国立市公民館 発行「くにたち公民館だより」120 1970年3月5日号 掲載
 一級の学習をめざして――市民大学セミナーをふりかえる――
市民大学セミナー(文学)講師 (国立音楽大学教授)  熊谷 孝

 文学ゼミも第四年次を終わろうとしている。「同じメンバーで四年間もよく続いたね」とひとからいわれる。必ずしも同じメンバーだけではないが、三年、四年と継続受講の人たちが半数以上を占めていることは事実だ。
 「よく続いたね。」……よく続いたなんてものじゃない。あえていうが、年を追って成長し発展し続けているというのが実状だ。そのことは公民館発行の文学ゼミの記録集三冊(『転形期の文学』『西鶴と現代』『大正デモクラシーの文学体験』)を年次を追ってお読みいただければ、だれの目にも明らかなことだろう。
「くにたち公民館だより」第120号 そういうことを私がいうのは、私自身はたいへん無責任なチューターで、「自分たちで好きなようにプランを立てて、好きなように作業を進めなさい」といった調子の放任ぶりだったのに、主体的・自主的にゼミをここまで盛りあげてきた受講者への敬意を語りたかったからである。現在は、『歎異抄』を中心に、中世法語文学の文体・思想の検討をテーマにゼミが進行中だが、ゼミの場にはガリ版刷り十数枚の報告レジュメがきっちり提出される。報告者の机上には『歎異抄」研究文献や関係文献が山と積まれ、それらの紹介が終わって報告の本番に移るというオーソドックスなものである。
 一部の大学は別として、一般のマス・プロ大学ではもう見られなくなったゼミらしいゼミ風景が今ここにある、という感じである。傍聴していただいた徳永功公民館副館長がいっておられた。「家庭の主婦がゼミに参加するということ自体が評価されていた時期は終わったようだ」云々。「今はゼミの学習内容、学問的な意味でのその内容が問われる時期にさしかかっている」云々。彼女たちのしんけんな報告・討論を聞いていると、私も同じような思いにかられてくるのである。
 だが、わがゼミのメンバーに対する誤解のないように言葉をそえておく。彼女たちは「誇り高き教養人種」などでは断じてない。そういう臭味のみじんもない、ごく普通の主婦たちである。時としてトンチンカンなこともいい出すし、雄弁ぶりを発揮していたかと思うと急におたおた したり(叱られるかな)という人たちなのである。だから、私みたいなガラッパチのベランメェが四年間を持ちこたえることもできたのだろう。
 ともかく受講者も私も、いま、ゼミにうち込んでいる。というのは、立場はちがうが双方ともに、文学ゼミの場に必死に求めているものがあるからである。それをひとくちにいって、学校文学教育の失地回復ということである。私たちが過去に習った学校教育にあっては、古文現代文 の読解というのはあったが、ゆたかなイマジネーションとイメージにおいて人間について考え社会について考えるという文学体験は、ついに私たちのものではなかった。
 いま、私たちが支え合い励まし合って進めている作業は、ひからびた、ただの古文 を、人間の血の通った古典文学として回復し、ただの現代文 を、まさに現代文学として私たちの実人生の体験の一部にくり入れていく作業である。
 鋼鉄は熱い中に鍛えられたほうがいいにきまっている。若い学生諸君に対する私の期待は大きい。が、現在の大学の機構は、そういう期待や意欲に水をさすような形のものとしてしかない。学校教育の失地回復の場として、市民大学ゼミに私の関心が深い理由だ。

熊谷孝 人と学問昭和10年代(1935-1944)著作より昭和20年代(1945-1954)著作より1955~1964(昭和30年代)著作より1965~1974(昭和40年代)著作より