〈なぜ、いま、太宰文学か〉を問う
文学教育研究者集団著 熊谷 孝編
太宰文学手帖 
  
    責任編集者:熊谷 孝(くまがい たかし)
国立音楽大学名誉教授。文芸認識論専攻。著書『芸術とことば』(牧書店)、『文体づくりの国語教育』(三省堂)、『芸術の論理』(三省堂)、『井伏鱒二』(鳩の森書房)、『太宰治』(同)、他。


文学教育研究者集団:

1958年、「文学と教育の会」として発足。1960年、改称成立。1983年、学術会議学・協会協力団体となる。

編集委員:
福田隆義、荒川有史、夏目武子、山下明、佐藤嗣男、高田正夫
  
1985年11月30日
みずち書房 発行

四六判 224頁
定価 1442円 
絶版

 
  なぜ、いま、太宰文学か(抄)  
 (…)これは執筆項目を適当に割りふって編集された、寄せ集めの論文集ではありませんし、そういう編集物ではないのであって、これは、現在進行中の私たちの共同研究のプロセスを、各自代わりあってリポートするという、そういう性質のいわば提言集にほかなりません。私たちの立場は、一つ。〈現代史としての文学史〉の視点的立場です。そういう視点からの、〈なぜ、いま太宰文学か〉を問うことがテーマ――共通・共同の研究テーマなのであります。
 今年度後半のサークルの月例研究会のテーマを私たちは、上記〈なぜ、いま、太宰文学か〉という一点にしぼり、自分たちの研究の基本姿勢が或る一致をみるところまで討論を重ねました。結果は太宰が言うところの、「水到りてきょ成る。」(『葉』)ですか、そういう自然なかたちでの発想の一致というのにはまだまだ遠いようですけれど、でもある程度の視点の一貫性をこの小冊子に持たせることはでき得たかと思います。
 そこに一貫する視点、と言いましても大仰なことではありません。プリミティヴなというか至って自明なことなのです。J.デューウイが、人間の全生活過程を植物、、 にたとえ、芸術という生活の部分をにたとえて、その相関関係を理論的に究明することの必要を次のように訴えております。そのことを今、太宰文学研究の場合に移調して考えてみていただければいいわけです。
 「花が咲くのは、土壌や空気、湿度、種子などが作用しあった結果であるが、この相互作用のことは知らなくとも、花を愛玩することはできよう。しかしそういう相互作用について考えてみなくては、花を理解、、 することはできない。理論、、とは、この理解のことなのである。花をどんなに愛玩しようとも、その原因となる条件を理解できなくては、植物の成長と開花を左右することは偶然的にしかできはしないだろう」云々(『経験としての芸術』)
 つまり、偶然という名の気まぐれものの訪問に期待をかけるのではなくて、彼が言うような意味での理論的認識において太宰文学への理解、、を深めよう、というのが今度の私たちの仕事でした。太宰文学の精神の土壌であり、或る意味では種子でもある〈怒濤の葉っぱ〉の世代――太宰世代のいだく〈抽象的な思想への情熱〉を自身に媒介し準体験しつつ、その片側では太宰治その人のそうした情熱に確かな方向性を与えたところの、芥川龍之介このかたの〈教養的中流下層階級者の視点〉の実践的性格について考えてみることが、ここで私たちの選んだ理解、、の方法でありました。
 
   一九八五年十月下旬
 
熊谷 孝       
 
  内 容
    なぜ、今、太宰文学か   熊谷 孝


T 太宰治の文学的イデオロギー

   太宰治の文学的イデオロギー 
・太宰治語録


U 太宰文学の展開

   太宰文学の展開
――その時期区分論をめぐって


V 太宰文学の原点

   『晩年』の世界
   列車
   魚服記
   葉


W 日中戦争下の井伏と太宰

   展望
――『心の王者』『春の盗賊』などにふれて
   富嶽百景/女生徒
   畜犬談
   鴎/善蔵を思ふ
   女の決闘/駈込み訴へ
   多甚古村/増富の渓谷
――井伏鱒二


X 太平洋戦争下の太宰文学
   
   新郎/十二月八日/待つ
   律子と貞子/黄村先生言行録/禁酒の心
   正義と微笑
   津軽
   惜別/新釈諸国噺/お伽草子


Y 『右大臣実朝』

   てい談 右大臣実朝


Z 戦後の太宰文学

   展望
   十五年間/苦悩の年鑑
   たづねびと
   津軽通信
   男女同権/トカトントン
   如是我聞


 〔付〕 太宰文学略年譜/文教研関係・太宰研究文献目録
     
太宰文学略年譜
       文教研関係・太宰研究文献目録



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