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1■安房の民話の〈語り〉を聴く貴重な機会に恵まれ、本当によかったと思います。豊田由美子さんの「若(わけ)ゃー衆(し)の柿盗み」、庄司民江さんの「めらぼし」、どちらも聞き慣れない地方のことばで語られているのに、独特のリズムにのって、それぞれの話の世界に自然と引き込まれていきました。 お二人の、ことばへの愛情、〈語り〉にかける情熱の深さを感じました。このような民衆の生活の中で育まれてきた民話の、肉声による鑑賞ができたことは、後に続く「かさじぞう」のゼミの展開にも大きな支えとなったように思います。 ありがとうございました。(D.G.さん 男性) 2■一冊の絵本をじっくりと読み進める会への参加は久しぶりでした。 「かさじぞう」は、文もさることながら絵が素晴らしいです。最近、子どもに迎合するような粗雑な絵本が多く見られる中、是非、子どもの頃から、この本を見せてあげたいと思います。何十年も絵本を手にしながら、じっくりと検討する機会がありませんでした。地元でも、こんな機会があれば……と願います。(M.R.さん 女性) 3■今日初めての参加でしたが、絵と文章をじっくりと中身深く、感動させられました。日本の昔話や、民話等、孫達にもじっくりと伝えていきたいと思っております。心豊かな子供たちが最近少なくなってきているように思われます。ほんとに有難うございました。(N.T.さん 女性) 4■民俗学では“昔話”の登場人物は没個性の存在として描かれます。 じいさんとばあさんしか存在しないのも、子どもがいないのではなく、共同体を代表する人間として登場しているのではないでしょうか。彼らは自分たちを貧しいとは思っていず、あたりまえのこととして毎日暮らしていたはずです。確かに決してラクではなく歳を越せない暮らしですが、身近にある材料を利用して笠を編み町へ売りに行く、そういう細々とした生活の中で、あたりまえのように地蔵に手を合わせる――そんな共同体の構成員のひとりとしてのじいさん、ばあさんのイメージでしたので、信頼し合う関係とか人物像についての、今日のみなさんの発言には驚きました。作家による再話(再構成)+絵という媒介を通して、“昔話”ではなくなるのだと強く感じました。(K.Y.さん 女性) 5■金井さんの、表紙の見開きに描かれているじいさんの視線の先には何があるのかという提案を受けて、嶋田さんは「視線の先にはばあさんを見つめているんじゃないか」、森田さんは「戸口で見送っているばあさんを見つめているんじゃないか」と言っておられた。自分は全く気づいていなかった。考えもおよばなかった視点だったので「ああ、そうだったのか。いいもんだなあ」と驚いた。善意の想像力が深いと思った。 「かさじぞう」の「ああむごいことだなあ」というじいさんのセリフで面白いのは、じいさんが仏像の姿に人間の悲しみと、つらさ、さむさと同じものを見出している点だと思う。仏像に人間(じいさん)を見ている。仏像と人間とにわけへだてがない。同じ苦しみを味わうものとして共感し、行動している。仏像様に対して、共に吹雪のさむさに耐え忍ぶものとして、人間に対するのと同じ目線でいたましさ、いとおしさを感じている。そういう心ばえと目線を持ったじいさんだからこそ、佐藤さんのおっしゃっていたように「地蔵は生きている。生きて動いて」見えるのだと思う。いや、見えるのではなく地蔵にじいさんが生命をふきこんだのかもしれない。生きて見えるのではなく生きている。生きて動いている。たくましく生き、想像力のある人は、どんな時でも何にでも、心を、痛みを、希望を、動き廻る生命を見出せるのだなと思う。 島田さんの意見が素晴らしかった。地蔵様はなぜ自分たちが老夫婦にほうび(?)を与えるのか一切説明しない。またありがたい説教をするわけでもない。「どっこいしょ」と、ドーンと俵を置いて何の見返りも感謝も要求せずに背中だけ見せて帰っていく。非常にいさぎよくさっぱりしている。同感。私は、「かさじぞう」に出てくるお地蔵様は、尊敬、畏怖すべき仏というよりも、人間と同じ目線で苦しみ喜び共に寄り添っている「友」というような印象を受ける。「仏像が起こした奇跡」ではなく「現実もこの物語のようにならねばならない」という、じいさんに共感する、めいっぱいしあわせになってもらいたいという気持ちを持つ、名もない多くの真面目に働く方々の願いを感じる。 じいさんをばあさんが迎える絵がいい。手を伸ばして、迎え合っている。互いの存在と心をよすがに力強く苦労と貧困を乗り越えて生きてきた夫婦の道のり(?)を感じる。赤羽さんはたった一枚の絵でそれを表現できるのだ。 じいさんは笠をあげることによって、「共に生きよう」と行動で地蔵に語りかけている。(K.N.さん 男性) 6■内容の充実した話し合いで勉強になりました。 きめ細かい作品研究(教材研究)の方法が大変参考になりました。 岩崎作品[岩崎京子・再話「かさこじぞう」]は説明を多くすることによって、かえってイメージを限定するのではないか(逆にイメージを広げやすいという意見もありましたが)、という意見は、今後考えてみなければいけない課題だと思いました。(2年生の発達段階も考慮にいれて) 赤羽さんの絵のすばらしさをいろいろと教えていただきました。 山上さんの読み聞かせ――気持ちよく聞かせていただきました。 ありがとうございました。(H.M.さん 男性) 7■楽しく有意義な集会でした。絵本と教科書の違い、赤羽末吉さんの絵のすばらしさ、絵と文のつながり、語りすぎないことの大切さ、などについて、色々な発見がありました。(T.H.さん 女性) 8■私は小学校の教員をしていますが、最近は国語の研修をすることが増えています。そのような中、この文教研の案内を目にして、集会に参加することができとてもラッキーだったと思いました。 「かさじぞう」(瀬田貞二さんの再話)は、自分は勉強不足で、初めて読ませていただきました。自分で読む中で、また、話を聞かせていただく中で、じわじわと「かさじぞう」の魅力を感じることができました。民話の力強さや話の内容を深める絵、それが合わさってできたすばらしい作品だと思います。 最後に封筒に入っていた資料の中で樋口さんの書かれた「もう一つの房州方言」、とてもおもしろかったし、なるほどと思いました。普段から耳にしているのに立ち止まって考えることはなかったのですが、そういうことが大事なのだなあと感じます。 今日参加させていただいて勉強したことを今後に生かしていきたいと思います。ありがとうございました。(Y.M.さん 女性) 9■今日はありがとうございました。 最後の山上さんのお話、特に心にしみました。「文学、絵本を読むということは、今日、明日役に立つことではない。沈潜して、それがある時わき上がってくる。」 小学校の教員です。このことを忘れずにいたいと思います。そして、作品を見る時、そこに語られている人物像をしっかりとらえ、自分が感動しながらいろいろな作品を読みくらべられる視点を意識していきたいと思います。 かさじぞうのじいさんとばあさんは本当にたくましいです。(H.M.さん 女性) 10■ありがとうございました。 勉強させていただきました。 「かさじぞう」の魅力について語り合う、という趣旨であったことを考えれば、本の世界への誘いである読書教材との差異に目を向ける必要はなかったと反省をこめて振り返っています。わかりやすいことを気持ちよいと感じるか、より自由な想像力をかきたてられることを気持ちよいと感じるかは、子どもそれぞれで異なることでしょう。絵本は文学教育の有効な手立てであることはもちろんですが、読書教材でありながらワークテストが用意されている教科書教材を同次元で比較することはナンセンスに違いありません。感情豊かな子どもの育成につなげていく文学教育を、教科教育の中でできないとは申しませんが、そこにそれを求めるのはやはり違うのだなと認識しました。 末筆となり恐縮ですが、山上先生の語りの素晴らしさに感服致しました。ありがとうございました。(H.Y.さん 女性) 11■大学時代「児文研(児童文化研究会)というサークルにはいっていて、絵本についても合評をよくやりました。久しぶりに絵本について語り合いとても楽しい発見がありました。 最近の高校生の活字離れと想像力のなさを思うとき、悪いけれど、いわさききょうこ的、説明的文章をずっと読まされている結果なのかな……と少々極端なことを思いました。英語の授業でも同じ嘆きを聞きます。ことばの力のなさ。 ついでですが「お気の毒に」ということばには、やはり、発言者の言ったような「見下す」ニュアンスがあるのでしょうか? 私はこのことばのせいでひどい恨みを買った経験があります。決して見下す意識はなかったのですがね。北陸地方で「気の毒に」ということばは、感謝の念、もしくはシンパシーを表すことばなのですが……。(N.T.さん 女性) 12■はじめて参加させていただきました。絵本にこれほど深い意味が込められているということに気づくことができました。知っているつもりになっていた「かさじぞう」にも、全く気づかず、今まで読み流してしまっている部分が多くあったのだと考えることができました。絵本に限らず教材として扱う小説においても、主人公と自分を重ね、物語の世界に引き込んでいくのはどうしたら良いのか……。これからの私自身の課題として考えていきたいと思います。これから絵本を読むときの文、絵への見方が変わってゆきそうです。あっというまの4時間半でした。ありがとうございました。(K.H.さん 女性) 13■初めて文教研の集会に参加させていただきました。一つの物語に対して、じっくりと時間をかけて読むことの楽しさと集団での意見のやりとりの大切さを改めて実感しました。 私は駆け出しの一人の教師ですが、子ども達に本を読むことの楽しさと、子どもの無限にあふれる感性を育てていきたいと思いました。 ありがとうございました。(S.K.さん 男性) 14■大変楽しい会でした。一つの絵本を深く考えることはかつてない経験でした。四角の絵本に扇面のステージをおき、舞台のようでした。子供の時は、人の良い老夫婦の善行が最後に“ラッキー”を運び、むくわれるという定番のおちが安心感を与える本でしかなかったのですが、今、こうして瀬田さん/赤羽さんの本を見直していくと、感動するのは、今までの日本人のほとんどの人達が苦しい生活の中でも、ぶれのない人間関係を築き小さな幸せをしっかり普段の生活の中で見出している暮らしぶりです。もしこれがおじぞうさんが宝物を持ってこなくても、この二人が幸せであること、“ラッキー”を期待していなくても幸せな暮らしをしていることに感動しました。子供の時の山場はラストでしたが、今みるとおじぞう様に最後のカサをかぶせるおじいさんの満足顔、おばあさんの待つ右よりに立つ姿と重なり山場となっているように思いました。年をとって見方が変わる点もおもしろいと思いました。“ラッキー”がないと不幸な様に思いがちな今、改めて豊かさを感じました。 読み心地が良いのは小さい子の場合、絵がこわく、親しみのあるアニメよりも印象がリアルであり、ドキリとするため、スリルを持って読むための満足感もあると思いました。(高校生でも赤羽さんの絵はこわいと言っているようです。)リアルで簡潔であり、扇面のステージが展開するような内容のため子供の時と違う感想も持てました。(K.R.さん 女性) 15■「かさじぞう」のゼミを通して、幼い頃、読んだ時の印象として、終わりの文章(地蔵様が宝をおいて帰っていく場面)に恐さを覚えたことを思い出しました。大人になって今日の機会を持ち、今までいだいていた気持ちより、ホッとした気持ちになれたことはうれしく思いました。本を深く読みとることがどんなに大切なことか、また、さまざまな観点から接することが大切だとわかった気持ちです。ただ第一印象は大切だなとも思いますが……。ありがとうございました。(M.K.さん ?) 16■今日はありがとうございました。おじいさんが寒い中、帰ってきたら、まず、おばあさんは「寒かったでしょ?」ときくと思います。私なら、寒かったでしょ、早く家に入って!! と言います。売れた? 売れなくても、おじそう様にやれてよかった! とは言えません。岩崎京子さんの方が、そう言っているので、人間的なかさこじぞうになっていると思います。だから非日常的な瀬田さんの方が、頭にスーっと入るのではないでしょうか? [「めらぼし」を語ってくださった]庄司さんのお話はマイクなしでも良かったと思います。素晴らしかったです。(S.K.さん 女性) 17■今日は、一冊の絵本を通して、半日かけて、1ページずつ絵と文の事を検討した事は、とても勉強になりました。いつも子どもたちに絵本の読み聞かせをするにあたり、とても選書に時間をかけてきました。できるだけ、いいものを子どもたちに手渡したいと思っています。今日のこの時間、改めて選書の大切さを実感させていただきました。多くの意見参考にさせていただきます。パネラーの方々、会の方々、いろいろとありがとうございました。(O.M.さん 女性) 18■よい機会を頂きました。じっくりと絵本を読むことができました。同席して、たくさんの方の意見を教えていただけてよかった。(S.H.さん 女性) 19■本日は大変勉強になりました。ありがとうございました。 私は今、小学校2年生の担任で「かさこじぞう」をこれから学習するところです。「かさこじぞう」を勉強する際も「かさじぞう」の絵本を参考に授業を進めていきたいと思いました。特に、雪をかぶったじぞうとかさをかぶったじぞうの絵を導入、まとめにつかい、子どもの考えや思いを引き出していけたらと思います。 今後も宜しく御願い致します。(W.T.さん 男性) |
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