文教研のNです。 文教研秋季集会、四十数名の参加を得て、無事、終了しました。 今回は、ケストナーの三部作といわれる『雪の中の三人男』『消えうせた密画』」に続く『一杯の珈琲から』(小松太郎訳・創元推理文庫)を扱いました。 「オーストリアがドイツに併合された1938年にスイスで出版した作品」です。(作品を読み返すときの簡潔な場面規定としては、秋季集会プログラム呼びかけ文が最適です。http://wwwsoc.nii.ac.jp/gsle/42.syukisyukai/syuki.2007.html) この作品はちょっとしゃれたラブロマンスという印象を与えますし、また、ケストナーを愛好し時代を熟知した人にとっては「現実の日常生活から響いてくる政治的、社会的な不協和音に耳を塞いで……作中の人物を作者の趣味と愛情と憧れで塗りつぶしている」(「訳者あとがき」)という評価にもなっている作品です。 しかし、序の部分を丁寧に読んでいくだけでも、中心的な登場人物であるゲオルクの人間像、その描写の仕方の中に実は強い抵抗精神が秘められていることが見えてきます。三部作と呼ばれる他の作品より、さらに厳しい時代状況の中で、何としても(ある意味では小気味がいいほど)検閲の眼をかいくぐり、分かる人には十分分かるように描き出した世界。「ゲオルグ」という名前に込められたイメージ、「ファウスト」というあだ名の持つイメージ、五つの部屋に閉じこもるその「5」という数字が持つ意味、等など……。 この作品を読み合う中で、どうしても行き当たらざるを得ないことは、 I チューターがゼミの最後に言っていた「誤解を生む言い方かもしれないが、この作品を読むには〈教養〉がいる」ということでした。 今回、私自身最も「この世界が分からないともっと楽しめない」と思ったのは、何といってもモーツァルトの世界でした。 集会前、I チューターのアドバイスにしたがって『フィガロの結婚』『魔笛』『ドン・ジョバンニ』のDVDを購入しました。 (小学館DVD&BOOK「魅惑のオペラ」というシリーズの第T期01「フィガロ」05「魔笛」第U期01「ドン・ジョバンニ」を買い求めました。各巻3990円、「ドン・ジョバンニ」は08年3月末日まで3570円。私は中古で買いましたが、全く新品で一巻3000円でした。解説や歌詞の対訳などが冊子になっていて大変助かります。) ともかく楽しかったです。 特に「フィガロの結婚」に登場するスザンナは確かに、「一杯の珈琲から」のコンスタンツェとイメージが重なってきました。 モーツァルトの描く男と女の世界。 私のような「日本人的」な感覚からすると、まずはこうした素朴で明るいたくましい、そしてロマンティックな男と女の関係自体がもっともっと実感の中にこなれてこないと、「一杯の珈琲から」のような世界を楽しみきれないと感じたことです。 (「魔笛」は解説によるとドイツでは子どもにオペラを見せたいと思う親の入門作品のようなもののようです。確かに竜が着ぐるみで出てきたりしますから。我が家では5歳になる男児が、遊びながら聞いていました。無論全部を見てはいませんが、パパゲーノとパパゲーナのやり取りのところは引き込まれて見ていました。やっぱり楽しいのだと思います。) そして、そのたくましさの中にある抵抗精神。ケストナーの持つ抵抗精神と喜劇精神、モーツァルトの持つ抵抗精神と喜劇精神。 少なくともそこをまずは入り口にして、この作品をより深く理解していきたい。 そう思った集会でした。 そして、その後の例会で、 I チューターからは以下の、熊谷先生が提起されたジャンル論の課題が指摘されました。 (以下、「文学と教育」102号/1977.1、「ジャンル論(一)」より) 「……それから音楽と文学ですが、……文学好きの連中というのはほとんど例外なく音楽好きでしょう。文学趣味にあわせて音楽趣味も持ち合わせている、なんてんじゃなくてですよ。それで、どういうのがその人の“私の音楽”なのかというと、必ずと言っていいぐらいに、その人自身の“私の文学”と一致しているのですよ。課題的な、またムード的なある一致がそこにある、ということなのですけれども。」 「……太宰にとってのショパンというの、雰囲気とムードの一致がありますね。雰囲気の一致というのは課題の一致、芸術的課題の一致ですね。課題に一致があるから、あるいは共軛するものがあるから、そこにある共軛する雰囲気とムードが生まれて来る、ということなのでしょう。」 「(他のジャンルと異なる文学固有の課題は、人間の心理的なもの、思想性の追求にある、という意見についてどうか、という問いに対して)『戦場にかける橋』だとか『太陽がいっぱい』などの映画作品のテーマ・ミュージックですね。あそこにも、その時点、その場面における大衆の心情・心象風景の追求がありますでしょう。心情というのは、心情にまで融け込んだプシコ・イデオロギー、この場合、大衆の日常的なプシコ・イデオロギーのことでしょう。また、そういう意味での心理の位相、さらに言うと、思想の主体的な日常的位相のことですね。ですからどうも、(文学)固有という言いかたは避けたほうがいいように思うのですよ。」 こうした課題を追求していくのに、この作品はうってつけではないのか。 冬合宿には、この「一杯の珈琲から」をあらためて丁寧に読み直すことが予定されています。 【〈文教研メール〉2007.12.14 より】
(写真は Malte Korff “Wolfgang Amadeus Mozart”( Schurkamp Verlag Frankfurt am Main , 2005 ) による。)