「横浜市立高等学校 国語部会報」 №2 1969年11月11日号 掲載

   古典について (二月四日の講演から)

 「今日行なわれている教育では、“客観テスト”という誰が採点しても同じだというテストに対応したものが幅をきかしていないだろうか。“採点しやすい”ということが教育の内容を決めてしまうことは、まさにに本末転倒ではないか」この朝日新聞(69.1.28「軸」)の指摘には、受験体制教育に対する批判と同時に、現場の我々には、より根深いところで教育について反省を促す重要な示唆をもっていないだろうか。
 断片的な知識の切り売りが行なわれていて、教育が行われていないこと。“ことば”(国語)の学習すらも断片的な知識の学習として行なわれるか、妙に実用的な日本語教育、即ち外国人が学ぶのと同じ目的と方法で、日本語の使える人間を作るために行なわれている国語教育への反省を我々に迫っていないだろうか。
 “ことば”は単なる伝達の道具ではない。“ことば”は、思考を組む道具でもある。日本人は、日本語によって思考を組むのであって、日本語は、日本人の生活の歩み――民族の歴史の中で発展してきたのだから、日本人にとって日本語を学ぶことは、日本民族の体験の第二信号系への反映としての、母国語としての日本語を、今日、民族の当面している課題に応える仕方で、学んでいくのでなければならない筈だ。だから具体的・日常的な“ことば”操作の学習で、一つの語法を教える時にも、民族的体験の反映としての“ことば”としての約束をふまえて、あり得べき未来へむけての母国語教育でなければなるまい。「せぬように」をやめて「しないように」をつかおうと教え、「お考えですか」と「お」をつけて、ただでさえ動きを表わす語のとぼしい日本語の欠点を助長させることはやめようと教え、述語が文末にくるための論理の不明確さを、倒置法の利用によって明確なことばづかいにしよう、と教えていくなどもっと意図的に、日本語を発展させる国語の学習を組んでいくべきだろう。
 “思考を組む道具としてのことば”ということは、また“ことば”が認識のかまえを作るものであることをも意味している。民族語には、その民族固有の歴史状況を、固有の生活体験として反映した歴史の論理(論理体系)がある。いいかえれば、民族固有の現実把握の発想が“ことば”体系のありようとしてあるわけである。だから、国語の教育は、この民族的発想において、日本語の使える生徒を作る教育でもあるわけである。現実把握の発想という切り口でつかまれた“ことば”(文章)のありようを文体といえば、すぐれた文体のある文章(すぐれた文学作品はこのなかに当然含まれる)による“文体づくり”の国語教育こそ真に我々が行なう国語教育だといえよう。
 古典が、民族のそれぞれの歴史状況における、すぐれた文体のある文学であることは論をまたないことである。古典は決して単なる古い文章ではない。すぐれた文学として文体づくりのなかで古典が読まれるところに、現在に古典を生かす学習がある。
 文章を読むことは、自分の文体をすぐれた文体とぶつけあうことでよりすれたものに変革していくことである。自らの文体を激しく否定し、組み変える文章=作品 に出あった時、強い感動を持つのである。その意味で、大野晋氏が「文学教育を行なう教師は、まず自分が感動した文学を与えるべきだ」と言われたのは重要な提言といえるだろう。教師に、今日の民族の当面している課題に応える新しい思考手段の獲得をなさしめた=現実把握の発想の変革をなさしめた=作品こそ、現在を未来にむけて生きていく生徒に責任をもって与えていける教材であり得るわけだ。
 また荒木繁氏が大野氏の提言の上に立ちながら、より実際的に「教師だけが感動したというのでなくて、教師と生徒と一緒に読んでいくなかでの感動ということが大事なのではないか」と言われたことは、すぐれて現場的な意味があると思われる。これら二氏の提言は“読むべき時に、読むべき作品を”という、生徒の発達に即した教育的配慮と同時に、作品を教師というすぐれた媒介者の手で与えるという意味もあるからだし、今は将来にむけて“わかる素地”をつくるという教育本来の働きにも言及しているからである。
 歴史学者、高橋磌一の次のような回想が示す話題は、この点で非常に興味深いものがある。それは氏が小学四年修身の時間に、教育勅語を暗誦させられた際のことで、その時の先生、藤井先生は「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ……一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」までは、一気に読むことを強調して教えられたというのである。氏は
 「どうして藤井先生がそう教えてくれたのか、大学を出る間ぎわまで解らなかった。『父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ』というのは、父母ニ孝行せよ、兄弟仲良くせよといっているのではない。父母に孝行していて、兄弟仲良くしていて……一旦戦争が始まったら、そんなことは忘れて天皇に忠義を尽くせということなのである。
 藤井先生はもっと私たちに教えたかったにちがいない、しかし、それ以上口をすべらしたら、大へんなことになる世の中で教えていたのである。」「三十年、四十年後に『あああの先生は、こんな深い読みをもって教えてくれたのか』といわれるような先生――大変だろうが、そういう先生になれたらすばらしいと思う」(「日本文学」68.6)
と語られている。“わかる素地”を作るというのはこのことだろう。
 この意味で、小中学校で生徒たちの学んできたものを、高校段階で再度、教材化してみることも重要なことではなかろうか。とくに文芸作品を取りあげて頂きたいと思う。 (文責・鈴木益弘・Y校)

熊谷孝 人と学問昭和10年代(1935-1944)著作より昭和20年代(1945-1954)著作より1955~1964(昭和30年代)著作より1965~1974(昭和40年代)著作より