N さんの例会・集会リポート   2007.08.05-07全国集会 
   
    文体づくりの国語教育


文教研のNです。

猛暑が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

今年も無事、全国集会が終了しました。会場ポスター(M.T.さん作成)
統一テーマは「文体づくりの国語教育」
熊谷先生がこの概念を提起されたのは1960年代終わりから70年、ほぼ40年たちました。
今一度その意味を確認し、熊谷先生なき後、私たちがやってきたことを中間総括する。
そんな集会でした。

すごく大雑把な言い方をすると、全体の流れはこんなでした。

 I..さんの基調報告1「戦後国語教育史と文体づくりの国語教育」で戦後史の時期区分の中に文教研の活動を位置づける整理がされる。
特に、階級論的視点から一貫して問題を解明(「教養的下層階級者の視点」の提起)していった意味が語られる。
S.さんの基調報告2「十五年戦争下の太宰と安吾」では、安吾のいう「ファルス(farce)」の精神の分析を軸に、安吾の文学精神が異端の系譜に位置づいていくという問題提起と、「笑い」の基本的な性格が戸坂潤の分析などを踏まえて提起される。
そして、二つのゼミで十五年戦争下の舌を縛られた中で、喜劇精神で語り続けた二人の文学者の仕事、また、「階級論」的視点に立ってこそ真の人間把握がなされることが明らかになっていった。
会場風景
さて、私が今回の集会で強く印象に残ったのは、 I..さんが基調報告で整理してくれた、「階級論」的視点を持つことの意味でした。
階級論は人間論、自我の原点を探ることなのだ、ということを繰り返し学んできたはずでした。
しかし私のような人間には、現在日本の厳しい時代状況( I..さんのレジュメには「新自由主義に基づく諸政策による徹底的な人間破壊・生活破壊」とあります)の中で、そして、今回のような整理をされて初めて、自覚的にそのことが理解できてきた気がしました。

たとえば太宰治の『走れメロス』
あえて図式的に言えば、次のような基本的な構造があります。
王ディオニスという権力機構の中枢にいるものの孤独とゆがみ。
そして、メロスやセリヌンティウスたちの持つ共同体的人間関係とその発想。
そうした人間の階級的性格を抜きに人間の信頼や友情を問題にしても、たとえばメロスとセリヌンティウスの友情のあり方にうそ臭いものを感じてしまったりする。
さらにいえば、メロスの持つ階級性を理解しないと、ただ全面的に彼の行動を賛美してしまうことにもなります。
ある意味でメロスは「ファルス(道化)」の精神で描かれている。
共同体の中で基本的な信頼関係を築いてきた、「単純な男」メロス。
しかし、2年前とは変わってしまった市の姿に敏感に反応します。

「メロスは激怒した。」

権力抗争の中で家族を殺し、市を変貌させた王ディオニスに怒り、行動するメロス。
「わしだって、平和を望んでいるのだが」という王に「なんの為の平和だ」と切り返す「平和」感覚。
メロスのような男だからこそ、まともな感覚をまともに行動へ移せる。
しかし、それは滑稽さを持って描かれます。

今こそ必要な精神、ギリギリ失ってはならない感覚とはどういうものか。
怒るべきものに怒るとはどういうことか。
精神と行動とは本来どういう関係だったか。
そのことをストレートに言葉には出来ない中で、笑いの中に描き、ともに考え合おうとする。

それは坂口安吾『ラムネ氏のこと』も同じです。会場風景
安吾の文章は多くの仕掛けを用意しながら、「ラムネ氏」という庶民の中にいる変革者を描き出します。

「何人もの血と血のつながりの中に、ようやく一人のラムネ氏がひそみ、そうして、常にひそんでいるかも知れぬ。ただ、確実に言えることは、私のように恐れて食わぬ者の中には、決してラムネ氏がひそんでいないということだ。」

人間らしい生活のために、受け継がれ、受け継いでいこうとするところにある、伝統・文化のありかた。
自らを「恐れて食わぬ者」として笑いの中に対象化できる視点があるからこそ発見できる、本当の人間の生き方。
この作品の中ではあまり使われていませんが、安吾のいう「生活」という言葉は「教養的下層階級者の視点」から掴み取られた「生活」なのだし、それこそが今の私たちにとってもまた、必要な「生活」というものなのだ、ということを強く感じました。
自分もこの「ラムネ氏」の系譜の中に、生きていきたい。
安吾の言葉はそういう思いにさせてくれます。

基調報告1の I..さんのレジュメの「90年代から現在」というところに、「“階級”と“連帯”の再生への芽ばえ」というメモがあります。8月6日午前8時15分 広島からのメンバーによる恒例の「真理の鐘」点鐘
前回のメールでも紹介した雨宮処凛さんの文章などが資料として紹介されました。
“連帯づくり”は、いまやますます今日的課題です。
三日目の朝の中間総括者は、自分の職場に暗い「シラクスの市」を感じる、と話していました。
単純な男、メロス。
しかし、その姿を通して私たちは今、何を問いかけられるか。
考えても見なかった「玄界灘の頓兵衛」の存在。
しかし、その姿を通して私たちは今、何を問いかけられるか。

正直言って二泊三日の合宿というのはかなり体力を使います。(歳のせいもあるとは思いますが……)
「身体疲労」することも多かったですが、みんなで走りぬいた集会でした。

〈文教研メール〉2007.8.17 より

(写真はN.T.さん提供。ただし一部加工してあります。)

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