明治図書出版刊「現代教育科学」123 1968年1月号 掲載
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主体性放棄の同化の論理 つまりは立場の問題だ 立場、立場だなと思う。しみじみとそう思うのである。 ゆうべ、ある民放の映画番組を見た。途中から見だしたので、よく分からないが、ナチ占領下のフランスの一地方都市(だろうと思う)の市民たちの生活とレジスタンスの背景に取材した作品。 この動乱の時期を、私生活のカラにとじこもって老母と二人、ひっそりと暮らしている中年独身の小学校教師がいる。毎朝、きまった時間に家を出て職場へいき、型通りの授業(占領軍の指令通りの授業)を型通りにやって、定刻にまた同じ道を通ってわが家に帰ってくる。まずはサラリーマン型の教師の典型。 彼はいわば、『桜の園』終幕のフィールスである(フィールスはつぶやく。「ああ、一生たってしまった。まるで生きていたか、いなかったか、分からないみたいだ」。そしてみんなに忘れられたまま、ひとりで死んでいく)。この映画の主人公もまた、初めから「忘れられた存在」である。教え子たちからさえ、無視されつづけている。 無気力そのものみたいな、このフィールスは、しかしチェーホフの描いたフィールスとはやはり違う。偶然のことから殺人事件に巻きこまれた彼は、最後には、胸の底のここにあるものを法廷で人々の前にぶちまける。陪審員席に近い市長席を指さして、彼はいう。 ――「市長。あなたは愛国者をもって任じておられる。しかし、あなたの内側にもう一人のあなたが――自分の利害しか考えない非愛国者のあなたがいる。あなたは精肉屋を営業しているが、そのあなたは、十倍のヤミ値で片肉をドイツ兵に売り市民に売りつけて、フトコロを肥やしている。戦争と占領は、市長、じつはあなたにとって利益なのだ。そういうあなたの立場が、駐留軍という名の侵略者に対して友好的で協力的な、この町の市長の姿勢をつくり出しているのだ」云々。 ――「ところで、私のことだ。小市民としての教師の立場は、教育の立場は、教育の管理者である市長の立場に追従することで、最低の生活と身の安全が保障される仕組みになっている。だから老母をかかえた私は、あなたの立場を自分の立場として、これまでレジスタンスへの参加や協力はおろか、それとかかわり合いになることをおそれて隣人たちを裏切り、教え子たちにも真実を教えることを故意に意識的に避けてきた。子どもたちが私を軽蔑するのは当然のことだ。」 ――「だが、今はハッキリいおう。占領が虚偽の上にのみ成り立つものであること、占領のもたらすものが国民にとって不利益以外のものではないこと、そのことを真に知るものは労働者だけである、ということを。私は私自身の内側に労働者としての自分を感じることで、そのことを知ったのだ」云々。 引例が仰山すぎる、などといわずに聞いていただきたい。教育課程の改訂を「改善」として受けとるか、「改悪」として受けとるかは、じつは、まず、立場の問題なのだ。国語科の目標から、「思考力を伸ばす」ことや「心情を豊かにする」ことをカットして、「国民性の育成を図る」ことへとその目標を転換させることに、あなたは疑義・疑問を感じるかどうか、ということなのである。そのことを耳にして、まず最初に首をかしげるかどうか、ということが、すでに「立場」なのだ、ということなのである。 輿水実氏も、提案の中でじつにハッキリといっておられる。こうした目標の転換は、「最近の政治的・経済的情勢に応じて打ちだされてきたものである」というふうに。つまり、それは、独占資本の「経済的」要請に応じた明確な「政治的」意図による教育目標の転換を示す以外のものではない、ということなのである。 また、輿水氏は、こういっておられる。「国民性の育成」云々というのは、こうした情勢に応じて、「思考力を伸ばし、心情を豊かにする」ということの「言いかえ」として出てきたものだ、というふうにである。 ということは、つまり、次のようなことにならないだろうか。(1)現行の学習指導要領でいう「思考力」云々、「心情」云々ということの実質的な内容が、じつは「国民性の育成を図る」という言葉に「言いかえ」のきくような、そのような性質のものである(そのような性質のものでしかなかった)、ということである。だからして、また、(2)三十三年の改訂以来、十年の長きにわたって「思考力をのばし」云々という「言いまわし」で、「国民性の育成」というそれの実際の内容をボカして来ていた(つまり教師や親や国民をだまし つづけて来ていた)、ということにもなるだろう。それは、輿水氏が提案の第一項の終わりの箇所で指摘しておられるように、やはり体制側の内部に「“国民性の育成”ということを何かうしろ向きのこと、よくないことと思っている」ということがあっての、ボカシ・ゴマカシ・糊塗なのであろう。そう思うと、ハラが立つ。 先刻の引例をまじえていうと、こんど、こうしてハッキリと、「国民性の育成」ということを言葉にして切り出したことに対して、拍手をもって迎える「市長」のような立場もあるだろう。二年先に迫った安保の契約切れの年が条約継続の年となることをねがう、そういう「政治的・経済的」な立場だ。また、そこに、「善良」にして気の小さい、わがフィールス君のような立場もあるだろう。事の是非は別として、ともかく新しい“しきたり ときまり に従うまで”、という立場である。だが、わが複数のフィールス氏たちが、果たしていつまで黙々とこの「新しいきまり」にしたがって行動するかは、はなはだ疑問である。人々はいま、学習指導要領の十項目のあの法的拘束力と、あの手この手の上からの圧力の前に、やむなく沈黙を守っているだけのことなのだから。そして、事の真相はすでに十分見ぬいているのだから。 衣(ころも)の下からよろい をチラチラさせておどし をかける格好の、こうした教育課程の強要が一体いつまで、またどこまで国民の支持・協力をえられると思っているのか。権力にものをいわせて作られた支持や協力が崩れさるのは一瞬のことであることを、わたしたちは苦悩の戦争体験の中でまざまざと、じかに体験してきている。ともあれ、こうした形での教育への「政治」の介入は、民主教育、民族教育を守る立場から排除されねばならない。 前提に問題がある こんどの改訂が、上記学習指導要領の拘束性を撤回・撤廃しようとするものでないことは明瞭である。教科書検定のありかたを規制し、現場教師と現場の授業のありかたを拘束している十項目の法的拘束性を、むしろ強化しようともくろんでいるものであることは、輿水提案の第二項目の中段に明示されている通りである。改訂は、この十項目を「残すという立場」で、それを「国民性の育成を図る」という新しい目標にしたがって手直しする、というだけのものである。 その手直しの方針は、「道徳教育でありすぎ」た従来の十項目を、「もう少し国語科的に修正」することにあるというのだが、それが結局のところ、「現代の教育理念」にもとづき、「期待される人間像」をお手本にして(提案・第四項の末尾)ということになるのlだから支離滅裂というほかない。「現代の教育理念」云々――一体、現代のどういう立場の人間の教育理念なのか? 輿水氏はまた、ごく最近の論文(「教育科学・国語教育」十月号所掲)の中で、次のように語っておられる。
じつにハッキリしているではないか。学習指導要領の「めがけるもの、めがけるべきものを、著者の高い見識によって、鋭く取り出してくる」云々――相手が輿水氏でなくて、これが気軽に気楽にざっくばらんに話を切り出せるような相手だったら、「一体、あんた、何を考えてんのさ」というふうにいって噛みつくところだ。 ともあれ、こういうことが前提、いや大前提になっての上掲の輿水提案である。何をかいわんや、である。 「思考力を伸ばすには思想そのものを豊かにしなければならないのであって、国語教育は思想そのものにふくれているし、それを逃げる必要はない」云々。「思考法を教えるには、実際に何かについて思考させなければならない。それによって児童の思想を実際に育てるのでなければならない」云々(提案・第五項後半)。――言葉としてその通りだと思う。しかし、そこに「実際に育てる」思想が上記のように、学習指導要領が「めがけるべきもの」、すなわち「期待される人間像」の思想と「原則的な(原則的に)へだたりがない」ものであることが「必要」な条件になっているのだ。また、たとえば、
しかし、それがである。「国語科教育は、こういう問題についてどうしたらよいか」という、「どうするかの問題に移ると、結局は、“期待される人間像”の問題になる」(提案・第四項末尾)というサゲがついているわけなのだ。 何のための解釈学の復活なのか つまり、輿水提案は、そういうことの連続なのだ。各提案項目について、それぞれそれを、初め、中、終わり というふうに分けると、中 はなかなかいいが、初め と終わり がいけない。きまってそうなのである。提案の核心である「国民性」ないし「国民性の育成」ということにおいても、同じようなことがいえるのである。
十分に 思考させる? ……かくかくの思考方法以外の思考方法は認めない、という前提と条件のもとでの「十分に思考させる」ということである。そこでまた、「期待される人間像」の思考の発想で、そのような 「思想をたがやして行く」ということである。そこに考えられている「国民的な価値ある内容」のものというのが、どういうものをさしているのかは、もはや説明を要しないだろう。 このような立場と視点でそこに考えられている「今後の国語指導法」が、「戦前の形象論的、あるいは解釈学的な指導過程を取り入れ」たものであるということは、けっして偶然ではない。「己(おの)れを虚(むな)しうして上御一人(かみごいちにん)(天皇)に帰一し奉る」という、主体性放棄の同化の論理 にすぎない「追体験」を方法原理とした解釈学・生哲学の理論。それがナチスのドイツにおいて、また天皇制ファッショ体制下の日本においてどのような役割を演じたかは、事新しく説明を要しないであろう。いわゆる解釈学的国語教育が果たした、その反動的な役割についても、である。 いや、それはファッショ的権力によって「利用」されただけのことだというのなら、その理論はそのように利用されるだけの理論としての弱さ を内在的に、先行的にもっていた、ということを指摘しなければならない。「己れを虚しうして」というふうに、自我を、主体を白紙 の状態に還元できると考える、その自我喪失・主体性放棄の論理にアナがあるのだ。主体(人間)が拠ってもって立つ、その立場の主観と別個に(その主観と何らの函数関係をとり結ぶことなしに)、たんに客観や客観的な立場がどこかに(超歴史的に)存在する、と錯覚するところに、論理のアナがあるわけなのだ。 事実は(あるいは問題は)、市長や小市民フィールスの立場(その立場の主観)では、被占領国民の真実・実態はつかめないということである。「占領は虚偽の上にのみ成り立つ」という、いわば占領者と被占領者そして一般に通じる普遍的な真実も、やはりつかめない、ということなのである。それがつかめるのは、法廷におけるあのフィールスの立場(その立場の主観)だけである、ということなのだ。そういう把握、そういう認知以外の、どの立場にもかたよらない「第三の立場」における「客観的なニンシキ」といったものが、一体必要なのだろうか。そういうニンシキを必要とするのは、おそらく、自分がいずれの立場に傾斜してものを考え行動しているかを自覚しえない傍観者たちだけだろう。 解釈学的国語教育が果たしてきた教育的役割が、上記のような意味における「傍観者」への学習者の意識、感情の形成であり、それゆえにまた自己の立場と主観の傾斜に対して無反省な人間の形成であった、という点についてはなお論証を必要とするが紙幅が尽きた。またの機会に。
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∥熊谷孝 人と学問∥昭和10年代(1935-1944)著作より∥昭和20年代(1945-1954)著作より∥1955~1964(昭和30年代)著作より∥1965~1974(昭和40年代)著作より∥ |