岐路に立つ国語教育
 熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集』より
国語教育時評 6
文学教育論の新しい動向
  (初出:明治図書刊「教育科学 国語教育」1965年9月号) 


  広末・真鍋・益田・千葉氏の見解を中心に

 大久保忠利氏のことばをかりていえば、「文学教育は、いま向う側の無視、妨害を蹴って国語教育現場の中心課題となっている。」そして、「いま、いたるところで、理論家と実践家との共同作業がはじまっている。新しい時代の夜明けのすがただ。」
 それが新しい時代の夜明けのすがたを示すものであることは、疑いをいれない。ただ、その夜明けのすがたは、やや混戦模様だということなのである。
 究極において文学観や言語観の違いにつながるかたちで、そこに示された各人、各民間教育研究団体間の文学教育観や国語教育観には、かなり際立った対立が見られる。その見解の相違は、同じ文学教育というものに対する考え方の違いを示すものであるという以上に、文学教育ということば
(概念)をそこに当てはめて考えているもの が、めいめいに違っている、ということのようである。それは、あるいは、めいめいの考えている文学教育――<文学教育とは何か><文学とは何か><言語とは何か>が別ものだ、といっていいのかもしれない。少なくとも、そういう一面のあることは見のがしえないように思われる。
 たとえばの話だが、「文学教育の原理探究の段階は、もうとうに終わった。いまはその指導の体系的な手だて、手つづきをどう考えるか、という教授過程論の季節である。」というに近い考え方が、こんにちの文学教育論の中心的な流れのひとつである。
 
(そのような考え方とどうつながるか、あるいは、つながらないかということは別として)奥田靖雄氏たちによる一連の綿密で精緻な教授過程論の提示が、多くの現場のそういう考え方、そういう機運の支えとなっていることは確かなようである。
 ところで、その片側には、そのようにして行なわれている学校文学教育は、「なんとなくきれいごとで、文学のようなもの をやっ」ているにすぎないのではないのか
(広末保氏――三省堂「高校国語教育」No.4)という批判もある。
 「文学というものは、ある程度反秩序的な契機、いわば悪の要素を持って」いる。「その材料をさげて、教室に入っていく人間、教師というのは爆弾のようなものをかかえこんで入っていく、非常にやっかいなもの」なはずだ。「だから文部省が、文学なんてものを学校でやらせているのは、非常に寛大」なわけなので、「極端にいうと、つまり国語だけ
(中略)スタンダードな国語だけをやって、文学は昔のように隠れて読んでというようなものが、どういうふうにとらえられているのか」云々。(広末氏・同上)

 真鍋呉夫氏も言っている。「文学というのは完了した世界観を表現するものではなくて、未知の事物に対して、間違っているかもしれないけれども、大胆な仮説を提出するものだ。」つまり、文学というものは、「いままで、もっともらしい、わかりきったものとされてきたことを、プレヒトのことばでいえば異化する」わけだ。だからして、教室で文学作品を読ませるのはいいのだけれど、「それが完了形のかたちで与えられることに問題があるのではないか」云々。
(同上・No.4)
 指導手順をさぐること、方法を組むということを否定などしているのではない。作品の表現を自己完結的なもの、完了したものとしてつかんで、指導手順を構想している点に疑問を投げかけているのである。文学が「完了形のかたちで与えられる」とき、それは、もはや文学でないもの、つまり「文学のようなもの」になってしまうからである。
 益田勝実氏が、やはり同じ誌面で、「先生が、そっちょくなおもしろさを感じなければ、
(その作品は)教えなければいいのではないか。逆に、自分がおもしろいと思ったら、それを持ってきたらいいのではないか。」と語っているのも、一面、同様の理由からだろう。(もっとも、この引用のかぎり、それでは教師が自分でおもしろさを感じないような作品は、すべて教えなくてもいいのか、という疑問が残るだろう。だが、それは別の次元の問題だ。ここでの問題は、自身に感動をさそわれないような作品は教材として使いようがない、という点の指摘である。)
 再引用になるが、次のような千葉一雄氏の発言も、益田氏の見解につながるものがあるだろう。
 「文部教研でも県支部の第14次教研でも同じでした。この方法を使えば必ず授業がうまくいく、という特効薬みたいな“方法”を求める声がとても多い。
(中略)教室の子どもたちの現状に即して教師が自分で教材をえらび指導手順を組む、という意欲を欠いているから、そういう考え方に落ちこむのですね。(中略)自分では感動してない作品を、生徒にどうやって感動させるかなんて、矛盾した虫のいいことを考えるものだから、“方法”という特効薬さがしになるのですね。」(本誌・No.78)

  伊藤・渡辺・山地・大河原氏の見解を中心に

 ところで、伊藤整氏もまた、上記の問題に関連するところの、次のような発言を行なっている
(筑摩書房「国語通信」)。 
 ――教えてもらいたくないと思うんですよ、下手に文学なんかを学校でね。文学については、むしろ、ほんとうに教えてもらいたくない。(中略)国語の教科書で和歌や俳句が出てくる。それを教えるのね、実に、どろ足で心の中を踏み荒らすようなものだ、という気がしました。本当に、そんなことをしてもらいたくなかった。字の書き方、文章ですね、記録、そうしたもの、でなければずっと古い、(中略)「論語」でも何でもいいですよ、ごく古いもので、なかなかひとりで読むチャンスがないもの、それも読み方の問題がありますね、そういうものがあるということを教えてもらえばいいのでしてね。

 ――やはり、公にされたような形でウソを押しつけられることのたまらなさを感じてしまうのですね、教科書というものを見て。だから、本当のことは諸君が自分で考えればいい、ということが、ほんとうに正しい教え方じゃないか。やはり文学なんかの中身らしいものを自分の気質からつかむ、ということは、人にはいって来られたくない世界をつくることですからね。さわってもらいたくないものですね。それは特別親しい、そういう気持をもつような先生でもいれば別ですけれども、そういう先生は、めったに人生で会うものじゃないですから。

 ――本当の意味で文学を教えるということは、(中略)どういうことですかね。つまり、技法を教えてもらえばいいんだと思うんですよ。技法というんですか、手段をですね。やはり、ひそかに味わうとか、反抗して、抵抗しながら理解するという喜びをジャマしないでほしい、ということですよ。むしろ、抑えつけてくれたほうが、まだいいんじゃないかと思いますね。こういうものを読んじゃいかんと言えば、それを読みますからね。それがいいことじゃないかと思うんですけれどもね。
 文学がわかるというのは、作品のすじ として「わかる」というようなことではない。たんに、すじ がわかるというようなことではなくて、作品の表現がその表現のディメンジョンにおいて理解されたという場合、それは読者の内側に、なんらかある文学体験が成り立った、ということだろう。文学(文学作品)がわかるというのは、文学(文学体験)がその作品の表現とのある函数関係において成り立つ、自分のものになる、ということ以外ではない。
 つまり、すじ ではない、作品の文学としての中身は、めいめいがめいめいの文学体験をそこに成り立たせるというかたちで、めいめいに「自分の気質からつかむ」ほかないものだ、ということなのだろう。だから、「本当のことは諸君が自分で考えればいい、というようなことが、ほんとうに正しい教え方じゃないか。」そこで、もし、そういう教え方、教え方の構え
(姿勢)が自分にとれないのなら、「文学については、むしろ、ほんとうに教えてもらいたくない。」「下手に文学なんかを学校でね」といわざるをえない、ということになるのだろう。
 このような伊藤氏の所論に対して、渡辺宏氏は本誌・No.78の誌上で、「これらの文学者の国語教育観には、一つのエリート意識があるのではないか」という批判を投げかけている。が、一面、こうした「文学者の意見には、私たちが謙虚に学ばなければならない多くのものがある。国語教育において、とくに文学作品の取り扱いにおいて、何もかも教えようとする一種の些末主義に陥っていないかどうか。……
(それは)文学教育オプティミズムへの警鐘なのである。」とも語っておられる。
 何もかも教えようとする一種の些末主義云々――かんどころ をおさえた指摘だ、と思う。その 作品の示す体験や感情を理解できるだけの感情の素地が受け手
(学習者)にできていなくては、はたでいくらやいやい言っても感動が湧くはずはない、ということなのだ。私は前に書いたことがある。「これまでの学校文学教育は、ところで、どうも全部をわからせる―― 一律に、紋切り型に、全部をわかったことにさせてしまうブンガク教育だったような気がしてならない」ということを。
 発達や発達の個人差・方向差を無視して、「何もかも教えよう」とする文学教育は、すでに文学教育の第一歩を誤っているのではないのか。「読みは、ひとり読み こそ究極のねらいであり、読みの指導は、子どもたちひとりひとりが表現をおさえた読み方ができるようになることを目ざして行なわれるべきだ。」という山地芳弘氏の指摘
(6月18日、奈良小研究発表会)は、そこでまた文学の鑑賞指導の核心に触れたものということができるだろう。
 ひとり読み云々――「子どもたちが学校を終えても将来職場へ入っていく、そういう人生のずっと将来までを考えて、そして、その中で常に文学が子どもたちのものであるように、子どもが成長したその状態のものであって欲しいという願いが根底になくちゃ、文学教育に対するほんとうの構えは出てこない」
(大河原忠蔵氏――「国語通信」No.75)のだ。さらには、「作品も読めないというような忙しい、あるいは、いろいろな条件が出てきて読めなくなっても、やはり自分の働いている場所を、文学の目で見ていける力をつけてやりたい。そこのところを抜きに」して文学教育は考えられない(大河原氏・同上)ということが前提としてあるわけだ。

  寒川・手塚氏の見解を中心に

 上記の大河原氏の発言は、寒川道夫氏たちとの座談会記事の一コマだが、次に<教授過程論の季節>に対する、そこでの寒川氏の意見に耳をかたむけよう。
(前号でも引用したが) 
 ――この間、福岡での日教組教研集会の国語教育分科会に出席したんですけれども、以前には文学教育とは一体どういう意味を持つものであるのか、そのためには、どういう作品を持ってこなきゃならないか、それからその指導過程はどうでなければならないか、というような、かなり基本的な問題から掘り起こされて来ていたんですが、二年間出席できないで、今年出てみましたら、非常にそういう問題のとらえ方が違ってきていることを感じました。
 というのは、文学作品の受け取らせ方については、三日半ばかりの分科会のうち、二日半というものは、もうすでにある作品を、どう受け取らせていくことが正しいか、という教授過程論にウェイトがかかり、いろいろな実践報告の中からそれを探り出す、ということに中心があったわけです。

 ――以前には非常に熱心に一生懸命に語られた作品論、こういう社会状況の中でこういうふうな子どもたちを育てたい、それにはこんな作品がいいんじゃないか、あるいは、こういう作品を読ませてみると、子どもたちは、こんなふうに考え方が変わってくる、というような、そういう作品論というものが、極めて微弱だったのです。
 とにかく、そこでは疑問なしに、文学作品をいきなり投げ出して、この作品は、こういう作者の意図であり主題であり、こういう表現である。――形象ということばを使いますけれども――だから、その形象を読み取らせることによって主題に迫っていくには、どういう手だて が必要であるか、どういう手だて は間違いであるか、ということだけが非常にこまかく取り上げられ(中略)文学教育の基本的な問題は、すっかりネグレクトされてしまった格好だったと思うんです。
 そこに語られているのは文学教育の基本的な問題への原理的な反省の必要ということである。さらに付言して氏は語っている。ことの順序として、実は「まず、ここで、文学教育とは一体何であるかが問われる」べきである。そして、「それに答える」というかたちで、「文学とは何であるか」が探られねばならない。「そこから、では、その作品を子どもたちのものにしていくために、どんな手だてが必要であるか、ということが導き出される」べきであるのに、手順主義ではその関係のおさえ方がさか立ちしている、云々。
 寒川氏の批判は、おそらく当たっているのではないか。上記、諸氏の見解とかさね合わせて考えると、そういう判断に行き着くのではないだろうか。とすれば、
(これは、三省堂「国語教育」6月号の波多野完治氏の論文からの孫引き引用だが)「自分が文学をわかりたい、その気持が、学習者に伝わるところに、本当の教育があるのではないか」(手塚富雄氏)というような構えが、基本的な構えとしてまず、こんにちの文学教師全般に対して求められるのではあるまいか。


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