岐路に立つ国語教育 |
熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集』より
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国語教育時評 14 |
文学と文学教育 (初出:明治図書刊「教育科学 国語教育」1966年7月号) |
中村光夫氏の論点 先ごろ朝日新聞に掲載されて話題をよんだ、『文学は老年の事業である』(サブタイトル「青年解放の使命は終る」)という、中村光夫氏の文章はショックだった。中村光夫氏ほどの指導的な文芸評論家が、そんじょそこらの常識の上にアグラをかいて、こんな発言をしたことがショックだったのである。 出来、不出来は、そのときどきによって、だれにもある。お互いさまだ。だが、これは、ひどい。方向感覚が狂っているのだ。文学は老年の仕事であり、もはや青年解放の使命は終わったのだとすれば、私たちが文学教育にうき身をやつすというようなことは、どういう意味があるのか。カリカチュア――ただのカリカチュアでしかあるまい。 この記事が新聞に出た翌日、たまたま私は、ある職場作家たちの文学サークルで話をすることになっていた。「文学の伝統と創造」というテーマで――。私をよんで話を聞いてくれようという人たちの多くが、中村氏のこの文章を読んでいるだろうことを思うと、その席でなにがしかの意見を口にせずにおれない気持になった。家を出がけに新聞にハサミを入れ、その箇所の切り抜きをカバンにつっこんで会場へむかった。 当日、その席で口にした反論というか疑問みたいのものを書きつけることから、今月の時評記事をはじめることにしよう。もっとも、ここでの話題は、それを文学教育の面の問題に極力しぼって――ということになる。まず、順序として、中村光夫氏の論旨の紹介から。 明治大正文学を主体とした文学全集の刊行は相変わらずさかんなようですが、これらの文学が現代の若い読者にどれだけ訴えるものをもつか僕は疑問に思っています。「古典」として「教養」のためによんでおくが実はあまり面白くないというのが大方の本音ではないでしょうか。(中村氏・同上)引用のかぎり、格別とり立てて、どうということはない。そういうケースも十分考えられようかと、また私も思うのである。明治・大正期の近代文学が後世に――現代の若い読者にどれだけ訴えるものを持つか、云々。無媒介には訴えるものがない。少なくとも訴えるものの質が変わってきている、というのは、それが文学(文学作品)である以上、当然のことだろう。文学は無媒介には、生活と体験のわく 組みをこえて“永遠”なものではありえないから、という意味である。 いわば、それは、すぐれた意味における文学の宿命である。ことさら、日本の過去の近代文学は、(中村氏が同じ文章の中で語っているように)「同質の悩みを悩む青年にしか訴えない」文学であったのだから。それは、「同質の悩みを悩む青年にしか訴えない代わりに、彼らを全身的に動かした」そのかぎり いきいきした文学であったわけなのだ。 で、そういう文学を現代が必要としている面をもつかぎりにおいて“文学”として、それをこんにちに再創造するという課題が、媒介者としての文芸評論家、媒介者としての文学教師たちのだいじな仕事の一部になってくるはずだ。評論家(=批評家)や教師は、文学史研究と協力しあいながら、そういう課題に取り組むのである。(中村氏の批評の仕事に対する私自身のひごろの敬意も、多く、この面の氏の業績に関している。) だから、近代文学を読むことは読むのだが「実はあまり面白くない」というような感じが「現代の若い読者」の間にあるとすれば、その責めの一半は、今日の文学教育状況が負わねばならぬもののように私には思われるのだ。近代文学遺産の青少年へ向けての媒介的創造という、当然の任務を果たしていない現在の学校文学教育のありかた。いや、それをいうのなら、そのまえにまず指摘されなければならない、文学教育疎外の現在の教育体制と、そういう体制のいっそうの強化を必要としている、その背後の力etc.。 ところが、中村氏によれば、こんにちでは、もはや、「青年たちが文学にはけ口を見出さざるを得ないような圧迫を社会からこうむらなくなった」というのだ。そして、そのことが、社会の圧迫との闘いにテーマを求めた過去の文学に彼らが関心を示さなくなってきたことの原因(あるいは理由)だ、というのである。今は解放の時代だ、少なくとも青年たちにとっては、と氏はいうのである。果たして、そうなのか? 氏がそこにあげている例証は、青年男女の恋愛が今は「自由」になった、というようなことだ。少なくとも、あげられている「例証」は、そういうことだけである。 過去の文学は、「青年による青年のための文学」であった。しかし、こんにち、上記のような「青年の解放によってその使命を終った以上、小説を書くこと」が現代の青年にとっては、「金と名誉をつかむ」ための「売れる話」を書くこと以外でなくなってきたのは「当然」だ、というのである。そうだろうか? 果たして、そうであるのかどうかと問うまえに、中村氏の文章をもう少し全体にわたって紹介しておく必要があるだろう。過去の文学が「青年による青年の文学」であったというのは、(この規定に私も賛成なのだが)次のようななことだ。 その論点と批判(一) 明治・大正の社会は、文学の価値をみとめない社会であった。という以上に、文学を「排斥する社会」であった。「このような大人の冷眼にかこまれ」て、文学は、「もっぱら青年たちによる、青年のための事業」としていつくしまれ、いとなまれていった。「文学者たちは西洋の影響を身体いっぱいにうけた鋭敏な青年として、周囲の封建思想と闘い、自我の意識に悩み、それを素朴にやや性急に文学にしたので、その作品は周囲の同質の悩みを悩む青年にしか訴えない代わりに、彼等を全身的に動かした」のである。 「戦前までの日本文学が外国文学の思想の動きに、おそらく世界に数のない鋭敏な反応を示したのも、またそれが社会から孤立した狭い文壇という特殊な世界を形造ったのもそのため」だった。しかし、「このような文学の存在形態は戦後大きな変化をこうむ」った。「文学者、とくに小説家が有利な職業とみとめられ、作家が社会の良識の代表者として自他ともに許すようになった」が、「それよりも文学にとって根本的なのは、青年たちが文学にはけ口を見出さざるを得ないような圧迫を社会からこうむらなくなったこと」である、云々。 話がここまでくると、これはオッサン的な常識論である。常識論? ……困った常識、誤った常識を並べて組み立てた議論という意味である。こんにちの日本の青年たちは、それほどまでに底抜けに明るい「自由」を享受しているのだろうか? それは、まるで、「きょうも学校へ行けるのは、ヘイタイさんのおかげ」だか、駐留軍のおかげだかみたいな「常識」に通じる「常識」のような気がしてくるのである。 もっとも、中村氏が力をこめて主張しているのは、じつは、(1)こんにち、青年たちが「売れる話」の制作にうき身をやつし、そのために生じた「小説の非文学化」という現象からして、「それをすぐに文学の滅亡のように騒ぐのはおかしい」ということであり、(2)それは、「これまで青年中心にすぎ、“若さ”に執しすぎてきた我国の近代文学の全人化の一過程だと考えるべきだ」というようなことである。この意見は傾聴にあたいする。 氏の結論は、題名の示すように、(3)「文学はこれまで青年の事業であったのと反対に、老人の仕事になるのではないか」ということのようである。なぜなら――と氏はいう――「現在の社会で大部分の老人たちは、かつて青年がおかれたと同じ被害者の立場にいる」から、云々。「同じ被害者の立場にいるとまではいわなくても、昭和の文学の目指す大きな方向が社会性の回復である以上、生活の経験をつみ、そこからはなれた立場にいられる老人は、想像力だけで人生に向う青年より有利な条件のもとにある」から、というのである。 「今日の作家は四十、五十になっても、自己の芸術を完成できないのはもちろん、進むべき方向もはっきりつかめない」でいる。が、そういう彼らこそ、「社会性の回復」をめざす現代文学の担い手であり、事実、彼らはその担い手としての条件をそなえた、ほとんど唯一の存在であるはずだ、という論旨のようである。 つまり、中村氏は、社会性の喪失という点に現代社会の病弊と、現代を生きる人々に共通の条件をみとめているわけだ。もし、そうでなかったら、社会性の回復ということに、戦後現在の文学の課題を求めたりするようなことはないはずだから。つまり、そこでまた、現代文学のそういう課題意識なり使命感に立って、老作家たち(?)を激励しているのが、中村氏のこの文章だということになるのである。 四十、五十になっても「進むべき方向もはっきりつかめない」でいる作家たちに対する激励である、というかぎりにおいて、格別、賛成も反対も私にはない。が、論理に矛盾がある。論理とは歴史の要約であり、現実の要約である。つまり、氏の現実のつかみ方に矛盾があるのだ。論理と現実の事実とのあいだにミゾがある、といってもいい。こういうことだ。社会性と喪失ということが現代人に共通の疎外(=人間疎外)状況を示すものであるとすれば、青年だけが例外であるはずはない、という、その一事だ。 「被害者の立場」にあるのは、なにも「老年」「老人」にかぎったことではない。「青年」もまた「被害者」であるはずだし、事実、被害者なのだ。老人だけが解放された状態におかれていて、青年には不自由な社会(=社会状況)であるとか、また青年だけが自由でありえて、老人には不自由な社会というような社会状況が一体どこにあるというのか。 ――年老いて働けなくなるのに備えて、ぼつぼつ貯金しても、このごろのような物価上昇では、いまの十万円と三年後の十万円が同じ価値で通用しそうにないところに問題がある。もっと社会保障をと鈴木厚相に嘆願書を残して自殺した一老人の記事を新聞で読み、心の痛む思いをしたが、(中略)社会保障と物価高騰とがイタチごっこしていては、老後の暮しが楽になるはずがない。一般庶民の生活を真剣に考えてくれる為政者を待望むのである。(岸和田市・浮舟かず子氏――朝日新聞“声”欄・5月4日)これは、さし当たって、直接的には「老年」の(あるいは「中年」の)嘆きであり、怒りである。が、こうした疎外状況が、ひとり老人のものでないことは言うまでもないだろう。ここに語られている「老後」とは、中年の、そして青年の老後ということ以外ではない。浮舟氏のこの文章は、現代の疎外状況が青年たちを例外とするものではないことを物語っている。 ことばを重ねるが、老人が自由でありえない状態は、青年が自由でありえない状態と同時的に重なり合っている。老人も、また青年も、日本の社会という、同じ一つの独占資本体制下の社会を生きているのである。老人たちだけがこの社会の「被害者の立場」にいて、どうして青年たちだけが例外的に「文学にはけ口を見出さざるを得ないような圧迫を社会からこうむらなく」てすむのか。 またまた、くり返しになるが、そんなはずはないのである。ひとにぎりの老人たちだが、老人たちの中にも「加害者の立場」にいる人物が、そら、そこにいるではないか。 で、もしも、青年作家たちの作品に現代的状況(疎外状況)にふれるようなものが見あたらないとすれば、それは現代青年層の鈍感で低能な部分がブンガクに参加しているということなのであって、今日の青年一般が「圧迫を社会からこうむらなくなった」ということではない。現に、青年たちの多くは、それぞれの持ち場でこんにちの独占資本による直接・間接の「圧迫」と果敢に闘っているではないか。 その論点と批判(二) ――近ごろの青年は、むかしのように真面目に文学を求める気持がなくなったといわれますが、それは青年がそれだけ幸福になり、また健康になったのを意味するので、慶賀すべきことなのです。(中村氏・同上)どうにも、いただけないのである。逆説だとしても、これは、いただけないのである。「近ごろの青年は」云々――俗論である。俗論を前提にした議論はまた俗論でしかない。 「近ごろの青年」が「真面目に文学を求める気持がなくなった」のだとしたら、たとえそれが「教養のため」だけのことにしろ、近代文学の全集に眼を通すというようなことをするだろうか。何を好んで「あまり面白」いとも思われない作品を読みあさることをしようか。 それは、やはり、文学に求めるものがあっての模索と取るほうが、すなおだろう。さらにいえば、こういうことにならないか。それは、自分の求めるものが現代の文学の中にさがし当てられないから、眼を過去に向け変えたのだ、ということに――。いいかえれば、現代の文学は「現代の若い読者」の要求をみたしていない、ということなのである。読者は絶えず前へ前へと進んでいるのに、創作のほうがそれに追いつかない。新しい地づらが要求する、新しい図がらはまだ生まれていない。そういうことなのではないかと思う。 「近ごろの青年」に文学をまじめに求める気持がなくなったのではなくて、「近ごろの青年」が文学に対して求めるものの中身が戦前や戦後の一時期とは違ってきている。つまり、そういうことなんだと思う。それを、青年が「解放」され、「幸福」になった結果だなどというのは、これは保守党最右翼のオッサン議員のセリフ同然である。 「近ごろの青年」が文学に求めるものが違ってきている、というのは、これは当然のことである。中村光夫氏のような良識の人をさえ、自由の幻想のとりこ にするような一面を持つかと思えば、愛情の表現にまで「骨まで愛して」ということばがとび出すぐらいに、骨のズイまでしゃぶってみせることもやる、緩急よろしきをえた、リモ・コン・システムのこんにちの人間疎外。しかも、疎外の黒い手は必ずしも可視的ではない。そういう中で、自己と闘い他と闘いながら傷つき、苦しんでいるこんにちの若い人々の文学に対して求めるものが以前と違ってきているのは当然のことだろう。 紙幅尽き話を飛躍させるが、こんにちの、この疎外状況の中で人々が文学に対して何を求め、文学はまたその要求に対してどう応えねばならないか、という、そこのところに思いをひそめることなしには文学教育は不発に終わるだろう、というのが私の実感である。小中学生を指導するような場合にあっても、そうなのか? むろん、である。文学教育は、すぐれて子供たちの未来へ向けての教育活動だからである。そこでは、子供たちの未来像(=成人像)が究極の対象なのである。 意を尽くさない。文教研著『中学校の文学教材研究と授業過程』(明治図書・6月刊)所掲の拙稿について詳細ご承知いただきたい。 |
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