作品発表舞台の変遷――初出雑誌“あとがき”抄   【井伏鱒二 Ⅳ  昭和20年代以降】
(作品初出誌は手近な資料 ―原本及び複写― から適宜選択した。)  
  昭和20年代   
1946.1

井伏鱒二
「病人の枕もと」
『オール読物』
『文芸読物』からの題名復活
昭和21年1月号
文芸春秋社
(発行兼印刷兼編輯人)
永井龍男
《編輯後記》 〇復刊第一号を出した喜びは出来栄えの不足を思ふ気持と交錯して、この新年号に反省と勇気とを盛り込ませることになりました。狭隘な誌面は至つて不自由な仮建築にも似てゐますが、内容に於ては堂々たる本建築の意気込みです。〇済度しきれない幾多の問題が誰もの身辺を囲繞してゐる現在、考へは常に暗くなりがちですが、これを踏み越えてこそ新しい日本の進展があると思ふにつけ、溌剌と元気づける新世代の慰安がどれほど必要であるかは論ずる要がありますまい。〇本誌の志すところも常にこの点にあるのです。若し誌面にこの現れが足りないならば私たちの努力の不足に帰さねばなりません。〇そしてそれらの足りなさは愛読者諸氏の絶えざる鞭撻と好意ある教示が私たちを啓発し、誌面の隅々までをも生々たるものとして参ることでせう。〇本誌が従来長年に亘つて目標として来ました新人の発見といふ努力は、今度も倍加こそすれ決して衰へるものではありません。良き文学の誕生には良心的な且つ積極的な力を尽して参りたいと念願してゐます。〇食糧問題が深刻な問題として押し迫つて来て居りますが、文化面に於ても用紙の見通しは必ずしも楽観を許さぬ程に立至つてゐます。然し私たちの意欲は許される範囲で雑誌らしい雑誌を作り出すことに懸命です。〔…〕〇社内も外地出征中だつたものを除いて顔がそろひました。兎に角いつの日この机に帰れるか分らない気持で別れたのですから懐しさはいつぱいです。文芸春秋は総合雑誌の異彩を文字通り発揮し新しい計画に多忙を極め、尚、又「別冊文芸春秋」の豪華版に良智をひねつてゐます。〔…〕 ・井伏鱒二「病人の枕もと」

主な執筆者

徳川夢声/高田保/橋本英吉/岡田典夫/高見順/正木吴/玉川一郎/大原富枝/新居格/横山隆一
1946.1

井伏鱒二
「消息」
『新潮』
昭和21年1月号
新潮社
(発行者)
中根駒十郎
《編輯後記》 まづ新年の御挨拶を申上げる。本年は容易ならぬ苦難に充ちた年であるが、人々の荒涼たる精神に、少しでも文学の温みと潤ひを伝へることを私たちの編輯の根本方針としたい。/新春を期して多くの雑誌が発行されたが荷風先生がひとり気を吐くのみで創作欄が案外に寂しいのは作家諸氏が終戦後の虚脱状態から未だ十分に恢復しないことを物語るものであらうか。この際本誌が阿部知二氏の堂々百三十枚の力作を発表しえたのは何よりの悦びである。〔…〕/佐藤信衛氏の「西田哲学一面」は、この碩学に対する若い世代の意見を率直に吐露されたものとして極めて注目すべき論文である。〔…〕/井伏氏の「消息」には、編輯者への私信に次のやうな一種の注釈を寄せられた。「随筆といふ形式、僕にはこのごろ不向きなやうな気がして来ました。さうかといつて小説の形式も不向きのやうな気がします。詩はこれまた却[かえ]つて不自由な気がします。いまに誰か新しい形式のものを発明するといゝですね。デカメロンの作者がいま日本にゐたらと思ひます。当地付近のいろいろの話をきくと恰度[ちょうど]デカメロンを読んでゐるやうな、いや、へたくそなデカメロンです。/新聞ラジオがまたもや民衆と離れて来たと百姓が云ひます。なぜだと聞くと、またもや配達が悪くなつたからと云ひました。これは百姓のユーモアです。勘でわかることはわかるが、それを説明できないときには話を他のことで結びます。これは今日の実記録です。こんな風にいま手紙の形式で表現のさぐりをしてゐますが、手紙形式もたいくつでせう。」〔…〕 井伏鱒二「消息」

主な執筆者
三好達治/佐藤信衛/谷川徹三/福原麟太郎/石坂洋次郎/片山敏彦/佐藤春夫/アラン/長与善郎/阿部知二
1946.2

井伏鱒二
「契約書」
『文芸春秋 別冊1』
昭和21年2月
文芸春秋社
(発行兼印刷兼編輯人)
永井龍男
《編輯後記》 〇臨時増刊、別冊文芸春秋第一輯の編輯を了[おわ]る。昭和二十年も暮れようとする校了の日、氷雨降る巷を往けば、市の立つ駅前の広場に亡者の如く犇[ひし]めき蠢[うごめ]く人々の、うつけ果てた群像を見る。それらの群集の中に、蒼ざめた餓ゑた知識人の幾群かが、そこかしこ、寒寒と当てもなく彷徨[さまよ]ふすがたを見出さねばならぬとは、悲しくも痛ましいことだ。いつ、彼等は敗戦後の虚脱から胸を張つて立ち上るのであらうか。〇しかく日本人は、日本の知識人は無気力であり、卑屈であり、無能なのであらうか。数歩前まで近づいてゐる悪徳と虚無と飢餓の深淵から日本を救ふものは、誰でもない、実に我々日本人の智慧なのである。痛烈な自己反省と強靭な意力とを鞭として、我々は、虚しき廃墟の瓦礫を我等自らの力で押しのけていかなければならぬのだ。〇それにしても、八月十五日以後のわれわれは、一体いついかなる処に、骨身に徹[こた]へるやうな自己反省の文字に、裂けば血の迸[ほとばし]るやうな悲愁の文章に接したであらうか。有るものの多くは、底を割つてみれば、唯、保身の媚態も賎[いや]らしき、お手軽な転身への宣伝文にしか過ぎない。配給品を受け取るやうな生優しさで、どうして真の民主主義者たり得よう。〇編輯者もまた、徒らに右往左往して、新奇な物を追ひかけるばかりが能ではあるまい。新しきもの、古きもの、あらゆる物の中から本物を、本物の人間を引き出して来る、聡明さと愛情とに充ちた曇りなき眼力こそ、編輯者にとつて最も恃[たの]むべき武器であらう。編輯者は、何であるよりも先づ人間であらねばならぬ。〔…〕 井伏鱒二「契約書」

主な執筆者
舟橋聖一/島木健作/平林たい子/橋本英吉/久保田万太郎/室生犀星/会津八一/中村汀女/林芙美子/長谷川如是閑/大佛次郎/佐藤春夫/今日出海/岡田誠三
1946.4

井伏鱒二
「二つの話」
『展望』
昭和21年4月号
筑摩書房
(編輯者)
臼井吉見
《編輯後記》 ◇「展望」も四号まで出たので、大凡の型ができて来たかと思ふ。今後はこれをつき破るものをつねに内部に燃やしつづけねばならぬと思つてゐる。「すべての逞しさ、すべての悪たれ、すべてのユウモア、すべての夢想がもう一度、そして大規模にとり返されることが焦眉の急務であると中野重治氏は児童文学に要望してゐるが、「展望」もこの急務に応へねばならぬと思つてゐる。
◇やりたいこと。歴史、教育、国語国字問題の検討等。更に明治の究明、とりわけ福澤諭吉、中江兆民、田口卯吉、西周、成島柳北、福地桜痴、福本日南、陸羯南、内田魯庵、山路愛山、木下尚江、内村鑑三、綱島梁川等の人と業績についての論考を次々に計画中である。広く西洋の思想家、作家論をもとりあげたく、一面具体的な作品論を載せたい。書評もはじめたい。〔…〕
◇「日本の文化人について」は、学生の声として問題を提供する意味で掲載した。井伏鱒二氏の百枚の新風、「踊子」から引つづき力作を掲載し得て、「展望」の小説伝統はすでに確立したかの感がある。〔…〕
・井伏鱒二「二つの話」

主な執筆者
務台理作/大島康正/林達夫/柳田国男/小田切秀雄/折口信夫/永井荷風/蜷川親善/ツィーザルツ(手塚富雄 訳)
1946.4

井伏鱒二
「経筒」
 
『新生』
昭和21年4月号
新生社
(編輯兼発行人)
青山虎之助 
《編輯後記》 ×「新生」も、きのふけふと思ふうちに、いつしか号を重ねて半歳を経た。常ならぬ日月的に、この半歳は世紀の半ばにも当るおもひして、感無量である。おもへばあはたゞしひ明け暮れであつた。さてやうやくにして、この号あたりより、いささかは本来意図せる編輯の線に添ひ得る状態となり初めたかに思ふ。これも一重に心からなる読者の支持に外ならない。厚く感謝の辞を述べたい。
×さう云へば、この誌程、圧倒的な支持をうけたことは珍しいと云へよう。恐らくこの国のヂヤアナリズム始まつて以来のものであつた。しかも、日増に読者の数は増して、今では期待の数に用紙の及ばない憾みをかこつてゐる。〔…〕この誌は、多くの、多方面な先学に指導されてはゐるが、一介の、若年な魂によつて総ての責任が持たれてゐる外の何物もないのである。即ち、法的に云ふならば、私一個人の経営にかゝるものであり、大見得を切らしていたゞくとすれば、これは万人の声を映して編輯されてゐるのである。〔…〕
・井伏鱒二「経筒」

主な執筆者
滝川幸辰/J向坂逸郎/林要/佐々木惣一/宮川実/太宰施門/長与善郎/永井荷風/正宗白鳥/真船豊/宇野浩二
 
1946.4

井伏鱒二
「契約書」
『文芸春秋 別冊2』
昭和21年4月
文芸春秋社
(発行兼印刷兼編輯人)
永井龍男
《編輯後記》 文芸春秋別冊2の編輯が漸く完了した。さうして、編輯進行の半ばに、我々が全く予期してゐなかつた文芸春秋社の解散といふ、兎にも角にも、この国の出版文化史上、特記すべき事態に直面した。創立二十三年の輝かしい歴史を誇る文芸春秋社の解散であり、本紙はその旧き文芸春秋社によつて発行されるいはば最終の雑誌となつてしまつたのである。この数年来、狂奔する歴史の怒濤に揺さぶられながら、精魂を雑誌の編集経営の上に傾けて来た我々としても、深い哀惜の情を覚えざるを得ない。とはいへ、編輯者としての自省を含めて明らさまに告白するならば、文芸春秋は、恰[あた]かも今こそ、よしや解散はせずとも、旧套を脱して再生すべき時機に至つてゐたのではないかと思ふ。その意味では、こんどの解散は却[かえ]つて、我々を深く反省させ且つ鼓舞する所の天の賜物だと云つてよい。/それにしても、今日の日本に最も欠けてゐるものは真の意味での謙虚さではあるまいか。真に剛直なる言論は、真に謙虚な絶えざる反省から産れ出るものだと、私は信じてゐる。さうして、悲しいかな、この謙虚さの不足といふ欠陥に関しては、我々編輯者も亦決して例外ではあり得なかつた。我々の嘗[かつ]ての仲間中にも横行した神がゝかりの言説の如きも、実は、神を畏れざる不遜のこころがさうさせたと謂へる。謙虚な不断の反省なくして真に根強い文化は建設されない。/いま我々はこの混沌たる時代の潮流の間から真実なるものを掴みとらうと血みどろになつて格闘してゐる。同時に我々は、我々自身の内部に執念深く浸みついてゐる過去の亡霊を、我々自身の手で処理して行かなければならない。これは我々に負はされた重い十字架であるかも知れないが、しかし之を敢てしなければ我々は祖国と倶[とも]に泥土に塗れる外はないのである。―― /我々旧社員は解散後の清算事務に取り掛かると同時に、このやうな反省を鞭として、直ちに新会社の創立に着手した。社名も文芸春秋新社と決定し、あらゆる困難を克服して、今や全能力を挙げ再出発の途上にある。清新なる構想の下に、我々の良心を賭けた新しい「文芸春秋」が、近日の内に、諸君の前に見えるであらう。読者にも寄稿家諸氏にも、心からなる声援と叱正とをお願ひする。 ・井伏鱒二「契約書」

主な執筆者
田中美知太郎/関根秀雄/中谷宇吉郎/宮城道雄/式場隆三郎/金田一京助/伊吹武彦/上林暁/横光利一/林芙美子/田中英光/清水基吉/若杉慧/寺崎浩
1946.5

井伏鱒二
「波高島」
『改造』
昭和21年5月号
改造社
《編輯後記》 幣原内閣総辞職以来、政局の昏迷二旬に垂[なんな]んとして、やうやく社会党首班の後継内閣に落着した。/しかし、単独内閣か或は連立かの根本問題をめぐつてその成立をまでには尚ほ幾多の曲折が予想されるのである。//国民の飢餓と政局的経済事情をよそに、かかる政局の昏迷は、国民をして再び政治への意欲と信頼を失はしめる重大素因たるのおそれなしとしないのであつて、憂慮にたへないところである。//そもそも斯くの如き昏迷の原因は、幣原男の政治的無感覚と頑迷による進退の時宜を失したことにある。//かの不明朗極まる居据り工作は、彼が民主主義政治に根本的認識を欠いでゐることを暴露したばかりでなく、爾後の挙国体制の提唱に至つては明かに憲政の常道を蹂躙し、反動保守戦線結成の野望を恣[ほしいまま]にせんとするものである。//今や政局はやうやく昏迷を脱して社会党首班が決定的となつた。この秋[とき]にあたつて吾人が社会党に望むところは、一切の妥協と不明朗なる取引きをやめて、即時、党が公約した民主戦線の結成の上に立つ政治勢力として政局を担ふことである。//かくて、挙国体制なる言葉の陰に、社会党の抱き込みと民主戦線の分裂を企て、保守勢力の結集を策する反動旧支配勢力の蠢[しゅん]動を破砕し民主革命の遂行に邁進すべきである。//吾人はかくてこそはじめて社会党が第三党なるにも拘はらず、政局の安定勢力となることを納得するとともに、我国人口の九割を占むる勤労大衆の意志を体して行動する政党たることが出来るのである。//勤労大衆は民主戦線を渇望してゐるのである。而してまた我国の直面する幾多の困難な問題は、保守勢力の利益の犠牲によらずしては打開できないことは余りにも明瞭なのである。 井伏鱒二「波高島」

主な執筆者
山川均/宇野弘蔵/加藤勘十/阿部慎之助/羽仁五郎/長谷川如是閑/尾崎行雄/河上肇/森田草平/釈迢空
1946.6

井伏鱒二
「侘助」
『人間』
昭和21年6月号
鎌倉文庫
《編輯後記》 今月号の減頁については、用紙の不如意もさることながら、困難な紙事情の将来を見越しての用紙節約が主な理由である。「人間」が文芸雑誌として、日本人の智慧の実を結ばせ、その心情の花を開かせるべき地の塩たる役割を果したい念願を充たすためには、或る程度の頁数はどうしても必要になつてくる。このことに関して、創刊当時の理想通りに運ばなかつた点のあることは事実なのであるが、それは鎌倉文庫自体の事情によるよりも一般の諸事情によるためであることは、読者諸彦[げん]にも充分推察して貰へるものであらうと信じてゐる。そして、この理想に近づき得る最少限度の頁数を、たとひ部数を減じても維持しようとするための今月号の減頁も、諒承して貰へると思ふ。/〔…〕今まで「人間」の編輯方針として執筆者に原稿枚数の点でさうこだはらずに題材に即して自由に執筆して頂いてきたのであるが、この方針は今後も守つてゆきたく、内容の真の充実を心がけるつもりである。と云つて所謂内容偏重主義には陥りたくない。いかに内容が充実してゐると云つても、その雑誌がギシギシに組まれてあつて読みづらかつたり、親しめぬ薄汚い体裁をもつならば、内容の与へる優れた糧も読者に十全に吸収されないであらう。雑誌もまた一つの環境に違ひない。項目がたとひ減らうとも、「人間」はそのすべてが読者の血肉となるやうな醇乎たる清潔な雑誌であつてゆきたい。つまり、本当に紙を大切にしたいのである。〔…〕 井伏鱒二「侘助」

主な執筆者
豊島与志雄/吉井勇/徳永直/三島由紀夫/中村汀女/久保田万太郎/本田喜代治/アンドレ・ジイド(堀口大学 訳)/阿部知二/福田恆存/武田泰淳/中島健蔵/岡崎義恵/小林英夫
1946.6

井伏鱒二
「石垣」
『座右宝』
昭和21年6月号
座右宝刊行会
《編輯後記》 われわれは今次の戦争が何によつて来らされ、いかに戦はれ、如何にして終つたか、又その責任は誰に何処に在るのか等々に関して殊更に眼をふさがうとするものではない。/併しそれ等のことを思想的政治的に論ずる所に本誌の使命があるのではなく、それには他に適当な紙面もあると思ふので、本誌ではそれらの問題を敢へて取扱はうとは思はない。かく言へばとてわれわれは徒らに象牙の塔にたて籠り、学と芸とを一般の手の及ばぬ所に置くことを以て潔しとするものでないこと勿論である。由来学問も芸術も広く大衆に沁むみ入り、溶け込むことがその本来の有り方なのではあるまいか。われわれは寸時もそのことを忘れてゐるわけではない。只衆におもねらんがために自らを低くすることだけはわれわれの忍びがたく思ふ所なのである。(山田)
 この雑誌もやうやく三号を出すことになつた。色々の批評を編集部宛にお送り下さつて、参考になること多く、誌上にてお礼申し上げる。雑誌は読者と編輯子とのあいあい(、、、、)たる友情の上に育てあげるべきと信じてゐる以上、諸氏の好意ある批評は、今後共に誌上に反映したいと思ふ。徐々とではあるが、自己に誠実なる、美しい人間精神を育てあげる念願で進んでゆきたいと思ふ。御協力を乞ふ。〔…〕(中田)〔…〕
 僕達は凡ゆる面で寂寞(さびし)さの淀む今の世の中にほのぼのとした悦びを小説の中に読者諸氏と共に味ひたいと希
[ねが]つてやまない。この雑誌が号を重ねてゆくにつれ日本の社会も立派になり、全く新しい生命に脈うつことを信じてゐる。〔…〕(吉岡) 
・井伏鱒二「石垣」

主な執筆者
町田甲一/嘉門安雄/小堀杏奴/志賀直哉/マラルメ(鈴木信太郎 訳)/吉井勇/武者小路実篤
1946.11

井伏鱒二
「橋本屋」
『世界』
昭和21年11月号
岩波書店
(編輯兼発行者)
吉野源三郎
《編輯後記》 ☆雑誌に締切日といふものがあつて、毎月無理をしても一定量の原稿を集めなければならないため、執筆を引受けて下さつた方々にも、締切日が近づくといろいろ無理をいつて期日に間にあはせて頂くことが多い。〔…〕熟するのを俟[ま]つて書かれたらもつとよいものになるはずのものが、早産の子のやうに月足らずで生み出されたり、時日の余裕さへあるたらもつと完璧なものになるはずのものが、未完成のまゝ発表されたりする。これはたしかに現在のジャーナリズムの悪作用の一つである。
☆ところで物を書かれる方々に作用するかゝる無理は、もともと雑誌の編輯といふものが強いられてゐる無理の順送りになつたものに他ならない。編輯にたづさはるてゐる連中も、同じやうに無理に押されて仕事をしてゆく。毎月の編輯が必ずしも意に満ちなくとも、或ひは当初の計画の半ばをも実現してゐなくとも、とにかく締切日が来れば恰好をつけてまとめあげねばならない。〔…〕
☆たゞ、さういふ場合にも私たちにはつきりしてゐることは、とにかく、かういふ出版物が社会的に要求されてゐるといふ事実であり、かういふ出版物を通じて当代の文化を吸収し消化しようと求めてゐる人々が非常に多いといふことである。そこで私たちが評論家や作家に執筆を乞ふことは、謂はばかういふ社会的な需要を精神的な生産者にお伝へしてゐるわけで、さう考へれば、原稿の依頼も督促も、現代における精神的生産の助産婦ぐらゐな役目をやつてゐることになるのであらう。社会的要求に何らかの形で促したてられる
[ママ]ことなしに精神的な産物が生み出されるといふことは、まづ稀有のことであるから、ときには無理に陥るほど強い注文が雑誌を通して作家や評論家に注がれるのも、その意味では強[あなが]ち悪いこととばかりはいへないと思ふ。たゞ助産婦が――本来安産のために働くはずの助産婦が、むしろ流産を促すやうな心ないことをやらざるを得ないとしたら悲惨である。――私たちが少しでも苦心してゐるとしたら、かういふ悪しき産婆になるまいといふこと、しかも同時に自分の子である雑誌もなんとかして月足らずの子にしまいといふことである。
・井伏鱒二「橋本屋」

主な執筆者
都留重人/向坂逸郎/那須皓/恒藤泰/桑原武夫/中野好夫/神西清/山川菊栄/ブィホフスキー(蔵原惟人 訳)/波多野精一/小林勇/林達夫/
1946.11

井伏鱒二
「当村大字霞ヶ森」
 
『中央公論』
昭和21年11月号
中央公論社
(編輯人)
畑中繁雄
《後記》 戦前戦時を通じ、私たちは「社会主義」について、これを口にするだに身の危険を感ぜざるをえなかつた。それがひとたび敗戦となるや、その地位階級の如何を問はず、誰しもが、公然と社会主義を論じ、社会主義体制への志向を喧伝する。これを歴史の必然の流れからみれば、さうなつたことはむろんそれだけの進歩といへるのであるが、しかし、情勢いかんともなしがたしとみてこれに同調するのか、あるひは不動野意欲としてこれを志向するのか、ここにむしろ根本的な問題が残るのである。/さし当つて、計画経済への展開にしても、社会主義体制へ至る一つの階梯としてこれを構想するのか、あるひは単に資本主義経済そのものの延命策にとどまるのか、その根本の態度の違ひによつて、構想の内容も本質的に異なつてくるし、それに移行する操作の仕方も変つてくる。/社会の仕組をどう変革するかの問題は、私たち国民生活の今後に直接関係することを想へば、ここに私たちは、みづからの社会認識の基礎にまでたちかへつて、よほど深く考へる必要がある。ましてや、私たち一般のこれへの動静の如何が、変革の仕方やその結果を決定的に左右するにおいてをや、である。憲法問題をはじめその他の政治問題にしてしかり、労働、社会、文化全般の問題においてしかりであつて、窮極においては、今日なほ私たちの社会認識が問はれ、ひいては現実の把握の仕方がいまになほ問題となつてくる。/例へば、今回視聴を集めたゼネスト問題にしても、ある組合になほ多くの戦術的不行届きが指摘されるとすれば、それはとどのつまり目さきの現実把握に不備があつたからであらう。逆に、それらの過誤をいたづらに嘲笑し、組合活動そのものをも過小評価しようとするに至つては、それこそ現実を全く無視した非科学的態度であり、それは反動となる。/さきごろわが国を視察したアメリカの教育使節団は、その報告のなかで、わが社会科学の二十年の遅れを指摘した。社会科学の不振のもとで、現実の正しい把握のありえようはずはない。二十年の遅れが注文どほり二十年にしてとりもどしうるかどうかははなはだ疑問であるにかかはらず、一方現実の方は容赦なく逼迫してくる。それらのテンポのバランスを考へるとまことに心細い。しかしながら現実の攻勢そのものが、今日の条件のもとで私たち一般の社会科学への関心をかへつて昂[たか]め、二十年の遅れのとり返しをいくらかでも早めないであらうかとみるのは楽観にすぎるであらうか。/極めて常識的ではあるが、それだけに一そう痛切に、今日の情勢にあてはまる以上の事柄は、私たち編輯人を駆つて今後になにものかを決意させる。私たちはまづ目の前の一般的事象を把[とら]へ(山田氏「計画経済」、蝋山氏「憲法問題」、吉村氏「農地問題」、福田氏「保守主義精神」など)、現実へのあくなき追及を経て、あるべき態勢を究明する一方、今日の現実を導いた近き過去の赤裸々の姿にも探索の目を向けなければならない(土屋氏「財閥史論」、キャント氏「太平洋戦史」)。しかうして外国人の率直の言(ディーン氏、プリングスハイム氏)はまた、今日のさういふわれわれを十分傾聴せしめるのである。(H)  ・井伏鱒二「当村大字霞ヶ森」

主な執筆者
山田雄三/蝋山政道/吉村正晴/H・ディーン/福田定良/土屋喬雄/湯浅八郎/矢内原忠雄/荒正人/G・キャント/A・モーロワ/プリングスハイム/藤原定
1947.1

井伏鱒二
「引越やつれ」
 
『新潮』
昭和22年1月号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
 
《編輯後記》 先づ、新年の御挨拶を申し上げる。未曾有の紙飢饉のために雑誌の出版はいよいよ困難になつてきたやうであるが、本誌は文化日本建設に寄与すべき使命の重大なるを自覚し、万難を排して発行を継続する覚悟と自信をもつてゐるから、読者諸兄の倍旧の御支持をお願ひしたい。
 先月の記念号は全巻創作をもつて埋めたが、今月号もまた野上女史の百枚の長篇のほか、井伏、坂口両家の力作をもつて巻頭を飾りえたことを悦びたい。本誌は文芸雑誌であるから創作欄には特に力を入れたいのであるが、昨年はまだ十分に力を出し切ることができなかつた。本年は、その月の創作はまづ新潮から始まるといふぐらゐの意気込みをもつて、創作欄の充実に努力したいと思ふ。新人の発掘に努力することもまた従来と同様である。〔…〕
 ヘルマン・ヘッセが一九四六年度のゲーテ賞並びにノーベル賞を得たことは既に当時新聞紙の華々しく報じたところであるが、本誌に於いても、いささか祝意を表するために、ヘッセと親しく、またヘッセの代表作の大部分の翻訳者である高橋健二氏にお願ひして、ヘッセの名篇「ゲーテへの感謝」を訳して頂いた。
 遠く北陸の僻村にあつた三好達治氏が久しぶりに上京された機会に、河盛氏にお願ひして、詩歌についての縦横談を試みて頂くことにした。今や鬱然たる大家の風格を具へてきた氏の最近の真面目を語るもの。御愛読を祈りたい。
 堀辰雄氏が昨夏以来、重病のために、創作の筆を絶つてゐられるのは、文壇に大きな穴があいてゐるやうで、まことに寂しいことであるが、氏の御快復の一日も早いことを祈る意味から、氏と親交のある神西清氏に、「堀辰雄君に」寄せるエッセイを書いて頂くことにした。この友情に溢れた手紙が氏の病床に春風にさきがけて復活の悦びをもたらすことを心より祈りたい。
 わが国が敗戦国としての真の苦悩に直面するのは、本年あたりからであると云はれてゐる。私たちは新しい曙を迎へるために、読者諸兄と共に堅く腕を組んで前進することを誓ひたいと思ふ。 
 
・井伏鱒二「引越やつれ」

主な執筆者
河盛好藏/亀井勝一郎/ヘルマン・ヘッセ/三好達治/塩尻公明/神西清/林房雄/野田春光/林芙美子/坂口安吾/草野心平/野上弥生子
 
1947.3

井伏鱒二
「兎の仔」
 
『花』
第一輯春季号
昭和22年3月
新生社
(編輯兼発行人)
青山虎之助
《青山虎之助「創刊に際して」》 その国是から戦争放棄を宣言した私達の国が、文化と芸術への憧れに豊かさを加へなければならないことは当然のことでありませう。しかし乍[なが]ら、近年この国の狂態の時は、何云ふとなく空白に時代を持つたかのやうであります。
 明治末年から大正へかけての、丁度この「花」の同人の時代から後、現代に至るまでの間に、幾たりのそれを踏み越える作家があつたことでありませう。思へば寥々たる気がしてなりません。
 さう云ふ意味で、「花」は、老大家のものゝやうに思はれるかも知れませんが、之は、「花」の先達が、来るべきヂエネレーシヨンの中から、後につづく者を思うての美しい高さなのであります。「花」はさう云ふ意味で、花咲く次代への門ともなるでありませう。それは閉ざされたる門ではなく、試練を経た芸術家のみがくぐることのできる窄
[せま]き門であります。
 私達は、若い世代の中から、ドストィエフスキーガ、チエホフが、又、フローベルが、バルザツクが、さうして、アンドレ・ジイドが、プルーストが、D・H・ロレンスが、ヂエイムズ・ヂヨイスが生まれ出ることを待望してやみません。私達のかく云ふ望みの高きは非難されるべきではないでせう。月を射るこをよけれであります。
 私達は、与へられたる「自由」以上のものを生み出す力を、この国の人々が持つてゐることを確
[ママ]くかたく信ずるものであります。  一九四六年秋
・井伏鱒二「兎の仔」

主な執筆者
武者小路実篤/正宗白鳥/鏑木清方/辰野隆/中川一政/青野季吉/永井荷風/吉井勇/石井柏亭/谷崎潤一郎/里見弴/久保田万太郎/広津和郎/長与善郎
  
1947.3

井伏鱒二
「風貌姿勢
―武田麟太郎氏のこと―」
  
『文芸春秋』
昭和22年3月号
文芸春秋新社
(発行者)
池島信平
  
《後記》 ☆用紙難その他の事由により、二月号を休刊するの已むなきに至つた。先づこのことを、愛読者諸氏にお詫びしなければならない。
☆日本民族に関して、われわれ日本人の間にも半ば自嘲的に信じられてゐる一つの通念がある。熱しやすく冷めやすい感情的な民族が日本人である、といふのがそれだ。この通念は確かに現実的には謬
[あやま]つてはゐまい。思想文化の上にのみ思ひを致しても、維新このかた、われわれはいかに多くの新しい思想を迎へ、やがて冷淡に忘れ去つたか。それらの目新しい思想を、己れが血肉の中に結実させようともせず、性急に次から次へと移つて行つたのが、わが国の知識人なのである。今日、急進的な思想が時を得てひろがりつつあるが、さういふ風潮を精密に批判し得る、真に勇気ある「保守的」な精神が、この国の知識人に存するかどうか。上古の日本人は、海彼岸の文物をよく摂取してこれを次第に自家薬籠中のものとしたが、それに成功した原因は、自国の伝統と新しい現実と、その両方とにまじろぎもせず対決し得る勇気と聡明さと忍耐強さとが失はれてゐなかつた故であらうと思ふ。
☆満州事変以後の日本は確かに人道上許し難い侵略戦争の悪夢に憑
[つ]かれてゐた。だからといつて、満州事変以来八・一五までの日本人の在り方のすべてを、悪夢と観じ空白と見做すのは余りに安易な態度であり、第一虫がよすぎる。われわれに課せられた新しい責任の一つは、戦争ちう或ひはもつと以前の自分の過去の意識なり行動なりと対決して峻厳に自己批判してゆくことであらう。それなくして、真の「民主国家」は生れようもなく、真の「自由人」ともなり得まい。熱しやすく冷めやすいなどと無邪気に嘯[うそぶ]いてはゐられないのである。
☆〔…〕「文芸春秋」の毎月々が、間然する処のない出来栄えだなどと決して自惚れてはゐないが、小誌独自の針路の線からは足を踏み外してゐないと思ふ。ある綜合雑誌はアカデミズムの偏向を示し、他のある綜合雑誌はある急進的な政党の機関雑誌の如き観を呈してゐる、といふ風に、まことに千紫万紅であるが、筆者は、さういふ往きかたを邪道とも思はぬ。同時に、かういふ場所で小誌の編輯方針などといふものを故
[ことさ]らに弁じ立てる気にもなれない。いつか、どこかの編輯後記でも云つてゐたやうに、雑誌さへ編輯者の企画通りに出来さへすれば、「後記」なぞは元来要ないものかも知れぬ。 
・井伏鱒二「風貌姿勢
―武田麟太郎氏のこと―」

主な執筆者
野上豊一郎/安部磯雄/小川環樹/佐藤垢石/中野好夫/滝川幸辰/江上不二夫/平岡敏雄/柳田国男/石田波郷/牧野伸顕/中谷宇吉郎/幸田露伴/木々高太郎/久生十蘭/宇野浩二/真杉静枝
 
1947.7

井伏鱒二
「高田館」
『新潮』
昭和22年7月号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
   
《編集後記》 今月はお約束通り夏季小説号とした。六十四頁といふ極くわづかのな紙面を考へると、小説特集号とするには、いろいろ無理の点があると思ふが、普通号ではかんじんの小説に充分のスペースを与へることの出来ない事情もあるので、今後も一年に四回は小説号を出すつもりでゐる。
 懸賞創作の発表は四十三頁の通りであるが、予想外の反響と多くの応募数があつた。これは、文学と創作に対するかつてない熱意を示すものと思はれるが、応募原稿の水準は、必ずしも文運盛んなりとは言ひ切れぬものがあつた。多くの若い世代たちが、貴重な体験と深刻な苦しみを経たにもかゝはらず、それらを表現するに足るだけの技術と、内的発酵が見られなかつたのは残念だつた。題材としてはまことに得難きものも数々あつたが、以上の点で、殆ど割愛せざるを得なかつた。〔…〕
 本号より太宰治氏の長編「斜陽」を連載することにした。原稿は全部で三百枚、一回八十枚づつ、遅れても本年中に完結する。氏の久しぶりの長編小説として御期待ありたい。
 
・井伏鱒二「高田館」

主な執筆者
太宰治(「斜陽(一)」/大鹿卓/里見弴/川端康成/松田美紀
1947.8

井伏鱒二
「手紙のこと」
『日本小説』
昭和22年8月号
日本小説社
(編輯人)
和田芳恵
   
《編輯後記》 〇第二号が合併号になつてしまつたので、今号から毎月一冊宛きちんきちんと出さうとした。そのために編輯部員は社に泊り込み、強壮剤を注射しながら原稿を整へた。にもかかはらず印刷所の争議のために初秋号として八・九月を兼ねるやうになつた。時世のはげしさを思へば仕方がないやうにも考へられるのだが、購読なさる方に御迷惑をお掛けしてしまつた。済まない事である。〔…〕
〇みづみづしい感性をしたたらした林芙美子女史の「放浪記」現代の頭脳と云へる高見順氏の「深淵」それに坂口安吾氏が始めて試みる探偵小説「不連続殺人事件」が加はつた。この三つの長篇の外に室生犀星氏、井伏鱒二氏、上林暁氏の珠玉の短篇それに川端康成氏の「伊豆の踊子」を小穴隆一画伯をわづらはして絵物語に賭した。小穴氏は伊豆の踊子の通つた道を歩きながら写生された。私どもは作家・画家の労を多としながらも、決して日本小説が抱いてゐる理想と夢を正しく雑誌に反映してゐるとは思はない。にもかかはらず大変な厚意をもつて迎へられてゐる。〔…〕
〇〔…〕わが国ではじめて誕生した小説ばかりの月刊雑誌「日本小説」が多くの試練を経て成功を収めるまでは幾山河を越えなければならぬと思ふにつけても大方の支援を乞ふ。
 
・井伏鱒二「手紙のこと」

主な執筆者
坂口安吾/高見順/上林暁/室生犀星/林芙美子/川端康成
 
1947.9

井伏鱒二
「牛込鶴巻町」
 『展望』
昭和22年9月号
筑摩書房
(編集者)
臼井吉見
  
《編輯後記》 ☆田辺博士の巻頭論文[「キリスト教徒マルクシズムと日本仏教」]は、副題によつても明かなとほり、第二次宗教改革の予想を展開されたものであり、マルクシズムと日本仏教徒に媒介されることによつて、キリスト教の自己革新の道が見出されることを説き、同時にそれが日本仏教の現代における歴史的展開であり、更に近代科学の自己否定的展開としての科学宗教の交互媒介たることを論じたものである。「私は之を以て現代の歴史的課題と信ずるものである」と博士はいふ。ひたむきに学的精進をつづけられてゐる博士の、この重大提言に対し、真摯な学的批判がなされねばならないであらう。博士の所論と正面から取組む勇気と努力を欠いたものがいたづらに公式論をふりまはして、揶揄や皮肉を投げてゐるのは唾棄すべき怠慢である。特に唯物論の側からの学問的批判を期待すること切なるものがある。
☆桑原武夫氏のマルロー論は、七月号「ニヒリストの出発」の続編である。マルローがいかにしてニヒリズムから行動に赴いたかの問題が、圧縮した文体のなかに精細にたどられてをり日本の現代文学に多くの暗示を投げるものと信ずる。
☆昨春、名作「二つの話」を寄せられた井伏鱒二氏に乞うて、「牛込鶴巻町」をえた。特異な井伏世界を展開した好個の短篇である。
 
・井伏鱒二「牛込鶴巻町」

主な執筆者
田辺元/桑原武夫
  
1947.12

井伏鱒二
「悪夢」
 『文壇』
昭和22年11-12月号
前田出版社

  
《後記》 本号は事務の進行上について種々とまごつきのあつたために、やむなく合併号としました。/本号も号を重ねるにしたがつて充実して来たと思つて居りますが、今までの悪い面を脱皮して、充分皆様の御期待に方向づけられゝば、新しい時代の現実にふさはしい文学の世界が展かれると思ひ、その方面にも努力して行きたいと思つて居ります。//「現代詩興隆のために」北川冬彦氏の一方向を示して頂きました。これは現代詩壇に対する熱烈なる提示であるばかりではなくて、日本の全文壇にも呼びかけられるものであるとも思はれます。自我の感情によつてのみ動かされる一派の問題にこだはらず、未来性を信ずる眼が、ここでは、はつきりと光つてゐると思ひます。//又、これは同様な意味における、私小説と客観小説の問題を渋川驍氏にとりあげて頂きました。/この「私小説の範囲と客観小説」は、現在最も問題にされねばならないものでせう。//前号でもふれておきましたやうに、詩の文学性を強張する意味で、本号ではランボオの二作品と、杉浦伊作氏の「自決」を紹介いたします。//井伏鱒二氏には、お忙しい中を無理に書いて頂きました。短いながらに、ほゝえましいものを香[にお]はせないではおかないものと編輯部では自負するものです。/創作の浅見淵、網野菊両氏の作品、これまた、それぞれの方向にしたがつて、こころよいものであると思ひます。〔…〕  ・井伏鱒二「悪夢」

主な執筆者
北川冬彦/渋川驍/大島博光/杉浦伊作/浅見淵/網野菊
 
 1947.12

井伏鱒二
「鬼子母神裏」
『人間』
昭和22年12月号
鎌倉文庫
《編集後記》 ☆戦後ようやく文学が文学自体の道に生きはじめた年として、今年は記憶されるべきではなかろうか。昨年中に老大家たちの作品は一応出つくした後、もつとも働き手であるべき年代の作家たちが戦後の世相や精神相をそれぞれの個性によつて表現しはじめたこと、それらの作品が戦後文学たる意義を意識的に主張しだしたこと、更に若い世代の作家評論家の多くが前代作家にもまして元気な文学活動のスタートを切つたこと……それらを眺めるとき、われわれはそこに日本文学の新しい成長と来たるべき豊かな結実の予感を受けとるのである。受けとりたいと言つたほうが正確かも知れない。その意味から、本年度最終号をおくるに際して、来年におけるわれわれの文学と文学者の真に実質的な歩みを心から希[ねが]うばかりである。
☆「人間」新年号は既に原稿も集まり年頭自慢の号が出せそうである。来春の特集として、昨年好評を獲た近代精神研究の続集とも言うべき二十世紀精神研究を半年ほど連載したいと目ろんでいる。期待してほしい。来年こそは「人間」を本当に充実した文芸雑誌にしてゆきたい。(T・K)
 
・井伏鱒二「鬼子母神裏」

主な執筆者
石川淳/中野好夫/氷上英廣/中村真一郎/窪田啓作/荒正人/中島健蔵/幸田露伴
 
1948.1

井伏鱒二
「因ノ島」
 『文芸春秋』
昭和23年1月号
文芸春秋新社
(発行者)
池島信平
  
《編輯後記》 新年増大号を愛読者諸氏の机辺に贈る。/先づ以て充実した内容を自負する。論文、読物、小説、いづれも本誌らしい特徴を発揮したものではないかと思ふ。/二月号の編輯もほぼ完了してゐる。/「市民社会の形成」を特輯とし、創作欄は平林たい子氏又は坂口安吾氏の心魂を傾けた力作で飾られるであらう。/尚、筆者は姑[しばら]く編輯局を去り、今後小社出版局の責任者として書籍出版に専念することに成つた。新社創立以来二年に近い歳月を本誌の編輯の為に微力を尽して来たことを思ふと感慨なきを得ない。(鷲尾洋三記)  ・井伏鱒二「因ノ島」

主な執筆者
恒藤泰/金森徳次郎/矢野健太郎/森於菟/福原麟太郎/鶴見俊輔/大熊信行/木村禧八郎/小泉信三/生島遼一/久生十蘭/土屋文明/久保田万太郎/中山義秀
 
1948.1

井伏鱒二
「富有柿」
 『文芸読物』
『民芸』改題
昭和23年1月号
昭和書房
(編集人)
式場俊三
(発行人)
香西昇
  
《菊池寬「直木賞のことなど」》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]芥川賞、直木賞の授賞は、戦争中に中絶してゐたが、今度直木賞の授賞が、「文芸読物」に依つて、再開されることになつた。「文芸読物」は、「オール読物」が、一時改題されたときの名称であり、今度文芸春秋旧社員香西昇、式場俊三等に依つて、再刊されることになつたので、直木賞の授賞を托することになつたのである。香西昇は、「オール読物」の盛大を致した編集者であつて、大衆雑誌の編集に対する熱と力倆とは、雑誌界に於て定評のある人間である。殊に、直木三十五の義弟に当るから、直木賞の運営には、最も適当な人物に違いない。〔…〕
 日本では、大衆文学と純文学とは、かくぜん
[画然]と別れてゐるが、元来文学にそう云ふ区別があるわけはなく、文学には優れた文学と劣つた文学があるだけである。〔…〕文学は、いつの場合にも、面白くてしかも真実でなければならないのである。そして、人の心をたのしませる芸術的表現がなければならないのである。大衆小説の興味と、純文学の持つ真実とが、渾然として調和するところに、真の文学があるのである。これは、戦前にも戦後にも、変りはない。
 そんな意味で、大衆文学の世界からも、真の文学が台頭することを期待してゐるのである。
 直木賞授賞再開が、それに対して、一つの刺激となることを望んでゐるのである。
 
・井伏鱒二「富有柿」

主な執筆者
式場隆三郎/川口松太郎/久米正雄/木々高太郎/木村荘十/サトウハチロー/川端康成/佐多稲子/和田信賢/渋沢秀雄/大佛次郎/菊池寬/横山隆一/清水俊二/東郷青児
 
1948.1

井伏鱒二
「疎開記」
 『文学界』
昭和23年1月号
文学界社
  
《文学界後記》 現在どれだけの雑誌が発行されてゐるか正確にわからぬが、地方の小冊子を除いても、まづ三千種はくだるまい。これが毎月平均十名の執筆顔ぶれをそろへるとすれば、毎月およそ三万名の人間が何かしらかいてゐることになる。地方文化団体や会社学校工場などの文化グループも、夫々雑誌をもちたがつてゐるから、将来は十数万の人間が、毎月原稿に追はれるやうになるかもしれない。文化国家の旺盛な意欲を示すともいへるが、またモンテーニュなどの説によると、国民がやたらにものをかきはじめるのは亡国の徴であるさうで、何か異常な不安のあらはれであることはたしかなやうだ。
 読者の要求は、これまた千差万別で、その上好奇心は加速度的に変化して行く。どういふものを提供しても、次にはもう面白くないといふ声が必ず起つて、編輯は一層刺激性を求めるよ
[ママ]うになる。現代の文筆家も編輯者もかういふ状態におかれてゐるのであつて、雑誌は現代精神の悲劇の象徴であると云つてよい。これが雑誌なるものゝ運命かもしれない。
 文学界は面白くない、文学界には知的要素がない。かうした批評を屡々
[しばしば]耳にしたが、四十代の同人雑誌となれば、巻頭論文式の知的要素などは卒業した人ばかりである。何げない雑文や感想や、小説自体にひそむのびやかな大人の叡智をみがいて、読者に提供したいのである。(亀井勝一郎) 
・井伏鱒二「疎開記」

主な執筆者
石川達三/火野葦平/林房雄/芹沢光治良/丹羽文雄/亀井勝一郎/今日出海/佐藤信衛/清水崑/神西清/坂口安吾
 
1948.2

井伏鱒二
「(文壇親交録・太宰治)」
 『小説新潮』
昭和23年2月号
新潮社
[「あとがき」に類する欄欠損のため未見。それに代えて、太宰治と写ったグラビア写真に添えられた井伏鱒二の文章を載せておく。]〈二人ならんで釣堀で魚つりをしてゐる場面。または二人で武蔵野の森のなかを散歩してゐる場面。――雑誌社のさういふ注文であつた。ところが太宰君は仙台平の袴をはいてやつて来た。魚つりは止すことにして森のなかに行くことにしたが、いまどき袴をはいて林間逍遙をする人はない。袴をぬいだらどうだと云はうと思つたが、しやがんで写ることになつたので云はないでもすんだ。/この森は私のうちの近くにある。昔の武蔵野の林の残欠である。芒や熊笹など森の入り口に生えてゐるが、最近は塵芥の棄て場所になつてゐてきたならしい。十七八年前ころには、そこにきれいな清水がわき出てゐた。そのころ一度、私は太宰君とこの森へ散歩に来たやうに覚えてゐる。しかし確かな記憶ではない。〉  ・井伏鱒二「(文壇親交録・太宰治)」

主な執筆者
林芙美子/船山馨/森山啓/邦枝完二/石坂洋次郎/舟橋聖一/久保田万太郎/谷崎潤一郎/尾上菊五郎
 
1948.3

井伏鱒二
「黒蝶(詩)」
 『文芸春秋』
昭和23年3月号
文芸春秋新社
(発行者)
池島信平
  
《編輯局だより》 新年号を四雑誌全部年内に発売してそのハリ切り振りを示した編輯局は二月号を矢つぎ早に出して既に三月号の編輯を終つた。/「オール読物」は名実共に娯楽雑誌の王者として、三月号には久生十蘭氏がオールのためといふ意気込みで傑作「浮草」を寄せ、邦枝完二氏は珍らしく現代物に新境地を見せ、対談会は林房雄、竹久千恵子氏の「異性を語る」心臓でモノを言ふ御両所の気焔は蓋[けだ]し壮観を極めてゐる。〔…〕 ・井伏鱒二「黒蝶(詩)」

主な執筆者
福島慶子/大田黒元雄/山本安英/荒畑寒村/安部能成/小泉信三/上林暁/林芙美子/石川淳
1948.3

井伏鱒二
「山峡風物誌」
 『改造』
昭和23年3月号
改造社
  
《編集後記》 またしても政治とわれわれ人民の距離は、深まりつゝある。本来人民の信頼によつて選ばれた政治家達は、ひとたび、彼等の無能と無誠実のために、その信頼をつなぎとめえないと知るや、もはや彼等の言動には誠意らしきものは毫末もうかがひえず、見栄も外聞もなく、時代の善意に逆行して、政権への茶番をレンレンと繰返している。そこには民主政治のソンゲンはおろか、人間のソンゲンも認められず、たゞ党利党略のみが横行している。正に日本民族再建の民意は、ヅタヅタにジユウリンされて、喘[あえ]いでいるではないか。われわれは、これを世界に恥ずるとともに、この政治的茶番を痛烈に批判せねばならぬ……  ・井伏鱒二「山峡風物誌」

主な執筆者
早風八十二/中村哲/宮出秀雄/赤岩栄/除村吉太郎/内山完造
 
 1948.4

井伏鱒二
「あの頃」
  『文芸』
昭和23年4月号
河出書房
(編集人)
杉森久英
《編集者の言葉》 ☆岡崎義恵氏の鷗外論は次号に「鷗外とヒューマニズム」を連載して完結する。☆小金井喜美子氏の「兄鷗外の手紙」は唐木順三氏の愚推薦によるものである。同氏の御好意に感謝する。☆井伏鱒二氏の随筆は前号に掲載する予定で頂いたのであるが、突然の頁数の削減のために今号に延ばさざるを得なかつた。氏の文章は近来益々滋味を加へて来られたやうである。普[あまね]く江湖の清鑒[かん]を乞ふ。〔…〕☆原田義人氏は横光氏の回想を書く事を幾度か躊躇された。しかし私は、それが文学史的な一挿話として記録して置かるべきものなることを強調して、氏の執筆を懇請した。嘗[かつ]ての悲惨な時代に、故横光氏が、その無垢な稚心から、自ら知らずして陥つてゐた神秘主義を、当時の若い人々の一群がどのやうにして迎へたかを知る事も無益ではあるまい。それは、まさしく、原田氏が傍題として記された通り、contes cruels である。[原田義人「SOUS RIRE 回想の横光利一氏」の標題には次の引用文が添えられている。〈その何であるかを認めた時、崇高な微笑がその顔を輝かした。それは墓の鍵であつた………… (Contes crueles)〉]然し、若い世代と老いた世代との間には、このやうなことは屡々[しばしば]繰返されてゐるのではあるまいか。在天の横光氏の霊も、嘗[かつ]ての青年たちが、今日の新しい時代の担ひ手としてマチネエ・ポエティクを結成して自らの道を往かうとしてゐることに、心からの「微笑」を送つてゐられるであらう。☆本誌は一党一派に偏するものでもなければ、好んで門戸を閉すものでもない。もしさう見えることがあるとするならば、それは私たちの不勉強のせゐに外ならぬ。私たちが編集に当る心構へは、飽くまでも誠実、且つ真摯でありたいと思ふ。それは、渺々たる一雑誌と雖[いえど]も、時に一代の文運を左右する力を持ち得る事を知るが故である。たゞ、識見の低さと学殖の貧しさから来る過誤は、諸賢の厳正なる批判を以て補ふ以外にない。その意味で、どしどし忠言を寄せられん事をお願ひする。〔…〕  ・井伏鱒二「あの頃」

主な執筆者
窪田啓作/野間宏/岡崎義恵/小金井喜美子/平野謙/原田義人/木村明子/辰野隆/伊藤整/武田泰淳
 
 1948.4

井伏鱒二
「裁趣」
『文芸読物』
昭和23年4月号
昭和書房
(編集人)
式場俊三
(発行人)
香西昇
《お話中》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〇すつかり見放された形だつた相撲が、人気をとり戻してきました。亡びる亡びると十年もの間論議された歌舞伎が、若手の精進で、若い観客を確[しっか]りつかみ、此頃は女学生間にも相当な数のフアンがあるさうです。人気といふものは不思議です。栄枯盛衰のその中にあつて、個人でこゝ数年間、動かぬ人気を背負つて立つて居るのは、依然として男で長谷川一夫、女では田中絹代だと、或る大劇場の支配人が云つてゐます。〇長谷川の半分ほどの人気を持つた政治家が、日本に一人も居ないといふことは、われわれの不幸です。本誌が店頭に出る頃は、新内閣もどうにか発足してゐるでせうが、(よし)といひ芦と云はれつ難波潟起き伏ししげき世を渡るかな、の古歌をそのまま、/★吉といひ芦といはれつナニあなた、起き伏ししげき世を渡るデスと云ふ、相変らずコスイ顔つきをした内閣でせうし、/★人の右派左派七十五日/といひますから、社会党あたりも口をぬぐつて出直しといふ処に相違ありません。いづれにせよ、清元の喜撰の文句にもある通り、乀政治で丸めて、噂でこねて…といふ日は、まだまだ政界につづくことでありませう。〔…〕〇選手の移動、争奪なぞ、プロ野球らしい味を見せて、開幕前にフアンに話題を提供したあたり、今年は仲々巧くやりましたが、それにつけても、思ひ出すのは早慶戦、巨人軍の名手水原が、シベリヤに帰還の日を待つてゐることです。  ・井伏鱒二「裁趣」

主な執筆者
浅野武男/大佛次郎/久米正雄/新田潤/菊池寬/川端康成/佐藤垢石/サトウ・ハチロー/横山隆一/横山泰三
 
1948.4

井伏鱒二
「湯島風俗」
(1938.5.10 サンデー毎日掲載のものに同じ)
 
『読物クラブ』
昭和23年4月号
新世紀社
 
《編集後記》 〇本誌の編集意図がやうやく認められたので編輯者一同感激を新たに、良き傑作を紹介する為、更に努力したい念願である。〇去る三月七日付の「週刊朝日」に大略次の如き一文が載つた。
〈「読物クラブ」といふ大衆雑誌が“アンコール”といふ編集の新企画を一年ばかり前からはじめてゐる。(中略)雑誌編集における“アンコール”は何も目新しいものではなく、このごろ日本雑誌界を風靡してゐるリーダーズ・ダイジエストなど、いわば“アンコール”の典型なのだが、素材を現代でなくて、過去に求めたところが凡
[すべて]でない。/といふのは、戦争による文化弾圧で、この十年間といふもの若い人々には、過去のすぐれた遺産が紹介されてないからだ。/実際、二十台の人々と会つて話してみると、三十-四十台の者には常識化されてゐる文芸作品のほとんどが名前すら知られてゐず、思はずマジマジと顔をみつめる場合も多い。その空白をこの雑誌は埋めてゐるといへるし、戦災で蔵書の大半を失つた四十台には、例えば古い恋人に会つたようななつかしさをも感じさせるのだ。(中略)前代を批判しきる前に、われわれは前代を正しく継承することが必要ではないのか。〉[仮名遣いの不統一は原文のまま]
〇本誌の「古今傑作選」と云ふ“アンコール”は菊池寬氏の発案によるものであり、同氏の指導の下に今日に及びかゝる好評をえた。のである。而るにこの好評を読まず、その発行の一日前、文壇に大いなる足跡を印された菊池寬氏は長逝されたが、この企画は故人の遺産として最後迄護つて行き度いと念願してゐるものはたゞ我らのみではあるまい。
・井伏鱒二「湯島風俗」(再掲)

主な執筆者
菊池寬/小酒井不木/スタンダール(前川堅市 訳)/堤千代/山本有三/林房雄/綾部健太郎/東郷青児/徳川夢声
 
 1948.5

井伏鱒二
「カイホウジ」
『文芸首都』
昭和23年5月号
新太陽社
(発行者)
保高徳蔵
《南船北馬》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]××「才うすく、しかも過当の評価を得て、幸福だつた……」と云う菊池寬の述懐の遺書は、率直ながら、寬の大きさを、あらためて知らし且つ、晩年の氏の悟達の心境を示していて、あまりあつた。〔…〕××文芸家の追放が、問題になつているが、たしかに、小説は書いてもよろしい、と云うのでは、あつてなきがごとき、追放だが、このさい、大切な事は、この機会を契機にして、編輯者が、執筆家の、文学を見ないで、人間を見ると云う癖をつけることだ。/作品とは、所詮、その人間の所産でしかない。××理想と現実とは背馳する、と云うのが一般の定説である。したがつて、売らんがために、大衆的であらんがために、卑俗にわたり、格さげになるのは、仕方のないことだと、一般編輯者どもは、頭から信じている。然し、これは間違つている。媚びるばかりが、()ではない。大衆とは、自分のうちのものも求めているが、自分にないものをこそ、よけいに求めているのだ。〔…〕××流行作家の裏に、非流行の作家があり、非流行の作家があればこそ、流行作家もあると云うものだ。ともに文壇を形成している。寬、死して、文壇は呆然として、この大穴を埋めるによしない模様だが、彼の冥福を祈る意味に於いても、文学を大きく愛し、大きく抱いていた彼の精神と実行をわれわれは、一日も早く深く学びとるところがなければならぬ。〔…〕××織田作が不貞腐れ、坂口が奇矯を吐き、田村が肉体一本になつたりするのは(太宰も新潮の独白で無理をしないほうがいい。)、遠く見てゐ[ママ]ると、まことに爆死に急なる姿でしかない。悲劇である。積年の焦燥が、彼等を駆り立てゝ、あらぬところに、旗上げさせてしまつたのに違いない。これらも、また、省みて文壇に、罪ありとせなければなるまい。××敢えて、編輯者に云う。/マガイモノを捨て、ホンモノをとれ、と。さもないと、ホンモノまでが、マガイモノの擬態を、とる。〔…〕 井伏鱒二「カイホウジ」

主な執筆者
亀井勝一郎/野田宇太郎/藤森成吉/江口榛一/井上康文/田辺茂一/保高徳蔵/寒川光太郎/多田裕計
 
 1948.5

井伏鱒二
「牡丹の花」
『中央公論』
昭和23年5月号
中央公論社
(編集人)
山本英吉
《後記》 ☆世界が一つであるか二つであるかを、抽象的に論議する段階はすでに過ぎ去つた。われわれは、世界を一つにあらしめたいという善意を否定しないのみか、それを最強度に熱望するものであるが、現実は刻一刻その善意を抹殺する方向に進展しつつあるかに見える。☆とはいえわれわれは、世界が二つであることを直ちに肯定するものではない。第三次の世界大戦が人類になにを齎[もたら]すかは想像を絶するものがあり、人類の賢明な理性は、恐らく米ソをして容易には戦わしめないであろうが、新憲法において「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」すると共に、「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有すことを確認」したわれわれ日本国民としては、世界平和の確立に全力をつくすため、今後国民みずからの自由なる意志に基づく結果こそ重要となるであろう。(英吉)   ・井伏鱒二「牡丹の花」

主な執筆者
中西功/阿部行蔵/三枝博音/石田一松/新居格/大山郁夫/永井荷風
 
 1948.6

井伏鱒二
「復員者の噂」
『社会』
昭和23年6月号
鎌倉文庫
《「座談会 日本の現実と作家の世界」》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて、当座談会冒頭の司会者(編集部)の言葉を載せておく。なお、出席者は中野重治、中島健蔵、高見順、誌上参加は渡辺一夫。]〈こんどの世界大戦の結果、ヨーロッパでは作家とその社会的な責任について、根源的な反省が生じてるようであります。もちろん、作家の責任といいましても、その作品に対し、あるいは又社会に対し、異質的なさまざまな場合もありましょうが、そういう反省が、今日進行しつつある世界の歴史、あるいは人類の運命というような、これまでは文学者とはいちおうかけ離れたものとして考えられてきたものと、結びつけるねばならなくなった、他人ではなくなった、そういう感じが強められてきた、そのように思うのであります。サルトルの告発も、その一つの例証だと思います。/日本においても、近代文学の形成過程において、ほんとうに社会との対決がなされたか。あるいは作家が社会的な現象に対してマニフェストなり、プロテストなり、発したことがあるのか。又これまで何故、いわば反社会的な、非政治的な文学の伝統が文学的流派としてメンメンとつづいてきたのか。/このような設問におこたえ願い、さらにお話を深めていっていただきたいと考えます。よろしくお願いいたします。〔…〕〉 ・井伏鱒二「復員者の噂」

主な執筆者
大内力/信夫清三郎/向坂逸郎/河盛好藏/武市健人/中野重治/高見順/中島健蔵/渡辺一夫/高浜虚子
 
 1948.6

井伏鱒二
「春宵(詩)」
『詩学』
昭和23年6月号
岩屋書店
(発行兼編輯人)
岩屋満
《「詩壇時評」》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕リルケの大部分の詩は、散歩する時持ち歩いてゐた手帳に、鉛筆で走り書きされてゐたと、詩学6号で吉村貞司が興味あるリルケの伝記を書いてゐる。〈リルケの詩作の速度〉について、〈製作時間の上では走り書きであつても、詩以前において推敲されたものを感じさせる〉と書いてゐるが、即興的な詩もその背後には、積み重ねられた積雲のやうなポエジイの集積が培はれてゐるとみるべきであらう。/ところで、〈湧き上つてきた感情と共に吐き出された詩〉と、〈考へ考へ、線を複雑にし、形をデフオルムした作られた詩〉とを区別して、興に応じて歌ひ流したものの方を尊重してゐるのはをかしい。ここで書かれてゐるやうに、詩を〈脳髄と感覚でつかむか、単に心臓でつかむか〉は、最も初歩的な詩の認識の大きな分岐点になつてくる。そして詩壇には、この二つの世界のもののからみあッた世界の分布図があるのである。〔…〕
 週刊朝日のサトオ・ハチローと辰野隆の対談会のやうに、詩がスポーツや流行の漫談と同じに扱はれてゐるのもたいして不思議ではない。また一例として、三田文学三月号のエツセイが三つとも、口吟
[くちずさ]むリズムや舞踊性の必要を叫んでゐても、少しも驚く気にはならないのである。/文壇的な詩といふものは、なんらかのかたちで興に応じて唄ふ種類の詩作態度によつてをり、目と耳の限界しかないからである。〔…〕
・井伏鱒二「春宵(詩)」

主な執筆者
野田宇太郎/大島博光/百田宗治/釈迢空/村野四郎/小野十三郎/中桐雅夫/吉田精一/阪本越郎/木原孝一
 
 1948.7

井伏鱒二
「晩春」
『思潮』
昭和23年7月号
昭森社
《編集後記》 「近代主義批判」の問題についての特集をこころみた。予定どほりの寄稿をえられぬため多少全体としてアンバランスな結果が現れたかも知れない。ジャーナルといふ性質上、充分な日時をえられぬためのやむをえざることと宥[ゆる]していただきたい。//ところで、ジャーナリズムの上での一定の制限のもとに書かれる論文は、どうしてもその論旨の展開に充全を期しがたいものであるが、(たとへば論証の不充分さから起る誤解の如き)、それは次の機会に訂正乃至加筆しうるものであるから、そのやうになすべきであらうがそれを執筆者も編集者も忘れ勝ちであるといふ欠陥が、常にいかなる問題にもつきまとふかに思へるのである。僕としては、この『思潮』を「流れるジャーナリズム」としてではなく、「慎重なジャーナリズム」の一つとして存在せしめたいといふ心組みを持つてゐるので、こんどの問題でも、さうした役割を果したいと考へたのである。結果がそのやうにならなかつたのは、非力のためと申し訳なく思つてゐるがこれからもかうした方針は堅持したいと考へてゐる。〔…〕(平田次三郎) ・井伏鱒二「晩春」

主な執筆者
小田切秀雄/三木亘/林文雄/中野秀人/平田三次郎(「太宰治の死」)/モチズキ・ヨシ
 
 1948.7

井伏鱒二
「十五字詰」
『文学界』
昭和23年7月号
文学界社
(編輯兼発行人)
今日出海
《編輯後記》 近頃の新聞を見ると暗然とするような事実ばかりである。学生の窃盗団、巡査の詐欺窃盗事件、それがいつ時ではなく、懲りずまに続くのだ。学生は健康に勉学に励んで貰ひたいし、巡査は規律を守り、秩序を重んじて貰いたいが、どうも世の中に彼等を安んじてその職務なり、責任に踏み留まらしめぬ事情があるように思はれる。
 今は敗戦といふ大手術を行つた後、腫物のウミが出放題に出てゐる時機である。誰もが汚いものを出してゐる醜い時代なのだ。だが道徳が頽廃したとは僕は思つてゐない。未だ道徳の領域ではなく、生理の問題ではなからうか。早く汚いウミを出し切ることが問題で、健康になつてから道徳を樹て直すのだ。今までは体内にウミを溜め込んで、知らぬ顔をして精神の、道徳のと言つてゐたのだ。「武士は食はねど高揚子」といふのはいつの時代に発生した言葉か知らぬが、これは武士のモラールであらうか。生きる権利は食ふ権利が危殆に瀕して、道徳で補ほうとは武家時代の悪政治である。巡査が盗棒で、学生が知能を絞つての強盗では、もう腫物はまさに底をついたかたちである。ウミは未だ当分出続けるだらうが、単なる取締や旧道徳で腫物の治療は出来難い。新しい道徳といふものが起らぬものであらうか。(今日出海)
[仮名遣いに不統一があるが、原文のままとした。]
・井伏鱒二「十五字詰」

主な執筆者
坂口安吾/伊藤佐喜雄/芹沢光治良/林房雄/深田久弥/草野心平/吉田健一/寺田透/亀井勝一郎/丹羽文雄/石川達三
 
 1948.8

井伏鱒二
「おしい人―太宰君のこと」
『新文学』
昭和23年8月号
全国書房
《後記》 美とは何んであらうか。芸術とは如何なるものであらうか。私達は二百一人目[ママ]への期待を抱く限り、常に新しい美を追求し古いものへの正しい、冷静な批判をまつ。厳密に云つて昨日のものはあつては今日のものであつてはいけない筈である。どの様に深い愛着を持つて居ても、正当な価値づけは進歩にほかならない。
 久方振りに谷崎潤一郎氏に五十枚の「所謂痴呆の芸術について」を載
[かか]げた。深い理解と愛情につゝみ乍[なが]らも、我国固有芸術の歌舞伎、文楽の世界に鋭い眼を向けられた。後半二十五枚は都合上次号掲載。
 E・ブランデン氏の「詩人の宇宙」は氏が渡日以来、発表された評論のうち、最大の力篇、前号に引き続き読者にお贈りする。
 作家の立場。太宰治氏の死に関して伊藤整氏にお願ひした。短い文章ではあるが、文学の生れる母胎として、西欧と日本との立場の比較は作品そのものにも大きく影響を及ぼしてゐるのではないであらうか。
 井伏鱒二氏には生前の太宰氏追憶記を戴いた。亡き人への愛情にみちみちた文章。〔…〕 
 
・井伏鱒二「おしい人―太宰君のこと」

主な執筆者
谷崎潤一郎/伊藤整/E・ブランデン(阿部知二 訳)/中村真一郎/火野葦平
 
 1948.8

井伏鱒二
「太宰治のこと」
『文芸春秋』
昭和23年8月号
文芸春秋新社
(発行者)
池島信平
《後記》 ★炎暑甚しき昨今、謹んで読者各位の御自愛と御健康を祈る。
★出版界の夏枯れの声漸く深刻であるが、わが社の雑誌出版物、いづれも好調である。われわれとしては、この上ともに想を練り、眼を洗つて常によりよき文化財の創出につとめ、読者諸氏の御眷顧
[けんこ]に添ひたいと念じてゐる。
★七月中旬には「別冊・文芸春秋」の第七輯が発売される。随想は谷崎潤一郎、正宗白鳥、宇野浩二諸氏、創作は丹羽文雄、舟橋聖一、井上友一郎、藤原審爾諸氏を揃へ、絶対に読みごたへのある充実さを目ざしてゐる。小林秀雄氏も久々に独特の論陣を座談会で布いてゐる。御期待を乞ふ(五十円)
★新秋を期して、編輯局は新なる企画を続々進行せしめてゐる。常に脱皮また脱皮、ジャーナリズムの本筋を目指して進みたい。
・井伏鱒二「太宰治のこと」

主な執筆者
斎藤茂吉/矢野健太郎/小堀杏奴/楢橋渡/浦松佐美太郎/佐多稲子/河盛好藏/高橋義孝/吉村公三郎/徳川夢声/前田夕暮/富安風生/梅﨑春生
 
1948.8

井伏鱒二
「太宰治の死(談)」
 
『ホープ』
昭和23年8月号
実業之日本社 
《霞 関夫「“三鷹心中”を追ふ――太宰治氏情死の現場」より》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕せいぜい三間の平屋建、この人気作家の自宅は、小路の突当りで梅雨にそぼぬれ沈んでいた。玄関に立てば、三人目の里子ちゃんの泣き声だろう、赤ん坊らしくギヤアギヤアと外までひゞいていた。部屋へ入つてみればぬれたオムツが、万国旗のように吊してあるかも知れない。子ぼんのうの太宰氏が三人の子供に寄せている愛情の深さは、その遺書によつて明らかだ。いくらでも稼げる、欲しいだけためられる太宰氏でありながら、その月収は二十万円以上といわれるのに、カストリに酔いつぶれる氏は、やつぱりいいひとなのだと思はざるを得ない。こういう作家の奥さんは、家庭をまもるのも本当に大変だろう。と言つてその愛人になれば死にたくなつて来る。有島武郎氏や芥川龍之介氏の場合が、からみ合つて思い出される。しかも彼女たちは行く――その気持は、よく分るやうな気がする。美智子夫人は寝た切りだつた。十六日の各紙はは夫人の談話を載せていたが、みんな、、こしらえ記事だ。/玄関先で豊島与志雄氏に逢つたが、氏は情死ではないと言う。/『太宰君にとつては生も死も大したことぢやない。たとい情死の形をとつたにしても、あの内容は、太宰君には要するにグッド・バイの気持だつたと思う』/井伏鱒二氏が来たので聞いてみた。/『書けなくなつたと書き残しているけど、太宰君のあれは錯覚だと思う。われわれが死の原因だと思つているものと、あの心中という形との間には、もつと別のものがある筈だ』/寝ている美智子夫人の心境を、井伏氏を通じて聞いてもらつたら、/「悲しいのと、恥づかしさで、住みなれたこの三鷹の家にも居られなくなつた……」ということだつた。本当は、家庭にも愛情の深い夫だつたという。〔…〕  ・井伏鱒二「太宰治の死(談)」

主な執筆者
村山しげる/南義郎/橫井福次郎/横山泰三/秋好薫/塩田英二郎/木々高太郎/西川満/土岐雄三/乾信一郎/杉浦幸雄/霞関夫/中野和夫
 
 1948.8

井伏鱒二
「不漁雑記」
 『文学界』
昭和23年8月号
文学界社
(編輯兼発行人)
今日出海
 
《編輯後記》 政治家がインフレを助長させて、土建屋が儲け、それをまた政治家が個人の資格で捲き上げてゐる事実が暴露された。日本の、政治常識からいへば驚くべき事実でもなければ、不当な事実でもない。財閥と政党の因縁が相変らず継続されてゐるだけではないか。斯くして来た歴史は人々の知る通りである。
 社会主義者がこのような事実を指摘して、政党の腐敗を攻撃した揚句当時の政界から追放されたり、弾圧を受けたものだ。今度はこれらの社会主義者が政党を作り、政治の中心になつたが、それは単に時勢の変遷を思はせるだけで、政治の方法は一向変りはしないといふことも併はせ教へられたよ
[ママ]うなものである。
 今日どうやら栄養失調にもならずに食つていける人は不当財産所有者だと思つて間違ひない。//それからいへば文士は原稿用紙に一字一字を書いて食ひつないでゐるので、これには闇もなければ、不当と名づけるものもない筈だ。稼ぐ文士は人の怠けてゐる間に昼となく夜となく書き続ける。儲けた文士はそれだけ多く税金も払つてゐる。僕は近頃誰が稼ぐの、誰が儲けるのと不当財産みたいに言ふのを苦々しく思つてゐる。米川正夫が印税成金だと非難がましくいはれてゐるのはそれこそ不当な非難である。ドストイエフスキーやトルストイを読むだけでも大変なことではないか。この厖大な著作を少しでもいゝ日本語にしようと殆ど一生を捧げて、今日どうやら印税の報いがあつたとて未だ報い足りぬ位である。
・井伏鱒二「不漁雑記」

主な執筆者
火野葦平/林房雄/田中千禾夫/福田恆存/赤岩栄/佐藤信衛/辰野隆/深田久弥/永井龍男
 
1948.8

井伏鱒二
「ハンダ先生」
 
『銀河』
昭和23年8月号
新潮社
(編輯兼発行者)
佐藤亮一
 
銀河賞・社会科研究作品懸賞 二等当選作 愛知県知多郡常滑中学校一年 水谷登志子「家庭生活の調査研究」冒頭》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]一、研究の動機 いまの世の中はいろいろの面からのうつり変わりが激しくて、私たちが社会ぜんたいを研究しようとすると、つかみどころがなくてむずかしいと思っていました。ところがせんだって学校の先生から「わたしたちの家庭の一つ一つが集まって、この社会ぜんたいを形づくっているので、社会の変動はたゞちに家庭生活に変化をうながすし、家庭生活の変化はまた社会の変動を起こすような、社会と家庭とは、切りはなして考えることのできない関係にある。今いわれている民主主義社会の完成も、一つ一つの家庭がほんとうに民主化されなくてはできないことである」というようなお話をうかゞって、私はいろいろと考えました。そして社会の状態を研究する前に、先ず私たちの家庭はどのようにしてひとりひとりが日々の生活をいとなんでいるか、、またそれぞれの家庭はどのような人たちによって形づくられているか、というようなことについて調べ、社会に対して家庭に対して、どのようにのぞんだらよいかという心がまえをまとめて、私の社会ぜんたいの研究の第一歩としたいと思って、この「家庭生活の調査研究」をやりました。〔…〕 ・井伏鱒二「ハンダ先生」

主な執筆者
今井正剛/塚原健二郎/吉田甲子太郎/後藤楢根/水谷登志子/加茂儀一/永井保/須田浅一郎/秋田実/泉 谷彦/三原脩/井崎一夫
 
 1948.9

井伏鱒二
「白髪」
『世界』
昭和23年9月号
岩波書店
《清水幾太郎「匿名の思想」冒頭》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]日本では以前から思想問題というものが特殊の重要性を有している。戦後はこの不思議な重要性が失われるであろうと期待されたにも拘らず、それは戦後に於ても、いや、寧[むし]ろ戦後に到つて益々その意義を増大しつつある。何処へ行つても、思想の問題が熱心に論ぜられており、若[も]し偶々[たまたま]そこに居合せると、忽[たちま]ち様々な質問の前に立たされてしまう。元来この問題の出所はジャーナリズムとも言えるし、ジャーナリズムが種子を発見して育てたとも言える。何れにしても、編輯者が飽きない限り、論議は果つるところを知らず、行論は日を逐つて微妙になり繊細になる。ヒューマニズムや主体性に関する議論は恐らくその代表的なものであるに違いない。確かに吾々の眼がただそれだけに注がれている間は、これ等の問題の含む意味は何としても疑い得ないと見えるが、その眼が少しでも動いて、問題を包む広大な現実に気づく途端に、凡[す]べてのものは救い難く空しいものとして現われて来る。吾々はこれ等の論議から何を得たか。また何を得る見込があるか。
 西洋諸国ではこの思想問題を何と呼ぶのであろう。之に対応するような外国語を手探りで作ることは吾々にも出来るが、それは日本に於いてこの問題が有している重量と幅とを受けとめることが出来るとは信じられぬ。この点に就いては、誰か外国の事情に詳しい人に尋ねて見ようと思うが、思想問題の著しい重要性ということのうちに、日本に固有な諸条件が表現されていると考えるべきであろう。吾々が久しく負つて来た運命、今もなお吾々がその主人になつていない運命がそこに覗いているのかも知れぬ。〔…〕
・井伏鱒二「白髪」

主な執筆者
清水幾太郎/隅谷三喜男/田中耕太郎/O・C・カーミッチェル
 1948.10

井伏鱒二
「亡友―鎌瀧のころ―」
『別冊 風雪』
第一号
小説特輯
昭和23年10月
六興出版部
《井伏鱒二「亡友―鎌瀧のころ―」冒頭》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]太宰治の「富嶽百景」といふ作品のなかに、私といつしよに三ツ峠にのぼつたときのことを書いてゐる。三ツ峠の頂上で、、私が浮かぬ顔をしながら放屁したといふのである。これは読物としては風情ありげなことかもしれないが、事実は無根である。ところがこの放屁の件について、或る未知の人から手紙が来た。「自分は太宰氏の読者として、また貴下の読者として、貴下が太宰氏に厳重取消しを要求されるやうに切望する。」さういふやうな手紙であつた。/をりから訪ねて来た太宰に私はこの手紙を見せた。/「どうだね、よその人でも、僕が放屁しなかつたことを知つてるぢやないか。こんな行きとどいた手紙を書く人は、きつと物ごとに綿密なんだね。理解ある人物とはこの人のことだね。」/「知音の友ですかね。でも、あのとき、たしかに僕の耳にきこえました。僕が嘘なんか書く筈ないぢやありませんか。たしかに放屁しました。」/太宰は腹を抱へる恰好で大笑ひをした。そしてわざと敬語をつかつて「たしかに、放屁なさいました。」と云つた。話をユーモラスに加工して見せるために使ふ敬語である。「たしかに、なさいましたね。いや、ひとつだけでなくて、二つなさいました。微かになさいました。あのとき、山小屋の髯[ひげ]のぢいさんも、くすッと笑ひました。」さういふ出まかせを彼は云つて、また大笑ひした。「わッは、わッは……」と笑ふのである。三ツ峠の髯のぢいさんは、当時八十何才で耳が聾であつた。その耳に微かな屁の音などきこえるわけがないのである。しかし彼が極力自説を主張してみせるので、私は自分でも放屁したかもしれないと錯覚を起しだした。自分では否定しながらも、ときには実際に放屁したと思ふやうにさへなつた。こんなに思ふやうになるまでには可成りの月日がたつてゐる。〔…〕   ・井伏鱒二「亡友―鎌瀧のころ―」

主な執筆者
川端康成/舟橋聖一/楢戸運仁/田村泰次郎/真杉静枝/北川晃二/中山義秀
 1948.11

井伏鱒二
「(座談会)文芸閑談」
『社会』
昭和23年11月号
鎌倉文庫
《高桑純夫「二つに自由」冒頭》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]自由が問題とされるときは、ひとがもつとも不自由なときだ、といわれている。/レツシングも、人間はつねに己れに欠けたものについて冗舌だ、といつている。/いま、わがくにのばあい、少くも一部では、自由のことが劇しく関心され、そして論議の中心となつている事実がある。とすれば、レツシングの伝によつて、われわれはその原因を、自由の現実的な欠乏のうちに探らなければならぬ、ということになる。/が、これは少しおかしい。なぜなら、ファツシズムの暴圧から解放されたばかりのこのくにには、民主的な新憲法も制定され、基本的人権としての住居、集会、言論、信仰その他あらゆる「権能」の自由が保証されている筈であり、よしんば、一部に今なお多少の不自由があつて[も ?]それはまだファツシズム遺制が完全には除去されぬためであり、大きく前望すれば、社会の方向はひたすら自由の拡大・均霑[きんてん]をめざしていると考えるのが常識だからである。/けれども、与えられた自由が、保証されているというだけではどうにもならず、実際にそれが行使されたとき、われわれは現実的に自由となる。して見れば、保証だけは与えられても、われわれはまだ現実に自由になつていない。このために自由はにかんするさまざまな論議が起つていると見るべきなのだろうか。〔…〕 ・井伏鱒二「(座談会)文芸閑談」(出席者 滝井孝作、上林暁、井伏鱒二、川端康成)

主な執筆者
高桑純夫/鈴木武雄/飯塚浩二/瓜生忠夫/小田切秀雄/井上友一郎
 1948.11

井伏鱒二
「十年前頃」
『群像』
昭和23年11月号
大日本雄弁会講談社
《編集手帳》 ◆昨年十月より連載してきた丹羽文雄氏の長篇力作「哭壁」は、いよいよ次号を以て完結する。その間一年三ヵ月、丹羽氏がこの作品にこめた精魂の激しさは、消息に通じる編集者をしてこころから脱帽させるものがある。完結のあかつきに、この長篇が投ずる波紋は、必ずやその岸を洗つて様々な音階を生ずるであろう。なお、先月筆者急患のため、十、十一月の二回分を一度に発表することになつたので、本号は特に仙貨紙により僅少の増頁をした。
◆「第二回小説・評論募集」は、早くも応募作が連日届いてくるような反響ぶりである。こんどこそはぜひ入選作を一篇得たいものと念じている。(T)
 
・井伏鱒二「十年前頃―太宰治に関する雑用事―」

主な執筆者
土方定一/齋藤磯雄/小野十三郎/福田清人/丹羽文雄/正宗白鳥/上林暁/中村光夫
 
 1948.11

井伏鱒二
「かの子と真砂子 第十二回」
 
『サンデー毎日』
昭和23年11月28日号
毎日新聞社 
《阿部真之助「(今週の話題)解散の是非」より》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]国がみだれると、国に住む人の、脳味噌までもみだれるものとみえ、平素なら、一点の疑いもないことが、問題になり、酢のこんにやくのと、いい争うようになる。この頃、国会を解散することの是非について、政府党と在野党との間に、論議がかわされているのも、その一つの例[ため]しであつて、もし彼等が、議会政治は多数であることの原則を、忘れないものなら、かような論議が起るはずはないのである。〔…〕/右の公式を、現実の政治にあてはめると、𠮷田内閣は少数党の上にたつものであるから、何を措いても国会を解散し、選挙のやり直しをする必要がある。これは議会政治の至上命令だ。ということの意味は、少数派の支配を、永く続けるのは取りも直さず、ファシズムの理念を、うけ容れることの恐れがあるからである。こんなはつきりした理由が、どうして分らないのか。分らないのではなく、実は、強いて分らないふりをして、解散を避けようとしているもののようだ。そこから色々、もつともらしい理屈が生れてくる。〔…〕
 私たちは、国会議員の一人のこらずが、窃盗の兄弟分と考えているわけではない。丁寧に選り分けたら、半分ぐらいは、尊敬に値する紳士があろうと、想像はしている。ただ情けないことには、事件と事件とが、不思議に混乱して、善悪正邪の別を、はつきりさせることができないのだ。私たちが混とんたる糸ののみだれをたち切つて、筋の通つた街道に出るには、解散によつて、一切の行きがかりを、御破算にするのが、最も早道のようである。その時こそ、私たちは前の選挙の失敗のつぐのいに、立派な人格を選ぶため、全力をつくさねばならないのだ。私たちは、過誤の訂正の機会をもつべく、国会の可能な限りの、早期の解散を要求してやまないものである。
 
井伏鱒二「かの子と真砂子 第十二回」

主な執筆者
山本映佑/林家正楽/内田百閒/阿部真之助/高田保/
 
 1948.12

井伏鱒二
「『阿部一族』について」
『心』
昭和23年12月号
向日書館
《中谷宇吉郎「国土と科学」冒頭》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〈この頃は少し下火になつたが、終戦後一時「科学による日本の再建」といふ言葉が、よく使はれた。/戦争前の「科学振興」から、戦時中の「科学技術」、終戦後の「科学による再建」と、これくらい「科学」といふ言葉が濫用される国も珍しいであらう。そのくせ科学は、戦時中も戦後も、日本ではちつとも進歩しなくて、退歩の一途をたどつてゐるやうである。/戦争中は、戦時研究だの、技術員の国家重要研究だのと、随分金も使ひ、人も動員したのであるが、結果は、なけなしの日本の科学者を消耗しつくすだけに終つた。終戦後は総理大臣の放送だの、文部大臣の声明だのと、一時は大分賑やかであつたが、これも線香花火のやうなものであつた。/外のことでもさうらしいが、特に科学に関しては、どうしてかかる事毎に失敗ばかりつづけてゐるのか、不思議なくらいである。/それについては、研究費が足りないとか、資材がないとかいふことが、よく云はれる。しかし研究に使はれた金や資材くらゐは、多寡がしれてゐるので、いくら貧乏国でも、それくらゐのものは、出さうと思へば出せないはずがない。科学の歴史が新しいといふのも、嘘であつて、明治の初めから今日まででは、もう十分な年代が経つてゐる。/原因はそんなところにはなくて、為政者と科学者がともに馬鹿だからである。もちろん為政者の中にも、立派な見識と学力とをもつた人が少しはあるが、さういふ人は例外的な存在である。例外はあくまで例外であつて、本統の国の動きは、さういふ少数の人たちの力では、どうにもならないものらしい。/国民一般の知能が向上しなくては、科学が実際に役に立つまでは成長しないのである。結局問題は国力に帰するものと思はれる。そして国力の培養には、科学の基礎が必要なのであるから、話は厄介である。〔…〕  ・井伏鱒二「『阿部一族』について」

主な執筆者
長与善郎/鈴木大拙/辰野隆/梅原龍三郎/安井曾太郎/里見屯/武者小路実篤/中谷宇吉郎/中川一政/武者小路公共/鈴木信太郎/千家元麿/上林暁
 
 1949.2

井伏鱒二
「私の膝小僧」
『文芸往来』
昭和24年2月号
鎌倉文庫
(編集人)
巌谷大四
《編集後記》 ★創刊号はお蔭様で好評であつた。ますます微力に鞭打ちたいと思う。
★今月から三つの連載を得た。川端康成氏の「新文章講座」、村松梢風氏の名匠秘録、河盛好蔵氏の翻訳になるアランの「精神の季節」である、近頃文章の問題がゆるがせにされている折から、文章家としての第一人者たる川端氏の文章講座は追従をゆるさぬものであり、村松氏の名匠秘録は既に定評あるところ。また、本社が小松清氏の好意によつて得たアランの「精神の季節」を河盛好蔵氏が特に平明に訳されるべく努力されている。御愛読を乞う次第である。〔…〕
★随筆にはその道の名人井伏、神西両氏の共々に掬すべき佳品を得たことを読者と共に喜びたい。〔…〕(D・I生) 
 
・井伏鱒二「私の膝小僧」

主な執筆者
石川淳/久米正雄/上林暁/梅﨑春生/川端康成/神西清/井上友一郎/田村泰次郎/河盛好藏/中島健蔵/巌谷大四/村松梢風/暉峻康隆/三島由紀夫
 
 1949.2

井伏鱒二
「サイカチの木」
『女性線』
昭和24年2月号
女性線社
《「世界の波長」より》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕×××新大統領トルーマン氏は二月二十日、十三万の大衆を前にして就任の辞を世界へ放送した。誤れる哲学として共産主義をコキ下ろしたのち、アメリカがとるべき四項目の平和への道を提示したが、国連の強化、欧州援助の継続、北大西洋の安全保障につゞいて「進歩したアメリカの科学と工業の恩恵を未開地域開発に役立たせよう」と唱えたことは、正に「二つの世界」に対処するアメリカ新戦術の宣言である。〔…〕
×××勝ち誇つた中国共産党は、一月十四日国民政府に八項目の和平条件を突きつけた。「売国条約の廃棄」というのがその一項目目にある。今次戦争以来、中国が結んだ国際条約の主なもの十一ばかり並べて見ても、確かに国辱だと思われるのは、日本降伏の前夜たる一九四五年八月十四日に締結された中ソ同盟条約ぐらいなものである。同年二月、英米ソ三国がヤルタで会談し、外蒙独立、大連旅順の利権など、中国の犠牲においてソ連の対日参戦を取りきめたが、その事後承諾を条約化したのが中ソ同盟に他ならぬからだ。然し、この条約あつたからこそ終戦後の満州にはソ連軍が入り、従つて中共の今日ある基礎となつたのではあるまいか。しかも、曲りなりにも国共合作の残つていた当時の条約だから、責任は必ずしも国民政府ばかりではあるまい。中国民族主義の毛沢東、周恩来に対し、ソ連直伝のインタナショナル派の李立三、林彪が、同じ世界の中に更に「二つの世界」を作りそうだと伝えられるが、新中国の中共政権が樹立早々直面する困難に、「売国条約」で戸惑いを示した国際外交の面からであろう。(朝日新聞社講演班長 末松満)
・井伏鱒二「サイカチの木」

主な執筆者
杉浦明平/高桑純夫/河上徹太郎/福田恆存/渡辺慧/北川冬彦/本郷新/飯塚浩二/山之口貘/三岸節子/梅﨑春生
 
  1949.3

井伏鱒二
「立候補勧誘」
『展望』
昭和24年3月号
筑摩書房
(編集者)
臼井吉見
《編輯後記》 ☆雑誌も九十六頁になつて、とにかく、いくらか雑誌らしい感じを回復してきたのは、よろこばしい。〔…〕
☆前号『0時間』の作者の仮名づかひについて、疑問を寄せられ、わざわざ編輯者に問ひ合せてくるむきもある。作者に問ひ合せたわけではないから、たしかなことはわからないが、おそらく『0時間』の作者は、日本語の表現を将来ローマ字にもつて行かうといふ意図からであらうと思ふ。いや、作者の意図如何にかかはらず、客観的にさういふ意味をもつた仮名づかひであることにまちがひない。現在文部省の採用してゐる、中途はんぱな、見せかけの進歩的ポーズの仮名づかひよりは、目標がはつきりして、むしろ、どれだけ筋が通つてゐるかわからない。あんなものに馴れつこになり、筋の通つたもののはうを異常に感ずるやうになつたらおしまひである。だが、『0時間』の場合のやうに筆者も骨が折れ、読者にも苦労を強ひるやうな仮名づかひの採用がいいかどうかはまた別の問題である。本誌の仮名づかひは、筆者本位であり、直接編輯者の責任の及ぶ範囲では、歴史的仮名づかひを使用してゐるのは何も保守派を標榜しようとするものではない。いい加減な、見せかけの進歩派に雷同できぬだけのことである。中途はんぱなものを基準にして、寄稿家の仮名づかひまで改めるほどの日本軍部的な勇気を持ち合せないだけのことである。
・井伏鱒二「立候補勧誘」

主な執筆者
大島康正/石母田正/中野重治/渡辺一夫/中野好夫/伊藤整/長与善郎/鈴木成高/宮本百合子
 
 1949.4

井伏鱒二
「(我が師・我が友)阿佐ヶ谷会」
『小説新潮』
昭和24年4月号
新潮社
《「文壇・新耳袋」より》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕娯楽雑誌「鏡」はこのところ素晴しい売行で、編輯長の真杉静枝女史は大満悦であるが、そのかはり忙がしいことも大変である。その用事で、先日女史が三笠宮にお会ひしたとき、いろいろ雑談のあとで、「あたくしにはどうも男の心理といふものがはつきりわからないのですが」と女史が云ふと、三笠宮も、「いや僕もどうもおんなの心理といふものがよく分りません」と答へられた。//次手[ついで]に宮さまの話をもう一つすると、高松宮がさるダンス・ホールへ遊びにゆかれた。するとあまり人相のよくない連中が六人ばかり、じろじろと宮さまを眺めてゐる。そこでいいかげんにして切り上げた宮さまがホールを出られると、その兄ちやんたちもすぐ後から追つかけてきた。そして宮さまの前に回つて一列に並ぶと、そのなかの一人が号令をかけて「敬礼」。〔…〕  ・井伏鱒二「(我が師・我が友)阿佐ヶ谷会」

主な執筆者
北原武夫/火野葦平/真杉静枝/中里恒子/石坂洋次郎/内田百閒/舟橋聖一/獅子文六/尾崎一雄/木村荘八/和田伝
 
 1949.4

井伏鱒二
「(自画像)苦渋あり」
 
『群像』
昭和24年4月号
大日本雄弁会講談社
《編集手帖》 ▲福田恆存氏の、示唆に富む論稿「芸術概念の革新」は、八〇枚に及ぶ労作である。陽春評壇の一収獲と信ずる。傍題――読者のための評論――は、もちろん筆者のアイロニーと解すべきであろう。▲正宗白鳥氏の長篇「日本脱出」は、その第一部二〇二枚が本誌新年号に発表されるや、各方面に異常な反響を呼んだ。評家の眼は、この一作に集中されたかの感があつた。本号掲載の第二部一八二枚は、壮大な作品の全貌が漸くあきらかとなつて興趣深い。尚、「日本脱出」の第一部、第二部は、近く本社出版局から刊行の運びになつてゐる。▲別項予告のとおり、次号には、トオマス・マンの「永遠なるゲーテ」という論稿を訳載する。原文は一九四八年に情熱をこめて執筆されたもので、訳者はマンの研究家東大助教授佐藤晃一氏――ゲーテ生誕二百年lを記念するに、最もふさわしい一文と思う。〔…〕 ・井伏鱒二「(自画像)苦渋あり」

主な執筆者
福田恆存/井上友一郎/椎名麟三/阿部知二/高見順/原民喜/野間宏/伊藤整/檀一雄/武田泰淳/梅﨑春生/三島由紀夫/藤原審爾/正宗白鳥/花田清輝/丹羽文雄/豊島与志雄
  
  1949.5

井伏鱒二
「重い土産」
『展望』
昭和24年5月号
筑摩書房
(編集者)
臼井吉見
《編輯後記》 巻頭に梯明秀氏の労作百二十枚を掲載できたことを深く喜びたい。/われわれとしてかぎりなく恥づかしく不幸だつた戦争を回顧して、程度の差こそあれ、良心あるものが内からの要求として一種の告白を強ひられぬものはあるまい。それが直接に告白のかたちをとるかどうかは別として、とりわけ文学や思想を自分の仕事としてゐるもので、この要求なしにすますことのできるひとはきはめて少数のはずである。然し、文学のがはでも真にさういふ内的要求とつながつた仕事はあまり見られないし、思想の方面でも、『懺悔道としての哲学』の著者のほかには、例を知らぬといつていいかと思ふ。さういふ点からいつても梯氏の『告白の書』のもつ意味は大きいが、戦時下の実存的理性の苦悩を客観的に分析しつつ、戦争の精神的遺産を摂取することによつて、戦後の思想的苦悩を解決しようとする積極的態度は、単なる主観的告白にとどまるものではない。しかも、自身の転向声明書をひき出して、容赦なく自身を責めたててゐるのであつて、文字どほり「流血の労作」である。当然さまざまの問題を提出してゐるのであつて、たとへば、西田哲学・田辺哲学に対しても、ここに示されてゐるとほり、まともにとりくみ、これを摂取しようとした態度などは、従来の唯物論者には決して見られなかつたものであらう。このことは同時に従来の唯物論が、主体性のない客体の論理にとどまり一種の実在論であり、悟性論理の範囲を脱することのできなかつた点を鋭い自己批判として提出してゐるのである。この『告白の書』こそは告白から出発して告白を越え、現代思想そのものに深刻な問題を投げずにはおかれぬものと思ふ。〔…〕  ・井伏鱒二「重い土産」

主な執筆者
梯明秀/和辻哲郎/桑原武夫/矢内原伊作/青野季吉/窪川鶴次郎/武林無想庵/中村光夫/渡辺一夫/遠藤湘吉/手塚富雄/臼井吉見/宇野浩二/柳田国男/宮本百合子
 
  1949.5

井伏鱒二
「普門院さん」
『改造文芸』
昭和24年5月号
改造社
《井伏鱒二「(横光利一賞銓衡後記)」》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]大岡昇平氏の「俘虜記」[第一回横光利一賞当選作品]が満場一致で推薦された。のびのびとして新鮮味あるといふのが会合者の殆んど一致した意見であつた。私もそれに賛成した。処女作にとりかかるまでに、ながいあひだのスランプを通りぬけ、中年になつて初めて自信に充ちて書いた。たぶんさうだらうと私は思ふ。素材自体に弾みがあり、それに応[ふさ]はしい筆力の感じられる作品である。今官一氏の「幻花行」もいい作品であると思つた。  ・井伏鱒二「普門院さん」/
・井伏鱒二(横光利一賞銓衡後記)

主な執筆者
渡辺慧/小林秀雄/中野好夫/竹山道雄/高見順/内田百閒/草野心平/豊島与志雄/大岡昇平
 
  1949.6

井伏鱒二
「パパイア」
『文芸往来』
昭和24年6月号
鎌倉文庫
(編集人)
巌谷大四
《編集後記》 ★今月は薫風によせて、「小説と詩の特集」号とした。★小説は、里見氏自ら「新らしい試み」と言われる野心作をはじめ、丸岡、中里、耕、三氏の真摯な力作、井伏氏一流の好短篇、中山氏の連載第二回、いづれも充分に読みごたえあるものと信じる。★詩は、釈迢空氏の長詩をはじめ、久々に丸山薫氏、伊藤静雄氏の佳品を得た。★座談会「若き詩人のために」は、小野十三郎氏がたまたま上京されたので、金子光晴氏、三好達治氏の三選者に、現代詩の問題について心ゆくまで討論して頂いた。詩の貧困が叫ばれている折から必読の座談会と思う。★小説入選作は丹羽、高見両氏には該当者なく、川端氏選のみ掲載した。枚数が少し超過していたが他に該当者なきため採用した。今後は厳守されたい。 D・I生 ・井伏鱒二「パパイア」

主な執筆者
川端康成/里見弴/耕治人/中里恒子/丸岡明/中山義秀/丸山薫/伊藤静雄/釈迢空/三好達治/小野十三郎/金子光晴
 
 1949.7

井伏鱒二
「(吾が愛する言葉)」
 
『文芸往来』
昭和24年7月号
鎌倉文庫
(編集人)
巌谷大四
《編集後記》 ★今号から『作家解剖室』を設けた。これは各作家を、作家、批評家、並に愛読者から、多角的に批判、解剖してもらうと同時に、これに対して、解剖の対照[ママ]となつた作家の言ひ分をも回答的に併せて掲載してゆく新しい試みで、一般文学愛好家の作者を知る上のよき手引きとなることゝ信じる。読者にもどしどし投稿されたい。★戯曲について、新劇のよき理解者である岸田国士氏の『新劇の黎明』と、新劇の開拓に一生をさゝげている真船豊氏の『戯曲の話』を得たことを読者と共に喜びたい。★本号から青野季吉氏に特にお願いして本格的な文芸時評を連載することにした。定評ある青野氏の良心的なる文芸批評は必ずや文壇への警鐘となろう。★訪問記は三好達治氏に御足労願い、髙村光太郎氏を訪問して頂いた。師への愛情あふるゝ一文である。★次号から丹羽氏の『文学自叙伝』を連載する。これはスタンダール「アンリ・ブリュラールの生涯」に想を得た野心作。御期待を乞う。 D・I生 ・井伏鱒二「(吾が愛する言葉)」

主な執筆者 
岸田国士/三岸節子/椎名麟三/滝井孝作/井上友一郎/川端康成/青野季吉/今日出海/武者小路実篤/中村真一郎/三好達治/小田嶽夫/中山義秀/里見弴
  
  1949.9

井伏鱒二
「(直木三十五賞をめぐって)」
  『文芸読物』
昭和24年9月号
日比谷出版社
(発行人)
香西昇
《お話中》 〇松本宗一――といつても御存じない方が多いでせう。植村の「植」の字を二つに割つて、「直木」とし、当時の自分の年齢をその下につないで、直木三十五といふペン・ネームを作りました。つまり植村宗一が、直木三十五の本名であります。〇今は、これも故人となつた菊池寬氏が、なき親友をしのび、かつは、大衆の文芸の発展のために、もうけたのが直木三十五賞のはじまりであります。わか国の文学賞としては、芥川賞と共に、もつとも古き歴史を有し、権威を認められてゐることは、いまさら申すまでもありません。〇主な受賞者には、川口松太郎、井伏鱒二、堤千代等の諸氏があり、このたび戦後最初の受賞者として、富田常雄氏が選ばれたことは、更に直木賞の貫禄を加へたものと云へませう。〔…〕〇生みの親よりも姿三四郎の方がウンと有名になつてしまつた訳で、親としてはこれも喜びでせうが、その富田常雄をもう一度三四郎から引き離して、明るいスポツト・ライトの下に立たせた処に今度の受賞の意義がございませう。〔…〕〇幸ひな事に、本誌は財団法人「日本文学振興会」から、直木賞の発表機関たる委嘱をうけて居ります。〔…〕  ・井伏鱒二「(直木三十五賞をめぐって)」

主な執筆者
林忠彦/富田常雄/きだ みのる/徳川夢声/攝津茂和/佐藤垢石/亀井勝一郎/中村草田男/高橋新吉/佐藤美子/久米正雄/大佛次郎/小島政二郎/川口松太郎/木々高太郎/獅子文六
  1949.9

井伏鱒二
「羽織」
『風雪』
昭和24年9月号
風雪出版社
《編輯雑筆》 次号十月号には別頁予告のやうにシモン・ギャシチョンの『娼婦マヤ』二百枚を小松清氏の翻訳によつて紹介する。周知のやうに海外の作品紹介が困難な現在、訳者小松氏の努力によつて翻訳権を獲得したもので、戦後わが文壇に台頭した「肉体文学」に大きな示唆を与へるものと思ふ。(O)  ・井伏鱒二「羽織」

主な執筆者
宇野浩二/尾崎一雄/大木実/亀井勝一郎/古谷綱武/小松清/田村泰次郎/清水崑
 
  1949.10

井伏鱒二
「満身創痍」
『新潮』
昭和24年10月号
秋季小説特集
新潮社
(編集兼発行者)
齋藤十一
《舟橋聖一「肉体文学のゆくへ」》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]「肉体文学のゆくへ」といふのが、余に対して、編輯者から云つてよこした課題である。所謂肉体文学は、全盛期をすぎ、すでに下り坂にかゝつてゐて、その落ちつく先きはどこであるだらうかといふ消極的な関心から、出題されたものらしい。/さういふジャアナリステックな感覚から云ふと、もはや、肉体文学は古臭いと見える。読者は、肉体そのものには、飽きてゐないが、肉体といふ字、或は字面に、飽きてしまつてゐる。よしんば“肉体の哀唱”だの“肉体の山脈”などと奇抜なタイトルを考案してみたところで新鮮な魅力がわきさうにも思へない。然し、これは何も、肉体文学ばかりとは限らない。或る文学的傾向が、時代を風靡することはあつても、ほんの短時日のことで、咲いたかと思ふと、散つて行く。/自然主義文学のやうな革命的な価値の転換が行はれた時代でも、あとから振りかへると、その絶頂期は、短いものだ。泡鳴の「神秘的半獣主義」や、藤村の「破戒」の出た明治三十九年は、自然主義の進出期といはれるが、その同年に、漱石によつて、反対潮流としての「草枕」が書かれてゐるのは、皮肉でさへある。白樺も新思潮も、又、昭和の新感覚派や新興芸術派も、出たかと思ふと、すぐ衰へ、本当の全盛期は、一年か二年のことであつた。/肉体文学が、僅かに、半年かそこらで、花の盛りをすごしたと云つても、別段、不可思議とするには足りない。〔…〕  ・井伏鱒二「満身創痍」

主な執筆者
豊島与志雄/阿部知二/中山義秀/外村繁/佐藤春夫/尾崎一雄/船山馨/田中英光/川端康成/渡辺一夫/中野好夫/河盛好藏/仁戸田六三郎/獅子文六/舟橋聖一/檀一雄
 
  1949.11

井伏鱒二
「鶯の巣」
『文芸読物』
昭和24年11月号
日比谷出版社
(発行人)
香西昇
《虎の門通信》 〇日販改組の問題で十月号を休刊し、読者に御迷惑をおかけしたことを深くお詫びします。〇したがつて本号は十月、十一月の合併号として刊行されることになりました。御了承ください。〇躍進、本誌は愈々[いよいよ]次号から増頁を断行することになりました。十二月号は力作「中篇小説特集」として、文壇きつての名短篇作家として定評のある永井龍雄氏の「羽蟻の天使」(百三十枚)をはじめ北条誠氏の会心の作七十二枚、〔…〕その他、注目すべき力作揃ひです。〔…〕〇別冊「文芸読物」のお報せ――本誌は直木賞発表機関誌として、今度の第二十一回受賞者発表を記念し別冊「文芸読物」(小説名人会)大判二百余頁を十月下旬発売されることになりました。〇執筆陣はかつて直木三十五賞を受けられて現文壇の第一線に立つて活躍されてゐる作家、川口松太郎、富田常雄、井伏鱒二、海音寺潮五郎、木村荘十、田岡典夫、木々高太郎、村上元三、橘外男、堤千代、その他で、つまりここに直木賞作家特別号を編んで、この権威ある文学賞の間隙を再現しようとする画期的な別冊となります。〔…〕   井伏鱒二「鶯の巣」

主な執筆者
林忠彦/新田潤/攝津茂和/式場隆三郎/獅子文六/上林暁/三好達治/石塚友二
 
  1949.12

井伏鱒二
「をんなごころ」
『小説新潮』
昭和24年12月号
新潮社
《檀一雄「小説 坂口安吾」》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕昭和二十三年五月十五日、私は背水の陣を敷いて上京した。妻子は家郷にホッたらかしてゐる。母、弟妹は明日の米銭にに飢ゑてゐる。私は九州の書房から千五百円の原稿料を貰つて、汽車の切符だけ買つた。/石神井の宿につく。後は書くばかりだ。小説のよし悪しなど云つてゐられない。童話、よろしい。少女小説、よろしい。冒険小説、探偵小説、通俗、高級、何だつて構やしない。家族は全部を包容すれば十人ゐる。/「ジヤーナリズムのあらゆる不正の要求を甘受して己を貫け」だ。/私はひそかにこの安吾先生の言に百万の援兵を得てゐた。ドストエフスキイは借金を埋める為に力闘した。誰だつてさうだ。与へられた環境は、どの作家にとつても万全のものである。一つ二つ書き終へる度ごとに坂口安吾の顔を見に行つた。/坂口安吾はまる裸で飲んでゐる。私も裸だ。応仁の乱のアツプレゲールはすべて裸に限るのである。/酒はウヰスキーから焼酎に変つた。/「俺は胃が弱いからビールや酒が飲めんのでね。量が少くて酔ふ奴がどうも胃腸にいい。焼酎だ。こいつに限る」/財産目録は全く何も増加してゐる気配は無い。専ら文章を書き、専ら散乱させて、大食坂口安吾の風体である。/「税金は? 坂口さん」/「来てるよ。俺に払へつこないぢやないですか。牢屋に入るよ、牢屋に。一日をいくらに換算してくれるのかね?」/「そりや、三百円でせう。日雇の公定だ」/「三百円?」/この不動明王も、税金を日雇労賃で割りながら日数を数へて暗澹たる気配である。〔…〕 ・井伏鱒二「をんなごころ」

主な執筆者
佐多稲子/尾崎一雄/今日出海/井上友一郎/藤原審爾/舟橋聖一/檀一雄/和田伝/伊藤永之介/徳永直
 
  1950.2

井伏鱒二
「遙拝隊長」
『展望』
昭和25年2月号
筑摩書房
(編輯者)
臼井吉見
《編輯後記》 本誌も本号をもつて第五十号に達した。敗戦の年の十二月に創刊号を出して、ここに五十冊をつみかさねたわけである。編輯者としての個人的感慨などを述べたてるすじあひは毫もないのだが、それにしても一応も二応もの感慨を抑へがたいものがある。一昨年あたりは営業部でない編輯部までが紙を打出す小槌の夢を見るほどだつた。呼べど叫べど紙のゆくへは知れずといふわけで、老鶯が山吹の花を散らすころに四月号が出るといふありさまだつた。今年の四月号などは雪ふりのなかに出るかも知れない。六十頁の統制が行はれるやうになってから、紙の不安はなくなっただけに、雑誌のかたわ(、、、)みたいなものになり、そんなかたわ(、、、)を毎月見なれてゐるうちにかたわ(、、、)かたわ(、、、)でなくなってしまふやうな錯覚さへ生れてくるのは薄気味わるい感じだった。それほどの紙がこのごろになって、どこからともなく出てきたらしく、新年号などは貫目で売るやうな雑誌も現れてゐる。ともかくそんなわけで、だいたい紙の拘束からは脱したのだが、三百頁や五百頁もの雑誌は六十四頁のときとおなじやうに気味のわるいかたわ(、、、)だと思ふ。本誌はいまのところ、本号ぐらゐが適当と考へてゐる。紙を打出す小槌の夢を見たときのおもひでこの百六十頁を埋めて行きたい。
 五十号の回想はむろん紙ばかりに尽きるものではない。本誌は、東京では反動呼ばはりをされるかと思ふと、五六時間汽車にのつて痴呆へゆくと、危険な進歩雑誌といふ光栄を負はされ、本誌の愛読者なるがゆえに不採用になつた公務員もあつたといふ話もきいてゐる。そんなこともあった。そして、いまでもそんなことでありつつある。日本がかういふかなしい、滑稽な国であることを忘れたくない。そして、ひとりよがりにならず、もつと広く、つねに深さへの志向を忘れず、ニヤニヤやソワソワせず、まつすぐに進みたい。各位の御協力をひとへにお願ひするものである。 
・井伏鱒二「遙拝隊長」

主な執筆者
遠藤湘吉/梶谷善久/森有正/野間宏/中村光夫/加藤周一/小田切秀雄/椎名麟三/三島由紀夫/辰野隆/釈迢空/岡麓/中野好夫/志賀直哉/網野菊/宮本百合子
 
  1950.4

井伏鱒二
「尾呂村のお婆さん」
『文学界』
昭和25年4月号
文芸春秋新社
(発行人)
池島信平
《手塚富雄「翻訳とニユアンス ―高橋義孝氏へ一言―」》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕「芸術的ニユアンスを姑[しばら]く措くなら、読者は文法的精確さの点でこの訳者に信頼をよせてしかるべし」といふ推薦?は御辞退したい。私は学校教師はしてゐるが、作品の翻訳においてまで教師にまつりあげられる覚えはない。/これは自分の仕事を完全だなどといつてゐるつもりでないことはくりかへすまでもないと思ふ。地理的関係で、校正を発行所にまかしたので、くるしい誤植がある。知識の不足で思ひちがひもある。戦時中のこの仕事を、いま見るにつけ、漢字制限のための、この短時日における表現と表記法の変化のひどさを痛感せざるをえない。つまりは翻訳とははかないかなしい仕事である。/日本語の達人云々のうまい網に、私はしらずしらずひつかかつたか知れない。大笑ひの種になるのは、人々へのサービスになるだらう。井伏鱒二氏は、自分は八流の小説家だといつたさうである。河盛好藏氏は、Bクラス所属を宣言した。いふまでもないが、これはチッとも謙遜ではない。「八流だが、おれは小説家である」といふのである。古今東西を貫いたとんでもないランキングが、この作家の胸中にあるのだらう。社会においてBクラスの職分(河盛氏によればよい教師、よいジヤーナリスト)をつくさうといふのは、その職分の中でBクラス的仕事をしようといふのとは、まるでちがふ。/さて、私は井伏氏の口まねをして、おれは八流の翻訳家だといふつもりは毛頭ない。なぜなら、「八流だが、おれは翻訳家である」ではせりふにならないではないか。元来、翻訳そのものが、Bクラス的、八流的な仕事なのである。かういふ仕事にたづさはる一つの道は自分を徹底的に翻訳機械、翻訳工場にしてしまふことだらう。〔…〕私は自分を工場(、、)と考へるのはがいやだから、翻訳者の可能性を信じ翻訳をする以上は翻訳者の名に値する翻訳者にならうと思つてゐるしだいである。どんな文体にぶつつかつても、不可能の語は翻訳者の辞書にはないかのごとくに、ぶつつかる。ゲーテの詩のやうな巨大な岩壁にいどんでいたことは、我ながらスリルである。そこから生命のいぶきが、一切生じないとは、いまのところ私は信じまいとしてゐる。〔…〕 ・井伏鱒二「尾呂村のお婆さん」

主な執筆者
丹羽文雄/檀一雄/井上友一郎/北条誠/木山捷平/っ森三千代/河盛好藏/手塚富雄/浦松佐美太郎/佐藤春夫/高見順/北川冬彦/野間宏
 
  1950.4

井伏鱒二
「お島の存念書」
 
『小説公園』
第二号
昭和25年4月号
六興出版社 
《編輯室》 ☆創刊号は驚異的な反響を呼んで期待以上の売行きでした。首をかしげるやうな雑誌の横行してゐる時に、正統な楽しい雑誌を、知識的なお家庭に、サロンに、職場に捧げたいといふ祈りをこめた私どもの創刊意図が心ある方々にはつきり判つていたゞけた結果だと考へて大きな喜びを感じてゐます。☆『陽春傑作号』と銘うつたこの第二号の堂々たる顔ぶれと、それを裏付ける傑作は創刊号以上の喝采をいたゞけることと信じます。☆田村泰次郎氏が久振りにじつくりと腰をすゑた九〇枚の中篇『女の復讐』は氏の文業に一転機を画するであらう雄篇です。☆稀にみる情熱を傾け、はかり知れぬ雄大な構想を抱いて筆を起された吉川英治氏の『平の将門』は本号からいよいよ風格ある筆力とそのヴオリウムに読者を魅了してやまないでせう。この大長編こそ本紙の誇りとするものであります。☆川端康成氏推挙になる新人として一三〇枚の長篇小説『雪化粧』をもつてデビユーする女性小磯なつ子氏のユニークな筆触とロマンチシズムはしばし陶然とした楽しさを皆様に醸し出しませう。これ又本誌の誇る異色篇であり、今後の活躍に大きな期待をかけても居ります。☆これらの三大作をはじめずらりと並んだ傑作は『小説公園」ならばと気を入れて執筆下さつたものばかりで絢爛といふ言葉に尽きる当代唯一の豪華版といふ自負をもちます。〔…〕 ・井伏鱒二「お島の存念書」

主な執筆者
田村泰次郎/林芙美子/吉屋信子/武田泰淳/永井龍雄/吉井勇/藤沢桓夫/小磯なつ子/佐藤春夫/林房雄/広津和郎/佐佐木信綱/山口誓子/吉川英治/植村鷹千代/大佛次郎/双葉十三郎
 
  1950.5

井伏鱒二
「南部紀行」
  『読売評論』
昭和25年5月号
読売新聞社
(編集印刷兼発行人)
楢崎勤
《編集後記》 コーヒー店にはいつてみる。そこでは、如何におおくの人たちが一杯のコーヒーをたしなんでいることか。煙草屋には、如何におおくの人たちが、いりかわり、立ちかわり煙草をもとめていることか。一杯のコーヒー、一本の煙草のもつ魔力。しかしこころみに書店にはいつてみたまえ。かれらはその店さきにつみかさねられ、ならんでいる本も、雑誌も、コーヒーをのむようにもとめることはしない。かれらはのあるものは、ページをぱらぱらと手荒くめくつなのち、「ふん、くだらない」といつたふうに放りすてる。一冊の本一冊の雑誌のもつ価値と、一杯のコーヒー、一本の煙草の価値とをくらべようというのではない。それにしても、いかに一冊の雑誌の価値が無視されていることか。そして、また、その雑誌にもられているものを、どのようなかたちで、おおくの人々に、より、おおくしらさなければならないかを説いても、それは無駄にひとしいことも知つてゐる。無駄だ、としりながら、つい、このようなことを、書きつずる。/手ずれたセルボーンの「風物誌」に季節のあたたかい風が吹いている。樫の木にくる小鳥の声がきこえ、空にただよう白い雲が目にうかぶ。(N)  ・井伏鱒二「南部紀行」

主な執筆者
久野収/中村菊男/阿部真之助/宮城音弥/中野好夫/池田潔/中村哲/本多顕彰/今日出海/太田黒元雄/伊藤永之介
 
1950.5

井伏鱒二
「丑寅爺さん」
『中央公論』
昭和25年5月号
鎌倉文庫
(発行者)
栗本和夫
《巻頭言「平和運動について」より》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕しかるにこの単独講和論には軍事基地提供の問題が結びついてゐる。単独講和締結にあたつては、日本の国土の一部をを軍事基地化すべきことを要求される可能性がきはめて大であるが、単独講和論者は、すでに日本が去就を決した以上、基地提供もあへて辞すべきではないと主張する。ここに大多数の国民が単独講和論をにはかに首肯しえないポイントがある。敗戦国日本が憲法に戦争放棄を規定し、一切の武力の喪失をみづから望んだのは何のためであつたか。それはこののち永久に平和国家として日本を再建し、一つには日本を将来一切の戦禍から防止し、一つには世界平和の樹立に貢献すべきであるといふ国民悲願のあらはれではなかつたか。単独講和と軍事基地の提供とは、しかるに、将来起こり得べき戦争において一方の陣営に左袒し、他方の陣営と戦ふことを意味する。単独講和が戦争状態の完全(、、)かつ全面的(、、、)な終結を意味しない以上、それは戦争の終結と同義である講和(、、)の名にあたひしないものであるが、その点を別としても、単独講和が事実上(、、、)次の戦争における参戦の意志表示と解せられるとすれば、それは日本国民のみづから樹立した大原則をみづから破棄する自己矛盾的、自殺的態度にほかならない。〔…〕 ・井伏鱒二「丑寅爺さん」

主な執筆者
O・ラティモア/大山郁夫/大河内一男/守屋典郎/和田博雄/H・ティルトマン/末広厳太郎/高田厚博/桑原武夫/岡本太郎/ジァン・コクトオ/和辻哲郎/永井荷風/幸田文/長谷川四郎/青野季吉/岸田国士/豊島与志雄/日夏耿之介/平林たい子/花田清輝/外村繁
 1950.6

井伏鱒二
「松ぐみ」
『人間』
昭和24年6月号
目黒書店 
《編集後記》 ★岸田国士氏の「道遠からん」とアンドレ・ジィドの「自作を語る」、この両篇を得たことは今月号の二つの大きい歓びである。
★男女の社会的・生活的地位の顛倒した漁村を背景にくりひろげられる岸田氏の戯曲は、その構想の斬新と当代一流の作劇術のうちに現代に対する鋭いアイロニーが提出され、そのアイロニーを通じてわれわれは、氏のヒューマニスティックな呼吸と体温を感じとりつつ、そこに氏とともにユートピアへの遠い曲折の道を歩みつゞけるわれわれ自身を、感慨ぶかく、発見するに違いないであろう。
★アンドレ・ジィドの時代は遂に去つた、という声を最近聞くようであるが、われわれの文学的時代はジィド以前だとも考えへられるのではかなかろうか。二十世紀前半の文学精神の先頭に常に歩んで多く思索と冒険に身を賭してきたこの比類ない探求者が、その全作品を語りながら幾十年にわたる文学生活を省る深い声音には、われわれが真摯に耳傾けるべきあまりにも多くを含んでいるはずである。フランスで発せられたこの意味多い音波の一々を日本の活字にうつして「人間」の読者の方々に伝えることができたのを自慢したいわけだ。約半年間連載の予定。熟読を乞う。
★来月号から高見順氏の「わが胸の底のここには」も連載する予定である。これは高見氏の生涯的な作品であり、戦後の最も注目すべき自伝小説であることは敢えて贅言をついやすまでもない周知の事実であるが、漸く病癒えた氏が続稿を本誌に連載することを快諾された。期待していただきたい。
 
・井伏鱒二「松ぐみ」

主な執筆者
岸田国士/窪田啓作/森山啓/宇野浩二/神保光太郎/村山知義/正宗白鳥/三好達治/なかの しげはる/ツヴァイク(片山敏彦 訳)/中村真一郎/武田泰淳/アンドレ・ジィド
 
1950.6

井伏鱒二
「永井の会」
『文芸読物』
昭和25年6月号
日比谷出版社
(発行人)
香西昇
 
《お話中》 〇このごろは、だいぶ印刷術が旧に復しましたので、婦人雑誌その他、おしやれの色刷頁も綺麗になつてきました。見てゐるうちに、あたしだつてこんなのを着れば、この位にみえるんだヮ、と思はせる処に、たのしさがあるわけです。〇日本映画ですら、ラブ・シーン本位に、力をつくす今日、アメリカ物をみてゐればコーコツとするのは当然。おれだつて恋人が出来れば、あのくらゐロマンティックになれるんだ。と、思はせるのが映画の魅力。〇春ですから、いづれも結構。拳闘や柔道の試合を見て、おもてへ出れば、なんだか自分まで強くなつたような気がするものです。以上の程度ならば、或る意味でのリクリエーションでありまして、中毒症状はみとめられませんが―― 〇なんとか公園の何某が何千万円ゴマカシた。早船がミス東京と勝手な真似をして、散々たのしんでから、派手に捕つた。おれだつて、この位のことは、やれば出来るんだ、――といふことになると、これは大変です。〔…〕 ・井伏鱒二「永井の会」

主な執筆者
外村繁/林房雄/木山捷平/永井龍雄/大原富枝/花田清輝/新居格/平林たい子/村松梢風/式場隆三郎/山田克郎
 1950.7

井伏鱒二
「支離滅裂」
『新潮』
昭和25年7月号
新潮社
(編集兼発行者)
齋藤十一
《小林秀雄「好色文学」より》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]最近、ロオレンスの「チャタレイ夫人の恋人」の完訳(伊藤整氏訳)が出版されたので通読した。〔…〕「チャタレイ夫人」は、一種異様な好色文学である。異様であるが、エロティスムの価値の奪回を目指してゐる点で正当な、と言ふのは、浮気や放蕩やまた当世風の性的紊乱にも関係のない、現代にはまことに珍しい好色文学なのである。この著作が、英国で、社会風教上よろしくないといふ理由で、禁止され、仏訳された際にも、種々物議を醸した事は、よく知られてゐる。前大戦後の当時と今日との間には、又しても戦争といふ恐るべき露骨な事件があり、敗戦のどさくさで、何が完訳されようが、驚いては相済まぬ様な次第である。だが、作者がこの書を為した真意は、依然として、そんなに易しいものではあるまい。それにかういふ事がある。この作に展開された、殆ど狂気染みた性欲の祭典は、作者の忿懣の爆発であり、この忿懣は、性の問題に関する、伝統的清教徒精神の禁忌によつて育つたものである。さういふ処は、私達日本人には、理解する事がなかなか難しいであらう。性の解放が言はれるが、日本人は西欧人に比べれば、性の禁圧に関する深刻な経験なぞ持つた例[ため]しはない。儒教的な形式上の禁圧なぞ高が知れてゐるのである。〔…〕//併し、「チャタレイ夫人」はもつと普遍的な現代の問題に触れてゐる。/現代は本質的に悲劇的な時代である。我々が、この時代を悲劇的なものとして受け容れたがらぬのも、その為である」かういふ文句で、この作は始つてゐる。こゝで言ふ現代とは、作者の見た前大戦後の時代相を指してゐるのであるが、今日となつてみれば、これは私達にも他人事ではなからう。〔…〕大戦争は、都市を破壊するのと、殆ど同じやり方で、様々な価値概念の形を壊す。嘗[か]つて、生きる理由であつた様々な価値について、何等内的な理由がなく不信を強ひられる。大戦争はそういふ事をやる。これほど人間にとつて、不快な又殆ど理解し難い事はない。つまり、こゝから、決して人々が悲劇と認めたがらぬといふ理由で悲劇である悲劇が始まる。これをたゞの言葉と取つて了[しま]へば、何の事はない。観察だけが、ロオレンスの言葉を恐ろしいものにする様だ。私達の周囲を見ればよいだらう。ロオレンスは、鋭い詩人であり、政治家や政治化したヒュウマニストには到底嗅ぎ分けられぬものを嗅ぎ分けてゐる。/恐らく、ロオレンスには、近代文明の作り上げた諸価値に関する不信を育てる長い心の準備を、戦争を予感してゐた期間があつたであらう。突然の発見が、何かを創り出すわけがない。〔…〕 ・井伏鱒二「支離滅裂」

主な執筆者
佐藤春夫/武者小路実篤/与謝野秀/坂口安吾/青野季吉/中山義秀/小林秀雄/ルナン/市原豊太/大宅壮一/斎藤茂吉/宇野千代/青山二郎/尾崎士郎/三好十郎/芦田均/草野心平/林房雄/三島由紀夫
 
 1950.7

井伏鱒二
「物売り二題」
『改造』
昭和25年7月号
改造社
《「改造直言」より》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〇𠮷田首相、南原東大学長を“曲学阿世の徒” 池田蔵相、中小企業者に“自殺やむなし”という。〇世のチエ者共は、暴言の放言のとわめいた。暴言や放言のない政治は、日本刀で大海を切るが如くシヤモジでウナギをおさえんとするが如く手応えのない政治。〇ヒョットコ、オカメの顔の女が多いから田中絹代や水谷八重子が美人にみえる。ヒョットコ顔は美人の恩人、暴言や放言は政治のヒョットコ、オカメ顔。〇富山駅で赤旗に、もみくちやにされた𠮷田首相“共産党員と共産系労組に熱烈な歓迎をうけた”という。“不逞の輩に”といわなかつたのは惜しかつた。〇この人は、ときどき優秀で皮肉なユーモアをとばす。この勝負あつた。うつちゃりで吉田関の勝。〔…〕〇強盗、ドロボーの犯罪には危険が伴う。公務員の犯罪はカゴの中のハトを、しめ殺すが如く鼻歌まじりでやれる。憎むべし暴力。〇暴力とは何ぞや。暴風雨、地震、強盗、人殺し、ユスリの暴力は三歳の童子も、これを知る。〇厚化粧の暴力こそ国家の毒虫。コレを見抜きコレを粉砕する常識と政治力。コレ民主主義の筋金。〇官公の役所には、ムダな出張や宴会が多い。コレ税金暗殺、公金横領。厚化粧暴力の一例。〔…〕〇共産主義哲学者プレハーノフはロシヤのチンピラ党員を、いましめて“諸君の父親が、諸君のお袋のケツを追い回している時にワシは立派な共産主義者だつた”〇𠮷田首相は議員諸公に“君たちがケツに玉子のカラを、くつつけてた時に、ワシは大英帝国の駐在大使だつた”だから講和はワシに一任せよといつたわけではないが言つたような相場が出来た。〔…〕  ・井伏鱒二「物売り二題」

主な執筆者
J・C・ベネット(谷川徹三  訳)/三枝博音/O・ラティモア/川島武宜/笠信太郎/清水幾太郎/木村義雄/古畑種基/J・P・サルトル/井上友一郎/尾崎士郎
 
1950.7

井伏鱒二
「まねごと」
 
『オール読物』
昭和25年7月号
文芸春秋新社
(発行人)
池島信平
 
《「色眼鏡」より》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]*ローレンスの「チヤツタアレイ夫人の恋人」の読者には女学生が多かつたといふ。ある婦人雑誌が、その女学生達を集めて座談会をやつたら、「あんなもの、いまさら珍しくもないぢやないの」と女学生達の答へだつたので、編輯者が唖然とした、と某大新聞にのつてゐた。〔…〕 *鼻持ちならぬもの、役人の指導者面と、文士の先生顔。どちらも「公僕」で結構ではないか。役人は政治の技師、文士は小説の技師として仕事に精を出せば、人民(、、)のためになるのだ。/文芸雑誌が売れなくなつたと言はれ、危機説や廃刊説がしきりに流布されるのも、文士があまりに先生顔をして、面白くもおかしくもない文章を活字にしすぎるからだ。/文学もまた売り物であり買ひ物であるといふ大原則を忘れてはならぬ。文学は義務教育ではない。教壇の上から物を言つたのでは、読者席はガラ空きとなる。文学者もまた、舞台の役者と寄席の芸人の苦労を学ぶべきである。*川口松太郎よりも椎名麟三の方が文学者であり、大佛次郎よりも野間宏の方が芸術家だと思ふのは、アプレゲールの迷信である。/いや、アプレゲールに限らない。ここ数十年来の日本文壇の迷信であつた。だから、ノーベル文学賞候補作品と問はれれば、絶無と答へるよりほかはなく、小説といへば翻訳と答へるよりほかはない現状と相成つた。*翻訳小説全盛時代は当分つづくだらう。それもよろしい。日本人が翻訳小説に飽きる時代がもし来るとしたら、それは日本人が西洋小説以上に面白い小説を書け始める時にちがひないのだから。/現代は、百年河清を待つ気長さが必要な時代であるらしい。〔…〕  ・井伏鱒二「まねごと」

主な執筆者
永井荷風/大佛次郎/田村泰次郎/高田保/井上友一郎/野村胡堂/池田みち子/海音寺潮五郎/山田克郎/小島政二郎/山田風太郎/玉川一郎/古川緑波/富田英三/古今亭今輔/乾信一郎/丹羽文雄平林たい子/浜本浩
 
 1950.8

井伏鱒二
「太宰治の手紙」
『文芸』
昭和25年8月号
河出書房
(編集人)
巌谷大四
《編集後記》 ★新装の「文芸」七月号は、お蔭で非常な好評であつた。多くの愛読者から色々御批評や御過賞の通信を頂いて感謝している、一層努力したいと思う。
★今月は故太宰治氏の未発表の手紙を得た。あたかも三周忌に当り氏の面影を偲びたいと思う。井伏、河盛両氏の御好意である。
★河上徹太郎、平林たい子、青野季吉、田中美知太郎の諸氏のそれぞれ示唆に富んだ評論エツセイを得た。又阿部知二氏も、小泉八雲百年祭の見聞記を寄せられた。好個の読物ものである。
★巨匠佐藤春夫氏を初め、風俗作家の雄井上友一郎氏の新連載、近頃多くの佳作をものして注目されている田宮虎彦氏の幼女の目を通して引揚者の悲惨な足跡を描いた哀愁の底を清らかに流れるヒューマニズムの香高き、佳品「幼女の声」の三つの創作は御期待にそえるものと思う。
★尚、ヴァレリーの詩は、翻訳権所有の筑摩書房の御好意で掲載許可を得た。〔…〕  河出孝雄 巌谷大四 志邨孝夫 佐藤皓三
・井伏鱒二「太宰治の手紙」

主な執筆者
河上徹太郎/平林たい子/青野季吉/西川正身/田中美知太郎/阿部知二/林武/三好達治/ポール・ヴアレリイ(鈴木信太郎 訳)/榛葉英治/井上友一郎/田宮虎彦/佐藤春夫
 
 1950.10

井伏鱒二
「九月三日の記」
『文芸春秋』
秋の増刊 秋燈読本
昭和25年10月号
文芸春秋新社
(発行者)
池島信平
 
《---》 〇秋も増刊を出すやうにと、読者の方から多数おすゝめを頂いたのはうれしかつた。中には仲秋読本とか、夜長読本とか名前まで考へて下すつた方もゐる。愛読者各位の御好意はまことにありがたく、あつく感謝の意を表する。
〇「秋燈読本」ときまつたが、秋の夜長にふさはしく、しみじみとした、たのしい読物をあつめたつもりである。時局下勤労の余暇のくつろぎに、この一冊が、お役にたてば仕合せである。この増刊の狙ひとする、肩のこらない中間小説のたのしさが歓迎され、このやうな御支援をうけるといふ事は、編輯冥利と云ふべきであらう。
 
・井伏鱒二「九月三日の記」

主な執筆者
西園寺公一/徳川夢声/川崎長太郎/石坂洋次郎/宮田重雄/戸川行夫/檀一雄/田村泰次郎/福原麟太郎/伊吹武彦/亀井勝一郎/吉田健一/今日出海/渡辺紳一郎
 
 1950.10

井伏鱒二
「母校」
『別冊 文芸春秋』
昭和25年10月号
文芸春秋新社
(発行人)
池島信平
《井伏鱒二「母校」より》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕廊下には鴨居の上に、各年代の記念写真が硝子を嵌めた額に入れてかけてあつた。ずいぶん古い変色した写真もある。私の卒業するときに写した級友一同の記念写真もあつた。私は子細にその写真を見た。胡麻塩の頭をしてゐるのが校長先生である。ちんちくりんの子で、頭の髪を刈りたての坊主あたまで、前列から第二列目に目を皿のやうにして写つてゐるのが私である。顔を見ても名前の思ひ出せないのが可成りあつた。最前列の一人に買ひたてと見える下駄をはいて、その下駄の緒に正札をつけたままにして写つてゐる子供がゐた。下駄をはいた両足は、踵ををつけて爪さきを八の字に開いてゐる。両手をきちんと膝に置いて四角ばつてゐる。この子供の名前を思ひ出さうとして私は暫く考へたが、思ひ出せないままに玄関に引返し、ふとその子供が「シヨウイチ」といふ名前であつたことに気がついた。
 玄関には代々の校長の肖像が陳列されてゐた。二宮尊徳の少年時代の石膏像もあつた。薪をを背負つて本を読みながら歩いてゐる姿である。そのほかには、この村の山と平地を色で現はした大きな掛け地図と、この学校の標語として子供たちに教へてゐた格言を書いた額が掛けてあつた。「誠」と書いて、その下の左右に「忠孝」と書き「丈夫な体に丈夫な心が宿る。艱難汝を珠にす。正直は一生の宝。云々……。」といふ格言である。私たちはこの格言を暗記するやうに受持の先生から命じられて、意味のよくわからないままに暗記したことを覚えてゐる。この格言が各年代の卒業生に後年どんな影響を及ぼしたかしらないが私は在学中のころ何かの拍子でこの標語を思ひ出すと、ひやりとするやうな気持に囚はれるのであつた格言が持つ意味が自分とは非常に縁遠いやうな感じであつた。〔…〕
・井伏鱒二「母校」

主な執筆者
石川淳/武田泰淳/坂口安吾/広津和郎/梅﨑春生/井上友一郎/上林暁/久保田万太郎/大岡昇平/田村泰次郎/神西清/里見弴/藤原審爾/林芙美子/福島繁太郞
 
 1950.11

井伏鱒二
「牧野信一のこと」
『文学界』
昭和25年11月号
文芸春秋新社
(発行人)
池島信平
《大宅壮一「文学主権論」より》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕チャタレー問題で、文芸家協会とペンクラブが起ち上つたのはいいが、それが文学団体だけに限られているのどういうわけか。発禁に対抗するということは、官僚フアツシズムの再起を未然に防止することであつて、それは文芸家だけに課せられた任務でないことはいうまでもない。新憲法によつて保証された人権を擁護することは、国民のすべてが要望するところである。それには一般大衆、特に一般知識人の強力な支持を必要とする。
 しかるにチャタレーの場合、文芸家以外の文化人が、これに案外冷淡なのはどういうわけか。数多くの文化団体、思想団体の中で、これに合流しようというのは、今のところ社会党ぐらいのものだ。少くとも一般知識人がこれに大して熱意を示しているとは思えない。
 私は本書刊行と同時に出版元から寄贈をうけて一読した。その後評判になつて妻も子供たちも読んだ。発禁になつてからは、妻が出席しているPTAの仲間や子供たちの友人の間で、本書は今や引つぱりだことなり、一日も休むことなく回転している。この調子で行くと、すでに一五万部も出ているという本書が全日本の読者層を一巡するものは、そう長い月日を必要としないであろう。まさかローレンスも、かれの著書が極東の君子国でかくも異常な歓迎をうけるとは予想しなかつたにちがいない。〔…〕
 
井伏鱒二「牧野信一のこと」

主な執筆者
大岡昇平/丹羽文雄/由起しげ子/川崎長太郎/林芙美子/井上友一郎/岸田国士/三好達治/大宅壮一/河盛好藏/アンドレ・モーロア/向坂逸郎/高見順/坂西志保/北原武夫/新剤清/浦松佐美太郎/伊藤整/武田泰淳
 
 1950.11

井伏鱒二
「兎小屋の客人」
『中央公論』
文芸特集号
昭和25年11月号
中央公論社
《(座談会)「東西艶笑文学」より》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕勝見 また『チヤタレイ夫人の恋人』のことになりますが、あれをどういうふうに見るか……/小西 さつきも言ったが訳本のテキストに対しては非常に不満があるということははっきり言つてよい。翻訳がうまい、まずいということは、こつちもやつておるから言えないが。とにかく僕は訳者の原典研究が足りぬ点が賛成できないな。/勝見 芸術であるかないかというところへ論点をやるより、折角出版や言論の自由が獲得されたのに、それを失う糸口をつくるのはまずいという論法もありますね。/小西 これは非常にむずかしいね。一番悪い猥褻なやつが出て、それを文学と称してどうにもできないというのも困るし。/秦 文学なら許されるけれども、猥褻文自体は許されないということですね。/小西 その限界がむずかしいと思います。/勝見 そういう行き方にするか、それとも言論の自由とか出版の自由という意味で、猥褻でもかまわないというところまで行くかだね。つまり、読者に健全なる批判力を持たせる。常識ある階層が、精神的中産階級となつていて、そういうものをだんだん排斥して行く。そういう猥褻文的なものは伸びない、やはり相当程度の高いものが通る、理想をいえばそういう状態が欲しいですね。/小西 要するにこういう文学が流行するのを弾圧するだけではいけない。/勝見 それは一番いけないことだ。流行するには、それだけの理由がある。/小西 上乗の好色文学を出すのさ。そのほかないよ。何か与えなければならないだろう。〔…〕  ・井伏鱒二「兎小屋の客人」

主な執筆者
舟橋聖一/正宗白鳥/石川淳/井上靖/池田みち子/奥野信太郎/勝見勝/小西茂也/秦豊吉/中村光夫/吉屋信子/田村泰次郎
 
 1950.12

井伏鱒二
「男やもめ」
『オール読物』
昭和25年12月号
文芸春秋新社
(発行人)
池島信平
《「休憩室」より》 ☆「赤い羽根」運動ヤット(、、、)終る。あの通勤時の「赤色テロ(、、)」は往時の殺人電車を凌ぐものありき。
☆「ねえ、一つ買つて戴けない」ナンテ、夜の女はだしの奴もゐた。
☆所で、募金の何千万だかのお金、近頃流行のツマミ(、、、)食ひナンテしないで公明に使つて下さい。為念。
☆大磯は𠮷田茂クンの住民税が驚く勿れ三千円ナニガシ。葉巻・白足袋・宰相邸を維持出来る月給が二万円に満たぬ所に拠る由。
☆女性スタイルブック氾濫の後を襲ひ殿方用が流行し、今や小住宅小建築のモード集。
☆これ総て、持たざる者の、見て楽しむ(、、、、、)だけの絵本。
☆恒例の芸術祭始まる。参加者は赤字に戦々兢々。正に芸術災(、、、)なり。
()ひ転じて()とは田村秋子の「ヘツダ」の舞台。些
[いささ]か文化国家の体面躍如たり。但文部大臣の手柄に非らず。〔…〕 
・井伏鱒二「男やもめ」

主な執筆者
横山隆一/六浦光雄/大岡昇平/今日出海/大林清/林芙美子/野村胡堂/尾崎士郎/山本周五郎/富田常雄/榛葉英治/徳川夢声/浦松佐美太郎/花森安治
 
 1951.1

井伏鱒二
「吉凶うらなひ」
『新潮』
昭和26年1月号
新潮社
(編集兼発行者)
齋藤十一
《小林秀雄「武蔵野夫人」より》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕大岡君の作品には、「俘虜記」以来、戦争を経験し、戦争を題材とした多くの作品に見られない一つの特色がある様に思はれる。それは、戦争が、純然たる個人的事件として執拗に回想されてゐて、政治的観点は勿論、他のどんな観念からも解釈されてゐない処にある。戦争といふ、少くとも自分にとつては、全く無意味な、偶然な、強制された経験が、自分の心をどういふ風に傷つけ、どういふ具合に目覚すか、その出来得る限り直接な意識、恐らくこれが、出征以来、過去は死に、未来は信じられぬ彼の無償の努力の集中された的である。偶然による生還には復員者といふ彼独特の観念が必至であつた。これは、恰[あたか]も第二の青春の様に彼をおとづれたが、彼は其処に、忍耐強い独白によつてしか馴致[じゅんち]出来ぬ不信と危険とのある事を感じた。それが彼の一連の戦記物である。戦争といふ異常な題材にも、読者の好奇心にも頼らない、孤独な作である。独白は完了してゐない。「武蔵野夫人」は半ば強ひられた試みの様に見える。ジャアナリズムは、作者のエゴティスム[égotisme]とは関係のない特権を持ってをり、作者は止むなくその中で、未だ独白の完了しない復員者として、進んで冒険を希[ねが]つた様に見える。ラヂゲ[レイモン・ラディゲ]の残酷な手法が作者を誘つた。模倣は外面的になされる限り有効であるが、作者は武蔵野夫人の様な心の動きは、時代おくれであらうか、といふ逆説的テーマにまで、のめり込んで行つた。冒険には抑制がない。又、それ程、習慣的感情や社会的通念の侮蔑、歴史的意匠への最大限度の不信は、この復員者には必要だつたのだと言へよう。〔…〕  ・井伏鱒二「吉凶うらなひ」

主な執筆者
下村湖人/三好達治/河上徹太郎/村松梢風/和辻哲郎/安部能成/高橋新吉/草野心平/里見弴/小林秀雄/坂口安吾/石川淳/今日出海/竹山道雄/川端康成/舟橋聖一/丹羽文雄/藤原審爾/田村泰次郎/石坂洋次郎/井上靖
 
  1951.3

井伏鱒二
「パイプについて」
『改造』
昭和26年3月号
改造社
《「改造直言」より》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕〇「余ノ文章ハ、人間的ナルモノヤ、動物的ナルモノヲ念願ノ目的トシナイ、丙戊歳以来、余ハ青垣ノ南、山ゴモル跡見山中ノ茂岡ノ北畔ニ住ム、万象静寂に[ママ]眠ルガゴトキ古ル国ノ夜半ニ端座シ、余ハ遠大和ビトノ心ヲ次々ニヨビ、忽チニ我国ノ怖ロシイ今日ノ危機ニ思ヒヲサマシテ、ワナナク如クワガ文章ニ祈ル。……」〇「日本に祈る」の自序である。〇戦時中に流行つた歌で、「暁に祈る」という勇壮でしかも東洋的哀調をおびたものがあつたのを思い出す人もあろう。〇保田与重郎、浅野晃などを中心に、祖国社というのができて、祖国運動が展開されている。〇「かの運命に逆い、かの時局を断たんとする、常なる幸に向い、この道をひろめのべよ」これがかれらの「薦辞」である。〔…〕
〇やつと党首ができて社会党にも春が来た。これから文化人にも大いにはたらきかけようというので、文芸雑誌を創刊した。〇「社会新聞」の一面トップにパール・バック女史の記事が写真入りで出ているのを見ると、その凸版の大見出しが、パール・パックとなつている。〇まさかこれだけで社会党の知性を計るわけにはいかないが、有名な「大地」の作者も、ポンチ絵雑誌のような名前にされたのではやりきれない。〇同誌の編集関係者がこれを見逃したことは、同党の知性と文化性を公衆に展示しているようなものだ。〇イギリス労働党の顰
[ひそ]みにならつて文化人に呼びかけるのもいいが、文化人が安心して入つて行けるような党になつてほしい。〔…〕
・井伏鱒二「パイプについて」

主な執筆者
柳田謙十郎/中村哲/山川均/高桑純夫/武谷三男/入江啓四郎/平林たい子/安部能成/鉾横田喜三郎/有沢広巳/大野伴睦/織田幹雄/鈴木茂三郎/山口淑子/西脇順三郎/高橋誠一郎/野村胡堂/村松梢風/尾崎行雄/野間宏/賀川豊彦/地理見駿介/広津和郎/舟橋聖一
 
  1951.4

井伏鱒二
「加山君のこと」
『改造』
昭和26年4月号
改造社 
《巻頭言「厭戦思想について」より》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕講和へのよび声は、空をわたるかりがねの声のように、遠しときけば近く、近しときけば遠いはかなさをもつていたが、ダレス氏の来朝は講和の問題をさしせまつた具体的問題として日本国民に切実に意識せしめた。〔…〕/日本国民の講和論議が、平和への希望を根拠としていたことは、本来かならずしも同一ではない講和と平和とが、あたかも同一のことであるかのように意識され論じられて来たことからしてもあきらかである。そうして平和を希求する日本国民の態度の根底は、平和の創り出すもろもろの価値の積極的意欲ではなくして、むしろ戦争そのものを嫌忌する消極的な厭戦思想であり、一層正確にいえば厭戦感情であつた。すべての重要問題についてと同じく、平和問題、講和問題に就いても、日本国民の考え方や態度は、いちじるしく気分的(、、、)であつた。この厭世感情のなかには、たしかに無理からぬところがあり、また健全な要素が含まれていることも否定できない。実際戦争のために夫や兄弟や親を失い、戦地でも内地でも文字どおり塗炭の苦しみに七転八倒し、最後に原子爆弾の惨禍を経験した日本国民が、もう戦争はこりごりだ、戦争は絶対にいやだ、と痛感し、狂気のように戦争反対の叫びごえをあげたとしてもなんら不思議はない。そうしてこの感情をさらに整理し、つきつめてゆけば、そこに人間と人間の創り出すものに対する尊重の念が見出されるであろううことも、疑いのないところである。/しかしこのような厭戦思想、厭戦感情のみを講和や平和に対する直接(、、)の基礎とすることははなはだ危険である。気分や感情は、いかに切実であつても移りやすいものであつて、戦争を恐怖するのあまり、かえつて「戦争を絶滅するための戦争」を盲目的に肯定するようにならないとはいえないし、かりに気分や感情が固執される場合には、それはおよそ現実のシチュエーションと可能性とを無視した依怙地なヒステリカルな態度に硬化して、意図に反した結果を生み出さないともかぎらないからである。今日行われている知識階級の一部の講和論や平和論には、すでにこの徴候があらわれている。それらの知識人は、戦時中たとえ消極的にではあつても戦争を支持したという自己の罪業感にとりつかれ、このたびは金輪際妥協しないと考えて硬化した態度をとるのあまり、およそ現実を直視せず、一徹に自己の主張をくりかえして、真に平和を実現すべき実効ある努力の何であるかに思いいたらず、いたずらに空想論をからまわりさせているかの感がある。〔…〕 ・井伏鱒二「加山君のこと」

主な執筆者
都留重人/稲葉秀三/矢部貞二/猪木正道/畑中正春/加瀬俊一/阿部知二/高野実/竹内好/浦松佐美太郎/サトウ・ハチロー/石川欣一/石黒敬七/小野佐世男/辰野隆/渡辺紳一郎/ダリ/春山行夫/谷崎潤一郎/正宗白鳥/丹羽文雄/林芙美子/伊藤整/臼井吉見/河盛好蔵/高見順/中野好夫/中村光夫
  1951.4

井伏鱒二
「(直木賞戦後評)」
『オール読物』
昭和26年4月号
文芸春秋新社
(発行人)
池島信平
《「オールサロン」より》 ☆指紋の国民登録始まる。――はいいが「登録には印鑑持参の事」はどんなもんかねネ。
☆此の次の印鑑を証明する為、指紋を持参せよテナ事になりやせんか?
☆「修身」遂にお流れ。結構。
☆ワレラ選良は、自己反省の結果「国会(、、)修身」を制定する事に決議しました。(委員会)
☆此の程の全国的大雪は正に二・二六時以来。
☆東京都電の老朽ラッセル車、余りの雪に立往生。ラッセル車を通す為のラッセル車を運転せよ。〔…〕
☆夕刊も、郵便も、官庁ナミに日・祭日は休配。
☆温厚玉の如きカムカム小父さんも追ん出た、オエラキ日本薄謝協会の休まないのは不思議不思議。(民間会社)〔…〕
☆自由党の単独、社会党の全面、講和談議もよけれど、アレは貴下方がやる事ではアリマセン。(ミスター・ダレス)
☆警察予備隊幹部に旧現役軍人を採用するとか。キナ臭い不安を覚えざるを得ない。日本人にして然り。極東の諸国に於てをやだ!!〔…〕
・井伏鱒二「(直木賞戦後評)」

主な執筆者
檀一雄/川口松太郎/田村泰次郎/堤千代/野村胡堂/梅﨑春生/源氏鶏太/井上靖/由起しげ子/丹羽文雄/大佛次郎/坂口安吾/丸木砂土/きだ・みのる/村上元三/海音寺潮五郎/長谷川幸延
 
  1951.6

井伏鱒二
「植庄から貰つた犬の仔」
『展望』
昭和26年6月号
筑摩書房
(編集者)
臼井吉見

《編輯後記》 本号は新聞についての特輯を企画した。現在における新聞の輿論形成力は、いよいよ巨大となり、いよいよ魔術的となりつつあることは、疑ふ余地はない。とりわけ現在われわれに強ひられてゐる国際政治上の環境はもつとも冷静に国民の理性をつくして判断しなければならぬことを矢つぎ早に提供してゐる。問題自体の大きさなり小ささなりを判断するだけでも容易ではない。その上、正しい判断を下すためには、正しい資料が用意されねばならない。中立と公平を標榜する新聞が国民の判断の基礎となる資料を正しく提供してくれてゐるとは新聞自身が信じてはゐまい。新聞のあるところ自由ありと誇称する新聞は、小さなものを大きく、大きなものを小さく報道する「自由」をもつてをり、あるものを報じ、あるものを報じない「自由」をもつてをり、ある角度から報ずる「自由」をもつてをり、特定の意見だけを報ずる「自由」をもつてをり、現にそれらの「自由」を行使してゐるのである。新聞記者の個人的意図はどうあらうとも、巨大な機構によつて製作される新聞は、機構自体の意志を反映せざるをえない。かくて日本の大新聞は意のままに輿論をつくり出し、左右する魔力をふるひつつある。オウエルの『一九八四年』といふ未来小説は、全体主義社会の恐怖と憎悪を描いてゐるが、たとへば戦争ハ平和ナリといふスローガンを万代不易の真理として信じこませることが語られてゐる。しかし、一九八四年まで待たなくても、現在のわれわれの社会が描かれてゐると錯覚しないものはよほどお人よしといはねばなるまい。新聞の強大なマス・コムミニケーション(大量伝達)はこんにち、民主主義の名において、「戦争ハ平和ナリ」をわれわれに信じこまさうとしてゐるかに見える。/ ☆六月十三日の桜桃忌にちなんで、太宰治の未発表書館を掲載した。故人が芸術と人生を語つた貴重な文献として、この特異な作家を偲ぶに足るものと思ふ。 ・井伏鱒二「植庄から貰つた犬の仔」

主な執筆者
和田斉/蝋山芳郎/戒能通孝/竹内好/清水幾太郎/筒重人/中野好夫/丸山幹治/木村毅/松島栄一/和辻哲郎/唐木順三/伊藤整/上林暁/平林たい子/宗像誠也/臼井吉見/太宰治/大岡昇平
 
  1951.6

井伏鱒二
「カキツバタ」
『中央公論』
文芸特輯 第八号
昭和26年6月号

中央公論社
(編輯者)
嶋中鵬二
《編集後記》 〇文芸特輯も一昨年九月創刊以来、漸く第八号を数えるに至つたので、ここに一段の飛躍を期して編集部を独立、従来まちまちだつた発行月を一定にして、三、六、九、十二の季刊として再発足した。伝統を尊重しつつも清新でありたいという新編集部の意図で、表紙の意匠もすつかり改めた。引続いての御愛読をお願い致します。
〇「最澄と空海」は作者自ら生涯の作と称する程の力作。文壇の久しい渇望を満たすものであろう。
〇亀井氏と三島氏の論争は、やや編集部の意図を外された恨みがあるが、こうした論争の舞台となることも本誌の使命としたい。
〇坂口氏の「差押エラレ日記」は日本人たる者恐れざるはなき「税金」と四つに組む氏のヒューマニティーの所産。笑いのうちにも氏の苦闘ぶりに熱烈な御声援を惜しまれないであろう。(S)
・井伏鱒二「カキツバタ」

主な執筆者
長与善郎/石川淳/今日出海/大岡昇平/久保田万太郎/林芙美子/広津和郎/宇野千代/中野重治/亀井勝一郎/三島由紀夫/坂口安吾
 
  1951.7

井伏鱒二
「いびつな群像」
『新潮』
昭和26年7月号
新潮社
(編集兼発行者)
齋藤十一
《中野好夫「盲目批評」より》 [「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕あの第一回の公判[いわゆるチャタレイ裁判]の時、多くの作家たちが熱心に傍聴した記事は、どの新聞にも大きく出たが、どれだつたかその一つに、作家たちの言葉として、これは、われわれの民主主義がまもられるか、まもられないのかのテスト・ケースだから、じつとしてはいられない、というような談話がのつていた。いずれ新聞の××談のことだから、果して正真正銘その通りの言葉がいわれたのかどうか、その辺大いに怪しいが、しかしいずれにしても、作家、文学者達の意気込みが、そうであることだけは間違いなかろう。いわゆる、事実ではなくとも、真実と考えて毫も差支えあるまい。/ところで、ぼくには、民主主義がまもられるかどうかのテスト・ケースだ、という言い方に興味があったのである。チャタレイ裁判が、言論、表現の自由という、憲法によつて保障された基本的人権の問題に、大きく関係していることはいうまでもない。その意味で、以上の言葉は、一応正しいであろう。だが、こゝは、一番大事な点だと思うが、もしチャタレイ問題をもつて、民主的諸権利の問題にまで及ぶ重大関心事と考えるならば、さらに進んで、チャタレイ問題とは、実はもつともつと大きな背景をもつた民主主義防衛問題の、その単に一つの小さな(敢えて、小さな(、、、)という)現れにすぎないということである。逆にいえば、もつともつと広汎な、しかももつともつと重大な民主的諸権利の問題に関して、ぼくらが怯懦であつたり無関心であるたり、逃避的であつたりしておいて、このチャタレイ問題だけで、やれテスト・ケースだの、民主主義をまもるなどと、いきまいてみたところで、そんなことは、望む方が虫が好すぎるのである。全体としての民主的諸権利が崩れてくれば、言論、表現の自由保障などは、赤子の手をねじるように奪われてしまうのだ。〔…〕もしチャタレイを衛ろうというならば、より広汎な民主的諸権利の防衛に、まずもつともつと勇気と関心とを持たねばならぬ。いゝかえれば必らずしも党派的という意味でなしに、広い意味で、政治的人間であらねばならない。これが現代の運命なのである。〔…〕 ・井伏鱒二「いびつな群像」

主な執筆者
真船豊/丹羽文雄/坂口安吾/三好達治/石川淳/伊藤整/アンドレ・モーロア/中野好夫/福田恆存/尾崎喜八/亀井勝一郎/村松梢風/正木ひろし/大宅壮一/十返肇/徳川夢声/阿部知二/大岡昇平/久保栄
 
  1952.8

井伏鱒二
「国語読本のこと」
『文学』
昭和27年8月号
岩波書店
《編集後記》 〔…〕日本では一般に、世間が学校教育に無関心である。モチはモチ屋で、先生にまかせておけばいいと考えているせいだろうか。学校のことなら先生とPTAに、教科書のことなら教科書出版社に、まかせておけばいいという性質のものだろうか。国民が、時代の国民の形成を、もっと真剣に考えなくていいものだろうか。今日、学校で行われている文学教育は、おそらく明日以後の文学の性質を、かなりの程度、左右するはずである。ほとんど決定するといっていいかもしれない。国民的な文学教育の中で、学校が担う役割というものは、むろん全部ではないけれども、無視できるほど小さなものではない。卑俗に見ても、国語教科書の出版部数は、おそらく文学書の全出版部数と優に対抗するものがあるだろう。その読まれ方の丹念さに至っては、比較を絶する。この強固に組織された、数において圧倒的な、読者大衆の姿を念頭に浮べないで、文学の問題を考えるのは、おかしなことである。/むしろ逆に、文学の価値の実現の場を構成するこれらの読者――国民大衆というものから、文学の問題が導き出されるように、発想の順序を変えた方が、正しいのかもしれない。少くとも、制作主体の心理的道程をたどることだけを唯一の方法と考える習慣は、改めるべきではないか。文壇意識に掩[おお]われた主観が切り取ってくる問題だけが、問題なのではない。国民が飢えている――文学的に飢えているという現実からの問題提起がなされなければならない。/この特集の準備のために、私たちは現行の教科書をできるだけ集めて、検討してみた。戦前に学校教育をおえている私たちには、今日の国語教科書は、異国の本を眺めるように、もの珍らしかった。これは私たちの不勉強のせいであるが、世間には私たちのような不勉強な人間は数が多いであろう。作家、批評家、文学研究者たちが、どうか現行の教材に一通り目を通して頂きたいというのが、この特集を試みた最初の念願である。その上で、もう一度、問題意識の立て直しが必要と感じたら立て直して頂きたいし、このままでいいというなら、それも結構である。私たちの予想では、多くの人が問題を感じるにちがいないと思う。教科書批判は、機会があれば改めて取りあげたい。 ・井伏鱒二「(教科書と私の文章)国語読本のこと」

主な執筆者
増渕恒吉/竹内好/猪野謙二/高木市之助/中野好夫/西郷信綱/佐藤春夫/安部能成/三好達治/金田一京助/コバヤシ・ヒデオ/波多野完治/野上弥生子/和辻哲郎/谷川徹三/河盛好藏/瓜生忠夫/桑原武夫/金達寿/多田道太郎/長谷川泉/佐藤春夫
 
 1952.8

井伏鱒二
「肉体について」
『世界』
昭和27年8月号
岩波書店
(編輯兼発行者)
吉野源三郎
《編輯後記》 *今月号では、特に最近の世界の情勢を生き生きと伝えてくれるような報道や、評論を蒐[あつ]めて見た。毎月「世界の潮」欄で、注目すべきトピックスを選んで取り出し、新聞とは別種の報道や解説をやつ来たが、それには盛り切れない問題や事実についてもつと直接に今日の世界の動きが感得されるように……というのが、私たちのこの試みの覘[ママ ねら]いであるが、こんなことを考えるのも、いまや冷たい戦争が一つの頂点に達しかけていて、ここ暫くの国際政局の動きが非常に重大な意味をもつところに来ているからである。この一冊が、ルツボのようにたぎつている今日の世界――至るところに何百万何千万の人間の運命にかかわる懸案が解決を求めてひしめき、いままでになかつた新しい動きが社会のいろいろな層の中に或いは目を覚まし或いは燃えあがつている世界――の実情を、少しでも読者に身近なものにすることができれば幸いである。とにかく、世界はいま、すさまじく動いている。それが私たち日本人には、なかなか実感にならない。〔…〕
*巻頭の「民主主義をめぐるイデオロギーの対立」は少し専門的で堅すぎるような惧
[おそ]れもあつたが、日本でも再び乱暴な「赤呼ばわり」の行われる時代が来ると思われるし、憲法改正その他をめぐつて民主主義をめぐるイデオロギーの対立は私たちの現実の問題となる日が近いと考えられるので、御紹介することにした。来月号では、引きつづきクインシー・ライトやスウィージーの回答を掲載する予定である。特にスウィージーの論文は力作で、きつと読者の御期待にそうと思う。――それにしても、終戦後日本が新たに民主主義の原則の上に自分をたて直そうとして発足しはじめてから、まだ七年を経ないのに、民主主義の擁護を名として破防法など基本的人権の制限を立法化するような動きが強力に押し出して来たことは、これからの建設の多難を十分に予想させることである。私たちの仕事も、もう一度足を踏みかためてかからなければならないようである。
・井伏鱒二「肉体について」

主な執筆者
J・デューウイ/R・シュレジンガー/城戸又一/小泉信三/ウイリアム・ダグラス/都留重人/入江敬史郎/嬉野満寿夫/蝋山芳郎/渡辺紳一郎/高橋正雄/大田洋子/新藤兼人/山川菊栄/硲伊之助/里見屯/手塚富雄/和達清夫/野上弥生子
 
 1954.11

井伏鱒二
「塩の山・差出の磯」
『婦人画報』
昭和29年11月号
婦人画報社 
《編集局だより》 やはり死の灰だつた! 久保山さんは全国民の涙のうちに死なれました。台風とはいえ青函連絡船の事故はどうした事でしよう、犠牲者に哀悼の意をささげます。
 それから吉田首相の外遊があり、この一カ月の間に今年の重大ニュースに入るべき重大事件が三つも起つたのです。時の動きの幸か不運かは人力ではどうにもならないのでしようか。
 今月の特集『政党は女性のためになにを考えているか』は各政党を歴訪された女流評論家の労作です。結論はともあれ今日を生きぬく勇気と情熱を持ちましよう。
 
 
・井伏鱒二「塩の山・差出の磯」

主な執筆者
田中千代/大塚末子/中村汀女/稲村正隆/石垣純二/春山行夫/山本安英/坂西志保/松岡洋子/帯刀貞代/石垣綾子/宮城音弥/植村鷹千代/中村武志/高野三三男/吉村公三郎/高見順/小山いと子
 
  昭和30年代   
 1955.5

井伏鱒二
「私の手控帖(三)
『文芸』
昭和30年5月号
河出書房
(編集人)
巌谷大四
(発行人)
河出孝雄
《編集後記》 ★福田恆存氏の坪内逍遙以来の偉業である個人全訳「シェイクスピア全集(河出書房刊行)の第一回「ハムレット」の完成と文学座の画期的上演に因んで、「ハムレット」の特集を試みた。今後もこうした「時の話題」を捉えて行くつもりである。このため福田氏の「日本及び日本人」は本号に限り休載した。〔…〕  D・I生 ・井伏鱒二「私の手控帖(三)」

主な執筆者
志賀直哉/高見順/阿部知二/正宗白鳥/今日出海/坪内逍遙/福田恆存/吉田健一/芥川比呂志/水谷八重子/千田是也/坪内士行/横山泰三/源氏鶏太/堀田善衛/八木義徳/山本健吉/井上友一郎/田宮虎彦/吉行淳之介/坪田譲治/永井荷風/武者小路実篤/福永武彦/小沼丹/谷川俊太郎
 
 1955.8

井伏鱒二
「四面楚歌 私の手控帖(五)
『文芸』
昭和30年8月号
河出書房
(編集人)
巌谷大四
(発行人)
河出孝雄
《編集後記》 ★六月は悲しみの月であつた。十七日に、豊島与志雄先生の訃報にあい、〆切間ぎわの廿九日に真杉静枝さんが亡くなられた。謹んで哀悼の意を表する次第である。★前号から色頁が登場した。文芸雑誌では、まつたく新しい企画である。本号は、「真夏の夜の夢」縁側で涼みながら、気軽の読んで頂きたい。〔…〕★次号より、野間宏氏の長篇「地の翼」の連載がはじまる。「真空地帯」以来久方振りの力作、、御期待を乞う次第である。 D・I生  ・井伏鱒二「四面楚歌 私の手控帖(五)

主な執筆者
舟橋聖一/高見順/正宗白鳥/今日出海/井上友一郎/芥川比呂志/東郷青児/井上靖/福田蘭童/飯沢匡/吉田健一/阿部艶子/高峰秀子/丹阿弥谷津子/曾野綾子/堀田善衛/平林たい子/山本健吉/川端康成/鈴木信太郎/中島健蔵/豊島与志雄/梅崎春生/小沼丹/円地文子/広津和郎/川端康成/三島由紀夫/中村真一郎/谷川俊太郎/内村直也/神西清/福田恆存
 
1955.10

井伏鱒二
仲人の経験
『婦人画報』
昭和30年10月号
婦人画報社 
《編集局だより》 社会生活という集団では、その理想を実現するのははかなか困難ですが、ここの生活の理想は結婚によつて、かなえられると思うのです。二人の誠実さ、努力と工夫によつて、希望の目標に一歩一歩近づくことが出来るでしょう。
 毎年のことながら本号は結婚特集号です。これから結婚をする方の心がまえと結婚生活数年の方への反省ともなれば幸です。
 秋の読書シーズンを迎えて、本紙の別冊・流行の編物二五〇種とビュウティ・ブック秋の号、デザイン・ブック秋冬号が発売中です。
 
・井伏鱒二「仲人の経験」

主な執筆者
きだ・みのる/飯沢匡/大浜英子/田宮虎彦/庄野潤三/藤原審爾/小堀杏奴/遠藤周作/幸田文/乾孝/勅使河原蒼風/春山行夫/高橋義孝/倉石武四郎/荻昌弘/阿部知二/宮城音弥/田中千代/石津謙介/江上トミ/中村汀女/壷井栄/大木惇夫/芹沢光治良
 
 1955.11

井伏鱒二
「漂民宇三郎」
第二十回
『群像』
昭和30年11月号
大日本雄弁会講談社
《編集後記》 〇本誌は論争を出来るだけとりあげてゆきたいと思う。プロ・レスにたとえられたりドッグ・レースや拳闘になぞえ[ママ]られたりしても論争はいまの文壇では尊重すべきであると思う。今の日本のように底はともかく外面は一見平和な今の文壇では痛烈な批判や強烈な個性の出た批評よりは解説的な評論の多くなりつつある傾向があつて、逆に匿名批評の方は殷賑を極め、それによつてバランスをとつている感じである。その匿名批評も何となく歪んだ感じを覆いがたい。こういう時に、正面切つて署名で論争することは有意義なことである。ジャーナリズムが何もないところから無理に論争を作り上げることは排斥されなければならないが、当然論争の起るべき問題にもかかわらず不問に付しているものが随分ある。出来るだけそれらの問題をとりあげて、論争によつて解決してゆければと思つている。
〇今まであまり筆をとることのなかつた人々の文章や手記が、新聞雑誌に出たり出版されたりしていることは大変喜ばしいことだと思う。生活記録と文学とのつながりについて、前号では猪野謙二氏、本号では平林たい子氏に論じていただいたがこれにはいろいろの異論もあると思う。生活記録の運動の指導者も生活記録を書いている人も大いに論じていただきたい。〔…〕
・井伏鱒二「漂民宇三郎」第二十回

主な執筆者
遠藤周作/曾野綾子/小野十三郎/大岡信/小島信夫/壷井栄/白井浩司/山室静/岡本太郎/勅使河原蒼風/花田清輝/亀井勝一郎/真山美保/平林たい子/梅崎春生/佐々木基一/井上靖/猪野謙二/伊藤整/十返肇
 
 1958.10

井伏鱒二
「リンドウの花」
『声』
創刊号
昭和33年10月号
丸善株式会社
《同人雑記》 〔…〕★創刊号がいよいよでます。おめでたう。ここまでくるにはいろいろと月並な感慨もわきますが、実際は原稿をおねがひした諸氏の好意と丸善の田口、本庄両氏の努力で、われわれはほいとんど苦労しなかつたといふのが実情です。苦労があるとすればこれからでせう。お互にもうひつこみがつかないのですから。「声」が何か文学運動かといふことをよくきかれます。僕等としてはさういふことをあまり問題にしてゐないので、不思議な気がします。いまは最低のところ文学そのものを守るといふ趣旨だけは判[は]つきりしてゐますが、それ以上積極的な何かが僕等のうちにあるか、どうかわかりません。だからこそ雑誌をやるのです。〔…〕(中村光夫)
★船頭多くして船山に上るといふが、それは船頭が同じ方向へむかつて、力漕しすぎるから来るので、「声」のやうに、いづれも我のつよい船頭が大ぜい集まつて、勝手放題の方向へ漕ぐのでは、よし船がうまく進まぬといふ事態は生じても、山へ上る心配はないのである。だから、船が船である効用をを失ふことはないのである。だから万事、安心してゐてよいのだらう。贅沢といふのは道徳的なことで、かういふ雑誌を今日出すことが、道徳的なことである。たくさん原稿料がとれて、たくさん売れる雑誌ばかりになつたら、贅沢といふものは文学の世界から消失するであらうから、われわれは贅沢の孤塁を守る者である。それで、たくさん売れれば申し分ないが、もしさうなつたら、大袈裟にいへば、社会の変貌する兆といふものだ。サルトルが面白いことを言つてゐる。貴族は上等なレエスを珍重するとき、その自然らしさを尊び、それを作つた女工を蚕としか思はないが、近代市民が、ハンド・メイドのレエスを珍重するとき、無意識のうちにも、生産の職能と労働価値が、評価されてゐるといふのである。「声」は近代社会におけるハンド・メイドの価値を強調することになるだらうが、さういふ売り方は多少卑しげであつて、私はむしろ、われわれの雑誌が、蚕たちの作つた雑誌と思はれることを望んでゐる。(三島由紀夫)〔…〕
・井伏鱒二「リンドウの花」

主な執筆者
中村光夫/山本健吉/中村真一郎/大岡昇平/吉田健一/高橋義孝/玉か道太朗/河盛好藏/福田恆存/白井浩司/篠田一士/佐伯正彰/寺田透/林健太郎/ヘルダーリン(三島由紀夫 訳)/石川淳/神西清
 
 1975.12

井伏鱒二
「硲三彩亭のこと」
季刊『蕾』
No.1
昭和50年12月号
創樹社
《---》 ●季刊『蕾』が『小さな蕾』の姉妹誌として創刊されることになりました。『小さな蕾』は以前『花椿』というPR誌とかかわりのある可愛いい小冊子だったと聞いています。/『小さな蕾』はいま純粋な骨董情報誌として美術愛好家に好評です。『蕾』では『小さな蕾』の骨董の芸術性を追求しながらかつ幅広く現代工芸、あるいは伝統芸術についてその背後の人間の生き方まで考えて行きたいと思います。/一つの芸術品として完成された作品のかげには厳しい人間の生きざまさえ感じられるからです。/創刊号編集にあたっては彫刻家、陶芸家、作家の方たちにいろいろご教示を仰ぎましたが、その間、特に身に沁みて考えさせられたのは、月並みですが、「人生は短く芸術は永し」ということでした。〔…〕
●創刊号のカラー頁には、骨董そのものよりもむしろ作家の生活を探ってみました。芸術作品と作家の生活は今後も続けて行きたいと思います。〔…〕
・井伏鱒二「硲三彩亭のこと」

主な執筆者
藤原審爾/秦秀雄/料治熊太/室生朝子/村山武/谷川徹三/安東次男/林二郎/松本清張/由水常雄/滝沢寛/なかにし正
 
  誌名の前のは、その項が2022年1月以降の追加であることを示す。)    
 1980.11

井伏鱒二
「『作品』のころ」
 
『作品』
創刊号
昭和55年11月号
作品社
(編集者)
寺田博
《創刊のごあいさつ(販売用チラシより)》 ご承知のように、わが国では、久しい以前から文学の“危機”が叫ばれて来ています。或いは、今や文学は“変容“したのだ、と認識する人もあります。いずれにしても、かつて私たちの身近にあり、精神の拠り所、糧といった効用を持った場所から、文学が遠のいていることは事実のようです。近代文明が繁栄した果てにj、文化全般の解体現象が進みつつある今日、私たちの生活実感は完全に宙に浮いてしまったといって良いでしょう。私たちは今、郷愁のように、精神生活の拠り所を求めております。生活している、という意識を取り戻そうと望んでおります。私たちが「作品」を創刊致しますのも、ひとえにこの1点を重視するからであります。/本誌が目指すものを要約しますと、次のことが挙げられます。一つは、大都市中心の文学が、とかく陥りがちな、感覚の表層や風俗の形骸のみを写すことを避け、人間くさい、生活実感を持続させている地方に目を向けて、その文学化を推進したいと考えます。もう一つは、短編小説に特に力を入れることにより、日本語の現代における可能性を追求し、文章の確立に寄与したいと考えます。さらにもう一つは、文芸雑誌の使命であるところの新人の発掘、前述の趣旨に立っての新人作家の育成に微力を尽くしたいと考えます。隅から隅まで大人が読みきれる誌面をつくりたい、というのが窮極的な念願であります。心よりご購読をお願い申し上げます。  ・井伏鱒二「『作品』のころ」

主な執筆者
佐多稲子/木下順二/飯島耕一/大岡昇平/吉行淳之介/吉本隆明/中村光夫/野間宏/阿部昭/富岡多恵子/野坂昭如/宮本輝/丸谷才一/川村二郎/古井由吉/小島信夫  
1982.1

井伏鱒二
「神屋宗堪の残した日記」
『海燕』
創刊号
昭和57年1月号
福武書店 
《創刊後記》 ■「海燕」創刊号をお届けします。折から文芸書や文芸雑誌の未曽有の不振が伝えられるさなかで、緊張した船出となりました。不振の原因は幾つか挙げられています。その代表的なものは、一つは屡々言われている読者の活字離れ現象であり、もう一つは、文学そのものの低迷、不振です。社会現象の方はこの際措くとして、後者は、私ども出版人が一半の責めを負うべき事柄です。従って今こそ、文芸書の不振を払いのけるためにという、まさにそのことのためにだけでも文芸書は出されなければならない、といった感慨さえ抱かざるを得ません。「海燕」が創刊されましたのも、かつて私どもが郷愁のように惹かれていた香気ある文学作品の誕生が、全国津々浦々で期待されていると信じるからにほかなりません。■「海燕」の編集にあたり、私どもは次のようなことを考えています。一つは、日本語、文章の確立を主眼として、作品のモチーフ、文体を重視し、具体的には表現の冗漫さを嫌う姿勢で、当分の間、短編小説を中心とした編集を維持してみたい、ということ。もう一つは、都市化によって失われつつある個的な生活実感を恢復するために、意識的に地方に目を向け、日本の各地域の文学活動に注目していきたい、そのために“地域の文学”欄を設け、実作を毎号掲載していきたい、ということです。〔…〕(寺田博)    ・井伏鱒二「神屋宗堪の残した日記」

主な執筆者
尾崎一雄/埴谷雄高/安岡章太郎/藤枝静男/水上勉/井上光晴/阿部昭/日野啓三/富岡多恵子/色川武大/黒井千次/大岡昇平/宮本輝/古井由吉/」小島信夫/吉本隆明/中村光夫/大庭みな子/木下順二
 
1983.4

井伏鱒二
「『人形』その他」
 
『新潮』
小林秀雄追悼記念号
昭和58年4月号
新潮社 
《後記》 天命とはいえ、小林秀雄先生が逝かれて、私どもの喪失感ははかりしれません。ご生前、最もご高誼を賜った本誌は、悲しみに鞭打って、ここに記念号を編集し、ご霊前に捧げます。やはり悲しみに沈まれる、故人とゆかりの深い方々がこぞってご協力下さり、お蔭で真情こもった追悼号が出来たと存じております。ありがとうございました。なお、先生にはお叱りを受けそうですが、伝説的処女作『蛸の自殺』をご遺族のお許しを得て掲載いたしました。六十年ぶりに陽の目を見たわけです。  ・井伏鱒二「『人形』その他」

主な執筆者
小林秀雄/今日出海/江藤淳/白洲正子/永井龍男/安岡章太郎/大江健三郎/遠藤周作
 
1985.1
(対談)
井伏鱒二×河盛好藏
「文学七十年」
 
『海燕』
昭和60年1月号
福武書店
(編集者)
寺田博
 
《編集後記》 ■一九八五年新年号をお贈りします。小誌にとって創刊四年目の春を迎えます。困難な状況下でこれまで御支援下さいました読者の皆様方、執筆者各位に改めて厚く御礼申し上げます。■さて、本号では“新春対談”として井伏鱒、 河盛好蔵両氏の「文学七十年」を実施しました。ヴェルレーヌの“巷に雨の…”を初めて読まれたのが中学の頃ということで、まさに文学七十年の、機智溢れるお話を御味読下さい。■特別エッセイとして、大岡、埴谷、丸谷、島田の四氏に、それぞれ今、御自身が関わっておられる問題について論じて頂きました。島田雅彦氏の本格的なエッセイ執筆は初めてで、三島由紀夫とナボコフについて論じられています。■また創刊号以来、三年ぶりに御執筆頂いた寺田透氏の評論は、氏の多年にわたる考究の果てに出てきた“物語論”です。時をおいてじっくり小誌で展開して頂く予定です。。〔…〕■巻頭随筆欄、新年創作特集にも豪華な顔ぶれが揃いました。それぞれ読みごたえのある作品ばかりです。因みに村上龍氏は本誌初登場です。どうか御精読下さい。(寺田)  ・井伏鱒二×河盛好藏
「対談 文学七十年」

主な執筆者
佐多稲子/開高健/村上龍/大岡昇平/埴谷雄高/丸谷才一/島田雅彦/水上勉/古井由吉/吉増剛造/前田愛/桶谷秀昭/清岡卓行/瀬戸内晴美/倉橋由美子/井上光晴
 
1985.5
(特別対談)
井伏鱒二×安岡章太郎
「昭和初期の作家たち文学七十年」
 
『三田文学』
復刊第一号
昭和60年5月号
三田文学会
(発行人)
安岡章太郎
 
 《編集後記》 文学の衰退がいわれている。小説に関する限り、頷かざるを得ないのがつらいところだ。。特に毎月の文芸誌を飾る新しい書き手たちに、これといった印象鮮烈な作品がないのが一番気がかりである。しかも、何作か書くともう疲れが見える。若い秀れた才能の発掘を第一の目標かかげている三田文学としては他人事ではないが、そうした新人作家の心許なさは、やはり文章技術の未熟に一因があるのではないか。あえていうが、当面の課題は、なにを書くかより、いかに書くかである。三田文学は慶應義塾内外の若い人たちに、そうした努力を強いるつもりである。今年は明治四十三年に創刊されて、ちょうど七十五年目にあたる。この記念すべき年に復刊第一号をお届けする喜びを、読者諸賢と分かち合いたい。(T) ・井伏鱒二×安岡章太郎
「昭和初期の作家たち」

主な執筆者
吉行淳之介/山本健吉/野口冨士男/白井浩司/田久保英夫/遠藤周作/江藤淳/篠田一士/三浦哲郎/古井由吉/坂上弘
 
1990.4

井伏鱒二
(特別インタヴュー)
「みんな一生懸命書いた」
 
『海燕』
一〇〇号記念
1990年4月号
福武書店
 
《編集後記》 ◎一九八二年一月の創刊新年号以来、お蔭をもちまして本号で一〇〇号を迎えることが出来ました。これも読者のみなさまの日頃の温かいご支援とご愛読の賜と厚くお礼申し上げます。
 「海燕」の誌名はゴーリキーの散文詩からとられたもので、嵐を告げる鳥という意味ですが、その名の由来のとおり文学界に少しでも新風を吹き込みたい、との思いでスタートいたしました。そして、当初の短篇小説の重視や若手作家の発掘・育成、地域の文学への注目といった編集方針は、いくつかの文学賞受賞とともに、干刈あがた、島田雅彦、小林恭二、佐伯一麦、吉本ばなな、小川洋子氏など多くの有望な若手作家を送り出すことができました。今後もなおいっそうの誌面充実を期してまいりますのでご声援ください。
◎特別インタヴューとして、九十二歳になられた井伏鱒二氏に、編集部がその永い作家生活の貴重なご体験を中心にお聞きしました。
◎創作欄は「海燕」新人文学賞を受賞された現在ご活躍中の前記干刈、小林、佐伯、吉本の四氏の作品と、日野啓三、石和鷹、笠原淳氏の、それぞれ持味のある意欲作品を掲載いたしました。
◎記念号特集として二十九人の方に、「文芸雑誌と私」について寄稿していただきました。
◎地域の文学「詩特集」は都合により次号掲載となりますのでご了承ください。(田村)
・井伏鱒二(特別インタヴュー)
「みんな一生懸命書いた」

主な執筆者
安岡章太郎/水上勉/干刈あがた/小林恭二/佐伯一麦/吉本ばなな/笠原淳/日野啓三/石和鷹/青山南/沼野充義/秋山駿/飯島耕一/井上ひさし/小原富枝/長部日出雄/川村二郎/木下順二/黒井千次/佐伯彰一/庄野潤三/杉浦明平/高井有一/高橋英夫/立松和平/田中小実昌/中村真一郎/平岡篤紀/古山高麗雄/三浦哲郎/三木卓/八木義徳/矢代静一/吉田知子/高橋源一郎/吉本隆明/小島信夫/桶谷秀昭/荒川洋治/菅野昭正/野間宏/島田雅彦/後藤明生/田久保英夫
  
    ※ 昭和20年代後半以降、“あとがき”的な記事を掲載する文芸雑誌は減少の傾向にあるようである。
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