岐路に立つ国語教育
 熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集』より
国語教育時評 9
国語教育の自由のために
  (初出:明治図書刊「教育科学 国語教育」1965年12月号)  


    “戦後二〇年”の意味

 本誌前号と前々号のこの欄の記事に関連して、補足と注を各一つずつ。
 まず、前号
(『岐路に立つ国語教育』)のことから――。こんどの歴史教科書の改定と、その改定に見合うようなかたちの教育が実施された場合、いきおい国語教育もかなり大幅な方向転換を強いられることになる云々、という意味のことを書いた。そう書いたことで、改定前の教科書や教育課程は「よかった」「まともだった」とでも言ってるように取られることを、おそれるのである。あるいは、以前には自由な教育ができたのに、これからはそれができなくなる、と言ってるみたいに理解されることを、おそれるのである。
 じつは数年前に教育課程の改定がおこなわれた際にも、その改定に反対する声の中には、まるで、「現行の教育課程はまともなんだが……」と言ってるみたいな印象のものが少なくなかったわけだ。こんどの場合も、そういう印象になるのが、こわいのである。
 印象だけの中はまだしも、本気でそんなふうな考え方をするようになるのを、おそれるのである。戦後の教育のあの自由な状況と、最近のしめつけられ痛めつけられた教育状況――といった、異質なものを対比するみたいな考え方はうまくないな、と思うのだ。じつは、たんに、段階の相違を示すにほかならない、一つながりの政策状況を一つながりのものとして理解(把握)せず、自由の幻想を真実の自由ととり違えることが、こわいのである。
 この幻想を裏返しにすると、戦前・戦中の暗さにおもいを致すような場合でも、ひたすら「明るい」現在との対比の中で、暗かった 過去を思う、というだけのことに終わりがちである。それを、たんに、過ぎ去った日のことと考えることで、こんにちこの只今の情勢・状況を「急激な反動化」として評価することで判断を誤るのである。
 私のこの発言が、“近代一〇〇年”“戦後二〇年”の論争とどういう関係をとり結ぶことになるかは自分でもよくわからない。私も、むろん、“戦後二〇年”を評価するし、“戦後二〇年”の主張に深く共感する。ただ、“戦後二〇年”のこの“自由”が、戦前の天皇制などとはくらべものにならないぐらいに大きな力と、“洗練された”人心操縦の高度の技術をもった、帝国主義の政策と一定の函数関係に立っている側面を見おとすことのないように、というまでのことである。
 以上が一つ。第二に――この号の別欄に、『民族とことば・民族のことば』
〈注〉という雑文を書いた。本誌前々号のこの欄に書いたこと(『すこし論理がなさすぎる』)に関連する文章である。お読みいただければ、しあわせ。〈注〉 P98参照)

    タイムリーな二つの特集

 上記の別稿を編集部へ届けたあと、筑摩書房の「国語通信」9月号と、三省堂の「国語教育」10月号の寄贈をうけた。
(以下、「国語通信」9月号を筑摩、「国語教育」10月号を三省堂と記載。)筑摩のほうは、<テストとテスト体制>について特集をおこなっている。三省堂のほうも、やはりテストの問題にひとつの焦点をすえると同時に、「教養主義という従来の慣習の沼に浸った読書指導のパターンを、まず破るところから“読書”を考え」よう(編集後記)、というねらい の特集(『現代的状況と読書』)をおこなっている。
 双方一読して、たいへん感銘をうけた。現在の国語教育の問題点をズバリいい当てたものになっているのだ。さいしょ、私はこの号では、国語教育界にまたもや黒い霧をつくり出しているとしか思えないような、ある民間教育誌の論文をとりあげて、それを中心に書き進めるつもりであった。が、上記の二誌を読みつづけている中に、むしろ、その論旨を跡づけ紹介することのほうが、時評としてずっと意味のあるものになりそうだ、というふうに思えてきた。急きょ、テーマを変更する。
 これらの雑誌には、定価20円とか30円と裏表紙に書いてはあるが、一般市販の雑誌ではない。読者の範囲が限られている。それに、直接の読者対象が中学教師向けとなっているので、小学校の現場人は、ほとんど読んでいない。というようなこともあって、ここでぜひ紹介したい。それを紹介しながら、関連事項について二、三問題を拾ってみることにしたい。

    名作主義をこえて

 九月末の、某放送局の番組編成会議で、
(その日の会議は、小学生向けのテレビ・ラジオ番組編成のための専門委員会であったが)、委員のひとりであるF氏が、放送局側で示した年間番組予定リストの原案を眼にしながら、こんなことをいっていた。「このリストをずっと見渡して、ぼくは感心したんだがね、小学生向けだの中学生向けというと、きまって顔をだす、漱石の『坊ちゃん』、鴎外の『高瀬舟』、有三の『路傍の石』、直哉の『小僧の神様』『清兵衛と瓢箪』といった、お定まりの名作物がはぶかれていることですよ。これは、ひとつの見識だな」云々。
 じつは、これは、ひどくとぼけた話なので、たしか一昨年あたりまでは、この「お定まりの名作物」がズラリ番組に顔をそろえていた。それを、このFさんあたりが先頭に立って、この定例会議で変更をおこなった、という記憶が私にはあるのだ。こんどの会議では、アンデルセンの『マッチ売りの少女』を引っこめさせることに成功していたようだ。ずいぶん、とぼけた仁だ。
 が、それはともかく、紋切り型の
(というのは、上記、教養主義的な考え方の慣習からくる)名作主義は、国語教育ないし国語科文学教育の面でも、もうそろそろ考えなおされていい時期ではないかと思うのだ。誤解をさけていえば、『清兵衛と瓢箪』を教室で扱うことが無意味だ、というのではない。慣習的な惰性による名作主義が問題なのだ。
 大河原忠蔵氏のことば
(「日本文学」64年10月号)を借りていうと、文学教育は、「なによりもまず、子どもたちに、自分たちをとりまいている外部の状況と、それに対する内部の状況を、文学的に認識させることに、主力をそそぶべき」だろう。「文学作品埋没型」の指導におちいっては、おしまいだし、子どもたちが現実に置かれている「状況」を無視した、(その作品が“名作”だからとり上げるという方式の)名作主義にすべっては文学教育の目的喪失である。さらには、名作は一応「常識」として知らせておく必要があるから教える、というふうなことになっては、それは、もはや、文学教育でも何でもない。
 黒沢浩
(東京・烏山中=三省堂)は、いっておられる。「国語教師が依然として名作主義、良書主義であり、中学生の認識の発達に即した適書を選ぶことを怠ってはいないだろうか」云々。――中学生に関してだけの問題ではない。小学生の指導上の大きな問題点でもあるわけだ。いわゆる名作、いわゆる良書に対する関心もさることながら、「教師がまず生徒向のと書を読み素材を知ることから指導法を考えたい」という黒沢氏の問題提起には傾聴すべきものがある。
 教師が、「生徒向の図書を読み素材を知ること」の必要は、お座なりな名作主義から足をぬくためにも大いに強調されねばなるまい。同時に、子どもたちの読書への意思と意欲をかき立て確かなものにするためにも、である。素材を知る? ……むしろ、素材の発掘と発見、開拓である。

    テスト体制と国語教育

 子どもたちの読書意欲が全般に低下しているということは、こんにちでは“定説”のようである。上記、黒沢氏の文章は、「ちかごろの子どもは本を読まなくなった、ということがよく言われる。たとえば……」ということばで始まっている。同誌同号に掲載の今村秀夫
(東京・落合二中)の文章の書き出しも、「テレビとテストに追い回される子どもたち、ということが問題になっている。すでに三年生などは受験準備のために」云々、となっている。やはり同じ号の森田善太郎(東京・青戸中)の文章は、氏の現場の中三の生徒たちの30パーセントもが「本を読む気がしない」心的状況にあることについて、「現今の中学生を被っている無気力ムードの表われであろう」と報じている。
 「テレビとテストに追い回される子どもたち」――テレビのほうはともかく、テストに追い回されているのは、ところで、子どもたちだけではない。「事情やむなく、やや受験臭もある国語授業をしている」嘆きを、森田氏は語っておられる。「教科書教材の読解、研究の手引き、ことばの学習、ワークブック、準拠テスト、ときに文学教材が出て来ても、主題はどう、段落はどう、登場人物の心理はどうといわば通りいっぺんの国語技術的学習に終始」している自分であること、「いろいろと結構なやり方があることも知らぬではないが、正直これでせいいっぱいである」こと等々々。テスト体制のおそろしさを思わされる文章ではないか。
 「一体、こういう事はどうしておこって来たのか。誰がおこしているのか」と、『国語通信』の時評子
(筑摩・巻頭)はいう。
 ――いろいろ原因はあろうが、重要な一つは経済の高度成長にともなって生まれて来た新しい立身出世主義だといえよう。これをあおりたてている勢力に「教育ママ」群があり、試験と少年非行は今日段階では直結し、少年非行の母胎は教育ママにありという指摘もある。
 もうひとつ教師をあおり立ててテスト旋風をおこさせているのは文部省である。文部省が愚劣な非教育施策を権力を肩に強行していることは、まぎれもない事実である。悪名高い学力テストもその一つ。(中略)一体、文部省は誰のためにこういうテスト強行をやっているのか。いうところの(1)教育施設の改善のため、(2)教育課程の改善のため――は、実際にどれだけ生かされて来たか。皆無という外あるまい、云々。
 教育以前が教育を支配し、国語教育以前が国語教育のありようを縛るということは、こんにちでは、もはやたんに論理一般の問題ではなくて、事実の問題である。桑原作次(『テスト体制の思想』=筑摩)は、テストが教育を支配し、テストがあって教育がない、こんにちの日本の教育の異常さについて鋭い批判の眼をむけ、「テスト体制によって日本の教育は骨のずいからむしばまれつつある」といわれる。そこでは、「テストにつよい子が教育の目標」とされ、「テストがなければ勉強しない子が育っている。」
 また、そこでは、文部省の『日本の成長と教育』などに典型的なあらわれをもつ能力主義的教育思想がテスト体制を助長している。「“能力に応じた教育”という原則によって選択と差別を正当化」し、「このような差別主義が選別の手段としてテストを重視」する結果は子どもたちの人間疎外をそこにもたらすのだ、と桑原氏はいわれる。
 とりわけ、「学テ体制下の教育の荒廃現象は全国的な問題」になってきている。それは、「勤評体制と結びつい」た、「テスト成績の順位競争体制による教育統制強化の政策」にほかならない、云々。さて、このような教育の体制のもとで、子どもたちはどんな人間に育っているだろうか。――この点に関して、桑原氏があげておられる事例
(第14次全国教研・兵庫県報告の中学生の詩)は、私たちに深い反省を要求している。
おれの心は人間の心じゃない
受験生の心だ
にらみ合い
かくし合い
人を無視し
人が脱落したとき
おれの心はわらう
おれはこんな心をもちたくない
だが もたなければおれが脱落する
だから おれはもっている
だけど おれは……
 桑原氏は語っておられる、この詩は、「“学力向上”の名において、“人間の心”をゆがめている凶悪なテスト体制の非人間的な力に対する呪いの声である」と。

    文学教育への要請

 井上正敏
(『学力テスト問題解決の道』=筑摩)も、福岡県教委の学テ全面中止の問題にテーマを求めながら、「国語の学力ということ」について次のように語っておられる。  
 ――ペーパーテストによる○×式客観テストで測定されるものだけが学力のすべてではない。このようなテストでは、認識された知識の到達度は測定できても、それらの知識への志向性の測定は極めて困難である。知識に到達するまでに、学習主体が辿る論理的思考過程や、その速度や、到達すべき知識へのヴェクトル(方向量)や発想の独創性や熱意や意志の強弱などは、実際の学習活動そのものを観察することによらなくてはならない面を多くもっている。
 論理の構成力や情緒の形象力――定義や結論としての静的な知識ではなく、そういうものを産み出す過程やエネルギー――が、国語学力の重要な半面であることは、言語と思考や、言語と文学の問題として既に相当明らかにされて来たところである。
 井上氏のご指摘のとおりだと思う。とくに、次の発言は注目にあたいする。 
 ――限られた既知の結論を前において、それから逆にその成立過程をあとづけることだけでなく、主体を起点として、未知の結論をも方向として選び出したり、その方向へのエネルギーを獲得したり、そのエネルギーを組織していく側面――ことば の生産的機能を国語教育の内容として大きく持ちこむ必要がある。
 ――こんにち、詩の創作指導や文学教育の問題が国語教育の現場で活発にとりあげられるようになったのも、生産的創造的思考や文学的認識が必要とする発想や表出や構想に連なる、過程的形象造成力の回復によって人間性の全人的回復をはかろうとする平衡感覚の然らしめるところである。
 こんにち、権力の側の、論理(はなはだ論理的でない論理だが)と心理と物理による、あの手この手の妨害にもかかわらず、文学教育への志向と関心がようやく現場人全般のものになろうとしていることの意義と必然性を、氏のことばはよく言い尽くしている。人間疎外のこのテスト体制のもとでの、それは「人間性の全人的回復をはかろうとする平衡感覚」のあらわれにほかならない。
 また、こんにちこの只今における文学教育の必要は一面、「ことばの生産的機能を国語教育の内容として大きく持ちこむ必要」と結びついている。 そういうおりから、なんともキッカイな感じがするのは、次のような発言である。
 ――国語教育の中で受け取るとすれば、文学教育という発想は一考を要すると思う。文学教育と身がまえてしまうと、そのことは、「読むこと」、あるいは「書くこと」という学習とは、何か別の「文学教育」という学習領域があるかのような錯覚をよんでくる。私が、このように言うことは、教師個人として文学を語り、社会一般人として、文学教育を追求することを否定するものではない。(沖山光氏『書き手の立場に立った読解が欠如』――本誌・10月号)
 沖山氏のこの発言は、国語科文学教育を否定し、またいっさいの学校文学教育を否定したものである。そして、この発言はじつは、文学教育の発想によって書かれた現場人の実践報告(あえていえば、生徒たちの「人間性の全人間的回復をはかろう」として実践された授業の記録)に対する氏の「批判」なのである。何を意図してこういうことを書かれたかは、私の問うところではない。が、こうした論文の果たす「物理」的・「心理」的な現実の役割については、私には否定的な評価しか生まれてこない。理由はあらためて述べるまでもないだろう。


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