三省堂刊「中学の言語教育」2-7 1973年7月号 掲載

  教育実習生---
「中学の言語教育」2-7表紙 四月、五月の春闘、ゼネスト、ゴールデン・ウィーク――と、春の一連の行事が終って、やれやれこれで授業も軌道に乗るかと思ったとたんに、長丁場の教育実習シーズンが始まる。この実習のことを、私の職場では〈お国入り〉というのだが、北海道へ、四国・九州へと出身地、出身校めざして学生たちの姿が次々と教室から消えていく。入れ替り立ち替り、ごっそり――である。そして、間もなく夏休みだ。手の打ちようもない。
 受入れ側の中学校の先生が新聞に書いていた。「今年も教育実習生がやってきた。この連中の顔を見ると、毎度のことだがいらいらする。というのは、彼らのほとんどが教職につく意思を持っていない。そのくせ、資格社会という流行語につられて、取れる資格なら何でも取っておこう、ということで実習にやって来ているにすぎない。私たち教師が、こうしたペーパー・ドライバーの増産に奉仕させられているのだと思うと、うんざりする」云々。どうやら、受入れる側も送り込むほうも双方、制度の被害者のようである。
 これも新聞の投書の要約だが、ある大学の教師が言っていた。「教師に必要なのは小手先の教育技術ではなくて、専門教科についての学力だ。教え方というようなことは、自分が実際に教師になった時点で、中学・高校時代の恩師の中で、これと思う先生の教え方をまねればいい。大学での勉学を中断させ、また受入れる学校の教育に迷惑をかけるような教育実習は廃止することだ」云々。
 私も大綱において、この意見に賛成だ。専門科目についての学力の必要がここで力説されているのは、むろん、しかし、「教師よ、自分の担当教科の枠に閉じこもれ」という意味ではないだろう。そうではなくて、教科教育への自己の責任を教科相互の関連や日本の教育の全体像との関連において問い続けることの可能なような、幅広い視野を〈未来形における教師〉に期待しての発言なのだろう。
(国立音楽大学教授)


熊谷孝 人と学問昭和10年代(1935-1944)著作より昭和20年代(1945-1954)著作より1955〜1964(昭和30年代)著作より1965〜1974(昭和40年代)著作より