文教研秋季集会〔呼びかけ〕
 (プログラム前文集)
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1993.11.14  東京・吉祥寺 法政大学第一中・高等学校記念館ホール
“読み”の楽しさ・むずかしさ――文体との出会い
<1.報告:『100万回生きたねこ』の問いかけるもの/2.ゼミナール:森鴎外『高瀬舟』の印象の追跡>
 

 すぐれた文学作品には、未来のさきどりにおいて人生の真実が表現されています。成人文学と児童文学とを問わず、すぐれた文学作品は、読み手に自己凝視と自己変革を促さずにはおきません。文学による“人間回復”――本当の楽しさがそこにあります。

 もっとも、読み手がやわな場合、それは望むべくもありません。読むことのむずかしさがそこにあります。〈創造の完結者〉としての読者のありようが問われるのも当然です。

 〈文体〉――それは、人間の現実認識の発想が言葉(文章)に定着したもの、と私たちは考えています。言いかえるなら、発想という切り口からつかまれた言葉のありようのことです。ある作品が“わかった”というのは、だから、その作品の〈文体〉との対話が成立したということ以外ではないでしょう。

 文学は自分で“わかる”ほかないものです。けれどもまた、仲間と読み合う中で、作品の〈文体〉に触れ、自己の発想を少しずつ変えて来た、というのも多くの人に共通の体験でしょう。

 晩秋の午後のひととき、ご一緒に、すぐれた〈文体〉との対話の場をつくりませんか。あるいはそこに、新しいあなた自身との出会いがあるかも知れません。

 


1994.11.13  川崎・武蔵小杉 中小企業婦人会館
“読み”の楽しさ・むずかしさ――母国語文化との出会い
<1.特別報告:『おじさんのかさ』(佐野洋子作・絵)をめぐって/2.戦後の井伏文学の展望/
3.ゼミナール: 井伏鱒二『かきつばた』の印象の追跡>
 

(前年と同文)


1995.11.12  川崎・武蔵小杉 エポックなかはら
〈精神の故郷〉を見なおす――戦後文学の出発
<1.報告:戦後児童文学の原点 ①岩倉政治『空気がなくなる日』 ②壺井栄『あたたかい右の手』/
2.ゼミナール:太宰治『たずねびと』の印象の追跡>
 

 それはお話のなかのことでしょ、どうせ、わたしには関係ないもん。こんな言葉があちこちで聞かれるようになったのは、いつごろからだったのでしょう。

 お話、――特に、読書の世界が子どもたちや若者たちに嫌われるようになってから、もう大分になるのではないでしょうか。映像や画像などとは違って、直接見たり聴いたりすることのできない世界を、コトバを通路として、すぐれた感受性と想像作用に支えられながら、現実以上に現実を感得していくのが、読書=文学の世界です。ですから、文学の世界は、私たちの生活とは無縁の単なる“お話の世界”にとどまるものではありません。単なる“お話の世界”として文学を遠ざけてしまうことは、自己の感受性やイメージやコトバなどを鍛え高めていく大きな一つのチャンスを失ってしまうことになるのです。時流などに流されず、自分の人間性を保持し高めて行く道を、自分から放棄することなのです。

 阪神大震災、オウム事件、いじめ問題、金融機関の倒産、中仏核実験再開、などなど、――世紀末の様相を呈しています。阪神大震災も、その対応を見れば、人災だとも言えましょう。一九九五年という今日は、人間が人間らしくあるための現実とほど遠い姿をむき出しにしています。子どもから大人まで、何をどうしてよいやら、わけのわからない世の中となっています。人間性を無視した高度経済成長政策のツケが今の日本を容赦なく襲っています。人間性喪失の現実から人間性を取り戻すためには何をどうすればよいのか、それが今私たちにつきつけられている大きな課題だと思われます。

 世の中では「戦後五十年」ということが繰り返し言われています。けれども、人間性回復という視点からの示唆に富んだ論評は少なそうです。言うならば「敗戦後五十年」、私たちの先達はどのように人間性豊かな現実を実現させようと努力して来たのでしょうか。新たに人間性を喪失して行く現実とどう闘って来たのでしょうか。それが問題です。

 今回の秋季集会は、そうした敗戦五十年の視点に立って、〈戦後文学の出発〉を成人文学と児童文学の両面から洗いなおしてみたいと考えています。人間性回復の機能を持つ文学作品の系譜を辿ることで、文学喪失とも言うべき現在の読書状況を打破する〈文学を読むことの楽しさ〉を、多くの人と共有したいと思っています。ぜひ、ご参加を。

岩倉政治『空気がなくなる日』、壺井栄『あたたかい右の手』について:
 戦争で荒廃した子どもたちの心に新しい文化を、という願いから1946(昭和21)年4月、「子どもの広場」(1946年1月「少年少女の広場」に改題)は創刊された。この二作品は、そうした児童文学運動の中から生まれた珠玉の作品といえよう。作品の魅力の一端を当日に……。
  

1996.11.17  東京・渋谷 勤労福祉会館
文学との出会い――心に残る作品を
<1.変形シンポジウム:佐野洋子との出会い/2.ゼミナール:芥川龍之介『芋粥』> 

 「本から現実へ」。この信輔(芥川龍之介『大導寺信輔の半生』)の発想を、混迷の時代を生きる私たちは、主体化する必要がありましょう。自分の眼で現実をみつめているつもりであっても、マス・コミによる情報に埋没し、既成事実を現実と思いこまされたり、また、自己の体験を絶対化し、体験主義に陥りがちです。そうした自己疎外に陥った自分自身をみつめ直し、人間回復をはかるために、文学との出会いが必要です。

 作品に描かれた人間の体験は、自分の体験に共軛する“何か”を含んでいるはずです。その共軛する“何か”を手がかりに、私たちは作中人物と連れ立って新しい別個の体験をそこで体験(準体験)してみることが出来ます。すぐれた文学作品は、準体験を通して、現実の人生以上の“生きがいのある人生”を、きっと私たちに味わわせてくれるに違いないのです。

 こうして文学の準体験は、読む相手によっては、現実の体験以上のものとして体験的なはたらきをし、人々の生活実感そのものを鍛え直し、自分の殻に閉じこもった、枯渇したイマジネーションをはげしく揺さぶるのです。

 変形シンポジウムとゼミナールの半日。多くの仲間と交流することで、お互いに、一人で読んでいたときには、見落としていたことに気付くことになりましょう。作品を仲立ちにして、話し合いを深めていきたいと思っております。ご参加をお待ちしております。

1.について:
 佐野洋子の絵本との出会いは、人さまざまだと思います。この秋季集会でも、かつて『おじさんのかさ』(1974年)などを取り上げました。今回は、再度、新しい切り口から『100万回生きたねこ』(1977年)を取り上げます。この作品は、子どもから大人まで広い層の読者を獲得している超ロングのベストセラーです。すでにお読みの方にとっても、この集会が『100万回生きたねこ』の新しい魅力の発見になればと願っています。
2.について:
 自己の世代にとって、ダークエイジとしての大正期を、いかに生きるか問い続けたのが芥川という作家でした。過去に材を求め、現在的現実をさぐった芥川の歴史小説の方法も、そこにつながっています。
 『芋粥』では、摂関政治下の安定ムードに浸り、自他の疎外に無自覚になってしまった人間のありようがさぐられていきます。
 これは90年代の今をも照射し、私たちに、疎外の根源は何か、思索をうながします。
 

1997.11.30  川崎・武蔵小杉 北労働センター
文学を読むということ――読者論の視点から
<1.特別報告:文学を読むということ―私と文学教育/2.ゼミナール:絵本『マーシャとくま』の印象の追跡>

 今の子どもたちはリアリティーが稀薄になってきているとよくいわれます。「虚構と現実の区別がなくなっている」ともいわれます。ビデオやコンピューターゲーム、インターネットを使ってのコミュニケーションが普及する一方で、つくりごとと本物の区別がつきにくい時代になっているのかも知れません。

 そんな時代にあって、生きるに値する何かを見つけようと努力することが、徒労のように感じられる日々。それならせめて、あるがままの欲求を吐き出すことで自分の存在を確かめたい――若者の叫びもそんなところから聞こえてくるような気がします。

 しかし、フィクションの世界に遊ぶこと、それはどんな大人も経験したことのあるものです。それはじかに体験するのとは違う、虚構の世界に遊ぶ楽しさです。ハラハラドキドキし、時には涙しながら、様々なことを考え、そして、人間が成長していくというドラマチックな体験を自らにつちかっていく。そこには、人間とは何か、ということを考えていくことのできる、確かなリアリティーがありました。

 私たちはフィクション(真の虚構)というものを、現実から切り離されたつくりものの世界とは考えません。むしろ、見えにくい現実の中で自分が生きるに値する現実を探り当てる手段である、と考えます。手応えのある現実をつかむためにこそ、本物のフィクションを駆使した文学の世界が必要なのです。私たちはフィクションという方法を通して必要な距離を取り、十分にその世界を楽しみながら、今、私たちにとって大切なことはなんなのかを。じっくりと考え合いたいと思います。

 今期秋季集会は、「文学を読むということ――読者論の視点から」というテーマです。ゼミナールは『マーシャとくま』 を取り上げます。絵と言葉が支えあって幼い子ども達の感受性を育んでいくフィクションの世界。それは同時に、複雑な現実の中にいて逆に本質が見えにくくなっている大人たちに、本来人間に必要なこととは何であったかを考えさせてくれます。子どもと大人の世界がどのように繋がりあっているか、子どもとは何か……。様々な思索を通じて自分自身が問い直されてくる、そんな実りのある、楽しい集会にしたいと思っております。どうぞ奮ってご参加下さい。

 


1998.11.15  東京・世田谷 三茶しゃれなあどホール
心に“あそび”を――文学を読もうよ
<1.特別報告:ケストナーの世界2.ゼミナール:ケストナー『飛ぶ教室』を読む>

ケストナーの「子どものための小説」を読んでみませんか。

 ケストナーの「子どものための小説」は、子供のころを決して忘れない人が、8歳から80歳までの人びとに向けて書き続けた、「いつも変わらぬ、日当たりのよいユーモア」に満ちあふれた世界です。

 古代ギリシャの数学者、アルキメデスは、物理学的世界のために、世界をその軸上に持ち上げることができると思われる支点を求めましたが、ケストナーは、言います。社会的な、道徳的な、政治的な世界、つまり、この人間の世界を単にその軸上に持ち上げるのではなく、軸を正しくするために、私たち一人ひとりの中には、次の四つの支点があるのだと。

 第一の支点。人間はみな自分の良心の声を聞きなさい! それは可能です。
 第二の支点。人間はみなお手本をさがしなさい! それは可能です。
 第三の支点。人間はみないつも子どものころを思い出しなさい! それは可能です。
 第四の支点。人間はみなユーモアを身につけなさい! それは不可能ではありません。

 ――こうして筆を進めている間にも、大つぶの雨が、雨戸を、ひさしを、屋根を、打ちたたき続けています。突然、家がきしみ、悲鳴を上げます。震度4の地震です。株式市場は1万4千円を大きく割り込みました。

 支離滅裂になった世界を、私たち一人ひとりの内側から整え直して行くために、今、お手本の一つをケストナーに求めてみたいと思うのです。

 ケストナーの『飛ぶ教室』をテキストにして、ケストナーの言う四つのかなめ――良心・お手本・子どものころ・ユーモアを検証しながら、改めて、私たち自身の〈かなめ〉を創造し合っていけたらな、と思っています。

 秋の日、一日、みんなで話し合ってみませんか。(1998年8月28日記)


ケストナー略年譜
1899年2月23日 ドレスデンに革職人の子として生まれる。
1913年 師範学校入学。
1919年 ライプチヒ大学入学。
1920年 初めて詩を発表。
1922年 大学の助手をしながら新聞社に勤務。
1927年 ベルリンに移る。詩集『腰の上の心臓』刊行。
1928年 『エーミールと探偵たち』刊行。
1931年 『ファビアン』『点子ちゃんとアントン』『五月三十五日』刊行。
1933年 『飛ぶ教室』刊行。ナチスに大人のための著書を焼かれ執筆を禁止される。
1934年 『雪の中の三人の男』をスイスで刊行。秘密国家警察に逮捕される。
1945年 3月、ウーファーのロケ隊に加わり、ベルリン脱出。チロルへ。
    終戦。秋、ミュンヘンでカムバック。
1949年 『動物会議』『ふたりのロッテ』刊行。
1957年 『わたしがこどもだったころ』刊行。
1960年 国際アンデルセン賞を受ける。
1961年 『一九四五年を忘れるな』 刊行。
1963年 『サーカスの小びと』刊行。
1974年7月29日 ミュンヘンで死去。
            (高橋健二編・訳『子どもと子どもの本のために』より)


1999.11.14  東京・世田谷 梅丘パークホール 
政治と文学――なぜ、いまケストナーか
<1.基調提案:なぜ、いま、ケストナーか/2.ゼミナール:ケストナー『点子ちゃんとアントン』の印象の追跡>

 すぐれた文学は、読み返すたびに新しい発見があります。エーリッヒ・ケストナー(1899~1975)の文学も、読み返すたびに、新たな視点から自己凝視を迫り、思索を促します。ケストナーの文学は、読者をとりこにするようです。私たちは、昨年の秋季集会で『飛ぶ教室』(1933年刊)をとりあげました。今年8月の全国集会でも『飛ぶ教室』の印象の追跡をおこないまいた。それでもなお、考えてみたい課題がいくつも残され、さらに追跡することを確認しあっています。しかし、その課題には、ケストナーの他作品との対比、あるいは、ケストナー文学の全体像のなかでしか明らかにならない性質のものもあります。そこで、今年の秋季集会は『点子ちゃんとアントン』(1931年刊)をとりあげることにしました。

 ケストナー文学のそれほどの魅力は、どこにあるのでしょうか。ご存知のようにケストナーは、青年期と壮年期にそれぞれ、世界大戦を体験しています。なかでも、1933年ナチスが権力を握ってからは、執筆禁止や身柄の拘束など、自由が束縛された生活を強いられています。それにもかかわらず、自分の本を焼かれるという焚書事件の現場に危険を感じながら、のこのこ現れています。歴史の目撃証人になるためだったと、彼は語っています。これこそケストナーの抵抗精神であり、彼の文学の魅力の源泉であるのかもしれません。『点子ちゃんとアントン』は、その二年前の刊行。

 ところで、今日の日本の政治状況はどうでしょうか。ナチス台頭の1930年代初めのドイツと共通し、共軛する面はないでしょうか。「朝日新聞」の世論調査では、なんと79%もの人が政治の先行きに不安を感じていると答えています(8月23日付)。長引く経済不況。連立与党の野合による国会の暴走。さらには、教育・医療・年金と不安の要因はいっぱい。強い指導者を望む声もでています。

 ケストナーは読者を、8歳から80歳までと想定していたようです。今回は成人読者の一人として、『点子ちゃんとアントン』と向き合ってみませんか。

 


2000.11.5  東京・世田谷 梅丘パークホール 
子供の心を、いつまでも――見て、考えて、仲間とともに
<1.基調提案:文学教育の可能性――今、私にできること/2.ゼミナール:ケストナー『エーミールと探偵たち』の印象の追跡>

 クラウス・コードン(『ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家』の著者)は、『エーミールと探偵たち』について次のような意味のことを述べています。

 この作品に登場する子どもたちは、ほんとうに子どもらしい。彼等一人一人の個性は、仲間との絆の中で輝いている。また、彼等は、この絆の中で、ものごとをありのままに見つめ感じる能力や、賢さに支えられ勇気を培っている。これがほんとうの子どもらしさだ。子どもらしい子どもとは、管理教育の中での「優等生」や「良い子」ではない。むしろ、現実をちゃんと見て、そんな管理教育のゆがみに気づく子のことだ。……

 コードンの言葉は、ケストナーが大切にした〈子どもらしさ〉の意味を的確に説明しているように思えます。人間らしく生きるために〈子どもらしさ〉を失ってはいけない、そうケストナーは考えています。だから、彼は、長い実人生を、〈子どもらしさ〉を失わずに生き続けている大人こそ本当の大人だとも言うのです。

 21世紀直前の日本社会には、「日本は狂っている!」と叫びたくなるような事件が次々と起こっています。また、例えば、少年犯罪をめぐるマスコミの報道の多くは、子どもと大人との相互不信を煽りたてることでこの疎外状況をいっそう悪化させる役割を果たしているようにみえます。だが、だからこそ、『エーミールと探偵たち』をみんなで読み合い、ケストナーの言う〈子どもらしさ〉の意味について考え合う必要があると思います。また、大人と子どもとが、若いと思っている人と若い人とが一緒に作品を読み合うことは、お互いを支え合う新しい絆をつくるきっかけにもなると思います。一人一人が分断されている状況のなかで、文学を通しての絆づくりはますます必要になっています。1929年、ファシズムへの前進をはじめたドイツ社会の中で、子どもと大人との真の対話をめざしてケストナーが書いた『エーミールと探偵たち』は、その課題にきっと応えてくれるでしょう。

  


2001.11.25  東京・世田谷 梅丘パークホール 
自立した市民とは何か――『エーミールと探偵たち』のその後
<ゼミナール:ケストナー『エーミールと三人のふたご』の印象の追跡>

 ケストナーは、第二次大戦直後に発表したある文章で、次のような意味のことを語っています。

 まともな社会を建設するために、私たちが獲得しなければならないものは何か。それは「人間的に感じ、民主的に行動する能力」であり、「市民としての勇気・誠実・節操・思いやり・ユーモア」という人間としての徳性である。……。

 私たちは、ここ数年、秋の集会で、ケストナーの児童文学(『飛ぶ教室』・『点子ちゃんとアントン』・『エーミールと探偵たち』)をとりあげてきました。ケストナーの発言をふまえて振り返ってみるなら、これらの作品が、ケストナーの言う「能力」と「徳性」を私たちの内部に培ってくれる文学であったことに改めて気付かされます。

 そして、このような「能力」と「徳性」を私たち一人一人が主体化していくこと、また、そのような主体化を可能にするようなまともな人間集団を作りあげていくことが、現代の日本社会(日本型現代市民社会)をまともな社会に変革していくうえでますます必要になってきていると思います。「構造改革」という名のもとに、弱肉強食の競争社会を勝ち抜ける「自立した個人」や偏狭な自国中心主義者を大量生産する政治が推し進められようとしている今だからこそ、その必要性を強く感じるのです。

 そういうわけで、今回の秋季集会でも、ケストナーの児童文学(『エーミールと三人のふたご』)を読み合いたいと思います。『エーミールと三人のふたご』は昨年読みあった『エーミールと探偵たち』の続編です。成長したエーミールたちの姿や彼等を支える大人たちの姿――それらは、まともな個人とまともな集団とは何かについて私たちが思索していくうえで、大きな示唆を与えてくれると思います。
 


2002.11.10  東京・世田谷 梅丘パークホール 
自立した市民となるために
<ゼミナールケストナー『わたしが子どもだったころ』の印象の追跡>

 ケストナーは、人間らしい感受性を失わないためには、「自分自身の子どものころと、破壊されることのない生き生きとした接触」を保ちつづけることが必要だ、と繰り返し語っています。彼の言う人間らしい感受性とは、「何が本物で、何がにせ物であるか、何が善く、何が悪いのかを、とっさに、長く考えずに」見分けることができる感受性です。

 『わたしが子どもだったころ』が出版されたのは1957年です。ケストナーは58歳でした。ナチス政権下の12年間・崩壊した戦後のドイツ、その中で苦闘してきたケストナーは、1950年代後半、「第三次世界大戦の準備者」たちによってもたらされた核状況と対決することになります。彼らは、「核兵器による平和」などという馬鹿げた公式を宣伝し、人々の意識を麻痺させようとしているのです。こうした状況に直面して、ケストナーは一人一人の市民が本当の自立した市民となるために、人間らしい感受性――自分の子どものころと生き生きと対話できる精神――を培うことがいかに必要かを、改めて痛感したはずです。そうした思いがこの作品を創造する重要な契機になったのだと思います。

 そして、だからこそ、この作品との対話は、現在の私たちにとっても大きな意味を持つもではないかと思いなす。最近、「心の教育」が、学校でも企業でもさかんに行われています。だが、そこで育てられようとしているのは、どんな悪現実を前にしても「それは心の問題だ」と解釈し、現状への適応をひたすら求め続ける「心」であるようです。こうした「心」の押しつけをはね返すのが、ケストナーの求めた人間らしい感受性です。

 まともな未来を創りだしていくために、私たちは、自分自身の子ども時代とどのように対話すべきなのか。どのような対話によって、その過去は、未来に生きる過去となりうるのか。『わたしが子どもだったころ』を読みながら考え合いたいと思います。
 


2003.11.9  東京・世田谷 梅丘パークホール
1949年、「動物会議」は開かれた――ケストナーの〈市民と戦争〉
<ゼミナール:ケストナー『動物会議』の印象の追跡> 

 象のオスカルは、動物代表たちの見まもるなか、すべての人間に向かって次のように訴えます。

 〈ぼくたちは、もうかんにんぶくろの緒が切れました。これいじょう、なにもしないで見ているわけにはいきません。みなさんの政府が、ぼくたちのだいすきな、そしてぼくたちがたいへん心配している
子どもたちの未来を、つぎからつぎへと、やれ紛争だ、やれ戦争だ、陰謀だ、金もうけだといっては、危険にさらし、ぶちこわしにしています。〉

 オスカルがこう訴えてから50年以上がたちました。しかし、残念ながらこの言葉は少しも古びていません。子どもたちの未来をぶちこわしにするような様々な「改革」が、そして戦争体制づくりが、この日本社会のなかでどんどん押しすすめられているからです。
 動物たちは、この世界を分別をもってきちんとおさめることを人間の政府に約束させるために、子どもたちをとり上げてしまいます。その結果、人間たちも、動物たちの要求をやっと受け入れ条約に調印します。次の文章はこの条約の第5項です。

 
〈子どもを真のおとなに育てるというのは、もっとも崇高な、もっとも困難な任務である。真の教育の目的は、つぎの点にある。すなわち、よくないことをだらだら続ける心が、もはや存在しないようにすることである!〉

 これほど簡潔に、また的確に、真の教育の目的を定義した言葉は他にあまりないように思えます。〈よくないことをだらだら続ける心が、もはや存在しないように〉するため、
真の平和を志向する心を培っていくために2003年を生きる私たちが、1949年の動物会議に参加する意味は大きいと思います。
  


2004.11.14  横浜・山手 神奈川近代文学館ホール
『飛ぶ教室』をふたたび――ケストナーの眼で日本の“今”を考える
<ゼミナール: ケストナー『飛ぶ教室』の印象の追跡> 

 今、日本の子どもたちにとって、「人生」とはどのようなものでしょうか。「友だち」とは、そして、私たち「大人」は、彼らにとってどんな存在であるでしょう。

 子どもたちの中にある「いらだち」「むかつき」「不安」。さらに今、「恐れ」「恐怖」という強い言葉で表さなければならないほどの緊張が彼らを襲っていると言います。自分がいつ攻撃の対象にされ、はずされるか分からない。一度競争から脱落したら、その先人生はどうなるのか……。大人は、どれだけその心の痛みを理解しているでしょう。 ケストナーの言葉でいえば、どれだけ自分自身の・・・・・子ども時代を忘れないでいるでしょう。

 ケストナーは目の前の子どもたちへ、人生の厳しさと喜びのあり方とを、嘘いつわりなく語りました。『飛ぶ教室』のまえがきにはこうあります。「子どもの涙はけっしておとなの涙より小さいものではなく、おとなの涙より重いことだって、めずらしくありません。」人生の真剣さにおいて、大人と子どもに隔たりはない。そこで大切なことは「骨のずいまで正直で」あることだ。

 この作品が出版されたのは、1933年の11月と考えられます(その点、是非、今回出版著書の『飛ぶ教室』座談会をご覧下さい)。ナチス政権下、人々の「良心」をゆがめつつ、時代の歯車が少しずつまかれていく中で、ケストナーが子どもたちに訴えかけた真剣な人生。そこには与えられた人生の課題から目をそらさない子どもたち、自分の頭で考え、悩み、仲間とともに行動する子どもたち、尊敬し信頼し愛することのできる大人との関係を持った子どもたちが登場します。

 今、子どもたちが必要としているもの、今、私たち大人が失っているものは、実はこうした人間のイメージなのではないでしょうか。人生の悲しみや苦しみと向き合い、本当に信頼できる人間を自分の力で発見し、将来を夢見る子ども像、そして、それを心の底から応援できる大人の姿です。

 ケストナーは、人生には「お手本」が必要だと言います。人間は希望がなければ生きていけません。今、私たちはその「お手本」を失ってはいないでしょうか。豊かな人生への「お手本」を、この『飛ぶ教室』という作品は確かに示してくれると思います。

 文教研は1998年秋季集会にこの『飛ぶ教室』を取り上げてから継続的にケストナー文学と取り組んできました。そして、今次集会、その集団研究の成果を出版できる運びとなりました。この本を通して一人でも多くの方にケストナー文学と出会えていただけたら、私たちにとってこんな幸せはありません。
 


2005.11.13  東京・世田谷 三茶しゃれなあどホール
みんなで、大きな雪だるまを作ろうじゃないか!
<ゼミナール:ケストナー『雪の中の三人男』の印象の追跡>

 子どもの頃、野山を駆け回ってトンボやセミを捕って遊んだ記憶がきっとあるかと思いますが、今の子どもたちはそんな環境や条件に恵まれてはいません。学校から帰るとすぐ塾に通わなくてはならない子どもたちは、自然の中で夢中になって遊びに没頭する機会を奪われてしまっているのではないでしょうか。
 
 ある哲学者が「人間とは唯一遊ぶことのできる動物なのだ」と言って、その文化的な営みの中心に“遊び”を位置づけています。
 
 目をキラキラ輝かせ、小さな胸をわくわく、どきどきさせて、遊びに熱中することで、子どもは自分と仲間と世界の豊かさを知り、人間として欠くことのできない多くものを学んでいきます。また自由で開放的な“遊び”を通して、子どもの内部には生き生きとしたイメージ・人間的な情熱が形成されていきます。そしてそのようなイメージと情熱(遊びの精神)を持ち続けている人こそ、真の大人ではないでしょうか。

 ケストナーは、児童文学、成人文学の垣根を越えて、遊びに必須の自由な精神を追求してきた作家であろうと思います。今回取り上げる『雪の中の三人男』はヒトラーが政権を奪った後、国内での出版禁止の中で書かれた作品です。この作品はストーリーテラーの才能とエンターテインメントの要素の濃い娯楽小説と言われていますが、単にそれだけの作品なのでしょうか。

 ある友人の小説家がケストナーに向かって「僕は作家として今世紀のリーダーたちに影響を与える作品を書きたい」と言うと、ケストナーは「自分は大衆に受けたい。読者が多ければ多いほどうれしいんだ」と語っています。この厳しい時代の中で、彼がめざした“大衆娯楽小説”とはどのような内実の作品なのか。皆さんと共にこのユーモアの溢れた遊び心いっぱいの作品を読み合うことで一緒に考えてみたいと思います。

 


2006.11.19  川崎・武蔵小杉 中小企業婦人会館
我慢にも限度がある――ケストナー『消え失せた密画』を読み合う
<ゼミナール: ケストナー『消え失せた密画』 の印象の追跡> 

 今回も昨年につづきケストナー作品をとりあげ、『消え失せた密画』(1935年刊)を読み合います。

 文教研秋季集会は1988年の『飛ぶ教室』以来、毎回ケストナーの作品をとりあげてきました。

 『点子ちゃんとアントン』『エーミールと探偵たち』『エーミールと三人のふたご』『わたしが子どもだったころ』『動物会議』、再び『飛ぶ教室』とつづけ、昨年は『雪の中の三人男』(1934年刊)でした。この作品と『消え失せた密画』、そして『一杯の珈琲から』(1938年刊)を合わせてユーモア娯楽小説三部作などといっている人がいます。しかし、『雪の中の三人男』を読み合う中で、この作品はナチス政権下ユーモア小説という形をとることによって、見えないもの・失ってはならない大切なものを見つめた作品だ、単なるユーモア小説ではないということがはっきりしてきました。

 現代も、不安や恐怖感を煽る政治、政治を批判しないマスメディア、伝えるべきことを伝えず、内容が幼稚化するテレビなどで現実が見えにくくされています。しかし、だからこそユーモア精神・喜劇精神によってわたしたちの日常を掴み直し、何が真実かを見極めていく必要があるのではないか。そのような思いで三部作といわれる作品のひとつ『消え失せた密画』をとりあげることにしました。

 この時期ケストナーはドイツ国内では作品出版不許可という状況にあり、『消え失せた密画』はスイスで出版されました。この作品は気のいい肉屋の親方の冒険話です。

 ケストナーはナチス権力奪取後も亡命しないで歴史の証人になろうとドイツにとどまり、知恵を凝らして創作を続けました。そのケストナーの眼で今の日本を考え合いたいと思います。

 


2007.11.11  東京・世田谷 梅丘パークホール
美しいものを、美しいままに――ケストナー『一杯の珈琲から』を読み合う
<ゼミナール: ケストナー『一杯の珈琲から』の印象の追跡> 

 今年の秋季集会では、オーストリアがドイツに合併された1938年に、ケストナーがスイスで出版した作品『一杯の珈琲から』を取り上げます。ケストナーは、「この小さな本は1937年度のザルツブルク祝祭記念事業の期間中にわたしの頭の中で構想がまとまった」と、1949年版の「読者への序文」の中で書いています。

 1937年、ケストナーはロンドンに亡命していた親友のヴァルター・トリアーから、オーストリアのザルツブルク音楽祭で再会しないか、という連絡をもらいます。ケストナーは、ぜひ会いたいと思いましたが、ナチスに二度も逮捕されていたのでビザを取得することは困難でした。でも、あきらめるわけにはいきません。そこで、「日帰りなら、ビザがなくても国境の往来をしてもいい」という特例を利用し、自分はドイツの国境近くに滞在し、オーストリアにいるトリアーに日帰りで会いにいくことにしました。こうして、ケストナーの小さな国境往来が始まります。

 ケストナーは、この体験に基づいて『一杯の珈琲から』の世界を描きました。ザルツブルクの美しい景観、音楽祭におけるすばらしい演奏、真の大衆性から生まれた偉大な〈陽気な芸術〉
――モーツァルトへの感動、また、ザルツブルクを舞台として展開する、作家志望の青年ゲオルクと友人の画家カールとの友情、美しい娘コンスタンツェとゲオルクとの恋愛……。

 この作品もまた、秋季集会でいままでに取り上げてきたケストナー作品(『雪の中の三人男』〈1934年刊〉・『消え失せた密画』〈1935年刊〉)と同様に、喜劇精神に貫かれた作品です。オーストリア併合、そして第二次世界大戦へと続いていくこの時期、ますます深まっていく危機的状況の中で、ケストナーの喜劇精神はどのように発揮されているのか、彼の求めた真の陽気さ・朗らかさとは何か。この作品を読み合いながらみんなで考えていきたいと思います。

  


2008.11.23  千葉・館山 たてやま夕日海岸ホテル
民話に学ぶ・民話を生かす――『かさじぞう』(瀬田貞二・再話/赤羽末吉・画)の魅力
<ゼミナール: 『かさじぞう』の印象の追跡> 

  いつのころからか、何代にもわたって語り伝えられてきた、民話の数々。それらに接することで、私たちは、民話を生んだ自然的・社会的風土を想像し、庶民の喜びと悲しみ、知恵と勇気、苦しみと願いを、豊かに準体験することができます。すぐれた民話は、時と所を超えて、現代を生きる私たちの心をとらえ、より良い明日へ向けての形象的思索を促します。

 民話は本来、口で語り耳で聞くかたちで伝承されてきたものです。その国・その地方の言葉で語られることで、話し手と聞き手の間に自然な一体感が生み出されたにちがいありません。けれども、そうした原初的な伝承形態の再現はきわめて困難です。民族や地域の違いを超えて、民話の持つ普遍的な価値を共有するためには、原作の発想や文体を生かした適切な翻訳や再話が求められます。

 私たちはこれまでに、『皇帝の新しい着物』(アンデルセン/大畑末吉訳)・『太陽は四角!』(レオンス・ブールリアゲ/塚原亮一訳)・『ドリトル先生アフリカゆき』(ロフティング/井伏鱒二訳)などたくさんの翻訳児童文学、『最後の授業』(アルフォンス・ドーデー/桜田佐訳)等に取り組んできました。翻訳文学も日本文学にほかならない、との考えに立ってのことです。この数年間のケストナー文学との格闘は、翻訳という仕事の重要性と課題をとりわけ強く感じさせるものでした。

 私たちはまた、絵本・絵物語を対象に、絵と言葉のそれぞれの機能を生かした教材化のあり方を追求してきました。それは、民話の特質を生かした再話のあり方を考え、教科書掲載作品の適否を問うことにもつながりました。私たちは、『おおきなかぶ』(内田莉莎子再話/佐藤忠良画)や『かさじぞう』(瀬田貞二再話/赤羽末吉画)を“絵本”で教室の子どもたちに、と提唱しました。しかし、この願いはまだ現実のものになっていません。

 今、日本の社会は、平和が脅かされ、生活不安が増大しています。高齢者はもとより、若者や子どもたちも未来に夢を抱きにくい状況にあります。こういう時だからこそ、民衆の喜怒哀楽を我がこととして実感し、生きることのすばらしさをイメージぐるみに体験できる文学が求められているのではないでしょうか。

 明日を担う子どもたちにすぐれた文学作品を媒介するのは、私たち大人の役割です。そしてその役割を果たすためには、作品の良し悪しを見極める目を持つことが不可欠です。みんなで作品を読み合う中で、媒介者としての確かな目を養いたい――、そう思って、私たちは文学教育研究を続けてきました。

 今年は文教研創立50周年に当たります。今回の秋季集会の会場となる千葉県館山市は、文教研第8回集会(1963年8月)・第15回集会(1967年8月)を安房文学教育の会との共催で開いた場所でもあります。南房総の自然と文化に触れながら、民話の魅力、再話の方法、教科書のあり方など、大いに語り合いたいと思います。

 多くの方々の御参加をお待ちしております。

  


2009.11.15  神奈川・川崎市総合自治会館
太宰治「女生徒」を読む――〈希望を失いかけている人たち一人ひとりへ向けての励ましの文学〉
<ゼミナール: 太宰治「女生徒」の印象の追跡> 

 「女生徒」は、1939年の「文学界」4月号に発表された作品です。1939年から40年へというこの時期は、太宰文学にとって大きな転換期でした。太宰文学は、〈希望を失った人の書いた文学〉から〈希望を持とうとする人の書いた文学〉へと、言い換えれば、〈希望を失いかけている人たち一人ひとりへ向けての励ましの文学〉へと、その性格を変えていきます。そして、太宰の眼は、自己の世代だけではなく、自分よりずっと若い世代に属する人々にも向けられていきます。太宰文学は、世代を超えた対話を実現する励ましの文学、心づくしの文学となっていきます。「女生徒」は、ある若い女性から送られた日記をもとに創作された作品です。太宰が、若い世代の苦悩とどのように向き合い、世代を超えた連帯・対話の場となりうるような作品を創造していったか。また、世代を超えた連帯・対話を実現するために何が必要なのか。「女生徒」を読み合いながら考えていきたいと思います。
  


2010.11.14  東京・世田谷 北沢タウンホール
<「中学国語教材」の検討> “一人一人の人間がいる”――井上ひさし「握手」
<ゼミナール: 井上ひさし「握手」の印象の追跡> 

 文学作品を読むとはどういうことだろう、と考えてみると、それは作品を楽しみながら読むことから始まるはずです。そして、その楽しみの中で問題を探り、問題を探ることに楽しみを覚えるようになっていきます。様々な人生を生きる人間への関心が掘り起こされ、胸に響く新たな人間の発見へといざなわれていくわけです。作品を読んだ後、自分の何かが少し変わっている、それが文学を読む楽しみでしょう。ですから“文学教育”というのは、作品を読む中で現実の見直しが可能になる、そんな人間への手助けをすることだと思います。

 今年4月、井上ひさしさんが亡くなりました。小説家、脚本家、放送作家、そして、時代を引っ張っていくオピニオンリーダーとして、ともに同じ時代を生き抜いてくれた作家でした。私たちは、今、あらためて井上作品と正面から向き合う必要があるでしょう。その井上さんの作品「握手」が中学校の教科書に載っています。今次集会は、この作品を通して、井上作品へのアプローチの視点を探ると同時に、感動を通して私たちの何かが少し変わる体験ができたら、と思います。



2011.11.13  東京・世田谷 北沢タウンホール
人間信頼に賭ける文学とは?――井上ひさし「ナイン」
<ゼミナール: 井上ひさし「ナイン」の印象の追跡> 

 長い東西対立の冷戦を抜け出て、平和への明るい萌しが少し見え始めた矢先に、アメリカで無差別テロ事件が発生した。それが皮肉にも21世紀の幕開けを象徴する事件となり、その後10年が過ぎてしまったが、世界の人々は一層深い不信と不安の時代を生きようとしている。
 そして日本では未曾有の大震災が東日本を襲い、同時に福島の原発も破壊され、その安全性は信頼を大きく損ねることとなった。
 今、ヨーロッパのユーロ圏危機にも見られるように、世界は政治も経済も混迷の時代にあり、その根幹にあるべき信頼と連帯も危機に瀕している。しかし一方で今回の大地震で、被災者たちが冷静にみんなで助け合っている姿を見て、世界の人々は驚き賞賛を惜しまないでいる。そして世界の多くの国々から温かい支援を受け続けていることも事実である。

 井上ひさし氏は哲学者嶋田豊氏との対談で次のように語っている。「あらゆる局面で必死に努力して生きていくことが大切なんだ、というのがまずあります。その上であの暗い時代の中で必死に助け合って生きている人間がいたという事実を見る。それを継承し、絶望的な時代であっても精一杯生きていくと、それが次の世代に伝わっていかない訳はない、それが未来を担うということである、という意味で人間を信じる」と。それに続けて嶋田豊氏はロマン・ロランから受け継いだグラムシの言葉として「知性の悲観主義、意志の楽観主義」を引用し次のように語っている。「現実は絶望的だけれども、なんとかしたいと思うことの裏に希望を見ていることです。悲観と楽観の両方を合わせ持った緊張をつうじて、そこから現状からの活路が探求され続けるんだと思います」と。
 両氏の発想には、現実は厳しいけれども「なんとかしたい」という強い意志と、「なんとかなる」という人間信頼に裏打ちされた樂天主義が心臓の鼓動のように脈打っている。とはいえ私たち個人個人の条件や状況は様々に違い、国と国の間でも多くの利害の対立があり、そう簡単に問題が解決されるわけでもなく、また現実を生きる人間は間違いを犯しやすい存在でもある。だからこそお互いの立場を尊重し、人間を深く理解し合うことが必須であり、そのために優れた文学作品との出会いがとても大切だと思う。

 昨年の秋から続けて井上作品は3作目
(全国集会で取り上げた「父と暮せば」を含めて)になる。今回「ナイン」という少年野球団を描いた作品を読み合うことで、皆さんと対話を深めていけたらと思います。


2012.11.25  東京・世田谷 北沢タウンホール
思索と行為と――不可能を可能にするために
<森鷗外「最後の一句」を読む>
 
 大逆事件(1910~1911)は、日露戦争以降、盛んになりはじめた社会主義運動を芽のうちにつみ取り、民権を徹底的に弾圧するために、政府・検察・裁判所三者一体の共謀によって仕組まれた事件でした。この事件に深い関心を寄せた鷗外は、次のように書いています。
 「無政府主義と、それと一緒に芽ざした社会主義との排斥をするために(中略学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄えるはずがない」(「文芸の主義」/1911<明治44>年4月)
 また、この時期、鷗外は、自己の文学精神を “あそび” という言葉に託して語るようになります。鷗外の言う “あそび” の精神とは、大逆事件を契機に以後ますます激しさを加えて行くであろう体制側のしめつけとそれがもたらす悪現実の中で、息切れせずにねばり強く闘っていくための精神の営為・精神のありようを意味しています。そして、そのような文学精神によって創造されたのが、鷗外の一連の歴史小説であり、「最後の一句」はその中の一篇です。
 息切れせずに粘り強く闘い続ける柔軟な精神。それは、様々な<脅し文句>に惑わされず、本当に大切なものは何かを見失わない精神であり、また、対話し考え合おうという姿勢を持続的なものにしてくれる精神でもあるでしょう。
 こうした <あそび> の精神(文学精神)は、今日の現実を生きる私たちにとってどういう意味をもつのか。「最後の一句」を読みながら話し合いたいと思います。



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