岐路に立つ国語教育
 熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集』より
 
国語教育時評 15 
文学教育の新段階  (初出:明治図書刊「教育科学 国語教育」1966年9月号) 


   大河原氏の見解をめぐって

 大河原忠蔵しによる“作品埋没型の文学教育”の否定、“状況認識の文学教育”の主張は、近来ますますその精緻さと鋭さを増し加えてきているようだ。とくに、そのことを感じさせられたのは、本誌前々号に掲載されたパネル・ディスカッションの記録を読んでである。〈注〉
〈注〉 第3回千葉県文学教育研究集会の第二日に、行なわれた討論<日本の文学教育=その原理と方法>の速記録。
 大河原氏は、いっている。「一般に、文学教育とは、文学作品を生徒に鑑賞させて、生徒の心を豊かにしていくしごとと考えられて」いる。しかし、「それだけでいい」のか? 「名作鑑賞を中心とした文学教育の射程距離は、あんがい短い」ことがそこに反省されなければならない。で、むしろ、「社会を文学的に見つめるこころ、社会への文学的な認識のありかたを生徒の中にそだてることに文学教育の目標をおく」必要があるのではないのか、云々。同感である。
 「文学は書物のページの上にだけあるものでは」ないのであって、文学教育の「主要な教材は、作品とともに現実にもある」ことの認知、確認がいま必要とされる当のものである。文学教育というものが「作品で教えれば成り立つ、という楽観論、あるいは作品もたれかかり主義」は否定されねばならない、云々。
 「とくにですね、書いたもの、作品のベースの中で、子どもたちの人間性を再編成するようなワクから一歩も出られないような、作品埋没型の文学教育は、ここでぶちこわしていかなければならないと考えます」云々。
 こうした埋没型否定論は、とかく“作品をたいせつにしない”考え方のように誤解されがちだし、当日の会場の空気にもそういう誤解に近いものを感じさせるものがあったわけなのだが、その点について氏はこう語っていた。「本当に作品をたいせつにするにはどうするか。それには、やはり現在の時点における、子どもたちの状況認識を媒介しなければ、ほんとうに作品をたいせつにすることはできない、というふに、わたしは考えております」云々。
 また、そこでの氏のだいじな論点のひとつは、他のマス・メディア、他のコミュニケーション・メディアと、文学ないし文学教育との統一の視点の確立に関してである。文学教育が文学教育としての機能をフルに発揮していくためには、むしろ映像文化その他のメディアとの積極的な協力が必要だ、という指摘である。
 これは私自身の考え方だが、文学の媒体
(直接の媒体)である“ことば”――その、“ことば”が“ことば”としてコミュニケーション・メディアの役割を果たすことができるのは、じつは他の視覚メディアや聴覚メディアなどとの相補関係が成り立つ場合においてだけである。で、大河原氏の上記のような指摘は、もろもろのメディア間のこの相補関係・協働関係の明確な認知・把握に立っての発言のように私には思われるのだが、どうか。氏ご自身のことばを引用しておこう。
 ――映像文化がどんなに高級なものが出たとしても、文学教育の独自性は失われない、という発言がありました。しかしこれは、たいへん狭い結論であったと、わたしは考えます。映像文化との統一点を見いだしていく。映像との統一点を見いだしていくということに目を向けなければ、映像がどんなにすぐれていても、文学教育の独自性はここにある、とがんばっても、そういうやり方では現代のそういう問題は克服できないのではないか、云々。
 私は思うのだが、読むことや書くこと、あるいは話すこと――つまり“ことば”メディアによる“伝えあい”だけが思考活動に結びつく唯一のものだ、というに近い考え方が国語教育界では根強いのではないのか。そのことを裏側からいって、視聴覚メディアによって“見る”こと、“聴く”ことの意義を過少評価しているような傾向はないか、ということなのである。
 “見る”ということは、人間にあっては、もはや、たんに生理的ないとなみではないはずである。“見る”ということは自体が
(あるいは、“見る”ということさえもが)、それは人間の場合、“考える”ことに直結するという確認に立って、文学教育・国語教育そのものが構想されねばならぬ時期に今はさしかかっているのである。(この点については、なお、本誌bW8・臨時増刊号所掲の拙稿「言語主義からの解放」など参照――P107掲載)

   草部氏の見解にふれて

 ところで、上記のような発言が大河原氏によって行なわれていた時分には、私もパネル・マンの一人として、このディスカッションに参加していたのである。が、時間を切られた仕事をひかえていたため、午後からの討論には出られなかった。その後の模様は、したがって本誌の記録で承知した、ということなのである。
 で、後半の記録を目にしていく中で印象的だったのは、草部典一氏の次のような発言であった。「大河原さんの状況認識の文学教育の場合、ぼくはやはり、虚構、フィクションの問題をそこに入れていかなければ、状況
(注――生徒たちの主体内外の状況)に対応するだけではだめなんであって、状況をさきどりして、その状況を再構成するという虚構の問題を考えねばだめだと思う」云々。――重要な指摘だと思うのだ。
 「虚構では、状況と人間との関係をどういうふうに設定していくかを考えるわけです。
(中略)要するに、ある一つの作品をとらえるとき、その作品の構成、虚構というものは、一体どういうふうになっているか。あるがままの現実を完全に認識した上でそれをどう再構成しているか、というところにもっていく必要がある。それは構想力というものになると思いますが、(中略)今日の状況をさきどりして、それに虚構なり構想力を結びつけることで、さらに進めることができる」云々。だいじな指摘だと私は思う。
 それをだいじな指摘だと私がいうわけは、草部氏同様、私自身、大河原氏の主張に「共感」しているということが前提にあっての話なのである。所論に対する共感を前提としつつ、あるいは、それに対する共感を前提とするがゆえに、状況認識の文学教育論の理論構成を、より以上スキのないものにしてもらいたい、と私としては考えるのである。それをスキのないものにするためには、草部氏のいわれるような、状況のさきどりの構想を積極的にふくみこんだかたちの主張を大河原氏自身にしていただきたいのである。
 じつをいえば、もし私が午後の部までこのパネルに参加していたとしたら、おそらく私自身、草部氏と同じようなことを、大河原さん、あなたに向けて提言することになったかと思うのだ。そのことは、いつか筑摩書房での対談のさいの話題
(「国語通信」昨年5月号?)からも察していただけるかと思う。
 そのおりの話題? ……つまり、こういうことだ。過去の作品なら過去の作品の、“作品本来の読者”の生活の地づら における
図がら としての)その状況認識を、(文学学習の場における)教師と生徒双方の地づら に媒介的に翻訳・再創造する手つづきを抜きにしては、こんにちの状況認識(教師・生徒双方の状況認識)をよりまっとうなものにしていく教材としてその作品を役立てることはできないだろう、という意味のことを私は語ったけれど、問題はいま、そのことに関連している。誤解をおそれずにいえば、それは文学史と文芸時評の視点による作品の媒介ということである。

   伊豆氏の見解を中心に

 大河原理論に対する草部氏の内部批判的な姿勢とあい似たものが、ところで、荒木繁氏の理論に対する伊豆利彦氏の見解
(「文学教育に関する一面的感想」――「日本文学」4月号)の中に見られるようである。伊豆氏は、こう語っている。
 ――荒木氏が強調しているのは、どこまでも<生徒の生活に基礎をおく主体>を土台とすることなしには文学教育が文学教育として成り立たない、ということである。それはかつて十年前に古典教育の問題を論じたときにも、荒木氏の文学教育観の根底をなすものであった。荒木氏はそれをひきつづき発展させ、具体化して、新しい文学教育の出発点にすえたのである。私はもちろん、このことに異議があるわけではない。荒木氏がとりわけて現在支配的になりつつある客観主義的傾向とたたかおうとしていることについては、私自身門外漢なのだから何ともいえないが、荒木氏の主張をもっともだと思うほかはない。
 しかし私は、生徒の主体的真実をあくまでも大事にしながら、むしろただひたすらそれに依拠しながら、しかも生徒がどのようにして自己の主体の狭隘さを克服してゆくかを問題にしたいのである。
 つまり、伊豆氏は基本的には荒木氏の考え方に賛成なのである。「とりわけて……客観主義的傾向とたたかおうとしている」荒木氏の姿勢なり「主張」に対しては「もっともだ」というふうに共感の意を表しておられるわけなのだ。問題は、「かつての日の生徒たち(注――占領下の、あるいは、それに続く時期の生徒たち)には民族的な目ざめの契機が」あったけれど、「今の生徒たちにはそれがない」からという、多分そういう理由から、荒木氏が<民族教育としての古典教育>ないし<文学教育>の実践をなかばあきらめてしまっているらしい点、その点に問題がある、という批判のようである。「生徒の主体を尊重するということは、生徒の現状に追随する」ことではない、云々。
 ――かつて古典教育の問題とまっ正面からとりくんだ荒木氏は、今度はそれを<文学遺産の継承を軸とするもの>という形で概括して、それを自身の問題意識の中心からとりはずしてしまっている、云々。
 ――それ(「荒木氏がかつてとりあげた古典教育の問題」)は決して、<文学遺産の継承>などという教養主義的な、スタチックなことばでは包括し得ない根本的な問題を内包しているのではないかと思う、云々。
 上記のような伊豆氏の批判については、私には疑義がある。いや、文学教育が生徒の現状追随の作業であってはいけない、といった氏の論旨そのものには賛成なのだ。が、いわばそれ以前の事実の問題として、伊豆氏が指摘されるようなスタチックな考え方に荒木氏がおちこんでいるとは、私には思えないのである。文学遺産の継承云々という荒木氏の発言にしても、それが果たして教養主義的な姿勢を示すものかどうか? また、荒木氏のいわれる、生徒の主体の重視、生徒の状況(現況)の把握の必要ということにしても、それが生徒の現況への追随を意味しているとは、やはり私には考えられないのである。
 が、その辺の問題の究明
(=解明)は、伊豆・荒木両氏の間でやっていただきたい。私としては両者の間に割ってはいって、どちらがどうのと口をさしはさむつもりはない。私がここで伊豆論文に取材した理由は、まったく別個のところにある。次のようなことだ。

   伊豆・乾両氏の所説をめぐって

 それは、ひとくちにいって、「生徒がどのようにして自己の主体の狭隘さを克服してゆくか」という、生徒の主体的作業に手をかす指導の問題に関して、文学史の理論による文学教育の理論への媒介ということを、伊豆氏が力説・強調しておられることへの私の共感である。
 ――文学史にもとづくことのない文学の理解はあり得ず、従ってまたそのような文学教育はあり得ない、云々。
 ――文学教育の理論は文学史の理論(知識ではない)に媒介されることによって、体系化され、構造的なものとして発展させられる必要がある。現代に没頭していては現代を批評することはできない。ひたすら「現代」的であることによっては、真に現代的=未来的であることはできない。
 ――現代に生きているだけでは現代を知ることが出来ない。歴史を知り、現代を歴史的に把握することによってのみ、私たちは真に現代を知り、現代を自覚的に生きることが出来る。現代を自覚的に生きるとは、主体的に生きることであり、未来を主体的に択ぶことである。(中略)ここで問題になっているのが個々の歴史的事実のよせあつめとしての歴史でないことは、いうまでもない。これらの歴史的事実を支え、それを貫いてあらわれている人間の発見が問題なのである。私たちは歴史を通して人間を発見し、自己を発見する。民族の歴史を通して私たちは民族を発見し、民族の一員としての自分を発見する、云々。
 伊豆氏の所論は、つまり文学史にもとづく文学教育理論の実現ということである。そのような文学教育理論と文学教育活動の実現によって、教師も生徒も、真に「民族の一員としての自分を発見する」ようにもなるのだ、ということのようである。いいかえれば、そのような理論に媒介された実践であってこそ、それは生徒たちの「自己の主体の狭隘さを克服してゆく」作業に手をかすいとなみにもなれるのだ、ということのようである。注目すべき提言だと思う。

 先ごろ、都内のある区教研に参加したとき、「文学作品の“送り内容”は、つねに受け手の生活の中にあったものの再組織である」云々という乾孝氏の見解
(『形象コミュニケーション』他)について、それは作品の歴史性を無視した考え方ではないか、という発言に接した。文学史への関心において文学教育を考えよう、考えなおそうとする、それはこんにちの現場の新しい動向を示すものである。文学教育は、いま、新しい段階にさしかかっているのだと思う。
 が、上記の発言は誤解に基づいている。しかもこの種の誤解は、発言者一人のものではないように思われる。乾氏自身のことば
(第14回・法政大学心理学公開講座速記録)を引用しておこう。真実の歴史的認知の方向を見さだめるためにも、である。
 ――私たちが梅干と聞いてよだれ を流したとすれば梅干というコトバが、あのくちゃくちゃした物体の信号であり、また、あのくちゃくちゃした物体の視覚表象が舌の上にのっけると、よだれを分泌するごとき性質を持ったものだ、というだけのことではない。しわくちゃ信号の、そのまたコトバ信号としての「梅干」というだけのことではないのです。そうではなくて、「梅干」といって僕たちがよだれ が出てきたならば過去何千年の日本の梅干文化のあらゆるものをくぐって(笑い)、それこそ「日の丸弁当」から「梅干ばばあ」に至るまでの、全部を通って(笑い)、それだけのニュアンスにおいてよだれ がでるのであって、今まで何べん私が梅干を食べてよだれ を流したかなんていうことは、さして重要なことではないのです。よだれが出ても、それは生物学的な反射のレヴェルではなくて、やっぱり歴史的社会的な反射である。これが大事なところなんです、云々。
 つまり、乾氏がいわれる「生活の中にあったものの再組織」という場合の「生活の中にあったもの」「あるもの」というのは、まさに右に見るような、歴史的社会的なものを意味しているのである。
 私のいいたいことは、こうである。文学教育への文学史の媒介の必要はいうまでもないが、媒介するということの実際の内容が、教師や生徒の「生活の中にあったものの再組織」というかたちのものでなくては、それは実質的に文学教育活動を前進させる発展の契機にはなりえないのだろう、ということである。


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