絵本『かさじぞう』――みえてきた民話再創造の確かな視点
文教研のNです。
今年の秋季集会は千葉県館山市というかつて文教研集会の開かれたゆかりの場所で、文教研創立50周年記念集会として行われました。
テーマは「民話に学ぶ・民話を生かす――『かさじぞう』(瀬田貞二再話・赤羽末吉画)の魅力」です。
絵と文とが互いに支えあい、より深く語りかけてくるという意味で、やはりこの絵本の完成度は非常に高い、ということをあらためて実感しました。
表紙の絵、じいさんが雪の中を左に進みながら、後ろを振り向いています。
「じいさんは何を見ているのだろう、と思われませんか?」
そうした話題提供者の問いかけから、ゼミは始まりました。
扉絵には雪をかぶった地蔵様。
そして頁をめくった最初の場面では、笠を売りに行くじいさんと、そのじいさんに蓑を着せてやろうとするばあさんが、お互いの目と目をまっすぐに見て会話しています。手前にはじいさんが丹精込めた笠が生き生きとした面持ちで並んでいます。扇面に切り取られたその場面の地の色は暖かな薄い黄色です。
むかし、あるところに、びんぼうな
じいさんと ばあさんとあったと。
じいさんは、まいにち、あみがさを
こしらえては、まちに いって、
それを うって、くらしていたと。
あるとし、おおみそかが きたので、
じいさんは、
「ばあさん、ばあさん。きょうは、
おれ、かさを 五つも こしらえた
から、まちへ いって、しょうがつの
もち かってくる。ことしこさ、
いいとしをとるべな」というと、
ばあさんも、
「はい、はい。じゃ、ひぃたいて まってるから」といって、
じいさんが でかけていったと。 |
簡潔な言葉。そこには、余計な先入観を誘発する説明的なものがありません。
しかし、その無駄のない表現が、二人の隙間のない温かい人間関係、前向きに励まし合って生きるたくましい生き方を、読むものに彷彿とさせます。
頁をめくると、まちの市。
真っ白に積もった雪の上を、左のほうへ歩いていくじいさんに寄ってくるのは、尻尾を振ってついてくる黒い犬いっぴき。
後ろでは少しでもいい物を手に入れようと真剣に品定めする人が、じいさんにはまったく背を向けて描かれています。
こうして丁寧に文章と絵を読み進めていくと、例えば表紙の絵も、家を出たじいさんが帰りを待つばあさんの家のほうを振り返っている場面ではないのか、というイメージがわいてきます。
「かさじぞう」という題名、しかし、そこに描かれているのは、雪の中、笠を売りにいくじいさんの姿であり、その視線の先には家で待つばあさんの姿がある。そして、扉を開けると、雪を被ったお地蔵さんが。……おのずとこの本の持つ視点が鮮明になっていく感じです。
会場からは、こうした文章や絵から来る印象がそれぞれの方の言葉で語られ、確かめられていきました。
討論の内容は、教科書に載っている「かさこじぞう」(岩崎京子・再話)との対比や、小学2年生での実践経験などを含め、1961年という出版時点における昔話の再話、絵本としての再創造の問題にせまる興味深いものでしたが、それはまた機関誌にまとめられると思います。
ここでは、それ以外の面で、この集会で印象的だった場面をお伝えします。
それは進行を務めていた樋口さんが最後に、「かつて小学校の現場で格闘してきた嶋田さんが、今、小学校現場で格闘する若い島田さんへバトンを渡されたことに今回の集会の意味の一つが象徴されている、と私は思います」という内容のことを言われたことに重なります。
嶋田さんは話題提供者として問題提起すると同時に、「現場でやっていたときにはわからないままにやってきてしまったけれど、今はもっとこうしたらと思う。今日は同じ名前の島田さんがとても素敵な感性で発言されて、私がやれなかったことをやってくださるだろうと思う。」というエールを、“シマダつながり”を枕に発言されていました。
今回の集会の特徴はいろいろありますが、その一つは、現役の小学校の先生が14名参加してくださったことだと思います。
その方々が皆さん積極的に発言してくださいました。
現役の教員は、今、忙しさのためになかなか民間教育運動の担い手として働くことができなくなっています。
嶋田さんの発言はそうした中で集会を準備してきた会員の、率直な思いだったと感じました。
うそのない文学教育をしたいと願う若い教員は存在している、そこに種をまいていく仕事はたゆまず続けられなければならない。
そうしたことが体感できたという意味でもまた、深く印象に残る集会となりました。
安房の民話の語りを聞きながら始まったこの集会は、一冊の絵本を4時間近くかけて読み合ったわけです。
語り部であった庄司民江さんが集会後の交流会で、「こんな本一冊で3時間以上話せるわけがないと思っていたのに驚いた!」ということを、房州弁を交えて話され、大いに沸きました。そして「こんなに率直な先生たちがいるのだということにも驚いた!」とも。(ご自身は長いことPTAの立場で教員と接してきて、もっと違う印象をもたれていたわけです。)実際、意見が途切れることがなく、普段は結婚式なども行われるであろう広い会場が隅から隅まで活気でみなぎっていました。ある意味、房州の人の温かさと熱さに触れた集会でもありました。
【〈文教研メール〉2008.12.8 より】
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