岐路に立つ国語教育
 熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集』より
国語教育時評 12 
民間国語教育運動66年度への期待  (初出:明治図書刊「教育科学 国語教育」1966年3月号) 


   時評というもの――私の場合

 頭の痛い一年だった。骨身にこたえた。初めは何がなし言いたいことが、うんとありそうな気がした。それで引き受けた。違算であった。言いたいことがありそうだ、と思ったことが違算だったのではなくて、言いたいことが言える、それをバッチリ言えると考えたことが違算だった、という意味である。思ったことを、思った通りに書いたのでは“時評”にならないのである。
 それに気づいたのは、仕事をはじめてみてのことである。息が詰まった。必要なのは、むしろ自分を抑えることだとなると、私みたいな我儘な人間は動きがとれなくなる。思考が停滞し空転して、ペンが走らなくなってしまうのだ。頭の痛い一年だったというのは、そういうことなのである。
 いきおい、原稿は〆切期日におくれがちになり、編集部には再々迷惑をおかけした。中身のことはこの際、言わないことにしよう。ともかく、こうして12回、アナをあけずにすんだのは、編集担当の石川孝子氏の広量と裁量よろしきをえたおかげである。と同時に、それは、読者諸賢による有形無形のはげましと突き上げが、私の遅筆にムチ打ってくれたおかげである。
 12月中旬現在で、いまこの稿にとりかかっているところだが、既刊10回の私の時評について、未知の方々から五百通あまりのアドヴァイスと激励の手紙を頂戴した。深い感激である。私の時評にもし多少とも現場の声を代弁しえたような点があったとすれば、それは、こうした便りをよせてくださった方々のおかげである。かさねて感謝を――。

   この一年をふり返って

 なにも今年にかぎったことじゃない、いつの年だって同じことさ、と言ってしまえば、それぎりの話になる。が、今年ぐらい、明るい話題と暗い話題がかさなり合って同時に現象したような年も少ないのではないか、と思う。とりわけ、民間国語教育運動の面に関して、そのことが言えるのではないのか。
 教科研国語部会の機関紙「教育国語」が65年8月に創刊され、その後順調に号をかさねているという以上に、号を追っていっそう内容が充実されて行っているということなどは、この明暗二相の“明”の部にぞくすることだ。その表現理解の方法論の面に関しても、作品表現本来の場面規定をおさえてという方向での、理論の発展が今年度において見られるのではないのか。今後の、いっそうの発展を期待したい。
 また、先ごろ、児言研が「その機関誌
(「児言研国語」)を広く全教師に開放する」(杉山明男氏)という姿勢で、65年11月刊のNo.6から誌名を「国語教育研究」と改めたということなども、(後に述べるように、改題と見合うような内容のものに発展していることとあわせて)今年の明るい話題の一つだ。
 児言研といえば、この欄でふれるべくしてふれる機会をもてなかった、横浜・奈良小のメンバーによる労作『言語要素とりたて指導細案
(明治図書刊)のことである。児言研の一翼をになう奈良小グループの、この具体プランの展開は、読解面の指導に関して深い掘り下げをおこなった、小林喜三男氏の一連の労作(本誌ならびに「児言研国語」の各号参照)とあわせて、(たんに児言研内部だけのこととしてでなしに)広く民研の理論的財産目録に多くの項目を追加したものとして、大きく評価されねばならないだろう。
 また、これも、ふれる機会をもてずにいたことの一つなのだけれども、文学教育面における文教連メンバーの活躍は注目される。なかでも、本誌の連続講座や『文学教育入門』
(明治図書刊)その他の著作活動に示された、文教連中央常任委員西郷竹彦氏の精力的な活躍ぶりは目をみはらせるものがあった。
 さらに、日生連がその“生活教育”の主張を、国語教育の面にまでつらぬこうとしはじめていることは注目される。とりわけ、その国語部会のチューターと目される、荒木繁氏が『文学の授業―その原理・課題・方法』
(「生活教育」別冊・10月末刊)その他の論文において掲げた批判的な提言は、(その提言が“生活教育”の主張とどの程度実質的な関連性をもつかは今は論外として)文学教育理論面での今年度の大きな収穫ではなかったかと思うのだ。(本誌前々号拙稿参照。)
 
もっとも、これは私見にしたがえば―― の話である。その論理については、意見と評価は人さまざまだろうと思う。が、論理の問題をあくまで論理の問題として追究し、着実な学問的論証と実践の検証に媒介されたその批判は、ただの、“批判のための批判”ではなくて、確実な実践の方向を明示していて十分建設的である。ことば尻をとらえてイチャモンをつけ、ちょいと凄んでみせる式の、お寒い批評・批判も少なくない中で、(古風ないい方になるが)一服の清涼剤である。
 
さて、明暗の“暗”のほうのことなのだが、ここまで書き進めてきてみて、何かこのほうのことには触れたくなくなった。答は、お互いの胸の中にあることだ。要するに、民間教育研究団体が相互に、もう少し友好的になれないものか、ということだ。おまえに言う資格はない、とおっしゃる向きもあるようだが、だったら、どうか、この発言を熊谷の発言だと思わないで、「ことば」そのものを現状況とつき合わせて検討ねがえないものだろうか。
 好きになれないヤツ、虫の好かないヤツの言うことでも、採れるところがあったら採ってやろう、というぐらいの度量をもって耳をかしてもらえないか、という意味である。
 というのは、あまりにも非常識な、反民主的な動きが私たちの現場の内外で日ましに激しくなってきている、ということがあるからだ。たとえば、
(それは氷山に一角にすぎないが)中央公論」65年11月号の〈春夏秋冬〉欄に掲載されているようなことが頻発しているからだ。
 ――青森県尾上町、市浦村などの教委が日教組講師団と民間教育団体のリストを管内の小・中学校に配布し、「このリストに関係した図書や雑誌を教師が読むのは好ましくない』という趣旨の通達を出した、云々。
 ――地教委から
“要注意”のレッテルをはられた講師団は八十二人、「進歩的」「急進的」といわれる学者、評論家もいるが、タレント教授として知られている五十嵐新次郎氏(早大)や作家の井上靖氏もまじっている。(中略)これらの人物、団体がなぜ“要注意”なのかははっきりしない。はっきりしているのは、このリストが日教組攻撃を編集方針とする某教育雑誌の記事を引用したものであることだ
 通達が出されたのは六月から七月にかけてだが、それ以後、リストにある学者の著書や団体の機関誌を学校図書として敬遠する傾向が出ているという。非合法出版物ではあるまいし、教師がどんな図書や雑誌を読もうが自由なはず。地教委の措置は教師から研究の自由を奪うものといえよう。現代は“焚書坑儒”の時代ではないはずだが、云々。


 「中央公論」の記事というのは、だいたい上記引用のようなものだ。ヒゲと羽織紋付姿の五十嵐新次郎氏までもが、“要注意”となると、もはや言うことなし、である。こういう通達をだす教委の方たちは、どうか、たまにはテレビでもご覧になって、五十嵐先生司会のクイズ番組でなり頭を使ってくださることのほうが世のため、人のため、教育のためになるように思うのだが。
 ともあれ、〈春夏秋冬〉子のいうように、何を読もうと、それは教師の自由であるはず だ。今はフンショ・コウジュの時代ではないはず である。しかし、はず は所詮はず であって、教育の自由を守る機関であるはず の教委の中には、こうして「教師から研究の自由を奪う」ような役割を演じているものもある、というのが、こんにちこの只今の
現実である。
 そうした結果は、民間がわの学者の著書や、民間教育研究団体の「機関誌を学校図書として敬遠する傾向」を現場の中に生んでいるのだ。そういう現実を前にしながら、民間教育団体自体が他の民間教育団体を反動団体よばわりして、民間団体相互間の連帯性を弱めることをやめないとすれば、そういう行為の果たす役割は一体どういう性質のものだということになるのであろうか。
 時評の最終回のこの機会に、かさねて提案する。みょうな人身攻撃や反動よばわりだけは民間教育研究団体の間では、やめようではないか。意見の違いは違いとして、もっと静かに話し合うようにしようではないか。相互理解と論理の規正を求めての、話し合いというかたちの静かな論争を期待する、という意味である。
 この稿が活字になるころには、第15次全国教研も終わっているわけだが、第14次教研・第三日のような愚
(本誌No.83・拙稿参照)をくり返さないことを――くりかえさずに終了していることを、切にねがうものである。

   読解・鑑賞の問題

 上記、児言研の「国語教育研究」の発刊
(改題)について私は、次のように語った。この誌名の改題は、「児言研の運動が、いまや、自己主張の段階から普及と組織の段階へと大幅に発展してきていることを示すものである」云々
(「“国語教育研究”発刊によせて」)と。
 訂正する必要は認めないが、いま、改題第一号
(つまりNo.6)の全貌にふれて、つけ加えたいことがある。それは、「自己主張」することの中身そのものが「大幅に発展してきていることを示すものである」云々、というふうに――。というのは、この改題第一号の編集テーマは〈読みにおける分析・総合〉ということだが、菱沼太郎氏の提案をめぐって、このテーマについて討議がおこなわれている。高橋和夫松山市造村松友次林進治の四氏によってである。この提案と討議(意見)を読んで、そこに児言研理論の大幅な発展をふかく実感させられるのである。
 この号が「改題と見合うような内容のものに発展している」と先刻いったのは、たとえば、そういう点に関してなのである。時評の結びの話題をその点にしぼろう。
 「
“文章を読む”ということにからまるいろいろの問題が、まだ、ずいぶんとあいまいで共同理解ができていない」ことへの反省というか批判から、菱沼氏の上記の提案ははじめられている。はっきり言って実は私もその点に関して、児言研の人びとの間にどの程度共通・共同の理解があるのか、疑問としていたところなのである。さらに言えば、活字になって表へ出るものについてみると、「文章を読む」ということ、文章表現を受けとめる操作を「読解」ということば(概念・範疇)で処理してしまっているらしいことに、何かある割り切れないものを感じていた。
 それは、いわば、三枝康高氏の提案
(本誌65年12月号)に対する荒木繁氏の反問(同上・12月号)とあい似た姿勢における疑問であった。「ぼくは読解ということばがきらいである。ことに対象が文学であるばあい、なぜ鑑賞ということばを使ってはいけないのだろうか。(中略)いったい文学の読解と鑑賞とは同じなのだろうか。それとも文学を観賞するためには、文章の読解そのものができなくてはならないという意味で、それは鑑賞の前段階に位置するものであろうか。(中略)文学作品のばあいは鑑賞、論説文などのばあいは読解だと言っているのではない。論説文を対象とするばあいも、その論理をとおして著者の思想を把握し、自己の思想を形成していくという点で主体的な面が要求されることは言うまでもない。」
 「その意味で、論説文のばあいも読みとくという意味での読解だけで、論説文の教育がすまされていいわけではない。
(中略)読解ということばは、いったい誰が用いはじめたのであろうか。それは訓詁注釈主義教育ないしは解釈学的教育の名残ではなかろうか」云々。以上、荒木氏の所説である。
 菱沼氏の考え方が、このような
荒木氏の考え方とどの程度一致するものであるかは、第三者には判断しにくい。ただ、そこに発想の上でのある方向的な一致のあることだけは言ってよいのではあるまいか。上記、『文学の授業』という荒木論文のことが念頭にあるので、私にはそう思えるのかもしれないが。(本誌前々号の時評欄参照。)そのような一致にもかかわらず、〈総合よみ〉に関して両者の考え方がくい違いを生じていることは確かなようである。
(『文学の授業』参照。)
 〈総合よみ〉は、菱沼氏にあっては、いわば「文章を読む」もろもろの手段の全体系としての方法=方法体系を意味しているようだし、荒木氏にあっては、それは、いわばもろもろの方法の中の一方法以外ではない、というふうに考えられているようだ。三層よみの問題をも含めて、その辺の問題の解明が66年度の大きな課題であるように私には思われるのだ。
 が、ここでのさし当たっての問題は、「“文章を読む”ということ」を「読解」というふうなことでカタをつけることに疑問を提出している、という点で荒木・菱沼両氏の見解が共通の姿勢を示している、という点に関してである。
(菱沼さん。私のこの理解のしかた、つかみ方がもし誤解にもとづくものであったら、いつでも訂正します。念のため。)
 
ともあれ、児言研の「読解」理論について、児言研自体の内部から、基本的な反省が提出されたことの意義はきわめて大きいように私は思う。「文章を読む」はたらきに対するそのような反省を、菱沼氏は、文章を書くこと(文章表現)の機能に問題をもどして子細な検討を加えている。「彼の文学的形象は、素材としてのことばに定着しないかぎり、作者自身にもわからない」のである。作品形象は、むろん、「作者の発想・観点が下敷きになっているけれど、」しかもそれは下敷き なのであって、その表現(形象)は作者の意図をこえている。
 作者の意図をこえてその作中人物が「ひとり歩きできるような」小説でなくてはホンモノではない。「作者の操り人形にすぎない」ような人物が右往左往してる小説は、おそらく「ヘタな小説」だけだろう。このようにして、「作品を読むのを、作者の意図とか、主題をとかをとらえることと思っているような人々は」たとえば、「イデオロギー好きの人々」「教条主義の人々におおいのではないか」それを「作家の側からいえば、自分にあるイメージがあり、意図があり、それを手練手管で、構成して、ひとびとを同化させていくという啓蒙主義の人々に多いのではないか」ということになる。
 このようにして、“読み”と“読みの指導”の発想は、(1)読み手の主体を放棄した「追体験方式」を否定して、(2)「作者の意図がどうあろうとも、客観的に与えられている作品の発想のしかた、作者の観点を自らの立場から評価し、「自らの人生への構え、観点を変革」するいとなみとして枠づけられることになる。
 紙幅尽き不十分な紹介しかできないけれど、村松友次氏は、菱沼氏のこの論点をさらに一歩進めて、(1)書くことも読むことも「それは、自分を社会の中に投げこみ、そこで新しく経験しなおす」ことであるといい、(2)作者の側からすれば、作品を書くとは「読者と合作する」ことであり、(3)「作家は書くことによって、つまり社会の中に自己を置くことによって自己を変革することを余儀なくされ」るわけなのであり、「読者が作品を読むということの意味」も、実は「全くこれと同じはず」だ、という見解を披歴している。
 菱沼提案に接して、「ぼくは熊谷孝さんの“作者のうちなる読者の目”というようなことばづかいの意味がはっきりしてきた」と村松氏はいうが、
(大久保忠利氏のいわれる)論友、児言研の人びととの間に課題に関して共通・共同の理解が成り立ってきていることは、私にとっても真実うれしいことである。
 却説。長い間のご愛読、心から感謝――。



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