明治図書出版刊「教育科学・国語教育」101 1967年3月号 掲載

   「学習指導方針」の10項目の撤回を


    民主教育の視点から

 近く中間発表のかたちで大綱が示されるという、教育課程改定の内容について、先ごろ、文学教育関係のある雑誌に、次のような観測と意見が掲載されていました。民主教育の原則と基本線を守りぬこうとする、多くの教育現場人の考え方を代弁している見解のように思われますので一部、引用しておきます。それは同時に、ここでの私の発言にレールを敷いてくれるものでもあるからです。
 ――教育課程審議会の内容は極秘とされているので、そのことを知ることはできないが、審議会委員諸氏の最近の言動などから、およその推測が可能ですし、とくに小学校部門の委員長である輿水実氏の最近の論文、著書を見ると、氏の意見ではあるけれど、ほぼ方向がわかるような気がします。(中略)氏は、次のようにいいます。「アメリカでは国語教育が国防教育の指定を受けて、非常に重要視されていることは周知のことである。人間形成の問題、「期待される人間像」の問題への国語科の寄与も、当然実験学校をつくって研究されるべきである。」(中略)氏の機能的言語観によれば、国語科の教科構造は、@スキルによる学習指導、つまり、「言語技術教育」と、A人間形成を目的とする「文学教育」とになります。
 さらに、B戦後の国語教育の欠陥は文学教育の軽視にあったとし、今の総合教科書が人間形成とか文学教育の面では、かつての「読本」の復活を主張する。その際に、C読み物による道徳教育もあわせて行なえるような読み物教材集を作りたい、というようなことを主張しています。これらの主張のどのくらいが42年度のものに出るかは別としても、この種の考え方がつらぬかれるだろうことは確実です。文学教育という大義名分のもとに出されるものが、果たして何を意図するものであるのかを見極める必要があると思います、云々。
 右の引用は、、(上記のように)この稿にとって、ただの引例(単なる一事例の提示)にとどまるものではありません。私のここでの発言の前提となり足場となるものです。むしろ、私自身の観測なり意見を的確に代弁してくれているものとし、引用させてもらいました。そのようにご承知いただきます。
 そこで、さし当たって私がこの稿で考えてみようとするのは、右の引用の結語に示されているような事柄についてであります。すなわち、そこに「文学教育という大義名分のもとに出されるものが、果たして何を意図するものであるのか」ということを考えてみよう、ということなのであります。そのこととあわせて、少なくとも改定案の下敷にはなるらしい、スキル学習ないし言語技術教育の発想にふれて考えてみよう、ということなのであります。
 考えてみる? とはいっても、とり立てて何か特別に、あるいは特別のことを考えてみる、ということではありません。私たち教師大衆みんなの胸の底のここにあるものを、いま与えられたこの機会に、ハッキリと口に出していっておこう、というまでのことです。


    改定の基本的なねらい

 ズバリ結論から申しましょう。国語科構造改革に関する教育課程審議会委員諸氏の意見を(それは公的には今のところ、個人意見の域を出ていないわけですが)どう思うか、と問われるなら、信用ならん、と答えるほかはありません。
 いや、信用できる、できないの問題ではなくて論理の問題としてどう思うか、ということを聞いているのだと、こういわれたとしても、やはり同じことばを答としてくり返すほかはありません。理由は、次のとおりです。委員諸氏の意見はいずれも、昭和33年度の改定においてもたらされた(作りあげられた)学習指導要領の拘束性・基準性(「学習指導方針」の10項目)を、「いうまでもない前提」「暗黙の前提」として立論されているものだからです。
 家永三郎氏の歴史教科書批判に示されているような、ムチャクチャな教科書統制をやり、現場の教育活動をがんじがらめに縛り上げている、学習指導要領のあのおそるべき拘束性と拘束力。そういう拘束のワクを撤廃することを考えないような、非教育的で「政治的」な立論は、最初から信用できません。
 教育課程――学習指導要領の改定は、それが文部省がわの歌い文句のように「改善」「改良」であるのなら、まず、この拘束の10項目を撤回すべきです。撤回、撤廃を前提として改定案の作成にかかるべきです。この拘束のワクを撤廃することを考えようともしていない以上、たとえ部分的に、どんなまとも なことをいい、またどんな調子のいいことをいっていようとも信用なりません。それは、まるで、相手をロープでぐるぐるに縛り上げておいて、「さあ、どうか自由に行動してください」と言っているみたいなものなのですから。
 “ことば”として同一の意見も、それがどういう立場で、だれに向けて、いついかなる時に語られているか、ということによって、その“ことば”、その意見のもつ意味(=意味内容)も違ってまいります。したがって、その意見の果たす実効も、であります。委員諸氏の意見は、それがたとえ個人意見のかたちをとっていようとも、教科書統制や何や反民主的な文教政策の実施を必至なものとした(また、そのために作られた)学習指導要領のこうした性格の是認の上に立った、協力的な意見なのであります。とすれば、その意見を当然、学習指導要領が現に果たしつつあるはたらき と役割の中に位置づけて、まさにそのようなものとして、それに検討を加えるほかないでありましょう。
 33年の学習指導要領の改定の第一の要因が政治的なものであったことについては、文部省と日教組との「不信と敵視、そのあげくに力で事を決するという最も反教育的なことが、日本の教育のすべてを左右した。親にとって、子にとって、これほど不幸な歴史はない」といった論調の、いわば中立の立場をとる朝日新聞さえもが、次のように語っています。

 ――文部省と日教組の間には、はじめからこんな深いミゾができていたわけではなかった。対立がはっきり表面に出てきたのは、自由党吉田内閣の岡野文相時代からだ。(中略)二十七年九月、当時自治庁長官の岡野清豪が兼任のまま文部省に乗りこんできたのを皮きりに、(中略)党人文相が教育行政をきりまわすころから、文部省と日教組の間は険悪になってきた。(中略)「日教組は選挙にじゃまだ」という保守党と「日教組をこのままにしておいては日本の教育は赤くぬりつぶされてしまう」という文部省とが手を組み、旧内務官僚出身の大達茂雄氏が文相として登場、いわゆる「日教組退治」に、まず教師の政治活動を禁じる「教育二法」からはじまり、つぎに教育委員制度の改革に手をつけた。(中略)結局、三十一年七月、参院に警官隊出動という大混乱の中で、「教育委員の任命制」の法案を成立させ、その結果、革新系委員が六、七割を占めていた都道府県教委を保守色に一変させた。このときから日教組は、はっきり守勢に立った。学習指導要領の改定、勤評、学テ、道徳教育の特設と、攻めるもの、守るもののはてしない抗争が続いた、云々。(朝日新聞、41年12月19日、朝刊・7面「教育66」) 
 このように見てくるならば、42年度のこんどの改定が、33年度の改定においてねらい とした拘束性を、いっそう強化しようとするものであることは自明である、といっていいでしょう。それは、拘束のワクを撤回するどころか、強化しようとするものなのであります。審議会委員諸氏が現に果たしつつある役割は、まさに、そのような拘束性の強化に対する協力以外ではありません。その発言が、たとえ個人の資格のおける発言だとしても、ある聞き方でしか聞けない、という私の気持も多分、わかっていただけるかと思います。


    文学教育という名の道徳教育

 ここで最初の引用の文章にかえりますが、「戦後の国語教育の欠陥は文学教育の軽視にあった」という当事者の反省は、もっともです。「今の総合教科書」では文学教育も何もかも、うまくいかない、という反省も、もっともだと思います。そこで、文学教育を充実させるためには、ヴォリュームのある系統的な「読本」を作る必要がある、という提案にも、むろん賛成です。が、問題は、そこに提唱されている文学教育なり文学読本の実際の中身です。
 当事者によって考えられている文学教育というのは、しかし、「期待される人間像」への国語科の寄与として構想されている「人間形成」のためのブンガク教育以外ではない。そのようなブンガク教育のための「読本」の中身は、また、「道徳教育もあわせて行なえるような読み物教材集」でしかない。
 となると、「賛成だ」とか「もっともだ」といった前言は撤回せざるをえなくなります。それは文学教育の道徳教育化、むしろ道徳教育への隷属以外ではないからです。そこに語られている「道徳教育」の実際の内容が、「いまわしい出自をもつ特設道徳」の徳目主義のそれ以外のものではない以上、<注1>そう考えるほかはありません。それは、33年度の改定このかた、ひたすら特設「道徳」の下請け教科化しつつある国語科の教科内容<注2>を、こんどはそれを完全隷属化するたくらみ 、もくろみ であると判断するほかはありません。
 <注1>この「いまわしい出自を持つ特設道徳」について、益田勝実氏は、本誌97で次のように語っておられます。
「どこに出しても自明の価値のある、今の日本人にとって最も切実な、生きるための課題(筆者注――社会保障の問題、文化生活の問題、反戦・平和の問題など)を、他の従属的・副次的なものと区別しないかぎり、特設道徳は汚名をそそぐことはできないし、存在理由はない」云々。
<注2>この点については、本誌84所掲の拙稿「岐路に立つ国語教育」(その第二項「窮地に追いこまれる国語科」)を参照してください。
 で、もし、かりに、道徳読本兼用のブンガク読本で(つまりは道徳教育と抱き合わせのかたちで)真実、文学教育が可能であるというふうに審議会委員諸氏が考えておられるとすれば、これらの委員諸氏には文学を語る資格も、したがって文学教育や国語教育を云々する資格もない、と断ずるほかはありません。上記、「今の日本人にとって最も切実な、生きるための課題」は棚上げにして、故意に道徳教育の課題を「他の従属的・副次的なもの」にだけ限定し、つまり、そのことで、通俗に奉仕しようとする特設「道徳」。そのようなえせ 道徳教育と、通俗への反逆と抵抗を生命とし、人間にとって第一義的なものを追求しようとする文学と文学教育とは、これは、まさに水と油だからであります。
 国語教育界の理論的エリートであるはずの委員諸氏に、ここの道理がわからぬはずはない。多分、わかっているくせして、わからんふり をしているのだろう、と思います。たくらみ―あるいはたくらみに手をかすものだ、というほかありません。


    スキル学習では国語は教育できない

 そこで、文学教育と言語技術教育との二本立ての構想のその教科構造論ですが、上記のように、そこに考えられている文学教育というのは、じつは文学教育とは似ても似つかないものなのですから、このほうは初めから問題になりません。もう一方のスキル学習、言語技術教育というのも、これまたその基本的発想において、ランゲージ・アートのあの実用主義・経験主義・技術主義の発想を越えたものではなさそうです。
 ランゲージ・アート云々。――多民族国家としてスタートしたフロンティアのアメリカは、国民の使用しているまちまち の多くの民族語の中から、イングリッシュを選んで“国語”とし、さし当たってそれをプラクティカル・イングリッシュのかたちで普及につとめたわけでした。それは、民族の主体性における外界認知の基礎手段の体系(民族的体験の共通信号の系)としての国語であるよりは、同じ一つの国家社会を構成する諸民族にとっての日用的な共通の通信手段にほかなりませんでした。
 そのような必要に応じての、実用(日用)英語習得のためのスキル学習とその方法、それがランゲージ・アートであり、また、そのような必要と目的に奉仕する方法に徹しようとするところに、ランゲージ・アート(言語技術主義)の根本思想もあったわけでしょう。そのような出自をもつランゲージ・アートが、その後の「繁栄のアメリカ」の段階では、現状適応 のための国語教育のアート(手段)として、さらに対ヴェトナム戦争の現段階では、現状肯定 の国防教育としての国語教育の方法的役割を分担する、ということになるわけなのでありましょう。
 ランゲージ・アートの思想を支えている言語観は、(アメリカの場合と日本の場合とを問わず)機能的言語観、究極において言語道具説にほかなりません。言語の機能を、はっきりとコミュニケーション・メディアとしておさえている点は、道具説のすばらしい点です。が、しかし、そこでは、コミュニケーションということが伝えあい という形ではつかまれていない。したがって、思考ということが、言語(内語)による人間の内がわでの伝えあい であるという、言語と思考の関係がつかまれていない。
 また、思考と言語という場合の“言語”というのが現実には民族語、国語のことであり、そのことでまた、思考の発達の仕方なり思考の脈絡が、そこに用いられる言語(国語)によって異なる、という言語事実(思考活動の事実)がつかまれていません。この道具説にあっては、言語(したがって民族語・国語)は、思考活動そのものとは内部的関連をもたない、思想を乗せて走るだけの、ただの貨車としてしかつかまれておりません。
 つまり、言語道具説のそのような考え方に立ってこそ、観光に来日する外国人が事前にニッポン・コトバの「しきたり」や「きまり」をおぼえる式のスキル学習を、もっと深め「科学的」にやれば、それで国語教育のまず半分が成り立つ、という発想・判断になるわけなのでありましょう。
 さて、その後の半分は、これは文学教育という名の道徳教育で、というわけなのであります。ここのところで、道具説の即物主義は「期待される人間像」の精神主義と結びつく、という点がこの教科構造論の特徴というか特色なのであります。
 ところで、文学教育を表看板にしたこの道徳教育ですけれど、その構造論にしたがえば、これがまた、鑑賞スキルの系統学習と、鑑賞(楽しみ読み)学習との二本立てになっているようです。このほうのスキル学習は、鑑賞学習の内容やありかたをハッキリ規制するかたちのものになっている点が特徴的です。その規制のしかたに吟味を加えることで問題の所在がハッキリしてくるわけなのですが、紙幅が尽きました。教科構造(むしろ国語教育というものの構造)に関する、パッシヴな意味での私の見解については、この稿に先だって活字になるはずの小著『言語観・文学観と国語教育』(明治図書刊)の関係各項について承知いただきます。
  <国立音楽大学教授>

熊谷孝 人と学問昭和10年代(1935-1944)著作より昭和20年代(1945-1954)著作より1955〜1964(昭和30年代)著作より1965〜1974(昭和40年代)著作より