全国集会参加者の声(カット写真:蓼科高原)


第56回の文教研全国集会が2007年8月5日から7日までの3日間、東京・八王子の大学セミナーハウスで行われました。統一テーマに「文体づくりの国語教育――教材化の視点」を掲げ、作品としては中学・高校の国語教科書に取り上げられてもいる太宰治の『走れメロス』坂口安吾『ラムネ氏のこと』について検討しました。参加した方々から寄せられた感想のいくつかを、以下に紹介します。

会場風景■今年三月末日、定年で教職現場を去り、はや四ヶ月が過ぎました。約四十年間、「去るも地獄、残るも地獄」の思いの中、教育活動において、また労働条件の面で大切に守り育ててきたものが、ここ数年のうちに無惨にはぎとられてきている教育現場を、心配している今日です。
 さて、文教研が56回全国集会二日目のゼミナールに『走れメロス』を取り上げた必然性がわかり、参加してとてもよかったと思っています。私は、二十数年前、六年生担当のとき、学芸会でこの作品を上演しました。あの時はこの作品があちこちの学校で上演されていましたが、私の場合は、この子どもたちが中高生になった時に太宰作品の読者になってほしい、という個人としての判断からでした。そのような記憶が今よみがえってきました。
 今日(集会二日目)一日だけの参加ですが、ゆっくりと読み返し、二十数年前の教え子に会えたら、この作品をもう一度、今度は文章として読んでみて……と、伝えたいと思います。(S.S.さん 女性、30回参加)

         
■今年度、中学二年生を担当しており、二学期に『走れメロス』を授業で扱おうと思っていたため、新たな教材化の視点を学ばせてもらおうと参考させて頂きました。会場風景
 『走れメロス』のゼミナールでは、ただ単に道徳的・倫理的な視点から読み解くのではなく、細部の表現にこだわりながら、ファルス的な精神を読み解いていくという作業はたいへん勉強になりました。
 日常の忙しさにかまけて、なかなか教材研究もままならず、文学的な感性もパサパサに渇き切っていた所へ、とてもすばらしい潤いをもたらしてくれるゼミナールとなりました。
 このゼミナールを通して、怒るべき現代の状況に対して、心から怒れる精神を取り戻す重要性を学べたと思います。(K.S.さん 男性、3回参加)

■この文教研に参加させていただくようになって五、六年になります。初会からずっと夏の集会に参加させていただきました。二年前に一回だけ、広島の原水禁大会に小六の子どもと参加したので休みました。今回は、太宰治の『走れメロス』と、坂口安吾ということで、あまり準備もなく参加してしまいました。『走れメロス』については、新しい読み方・見方ができ良かったと思いました。『ラムネ氏のこと』は、皆さんの読み方とは少し違うところがあると思いつつも、自分の勉強がまだ足りないのだと思ったりもしました。この会ではこんな不勉強な私でも自由に意見や感想を言えることが良いと思っています。
 今年異動になって、研修届けを出したところ承認研修が認められました。今年は実際に国語(高一)の授業を担当しているからでしょうか。(肢体不自由の養護学校では、重度の生徒から年齢相応の勉強ができる子がいます。時々、年齢相応の授業をもつ年があり、今年度は年度途中からですが高三の国語を持つようになります。)休暇をとらずに参加でき良かったです。
 ありがとうございました。(M.N.さん 男性、5,6回参加)

会場風景■参加の理由ですか? 面白いからに決まってるじゃないですか。今回のテーマである「文体づくりの国語教育」をみたときは、これってどういう意味? と疑問符だらけで、丸一日すぎた今でも、まだ何のことかわかっていません。それはさておき、『走れメロス』がこんなに奥深いお話だとは思ってもいませんでした。ファルスという概念なしで、生真面目に読んだら最後まで行きつくのはちょっとつらいですよね。もちろん子どもの頃はすいすい読んで、目出たし目出たし、ああ良かったと思っていましたけど。文体づくりという言葉の意味は、まだわかっていませんけど、それはまた無視して、夜の部と、明日の坂口安吾で、どんな発見があるのかと期待に胸をふくらませています。(M.F.さん 女性、? 回参加)

(会場風景写真はN.T.さん提供。ただし加工してあります。)

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