岐路に立つ国語教育
 熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集』より
国語教育時評 8
岐路に立つ国語教育
  (初出:明治図書刊「教育科学 国語教育」1965年11月号) 


  検定なのか、それとも検閲なのか

 「さすがは朝日だ」と取るか、「朝日でさえも」と取るかは読者各位の判断にゆだねよう。ともあれ、8月30日の朝日新聞(朝刊)は、中学校社会科・歴史の教科書の改定に具体的に示された、文教政策の偏向に対する国民の怒りを代弁した。その日の第15面のトップ記事「大きく変る“歴史”」がそれである。
 小見出しを拾ってみると、「文部省の方針反映」「東条首相が登場」「湯川博士はぶく本も」等々々。そして、そこには、来年度の教科書にのるという「遺児をはげます東条首相」の軍服姿の写真版が掲載されていた。来るとことまで来た、という思いである。
 記事にしたがって改定の内容を見てみると、こうだ。「文部省の検定によるこの改定教科書」では、まず、「生徒のいちばん目につく写真、図表が、大幅に削除されたり、入れ替わったりしている。」
 ある教科書では、「旧版にある“女工契約書”の写しがカット。欠勤したり、他社に勤めたりすると、十倍の金を返すと記された“女工哀史”の記録だ。
(中略)第一次大戦での山東出兵に反対した中国の排日運動、治安維持法反対のデモの写真が、いずれも姿を消した。また、“嵐に立つ滝川教授、自由の教壇を追わる”と、滝川事件を報じた当時の新聞記事の写しもはぶかれている。」
 第二次大戦以後の部分では、「図版の扱い方がガラリとちがう。旧版では、工場で働く勤労動員の女学生、麦やイモの配給を受けるモンペ姿の主婦たち、強制疎開で家財を運びだす住民といった三枚の写真が、戦時中の国民生活の苦しさを伝えていた。」新版になると、「これがそっくり消え、かわって軍服姿もいかめしく戦没兵士の遺児をはげます東条首相が登場」する。
 文章や表現は、どう変わったか。たとえば、“ファシズム”ということばがカットされた。旧版では、「ベルリン、ローマ、東京を結ぶファシズムの国々のつながりが出来た。」とあったのが、「ベルリン、ローマ、東京が結ばれた。」と改定されている。また、「戦争中の暗い生活については、“配給制度を実施して、国民を戦争協力にかりたてた”から、“生活物資が統制され、生活が苦しくなった”と、微妙ないいまわし に変わっている。」
(傍点=イタリック・筆者)
 戦後の部分では、「旧版にあった湯川秀樹博士のノーベル受賞の記述」がカットされ、また、自衛隊については、「このように再軍備が進むにつれ」云々の記述がカットされ、「それに反対し、いまの憲法を守ろうとする意見も強くなっている」云々の文がカットされるに至った。
 さて、朝日のこの記事は、次のような、文部省の担当教科書調査官の見解を掲げて結びとしている。「旧版では同じ傾向の、たとえばデモの写真などが多すぎたので、ほどよく精選しただけ。また、東条首相の写真は、戦争の時代をはっきり示すのに適当と考えて入れた。すべて、歴史の流れに忠実にそっているつもりだ」云々。
 歴史の流れに忠実にそうと、こういう改定になるのだそうだ。だが、学徒勤労動員その他「戦時中の国民生活の苦しさをつたえる」三枚もの写真に代えて、戦犯ならぬ軍服姿の英雄・東条を登場させることが、どうして戦争の実体を示すのに「適当」であるのか? その「精選」ぶりは、一体どこの、だれにとって「ほどよく」「適当」なものになっているのか?
 家永三郎氏によれば、いまの検定は「戦争を明るく書かなければ合格しない」しくみ になっているそうだが
(三省堂「国語教育」5月号)、どうして殊更に戦争を明るいものとして書かせようとするのか? こうした検定のしかたでは、文部省はまるで「戦争はカッコいい」とでも思ってるみたいな印象になってくるではないか。
 だが、それはまだしも、「戦争を明るく書かなければ検定が通らない」というようなことでは、それは、もはや、検定 ではなくて検閲 ではないか。
 デモの写真が多すぎたので、検定でカットを命じた、云々。東条の写真は、「適当と考えていれた。」つまり、いれるように命令した。――これでは検定教科書ではなくて国定教科書ではないか。
 さらに上記のことに加えて、教科書採択の問題がある。採択の権利は、直接その教科書を使って子どもたちを指導する教師自身、教師のがわにはない。むろん、親たちにもない。どうせ、タダなんだから、文句をいうな。
 さて、その 教科書がいったん採択と決まったら、内容の適不適・是非・良否は不問に付して三年間は使わなければならない……。どうやら、タダほど高くつくものはないようである。

  検窮地に追いこまれる国語科

 上記は、ところで、社会科・歴史の改定に関する事柄だ。直接、国語科の改定に関係した事柄ではない。だが、それがじつは直接的に国語の授業――国語教育のあり方と内容にひびいてくる改定であることが見すごされてはならない。
 早い話が、こうだ。先年実施された、(1)「道徳」の時間特設も、(2)そこでの教材としての文学作品の「利用」も、また、それにつづく、(3)児童・生徒用の道徳副読本の制定も、(4)その副読本における文学作品の大幅取材というようなことも、直接、国語科の改訂に関係した措置ではなかった。にもかかわらず、その結果は、直接、国語科に改訂を加えた以上の“改訂の効果”を上げた。
 例示すれば、「道徳」実施要綱のほうで、『くもの糸』
(芥川)という作品は、「利己的な行動を反省して互いに助け合う心持」を書いた作品だということにして扱え、という指示(刺激)を与えておくとする。(いや、じつはこれは架空の想定ではない。「道徳」実施要綱をみよ。)すると、その反応は国語科にもたちどころに現れる。
 全科担任制・学級担任制の小学校の場合でいえば、ひとりの教師が同じクラスの子どもたちを相手に、「道徳」の時間には、その作品をそのように 扱い、国語の時間になると急に手のひらを返すみたいにして、それを文学として扱う、というような器用なまね はできない。教師には
(――教師である以上)そんなインチキなまね はできない。いきおい、国語の授業・文学の授業は道徳づいたものになってこざるをえない。道徳教育への国語教育の従属という状況がそこに生まれる。〈注〉
〈注〉 拙稿『文学教育の展開』(国土社『教育実践講座』第二巻)、『文学教育と道徳教育』(明治図書「道徳教育」No.34)、『文学教育と道徳教育』(三省堂「国語教育」No.65)、『文学教育の現状と問題点』(岩波「文学」63年10月号)など参照。
 社会科・歴史のこんどの改定が国語科におよぼす作用も、やはり同様のものがあるだろう。改定にしたがって、“明るい日本の社会”がそこに強調され、民衆の“苦悩の年鑑”がその明るさのかげに隠されているしくみ になれば、どういうことになるか?
 『トロッコ』
(中一・国語――芥川)の主人公の、あの絶望と隣り合わせの気持ちなど、神経症患者の異常心理をいいあらわすにすぎない、ということにされてしまうだろう。
 つまり、現実の暗さを暗さとして反映し把握したところに生まれる作品の暗さも、そこでは作者その人の、あるいは作品の主人公のノイローゼのせいにすり替えられてしまう、ということなのである。
(こういう理解に手助けを与えるみたいな、生物学主義や精神分析一辺倒のインチキ芥川論がいかに横行バッコしていることか。)
 『屋根の上のサワン』
(中三・国語――井伏)の主人公の「くったく」した思いにしても、同じことだ。それは、異常神経による特異な精神状況を示すものである、というようなことにもなりかねない。もっとも、この井伏作品の場合、指導書などによれば、「(この作品は)主人公が動物であるために、生徒にとって非常に親しみのもてる作品」になっている。そこには、「作者とサワンの交情がいかに細やかに、美しく描かれている」ことか云々、というふうな解釈になっている。
 つまり、(1)無知のゆえか故意にか、主人公を動物(サワン)にすり替え、(2)作ちゅうの“私”と作者との混同・同一視に立ち、(3)(引用は省略するが)この作品を“動物愛護”と“利己心のいましめ”のモノガタリだとして生徒に印象づけよう、という措置 がとられている。いや、生徒にそう印象づけるという先に、これは本来そういう作品なんだという暗示に教師をみちびこう、という、そういう措置 なのである。社会科・歴史の上記のような改定は、今後ますます、そういう措置を深化し拡大化し国語教育全般のものとするだろう。
 『トロッコ』に話をもどしていえば、周知のように、中一の教科書に掲載されている『トロッコ』は、芥川竜之介作とは書いてあるが、芥川の書いた『トロッコ』とは別のものだ。そういう措置 がすでにとられている。心臓部をえぐり取られ、ズタズタに改ざん されることで、この作者が自身に媒介し読者に向けて媒介しているところの、疎外された塵労に疲れた人間の姿
(その人間像こそ、この作品形象が保障する典型にほかならないだろう)は影すらとどめない。「塵労に疲れた彼」が、「全然何の理由もないのに」きまって思い出す、トロッコにまつわる少年の日の思い出――という回想の視点も、回想の必然性も、改ざん されたこの教科書掲載作品は欠いている。
 まったく理由もないのに、なぜかそこに回想されるあの日のこと、という、そのなぜ
(理由)が、おそらくはこの作品のハウプト・テーマに直結している当のものだろう。「なんの理由もない」――理由はなくはないのである。あえて誤解をおそれずにいえば、そのなぜ (理由)を自己につながる何かとして実感できるような人たちが、この作品の本来の読者なのだろう。あるいは、この作品は、そういう人たちの文学なのだろう。
 そこで、この作品の主人公は、「八つの年」の良平であるよりは、「今ではある雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている」「塵労に疲れた彼」であるだろう。つまりは、『屋根の上のサワン』における主人公のすり替えと同様のすり替えが、ここではもっとハッキリした形で行われているわけだ。
(教科書掲載の『トロッコ』の場合、それは八歳の良平を主人公とした少年小説あるいは作文以外ではないのだから。)それと同時に、『サワン』の場合の主題のすり替えと同様のすり替えが、『トロッコ』においては作品の文章そのものの改ざん という形でおこなわれている、ということなのだ。
 現場の声は、ところで、この作品の文章を原作のかたちに復元した上で、中三なり高校で扱うことにすることを要求している。
〈注〉 が、こんどの社会科・歴史の改定の実態は、そのような要求をおしつぶす方向に働いている、といわなくてはならないだろう。
〈注〉 明治図書「授業研究」No.12所掲の、『トロッコ』に関する西原栄穂・大島孜両氏の実施報告と、熊谷孝の分析など参照。
 私のいいたいことは、そこで、こういうことだ。私たち国語教師が“木を見て森を見ない”教科書教育主義にすべり、他教科の改定・改悪を“対岸の火事”視するような、職人的な、“国語屋”になってはおしまいだ、ということである。他教科の問題が同時に国語科の問題である、ということは、観念の問題ではなくて事実の問題である。その点を明確に意識し認知することが、教科別担当制の中学・高校において特に必要とされるもののように思われるのである。
 教科担当者としての教師の勝負のしどころは、“授業”である。勝負のしどころが授業以外ではないからこそ、その授業をゴマカシのないものとするために、教師は、“改定”という名の教育的改悪と闘わなければならないのである。ありていにいって、教師が自分で納得のいくような授業をするために、である。
 “闘う”といういようなことばは、本当は使いたくないのだ。話し合うことで、わかり合えるような相手だったら、としみじみ思う。ともあれ、教師という職業・職種は、人間工場の技術者・労働者だ。その最低ぎりぎりの任務は、目の前の子どもたちを人間のオシャカにしないことだ。その一線を守るためには、あえて闘うこともやらなけれなならないだろう、ということなのである。
 闘う? ……ヘンに道徳づいた授業はヤメにして、文学を文学として教える、国語を国語として教える、ということが、教科教師としての立派な闘いなのである。

  注目にあたいする林論文

 8月下旬に、季刊「児言研国語」No.5が発行された。<一読総合法における語句の指導>という特集を行っている。児言研自体の現在の課題意識からすれば<語イ指導>により関心があったが、「現場により密着したものを」ということでこの特集になったのだという
(編集後記)。そういう姿勢と関係があるだろうが、この号の編集は、すぐれた意味でのジャーナリスティックな感覚のものになっている。ということは、特集以外の論文も、それぞれにジャーナリズム(クリティシズム)に徹した問題把握になっているということでもある。
 たとえば、転載ちゅうの林進治氏の『私の体験した大正・昭和国語教育史』はこの号で第三回を迎えるが、圧巻である。「昭和五年に出されたこの案(東京高師方式の指導案)と、今日みられる指導案のあいだにどれだけのちがいがあるか」というふうな時評的な視点で、氏は過去を裁き現在を裁いているのである。あるいは、過去を裁くことで現在を裁いているのである。つまり、そんなふうに問題のつかみ方がいきいきしているのだ。
 児言研が正面きってうち出している読解理論は多分に難解だが、林進治氏のこの所説を読んでいると、その志向するところが共感とともにわかってくるから不思議だ。今なお人々の心にしみついている、形象理論や芦田一門の実践の形態を、これほど短いことばで的確に、具体的に批判しえた文章を私は他にしらない。一読をおすすめする。
 大久保忠利氏の『“コトバの規定性”を追って』は、「児言研国語」No.4所掲の荒川有史氏の所論
(『“文学のコトバ”をめぐって』)と、本誌7月号のこの欄の私の時評(『現場白書――付、大久保忠利氏とのディスカッション』)に対する批判・反論である。こと、私に対する批判に関していえば、それは、熊谷のいう「ことばの規定性」の「規定性概念の内包がゆれている」という点が批判の焦点になっている。
 「どうも、論は、すればするほど、ある時期までは、くいちがいだけが露呈する、という現象が起こるようだ。いまがその段階だと思う。こういうときには、その“くいちがい”を明らかにしておくだけでも、論の前進に役立つであろうと思う。だから、今はそうする。」
(大久保氏)これは、そういう姿勢の反論なのである。折り目正しく、かつ綿密で手きびしい批判であった。
 熊谷の所論は、「時評ランでの言及だったので、紙数を節約してしまっている」「もう一度、熊谷氏にもっと枚数をつかってのべてもらいたい」云々。
(大久保氏)ぜひ、そうしたいと思う。大久保論文を熟読し、もっとよく考えてみた上で、反省すべき点は反省し、なお反論すべき点があったら反論する、という形のものを他日書きたいと思っている。大久保氏の批判に対し深い敬意と感謝を――。


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