筑摩書房刊「国語通信」89 1966年9月号 掲載

  鑑賞と鑑賞指導---
   課題について

 なぜ山に登るのか。そこに山があるからだ――ということばが、一時流行した。そこで、このことばをもじって言えば、なぜ文学作品を読むのか? そこに作品があるからだ、という、そういう格好で世の多くの人びとの作品鑑賞が行なわれている。それでいい。というより、それが現実の事実だし、文学の鑑賞というものは、もともと、そういう性質のものなのではないか、と私は考えている。「国語通信」89表紙
 そこに作品があるから読む? ……文学のボウトクだ、考え方が安易すぎる、などと言わないでいただきたい。たとえそこに山はあっても、わざわざ登る気は起こらない、というような人も現実に多いのだ。全然の無関心というのだってある。「山は呼んでいる。」などといっても、その呼び声が聞こえてくるのは、もともと山に関心のあるような人たちにとってだけである。
 だいいち、そこの山があるから登るとはいっても、身ごしらえも、足ごしらえもしないで、また食料も用意しないで、ただ登るというような人はどこにもいやしない、ということが、ここでは「言うまでもない」前提になっているわけだ。楽屋を言えば、山へ行く費用をくめんしたり、職場を休む口実を考えたり、心配するオフクロさんを説得したり、それはそれは大変なんだ、ということを言っておきたい。
 これ以上くどく言う必要はないだろう。文学作品がそこにあるから読む――そうなったら、すてきじゃないか。私は、そう思う。文学へのそういう関心を掻き立てるような、作品の鑑賞体験がこれまでにつちかわれているとしたら、それはほんとうにすばらしいことではないか。私は、そう考えるのである。
 問題は、ただ、どういう作品に手が出るようになっているか、である。つまり、人びとの鑑賞体験のありようの問題である。さらに、それ以前の問題として、こういうことがある。今日、文学への関心は、必ずしも全般の人のものにはなっていない、ということ。文学人口は必ずしも多くはない、ということ、などなどである。
 で、文学にたいする人びとのそういう無関心さや、関心のありかた(さまざまなありかた)のもとを作ったものの一つに学校教育が数えられるわけだ。一つだとは言っても、これは比重が大きい。大きいはずだ。その中でも特に大きいのは、教師個々人の果たした役割である。
 その役割のプラス、マイナスを左右しているものに、教師その人の“文学とは何か”――文学観が数えられることは、ほとんど決定的である。これが文学というものだ、と言って教師の与えたものが、カサカサにひからびた文学のヌケガラだったりしたら、生徒たちがソッポを向くのは、あたりまえのことだ。文学への関心は、もはやその生徒たちのものではない。
 「どこから見ても、だれが読んでも、これはすぐれた作品ではないか。わたしは作品の選択を誤ったりはしていなかった。」などとつっぱってみても、後のマツリだ。まっとうな鑑賞体験の素地をそこにはぐくむような仕方で、それを指導したかどうかで、勝負は決まる。文学作品は諸刃のヤイバなのだ。人間的感動を疎外することを目的にしたみたいな、文章のただの読解や教訓の押しつけ――そういうヌケガラ方式・スリ替え方式の指導をやったのでは、教材が鴎外作品であっても井伏作品であっても、かたなしである。
 ここでわたしの実感を言えば、上記のような理由からして、教師の“文学とは何か”が大きくとり上げられねばならないが、いまは、特に、それをその教師の“ことばとは何か”との必然的相関関係においてとり上げる必要があろう、ということなのだ。“ことば”が文学のメディアである、ということからくる理由がまず根底にある。が、とり立ててそのことを問題にする理由は、こうだ。国語教育界を伝統的に支配しつづけている“ことば”観が、前近代的なという意味でかなり特殊な、スタティックなものであるということがあって、それが実際に、教師個々人の“文学とは何か”にひずみ をもたらしている面が大きいからである。
そこで、教育の現場の問題として考えるかぎり、“文学の鑑賞はいかにして成り立つか”という課題にもかかわらず、いまのような国語教育(読解指導)のありかたでは、なぜ感想体験を成り立たせることができないのか、ということを、前提としてまず考えざるをえない。話題を当面、その辺のところにしぼることにしたい。そのことで、機会を改めて課題と正面からすっきりと取り組む準備をととのえたいのである。

   鑑賞と読解

 戦中のことだ。レコード(音盤)のミゾの中に、ドビュッシーの精神が刻み込まれているみたいなことを言い出して、物笑いの種になった音楽史家がいた。プレーヤーにかけると音が出る (?)ところから、不覚にもそう思いこんでしまったらしい。
 それはさすがに、お笑いの材料を提供しただけのことに終わったけれども、時代なのだ。天皇の写真のことを“ご真影”と言った。このご真影が天皇の等価物 だというわけで、わたしたちはこの印画紙の前でお辞儀をさせられた。天皇家のマーク(菊の紋章)に対しても同様だった。ばかりか、テンノウヘイカという“ことば”に対してさえも、「気をつけ」の姿勢をとることを強要された。たかが“ことば”に対して、などと言ってはいけない。“ことば”は、そのもの、そのこと ――事物の等価物なのである。むしろ、それは、事物の本質・実体 なのである。
 つまり、そういう言葉(ことだま)ブームの戦中のことだ。さすが実証精神旺盛なこの研究者も、やはり時代の「流行」にイカレてしまっていたという格好なのだろう。
 だが、それからもう四分の一世紀たつ。いまだにイカレっ放しというのは、どういうことなのか。ただし、話題はもう音楽の世界のことではない。今日この只今の国語教育・文学教育のことである。
 文学作品のその “ことば”その 文章の中に、ある一定の思想、ある一定の感情がいわばスタティックな実体 として、内容として盛りこまれている、こういうものだ。実体? ……つまり、上記の“ご真影”みたいなもののことだ。紋章みたいなもののことだ。マーク(記号)の中に封印してしまいこまれていると信じられている、その事物の永遠の本質のことである。だから、文学作品を鑑賞する・させる、ということも、そこではもはや、教師の自我を通して主体的にその作品を読み、作品の文章に媒介されながら自分がある思想やある感情につながっていく、という主体的な操作としては考えられていない。むしろ、作品鑑賞というものを、そういうものとしては考えられなくなってしまっているのである。
 そこで、あの“追体験”である。おのれを虚しうして、作品の文章に封じこめられているその実体に参与することである。そこでは、あくまで、“ことば”はすなわち事物そのもの、実体なのである。
 どこか、何か似てはいないか。楽譜なりレコードのミゾなりにドビュッシーの精神が刻みこまれている式のあの考え方に、である。
 似ているどころの話ではない。全然、同じじゃないか。――私も、そう思う。
 “ことば”は、このようにして、もはや、ただの媒体(メディア)ではない。それは、媒体である以上に、実体なのである。スタティックな事物の等価物、すなわち実体の本質である。さらに言えば、作品(実は作品の文章)は記号そのものとして、そのような一定の実体的内容を盛りこんで封印した容器 以外のものではない。
 さて、そこで、こういう考え方に立って鑑賞指導が行なわれるとなると、どうなるかだ。
 教師はまず、自身の教材研究の過程で、作品の文章を記号にしたがって記号どおりにつかみとることをしなければならない。おのれを虚しうして、である。マークはまさに事物の等価物なのだからして、マークをマークとしてつかむことが、事物の実体である作品の内容を「客観的に」つかむことになる、という論理だ。その論理をうんと単純化して言うと、「読書百遍、義おのずからあらわる」というあれだ。
 となると、教師が生徒たちに対して求めるものがどういうものになってゆくかは、これは語らずして明らかということになりはしないか。作品の鑑賞 ではなくて、読解 だ。概念という名の網で文章の中身をすくって生徒たちに配分する、という作業がそこに行なわれることになる。たとえ、その網の目からこぼれるものがあったとしても、それはその作品の内容にとって本質的なものではない、云々。
 つまり、事物の本質は概念でしかつかめないし、概念化してつかまれたものがその事物の本質である、という考え方だ。したがって、事物の等価物として、事物そのもの(Ding-an-sich)以外ではないところの文学作品の内容的本質は“概念”である、とする考え方がそこにはあるわけだ。およそ文章(“ことば”)というものは、それが小説の文章であれ何であれ、概念でつかむほかないし、概念としてつかむ以外に手だてはない、という考え方である。これが、記号として、また記号によって作品の文章の内容をつかむ・つかませる、ということの実際の中身である。
 だからして、教師の発問は判で押したように、こうだ。「結局、作者は何を言おうとしているのか。」「そこに書かれていることは、要するに 何なのか。」
 “結局”と“要するに”である。
 もっとも、ときおり思い出したみたいにして、「そのとき主人公の気持は、どんなだったでしょう?」というような発問をまじえて、かたさ を解きほぐそうとする。指導要領で言う「修辞のしかたを味わって読む」というあれだが、それもしかし、主人公の心境は要するに どうであったか、という発問以外ではないわけだ。
 このようにしてまた、作品の内容の概念的エッセンス(つまり本質ちゅうの本質)だと教師たちによって考えられている“主題”の把握ということが、読解指導方式の国語教育の場合では非常に重んじられることになる。シュダイ? ……この作品(実は記号としてのその作品の文章)の内容は要するに 何なのか、それをひとくちで言ってみろ、というあれである。そこで、芥川の『くもの糸』の主題は何か? 「“利己心のいましめ”ということだと思います。」「そう、そうだね。そういうふうにとらえなくてはいけないのです。」ということになる。作品の筋をしぼりにしぼって、そうやって筋から割り出したものにちょっぴり道徳的教訓の寓意をほのめかして、主題の製造・作成終わり、というわけなのである。

   国語教育における戦前と戦後

 何か、どこか、おかしくはないか。いや、いろいろさまざまヘンじゃないか。その、いろいろさまざまの中の一つだが、そういう指導の発想には、概念化できないようなことまで、それを言語化(概念的言語化)してつかませようとするムリが見られる、ということだ。言い換えると、言語化して概念的にハッキリさせなくてはいけないことと、そういう必要はないという以上に、そうしてはいけないし、そうすることが無意味だ、ということとの区別がついていない、ということだ。ことばにしたらウソになる、しいて口にすれば大事なものはみんなこぼれてしまう、というようなものが、私たちの胸の底のここにある。それをどうしても概念の“ことば”で言え、というのはムチャである。
 概念的に“ことば”を操作するだけでは尽くせないものがそこにあるからこそ、その同じ“ことば”を形象的に操作するということを、同時にまた私たちはやっているわけだ。そういう“ことば”の形象的操作によって生まれる(生まれた)文学――文学的認知をそっくり全部、概念的認知のかたちのものに言語化しろ、と言っても、それはできない相談だ。できる、できないというより、それはナンセンスもいいところだ、ということになりはしないか。太宰も、こう書いている。
 ――兄はこう言った。「小説を、くだらないとは思わぬ。おれには、ただ少しまだるっこいだけである。たった一行の真実を言いたいばかりに百ページの雰囲気をこしらえている。」私は言いにくそうに、考え考えしながら答えた。「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるならば。」(『葉』)
 上記のような概念中心主義の姿勢で国語教育に携わっている教師や、その理論的指導者たちは、ほんとうは小説を「まだるっこい」と考えているのではないのか。「一行の真実」のために「百ページの雰囲気を」というのが小説というものであり、文学というシロモノだと、内心そう考えているのではないのか。百ページ、いや数百ページの小説の真実は、「たった一行」の概念の“ことば”に翻訳できるし、むしろそうやって翻訳されることによって、その小説作品の真実(本質)が保障される、とハッキリそう考えているのではないのか。もしも、そう考えているのでないのなら、文学に目つぶしを食わせ、鑑賞 をただの読解 にスリ替えるような、ああした授業の発想と組み方になるはずはないように私には思われるのだが。

 どう考えてみても、これは同じ発想なんじゃないかと思う。というのは、実は私のひとりごとだが、私自身が子どものころに受けた教育、戦前の国語教育のことだ。国語の授業といえば、本筋は、まず読本の文章を段落に分けて、それぞれの段落の要旨を言い、その要旨を横につなげて大意を言い、最後に「要するに」ということを言わされるしくみ になっていた。それで本番が終わって、「内容もスッカリわかったわけだし、もうスラスラ読めるな。ひとつ、立って、声を出して読んでごらん。感情をこめてな。」というところまで現在に同じ。
 さて、そういう作業の合い間に、“ことば”の意味 とかわけ とか解釈 と称するところの、要するに(それこそ要するに)“ことば”の言い換え作業をミッチリとやらされた。その解釈 で、子ども心にヘンだな、と思ったことがある。「すなわち」という“ことば”だが、それは「とりもなおさず」とか「つまり」と言い換えればいいんだ、と先生が教えてくれた。ところが、である。その同じ時間に、読本の別のページに「つまり」という“ことば”が出ているのにクラスのだれかが気づいて質問した。先生は言ったものだ、「これは“すなわち”と言い換えればいいんだ。」と。
 そこでは、“ことば”は、子どもたちの生活から完全に遊離している。いや、現実の生活そのものから遊離して“ことば”が扱われている。実生活の中で“ことば”をどう操作したらいいのか。それをどう操作することで“ことば”が思考に結びつき、自分の行動選択の手段になり得るのか、という実践的な視点からは、“国語”というもの、そして国語教育が考えられていない。それは、記号を説明するのに他の記号をもってし、概念を説明するのに他の概念をもってする、というただそれだけの作業に終始している。
 国語教育の場では、実はその概念の意味している事物が信号として(まさに信号として)与えられるべきなのだ。(指導がそのように行なわれなければ、“鑑賞”ということも成り立つはずがない。)だが、そこでは、その事物の信号のかわりに、別の概念がただ記号として与えられているにすぎない。「すなわち」という概念は、「つまり」という概念と同じだ。したがって、「つまり」という概念はまた「すなわち」という概念と同じだということになる。マークが違うだけで中身は同じものだ。少し違うところもあるが、それは先へ行ってわかるようになる。諸君がおぼえればいいのは、だから、どの記号とどの記号が同じ内容のものか、ということである云々。
 こういう教え方では、記号(マーク)を、本来の信号(シグナル)――“ことば”信号としてのはたらき において教えたことにはならない。“ことば”はそこでは“ことば”としての機能を停止する。民族的体験の共通信号の系としての国語は、ついにそこでは教育されえないで終わる。概念中心主義・記号主義の国語教育にあっては、文学作品は文学としての機能を発揮しえないし、鑑賞が読解に置き換えられることで鑑賞体験と言えるようなシスティマティックなものは、ついにそこに形成されることなく終わるほかない。
 このようにして、戦前の国語教育を語ることは戦後の国語教育について語ることであり、国語教育の戦後を語ることは戦前の国語をなぞる結果と一致する、ということになりそうである。これでいいのか。

   概念中心主義的心性の克服を

 だれかが言っていた。日本のインテリはカタカナ名前に対して弱い、という意味のことを。たぶん、清水幾多郎氏であったろうと思う。相手がサルトルであれ、ヤスペルスであれ、極端に言えばマキャヴェリーであれ、何でも同じだ。そういうカタカナ人種がかくかくのことを言った、というふうな引用があると、その論文を無条件に信用する。まるで、こわいみたいだ、と言うのである。
 それと歩調をそろえて、こういうことが言えないか。日本のインテリゲンチャの中堅分子である教師は、「科学的」な概念用語を使ってものを言われたとなると、とたんに弱くなるということが。――学問の装いを凝らした言い回しに対して教師は弱い、弱くなる、という意味である。
 レコードのミゾにドビュッシーの精神が、というような話には苦笑してみせる。露骨に嘲笑の色さえ示す。「すなわち」が「つまり」で「つまり」が「すなわち」だ、というような言い回しをすれば、それに対して「まるで落語だね。」ぐらいのセリフはちゃんと用意している。が、それと同じ文脈の話題を、「意味論的に作品形象を」しかじかして、その「客観的な内容」をどうやらする、というような言い回しに変えて話されると、これはもう笑い出すどころではない。「そうだ、その通りだ。」と言って真顔になる。なりかねない。つまり、そういう弱さが(むろん私自身をふくめて)私たち教師の判断のどこかにありはしないか、ということなのだ。これも、概念中心主義的心性のあらわれに違いないのである。
 自己内心の概念中心主義的観念・想念との対決と剔抉――このことを抜きにして、次の世代における文学的関心の高まりを期待することは、これはほとんど自己矛盾以外のものではないように私には思われるのだ。
(国立音楽大学教授)




熊谷孝 人と学問昭和10年代(1935-1944)著作より昭和20年代(1945-1954)著作より1955〜1964(昭和30年代)著作より1965〜1974(昭和40年代)著作より