10 教材と指導過程の問題  (『教育科学 国語教育』 1966.1)
  片手、片足、片肺の、胃袋は残っているが腸は切り取ってしまったみたいな、文学作品の残がい を教材にして、一体どんな授業ができるというのか。結果は、新出漢字をおぼえさせたり、語句の意味を通りいっぺんのしかたで教えながら、そこでの話の筋を筋として追うだけの読解作業に終わるほかないだろう。せいぜい、文と文とのつづきがらや、文中のことばのあや をとり出して味わう、といったことで、説明文ではなくて物語文を扱った(物語文を扱う扱い方で物語文を扱った)という満足感をおぼえるいうふうなことだろう。
 せいぜい、そんな扱い方しかしていないのに、先生方の指導案を見せてもらうと、「この箇所で、この教材
(作品の意)の感動点を生徒につかませる」とか、「作品の主題を確実に理解させる」などと書かれている。矛盾というべきである。だいいち、骨抜きにされ、ズタズタに寸断され、改悪された教科書掲載のこの作品の対して教師その人が感動していないのである。主題なんか、とっくに、どっかへ行ってしまったことを、教師自身実感しているのである。だから主題は何かもないものだし、どんな感動が湧いてくるかもないものだ。そういうことにならないだろうか。(20160504) 
各自めいめいの、眼の前の子どもたちをオシャカにしないために、先生方にもやはり、もうひとふんばり してもらわなくては、という願いを私としては持たざるをえないのである。教師には妥協できない一線がある、ということなのだ。さし当たって、教材は教師の武器である、ということの確認である。教材がそこにあるのではなくて、まず作品があるのだということ、それを教材化 するのは教師その人の仕事だ、というような点の自覚・確認である。納得のいく教材に拠らなくては、納得のいく授業はできないのである。ではないのか。(20160514)

 国語教育時評 11 教育の自由と国語教育   (『教育科学 国語教育』 1966.2)
  研究の自由のないところに、学問も学問精神もそだたない。教育の自由、教師の人間としての自由のないところに、教育の名にあたいする教育はおこなわれえない。したがって、国語教育も――である。
 ともあれ、生徒諸君に「先生の点数」を気にしてもらわなければならない(?)ような、そのような教育体制――テスト体制・勤評体制は、体制そのものとして“狂ってる”というほかないだろう。こうした学テ・勤評体制下、国語教師に要求されるのは巨視的な視点である。国語教育以前の広い視野に立って自己の実践を評価し、そのような自己評価において、主体的に明日の実践の方向と道筋を見さだめる、という態度と姿勢である。
(20160524)
そこで、たとえばの話だが、読解ないし鑑賞教材として教科書に掲載されでいるこの 作品は、しかし、どう考えてみても使いものにならない、というような場合がある。その 部分をカットしたのでは感動が湧いてくるはずがない、というような、そのような部分・部分がこの教材ではカットされている、というような場合である。(たとえば、No.84・86のこの欄の引例参照)
 つまり、どうしようもない教材なんだが、教科書にある以上使わないわけにはゆくまい。そこで、使うとすれば、どういう手順で扱うか、扱うべきか?……などという「教材研究」の姿勢なんかが、しらずしらず飼いならされた、また飼いならされることで低下した自分の要求水準を示すものなのである。(20160604)

 国語教育時評 12 民間国語教育運動66年度への期待   (『教育科学 国語教育』 1966.3) 
  [児言研の『国語教育研究』における菱沼太郎氏の提案にふれて]作品形象は、むろん、「作者の発想・観点が下敷きになっているけれど、」しかもそれは下敷き なのであって、その表現(形象)は作者の意図をこえている。
 作者の意図をこえてその作中人物が「ひとり歩きできるような」小説でなくてはホンモノではない。「作者の操り人形にすぎない」ような人物が右往左往してる小説は、おそらく「ヘタな小説」だけだろう。このようにして、「作品を読むのを、作者の意図とか、主題をとかをとらえることと思っているような人々は」たとえば、「イデオロギー好きの人々」「教条主義の人々におおいのではないか」それを「作家の側からいえば、自分にあるイメージがあり、意図があり、それを手練手管で、構成して、ひとびとを同化させていくという啓蒙主義の人々に多いのではないか」ということになる。(20160614)

[菱沼氏のいうように]このようにして、“読み”と“読みの指導”の発想は、(1) 読み手の主体を放棄した「追体験方式」を否定して、(2) 「作者の意図がどうあろうとも、客観的に与えられている作品の発想のしかた、作者の観点を自らの立場から評価し、「自らの人生への構え、観点を変革」するいとなみとして枠づけられることになる。
 ……村松友次氏は、菱沼氏のこの論点をさらに一歩進めて、(1)書くことも読むことも「それは、自分を社会の中に投げこみ、そこで新しく経験しなおす」ことであるといい、(2)作者の側からすれば、作品を書くとは「読者と合作する」ことであり、(3)「作家は書くことによって、つまり社会の中に自己を置くことによって自己を変革することを余儀なくされ」るわけなのであり、「読者が作品を読むということの意味」も、実は「全くこれと同じはず」だ、という見解を披歴している。(20160624)

 国語教育時評 13  “事件屋”的感覚を排撃する  (『教育科学 国語教育』 1966.5) 
  文教研が「あっというまにできてしまった」云々。これでは、なるほど計画的な陰謀だ。“分派”文教研の印象は、こうして生まれた。いや、作られた。
 ところで、事実は次のとおりだ。文教研は、文学教育の会の成立以前に成立していた。<サークル・文学と教育 の会>というなまえでだが。熊谷や荒川有史や福田隆義たちが<文学教育の会>で仕事をしていたじぶんも、このサークルはずっと、つづいていた。熊谷たちが<文学教育の会>を退会したあと、このサークルを「ちっぽけな団体」(奥田氏)に改組して<文学教育研究者集団>と改称した、というだけのことなのである。集団のペラペラな機関誌は、だから<サークル・文学と教育 の会>のころ同様、「文学と教育」という誌名で通している。
(20160704) 
さて、文教研だが、それは上記のように、むしろ「ちっぽけな団体」の性格に徹し、わが道をゆくという仕方で、学習を同志的につづけていこうとする者の集まりとして成立した。何を好んで他の団体に「包括してくれ」などと頼みこむことをしようか。他の団体への参加・加入は、サークルのメンバーの自由だ。現メンバーの中にも、文教連や日生連に加入している者もいる。また、他の団体から“留学”と称して(むろんジョークだ)文教研に参加している者もいる。つまり、それでいいのではないか。オレは教科研、お前は文教研だといって目くじらを立てる――そのこと自体が異常なのだ。(20160714) 

 国語教育時評 14  文学と文学教育  (『教育科学 国語教育』 1966.7)
  先ごろ朝日新聞に掲載されて話題をよんだ、『文学は老年の事業である』(サブタイトル「青年解放の使命は終る」)という、中村光夫氏の文章はショックだった。中村光夫氏ほどの指導的な文芸評論家が、そんじょそこらの常識の上にアグラをかいて、こんな発言をしたことがショックだったのである。
 出来、不出来は、そのときどきによって、だれにもある。お互いさまだ。だが、これは、ひどい。方向感覚が狂っているのだ。文学は老年の仕事であり、もはや青年解放の使命は終わったのだとすれば、私たちが文学教育にうき身をやつすというようなことは、どういう意味があるのか。カリカチュア――ただのカリカチュアでしかあるまい。(20160724)
 
まず、順序として、中村光夫氏の論旨の紹介から。  
 明治大正文学を主体とした文学全集の刊行は相変わらずさかんなようですが、これらの文学が現代の若い読者にどれだけ訴えるものをもつか僕は疑問に思っています。「古典」として「教養」のためによんでおくが実はあまり面白くないというのが大方の本音ではないでしょうか。(中村氏・同上)
 引用のかぎり、格別とり立てて、どうということはない。そういうケースも十分考えられようかと、また私も思うのである。明治・大正期の近代文学が後世に――現代の若い読者にどれだけ訴えるものを持つか、云々。無媒介には訴えるものがない。少なくとも訴えるものの質が変わってきている、というのは、それが文学(文学作品)である以上、当然のことだろう。文学は無媒介には、生活と体験のわく  組みをこえて“永遠”なものではありえないから、という意味である。(20160804)
近代文学を読むことは読むのだが「実はあまり面白くない」というような感じが「現代の若い読者」の間にあるとすれば、その責めの一半は、今日の文学教育状況が負わねばならぬもののように私には思われるのだ。近代文学遺産の青少年へ向けての媒介的創造という、当然の任務を果たしていない現在の学校文学教育のありかた。いや、それをいうのなら、そのまえにまず指摘されなければならない、文学教育疎外の現在の教育体制と、そういう体制のいっそうの強化を必要としている、その背後の力etc.。(20160814)
こんにちの、この疎外状況の中で人々が文学に対して何を求め、文学はまたその要求に対してどう応えねばならないか、という、そこのところに思いをひそめることなしには文学教育は不発に終わるだろう、というのが私の実感である。小中学生を指導するような場合にあっても、そうなのか? むろん、である。文学教育は、すぐれて子供たちの未来へ向けての教育活動だからである。そこでは、子供たちの未来像(=成人像)が究極の対象なのである。(20160824)  

 国語教育時評 15  文学教育の新段階  (『教育科学 国語教育』 1966.9)
  大河原[忠蔵]氏は、いっている。「一般に、文学教育とは、文学作品を生徒に鑑賞させて、生徒の心を豊かにしていくしごとと考えられて」いる。しかし、「それだけでいい」のか? 「名作鑑賞を中心とした文学教育の射程距離は、あんがい短い」ことがそこに反省されなければならない。で、むしろ、「社会を文学的に見つめるこころ、社会への文学的な認識のありかたを生徒の中にそだてることに文学教育の目標をおく」必要があるのではないのか、云々。同感である。(20160904) 
私は思うのだが、読むことや書くこと、あるいは話すこと――つまり “ことば” メディアによる “伝えあい” だけが思考活動に結びつく唯一のものだ、というに近い考え方が国語教育界では根強いのではないのか。そのことを裏側からいって、視聴覚メディアによって “見る” こと、“聴く” ことの意義を過少評価しているような傾向はないか、ということなのである。
 “見る” ということは、人間にあっては、もはや、たんに生理的ないとなみではないはずである。“見る” ということは自体が
(あるいは、“見る” ということさえもが)、それは人間の場合、“考える” ことに直結するという確認に立って、文学教育・国語教育そのものが構想されねばならぬ時期に今はさしかかっているのである。(20160914)

そのおりの話題? ……つまり、こういうことだ。過去の作品なら過去の作品の、“作品本来の読者”の生活の地づら における図がら としての)その状況認識を、(文学学習の場における)教師と生徒双方の地づら に媒介的に翻訳・再創造する手つづきを抜きにしては、こんにちの状況認識(教師・生徒双方の状況認識)をよりまっとうなものにしていく教材としてその作品を役立てることはできないだろう、という意味のことを私は語ったけれど、問題はいま、そのことに関連している。誤解をおそれずにいえば、それは文学史と文芸時評の視点による作品の媒介ということである。(20160924)
……「梅干」といって僕たちがよだれ が出てきたならば過去何千年の日本の梅干文化のあらゆるものをくぐって(笑い)、それこそ「日の丸弁当」から「梅干ばばあ」に至るまでの、全部を通って(笑い)、それだけのニュアンスにおいてよだれ がでるのであって、今まで何べん私が梅干を食べてよだれ を流したかなんていうことは、さして重要なことではないのです。よだれが出ても、それは生物学的な反射のレヴェルではなくて、やっぱり歴史的社会的な反射である。これが大事なところなんです、云々。>
 ――
つまり、乾氏がいわれる「生活の中にあったものの再組織」という場合の「生活の中にあったもの」「あるもの」というのは、まさに右に見るような、歴史的社会的なものを意味しているのである。
 私のいいたいことは、こうである。文学教育への文学史の媒介の必要はいうまでもないが、媒介するということの実際の内容が、教師や生徒の「生活の中にあったものの再組織」というかたちのものでなくては、それは実質的に文学教育活動を前進させる発展の契機にはなりえないのだろう、ということである。
(20161004)

国語教育時評 16  国語教育の曲り角  (『教育科学 国語教育』 1966.11)
  [自筆論文からの引用] ――私が子どものころに受けた国語の授業だが、(中略)本筋の作業の合い間、合い間に、“ことば” の意味 とかわけ とか解釈 と称するところの、要するに “ことば” の言いかえ作業をミッチリやらされた。その解釈 の時間にだが、子どもの心にもヘンだな、と思ったことがある。「すなわち」という “ことば” は、「とりもなおさず」とか「つまり」と言いかえればいいんだ、と先生が教えてくれた。ところが、である。その同じ時間に、読本の別のページに「つまり」という"ことば”が出ているのを、クラスのだれかが見つけて質問した。先生は言ったものだ、「これは “すなわち” と言いかえればいいんだ」と。(20161014)
[自筆論文からの引用] ――国語教育の場では実は、その概念の意味している事物が信号として(まさに信号として)与えられるべきなのだ。が、そこでは、信号の代わりに、別の概念がただ記号として与えられているにすぎない。「すなわち」という概念は、「つまり」という概念と同じだ。したがって、「つまり」という概念はまた、「すなわち」という概念と同じだということになる。マーク(記号)が違うだけで中身は同じものだ。(中略)諸君がおぼえればいいのは、だからどの記号とどの記号が同じ内容のものか、というような教え方では、記号を、本来の信号(“ことば”信号)としての機能と性質において教えたことにはならないのだ。
 ――“ことば”はそこでは、“ことば”としての機能を停止する。民族的体験の共通信号の系としての国語は、ついにそこでは教育されえないで終わる。(中略)このようにして、戦前の国語教育を語ることは戦後の国語教育について語ることであり、国語教育の戦後を語ることは戦前の国語教育をなぞる結果と一致する、ということになりそうである。これでいいのか。(20161024) 

国語教育のしくみ について(…)。各人各様の“国語教育とは何か”にしたがって、そこに国語教育の目的なり教育目標が設定されるわけだ。で、その目的を達成するための手段として、こういう作業をやらなければいかんとか、またそれからこういう作業も……というようにして、さまざまな作業領域が考えられ、実際の作業が組まれていくわけだ。そういう作業を組む中で、個々の作業領域の個々の作業目的を具体的に実現していくための手段としての作業の場面が、当然またそこに出てくるわけだ。
 こうして目的に対する手段としての作業、その作業を実現するための、またそのまた手段としての作業の実施、というように作業が組まれて行って、そこに、はじめて、ひとまとまりの国語教育の活動が実現する、というわけのものなはずだ。(20161104)

“ 国語教育とは何か” の “何” につながる、国語教育の究極の目的のおさえ方が弱かったり、それがみょうにズレていたり、無目的というに近いものであったりしたような場合、手段と目的の混同、とり違えがはじまるのである。それは本来、目的を実現させるための手段(ないし、手段のそのまた手段)であったにかかわらず、いつか順ぐりに上に昇って行って、その作業自体が目的であるみたいに考えられてくるようになる。手段の目的への転化・真実の目標を見失った自己目的的な作業の実施――つまり、そういうことになってしまうわけだ。この作業はこの作業としてやり、別の作業はまた別の作業として進める、というバラバラ事件がそこに生じるわけなのだ。(20161114)
● 誤解をうむといけないからいうが、文字指導なら文字指導の体系をそれとして組む、ということが間違いだ、などといっているのではない。私がいうのは、次の二つの点に関してである。その体系の組み方は、あくまで国語教育という全体、その究極の目的に奉仕するように組まれなくてはならない、ということが一つ。もう一点は、だからして、他の作業領域(たとえば語句の指導、読解ないし鑑賞指導などの作業領域)とのつながりを見失わないように(むしろ、その点のつながりや相互関係をはっきりつかんで)体系が組まれなければならない、ということだ。(20161124)

国語教育時評 17 日教組第16次全国教研への期待   (『教育科学 国語教育』 1967.1) 
  ● (…)そしてサルトルのことばが、すべてを尽くしているように思う。国語教育も、国語教育研究も、(…)自由と平和を愛する諸国民への連帯と、民族と民族教育に対して責任を負う教師の立場  (現代日本の教師の立場) において進められねばならないだろう。ヴェトナムの「戦闘停止を要求」する、しないは、国語教師ないし国語教育の問題ではないと考える人があるとすれば、その人は、すでに、ただの教育職人、ただの国語屋 になり果てたことを意味するだろう。
 教師としては、あるいは組合員としてはヴェトナム問題への関心を必要とするかもしれないが、しかし国語教師としては無関心であってよい、というような論理はどこにも成り立たないのである。
(ところで、そういう論理が現在、いかに横行していることか。) それは、まるで、国語教師は非人間 (つまり、ひとでなし) ないし透明人間でも勤まる、といってるみたいなものだ。(20161204)
戦後の混乱の一時期、敬愛する芦田恵之助に対して幻滅を味わったこともあるという、東北のある小学校長の言](芦田は)「戦後のこの世相、とうてい黙過することはできない。なにとぞ、殿下のお力をもって何とかしていただきたい。」という意味のことを「さる宮さま」――つまり、ある皇族にあてて書き送った、という。
 「芦田のおじんつぁんは、天皇の血につながる皇族の力でなら世直しも可能だと、心から、まじめに、そう考えていたんですな。いや、芦田先生の純粋な気持ちはわかるし、そこが私、とっても好きなんですけども、これはしかし、どうにもなりませんな。その救いがたい感覚の古さというか、感覚のズレにどうにもならんものを感じて、私、ガッカリしましてね」云々。
 つまり、“芦田”になったのでは、こんにちの民族教育としての
(民族に対して責任をとる)国語教育はできない、ということなのである。/ (…)大久保忠利氏のことばを再引用していえば、国語教育史の上に果たした芦田の役割の一面 は、「反動に利用された善人」のそれであったわけだ。たださえ反動化の路線をたどりつつある、こんにちの教育政策と教育状況のもとで、私たち国語教師が「反動に利用された善人」になど、なっていいはずはないのである。(20161214) 

“話しことば”の指導を中身のあるものにしていくためには、(教師と生徒、又は生徒たち相互に)話しあうこと自体に十分意味のあるような、具体的で中身のある話題が教材として選ばれなければならないだろう。
 ところが、である。生徒たちの話題が社会の、実際の生きた事象にふれていきそうになると、あわててストップをかける、というようなことでは、ホンモノの“話しことば”の指導など、できるものではない。
 「きょうの国語の時間は、きみたちで自由に議題を選んで、自由に討論をしてみたまえ。国語の授業としてやるのだから、話しかたに気をつけて、相手によくわかるように、くどくなく、よくことば を選んで話すんだよ。それから、聞いてるほうも、相手のいうことをよく理解しよう、という気持ちになって聞くんだよ。」などといってみても、それじゃ、こんどの先生がたのストのことを話題にしよう、なんてことに生徒の相談がまとまりかけると、あわてて「待った」をかける、というようなことでは、これは、どうにもならないだろう。
(20161224)

教育以前の問題が、こんにちでは教育の問題なのだ。また、国語教育以前が国語教育のありかたを根底的に制約しているのである。いま、そこに語った、“話しことば”指導の例は、ほんの一例に過ぎない。これは、作文指導の場合だって同じことだ。書くことの中身に制限を加えておいて、生きた作文の指導など、できっこないだろう。
 読み方指導にしたって同じことではないか。「タダほど高くつくものはない。」ということわざ を地で行ったみたいな、検定教科書という名の国定教科書を教師と生徒に割り当てて、あのくだらん教材で国語の読みかたを教えろ――むり というものだ。「道徳」教育の下請け教科みたいな格好になってきている、いまの国語科で「思考力を養う」ということは、至難のわざである。上記のように、一方で児童や生徒の批判精神に目つぶしを食わせるようなことをやりながら、「思考力」だけを養うということなど、できる相談ではない。
(20170104)
組合教研についてなのだが、もしも上記のような原則的な問題の検討を(「自明のこと」だというような、ことば のうえだけの処理で)素通りし、「たえず問題を原則に返して考え方をたしかめ合おう」という声を圧殺し、単なる授業過程論などに明け暮れるならば、そのかぎり 官製の教研とそれは選ぶところないものになってしまうだろう。
 全国教研は、あるいは部分的にはそのそうな片寄りを持つところがあるかもしれない、下部組織諸教研のプラス・マイナスの成果を、組合教研の総力を結集して媒介的に正しく方向づけていく場であろう。それは、、一〇・二一の貴重な体験をとおして、教研活動に強力に媒介される以外に、教組の運動の主体的な前進のありえないことを実感した人びとの集まりなのである。
(20170114)

国語教育時評 18 国語教育界の二つの黒い霧   (『教育科学 国語教育』 1967.3)  
  教育課程改定案の提示も目の前にせまっている。たんに イデオロギッシュにどうのという批判を出すだけ でなくて、相手の考えている方向の国語教育や文学教育では、それこそ修身教育(えせ 道徳教育)になり、無国籍な国語という不思議な「国語」の指導に終わってしまう、という改定の実態を事前に国民のまえにバクロする必要が、いまはあるのだ。いまこそ、民間教育研究団体が協力して統一行動をとるべきときなはずだ。
 それなのに、である。なにか敵を見誤っているのではないのか。授業のはこび方の手順について、自分たちが提唱しているやり方に反するヤツは、みんな敵だ、文部省のまわし者だ、では困るのである。敵のまわし者にかみつくこと、即ち敵の戦力を弱めることである、という論理は、あるいは正しいかもしれない。だが、自分が勝手に敵のまわし者だときめこんだ相手に片っぱしから、かみついて回る、その足を引っぱるというのでは、これは結果的には自分が敵のまわし者になったのと同じことだろう。ことばを重ねるが、闘うべき相手を見誤っているのではないのか。(20170124)
 
 [以下の引用は]国語学者や、文学研究者諸氏による指導要領批判の座談会記事の一コマ(…)。話題は、直接的には文学教育に関してである。 
大野[晋] ともかく人間を通さないものは文学として生きないと思うのです、僕は。だから、学習指導要領はまちがっていると思うのです。指導要領は、まず第一に、あなたが教師として教壇に立つときに、あなたが一つの大好きな打ちこめる文学を取り上げなさい、と書くべきだ。それが文学教育ですよ、僕の意見では。
益田勝実 トコトンまでつきつめていったら、文学の教育というのは、結局、人間のなかを文学が通っていく、その通りかたを媒介しないで教育ができるか、といわれる大野さんの論になると思うのですよ。ただ、(…)。
大野 ぼくは、そうだと思うな。教師の人間をかけた自由さのない教育は、教育として成り立たないでしょう。
益田 そうだと思う。そこまで持っていって文学の教育というものが、ほんとうにできるのじゃないか。(下略)
大野 (上略)つまり日本の官僚主義が、こんなところで教育を強制しようとか、そんな考えかたで(学習指導要領を)作ってるわけですよ。そうすれば羅列主義になるにきまっているわけです。どこから見たって、だれが言ったって、ご無理ごもっともみたいなものでなければ出せない。ところが、現場の教育者に対してこのとおりやろうと言ったって、(中略)文学教育ということを考えている限り、できないと思いますね。
(以上引用は、「文学」35年8月号)
  どうだろう、お読みになって、非常にまあたらしいものをお感じにならないだろうか。私自身は、大野・益田両氏の考え方に対して原則的に賛成なのだが、あなたは、どうか。
 ことは、文学教育だけの問題ではない。国語教育全体、いや教育全体の問題なのである。「教師の人間をかけた自由さのない教育は、教育として成り立たない」のである。教育の仕事、教師の仕事は「強制」されたり「拘束」されたりして、できる仕事ではない。
 教師に対して拘束力をもった学習指導要領をおしつける。さらに、それを強化しようとする。教師を信頼していないから、やれる芸当だ。これでいいのか。ほんとうは、「指導要領は、まず、第一に、あなたが教師として教壇に立つときに、あなたが一つの大好きな打ちこめる」ものを「取上げなさい、と書くべき」ものなのだ。
 時評担当をおりるに際して私のいいたいことは、こうだ。教師は教育の仕事に関して、絶対に要求水準を低下させてはならない、ということである。自分に対しても、他に対してもである。(20170204)
   
 
岐路に立つ国語教育 目次