岐路に立つ国語教育
 熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集』より
国語教育時評 18 
国語教育界の二つの黒い霧  (初出:明治図書刊「教育科学 国語教育」1967年3月号) 


   既往現在のこと

 去年のちょうどいまごろ、時評を終えるの辞を書いていた(No.89参照)。一ヵ年12回、毎月執筆ということではじめた時評の仕事の最終回に当たっていたわけだ。が、No.91のこの欄のはじめに書き付けたような事情から、こんどは、あくまで、寒川先輩のサイドをつとめるということで、仕事をさらにもう一年継続することにした。
 こうして二ヵ年つづけてきたこの仕事も、いよいよ、こんどで終わりである。
 この二年間をふり返ってみて、こんな風当たりの強い仕事は引き受けるんじゃなかった、と思ってみたりしたことや、デマや中傷がそこ、ここに乱れとんで、すごくハラが立ったりしたことなどを思い出す。思い出す、なんてものじゃない。こんにちこの只今のことだ。
 そうかと思えば、遠い北海道や東北・九州その他各地の未知の方々から激励の手紙を頂戴して、しみじみやりがいのある仕事だな、と思ってみたりもした。それでいて、取材しようと思う事柄の問題の所在が自身につかめなくて、原稿〆切日がすぎてもペンが進まずに苦しんだこと、五回や六回ではない。その結果、本誌編集担当の石川孝子氏にはご迷惑のかけ通し。二年分のお詫びを、きょう、ここに――。

 さて、最終回のこの稿は、総括的な事項に話題を限定してペンをはこぶことにする。さし当たって、次の三つの事項を――。(1)民間国語教育運動の内在的な問題をめぐって。(2)今年度おこなわれる教育課程、学習指導要領の改訂について。(3)上記の二点に関連しつつ、国語教師の構えの問題について。
 もっとも、どこまでのことが書けるか、だいいち、しかるべくそのように上記三つの事項にわたって話題を進めることができるかどうか、実際に書いてみないことには見当もつかない。ともあれ、そのことをめざしてペンを進めることにする。

   敵を見誤っているのではないか

 まず、(1)の話題から――。
 固有名詞は、ここではいっさい伏せる。だれそれが、どこで何をした、という場合の“だれそれ”と“どこ”を伏せる、ということである。だれかに、あるいはどこかに迷惑のかかるのを、おそれてである。それに、きょうのここでの話題に関するかぎり、固有名詞はあまり必要がない。事柄そのものについて考えてみていただければ、それでいいのである。
 某県の学校教師、某氏、某々氏、そして某々々氏からたより をもらった。中身は共通して、その県の第16次組合教研の国語教育分科会のことをめぐってである。「中央
(東京)での民間教育研究団体相互間の不信といざこざが、そっくりその儘のかたちで、こちらの県教研の場にもあらわれている。困ったことだ」というのである。「困ったこと」という以上に、「怒りをおぼえる」というのである。
 右の三氏からのたより の文面どおりに伝えると、こうだ。その県の民間国語教育研究活動のイニシャティヴをとっている
(いた)のは、これまでのところ、A教育研究団体(注――Aは団体名のイニシャルではない、ただ、アルファベット順にAからはじめただけである。以下同じ)所属の人たちであった、という。で、公式の教研集会の助言者にはその人々の間から、あるいは「中央」からA団体の別の人を迎えるかするのが例だった、という。司会者団も、ほとんどその団体所属の人たちによって占められてきていた、という。
 さて、問題は次の点に関してなのだが、こんどの第16次県教研の場合も、やはり、そのような人選の助言者団・司会者団によって、国語の分科会は運営されていた、という。が、この日、参加者一般によって選ばれた全国教研
(第16次全国教研)への県代表(正会員)は、A団体の提示している指導過程論とは異質の見解に立って当日報告をおこない討論をおこなった、A団体所属外のレポーターであった、という。そのレポーターをB氏と呼ぼう。
 で、
(その間のいきさつや事情は私にはわからないが)全国教研への正会員は二名にするということに話が落ち着いて、B氏以外のもう一名の選出はおこなわれないまま閉会になったのだ、という。ところが、その後なん日だか十なん日だかして、県教祖教文部から正会員決定の公式発表がおこなわれたが、なぜかB氏の名はそこにはなかった、という。
 その後、どういうことになったか? B氏を支部正会員として県教研に送った、支部の教文部ではさっそく県教文部に抗議したけれど、いまだに正式の回答には接していない由。いまだに? ……一月四日現在での話。
 じつは、このB氏というのは、私が前回の時評
(No.99日教組第16次全国教研への期待」)で話題にしたところの、10・21の統一行動の際、所属分会全員脱落した中で、たったひとりで統一行動に参加したという、あの女の先生のことなのである。だからして、組合員として適格を欠く面があるなどとは、とうてい考えられない。教研でのレポートの内容については、上記のように、多くの参加者の賛同と信頼と支持をえているわけなのである。「全然、わけがわからない。」「A団体の連中の裏面工作としか考えられない」と手紙には書かれている。
 くわしい事情は、遠くはなれている私にはわからないし、一方の話を一方的にしか聞いていないわけなのだから、県教文部の措置についてウカツにそれを云々することは、さしひかえたい。ただ、これほどひどい例はしらないが、ずいぶん似たような話をそこ、ここで耳にするし、ともかく、そこに見られるような相互不信が、組合教研の厚いカベをつくり出している状態は、しんそこから困ったことだと思う。

 また、やはり民間国語教育研究団体の一つであるC団体の人から、次のような話を聞かされた。
 D氏が自分の属している団体
(これもやはり民間教育研究団体だが)の機関誌に、しきりにC団体を誹謗する文章を書き立てている。その最近号には、「C団体は文部省と通じている。」というようなことを書いている。文部省とツーツーの団体である証拠には、C団体所属の某氏が校長をしている小学校が、文部省から研究費をもらっているではないか、という意味のことを書いている。バカバカしい、といったらない。この学校が文部省から受けている研究費というのは、大学学術局所管の科学研究補助金の中の科学研究費なのだ。研究者が大学・研究機関を通じて受けている、あれなのだよ。中傷もいいところだ、云々。
 すずしい顔をしているが、きみのことも同類だと書いてあるから、読んでみたまえ、云々。
 D氏のこんどの文章はまだよんでいないが、別のある友人が私にこういった。D氏のこの文章についてである。
 きみの名まえが仰山、出てたぞ。例の「熊谷君」「熊谷孝君」というクンづけの呼び方で、30ページほどの活字の中に四十なん回か、きみの名まえが出ていた。「卑怯者」だの、「主観主義者」だの、「ニヒリスト」だの、「修身イデオロギー教育論者」だのとサンザンだが、次号では、きみの修身主義の文学教育論を徹底的に叩くことを予告する、とあったよ。きみも、えらいのにガンを着けられたもんだね、云々。
 私自身のことは、しかしきょうの話題のかぎり、まあいい。問題は、むしろ上記の二点だ。この二つの事項に代表的に示されているような妙なことが、さいきん多すぎる。民間教育研究団体のあいだの黒い霧――なんてことがあっていいはずはないのである。教育課程改定案の提示も目の前にせまっている。たんに イデオロギッシュにどうのという批判を出すだけ でなくて、相手の考えている方向の国語教育や文学教育では、それこそ修身教育
えせ 道徳教育)になり、無国籍な国語という不思議な「国語」の指導に終わってしまう、という改定の実態を事前に国民のまえにバクロする必要が、いまはあるのだ。いまこそ、民間教育研究団体が協力して統一行動をとるべきときなはずだ。
 それなのに、である。なにか敵を見誤っているのではないのか。授業のはこび方の手順について、自分たちが提唱しているやり方に反するヤツは、みんな敵だ、文部省のまわし者だ、では困るのである。敵のまわし者にかみつくこと、即ち敵の戦力を弱めることである、という論理は、あるいは正しいかもしれない。だが、自分が勝手に敵のまわし者だときめこんだ相手に片っぱしから、かみついて回る、その足を引っぱるというのでは、これは結果的には自分が敵のまわし者になったのと同じことだろう。ことばを重ねるが、闘うべき相手を見誤っているのではないのか。
 この稿が活字になるころには第16次全国教研も終っているわけだが、こんどの教研がこのような黒い霧を吹きとばす気流転換の場であってくれることを、私は心からねがわずにはおれない。教育課程の改定を目の前にしての、民間教育研究団体間の黒い霧――これは、どうしても解決しなければならない問題である。

   教師の人間をかけて

 こんど改定されることで学習指導要領の内容は、ますます拘束力の強いものになりそうである。そういう拘束力の強化が、国語科に関していえば、こんどの場合、教科構造の改編というかたちでの内がわからの強化
拘束性 の強化)である、という点に特徴が求められそうである。
 やがて私たちの前に示される改定案が、現実にどの程度のものになるかは別としても、明らかにねらい としてそれがある、ということだけは、審議会委員諸氏の書いたものを読めば、歴然だ。42年度改定の立役者といわれている委員某氏の意見が通るとすれば、少なくとも小学校の国語教育は、いわゆる言語教育の間では、それを“スキル学習”“言語技術教育”としてしか行なえないことになりそうである。理論的に、実践的にスキル学習の理念や方法に対して反対意見を唱えている現場人や研究者も少なくないわけだが、ご無理ごもっともといった調子でこの掟に従わねばならぬとしたら、いったい日本の国語教育はどういうことになるのか。
 文学教育のほうは、委員某氏の見解にしたがえば、「期待される人間像」の要請にこたえるような、「道徳」的な内容のものにならなければならない。つまり……いや、この教科構造の面に関する問題は、同じこの号が<国語科教科構造改革への提言>の特集号だということだから、執筆者諸氏の提言を参照してお考えいただきたい。私自身の考えも、そちらのほうの稿に書きつけるつもりでいるので同様、ご参照いただきたい。
 そこで、切りくちを変えての話だが、次の引用にお眼通しいただきたい。これは、38年度の高等学校国語科の教育課程改定案が示されたおりの、国語学者や、文学研究者諸氏による指導要領批判の座談会記事の一コマだが、それは高校国語科だけの問題でもなければ、過去のその時点の問題の指摘にとどまるものでもない。話題は、直接的には文学教育に関してである。 
 大野 晋 (教師にも)自分は漱石は読んでいるけれども、芥川だったらそうは知らないとか、いろいろあると思うのですよ。にもかかわらず、漱石なら漱石に打ちこんでいる人が漱石を扱ったときに生徒たちが、本当に漱石は大きく立派だとか、歴史の上に社会と思想がどうなったか、ということがハッキリつかめると思うのです。僕は古典ばかりに限らないと思う。現代文学も同じで、文学に限り一人の人間を通さない文学というのは見あたらない。人間を通すというけれども、その人間に打ちこんでいるときにできるわけですね。
増淵恒吉 その場合は教師ですね。
大野 ともかく人間を通さないものは文学として生きないと思うのです、僕は。だから、学習指導要領はまちがっていると思うのです。指導要領は、まず第一に、あなたが教師として教壇に立つときに、あなたが一つの大好きな打ちこめる文学を取り上げなさい、と書くべきだ。それが文学教育ですよ、僕の意見では。
益田勝実 トコトンまでつきつめていったら、文学の教育というのは、結局、人間のなかを文学が通っていく、その通りかたを媒介しないで教育ができるか、といわれる大野さんの論になると思うのですよ。ただ、ぼくは、それをあまり突きつめて、お前ならお前は、これこれの作品しかほんとはわからんのじゃないか、ということになったちゃうと、いまの教育体系全体がゆすぶられるだけじゃなくて、いったい教育がどういうふうにして成り立つか、ということになる。非常に大きな、もっともっと自由な教育体系というものを前提にしなければできなくなる。
大野 ぼくは、そうだと思うな。教師の人間をかけた自由さのない教育は、教育として成り立たないでしょう。
益田 そうだと思う。そこまで持っていって文学の教育というものが、ほんとうにできるのじゃないか。(下略)
大野 (上略)つまり日本の官僚主義が、こんなところで教育を強制しようとか、そんな考えかたで(学習指導要領を)作ってるわけですよ。そうすれば羅列主義になるにきまっているわけです。どこから見たって、だれが言ったって、ご無理ごもっともみたいなものでなければ出せない。ところが、現場の教育者に対してこのとおりやろうと言ったって、(中略)文学教育ということを考えている限り、できないと思いますね。
(以上引用は、「文学」35年8月号)
 どうだろう、お読みになって、非常にまあたらしいものをお感じにならないだろうか。私自身は、大野・益田両氏の考え方に対して原則的に賛成なのだが、あなたは、どうか。
 ことは、文学教育だけの問題ではない。国語教育全体、いや教育全体の問題なのである。「教師の人間をかけた自由さのない教育は、教育として成り立たない」のである。教育の仕事、教師の仕事は「強制」されたり「拘束」されたりして、できる仕事ではない。
 教師に対して拘束力をもった学習指導要領をおしつける。さらに、それを強化しようとする。教師を信頼していないから、やれる芸当だ。これでいいのか。ほんとうは、「指導要領は、まず、第一に、あなたが教師として教壇に立つときに、あなたが一つの大好きな打ちこめる」ものを「取上げなさい、と書くべき」ものなのだ。
 時評担当をおりるに際して私のいいたいことは、こうだ。教師は教育の仕事に関して、絶対に要求水準を低下させてはならない、ということである。自分に対しても、他に対してもである。


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