岐路に立つ国語教育
 熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集』より
国語教育時評 11
教育の自由と国語教育
  (初出:明治図書刊「教育科学 国語教育」1966年2月号) 


   教科書正常化とは?

 今月は、まず、事務報告から。あるいは、そのことに話題の中心を求めて――。ともあれ、これまでにこの欄で取材した事項のうち二・三に関して、その後のなりゆきにふれておく必要を感じるのだ。
 その一。新学年から使用されることになっている、中学の改定歴史教科書への「東条首相登場」の件。つまり、「軍服姿もいかめしく、戦没兵士の遺児たちをはげます東条首相」の写真が改定版の教科書にはのることになった、という、11月号のこの欄の記事だが、それが、このほど、とりやめになった由。ご同慶である。
 公式発表
(?)にしたがえば、それは、もっぱら、出版社がわの自主的、自発的なある理由、ある必要にもとづく措置の由。けっして「世論」に左右されたものではない由。また、世論に気をかね、当事者間で話し合いがおこなわれた結果の「とりやめ」「とり下げ」ということではない由。
 文部省自体としては、ただ、発行者がわ、申請者がわの「必要」と「理由」を諒としてO・Kを出した、というにすぎない由。つまり、“家永裁判”や、朝日新聞その他その他の論調などとは何の関係もない今回の措置である、という。が、何にしてもご同慶というべきであろう。
 ご同慶――むろん、読者各位に向けてのご同慶という意味である。これが、世論に耳をかたむけ、自己の非をみとめての計画変更という発表の内容、発表のしかただったら、この「ご同慶」は同時に当事者へ向けてのご同慶ということにもなったのだが。
 それはともあれ、ふだん痛めつけられ、しめ上げられ、ガックリ来てるせいだろう、この程度の成果でも私たちには、うれしいのだ。とにかく、こんどは世論がものを言った、という、そんな思いが私たちにはある。“イロハ加留多”ではないが、むり が通れば―― いや、むり が通って道理が引っこむことに、なれっこになっているせいで、こっちの要求水準がひどく低下してしまっている。こんなことでも、つい相好を崩しがちだ。これは自身に向けてのことばだが、「甘くなるな」――である。
 東条の出番がなくなったぐらいのことで、事態そのものは一向に好転しない。これしきのことで、風向きがバッチリ変わった」なんてことにはならない。11月号で述べたような、国語教育への歴史教育の悪しき連鎖反応が、これぐらいのことでブレーキをかけられたことにはなりはしない。
 それどころか、一歩後退二歩前進みたいな失地回復への動きが、すでにそこ、ここに見られるようだ。日本教育新聞
(65年11月11日号)によれば、それは、たとえば次のようなことだ。
 日本教師会では、11月6日に初の顧問会議を開いて、「家永教育大教授の裁判問題に関連して、文部省を支持する立場から、@日本教師会内に“教科書正常化推進委員会”(仮称)を設ける、Aこれとは別に、学者グループを中心に教科書正常化を目的とした全国団体を結成させる」ことなどを決定した、という。
 「学者グループの教科書問題新組織は、相良唯一京大教授ら新教育懇話会を主体に、近く発足の予定で“家永氏を支援する歴史学者の会”など、家永教授を支持する学者に抵抗、文部省をバック・アップする意向である」云々。
 さらに、そこには、この顧問会議の模様を、出席者の発言要旨をビック・アップしたかたちで次のように報じている。
 ・菅原裕氏(元東京弁護士会会長) 不吉なことをいうようだが、家永裁判の一・ニ審は文部省が敗ける。なぜなら、現憲法に問題があるからだ。(中略)三千年の伝統をホゴにした憲法をもっていては勝てない。文相はこれをよく考えてほしい。教育振興には、日本学の振興と天皇制を守ることがたいせつだ。日本教師会の仕事は本来、文部省がやるべきだ。
 ・相良惟一氏(京大教授) 教科書問題の新聞論調には、問題のスリかえがある。検定と検閲を混同し、学者は「学問の自由」という錦のみ旗を掲げる。文部省にウシロ暗い印象のあることは残念だ。文部省はもっとPRすべきだ。関西では、新教育懇話会を中心に文部省を支持する学者の動きがある。
 ・福田文部次官 PRしても新聞が書かない。とくに一部大新聞の論調は遺憾だ。検定と検閲は別問題だ。
 ・久保田収氏(皇学館大教授) 文部省は、京都、福岡の教育界の姿勢を正してほしい。
 ・福田次官 父母があまり批判しないのが、ふしぎだ。みなさんから批判の声をあげてほしい。
 ・相良氏 文部省は大学教授に弱い。学者の多くは反文部省的で、教育振興にマイナスしている。学テ・勤評問題も、文部省がもっと学者のカを使うべきだ。学者を味方にする必要がある。
 本誌の読者がいちばんよくご存知のように、私はあまり威勢のいいほうじやない。私が威勢のよくないのは、どうも反応がにぷいことにも関係があるらしいのだが、その私が、この記事には反応した。ムカッと来た。むしょうに、ハラが立った。ひとりひとりの発言(発育内容)に対して、ハラが立つのである。
 現在の憲法と法律のもとでは家永裁判は文部省の負けだ、ということを知っているというのは、今の検定のやり方が違憲・違法だということは百も承知の上だ、ということではないか。それがわかっていて、なおかつ「文部省をバック・アップする意向」だ、という。
 「文部省を支持する学者の動き」があるというが、違憲・違法で筋の通らないことは承知の上で、そういう「動き」をするような「学者」があるとすれば、彼は果たして学者であろうか。「学問の自由」に背を向けた学者は、もはや学者ではない。
 改憲を前提とし、あるいはその実現を期待しての「日本学の振興と天皇制を守る」ための教育振興。いったい、どんな教育振興になることか。そうした教育振興の一環としての教育課程の改定、国語科の改定、そして国語教科書の改定……こわいみたいな話ではないか。
 予想されるこんどの改定では、国語の授業時数がふえるらしいから、その点はとにかくステキじゃないか、という声を耳にする。また、授業時数の増加にともなって、国語科と国語教師の株が上がる点がミリキだ、というような声もよく耳にするが、問題は、そこに教育の自由
国語教育の自由があるかどうか、である。上記引用のような、天皇制臣民教育復活のための国語教育の「振興」、またそのための国語授業時数の増加というふうなことであれば、何をか言わんや、である。

   「先生の点数も悪うなるぞな」

 上記、相良氏の指摘している学テの問題だが、このほど朝日新聞
(65年11月18日号?)『学テ日本一』」と題して掲載していた論説(「今日の問題」欄)は、ズバリ問題のありかを言い当てている。
 愛媛県が今年の学力テストに全国一位になったことは、幾つかの意味で注目をひくことである。正確には小学校と中学三年が一位、中学二年が二位というのだが、それがこのほど松山市で開かれた教育研究大会の席上、福田文部次官のロから公表されたことが、まず先例のないことである。
 もともと学力調査というのは、子どものありのままの学力を知ることによって、教育条件や教科課程の改善に資するためのものだった。だから、どの県が何位になるか、どの学校とどの学校と、どちらが上かというようなことは、公表しない建前だった。その調査がいつの間にか学力テストと呼ばれるようになり、それにつれて事柄の性格も変ってきた。調査なら競争は無用だが、試験には競争がつきもので、競争には順位がものをいう。一県だけにしろ、文部次官の口から順位が公表されたことにその間の変りようがわかる、云々。
 文部次官の明らかな“あおり行為”である。学テと勤評とは無関係などと口先でいってみても、これでは、どうにもならない。朝日の記事を、もう少し先まで追ってみよう。 
 ここ(愛媛県)は人も知る勤評発祥の地で、三十二年から三十三年にかけ教祖の激しい闘争が行われたことはまだ記憶に新しい。が、権力にはしょせん抗し得ず、当時一万人を越えた組合員も現在ではわずか七百人、その代り脱退者を中心 としてできた教育研究協議会が九千七百人の会員を擁している。「昼は輪転機のように、夜は採点機のように」しゃにむにテストに取組んできたこの愛教研の人たちの中にも「今は職員室でも教育行政や学テのあり方については、心配しながらでないと、ものが言えん。心配せんでも自由にものが言えるふんいきがほしい」ともらす者がいるそうだ。
 昨夏、(中略)テストの日に成績の悪い子を休ませたり、成績の悪い子と成績の良い子をならばせて、カンニングしやすいようにしたとかの事実の有無がやかましい問題になった。(中略)ある私立高校の教師が次のように語っているのは、やはり気になることである。
  「入学して間もない生徒がカンニングしていたので注意したところ、『中学では先生も黙ってさせてくれた。おれがカンニングせなんだら、クラスの平均点が下がり、先生の点数も悪うなるぞな』とさかねじをくわされた。」
 研究の自由のないところに、学問も学問精神もそだたない。教育の自由、教師の人間としての自由のないところに、教育の名にあたいする教育はおこなわれえない。したがって、国語教育も――である。
 ともあれ、生徒諸君に「先生の点数」を気にしてもらわなければならない(?)ような、そのような教育体制――テスト体制・勤評体制は、体制そのものとして“狂ってる”というほかないだろう。こうした学テ・勤評体制下、国語教師に要求されるのは巨視的な視点である。国語教育以前の広い視野に立って自己の実践を評価し、そのような自己評価において、主体的に明日の実践の方向と道筋を見さだめる、という態度と姿勢である。

   要求水準を低下させるな    

 勤評といえば、この11月16日には都教組の“勤評反対休暇闘争事件”について、東京高裁から二審判決がいい渡された。全員無罪の東京地裁の一審判決をくつがえして、懲役刑をふくむ「全員有罪」のきびしい判決である。「この判決がまかり通るなら公務員のスト権を学説的に賛成する学者も逮捕しなければならない。争議行為をあおるのがいっさい違法なら、いま、わたしの発言も処罰対象にならなければおかしい」云々。
(小川日教組副委員長談)
 一方、文部省では16日に次のような初中局長談話を発表している。「この判決があったのを機会に、さらに今後、違法行為のないよう教組に反省を求めるとともに、教育委員会に対し、教職員への指導を強化するよう行政指導する考えである」云々。
 文字どおり、緊迫した状況・情勢である。日本の教育は、いま、岐路に立っている。立たされている。国語教育だけが例外であるはずはない。今は国語教育の危機である。その危機が危機として映らないのは「国語屋」的感覚の持ちぬしだけである。
 ことばをかさねるが、危機である。「甘くなるな」と先刻自分に言いきかせたのも、そのことに関係している。
 東条の不吉な顔を引っこめさせたぐらいのことで相好を崩すんじゃない。負けるのになれっこになったせいで、最近とみに私たちの要求水準が低下してしまっている、と言ったのも、そのことに関係してである。要求水準を低下させてはいけない。低下させることで事態は悪化こそすれ、けっして好転はしない。これは歴史の教えるところである。
 ところで、この要求水準の問題について、乾孝氏から示唆にとんだ話を聞いたことがある。「名前をいえば、ああ、あの人かとお思いになるような、戦前からの革新陣営の闘士の話なのですけれど、戦後十年もたって、久しぶりに官費でメシを食うようになった。つまり検束されたわけですよね。
(中略)そのまわりに若い学生諸君がやっぱり宿泊していたんですけれど、あの人たちがみんなで、その人の名前を唱えてバンザイなんて言うんだそうです。そこで戦争前から闘士であるその人は、あがってしまって何も言えなかったというんです。というのは、戦前だったら、そんなこと言われては半殺しの目に会ったものです。だから、まわりの歓迎に対して返事をしていいのかどうか迷った、というんです。その次、取調べにきたのが『具合のわるいことは言わなくてもいいんですよ』と言う。黙秘権があるということを、ちゃんと言ったというんですね。これで彼は、『何て日本は進んだんだろう』と感動しちゃったというんです。」 「しかも留置場の生活というのは、まるでホテルのような結構な生活でね。自分の家にいるより、よっぽどよかった、というんですよ。ところが、翌朝びっくりしたことは、まわりの若い諸君がミソ汁がぬるいとか何とかいって、すごい勢いで抗議するんだそうです。オレは完全に立ちおくれた、と思ったそうです。それ、わかるでしょう。つまり彼は、ずっと抵抗しつづけていたわけですよ。ところが、それだけにもう要求水準が下ってしまったんですよね。『具合のわるいことは言わないでいいですよ』と言われるとホロリとしたり、ちゃんと朝メシが出てきたりすると感動してしまったりして、汁がさめたりしているということは、うっかりしてしまう。」 
 「ところが、まわりの若い諸君は、自分の家でそんな毎朝、熱いミソ汁飲んでるかどうかわかったもんじゃないのに、ああいう所で出されると、バッチリと注文を出すわけです。こういうのが、つまり戦後派の飼いならされ方というもんです。抵抗してるんだけれども、相手の型にはいっちゃってる。自分の抵抗しているつもりの、その相手の土俵にいつの間にかはいっちゃってる。相手の戦術を自分の戦術にする。相手の自尊心を自分の自尊心と取り替えてしまう。どうも、こういうことがあり得るということを ちょっと言っておきたかったんです。」
(63年8月・法政大学心理学研究会・夏期公開講座・第一日の速記録による。)
 戦前派、戦後派それぞれの飼いならされ方、ということである。闘争の中での飼いならし、飼いならされ、ということなのである。そこで、たとえばの話だが、読解ないし鑑賞教材として教科書に掲載されでいるこの 作品は、しかし、どう考えてみても使いものにならない、というような場合がある。その 部分をカットしたのでは感動が湧いてくるはずがない、というような、そのような部分・部分がこの教材ではカットされている、というような場合である。
(たとえば、No.84・86のこの欄の引例参照)
 つまり、どうしようもない教材なんだが、教科書にある以上使わないわけにはゆくまい。そこで、使うとすれば、どういう手順で扱うか、扱うべきか?……などという「教材研究」の姿勢なんかが、しらずしらず飼いならされた、また飼いならされることで低下した自分の要求水準を示すものなのである。



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