資料:鑑賞主義論争
「国文学 解釈と鑑賞」 昭和11(1936)年9月号掲載  

    
再び鑑賞の問題について     熊 谷   孝


 「文芸作品は、飽くまで文芸作品であってそれ以外のものでないのだから、作品の研究に際してのわれわれの態度も、おのずから対芸術的なものに鑑賞的なものになってくるし、また当然そうあらねばならぬ処だ、鑑賞という操作を抜きにして結局文芸はわからないのだし、鑑賞に透徹することによってはじめて文芸の本質も根本的に把握されるというわけのものなのだ、鑑賞を措いてなんの文芸研究ぞ!」謂(い)ってみればそういった考え方が主張が、これまでわれわれの学界のうち外におこなわれてき、それは、人々によって、なにかしら批判済みの事として、いいかえればはじめから判りきっている事でもあるかのように思い込まれ、一向反省らしい反背をも試みられることなしに今日に至ったのであった。これまで世に送りだされた多くの労作をみるに、このような見解が果して正しいものであるか否か、という点に関しては一向無反省に、安易にひたぶるに鑑賞批評的な態度をもって作家を論じ、作品を扱ってきたもののようである。今日においても、こうした事情に一向変るところはないのである。しかしながら、啻(ただ)に作家論や作品論の実際において、昔ながらの作家への礼賛が繰り返されているというばかりでなく、ともかくも理論的なかたちに於(おい)て「鑑賞」の合理化が行われ、鑑賞に関する教説が其処此処(そこここ)に氾濫しているというところに、鑑賞派の主張が却(かえ)って今日に至って一段と強化され、それはやがて支配的なものにさえなり了(おわ)ろうとしている、という新しい現象がみられるわけなのである。そのようにして、今日、鑑賞「理論」が強調されきたったことの一般的根拠については、「国文学誌要」七月号所掲の拙稿に詳しいからそれを参照して戴くことにして、ここでは一応の意味で、既成文芸理論が足場を掬(すく)われはじめるに及び、鑑賞の問題への関心が一般に惹起(じゃっき)されるに至った事の結果をいいあらわすものである、という風にのべておこう。はじめに断っておいたように、これは、もとより一応の意味での説明でしかない。が、しかし、こういう言い方とても全然無意味なわけではない。事実、人々は、鑑賞の意義についてあれこれと思いをめぐらし、文芸の学的研究に際して「鑑賞」の占めるべき座席を設定しようという努力を示してきたのだから。だが、われわれにとって問題は、そうのような反省が、反省の仕方が果して正しいものであったか、つまり、真に理論的な反省として反省されたものであったか、という点、その一点にかかっているのである。あからさまに言えば、文芸の研究において「鑑賞」の占めるべき座席はどのようなものであるのか、という問題の設定が、第一的外れに近いものであった。あながちにから廻りだとは言い切れないまでも、から廻りな結果に陥り易い問題の設定の仕方であった。「鑑賞」にはなんらかの意味で分け前を与えようことを予想し、そういうことを前提としがちなこの場合、なお更もって危険な立論であった。問題は、まさに、文芸の研究に際して、鑑賞が果して分け前をもち得るか否か、という点から出発さるべきであったのである。

 処
(ところ)で、今日、人々は、鑑賞の意義について次のように語っている。
 (A) 凡そ文芸の研究なるものは、鑑賞に透徹することを目指すべきであり、また鑑賞に終始すべきものなのである。なぜなら、鑑賞は文芸・芸術を理解する唯一の「方法」であるのだから。
 (B) 文芸には、一般科学の方法をもってしては処理しきれぬ本質的価値というものがある。かかる文芸にとって固有の本質的価値なるものは、直観によって、鑑賞の力によってはじめて明かにされるものなのである。だから、われわれの努力すべきは、ひとえに鑑賞能力の増進ということにあるのだ。
 (C) 文芸の学的研究は、文芸の鑑賞とは一応峻別して考えらるべきである。しかし、われわれが文芸作品に接した場合、これまでに経験しなかった新しい経験にたいする驚きの感激を作品から受ける、そしてこのような感激を契機として作品への理解がおこなわれているのもまた否み難い事実だ。とすれば、鑑賞は、文芸の学的研究にとって不可欠の前段階としての位置づけをもつことになる。だから、作品の客観的理解は、作品にたいする鑑賞者としての自らのイラチォナール
[非合理的]な経験への理論的な省察を試みることにその出発点をもつことになる。
 (A)の場合は、作品の鑑賞ということと作品の客観的理解ということとの履き違え・混同に基く自らの素朴な混乱をいいあらわす以外のものではなく、殆
(ほとん)ど批判の余地もない暴論でしかない。こういうことを平気で言われる方々は、自ら学者としての資格を放棄していられるわけであるから、も早なにもいう必要はないのである。
 (B)の場合といえども鑑賞に透徹することによって批評にまで至り得る、と考えているという点では、けっして(A)の場合と異なるものではない。唯、この場合(それはAの論者の主張のうちに潜められていたところのものであるが)、かかる鑑賞一点張りの所論が、まがいもなく芸術派の芸術価値説と結びついて語られたそれである、という点が見遁
(のが)しえないところなのであり、この種の教説の実体 が、その思想的根拠がどのようなものであるかを端的にいいあらわしているものとして興味ふかく見られるのである。ところで、わたくしは、嚮(さき)に、こういう論者にたいして次のように語った「およそそれが科学である以上、政治を対象とした科学であろうと、宗教を対象とした科学であろうと、芸術を対象とした科学であろうと、それらが、おしなべて唯一つの科学的方法によって(また、それによってのみ)方法されなければならない、ということは、いうまでもない話だ。また、そうである限り、芸術学が、文芸学が、問題とする『価値』も、いわずもがな科学が追究する『価値』以外のものであってはならなぬ筈である。宗教的価値・芸術的価値等々並立する、若しくは対立する価値が個々別々にあるのではない」と。要するに、「芸術には芸術の価値」があるといった考え方は、芸術性と芸術的価値との履き違えによる素朴な混乱を表明する以外のものではないのである。〔註一〕 次のような反問を呈して(B)の所論にたいする批判を了(おえ)ることにしよう。若しも、「文芸の本質的価値」なるものが、鑑賞に透徹することによってのみ把握されるものであるとすれば、作品の価値は、研究者(実は研究者でもなんでもない、それはただの享受者にすぎないのだが)個々人の鑑賞能力のひらきによって(一個人の場合においてすら、年齢や心境やなどによって)如何にでも変り得る筈(はず)である。そうであるとすれば、作品の価値評価の規準は絶対にあり得ないという結論を導きだすことになりはしないか。(われわれは、如何なる意味にもしろ基準のない評価を、評価の資格においてみとめなえないものである。)
 いよいよ(C)の場合であるが、この論議については、「文学」九月号において詳論する予定であるから、ここでは簡単にレヴューしておくにとどめよう。――要するに、一見科学的な外貌を装うているこの立場は、しかしながら、作品の鑑賞ということと作品の客観的理解ということとを混同しているという点では、(A)(B)の論者たちの場合となんら質的なひらきのないものなのである。成程
(なるほど)、われわれは、文芸作品に接して心うたれることもあれば、作品への感激から、そういう経験をとおって、その作品にたいする客観的理解に至る場合もある。しかし、それは、われわれにとって、飽くまで、心理的現象の単なる時間的な順序を示しているに過ぎない。研究者としてのわれわれは、享受者としてのわれわれと決して同一資格に於けるわれわれではない。軸が違うのである。研究者としてのわれわれは、最初から、作品への客観的理解を目指す、そういう秩序に於けるわれわれなのである。鑑賞が、文芸の学的研究において、その不可欠の前段階でなど断じてありはしない。
 「作品の客観的理解は、作品にたいする鑑賞者としての自らのイラチォナールな経験への理論的な省察にその出発点をもつ」というのか。だが、鑑賞経験を対象として、それへの理論的省察をおこなうということは、結局作品観照の心理的過程を理論的に省察するというだけのことではないか。そういう省察が、よし方法的におこなわれ得たとしても、そういう操作は(それは別の科学の課題にたいする応答ではあり得るとしても)文芸科学にとって直接なんのかかわりもないものであるのは言うまでもないことだ。――再びいう、鑑賞は、学的な前段階でなどけっしってありはしない、と。

 われわれは、以上において、今日、一般におこなわれている鑑賞に関する教説について、それらの内包する誤謬を指摘しながら、われわれの見解を一二簡単にのべてみた。われわれは、「鑑賞」(素朴なものにしろ手のこんだものにしろ)が、如何なる意味においても文芸の学的研究――文芸科学の分野に、自らの分け前を座席を主張し得るものではない、と考えるものである。文芸科学は、鑑賞の手引などようのものでもなければ、鑑賞の方法論を説くものでもないのだから。鑑賞は鑑賞として、それ自身のほんらい的な意義において生かさるべきものであることも、また言うを挨
(ま)たぬところである。
〔註一〕 国文学誌要・七月号所掲の拙稿において、「芸術性」が「価値」にかかわりをもって来ぬかのような言い方をしてしまったが、全然書き誤りであった。本誌に執筆の機会を与えられたこの際に一言訂正させて戴く。なお、窪川鶴次郎氏が、最近報知紙上で、この種の問題について論じていられたが、それに対するわれわれの批判は「文学」九月号所掲の稿に詳しい。 

此の論文は特に本誌八月号国文学時評に対して寄稿せられたものであることを付言しておく。


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