岐路に立つ国語教育
 熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集』より
  
民間教育運動を中心に―記号としての言語・信号としての言語
(初出:明治図書刊「教育科学 国語教育」1965年3月号 「国語教育の成果と反省―民間教育運動を中心に」を改題) 


     大幅な一歩前進

 《国語教育研究の成果と反省》というこの課題についてなのですが、こういう課題に答えるのにふさわしい人は多分、児言研(児童言語研究会)教科研(教育科学研究会)のメンバーの中にいるに違いありません。というのは、影響力が大きかったという点でも、ことし、いちばん精力的に、組織的に、実(み)のある仕事をやってのけたのは、この二つの民間教育団体の人たちであったように思われるからです。
 ですから、教科研なり児言研のだれかが、自己反省をかねた自己主張のかたちで問題を再整理すれば、それが課題に対する、いちばんスッキリしたかたちの答えになる、と思うのです。だけど、いま、ここで、そんなことを言ってみても、はじまりません。教育界の楽屋事情には暗くて、その点ちょっと不安もありますが、ともかく自分なりの判断を、ありていにここに書きつけてみよう、と思います。むしろ、舞台裏の内情に暗いという利点(?)を生かして――なのであります。あるいは、そういう「内情」につきあう必要のない身の気楽さを生かして、ということなのですけれど。

 ともあれ、そこで、ことしのいちばんの収穫は 国語教育の構造ないし国語科の教科構造について、教育観や言語観・文学観の面から、かなり深いほりさげが行なわれたことだったろう、と思います。また、文学科の分離・独立の問題や、文学教育の原理・方法に対する反省が、そうした教科構造への省察のなかで、新しいオーダー、新しいディメンジョンの問題として日程にのぼりました。さらに、そこに、国語教育の方法全般にわたる原理的な反省というかたちで、表現と表現理解の指導――とりわけ、読みかた指導の構造分析が、かなり徹底して行なわれました。
 これは、新しい三層読みを主張する側
(教科研)でも、一読総合法を主張する側(児言研)でも、外に対する批判の目を徐々に内に向け変えるかたちで、それぞれの団体がそれぞれに構想を緻密なものにしてきている点が特徴的です。昨年度の国語教育界には見つけることのできなかった、ひとつの前進がそこにあるように思われます。
 このような前進は、内部批判を徹底させることで自分たちの論理をたしかめる、という、それぞれに主体性を確立した各団体の姿勢によって保障されています。自己の論理が正当であることのあかしを、他をねじ伏せることの中に求めるのではなくて、むしろ、自己の論理の不備と真っ向から対決することで論理そのものの深化と発展をねがう、というその姿勢です。そのような姿勢による内部批判・相互批判が、今年度の大幅な一歩前進を約束したように思います。

 そのような前進を支えた多くの人びとの中でも、林進治・菱沼太郎・松山市造・小松善之助・村松友次などの児言研の諸氏
〈注1〉や、やはり児言研のメンバーであろうかと思われる、上記林氏を中心とする横浜市立奈良小学校の現場人諸氏〈注2〉、さらに教科研の奥田靖雄氏〈注3〉などが果たした役割は大きかった、といえましょう。また、奥田氏たち教科研の理論に対する、日文協(日本文学協会)の三枝康高氏による内部批判的発言も、民間団体相互間の理論交流の表れという点で注目にあたいします。〈注4〉
〈注1〉 林進治氏――「国語科の構造はどうあるべきか」(『児言研国語』第一号)・「シンポジウムの意見を読んで」(同 第二号・意識すると、しないのと」(同 第三号)
菱沼太郎氏――「分析・総合の基盤を明確に」(同 第一号)・「児言研の責任を痛感」(『教育科学・国語教育』72)
松山市造氏――「基盤課程の構造を中心に」(『児言研国語』第一号)
小松善之助氏――「今後の課題を探りながら」(同 第一号)・「用語研究の重要性を痛感」(同 第二号)
村松友次氏――「日本語科・文学科の分離を」(同 第一号)・「批判読みの立場から」(同 第二号)
〈注2〉 奈良小著『一読主義読解の方法』(明治図書・一九六四年五月刊)
〈注3〉 奥田靖雄氏――「文学作品の構造について」(『教育』173、174)
〈注4〉 三枝康高氏――「文学作品の典型の問題」(『教育』173)
 注目すべき発言ということでいえば、日文協大河原忠蔵氏の発言〈注5〉(日文協・長野集会における報告)は、氏の状況認識の文学教育論が最近とみに説得力を増し加えてきていることを示しています。自己内外の状況を、文学のことば で書きとっていく能力を育てよう、という、そのすぐれた発想は、しかし方法的・実践的にはほとんど一般化することが不可能に近い方法である、という印象があったわけです。それは、すぐれた財産ではあるが個人財産にすぎない、という印象です。印象におけるその個人財産が、じつは教育現場の共有財産であった(であり得る)ということを結果として語っているのが、氏のこんどの発言です。文学のことばの機能を《状況の映像的把握》として明示することで、そのような共有財産化への道を用意している、というのが私のみかたです。
〈注5〉 林尚男氏「今日の状況と文学教育」(本誌 72)の記述と紹介に拠る。
 また、上記一連の菱沼太郎氏の論文ですが、そこには、第二信号系の理論のゆがみない摂取と国語教育の現場へのそのすぐれた移調をみることができます。(これは全然の個人意見ですが、そこに示されているような言語観に媒介されるならば、上記大河原氏の映像論は客観的な根拠を与えられると同時に、その共有財産化への道筋をより確かなものにすることができるようにおもわれるのですが――。)ともあれ、それは、いまの児言研方式の言語観・言語理論・学習指導プランを、部分的には変改をくわえ、それをさらに大きく飛躍・発展させていく、もろもろの契機を内包している所論のように思われます。 
 ――「コトバを外しての姿勢は論じられないが、そのからみあいの上で、姿勢がコトバをも選んでいくのである。姿勢、つまり構え・態度である」云々。
 ――心理に即して、論理(コトバ)をきたえる」のが読みの指導の正しいありかたである、云々。
 ――「単なる単語のプラスされた寄せ集め的理解では、結合されたコトバへの正しく深い反応はできない」云々。
 そして、「概念化(を行なうこと)が認識の深まりを将来する」ことになる、というふうに、「仲間で、甘く考えて」いる傾向はないか、という内部批判をそこに展開しています。こんなコマ切れ引用では紹介にも解説にもなりませんが、ともかく菱沼氏の上記の諸論文に示された「ことば」機能の構造理解は、こんごの国語教育の前進のための確かな足場を用意したものである、というふうに私はみています。
 菱沼氏のすぐれた問題整理とあわせて、特筆にあたいするのは、ことし本誌の国語教育時評を担当して活躍した、寒川道夫氏の批評家としての仕事です。あるいは、その仕事ぶりです。批評ほんらいの機能は否定的媒介――媒介 ということにあるわけですが、現実・現状はむしろその反対です。いやみ な皮肉をまじえながら、無媒介に自分の独断を口にする、というふうなことになりがちのようです。寒川氏の批評は、その点、誠実にそれぞれの立場への理解を深めながら、対立するそれぞれの見解のあいだに接点をみつけて、論点を媒介し方向づける、という態度でつらぬかれていたように思います。
 今年度の国語教育研究の深まりが、外に対する批判の目を内に向け変える姿勢の中に用意されてきたものだ、と先刻私は申しました。ところで、一般のそのような内省への動きがつくり出されていく上に、寒川氏の公正な媒介者としての批評の姿勢が、その促進に大きく一役買っていることが見おとされてはならないように思います。氏はついに火つけ役にはなれなかったが、すぐれた火消し役でありえた、というのが、親しづくでいう私の実感です。
 とりわけ、「分裂的傾向へのいましめ」という題で書かれた、本誌・66の時評は、私たち民間教育運動にたずさわる者にとって、まさに頂門の一針でありました。

     言語学主義的偏向

 寒川
氏につづけてご登場ねがうことにしますが、本誌・最近号(74)の時評で氏はつぎのように語っています。「文学教育こそ真に実のある国語教育だという説もある
(たとえば文学教育研究者集団の立場)」が、しかしそれを文学科として「分離した方がずじが通り、研究も進むのではないか」云々。「文学教育が必要としているものは、言語ではなくて、その内容」である、云々。「言語教育ならば、言語自体の習得と修練を目的第一義とせねばならない。それが、言語教育と文学教育とが、目的論的立場から分離した方がいいという考えの根拠である」云々。
 氏の所論を引用したわけは、それが各方面の教科構造論の帰結を代弁したかたちのものになっているからです。したがって、それは同時に、今年度の国語教育研究の帰趨をさし示すものにもなっているからです。
 たとえば、教科研では、現在の国語科は、「読みかた・つづりかた教育
(言語活動の指導)、せまい意味の国語教育(言語の指導)、文学教育のみっつのよりあいじょたい」であり、「これは、教科の構造を再編成する運動のなかで、みっつにわかれていかなければならない」ものだ、という考え方に立っています。「文学教育は、ほんらい、芸術教育の重要な一領域として、国語教育とはちがった、独自の目標をもつもの」であり、「当然ひとつの教科として独立していくべきもの」である、というわけです。それでは、国語教育のめざすところは何か、というと、「日本語についての科学的・体系的な知識をきちんと教え」ることで、子どもたちの「読み書きのちからをぐっとたかめ、しかも、日本語の表現力をさらにゆたかにする」ということのようです。〈注6〉
〈注6〉 野村篤司氏「私たちの歩みをふりかえってみて」(『教育』154)
 児言研・奈良小方式の、基盤課程・文章課程・生活課程という三本立て構想の教科構造論や、同じ児言研の村松友次氏の文学科(内部)独立論や、また日文連(日本文学教育連盟)の独立論などについては、寒川氏が本誌・71、74その他で時評の対象としてとり上げているので、ここでは紹介をはぶきます。

 ことばを重ねますが上記寒川氏の所論は
(結果として)世の多くの教科構造論を代弁したものになっているわけです。そこで便宜上(というのは紙幅の関係上)、ここでは氏の所論を話題にするかたちで、氏の見解が代表するような、そのような考え方への疑問を書きつけておこう、と思います。
 疑問? ……じつは、いたってプリミティヴな疑問なのです、文学教育が必要しているのは言語自体 ではなくて、言語の内容である、云々。言語教育では言語自体 の習得と修練を目的としている、云々――という場合の、「言語自体」というのは一体、何のことなのか、ということなのです。
 思うに、それは、言語学の次元でつかまれた言語、すなわち歴史的・伝承的な記号としての言語のことでありましょう。つまりは、民族的・社会的なしきたり という関係側面において、作用果
(結果)としてつかまれた言語のことでありましょう。言語現象に対する言語学固有の対象化の仕方は、それを作用果として認知・認識しようとする構えにおいて保障されるわけなのですから。
 したがって、文法教育
(ないし、いわゆる言語教育)の場にあっては、言語は、いわば社会的なきまり として一定の意味(語義)をもった語い と、やはり一定の形態法則であり構文規則である文法との相乗積にほかなりません。言語教育の場は、そのようなものとして、まさに「言語自体の習得と修練」の場である、といっていいのであります。

 問題は、ところで、作用果としての、そのような次元・側面における言語だけが「言語自体」ではない、という点に関してであります。したがって、また、作用果としての言語の「習得と修練」を行なうことだけで、「言語自体」――国語自体の「修得と修練」が実現されはしない、ということなのですが。
 「言語自体」とは何か、何が「言語自体」ということ
(というもの)なのか、という場合、見すごされてならないのは、言語心理学がその次元で対象化するところの、(個々の具体的なシチュエーションと、その場面規定のもとではたらく)言語の、機能的な作用因 (原因)としての 側面でありましょう。人間の思考活動(内部コミュニケーション)を支える言語(内語)も、現実のコミュニケーションを支える言語も、この作用因としての言語にほかならないのですから。
 そのような言語
(作用因としての言語)が、事物の第二信号――(個々の場面規定における)事物の意味の等価物として、内容・形式一体のものであることは申すまでもありません。作用因としての言語・国語についての指導を行なうところの、「言語自体」の教育は当然、(寒川氏がいうところの)「言語の内容」を問題にせざるをえません。それの実質的「内容」から切り離された言語の「形式」面だけが「言語自体」である、という考え方は、言語学主義的偏向とでもいうほかないでありましょう。(言語学主義――それは、言語学という学問自体とは無縁のものであります。)このような考え方は、まかりまちがえば(意図に反して)国語科は言語の形式面を指導する形式教科だ、という考え方にも滑りかねません。〈注7〉
〈注7〉 拙稿「国語教育以前の問題から」(本誌・48)参照。
 そこで、もしも、唯一の「ことば」の科学は言語学であるという考え方や、国語教育の基礎科学を言語学に限定して考えるような考え方がどこかに潜んでいるとすれば、その点は反省されなくてはならないように思うのです。語義や文法やレトリックが身についたものにならなくては、民族的な「ことば」体験は、ほんものにならない。けれど、言語学にみちびかれた、そうした「ことば」認知をそこに成り立たせるためにも、言語心理学のわく組みによることば認知の支えがやはり、そこに必要だろう、ということなのです。
 さらにいえば、国語教育の目的のひとつは、構文規則なら構文規則をきちんとつかんだ上で、言語を作用因として 自由に操作し、民族的な発想において自由に、ゆがみなく、思考活動をくりひろげてゆけるような人間の素地を、段階的につちかうことでありましょう。だからして、作用果としての 「言語自体の習得と修練」は、じつは作用因としての 「言語自体の習得と修練」のための手段にほかならないでありましょう。この 手段を欠いて、目的は実現しない。けれども、それは手段にほかなりません。それは基本的な手段ではあるが、しかも、もろもろの手段の中のひとつの手段にほかならないのであります。

 ことばを重ねますが、作用因としての――つまりは第二信号系としての「言語自体の習得と修練」ということが、国語教育のだいじな作業側面
(領域)であります。とすれば、もっとも洗練されたかたちの「ことば」操作(作用因としての「ことば」操作)の体験にほかならない文学(文学体験)の指導を故意にその作業のわく からはずして、国語科の作業が果たして「言語自体」「国語自体」の教育になり得るか、ということなのです。教材の面からいっても、これでは、おかしい。国語教材は、「芸術作品の域にまで達したものでなくては、大した物の用に立たない。」「わたしは、あえて、その教材全部を文学作品にすることをのぞんでいる。」という菱沼太郎氏の発言(前掲論文)は、問題のありかを的確にいい当てています。
 だからして、文学教育を欠いては国語教育は成り立ちえない。それは、国語教育の重要な体系的一環である、という考え方にゆき着くのですが、寒川氏たちの考え方と、どこで、こうも食い違ってしまったのでしょうか?
 誤解をさけていえば、じつは私自身、文学科の独立ということを考えているわけです。独立論そのものに反対なわけではありません。しかし、文学教育が本来的に国語教育とは目的を異にした教育活動だから、「分離した方がすじが通る」というような考え方には、上記のような理由から反対です。文学教育は本来的に、国語教育以外のものではありません。それは、文学教育が芸術教育であるということと矛盾しません。文学教育という名の芸術教育は、すぐれて作用因としての「ことば」操作の指導に支えられて、またそれと同時に、作用果としての「ことば」認知・「ことば」操作の指導を支えとして、はじめて成り立ち得る芸術教育だからであります。
 ところで、もろもろの教科が国語教育を母体としつつ、やがて国語科から分化・独立していくように、文学教育活動も、当然ある時期以後においては
(私案にしたがえば中二・中三以後の段階で)、独立した一個の芸術教科としてのわく組みのなかでいとなまれるようになることが望ましいわけです。
 意を尽くしません。とくに、示唆されるところ多かった奥田靖雄氏の上記の論文に言及できなかったことは、心残りです。与えられた紙幅のなかでは、とても扱いきれない、問題の複雑さを感じたための見送り ということでした。他日を期します。また、私自身の教科構造論については、近刊を予定している、文教研のメンバーとの共著のなかで、多少の紙幅のゆとりをもって語ることにします。


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