作品発表舞台の変遷――初出雑誌“あとがき”抄   【井伏鱒二 Ⅲ 昭和10年代】
(作品初出誌は手近な資料 ―原本及び複写― から適宜選択した。)
 
1935.1

井伏鱒二
「日常勉学のこと」
 
『行動』
昭和10年1月号
紀伊国屋出版部 
《編輯後記》 〔…〕※青年綜合雑誌の確立、これこそ吾等が目的である。青年のための指導者であり、鼓舞者であり、慰安者であることが吾等の目標である。而してこれは着々緒につきつゝある。青年をくらい不安のなかから明るい意志へと導びく、青年を救国の中軸となさなければならない。今、能動的精神が起り、新らしい思想の時代が始まつてゐる。ここにわれらは、同じく双手をあげて、若い世代のものであり、その中心的な機関誌なのである。〔…〕
※巻頭、田辺忠男氏の、「為政家と若き世代」は、若き世代とは単なる青年を指すのでなく、新らしい任務者としての資格を要求してゐることは適切、且有益な示唆である。吾等はこの点の意味における若き世代と青年とを翹望して止まないのである。大森義太郎氏の続知識階級論は、最近の前景に登場したこの階級を論じつくして余りない。〔…〕
 
・井伏鱒二「日常勉学のこと」

主な執筆者
清沢洌/鈴木東民/大森義太郎/阿部慎之助/新居格/美濃部亮吉/川端康成/三好達治/岡邦雄/山根銀二/中村正常/高田保/岡田三郎/島木健作/林芙美子/永井龍男/板垣直子/貴司山治/森山啓/舟橋聖一/春山行夫/小松清/小林秀雄/中河与一/徳永直/舟橋聖一/佐藤春夫
1935.1

井伏鱒二
「瀬戸内海にて」
 
『海』
昭和10年1月号
大阪商船株式会社 
《後記》 〔…〕××本号は御覧の通り型を一寸拡げて表紙や口絵やグラビヤの効果を出す様につとめました。今後は之で続けて行くつもりです。内容も勿論満足ではありませんが大いに馬力をかけたつもりです。劈頭に執筆者紹介をしておきました。
××時は非常時です。海運の重要性は益々加重されて行きませう。本誌が海国日本の輝ける存在であることを堅く信じて更に勉強を続けて行くつもりです。読者諸氏の一層の激励と御指導を待望して止みません。(今道生)
 
・井伏鱒二「瀬戸内海にて」

主な執筆者
喜多壮一郎/横山美智子/金子薫園/崎山猷逸/円地文子/浅原六朗/畑耕一
 
1935.2

井伏鱒二
「埋草用雑文」
 
『あらくれ』
昭和10年2月号
紀伊国屋出版部 
《編輯後記》 今号から本誌の編輯事務は僕が責任をもつてやるやうになつた。もつとも岡田三郎、舟橋聖一、徳田一穂の三氏がゐて、本当の編輯はやつて戴けるのだから、僕はただ事務的に仕事を進捗させていけばいゝでけのことである。〔…〕
 しかし、、本号を機として、発売日も定価も、旧来の或る意味ではルウズだつたとも云へる点から、一歩跳びあがる筈だ。これまでは何からなにまでが不行届で読者諸氏にも種々御迷惑をおかけしたやうだが、これからは少しづゝ改めて、更によい雑誌にしてゆきたい。同人雑誌とは云つても、此の雑誌のメムバアは御存知のやうに既に或る位置を確保された方々が大部分で、これまでも、もう少し事務的にゆき届いてゐてよかつたのだ。せめてそれだけでもやり遂げて、一人でも本誌に対する信用の度を深めて呉れる読者が出来れば、僕の倖せとするところである。〔…〕(野口冨士男)
・井伏鱒二「埋草用雑文」

主な執筆者
徳田秋声/山本有三/近松秋江/室生犀星/舟橋聖一/岡田三郎/田辺茂一/中村武羅夫/尾崎士郎/豊田三郎/榊山潤/徳田一穂
 
 1935.3

井伏鱒二
「母に送る手紙」
『月刊文章講座』
創刊号
昭和10年3月号
厚生閣 
《編輯後記》 小さい記事ほど重視する、これは本誌の編集方針だ。が、これは一個の逆説であつて軈[やが]てこの心構へが主要記事に反映し、所謂十五銭雑誌の型を破つた充実清新の内容をふんだんに盛る結果を生んだ。喜びに堪へない。/隅から隅まで<読める>雑誌、読み捨てるには惜しい雑誌、―二号三号と、飛躍的に読者の心に深く喰ひ入る雑誌にしたい。/編輯後記に一頁は、小さい本誌には贅沢だ。価値は内容自身が決定する。われ等はこのことに極度に敏感であるだらう。久遠に!/さうだ、本誌は文章の持つ意義を文化的に極限まで拡大する積りだ。文字の流れるところ必ず文あり、日常眼lの動くところ即ち文無き世界はない。凡ゆる角度と視野のうちに文章百般を把握する。――これ本誌の使命だ。/広告を出すと否とに拘はらず毎月十八日には必ず市場に出す。乞う御愛読。  ・井伏鱒二「母に送る手紙」

主な執筆者
長谷川如是閑/阿部知二/矢崎弾/波田野完治/加藤武雄/横山美智子/大宅壮一/尾崎士郎/千葉亀雄/中河与一/芹沢光治良/片岡良一/久松潜一/中村正常/大田黒元雄
 
 1935.5

井伏鱒二
「人物の描写」
 
『月刊文章講座』
昭和10年5月号
厚生閣 
《編輯後記》 × 号を追つて躍進する本誌の面目を見よ。事実は常に何ものよりも雄弁だ。――三月創刊号六十二頁、四月号七十頁そして茲[ここ]に、五月号は堂々八十四頁の盛観である。
× 今後も専心、誌面の充実と改善とに努力する積りだ。いろいろ御忠言やご鞭撻を頂いて感謝してゐるが、よいと思ふところは単に感謝に止めずドシドシ実行に移す考だ。誌面は、飽く迄読者諸賢の誌面であり、時代と共に少しも停止するところがあつてはならないと思ふ。〔…〕
 
・井伏鱒二「人物の描写」

主な執筆者
武者小路実篤/青野季吉/戸坂潤/宇野千代/岸田国士/武田麟太郎/窪川稲子/大宅壮一/波田野完治/阿部知二/大下宇陀児/島木健作//丹羽文雄/深尾須磨子/飯島正/ 室生犀星
 
1935.6

井伏鱒二
「(友を語る)河上徹太郎氏)」
   
『文芸首都』
昭和10年6月号
黎明社
(編輯人)
保高徳蔵
《編輯後記》 花も散つて、落着きのある新緑の候となつた。この頃の気候が一番人間の活動に適するのではないかと思ふ。さういふ意味から云ふのではないが、本号は最も充実した編輯振りを示すことが出来た。〔…〕
 「友を語る」は今月は井伏鱒二氏と河上徹太郎氏、林芙美子氏と仲町貞子氏に、それぞれその美しい友情に就いて書いてもらふことが出来た。〔…〕尚、最後に、巻頭の写真
[写真説明:「銀座を歩く」井伏鱒二氏〈向つて左〉と保高徳蔵氏〈同右〉『僕は明日の特急で田中貢太郎さんと土佐へ行くんですよ。その準備の買物でね……』]は、毎号本誌の特輯する処であつて、文壇消息を伝へる唯一のグラフであることを申して添えへ置く。(保高生)       
・井伏鱒二「(友を語る)河上徹太郎氏」

主な執筆者
細田民樹/青野季吉/菱山修三/坪田譲治/河上徹太郎/林芙美子/仲町貞子/寺崎浩
       
1935.8

井伏鱒二
「家出人」
 
『中央公論』
銷夏読物特輯
昭和10年8月号
中央公論社   
 《編輯後記》 *夏! 開放的な夏が訪れた。人々が、海に、山にこの灼熱の暑さを避けられることは羨ましい。われわれは緑陰に憩ふ暇もなく、こゝに型を破つた銷夏読物号を特輯して諸士に贈る。〔…〕
*目下予算編成期にあたり、軍事費の問題は重大事だ。これに対する小川氏の卓説こそ正に吾々の渇仰を措く能はざるもの。次代戦争の心臓たるべき石油問題に関する脇村助教授の深遠なる論文、更に杉森、新明両教授の時宜的論文、小岩井、尾崎氏の所論を併せて、この方面の完璧を期した。〔…〕
*創作欄は、宇野女史の熱意になれる「娼婦の手紙」を始め、下村氏が新しき取材になる力篇、ユニークな井伏氏の佳品、藤沢氏久振りの力作を得て夏枯れの文壇に英気を与ふ。〔…〕
*吾々が過去五十年の愛顧に酬ゆる機は、一歩々々と近づきつゝある。その準備に吾が編輯部の熱意は横溢してゐることを付言したい。/過般、西日本を襲つた大豪雨の被害、近くは静岡を中心として起つた地震、その罹災者に深甚の同情を寄せる次第である。
 ・井伏鱒二「家出人」

主な執筆者
田中耕太郎/尾崎秀実/脇村義太郎/藤田嗣治/馬場恒吾/正宗白鳥/小泉信三/岩渕辰雄/中山晋平/小栗忠太郎/十一谷義三郎/長谷川伸/市川左団次/森田草平/末弘厳太郎/宇野千代/下村千秋/藤沢恒夫
 1935.8

井伏鱒二
「変形語の発生」
 
『月刊文章講座』
昭和10年8月号
厚生閣 
《編輯後記》 〔…〕・本誌の記事は文壇学壇は申すに及ばず各方面の好評を博してゐるが、最近出た或る文章概論書には吉屋信子女史の本誌に寄せられた六月の日記がその侭[まま]出所を明にして引用されてゐる等、本誌の卓越性も今や一の定評となつた。
・懸賞原稿は日々類別に骨が折れる程殺到する。文章時代を招来したわれわれの些
[いさ]さか喜びとするところであるが、所謂投書家といふ人々よりは寧[むし]ろ一般インテリ層に属する人々の投稿が多く、今俄[にわか]に名作の得られぬ憾みのあるのは如何ともなし難い。〔…〕
・井伏鱒二「変形語の発生」

主な執筆者
三木清/萩原朔太郎/尾崎士郎/深尾須磨子/伊藤整/大下宇陀児/丹羽文雄/前田河/広一郎/舟橋聖一片岡鉄兵/坪田譲治
 
1935.9

井伏鱒二
「亀」
 
『月刊文章講座』
昭和10年9月号
厚生閣 
《編輯後記》 ・秋立つ。まことに灯火親しむべき好シーズンだ。今月の特輯「何を読むべきか」は野球のそれと併せて断然本誌のロング・ヒットだ。
・宣伝を控へてひたすら内に潜心、専ら内容の充実に力をいたした効果は早くも顕はれて、六月号以降本誌の売れ行きはグンと飛躍した。
・広告をいくらしても内容がまづければ買つた方で腹が立つ。内容でひた押しに進む本誌の面目こそは、これ真乎の宣伝でなければならない。
・井伏鱒二「亀」

主な執筆者
上司小剣/宇野浩二/三木露風/飛田穂洲/青野季吉/村山知義/波田野完治/中村武羅夫/吉川英治/金子洋文/百田宗治/小汀利得/戸坂潤/武田麟太郎/田村泰次郎
  
1935.12

井伏鱒二
「争ひの行方」
 
『新青年』
昭和10年12月号
博文館 
《編輯だより》 ◇三十五氏もさまざまの話題をあとに遺して退場することになつた。日本はもとより、世界的にも事多い一年であつた。今年のクリスマスは、さぞかしサンタクロースも、いろいろとやりくりで忙しいことであらう。〔…〕
◇〔…〕ずらりと並んだ連載読切小説陣、加へて新機軸を誇る読物陣、戦争流行の折からであれば、読者諸君を敵軍と見立て、百糎
砲弾連射の意気である。これでぶつ倒れなければ諸君は、木偶に過ぎん。(J・M)〔…〕
・井伏鱒二「争ひの行方」

主な執筆者
深尾須磨子/大下宇陀児/平山蘆江/木村毅/大佛次郎/平野零児/新居格/今和次郎/戸川エマ/サトウ・ハチロー/木々高太郎
  
1936.1

井伏鱒二
「文章・風格」
『月刊文章』
(「月刊文章講座」改題)
昭和11年1月号
厚生閣  
《編輯後記》 〔…〕・さて御覧の通り美装を凝らして昭和十一年をスタートしました。表紙は岡村夫二男氏、今号から毎号換へます。〔…〕
・かく、号を追つて愈々
[いよいよ]充実して行けるのは、全く加速度的部数の増大による結果であり、感謝に堪へません。
・今号は新年号らしい編輯を全的に試みました。どんな小記事一つにも、明朗な笑ひと実益があると信じます。〔…〕
・時代の雑誌として、本誌は益々堅実に躍進します。〈S〉
 
・井伏鱒二「文章・風格」

主な執筆者
島崎藤村/中村白葉/戸川秋骨/前田河広一郎/飯島正/大宅壮一/萩原朔太郎/貴司山治/丹羽文雄/上司小剣/舟橋聖一/窪川稲子/小島政二郎/中村正常/阿部知二/尾崎士郎
 
1936.1

井伏鱒二
「大人と子供」
 
『ホーム・ライフ』
家庭音楽と舞踊号
昭和11年1月号
大阪毎日新聞社 
《編輯後記》 ▽新年増大号「舞踊と家庭」の特輯号をお送りします。▽写真のうちでも舞踊の写真はなかなか困難で、専門の写真家でも十枚に一枚の割合にさえうまくいかないものだ。絶えず流れてゐるリズムの中から、いちばんよい線なり表情なりをみつけて、その表情を捉へるのだから、本当に「をどり」の解つてゐる人でなければ出来ない仕事である。〔…〕▽それで今度は、すべて在来の「をどり」から離れて、舞踊家のもつてゐる自然の姿態の美を撮さうといふ風に努力してみた。言葉をかへていへば「うごきのあるポートレート」といふのがその狙ひどころであつた。▽それといふのも、なるべく「演劇雑誌」になりたくないからで、あくまで、創刊以来の「ホーム・ライフ」色ともいふべき一つの高雅な持味を作つて行きたいのが希望であつた。〔…〕▽家庭音楽の方も談話者がよく本誌の仕事を諒解して下さつて、短期間に当代一流の顔ぶれを揃へ得たことは何としても本誌の社会的声価の然らしむるところだと喜んでゐる。これだけの舞踊、音楽に関する写真記事を網羅し得たことは、いろいろな意味で、現代音楽舞踊の粋を語る全集大成だといつてよいとおもつてゐる。(係) ・井伏鱒二「大人と子供」

主な執筆者
財部彪/菊池寬/矢部謙次郎/内田誠/木下謙次郎/今井邦子/田中千代/モトノ・セイゴ/原石鼎/佐佐木信綱/与謝野晶子/斎藤茂吉
 
1936.2

井伏鱒二
「『過失』について」
 
『レツェンゾ』
昭和11年2月号
紀伊国屋書店
レツェンゾ編輯部
(編輯兼発行人)
田辺茂一
 
《紀伊国屋だより》 ◎あわたゞしい松の内もあけて大寒に入り北風の訪れとともに巷に選挙粛正のビラ氾濫、世は議会の再開も迫る。
 文化の栄ゆる明朗なる統治こそ民草の待望なれば勉励・自重選挙粛正の覚悟を期されて居り、多端な早春はいよいよ展開して行く。
◎〔…〕面目一新、装幀は若い僕らに早春のポエジーを想噴
[ママ]しております。良書推薦、著者推薦、著者の言葉は今更申すまでもなくあまねく分野にわたつて懇切を極めておりますが、名声を馳せし論客矢[崎]弾氏の久々の犀利周到な文芸時評をはじめ徳田一穂、井伏鱒二両氏の新春の心境を聴き、〔…〕
◎ひとり文学方面のみならず、今後文化の新しい面、都会人の新機関の開拓に尽したいと思つてゐますが、何卒諸賢の御鞭撻を願つてやまない次第です。
◎文壇訃報相次ぎ、寺田寅彦、生田長江両氏の死を謹んで悼む。〔…〕
 
・井伏鱒二「『過失』について」

主な執筆者
中村星湖/望月百合子/石井みどり/門馬直衛/織田正信/葦原英了/徳田一穂/矢崎弾/亀倉雄策/江間章子/成田為三
 
1936.3

井伏鱒二
「冬の池畔」
 
『四季』
春季号
昭和11年3月
四季社 
《後記》 〔…〕「四季」が前月からはつきりと同人組織となつたことは、前号にもあつたやうに何ら党派的結成とか運動的方向をとるものではないが、紛然とした日本詩苑を貫く欝然とした主流動脈として存在せんとする意志表示にに他ならない。春になれば三好達治も山から下りてくる由。堀辰雄も健勝。萩原朔太郎初め丸山薫、竹中郁、津村信夫、中原中也、田中克己の諸詩人みんな元気。若き秀才立原道造も頗[すこぶ]るアムビシアス[ambitious]である。これに室生犀星、井伏鱒二、辻野久憲、桑原武夫、神西清のこの国少数のすぐれた作家或ひはエツセイストが同人として貧困の詩苑に第一流の土壌を献ずる筈。「四季」もこれから一段と若か若かしくなると信ずる。〔…〕(神保光太郎)
 〔…〕僕は現在の四季に対する世評については詳
[つまび]らかではない。
 よき仕事をする事、作品中心であることには今後とても変りはないが、ただこの国の純正詩の発達と云ふ観点からする雑誌の使命のため、今日まで未だ手をつけなかつた多くのものが残されてゐたやうに思はれる。〔…〕
 四季は、いつも若くありたい。センセリテイ
[sincerity]を持つた若さ、それが僕達の何よりも念願する所のことだ。
 僕たちは、今僕たちのジエネレーションをはつきりと意識し初めた。従つて、今日以後、年少気鋭の立原道造を初め我等のジエネレーションのこの四季に於ける役割を考へるとき激しく心のときめくものがある。
 多くのよき先輩と、これら燃ゆる頬たちが一つの卓をかこんで、たゆみなき成長の途上にあるこの国の詩を論究し、また各人がおのがじし、その仕事の上の開花のあらん日を心から期待してやまない。(津村信夫)
 四季の編輯組織変更と今回の事件
[二・二六事件]のため、印刷刊行敢行が大変遅れましたので、三、四両月号を合併して春季号とし、四月初旬に五月号を発行することに致しました。〔…〕 
・井伏鱒二「冬の池畔」

主な執筆者
萩原朔太郎/中原中也/竹中郁/三好達治/田中克己/津村信夫/辻野久憲/堀辰雄/桑原武夫/立原道造/神西清/神保光太郎/葛巻ルリ子/芳賀潤/能美九末夫/内山義郎/三好達治
 
1936.3

井伏鱒二
「旅さきの食べものの件」
 
『月刊文章』
昭和11年3月号
厚生閣 
《編輯後記》 ・新聞に小さい広告を出す様になつて、部数は更に増大した。が、まだまだ理想を実現するまでに至らない。ゆるめることなく飽くまで内容本位に精進したい。〔…〕
・いろいろ御激励やら御鞭撻やらを頂くが、読者諸君の要望は何等かの意味で、誌上に反映さして行く積りだ。今後の活躍をご期待頂きたい。〔…〕
・井伏鱒二「旅さきの食べものの件」

主な執筆者
長谷川伸/村山知義/春山行夫/岩田専太郎/野村光一/青野季吉/浅原六朗/飯島正/飛田穂洲/阿部知二/貴司山治/大宅壮一/板垣直子/舟橋聖一/久野豊彦/窪川稲子/龍胆寺雄/坪田譲治
  
1936.3

井伏鱒二
「沿線雑記」
『文芸首都』
昭和11年3月号
黎明社
(編輯人)
保高徳蔵
 
《編輯後記》 〔…〕青野氏の「回想雑記」吉村氏の「近代文学思潮」は益々興味と有益の文字に充たされ、渋川驍氏の「文芸時評」は氏一流の犀利な理論でペンを進めてゐられる点、共に見逃すべからざるものである。その他本号には井伏鱒二、榊山潤、坪田譲治、上林暁、古谷綱武氏の興味深い感想、随筆を頂戴し、和田伝、打木村治、石光葆、富山雅夫、永松定、田村泰次郎諸氏に「首都サロン」欄を飾つて貰ひ、中々の充実振りであることを見て頂き度い。〔…〕(保高生)  ・井伏鱒二「沿線雑記」

主な執筆者
張赫宙/青野季吉/渋川驍/榊山潤/上林暁/坪田譲治/古谷綱武/和田伝/松永定/田村泰次郎
 
 1936.4

井伏鱒二
「梅香崎仮館」
 
『中央公論』
昭和11年4月号
 中央公論社  
《編輯後記》 噫[ああ]! 二月二十六日、吾が国史上に見ざる大事件であつた。この問題は発展せんとする日本に大きな謎を与へたとも云ひ得ると思ふ。問題が帝都の中心に起つたゞけに、全国民には異常なるシヨツクを与へた。事件は今審理中に属することであるから、、濫りに批評の自由はないが、これに対する国民の冷静な態度は、力強い何物かを教へた。
*この事変後、新たに登場した広田内閣は、組閣の難航を終へて漸く出現した。この超非常時内閣の新陣容及び新政策は果して如何?〔…〕
*総選挙に無産政党の躍進こそは新たな題目を与へた、これに対する森戸氏の真摯なる批判こそ、新代議士、加藤、浅沼両氏の主張と共に三思す可
[べ]きものである。更に支那政府の財政危機を論ずる根岸氏の論文、国内市場の狭隘性を批判する平野氏、鈴木、木村氏の論文を併せて完璧。〔…〕
*二月二十六日に犠牲になつた是清翁を論ずる太田氏の財政家としての高橋評、斎藤実氏をよく知る丸山氏の思ひ出、渡辺総監と西大将を論ずる三島氏のものなど三省すべきものであると共に、其の悲しき犠牲を悼む。〔…〕/国事多端の折、欧州の天地にはヒツトラアの爆弾宣言によつて新な危機が迫りつゝある。益田、美濃部氏の意見は正にヒツトだ。〔…〕
*今年は遅くまで雪が来襲したが、漸く桜の蕾もふくらみ、春は愈々訪れんとしてゐる。吾が編輯部は楽しき春と共に更に飛躍の駒を陣頭に進めた。相変らずの御期待を願ふ。
 
・井伏鱒二「梅香崎仮館」

主な執筆者
森戸辰男/美濃部亮吉/鈴木安蔵/平野義太郎/長谷川如是閑/馬場恒吾/岩渕辰雄/伊藤正徳/前田多門/御手洗辰雄/阿部慎之助/大宅壮一/安田徳太郎/徳冨猪一郎/木下半二/橋本関雪/加藤勘十/浅沼稲次郎/谷川徹三/清水幾多郎/中野重治/土井晩翠/長田幹彦/清沢洌/正宗白鳥/邦枝完二/里見弴/細田民樹/林芙美子/豊島与志雄/幸田露伴
1936.5

井伏鱒二
「脱線」
  
『改造』
昭和11年5月号
 改造社  
《編輯だより》 〇前号は売切れの盛況であつた。事件後の世論や見透しについて、国民大衆が如何に心痛してゐるかゞわかる。幸に吾誌はその待望の一半に答へ得たことを喜びたい。〇わが政治・社会の上に一大改革的傾向の現れたのは事実であるが、国民の眼は一斉に、粛軍の結果に注がれてゐる。そこで本号に於ては、『国軍の研究』を特輯し、わが陸軍の根本的研究と共に、軍民理解の一助たらしめんことを期した。〇国防強化国内革新の推進力としての馬場財政はいま国民注視の的である。だがその実体は何であり、高橋財政との相違は何処にあるか、卓越せる財政学者大内教授の水際立つた論旨に依てその革新性と将来の展開力とを知れ。〇 二・二六事件後の逼迫した時局を収拾すべき超非常時議会の歴史的性質に就いて論壇の雄猪俣氏の分析は透徹した独自の味を示した。〇山積せる国家社会問題が益々大衆生活の安定を希求しつゝある時、法学界の重鎮末川博士は社会立法の問題を取上げて椽大[てんだい]の筆を揮ふ。〇馬場財政の具体的な直接影響の面より見て大衆生活を中心とする啓蒙的開設を鈴木茂三郎、下田将美、野田豊の三氏に依頼した。〇今や近衛公の動向は政局の中軸をなす。公が胸襟を開いたこの縦横談こそ、誌界のヒツトである。〔…〕〇ソ国境は日ソ衝突の危機を孕み暗雲低迷してゐる。最近彼地より帰朝せる布[利秋]氏の精細を極めた解説は荒川氏のソ軍要人論、鈴江氏の共産軍の北支進出論すべて時下必読の文字である。〇最近各部面の少壮官吏が頻りに動きを見せてゐる様である。その由つて来る所のを検討することは、従つて又一般社会の少壮階級が現在抱懐してゐる思考を、察知することともならう。――戸坂、新居、佐々諸氏の所論に聞かれよ。〇以上とは別に清沢冽氏の「警察官論」がある。吾々が日常接触してゐる彼等を俎上にして批判したところに、深甚な興味が湧くと思ふ。〔…〕〇現代を覆ふ社会不安に対して、最も敏感なるべき作家は如何観るか。尾崎氏の真摯なる情熱を見られたい。〔…〕  井伏鱒二「(春色三題)脱線」

主な執筆者
大内兵衛/末川博/猪俣津南雄/向坂逸郎/飛田穂洲/清沢冽/サトウ・ハチロー/鈴木茂三郎/山本実彦/夢野久作/渡辺一夫/戸坂潤/新居格/尾崎士郎/佐藤惣之助/野上弥生子/鏑木清方/藤森成吉/芹沢光治良/川端康成
 
 1936.5

井伏鱒二
「京都についての私の記憶」
『時世粧』
昭和11年5月号
時世粧同人会
(編輯兼発行人)
堀口大学
 
《編輯》[巻頭に置かれた堀口大学の文章]☆時は楽しい五月です、空の色さへ陽気です、皆さまも、おんすこやかで何よりです。
 「時世粧」第五号をお贈り申上げます。/たださへ、明朗を誇る「時世粧」です。わけてもこの初夏号は、必ず皆さまの朝のサンルウムへ、新緑のまばゆいきらめきと一緒に、流線型の弧を描いて火星から来たロケツトのやうに踊り込まずにはおかないでせう。窓を開けませう、希望と光りに満ちた天空高く、絹の梯子が無数に揺れてゐます。皆で一緒に、あの梯子を登りませう。
☆こんな立派な雑誌を、毎号「ただ貰つてゐては気の毒だ」とおつしやつて下さる向きもございますが、どうぞ御遠慮なくお受取り置き下さいまし。かうして皆さまから、十六人の京都同人の店や仕事に親しんでいただくだけで、「時世粧」の目的は達せらて居るのでございます。
☆本号から、グラフ頁の用紙を、またもとの舶来コツトンにかへました。贅沢でもやつぱりこの方が、出来上りの気持がよいといふ同人一同の意見に聴いたわけです。 
 
・井伏鱒二「京都についての私の記憶」

主な執筆者
堀口大学/室生犀星/芹沢光治良/吉田精一/長田秀雄/有海久門/楢崎勤/若海方舟/黒田千吉郎
 
 1936.7

井伏鱒二
「襖絵」
『文芸春秋』
昭和11年7月号
文芸春秋社  
《編輯後記》 ◇陰鬱なる梅雨型気象配置も漸く解体して天候は本格的に盛夏へと急ぐ。先づ読者諸氏の御健勝をお祈り申し上げる。
◇戒厳令下の特別議会は未曽有の緊張裡に幾多の問題を包んだまゝ終つた。我々大衆の親しく見たものは何か。我々はその成果を検討して我々の進むべき途を拓かねばならぬ。「官僚に迫る」に於いて鳩山一郎氏は政党政治再建への熱情を披瀝し、片山哲氏は我等の「議会闘争録」に於いて無産者の真摯さを開陳する。而して今議会の最も重要なる頂点は、「秘密保護法案」の否決と、「不穏文書取締法案」の通過であらねばならぬ。この二法案を繞つて巻き起された風雲とその本質の究明批判こそ国民必読のものである。〔…〕
◇新官僚が我国の政治機構に於ける役割は如何? 二・二六事件は既に新官僚の没落を意味するか、今や行政部には新々官僚の台頭を聞く。それと並行して大財閥の青年社員間にも鬱積するものの溢れ出でんとする気運あるを見る。「青年官吏社員は何を考へてゐるか」の座談会はこれ等青年群の動きの底に流るゝ現実的なるもの、思想的なるものの体系づけである。〔…〕
◇我国外交の根幹は対支外交である。新外相有田八郎氏は蒋介石張群等の抱懐する意図を語り、〔…〕
 
・井伏鱒二「襖絵」

主な執筆者
鳩山一郎/片山哲/御手洗辰雄/阿部慎之助/有田八郎/岡邦雄/池崎忠孝/久松潜一/松岡譲/横光利一/勝峰晋風/暉峻康隆/辰野九紫/馬場孤蝶/菊池寬/久米正雄/里見弴/南部修一郎/室生犀星/豊島与志雄/上司小剣/芹沢光治良
 
 1936.7

井伏鱒二
「雨の音」
 
『若草』
昭和11年7月号
宝文館
《編輯後記》 ★沈鬱なさみだれがあがると、世はトタンに盛夏である。/強烈な太陽が、ぎらぎらと輝いて、風景といふ風景の上に、強い短波光をふりまき、明暗の階調を一層強いものにして、すがすがしい美学を現出する。〔…〕/かくて、新しく華やかな季節の幕は開かれる。――海の呼び声! 山の呼び声! 潮騒が、青いヨツトが、山彦が、高山植物が、若い心を誘惑する。
★〔…〕小説は石浜金作、井伏鱒二、本庄陸男、中島直人の諸氏。それぞれ異色ある好篇。〔…〕/七月の若草も多彩。青春雑誌の名に恥じない若々しき読物の氾濫。
★解放された夏。男性的な盛夏。/オリムピツクのどよめきが、世界を興奮させ、世界を感激させるこの夏を、われわれも亦、健康な盛夏としよう。/大戦の焦土の中から、民族の団結と、国民の保健カクトクをめざして生まれた、かのワンダー・フオーゲル――「若きドイツ」の雄々しいスローガンは、今日強く、非常時日本に生きるわれわれの胸を打つ。〔…〕(北村秀雄)
・井伏鱒二「雨の音」

主な執筆者
本庄陸男/石浜金作/下村千秋/杉山平助/深田久弥/木村庄三郎/蔵原伸二郎/藤浦洸
  
1936.7

井伏鱒二
「片田喬平のこと」
 
『マツダ新報』
昭和11年7月号
東京電気株式会社
《編輯室より》 ◇梅雨晴れの暑さは急激に来るせいか、一しほ身にしみる。/仕事をして居ると全身に汗は湧き出て『言ふまいと思へど今日の暑さかな』の一句が自ら浮ぶ。/炎暑の候を迎へ、読者諸賢の御健康を遥かに祈つて止まない。
◇汗によごれた体を行水に托して、さて冷たいビールに一日の労苦を忘れるのも人の世の至楽。/浴衣に着かへて子供連れで近所の夜店に出かけるのも、夏ならでは味はへぬ一風景であらう。
◇東京付近の灯火管制は夏の年中行事の一つになつた観がある。/本誌巻頭の東京防衛司令部 浜田工兵大尉殿の『灯火管制』の一文は多大の示唆が与へられる。〔…〕
 
・井伏鱒二「片田喬平のこと」

主な執筆者
浜田万/武間主一/森有剛/八木正平/関重広/泉木吉
 
1936.10

井伏鱒二
「玉泉寺」
 
『月刊文章』
昭和11年10月号
厚生閣 
《編輯後記》 ・菊池寬氏が本誌の編輯を褒めてゐられた。何事にも一家言を持つ氏の厳正な批判だ。文壇諸家の絶大なる支持を受けつゝある本誌も、今や確乎たる基礎の上に立つ。
・が編輯はまだまだ改善の余地がある。本号でその一端を示した積りだ。努力はしてゐるが、いくら努力しても数万大衆の支持に答へる為には遂に努力し過ぎるといふことはない。切に御後援を乞ふ。〔…〕
 
・井伏鱒二「玉泉寺」

主な執筆者
尾崎士郎/前田河広一郎/徳田秋声/石川達三/伊藤整/矢田津世子/大宅壮一/高橋新吉/村山知義/青野季吉/深尾須磨子/鶴田知也/窪川稲子/丹羽文雄
1936.11

井伏鱒二
「(創作苦心談)」
 
『月刊文章』
昭和11年11月号
厚生閣 
《編輯後記》 ・前月号は仲々好評で、努力し甲斐があつたことを喜んでゐる。文化雑誌は次々に創刊され次々に姿を消して行くが、本誌は文章中心興味本位の文化雑誌として、実にユニイクなる立場にあり、その豪華なる顔触れに於て、その一小記事をもゆるがせにしない編輯精神に於て、内容の多彩溌剌たる点に於て、百ペエジ十五銭といふ買ひ易さに於て、断然圧倒的盛況にある。〔…〕
・阿部知二氏の「小説になる話ならぬ話」、諸家の「自叙伝の一頁」、及び「創作苦心談」また創作に志す人々の此上なき好指針たるを失はぬ。〔…〕
 
・井伏鱒二「(創作苦心談)」

主な執筆者
青野季吉/大宅壮一/片岡鉄兵/板垣直子/阿部知二/平林たい子/中村白葉/中河与一/尾崎士郎/丹羽文雄/武田麟太郎/高見順/島木健作/村山知義
 
1936.11

井伏鱒二
「伊豆大島」
 
『ペン』
創刊号
昭和11年11月号
三笠書房  
《編輯後記》 ☆秋たけなは、愈々[いよいよ]読書シーズンです。お待ち兼ねの創刊号を全国の皆様の机上にお送りします。
☆創刊号、どれを見ても粒選りの好読物ばかり、まづ随筆は内田百閒氏藤森成吉氏水原秋桜子氏吹田順助氏森田たま氏宮城道雄氏を始めとして、いづれも当代の大家揃ひ、俳句の飯田蛇笏萩原井泉水氏と共に、本誌ならではの充実したスタツフです。
☆「現代老年論」の室伏高信氏、「衣装と文化の論」の戸坂潤氏、両氏の犀利な批評眼に映じた現代の解剖は、尾崎士郎氏の「英雄論」杉山平助氏の「現代女性論」と共に文化人必読の好論文であります。〔…〕
☆秋は旅とか、新人にして大家の風格をなす水谷清氏のスペインの美しい風景スケツチ二題、独自の風貌を持つ井伏鱒二氏の大島旅行記、旅情豊かなもの。〔…〕
 
・井伏鱒二「伊豆大島」

主な執筆者
菊池寬/尾崎士郎/戸坂潤/林房雄/芥川比呂志夏目伸六/村山知義/志賀直哉/伊丹万作/三好十郎/伊馬鴉平/新保光太郎/岡本かの子
 
1936.11

井伏鱒二
「夏日お山講」
 
『ペン』
臨時号
昭和11年11月号
三笠書房 
《編輯だより》 ○長らく御愛顧を賜はりました「アラベスク」は此度新雑誌「ペン」発行と共に、廃刊いたしました。鬱勃たる多年の計画ついに成り、呱々の声を挙げた本誌は別掲広告の如く堂々二四〇頁(本号に限り定価三十銭)実に素晴しい内容、古い言葉ではありますが真に洛陽の紙価を高める人気、御愛読の程一重に御願ひ致します。〔…〕
○馬も肥えろ、草木も実れ、爽涼一閃、げに諸々の収穫の時とはなりました。読者諸彦
[しょげん]の御健在を祝します。〔…〕
○秋の夜は長いものとは真丸な月の、妙な感傷を捨ててさあ実りの時期を、吾々精神生活の実を結ばれむ事を余談ながら付加いたします。(T)
・井伏鱒二夏日お山講」

主な執筆者
杉山平助/川端康成/式場隆三郎/本田顕彰
  
1936.11

井伏鱒二
「歳末手帖」
『月刊文章』
昭和11年12月号
厚生閣 
《編輯後記》 ・本誌も次号で愈々第三年目に入るわけだ。本号は第二年最終号に相当するが、内容を精選し、十二月号としては稀に見る充実振りを示した。
・片岡鉄兵氏の巻頭論文、井伏鱒二氏の「歳末手帖」共に年末号を飾るヒットであり、尾崎四郎氏の「創作苦心談」諸家の「わが無名時代」、それに創作の素材・構成・表現の研究を揃へた特輯講座等、本誌のみの誇り得る本月のトピックだ。〔…〕(K・S)
 
・井伏鱒二「歳末手帖」

主な執筆者
片岡鉄兵/新居格/上司小剣/尾崎士郎/福田清人/深尾須磨子/村山知義/茅野蕭々/高見順/前田河広一郎/雨と文字/沖野岩三郎/島木健作/鶴田知也/坪田譲治/窪川稲子
 
1937.1

井伏鱒二
「クラス会の夜」
 
『新女苑』
創刊号
昭和12年1月号
実業之日本社
《編輯後記》 やつと編輯後記を書くところまで漕ぎつけました。長い胎生の期間を経て後かうして最後の記事を書く時になつてみると、もう今はたゞどんな雑誌が出来るかそれだけが僕達の心を不安にゆりうごかしてゐるのです。或時は絶望に近い懸念に襲はれ、或る時は希望に燃えて、一つのものが地に生まれる苦悩をしみじみ味つたのでした。〔…〕(MOTOI)
 〔…〕長短十二篇の小説は、いづれも定評ある作家の手になり、女性の明暗二相を描いて興味とともに皆様に何ものか考へるものを与へることと思ひます。〔…〕(裕)
 〔…〕教養と趣味の頁は、皆様の知識をより深くより広く進めてゆくための手引きとして、各部門をそれぞれの権威者へお願ひしました。近代女性の生活を語る座談会は、片岡鉄平氏司会のもとに、近代女性の生活を鋭く解剖してみました。皆様の正しい御批判をお聞かせ願へればと思ひます。(栄)
 
・井伏鱒二「クラス会の夜」

主な執筆者
杉山平助/吉田絃二郎/野上弥生子/西條八十/吉屋信子/芹沢光治良/丹羽文雄/木々高太郎/片岡鉄平/矢田津世子/中里恒子/円地文子/北村寿夫/丸尾長顕
 
1937.1

井伏鱒二
「銀座の牧ちやん」
 
『SSS』
昭和12年1月号
スタア社 
《編輯後記》 ◇エドワード八世の退位、張学良のクーデター、相次いで投げられた世界的のセンセイションに、すさまじい浪を新聞紙面のうちながら、一九三六年はフイナーレにすゝんでゆく。〔…〕
◇井伏鱒二、丹羽文雄両氏の傑作。
◇「銀座の牧ちやん」の挿絵は朝日新聞の「風の中の子供達」で十一年新聞小説界に最高の名声をはせた野間仁根氏の名筆を得た。
◇映画から接吻を悉
[ことごと]く切つちまふ――その映画検閲問題で矢面の第一線に立つて居られる内務省映画検閲事務官、田島太郎氏の「日本習俗としての接吻考証学」は、矢を持つてゐる人達をアツと驚かすエツセイである。〔…〕
◇前号はかなり評判がよかつたのであるが、やつぱり、お高くとまつてツンとしてゐると云ふ悪口を頂く。つくる方でも、例へばトピツク記事をお願ひしても必要以上に硬く書かれるので困つてゐる。〔…〕(W)
 
・井伏鱒二「銀座の牧ちやん」

主な執筆者
大佛次郎/深田久弥/丹羽文雄/田村泰次郎/津村信夫/徳田秋声/阿部知二/伊藤整/新庄嘉章/市川左団次/サン・テクジユペリイ
  
1937.2

井伏鱒二
「同人雑誌の頃」
 
『月刊文章』
昭和12年2月号
厚生閣 
《編輯後記》 ・今月も特輯増大号です。新年号は出る匆々すぐ売切れて反響はすばらしく、感謝してをります。〔…〕
・芸術と自由の問題、反抗精神と文学、その他刻下重要の問題を扱ふ外、事実を創作にする迄、創作過程の心理、文章相談、等直接文章制作に関する記事を増やしました。
・次号も特輯を続けます。毎号特輯しろといふ御声援が断然圧倒的です。編輯の努力は並々でありませんが、いゝものを作る熱意で一杯です。 
 
・井伏鱒二「同人雑誌の頃」

主な執筆者
青野季吉/岡邦雄/宇野浩二/林芙美子/石黒敬七/春山行夫/中河与一/阿部知二/尾崎士郎/波田野完治/田村泰次郎/沖野岩三郎/伊藤整/岡本かの子/村山知義/木々高太郎/高見順/丹羽文雄
 
1937.2

井伏鱒二
「按摩をとる」
 
『四季』
昭和12年2月号
四季社  
《編輯後記》 寄稿家や同人諸氏の尽力に依て比較的賑やかな編輯が出来た、同人の中でも、久しく顔を見せない人もあるが、これから、大いに書いて貰はうと思ふ。雪の追分でひとり創作に没頭してゐる堀さんの通信なども読みたいものだと思ふ。これは同人だけの希望でなく堀辰雄の一般愛読者の願ひでもあるだらう。神戸の竹中郁氏も病気であつたがこれから追ひ追ひ作品を寄せてくれるだらう。〔…〕
 最後にひとつ。頃日読んだ大手拓次詩集「藍色の蟇」は最近の日本の詩苑に贈られた最も美しいもののひとつとぼくは思惟する。数年前、宮沢賢治の詩に出会した時のやうな新鮮な印銘を与へられた。そして、又、宮沢賢治の場合とは異なるたいろいろなものを含んでゐる。かうしたいろいろのものとは何であるか。詩苑はひとしくこれを反芻して見る課題を与へられてゐるとも思へる。〔…〕(神保)
・井伏鱒二「按摩をとる」

主な執筆者
萩原朔太郎/中原中也/立原道造/丸山薫/神保光太郎/保田与重郎/板倉鞆音/草野心平/三好達治
 
1937.4

井伏鱒二
「日本漂民譚」
  
『改造』
昭和12年4月号
改造社  
《編輯だより》 〔…〕〇議会は峠を越した。政党や予算の問題から一応離れて、吾々の目は国際関係に及ばうとしてゐる。時局認識の方法として、今や国内問題と国際関係は不可分だ。〇近頃マルキシズムの退潮、フアシズムの台頭につれて政治と文化との間隙が目立つて来た。それに乗じて反動的風潮や日本主義的主張が新しい魅力として盛んにインテリ層を掴[つかま]へ出した。これに対する向坂氏の堂々の所論、三木氏の犀利の批判は、共に最も時機を得た好論文だ。〇議会は結城財政の膨大予算を鵜呑みにした。軍需品生産を中心とする異常景気は愈々[いよいよ]本格的に促進されるらしい。だがこの好景気の裏に農村の没落、大衆生活の窮乏が叫ばれる。石浜氏の日本資本主義の現段階論、黒田氏の結城財政と農村はこの景気の本質を剔抉して剰[あま]すところがない。〔…〕〇軍備拡張競争は今世界的傾向となつてゐる。そこで、陸海軍から中堅将校のの出席を願つて、戦争問題と世界の軍備について座談会を催した。蓋[けだ]し時宜を得た読物と信ず。〇荒畑寒村氏の『スペイン内乱参戦記』は、いたづらに水を割つたデマ的報道が氾濫せる折、内線戦渦の実情を伝へるものだ。〇一代の名作『暗夜行路』は志賀直哉氏の十年に渉る丹精の結果、ここに見事に完結した。この終篇こそ全日本の純文学愛好家に希求され、期待され続けてきたものだ。〔…〕  ・井伏鱒二「日本漂民譚」

主な執筆者
向坂逸郎/黒田寿男/河合栄治郎/美濃部亮吉/三木清/馬場恒吾/石浜知行/阿部慎之助/荒畑寒村/末川博/佐藤春夫/諸井三郎/周作人/御手洗辰雄/大宅壮一/戸坂潤/長谷川如是閑/滝川幸辰/横光利一/芦田均/山川均/正宗白鳥/島木健作/広津和郎/志賀直哉
 
1937.4

井伏鱒二
「取立屋」
 
『新潮』
昭和12年4月号
新潮社
(編輯者 発行者)
中根駒十郎
   
《記者便り》 〔…〕▼もう、雑誌は四月号の編輯を終へた。慌ただしい月日が過ぎて行く。「新潮」はお蔭で、この頃方々で好評を得てゐるので、記者も努力の仕甲斐を感じてゐる。各新聞の学芸欄で取上げられてゐる文芸上の諸問題も、屡々[しばしば]のこと「新潮」誌上で取扱はれた諸問題から展開されて、また新しい問題を提供してゐるやうである。……さういふ点から云つて、この四月号もまた、十分に興趣ある問題を含んだ諸評論をもつてゐると思ふ。例へば、中野重治氏の文芸時評「一般的なものに対する呪ひ」といふ三十枚に亘る評論、広津和郎氏の「強さと弱さ」、本多顕彰氏の「われら如何に生くべき」に見る切実なる感懐、民族精神を論じられること、今日ほど急なることない時に当つて、片山敏彦氏は「ギリシヤ精神について」語る。何れも御精読を得たい好個の評論である。〔…〕▼青野季吉氏に、一群の若き批評家の風貌面目を伝へていただいた「若き批評家について」なる一文を、木村毅氏に「日清・日露・世界大戦と文学」といふ、過去の戦争時代に、文学者は如何に戦争を見、如何なる文学作品を書いたかといふ事を、寄稿して頂いた。準戦時代といはれる今日、このエツセエは十分に関心をもたれ、かつ愛読されて然る可[べ]きものであらうと信じる。〔…〕   ・井伏鱒二「取立屋」

主な執筆者
本多顕彰/青野季吉/片山敏彦/広津和郎/木村毅/中野重治/林芙美子/保田与重郎/高橋健二/中山省三郎/中島健蔵/中野好夫/葉山嘉樹/太宰治(「HUMAN LOST」)/榊山潤
1937.4

井伏鱒二
「二月九日所感」
  
『早稲田文学』
昭和12年4月号
早稲田文学社
《編輯後記》 △近時社会状勢によつてか否か、文壇の一部に日本古典精神復興の呼声がきこえるやうである。本誌はこの問題をとり上げてその真の意味を追求せんとした。中河与一、窪川鶴次郎両氏と同人江間道助の評論は文壇に何ものかを与へ得ると信ずる。
△〔…〕作家の感想としては、岡田三郎、井伏鱒二、本庄陸男諸氏から忌憚なき時感を寄せられたことを感謝する。〔…〕
 
・井伏鱒二「二月九日所感」

主な執筆者
中河与一/窪川鶴次郎/暉峻康隆/谷崎精二/本庄陸男/岡田三郎/宮地嘉六/逸見広
 
1937.5

井伏鱒二
「七面山のお札」
 
『月刊文章』
昭和12年5月号
厚生閣 
《編輯後記》 ・御覧の通り本月は充実した内容と清新な顔触れを揃へて断然躍進を示した。
・伊藤整氏の「志賀直哉論」は在来の直哉論に根本的にに挑戦するもの、必読の文字だ。〔…〕

・井伏鱒二「七面山のお札」

主な執筆者
新居格/板垣直子/石川達三/岡田三郎/伊藤整/鶴田知也/片岡良一/高見順/大宅壮一/遠山啓/窪川稲子/上司小剣/深田久弥
  
1937.6

井伏鱒二
「山川草木」
 
『早稲田文学』
昭和12年6
月号
早稲田文学社 
《編輯後記》 △本月は本誌創刊満三年になるので、その記念号とした。早稲田出身の作家十一人に、同人尾崎一雄、逸見広を加へて、十三人の創作を集めた。中堅、新進をまじへて賑やかな顔触れになつた。読者諸氏も満足して下さる事と信じる。御多用中特に本誌の為枉[ま]げて御執筆下すつた寄稿家諸氏に厚く御礼申上げる。なほこの機会に、本誌に対する一層の御後援を大方の諸氏に御願ひする。〔…〕
 
・井伏鱒二「山川草木」

主な執筆者
衣巻省三/坪田譲治/中山義秀/井上友一郎/丹羽文雄/和田伝/尾崎一雄/逸見広/岡沢秀虎/谷崎精二/三木露風/カール・ツックマイエル
 
1937.6

井伏鱒二
「泥酔」
 
『四季』
昭和12年6月号
四季社 
《編輯後記》 ●「四季」は今度で二十七冊になる。兎に角、能く続けてきたと思ふ。最初の結成から、去年は新同人を加へた同人組織になり、その後、一ヶ年、三度び、何らかの新しい変化を予想されるところまできてゐる。
●其夜、同人の集まりがあつたがさうした新しい変化への動きが可也り濃厚に感ぜられた。近いうちにはかうした動きが□
[不明]誌の上で具体化されて行くと思ふ。〔…〕
●詩作品の方は同人があまり書いてゐないので、済まなく思ふが、新しい人達の新しい作品を味読して戴きたい。会員の投□[不明]詩は、今月は二段組を止めて、厳選して、広田、平岡、二氏の作品を採つた。(神保)
・井伏鱒二「泥酔」

主な執筆者
芳賀檀/山岸外史/立原道造/中原中也/真壁仁/広田真一/平岡潤/津村信夫
 
 1937.6

井伏鱒二
「訊問」
『マツダ新報』
昭和12年6月号
東京電気株式会社 
《編輯後記》 ◇初夏六月の感触は、この一日から解禁される若鮎の肌にも似て、すがすがしい気分がたゞよふ。/梅雨前の晴れた日など、夏到来の状景が、随所に見出される。昔、苗売の声を聞いたのは確か六月の初めだつたと記憶する。
◇我国の航空機製作技術も愈々本格的に確立して来たやうだ。/国産機『神風』が東京-ロンドン間を九四時間余の記録を残して制覇し、飛来帰朝したことは日本国民として喜ぶべきであらう。〔…〕
◇郷土の古い文化を現代に生かして用ひやうと云ふ意図には、民族的に見ても充分な価値がある。/京城電気の福島武氏が朝鮮に於ける照明器具のために努力されて居ることは至嘱に値する。
 
・井伏鱒二「訊問」

主な執筆者
泉木吉/中島弥生/古田久一/福島武/今井孝/広根真耳/米山生
 
 1937.6

井伏鱒二
「十円札」
 
『新女苑』
昭和12年6月号
実業之日本社 
《編輯後記》 △合着に洋服を替えたにも係らず、一寸歩くともう、額ににじつとり汗がにじむ。道を歩いてもアスフアルトが熱にゆるんでもやもやとした熱を覚える。もう夏だなあと、しみじみ季節のうつりを身にしみて感じた。〔…〕/此地上に何物か、新しきもの、真実なものをクリエートしやうとする我等の意図を、いさゝかも変へることなく進んでゆけることが嬉しい。僕達の願ひが今の日本に必要であつたのだと云ふことを知つて何んとも云へない快さを覚える。そして僕達をそんなにも苦しい試練に逢はないやうに優しく支持して下すつた貴女方の暖い手に深く感謝する。(MOTOI)
△〔…〕「ヘレン・ケラーと語りて想ふ」の丸山女史は、日本の真摯なる聾唖教育者で、この人にして始めて語り得るの好文字、読む者をして親しく聖女の容貌と人格とに接するの思ひを抱かせるものです。〔…〕(神山)
△〔…〕青春の微笑と悩みを描いて下さつた村山、宇野、井伏、丸岡四氏の短篇は皆様に幾多の共感と示唆を与へることでせう。桜並木の一本の桜は深い余韻を残して終局を告げました。〔…〕(栄)
 
・井伏鱒二「十円札」

主な執筆者
神近市子/吉田絃二郎/日夏耿之介/村山知義/宇野千代/堀口大学/河上徹太郎/島崎蓊助/吉屋信子/芹沢光治良/丹羽文雄/木々高太郎/中本たか子
 
 1937.7

井伏鱒二
「創作手帖」
 
『月刊文章』
昭和12年7月号
厚生閣  
《編輯後記》 ・一体現代日本文学の主流はどこにあるのだらう。主流なき文壇は低迷の一途を辿るのみだ。「現代文学の主流」なる特輯は、何等かこの問題に解答を与るであらう。
・此混乱せる世相に於て、文学は職業として諸君の目標となり得るかどうか、「職業としての文学」、「懐疑と苦悩の深化」、これ亦一の指標だ。
・それよりも現代文学青年は現在どんな段階にあるか、自己検討の伴侶として「現代文学青年論」は興味百%だ。
・「国民文学」の問題、「作家と批評家」の立場の相違、日本文化に独創性ありやの日本的なものへの最後の究明、「新しさ」の研究、何れも本誌今月のトピックだ。〔…〕(前本)
 
・井伏鱒二「創作手帖」

主な執筆者
青野季吉/岡邦雄/石原純/鶴田知也/豊島与志雄/新居格/春山行夫/深尾須磨子/大宅壮一/森山啓/伊藤整/片岡良一/細田民樹/波田野完治/徳永直/高見順/北村小松/板垣直子/田村泰次郎/伊馬鵜平/矢田津世子/岡田三郎
 
1937.9

井伏鱒二
「素性吟味」
 
『オール読物』
昭和12年9月号
文芸春秋社  
《編輯後記》 ○酷暑猛暑を克服する「怪奇とユーモア」特輯の九月号が愈々[いよいよ]出来、初秋に魁[さきがけ]けて、皆さんに一抹の涼風を、送ることゝ存じます。〔…〕
○一読爆笑! 北村小松氏の「犬と音楽」も亦、ナンセンス小説としての近来のヒットでせう。暫し非常時の緊張感も忘れるナンセンスの醍醐味です。〔…〕
○儀礼艦足柄で帰朝した徳川夢声を捉へて石黒の敬七旦那が訊く、珍談奇談の山。二大ユーモリストが交す虚々実々の舌戦の面白さ、腹の皮を捩らせないではおかないでせう。これも本誌の独占物です。〔…〕
○貯水池問題で話題の中心となつてゐる小河内を背景にしたモデル小説「沈み行く故郷」は作者の浜本浩氏が、親しく現地を視察して来て書かれたもの。作者の強い正義感を裏づけて、問題の核心に触れた大衆小説界の新しい試み、新ルポルタージュ文学です。
○文芸春秋の臨時増刊として「北支事変特輯号」(定価三〇銭)が八月十日に発売されます。御期待下さい。
・井伏鱒二「素性吟味」

主な執筆者
獅子文六/深田久弥/辰野九紫/北村小松/三角寛/徳川夢声/石黒敬七/松井翠声/浜本浩/海音寺潮五郎/野村胡堂/菊池寬/佐藤垢石/古賀忠道/宮田重雄
 
1937.10

井伏鱒二
「生活のルポルタァジュ」
 
『月刊文章』
昭和12年10月号
厚生閣 
《編輯後記》 ・御覧の通り本号より表紙を刷新して気分を一新すると同時に、内容に於ても幾多の改善を加へ、文章の持つ凡[あら]ゆる部門を網羅して一路躍進へのコースを開いた。
・単に文芸の入門誌たるに満足することなく、唯一の文章の専門誌として現代学生諸君の要望をも充たさんことに意を用ひた。御支持を得るであらうことを確信する。
・在来とても良き原稿であれば投稿を採用して来たが、今後は此の方面にも更に努力を払ふつもりである。一層の精進を希望したい。
・紙価日毎に暴騰し、大衆雑誌綜合雑誌ともに各々相次いで定価の値上げを発表しつゝあるが、本誌は発行部数の増大により、忽
[たちま]ちそのことを為すの要なく、盤石の基礎に立ちつゝある。〔…〕 
・井伏鱒二「生活のルポルタァジュ」

主な執筆者
岡邦雄/上司小剣/尾崎一雄/新居格/大宅壮一/須藤鐘一/丹羽文雄/春山行夫/塩田良平/伊藤整/鶴田知也/深尾須磨子/服部嘉香/伊馬鵜平/荒木巍/村山知義
  
1937.10

井伏鱒二
「緑陰の一景」
 
『四季』
昭和12年10月号
四季社 
《編輯後記》 〔…〕本号も三十号になりました。そしてこの機会に過去の仕事をふりかへつてみるのに、どうも最初に志したところの十分の一もなしとげてゐないのを思ふて慚愧に耐へません。しかし編輯部、同人、会員、読者等の和合協力が緊密に保たれてゐる現在、本誌の前途はなほ洋々たる将来をもつてゐるものといつていいでせう。過去に実現できなかつた仕事もなほ将来に追々と遂行してゆくつもりです。(三好)
 夏の果実は成熟した。爽涼の秋にこの成果を読者諸賢におくる。/この夏は、雑草のなかの家で短歌などを勉強して暮した。短歌本来の性格的魅力には屡々
[しばしば]感嘆した。そしてその都度我々のポエジーの上に思ひ及んだ。雑草や太陽と暮した夏は身内の色々のものもすくすくと成長して行くやうに思へた。秋涼と共にこれらのもとをととのへ、うんと仕事をしたいと思ふ。/しばらく翻訳の大作にいそがしかつた神保光太郎とも秋と共に又机をならべて編輯の仕事が出来ると思ひ、今から大いに意を強くしてゐる。(津村)
・井伏鱒二「緑陰の一景」

主な執筆者
室生犀星/大山定一/立原道造/津村信夫/阪本越郎/織田正信/中原中也/蔵原伸二郎/真壁仁/芳賀檀/田中冬二/田中克己/竹中郁/三好達治
 
1937.11

井伏鱒二
「辻野久憲」
 
『四季』
昭和12年11月号
四季社 
《編輯後記》 本号ははからずも辻野久憲君の追悼号となつた。哀しい限りである。/辻野君は何によりも先ず気質的に詩人であつた。或は哲人であつた。この国に稀[めず]らしい詩人思索家であつた。/痩身は久しく世の虚妄に対抗し、耐えへがたい現実の苦悩に耐へ、それは時に、友人の我々をしていたましい思ひをさせた。〔…〕
 秋ようやく深く、この稿を草するにあたつて、四季同人の間はまことに多事であつた。その一つは、多年四季の同人として熱心の執筆された詩人中原中也君の死である。中原君は湘南の病院で、十月二十二日の昧爽
[まいそう]亡くなられた。辻野君中原君の相次ぐ悲報は我々同人の心を如何に暗くしたことか。この稀有の詩人に就てはいづれ来月にも追悼号を出して憶ひを新しくしたいと考へる。
 今一つ、これは三好達治氏が従軍記者として、遠く戦地に向はれた事である。これは国家のため、兄の壮途を読者諸氏と共に心から喜びたいと考へる。/いづれ十一月中旬帰国された暁には、氏の豊富な現地の報告を聞くことが出来やう。〔…〕(津村信夫)
・井伏鱒二「辻野久憲」

主な執筆者
辻野久憲/小林珍雄/萩原朔太郎/伊藤整/神保光太郎/堀辰雄/保田与重郎/津村信夫/中原中也/田中克己/立原道造/宇野浩二/三好達治/芳賀檀/阪本越郎
 
1937.11

井伏鱒二
「槌ツァ」と「九郎治ツァン」は喧嘩して 私は用語について煩悶すること」
  
『若草』
昭和12年11月号
宝文館 
《編輯後記》 秋色深く、旅情しきりなるものがあるが、野を歩いても、峠に立つても、名月を仰いでも、虫の声に耳を欹[そばだ]てても、われわれの想ひの動く方向は、ただ、海を越えた彼方以外にはない。/空ゆく雲も、流れる秋風も、今や、嚠喨たる進軍ラッパの響に進行し、きらめく銀翼に乗つて天駈ける想ひがする。/人類初まつて以来の歴史は、戦ひの――あるひは闘ひの歴史であつた。/そして、何時の日も、この戦ひを越えて、歴史は前進する。/準戦時体制から、純戦時体制へ! /政治に経済に、戦時体制やうやく完備されんとし、国民精神自らも固くこれに律せられ、如何なる事態が到来するとも、断じて驚かないだけの準備を必要として来た。/北中南支に於けるわが戦局は、着々成果を収め、かの保定の大会戦すら、あの短時間に解決され、皇軍の進撃は、常識以上の新しい戦史を描きつゝある。/日本軍の勝利は、最早、僅か時間の問題でしかない。/が、たとへ当面の敵は支那であるにしろ、深刻・複雑な国際的雰囲気のなかで戦ひを決してゐる以上、国民は、戦勝の次に来るげきものを堅く自覚し、いささかの心の遅緩をも許されない。/国民精神総動員――とは、全国民の精神の全き組織である。と同時に、完全なるその実践である。/忍ぶべきものを忍び、耐ふべきものを耐へるのみならず、更に必要に応じては、忍ぶべからざるものをも、断じて耐へてゆくだけの決心こそ、この時局に処する国民の覚悟であらねばならない。/外国映画が見られなくなつたり、外国の書籍が入りにくくなつたりすることは、明らかに不幸ではあるが、これは、その序曲に過ぎない。/生活に於ける一切の享楽的空気を止揚すべきことは勿論であるが、必要に応じてはかかる文化的貧困をも、われわれは甘受しなければならない。/が、それは必ずしも、グルーミーな生活を意味しない。否、むしろわれわれは、退嬰的・消極的であつてはならないのである。/むしろこの貧困をして、来るべき新文化へのよきモメントたらしめねばならない。//「鍛へよ、銃後の秋!」である。/諸君の肉体的・精神的健康を祈つてやまない。(北村秀雄)  ・井伏鱒二「槌ツァ」と「九郎治ツァン」は喧嘩して 私は用語について煩悶すること」

主な執筆者
[目次前半欠]
鶴田知也/中谷孝雄/高見順/松田解子/尾上柴舟/佐佐木信綱/金子薫園/丹羽文雄/飯島正/中本たか子/上林暁
  
1937.11

井伏鱒二
「おとなしい百姓」
 
『婦人公論』
「若き未亡人の問題」号
昭和12年12月号
中央公論社
《編輯者より愛読者へ》 ○朝から小雨が蕭々[しょうしょう]と降り続けてゐます。十二月号を校了に仕終へて、この年をかへりみると感慨の切なるものがあります。何もかも一切を強い一つの形に統合して、飽くまで闘ひ進んでゆかねばならぬ民族の必然。さうした運命をもつて激しい暴風雨の中にある、祖国日本の姿がこれ程強く、これ程深く私達に印象される時は今後再び来ないのではありますまいか。民族の興隆の栄誉を担つて、来る日も来る日も若く逞しい兄弟達が擲弾[てきだん]に心臓を打ち抜かれ乍[なが]ら、母なる祖国の万歳を叫びつゝ倒れて行きました。枯草の上に横倒るその兄弟達の尊い血潮と屍の上に新日本の建設があるのです。嵐の中に一九三七年を送り輝く一九三八年を迎へるにあたつて私達は憶ひを新たにして、勇士の英霊に心からなる感謝を捧げるのです。○さうした私達に今後の問題として私達国民が心からなる同情で考へねばならぬものは、その命に代へて祖国の名誉を護つた戦傷者の方々の家庭のことではありますまいか。わけても若くしてその最愛の夫君を異郷の戦野に失はれた同情[ママ]の方々の今後の問題こそ国民の責任として考へねばならぬ問題であります。菊池さん河崎さんの「若き未亡人に寄す」は最も偉大なる国民の言として、心からその方々に捧げるものです。/敵前渡河の重大任務を守つて江南の野に壮烈なる戦死を遂げられた友田恭助氏、呉淞[ウースン]路上に華と散つた岩倉従軍画家、この二人の未亡人の手記こそ、私達の心魂に徹し、肺腑を衝く慟哭の書です。上海大捷の報に地下の恩人を偲ぶお二人の心こそ泪なくては読めぬ血の書です。〔…〕○来るべき新年号こそ新日本女性の最もよき伴侶たるべき理想の雑誌として諸姉の前に登場さすべく、今私達は必死の奮闘を続けてゐます。〔…〕(湯川生)   ・井伏鱒二「おとなしい百姓」

主な執筆者
秋田雨雀/嶋中雄作/菊池寬/河崎なつ/宮本百合子/山川菊栄/田村秋子/丸岡秀子/坪田譲治/野上弥生子/賀屋興宣/森山啓/宗慶齢/久野豊彦/北川冬彦/ジヤン・トルストイ/あらえびす/横山隆一/野村胡堂/長谷川村子/長谷川春子/芹沢光治良/阿部艶子/サトウ・ハチロー/清水崑/龍胆寺雄/大田洋子/林芙美・子/林房雄/里見弴/尾崎士郎/長田幹彦/川端康成
 
1938.1

井伏鱒二
「早春日記」
  
『文学界』
昭和13年1月号
文芸春秋社  
 《文学界後記》 〔…〕〇去年一杯は「文学界」は実によく文壇の論議や噂話の種になつたものである。それも昨今下火になつて見ると攻撃してゐた連中は自分が勝つた気でゐるだらうし、読者は元の木阿弥になつてゐるだらう。我々の抱負についても今更どれだけ実現されたなど顧て数へたてる気はしない。何故なら私は現代の文化的な仕事について二つの特性を信じてゐるからだ。その一は、雑誌といふものは丁度戦争のやうに、昔と違つて近頃はその中の個人が名乗りをあげて一騎打ちをするのでもなければ戦線を張つて対抗してゐるものでもなく、只集団的な澎湃[ほうはい]たる力を漲[みなぎ]らせるものであること。その二は、或る所に何人かによつて撒かれた文化的な種は植物学の原理によつてなるべく遠くのなるべく縁の遠い畑に生えたものが健全且有意義に育つといふ事情である。その意味で私は可なり愉[たの]しい展望が方々に開けてゐるのを認める。私はこの悠長な仕事をも少し続ける積りだ。
〇今月集つた原稿については別にいふこともない。文学に対する時勢の反映について色々忠告が行はれてゐるが、理屈でそれを割り出すよりも今月の創作欄や評論欄の筆者の心理に映された翳
[かげ]について見ればすべてが明瞭だ。何故なら文学の行はれる場は心理の場以外に絶対にないからだ。〔…〕(河上徹太郎)
・井伏鱒二「早春日記」

主な執筆者

林房雄/坂口安吾/石川淳/岡本かの子/間宮茂輔/深田久弥/北条民雄/青野季吉/舟橋聖一/小林秀雄/柴生田稔/山根銀次/東郷青児/中村光夫/佐藤信衛/中島健蔵/森山啓
 
1938.1

井伏鱒二
「去年の今日」
 
『三十日』
創刊号
昭和13年1月号
野田書房
  
《編輯後記》 戦捷の新年を御祝ひ申上げます。さて御覧の通り可愛らしい雑誌を始めました。これから、どうぞ末長く可愛がつてやつて戴きたう存じます。
 〔…〕何か、かう気の利いて、明るくて楽しい雑誌、香りの高い紅茶を飲み乍
[なが]ら、ちよつと手にとつて洒落た雑誌、肩の凝るものではなく、電車の中、人を待ち合はせる合間にでも手軽に読める雑誌、それで居て読み捨てるには余りに惜しい綺麗な雑誌――こんなものをやりたかつた。〔…〕
 一人一日一頁で御覧の通り三十日。今日は何曜日だつたかしら? と思つた時は、ちょつと頁を繰つて下されば、直ぐ分る。いやそれよりも目次を一眼見渡せば、もう立派なカレンダーが出来上つて居るんだから、楽しいぢやありませんか。〔…〕
 末筆乍ら創刊号に快よく玉稿を賜はつた諸先生方に厚く御礼申上げます。御好意以外に何ものもないこれら執筆家各位の御厚情は、たゞたゞ嬉しく御礼の言葉も御座いません。こゝに記して厚く御礼申上げます。(野田誠三)
 
・井伏鱒二「去年の今日」

主な執筆者
辰野隆/佐藤春夫/日夏耿之介/飯田蛇笏/山田珠樹/阪東三津五郎/金田一京助/戸川秋骨/田部重治/渡辺一夫/亀井勝一郎/福田清人/神西清/雅川滉/田辺茂一/丹羽文雄/中河与一/川端康成/吉江喬松
 
1938.1

井伏鱒二
「明窓浄机」
 
『若草』
昭和13年1月号
宝文館   
《編輯後記》 皇紀二千五百九十八年――を呼ぶ、新年特輯号である。/おめでたう!/如何なる年にも増して、わが国民は、力強く、晴れやかに叫ぶ。おめでたう!/歴史的に慌しい一年が終つて、今、われわれの前には、力強く、意義深い年が、開かれようとしてゐる。/勿論、総ては終つたのではない。/事変は、現に進行中であり、支那の無力と半植民地性とは、むしろ事変の将来を、益々、多岐・複雑ならしめ、一層の紛糾を予想せしめるものがある。/それだけに、まさに迎へようとしてゐる新しい年こそ、われわれにとつて、はるかに困難な年であらう――との感が深い。/だが、この困難も、わが国民には、すでに織込みずみであり、如何なる困難の前にも、驚かないだけの準備は、とつくに出来てゐる筈である。/古来、幾多の苦難の歴史は、すでにわが国民の、健康なる反発性を、雄弁に物語つてゐる。/まして、わが国は、今こそ世界歴史の晴れの舞台に立つてゐるのだ。然も、端役ではない。正真正銘の主役である。歴史的転換期の花形として、世界の全視聴をあつめつつあるのだ。/来るべき年が、如何なる困難を招来しようとも、あふるる勇気と自信とをもつて、断じてこれを克服してゆかなければならないのは、言ふまでもない。/使命重く、覚悟堅かるべき新春に魁けて今、輝く新年特輯号をおくる。〔…〕(北村秀雄)    ・井伏鱒二「明窓浄机」

主な執筆者
中河与一/丹羽文雄/戸返一/湯浅克衛/新庄嘉章/平林春夫/尾崎士郎/秋田雨雀/富沢有為男/窪川稲子/高見順/榊山潤/中野重治/岡麓/柳原白蓮/前田夕暮/若山喜志子/深尾須磨子/金子光晴/清水崑
   
1938.1

井伏鱒二
「車中所見」
 
『四季』
昭和13年1月号
四季社 
《編輯後記》 先日、立原君の詩集出版記念会があつて四季同人久方振りで一堂に会することを得た。三好丸山の両君も元気であるし、堀辰雄も当分の間は東京に居ることになるらしいから、今後これらの諸氏にうんと書いて頂くやうにしたいと考へてゐる。萩原先生は今月も御寄稿下さつた。心から感謝したい。
 昨年からたびたび寄稿して頂いてゐる植村敏夫のドイツの詩及詩人のヱツセヱは、非常に好評である。植村敏夫と僕は年来の友であり、僕も人ごとならず喜んでゐる。植村敏夫自身感受性の豊かな詩人であり、氏のすぐれた鑑賞力と相俟つてかならずやよきヱツセヱを物するだらうとは僕は確信を以て期待してゐたのである。ドイツ詩人中でも、あの美しい漂泊の魂、ヘルマン・ヘツセや、アイヘンドルフは氏の殊に熱愛するところのものである。「この頃、僕は水彩画の這入つたヘツセの詩集を読んでゐます」と最近の手紙のなかにもあつた。〔…〕(津村信夫)〔…〕
 
・井伏鱒二「車中所見」

主な執筆者
萩原朔太郎/馬場久治/植村敏夫/立原道造/真壁仁/阪本越郎/津村信夫/田中克己/神保光太郎
  
1938.2

井伏鱒二
「心の眼と文章の眼」
 
『月刊文章』
昭和13年2月号
厚生閣 
《編輯後記》 ・上段規定のやうに、今度原稿募集の範囲を拡大し且つ明瞭ならしめた。
・あくまで読者本位を本誌の編輯方針として来たが、飛躍する意味で誌面を一般に解放することにしたのだ。
・内容も次号からは此方針を徹底せしめ、文章理論と文章実践、並に文章指導記事を多く採り入れて、誌面を刷新する予定である。
・紙価暴騰の折柄、定価の値上は極力止める方針であつたが、誌面を稍々
[やや]拡大して、次号から二十五銭にする積りである。刮目して待たれたい。〔…〕
・井伏鱒二「心の眼と文章の眼」

主な執筆者
上司小剣/阿部知二/富沢有為男/中村武羅夫/新居格/井上友一郎/春山行夫/村山知義/高見順/塩田良平/片岡良一/服部嘉香/丹羽文雄
1938.3

井伏鱒二
「仏壇の話」
『月刊文章』
昭和13年3月号
厚生閣  
《編輯後記》 従来の方針を更に拡張して本誌も今月から文章雑誌として飛躍したつもりである。理論に、研究に、指導に、鑑賞に、今後の活躍を刮目して待たれたい。
・投稿も編輯部に山積の有さまで、これは喜びにたへないことである。なほ一層の精進を切望する。その内、更に範囲を拡げ短篇小説、俳句まで募集したいと考へてゐる。
・かくしてはじめて本誌が名実ともに読者諸君のものとなるのである。〔…〕
 
・井伏鱒二「仏壇の話」

主な執筆者
板垣直子/武田祐吉/中島健蔵/中村正常/坪田譲治/岡本かの子/深尾須磨子/福田清人/伊藤整/片岡良一/沖野岩三郎/伊馬鵜平

 
1938.3

井伏鱒二
「郷里風土記」
『文芸』
昭和13年3月号
改造社 
《編輯後記》 春も間近い。//これからは文学雑誌がいちばん面白くなる、と会ふ人ごとに言ふ。願はくはさうありたい。/文学は暴かず、また隠さぬ時代の鏡であつて見れば、文学雑誌が益々期待されるのも大いに理由のあることであらう。〔…〕//チエホフとゴオリキイが取交した手紙が、その取交した順序に従つて、往復いずれもをも併せて編輯され、あらたに発表された。美しい友情を物語るこれらの文学史的な手紙は、この二人の作家の愛読者が多いこの国でも大に喜ばれることと思ふ。/訳者は定評ある湯浅芳子氏である。〔…〕//ヒユウマニズムは当然亡ぶべく、また惜しみなく亡ぼさしめよ、「事実の世紀」こそ新しい思想の母胎だとする河上徹太郎氏の大胆な議論には聴くべきものがある。〔…〕//「フエノロサと日本」――エヅラ・バウンドが日本に手を差し伸べてきた。日本の詩人がらもこれに応へるところありたい。〔…〕//魯迅亡き日を病める愛子とともに悩む景宋の一文、敗戦支那を伝へるスメドレイの見聞、ともに得難い読みものである。  ・井伏鱒二「郷里風土記」

主な執筆者
岡本かの子/河上徹太郎/窪川鶴次郎/エヅラ・バウンド/阿部知二/河盛好藏/景宋/石田波郷/尾崎士郎/保田与重郎  
 
1938.4

井伏鱒二
「末法時論」
『中央公論』
昭和13年4月号
中央公論社 
《編輯後記》 〔…〕〇四月号は特別奉仕号として端的に本誌の微衷を表示したいと思つた。いろいろの意味でこれを最高の出来栄とは自負し得ないのであるが、応急に対処せねばならなかつた短期間の仕事として許して戴き度[た]い。
〇世界的な意義をもつ激変期のわが国政治も議会の最中だけに一層刮目せねばならぬこの際、蝋山、中野、馬場、内田の諸氏に徹底的な論評を煩はし、更に極東問題を繞る世界情勢と国際外交の動向の把握こそ、持久戦段階にある日支事変の今後の見透し上絶対的に必要であると信じ、『極東を繞る国際情勢』の集中的表現に努力した。〔…〕
〇創作は『面影」に続いて更に光彩赫耀たる荷風先生の佳篇を得、配するに井伏、北条二氏の力作を以つてした。北条民雄氏は弱冠独自の境地を拓いて不滅の地位を築いたが客年永逝し、本篇はその最後の大作である。前号の失を贖
[あがな]ひたいと思ふ。大方の清鑒[せいかん]を冀[ねが]ふ次第である。 
・井伏鱒二「末法時論」

主な執筆者
蝋山政道/馬場恒吾/木下半二/秋沢修二/清沢洌/三宅正太郎/内田百閒/安田徳太郎/正宗白鳥/菱山修三/清水幾太郎/伊藤正徳/村山知義/日夏耿之介/野上豊一郎/スターリン窪川鶴次郎/武林無想庵/松永安左衛門/永井荷風/北条民雄
 
1938.5

井伏鱒二
「孫」
 『新日本』
昭和13年5月号
(編輯所)
新日本文化の会
(発行所)
小山書店
《新日本後記》 ○新緑の気分爽やかな候となると同時に川端氏のお骨折で本誌の表紙も一変したのは何よりもよろこばしい。〔…〕この立派な表紙に対して内容もヒケ目のないやうに来月号からは全然新しい方針で編輯するプランが出来てゐる。今月はまだ従前の型から出てゐない。〔…〕
○今までの紙数ではどうしてもあまり断片的な記事ばかりになり勝だし、今までの定価は精一杯の勉強でこれ以上は一頁も増せないといふので定価を上げるらしい。われわれの本意ではない。それでもそのために広告でも行きわたるならこれ亦
[また]結構である。今までが安すぎたので、今の価が当然だといふ尤[もっと]もな申し分であるが。さて人間といふものはきのふの得によつて今日を考へ直す性質があるかどうか疑はしいものである。願はくば、我々の微力ながら熱心な仕事に同意を寄せられる読者の好意に甘える外はない。こんな後記はもう二度と書きたくない。今月後記を書く番に当つてゐた保田が旅行中で僕がいやな役まはりになつた。
○保田といへば来月早々、僕は文芸春秋から保田は本誌の特派員となつて二人づれで北支へ視察に出かける。約一ヶ月の予定である。僕はともかく、保田は立派な土産をしこたま持つて来るであらう。〔…〕(春夫)
・井伏鱒二「孫」

主な執筆者
中河与一/柳田國男/上司小剣/浅野晃/保田与重郎/中河与一/川路柳虹/田中克己/中勘助/前川佐美雄/佐佐木信綱/徳富蘇峰/白柳秀湖/佐藤春夫/林房雄/
 
1938.5

井伏鱒二
「蝙蝠」
 
 『新風土』
創刊号
昭和13年5月号
小山書店
(編集発行兼印刷人)
島崎蓊助
 
《後記》 後記を書き出したものゝ、机上には未だ鋏や紙の切れつぱしが散乱してゐる。/その雑然たる中で、正に五月十日午前三時二十五分――今日は印刷所へ割付を渡さなくてはならぬ。/戦争はいろいろな意味で新陳代謝を要求する。あへてその戦時下に於て、最も清く香り高い現代日本の宝を発掘して見たい。これが私共の不遜な、しかし純粋な野心であつた。/「当然あるべくして無かつたのが不思議な位ゐだ」とは髙村光太郎先生が私共を激励して下すつたお言葉であつた。/創刊に際し、未だ曽[かつ]てどの雑誌も企て得なかつた、最高の智囊[ちのう]を一堂に蒐[あつ]め得た欣美は、これも一重に私共の創意を諸家に御理解願へたからだと思つてゐる。/この頁を借りて、御執筆下すつた諸家の御好意に対して、深く御礼申し上げる。/すでに第二号の準備も着々と進んでゐる。永いわづらひの後、漸く御快癒された島崎藤村先生も次号からは御執筆される筈である。御期待を乞ふ。

《巻頭に》 今日ほどわれわれが民族的自省を要求される時代があらうか。二千数百年の殻を破つて既に分配の終つてしまつた世界へ進出せんとする時代に於て吾々は何よりも吾々自身に内在する実力を認識しなければならない。けだし外に伸びんとするためには内なるものを闡明[せんめい]にすることが必要なのである。〔…〕寔[まこと]に日本の特殊性は日本の風土から生れた。吾々が平穏な国民生活に安住したとき、問題はただそれだけでよかつた。波涛高き今の時代に直面しては、この風土的特殊性は更に世界的事業に値するまでに高揚されねばならない。与へられた風土の上に創造される風土「新風土」が必要なのである。
・井伏鱒二「蝙蝠」

主な執筆者
徳田秋声/柳田國男/石原純/安田靫彦/佐藤春夫/髙村光太郎/斎藤茂吉/朝倉文人/牧野富太郎/宇野浩二/戸川秋骨/室生犀星/里見弴/吉江喬松/上司小剣/大木惇夫/深田久弥/谷川徹三/大熊信行/間宮茂輔/岡本かの子/富本憲吉
 
 1938.6

井伏鱒二
「湯島風俗」
『サンデー毎日』
昭和13年6月10日号
大阪毎日新聞社 
《(ポケット噂話)「徳山璉」》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]ことは少々旧聞に属するが、ビクターの徳山璉が本社の皇軍慰問団の一員として、颯爽と渡支した留守中の涙ぐましい美談。人生の鴛鴦[おしどり]道中には少々薹[とう]が立つてはゐても、当人同士はいつに変らぬ若い気、結婚以来十何年間、未だにケンタイを露知らぬといふが、こんどのたびばかりは目的が目的だけに二人手を取つて行くわけには参りません、妾[わたし]は断乎として銃後を守りますと天晴れ泣きの場面を見せたが、さて背の君が現地で歌の戦士振りを発揮してゐる姿を夢に見て健やかな朝□[不鮮明、判読不能]を祈つてゐるうちに、つれなや病魔が愛児の一人を重患にしてしまつた。さァ、かうなると留守宅は侘しさの限り。第一もしものことがあつたら申訳がないとそこは女ごゝろの後やさき、一時はおろおろしたが、さすがに苦労のそこから徳山を今日までのし上げた賢夫人だけあつて、新聞社へもビクターへも、一切事情を洩らさないように心構へして、一生懸命看病に努めてゐたが、それとは知らず帰つて来た徳山、駅頭で愛妻の面窶[おもやつ]れに自分の疲れも忘れて、早速わけを聞けば「いゝえ、気のせゐョ」と帰宅して彼が旅装をとき、くつろぐまで何事も胸一つに秘めてゐたとか。 
井伏鱒二「湯島風俗」

主な執筆者
海音寺潮五郎/丹羽文雄/長谷川伸/小島政二郎/藤田嗣治/石黒敬七/松村梢風/吉川英治/小林一三/吉岡弥生/吉屋信子/大河内伝次郎/鮎川義介/辰巳柳太郎/菊池寬/浜本浩/尾崎士郎/宇野千代/獅子文六/一竜斎貞山/林芙美子
 1938.8

井伏鱒二
「『さざなみ軍記』の生れるまで」
 
『月刊文章』
昭和13年8月号
厚生閣 
《編輯後記》 ×雨・雨・雨……である。/×定価は上つたが読者は減るどころか、こゝのところ月刊文章は延びる一方、読者からの反響・投書の増加で編輯部は全くのテンテコ舞である。/×特輯銷夏の読物――題して新大衆作家夏の陣。何れもアスの大衆文芸を背負つて立つすぐりにすぐつた人々。編輯者の嘱を容れた各時代各様色とりどりの感触を(分量が月刊文章的に短くて甚だ申訳ないが)味つて頂きたい。〔…〕/×発表は突忽[とっこつ]だが、準備は数ヶ月以前から着々と進められてゐた臨時号『明治の文章 明治の文学』が愈々[いよいよ]旬日ならずして市場に出る。事変下の夏を期して本誌ならではの苦心の贈りものである。特に明治傑作小説短篇化の創意を掬[く]んで頂きたいとおもうふ。〔…〕 ・井伏鱒二「『さざなみ軍記』の生れるまで」

主な執筆者
本多顕彰/水原秋桜子/高見順/矢田津世子/百田宗治/内田百閒/石川達三/伊藤整/波田野完治/木村荘十
  
1938.9

井伏鱒二
「峠の茶屋」
 
『博浪沙』
昭和13年9月号
博浪社
(発売所)
東京堂
 
《京橋の窓》 〔…〕×芸術を国家的に認めて貰ひたいやうな、認めさせたいやうな言動がちよいちよい見えるやうである。あまり潔いことには思はれない。弾に当つてたふれる兵士には勲章あり恩金あり、我々にもと言ふのであつて見れば尚更いやになる。国家文化の死守がこの際断然必要である事には異存はないが、さりとて前後を見廻すやうな精神でその大業が出来やう筈はないではないか。国家文化の為酬[むく]はれざる無名戦士となる確信の下に、やらうではないか。目標如何は夫[それ]から先の問題だ。(Y)〔…〕
×博浪沙の編輯会は愉
[たの]しい。みんな元気で勝手な熱を上げてゐる。寄稿原稿がなくなつたら全部編集部で書いて了[しま]はうなどゝ大変な意気込みである。だが当分そんな心配はなささうだ。先月も今月も実に楽々と出来上つて、少々手持ち無沙汰な位である。などゝ言つたら罰が当らう。この暑いのに原稿を下すつた方々の御厚意が並大抵のものでないこと位は心得てゐる。だれずに段々いい雑誌にして行きたい。どうかいつまでも御後援をお願ひします。(K)  
井伏鱒二「峠の茶屋」

主な執筆者
柳田泉/坪田譲治/馬場孤蝶/河野通勢/浜本浩/大鹿卓/寺崎浩/徳川夢声/平山蘆江/田岡典夫
1938.9

井伏鱒二
「下駄と板草履」
 
『雄弁』
昭和13年9月号
大日本雄弁会講談社 
《編輯局より》 ◆…愈々[いよいよ]、長期戦体制下に突入しました。たとへ、漢口が落ち蒋政権が没落しても、戦ひは何年続くか分りません。こゝに、官民総立ちとなつて、国家総力戦が叫ばれ、経済戦が強調されるのもその為です。/◆…此際、日本国民たるものは、全力を傾けて国策の線に沿ひ、具[つぶ]さに内外の情勢を究めつゝ、自己の真使命に驀進[ばくしん]すべきであります。〔…〕/◆…平生錬磨の鋭鋒舌弾の活用を試むべきは今です。時局は英雄の出現を俟[ま]つことが急であります。切に山口県雄弁聯盟に於ける誌友諸君の、健闘と成功を祈ります。/◆…本号には、時局下日本の青年に捧ぐるものとして、最も完全に近い良記事のみを蒐[あつ]めた積りです。〔…〕/◆…此際に於ける本誌の使命は愈々重大です。幸に時代の波に乗つて到る所大評判です。発展又発展の勢いです。同人一同は、ぜひ共『雄弁身を興し家を興し国を興す』を、実現せしめたいと力んでゐます。〔…〕  ・井伏鱒二「下駄と板草履」

主な執筆者
永井柳太郎/荒木貞夫/清沢洌/松村梢風/サトウ・ハチロー/深田久弥/岡本かの子/矢田挿雲/木村毅/浅原六朗/獅子文六
  
 1938.9

井伏鱒二
「土用芽」
『大陸』
昭和13年9月号
改造社 
《編輯室だより》 〇新秋九月、「大陸」はこゝに第四号を迎へた。天地の涼気は澄み溢れ、我等の意気は愈々[いよいよ]沖天の如しと言はう。日ソ国境戦、漢口攻略戦等重大問題踵[きびす]を接し、「大陸」活躍の舞台は愈々大だ。本号は断然特別号とし、内容の一段の充実を図つた。〇国境東寧から上海まで、炎熱百三十度を超ゆる支那大陸を征服して、匪賊の襲来する津浦線を突破し、洪水と飢渇に苦みつゝ遂に上海に入つた山本社長の『大陸縦断記』は、日本人として恐らく最初の、記録的大旅行記である。事変下の支那の現実の姿はこの稀なる熱と気魄の産物の中に生動する。〇暗雲低迷の東部国境に遂に兵火が交へられた。全世界はこの事件に聳動[しょうどう]し、その推移は注視されて居る。『極東赤軍派果して起つか』は、本問題への最良の指針である。〇本号には、時節柄建設途上の満州国を語る現地の大座談会と、大阪財界人のみの時局座談会記事を掲載した。〔…〕〇事変二年、わが銃後の農村はどうしてゐるか、前川、和田、鈴木三氏の真摯な通信を見よ。〇『父としての近衛首相』は未だ何人によつても語られなかつた人間近衛の一面だ。〔…〕   ・井伏鱒二「土用芽」

主な執筆者
佐藤春夫/三好達治/辰野隆/山本実彦/林芙美子/武田麟太郎/北村小松/徳川夢声/パールバツク/高見順/尾崎秀実/小林一三/秋田実/鰐淵賢舟
 
 1938.10

井伏鱒二
「上山通信」
 
『文芸』
昭和13年10月号
改造社  
《編輯後記》 戦地と内地を繋ぐ一本の線に虹の如き光彩を放たしめよ。〔…〕//文芸雑誌は今や文化人の副読本として、より多方面にその触手を伸ばしていゝ時ではないかと思ふ。先づ創作欄の多彩と溌剌を目がけるは必然のことであらう。執筆の作家達との協力強力によつて今月の成功をかち得たことを喜びたい。〔…〕//漢口戦線行を前にして、片岡、林両氏の、文学者としての感懐を吐露せる二篇、なまなましき筆触である。〔…〕//漢口攻略を前にして、文化人の深く心をひそめるべき思想の問題がある筈だ。銃後の思想家の途を説いて、清水氏の堂々たる格調ある好論文を得たことは嬉しい。〔…〕//北支の偉材周作人の滋味溢るる心境を、山本氏の暢達[ちょうたつ]の筆によつて掬[きく]せられよ。示唆に富むエツセエである。〔…〕//今月の『通信文学」は、両者拾年来の旧友同志だ。井伏氏は富士の見える峠の上から、永井氏は復すに、旅先から帰つた土産話を――ともどもに溢れる滋味をもつてゐる。  ・井伏鱒二「上山通信」

主な執筆者
葉山嘉樹/芹沢光治良/今日出海/網野菊/阿部知二/清水幾太郎/伊藤整/窪川鶴次郎/片岡鉄兵/林芙美子/島木健作/丸山薫/鰐淵賢舟/福原麟太郎/中野好夫/永井龍男
 
1938.11

井伏鱒二
「九月十三日」
 
『文体』
創刊号
昭和13年11月号
スタイル社
(編輯者)
三好達治
(発行者)
宇野千代
 
《後記》 去年の暮だつたか今年の初頭だつたかその頃からかういふ小雑誌を発刊したい考へが熟し堀 井伏 神西等の友人諸君にも相談をして頂き種々考慮をめぐらしてゐるうちに小生が懶[なま]け者だつたせいばかりでもないが荏苒[じんぜん]と時を移して昭和十三年もいささか推詰らうとした時分になつて漸く茲[ここ]に創刊号を出す運[はこび]になつた。たいへん遅くなつたので創刊号のまだ出ない先にあの雑誌はもう廃刊――といふのはおかしいがもう出ないことになつたとか何とか縁起でもなく人の口の端にかかつてゐるとか甚だ恐縮至極である。とにかく本誌は月足らずで産れ出なかつたことだけは確かなやうである。この子供はまた立派に達者に成人するであらう。一見甚だ無能のやうに見かけられる小生が編輯の任に当つてゐるので怪訝[けげん]な顔で心配をして下さる方もすくなくないがそれは杞人の憂といふものである。先には小雑誌と自ら名乗つたがいづれ追々中雑誌となり大雑誌となつてさういふ諸君の御心配にお応へしたいと思つてゐる。雑誌の目的や抱負は手短かに述べられるものでもなしさういふ自己吹聴は小煩[こう]るさいからやめにするが、敏感な読者諸君には雑誌自身が二三号出るうちにともいはずこの創刊号一冊だけでも既に多くのことを申上げてくれるであらうと信ずる。多忙な中から玉稿を寄せて下さつた執筆家諸氏に厚くお礼を申上げる次第である。(三好達治)   ・井伏鱒二「九月十三日」

主な執筆者
谷川徹三/伊吹武彦/神西清/葦原英了/小林秀雄/北原武夫/堀辰雄/生島遼一/三好達治/宇野千代
 
1938.12

井伏鱒二
「私事二件」
 
『文体』
昭和13年12月号
スタイル社
(編輯者)
三好達治
(発行者)
宇野千代
 
《後記》 創刊号は評判が宜く、とても嬉しかつた。賛意、激励、感激のお手紙をたくさん貰つた。編輯者にとつてこんなに嬉しいことはない。この雑誌は始めから、大部数売れるものとは思つてゐないのだが、でも、一度手に取つて読んだことのある人は、きつといつまでも続けて読んでくれるだらうといふ、ひそかな期待は持つてゐた。それが、かういふ形で、創刊匆々[そうそう]現れたのだと思ふと、実に嬉しい。かういふ隠れた支持者によつて、本誌は、力強い発展を遂げるものと思ふ。
 この雑誌が出ることになり、そして出て見て、この程度のものでも、かういふ種類のものがどんなに渇望されてゐたかといふことを、実にはつきりと知ることが出来た。世の中の表面が、これと反対の現象を呈すれば呈するほど、そのために一層、渇望され、欲求され、新鮮な印象となる、そういふ種類の役目を幾分でも果してゐるといふことが、客観的な形で分つたのだ。このことは、編輯者に、どんなに勇気を与へ、自信を与へるか分らない。どうか、この上とも執筆諸家の協力と読者の支持とをお願ひしたいと思ふ。〔…〕(宇野千代) 
 
・井伏鱒二「私事二件」

主な執筆者
谷川徹三/清水幾多郎/阿部艶子/富本一枝/吉村正一郎/北原武夫/葦原英了/菱山修三/三好達治/堀辰雄(訳)/坂口安吾 
 
1938.12

井伏鱒二
「紙凧のうた」
 
『四季』
昭和13年12月号
四季社 
《編輯後記》 〔…〕四十三冊といへば、かうした種類の雑誌としては比較的長命のの部類に入るわけであらう。この間、「四季」は何をしたか。これは容易には言へないことであらう。ただ、日本の現代詩の或る高度の水準を終始守り通してきたとのひそかなる自負は抱いてゐる。これから何をするか。これも軽々とは言ひ得ない。ただ、この秋で、五十冊を重ねるこの雑誌は、自然の結果として何かはつきりしたものを表はしてくるのではあるまいかと予想される。
 「四季」が往年の「明星」初期のやうに、華かな外貌を持たないことは、今日の詩の性質そのものからくることは勿論であるし、尚、この雑誌の性質は、「明星」と異なつて、個人的色彩が少なく、又、文学運動的な統一性がないところに由来してゐると思ふ。併し乍
[なが]ら、今後は文学運動といはないまでも、現代の日本の詩の興隆のために意識的な色彩をもつともつと加味して行きたいと思つてゐる。〔…〕(神保)
・井伏鱒二「紙凧のうた」

主な執筆者
竹中郁/津村信夫/大山定一/田中克己/村上菊一郎/阪本越郎/真壁仁/蔵原伸二郎/芳賀檀/保田与重郎/山岸外史
  
1939.2

井伏鱒二
「多甚古村駐在記」
  
『改造』
昭和14年2月号
改造社
《編輯後記》 ○昭和十四年は、近衛―平沼内閣への政変にとつて明けた。政府は強化されたのだ。屠蘇[とそ]気分も何もあつたものでない、戦時日本の正月らしいではないか。今後我国の前途、益々多端多望なるを痛感し我等いよいよ緊張の念の深きを禁じ得ない。
○曩
[さき]に決定せる事変新段階に処する新方針といふ革袋に、新内閣といふ酒を盛つて、わが「大陸日本」は、一路、新らしき世界史創造に邁進せんとする。それは無論ソビエート的秩序には非ず、また、英米的秩序にあらず、実に世界史のいまだ経験せざる「歴史の秩序」に他ならぬのだ。
○この世界史の尖端を行く戦時日本は、それ自体これに照応する国内整備が必須である。久しく沈黙して、思ひをこれに沈潜して成れる佐佐木弘雄氏の新政治方法論の提唱こそ、全知識人の必読を得たい。ここに「政治の復興」がある!
○近来とみに油の乗り切つた本誌の論説欄は、本号も日本文化界を断然圧倒する。中野登美雄氏はじめ、服部英太郎、城戸幡太郎、務台理作、井藤半弥諸氏の論文は、それぞれ新鮮にして重厚、光彩陸離たるものあらん。〔…〕
○「麦と兵隊」に依つて、全日本を沸騰せしめた火野葦平氏が、広東より兵馬忽忙の余閑「東莞行」を再び本誌に寄す。一読、烈烈たる文章は躍動して、深き感動を戦陣の空に翔けらせずにはおかない。〔…〕
 
・井伏鱒二「多甚古村駐在記」

主な執筆者

城戸幡太郎/務台理作/浅野晃/山田耕筰/住井すゑ子/馬場恒吾/佐藤垢石/蒋介石/村松梢風/池田みち子/獅子文六/宮城道雄/山本実彦/小林秀雄/田坂具隆/木村荘八/大宅壮一/柳田国男/吉川英治/横光利一/徳永直/丹羽文雄/火野葦平
 
1939.2

井伏鱒二
「多甚古村(一)」
 
『文体』
昭和14年2月号
スタイル社
(編輯者)
三好達治
(発行者)
宇野千代
 
《後記》 本誌文体も、四号目に至つて漸く雑誌らしい体裁を具へてきたと同時に、「文体的」な顔つきも、どうやら一人前近く整ひかけて来たやうに思ふ。今になつて創刊号を手に取つてみると、よくあんなことで満足できたといふやうな気もするが、これがまた、号を重ねるにつれて次々に不満になつていくのかと思ふと、一層心強い気がするのである。
 といふやうなことは、まアどうでもよいととしてとにかく本号は、まづ創作特輯の四編を読んで頂きたいと思ふ。井伏、宇野両氏のことは云はでものことにしても、前々号の「閑山」で異色ある力量を示した坂口安吾氏の本誌での第二作と、新鋭太宰治氏の独自な好短篇とは特に今日のやうな時代には、芸術の復権としても貴重な一主張を成してゐることを疑はぬ。太宰氏のは、本号の分のみでも一篇を成してゐることは勿論であるが、次号にその続編を頂ける筈である。〔…〕(編集部) 
 
・井伏鱒二「多甚古村(一)」

主な執筆者
谷川徹三/河盛好藏/清水幾太郎/葦原英了/北原武夫/古谷綱正/窪川稲子/丸岡明/神西清/太宰治(「富嶽百景」)/坂口安吾/宇野千代
 
1939.3

井伏鱒二
「多甚古村(二)」
 
『文体』
昭和14年3月号
スタイル社
(編輯者)
三好達治
(発行者)
宇野千代
 
《後記》 前号の「小説特輯号」は各方面の好評を博したが、本号も御覧の通りの充実した内容である。ただ何分にも頁数の狭少のため、折角頂戴した諸家の玉稿の割り振りがつかず、詩、小説、翻訳の数多くを組み置きのまま次号に廻さざるを得なかつたことを、諸家並に読者諸賢にお詫びしなければならない。御諒承を得たいと思ふ。〔…〕
太宰治氏の「富嶽百景」は本号を以て完結するが、豊かな情感を独自のスタイルに包んだ一家の作風は、新進田畑修一郎氏の好短篇と共に、正に新風掬
[きく]すべきものと信ずる。井伏鱒二氏の「多甚古村」は、愈々[いよいよ]佳境に入つた。〔…〕
 本誌十二月号所載坂口安吾氏の小説「閑山」は、芥川賞の有力な候補に上つたが、氏の「紫大納言」に次ぐ第三作も、やがて近く本誌創作欄を飾る筈である。小説とのみは云はず、評論に訳業に、益々「文体的」など独自のエコールを、徐々に確立したいと思ふ次第である。(編集部)
・井伏鱒二「多甚古村(二)」

主な執筆者
井上究一郎/上林暁/北原武夫/ポール・ヴァレリー(河盛好藏訳)/R・M・リルケ(大山定一訳)/中里恒子/阿部艶子/太宰治(「続、富嶽百景」)
 
1939.3

井伏鱒二
「土佐」
 
『博浪沙』
昭和14年3月号
博浪社
(発売所)
東京堂、他
  
《木の芽和》 ×まだまだと思つてゐる中にもう春だ。〔…〕――秋から冬へかけての七号の間に確[しっ]かり土の間に根を張つた博浪沙は、陽春と共に将に発芽開花の時季を迎へたのである。最も困難な冬籠りの間を慈しみ守り育てて下さつた諸先輩並に寄稿者各位に改めて感謝の辞を呈すると共に更に今後の御指導御後援をお願ひ致します。(K)〔…〕
×谷崎源氏の大売行を慶賀する。広告のし振りがもう少し着実だともつと慶賀する。(行々子)〔…〕
×これからもちよいちよい機会を捉へて読者と親近をはかりたいと思ふ。小人数の茶話会もよければピクニツクもよい。読者が十人以上連絡をとれる地方は支局を設けてもよい。支局の活動で講演会開催など目ろまれるのだつたら本社に於ても極力協力して気勢を挙げやう。(S)
 
・井伏鱒二「土佐」

主な執筆者
阿部知二/杉山平助/中山義秀/真杉静枝/坪田譲治/横山美智子/田辺茂一/田岡典夫/田中貢太郎/網野菊/添田知道
 
1939.4

井伏鱒二
「多甚古村の人々」
 
『文学界』
昭和14年4月号
文芸春秋社 
《文学界後記》 ○岡本かの子さんが亡くなられた。どうも何とも御気の毒な事になつて了[しま]つたと思ふばかりで巧な哀悼の辞なぞ凡[およ]そ見付からぬ気持である。
○岡本さんに会うのは、実に苦が手であつた。あの長話しが僕には閉口なのであつた。社に電話が掛かつて来た時なぞ、受話器を手にして地団駄踏んだものである。とうとう捉
[つか]まつて、噴水の様に迸[ほとば]しる話を聞き乍[なが]ら、呆れたり、感服したり、ともかく、僕の知つてゐる女流作家のうちで、何か非凡なものを持つてゐるのは、この人だけだと思ふのであつたが、その非凡なものが、漸く小説に現れ始めたと思ふ間もなく、亡くなられて了つた事は、いかにも残念な事である。〔…〕
○去年満州に立つて以来、亡くなるまで、一ぺんもお目にかゝらなかつた。これは、或る事情による、僕の頑固さと我が儘からであつたが、こんな事にならうとは思はなかつた。しまつた事をしたと思ふが、もうどうする事も出来ぬ。
○今月号をこの恩人の絶筆で飾らねばならぬ様になつた事、まことに悲しい事である。(小林秀雄)
・井伏鱒二「多甚古村の人々」

主な執筆者
岡本かの子/太宰治(「女生徒」)/立野信之/林房雄/三木清/保田与重郎/小林秀雄/亀井勝一郎/河上徹太郎/中島健蔵/川端康成/与謝野晶子/武田麟太郎/サント・ヴゥヴ(小林秀雄訳)/ヴァレリイ(吉田健一訳)/
 深田久弥/今日出海/舟橋聖一
1939.4

井伏鱒二
「多甚古村風俗記」
 
『マツダ新報』
昭和14年4月号
東京電気株式会社 
《アトガキ》 ×十年前の思ひ出に心牽[ひ]かれて、或る村を訪れた男がある。村の入り口の峠から、十年前とは大分変つた村の景色―香りと彩り―を味はつてゐるたが、遂に村には足を踏み入れずに、又来た道をそのまゝ戻つて行つた。
×その村での思ひ出は一生忘れることが出来ないものではあるが、しかし決して誇らかな思ひ出ではなかつたのであらう。その思ひ出が美しいものであつたら、清らかなものであつたら、村の変化が如何
[どう]あらうとも、足を踏み入れずに立ち去ることは出来なかつたであらう。現在は将来の思ひ出になる。立派な現在を送りたい、と考へる。〔…〕
×皇軍果敢の進軍譜が報ぜられて居る。春四月花の便りもよそに、専念東洋平和確立へ邁進される皇軍将士の万難辛苦を心から感謝すると共に、吾等の職場に一層堅忍持久すべきことを改めて考へなければならないと思ふ。 
・井伏鱒二「多甚古村風俗記」

主な執筆者
松浦二郎/千葉茂太郎/牧野雄一/関重広/水原秋桜子
 
1939.5

井伏鱒二
「入国記」
 
『博浪沙』
昭和14年5月号
博浪社
(発売所)
東京堂、他
 
《帆傘船》 ×〔…〕四月十七日。伊野から帰ると、そのまゝ、佐々木、田林の二人を高知駅から満州へと送り出した。それから桟橋へ行くと、田中先生が大ぜいの見送り人に囲まれて、盛んに気炎を上げてゐられる。埠頭の小店でビールの杯を上げた勢で浦戸丸に先生を積み込む。/このとき一天、俄におどろおどろしくなつたので先生と一緒に帰京するはずの榊田、、怖気をふるつて明日の汽車に予定変更。これは決して臆病なるに非ず。胸に思ひあたる節々あるなればなるべし。〔…〕
×尚ほ十六日には高知高等学校の文芸部主催の座談会があつて、榊田、井伏が出席した。〔…〕(近々亭)〔…〕
×女だてらに勇敢なのは佐々木さん、満州ならともかく、支那まで行くのにそんなヒラヒラした和服ぢやア危いぞ危いぞと散々に脅かされ乍
[なが]らも、なアに大丈夫ですともと連れの田林夫人と共に敢然として飛行機で海を飛んだ。
×来月の誌上には彼女の珍旅行記が颯爽と躍り出るであらう。楽しみでもあるが、むしろこわい。今から警戒してゐないと博浪沙一党あふられること必定。(U) 
 
・井伏鱒二「入国記」

主な執筆者
小川未明/沖野岩三郎/下村海南/堀内敬三/大田洋子/平松幹夫/田中貢太郎/榊山潤/佐々木克子/田林琴子/田岡典夫
 
1939.6

井伏鱒二
「甲斐路」
 
 『新風土』
昭和14年6月号
小山書店
(編集発行兼印刷人)
小山久二郎 
《編輯後記》 生誕一周年を迎へ、本紙の成長に目をみはつていたゞきたい。こゝまで来るに何よりも力になつたのはいふまでもなく読者諸氏の絶えざる熱意であつたが、私達の苦労も少くはなかつた。/本号からこゝに見ていたゞくやうな形で本誌を充実させて行きたいと希[ねが]つてゐる。益々将来を期待していたゞきたいと思ふ。編輯陣も拡大強化された。編輯方針も確定した。これからは驀進[ばくしん]の一途あるのみである。〔…〕(M)〔…〕
 〔…〕グラヴイア頁にかくなみなみならぬ注意と努力を払つたとは云へ、従来の新風土の長所を捨ててなるものかと云ふ意気込みのほどは、アート頁に於ける井伏鱒二、寺崎浩、岸田日出刀、武者小路実篤、窪川稲子、水沢澄、中勘助の諸氏の顔触れによつて知れよう。〔…〕
 
・井伏鱒二「甲斐路」

主な執筆者
寺崎浩/岸田日出刀/武者小路実篤/窪川稲子/水沢澄/中勘助/土門拳/尾崎一雄/津村秀夫/宇野浩二
 
1939.7

井伏鱒二
「大空の鷲」
『文芸春秋』
昭和14年7月号
文芸春秋社  
《編輯後記》 〇「事変第三年」を特輯。小島精一氏は純戦時経済体制の確立されたる過程を検討その将来を展望し、北京・大平進一氏よりは、「事変第三年の北支建設」の現地報告を得、諸家また、事変第三年に直面する我々国民の生活に鋭き批判の短信を寄せられた。味読すべきものがある。〔…〕〇対欧新方策決定に当り、欧米の政治、経済的現状を再認識するために座談会を開いた。我々は新方策を如何に理解しなければならぬか。独伊軍事同盟成立と英蘇協定の行き悩みの現状は何を我々に訓[おし]へるか。前原光雄氏は、「防共協定より軍事同盟へ」の題下に、軍事同盟の国際法学的解明をされた。我々を示唆する所頗[すこぶ]る多いものがある。
〇現在ほど、政治的関心の要求されてゐる時代はないと思はれてはれる時代に、国民は政治への無関心を示してゐる。これは誰の罪か。宮沢俊義氏はこの現実を憂ふ。凡
[あら]ゆるものが政治の下に統制されてゆく現在、国民に政治を見直すべきことを勧告する。〔…〕  
・井伏鱒二「大空の鷲」

主な執筆者
長谷川如是閑/宮沢俊義/上司小剣/小島精一/北原白秋/飯田蛇笏/牧野伸顕/新居格/正宗白鳥/久米正雄/菊池寬/片岡鉄兵/窪川稲子/横光利一
 
1939.7

井伏鱒二
「多甚古村駐在記」
 
『文学界』
昭和14年7月号
文芸春秋社 
《文学界後記》 河上が後記を久しぶりで怠けたいといふので。/僕は今度「ドストエフスキイの生活」を本にして、うれしいのでその事を書く。彼の伝記をこの雑誌に連載しはじめたのがは昭和十年の一月からだ。それは二年ばかりで終つたが、その後、あつちを弄[いじ]りこつちを弄り、このデツサンにこれから先きどういふ色を塗らうかなぞと、呑気に考へてゐるうちに本にするのが延び延びになつて了[しま]つた。ゆつくり構へたから本になつても別に、あそこはあゝ書くべきだつたといふ様な事も思はない。勿論自慢もしないが謙遜もしない。/久しい間、ドストエフスキイは、僕の殆ど唯一の思想の淵源であるた。恐らくは僕はこれを汲み尽さない。汲んでゐるのではなく、掘つてゐるのだから。/この次には「ドストエフスキイの文学」といふ本を書かうと思つてゐるが、いつになるか、わからない。どういふものになるかもわからない。わからないから書くのだ。それが書くといふ奇妙な仕事の極意である。/ドストエフスキイといふ人間はどういふ人物であつたかを簡単に知りたい読者は、僕の本に失望するだらうと思ふ。僕は解説を書いたのではなく、デツサンを描いたのだから。色はついてゐないが、生きた形は描いた積りだ。X線は当てなかつたのである。/だが、やつぱり多くの読者は、懐疑派の書いた本だといふだらう。併し、懐疑のうちだけに真の自由がある。という非常に難しい真理を教へてくれたのは彼だつたのだ。僕はそれを感謝してゐる。これを他人に巧く解かせる事については、ずい分いろいろ諦めてゐる。(小林秀雄)  ・井伏鱒二「多甚古村駐在記」

主な執筆者
耕治人/外村繁/岡本かの子/林房雄/伊藤信吉/中島健蔵/浅野晃/T・S・エリオツト/桑原武夫/暉峻康隆/吉田健一/今日出海/長与善郎/阿部知二/渡辺一夫/中村光夫/亀井勝一郎/小林秀雄
 
1939.10

井伏鱒二
「日向高千穂」
 
『文学界』
昭和14年10月号
文芸春秋社 
《文学界後記》 〇第六回池谷賞は、同人選考の結果「呉淞[ウースン]クリーク」の作者日比野士郎氏に決定した。あの人はもう綜合雑誌にも書いたし、文壇にも出た人だから、今更賞にも当るまい、といふ風な考へ方が、矢張今の所否定し難い文壇常識だが、然し我々には文学賞は結局作品に与へるものであつて、必ずしも作家に与へるものではないといふ気持が、評価の根底に存在するのだと思ふ。つまり選考に文学論としての批評精神が可なりの程度まで働いてゐると見てくれていゝ。して見ると「呉淞クリーク」が、火野氏のものとは別に、新鮮なインテリ戦争文学として新風を樹てゝゐることは争はれないのである。だから賞の発表の中で、小説「呉淞クリーク」の作者としてあつて、小説集「呉淞クリーク」の作者となつてゐないのも、此の作品の中にある「文学性」を特に認めてゐることを示すのに外ならず、他意ないのである。〇〔…〕いゝ小説を書けばいゝ小説家なのだ。此の事実を何よりも先にもつとハツキリ認めなくてははらない。例へば、日々野氏まら、あの激戦の場面のハツキリしたものゝ見方と、その表現。あすこに文学の総べてがあるのだ。それが帰還して来てさしあたり潰しが利かうが利くまいが、そんなことは大したことぢやない。〔…〕〇時勢は此の十日間の間に、独ソ協定から内閣総辞職、英仏の開戦と、鮮かに三段跳びをやつてしまつた。然し数日後に此の雑誌が読者に見える頃には、又状勢は一段と変つてゐるに違いない。(河上徹太郎) ・井伏鱒二「日向高千穂」

主な執筆者
深田久弥/舟橋聖一/芹沢光治良/松田解子/岡本かの子/林房雄/小林秀雄/亀井勝一郎/阿部知二/中島健蔵/今日出海/藤沢桓夫/青野季吉/島木健作/ヴアレリイ/岸田国士/河上徹太郎
 
1939.10

井伏鱒二
「故郷に寄す」
 
『知性』
昭和14年10月号
河出書房
《編輯後記》 *全欧州に渦巻く戦雲の熱気と東亜情勢の新しい階梯への展開と云ふめまぐるしい時局推移の裡に十月号を送る。*我々は今こそ、一切を沈着な思惟対象として考へ究めなければなるまい。〔…〕
*欧州問題、国内問題について、様々な憶説の妖怪が横行してゐる。だがわれわれの希求するものは今更斯
[かか]る種類のバラエテイではなく、豊富な情報による適確なる見とほしである。こゝに動乱の帰趨、国内問題、各国の動向、特にアメリカの動きについて芦田、鈴木、津久井の俊英の動員を乞うた。*スポツト・ライトをあべて大きく浮び上つたポーランドの文学的地図についてのピスコール氏の記述も興味多い。*本号は「道徳的現実の反省」の課題下で、森戸、中島、清水、石原、木村、中島六氏の特輯を掲げた意義を強調しなければならぬ。大きな転換期に真に応へ得るもの、そして自らの創意を充全に果しうるもの、その基底には自ら省みてゆるがぬ道義的基準がなくてはならぬ。刻下一切の問題の取上げ方は我々の足素にあるのだ。〔…〕 
・井伏鱒二「故郷に寄す」

主な執筆者
森戸辰男/清水幾太郎/中島健蔵/石原純/三木清/船山信一/鈴木東民/芦田均/髙村光太郎/桑木厳翼/尾上菊五郎/伊藤整/船山信一/辰野隆/青野季吉/小野十三郎
 
1939.10

井伏鱒二
「深更」
『博浪沙』
昭和14年10月号
博浪社
(発売所)
東京堂、他
 
《秋刀魚焼く》 ×大雑誌もみんなやつてゐることだのに、博浪沙ではいつも頂いた玉篇に就いて殊更吹聴も自慢も並べたことがない。これは決して玉篇をないがしろにしたものでもなく読者に不親切を極めたつもりでもない。「そんなことは云はなくてもわかつてゐるだらう」といふ気持ちです。ひそかな自慢です。/さて本号は御常連の快篇と共に十一氏の新しい御執筆者を得ました。キマリ文句ながら御厚情を謝し上げ、此の後の御高援を重ねてお願ひする次第であります。
×再挙通巻十五号となり、どうやら博浪沙も格好がついて来ました。何しろズボラな博浪沙一党の仕事だからとタカをくゝつた高見の見物衆もそろそろ見直して来て呉れたやうです。至る処で此の小雑誌が愛されてゐるやうな風報にしきりに接するのは愉快です。それにつけても大いに勉めなくてはならんと思ふのですが、然しなんといつても、御寄稿各位は快く御支援を下されるし、同人もそれぞれ手馴れて来たし、何やらホツとする気持ちです。それにどうやらもう一と息で赤字の報も克服出来さうなところまで漕ぎついてゐるやうです。〔…〕(添田)
 
・井伏鱒二「深更」

主な執筆者
森田草平/坪田譲治/大鹿卓/中島健蔵/中里恒子/石浜金作/丹羽文雄/芹沢光治良/山本周五郎/田中貢太郎/田岡典夫
 
1939.10

井伏鱒二
「青島」
 『新風土』
昭和14年10月号
小山書店
(編集発行兼印刷人)
小山久二郎 
《編輯後記》 〔…〕 Y「ぢやあ、そこへ、もう一つ言ひ添へますがね、本当を云ふと、この観察にもう一つの複雑性が加はらうとしたのですけれども、残念にも、僕の軽挙の為に、逸してしまつたのです。それは、蟷螂がむさぼり食つてゐる最中に、一匹の大きな蝿取り蜘蛛が、やつて来たんです。それが、この蟷螂の小さいのを見くびつたのか、横合ひから、獲物をねらつて近寄つて来たのです。両者で暫く睨み合ひました。形成は面白くなつて来ました。然し、残念なことに、僕の持つてゐるレンズが、この睨み合ひの両者を、一緒に収めるに足る程大きくないのです。これが不可[いけ]なかつた。蟷螂は、ギヨツとしたやうに、その三角の不気味な坊主頭を、こちらへ向けるし、蝿取り蜘蛛は、一跳躍して、忽ち姿を消してしまひました。それで、呆つ気なく危機解消、残念でした。」/ み「正にヨーロツパ動乱みたいぢやあありませんか。ダンチツヒやポーランド回廊は、ドイツにとつてさしづめ蝿の頭ですかね。さう云へばヒトラーは左ぎつちよみたいな気がしてゐましたよ。(?)ところでね。我々の編輯だつてこれは勿論闘争や戦争ぢやあありませんが、その蟷螂問題やヨーロツパ問題に似てゐやあしませんか。」/ Y「さうですね。何を先に食ふか、と云ふ問題ですね。兼ね兼ね、抱いてゐた編輯プランを、早く出さうか、それとも、暫く納つておかうか、などと思案したりするのは、子供が、箸をつける際の迷ふのに、似てゐますね。」〔…〕 ・井伏鱒二「青島」

主な執筆者
志賀直哉/滝井孝作/坪田譲治/尾崎士郎/中川一政/岡田三郎/上泉秀信/中村地平/上林暁/土門拳
 
 1939.10

井伏鱒二
「村娘有閑」
『週刊朝日』
昭和14年10月25日号
大阪朝日新聞社 
[該当頁欠損、未見]  ・井伏鱒二「村娘有閑」

主な執筆者
北村小松/木々高太郎/深田久弥/林語堂/坪田譲治/土師清二/細田源吉/富沢有為男/立野信之/城昌幸/子母沢寬/佐藤垢石/朝倉文夫
 
1940.1

井伏鱒二
「十二月一日」
『文学界』
昭和15年1月号
文芸春秋社  
《文学界後記》 ○文学界解散論といふ林の爆弾動議は、此の一と月の間色々な風に同人の内外に反響を齎[もたら]した。中には、文学界はもう解散したさうですよ、とわざわざ私に教へて呉れる親切な人もあつた位だ。○いつもさうだが、林房雄の言葉は、彼自身にとつて非常に実践的な確信から出たものなのだが、私にはそれがいつも豊富なイメーヂを伴つた理想論に聞えるのだ。(彼の小説の私に対る魅力も、畢竟[ひっきょう]之と同じである。)私は彼の解散説を、一々首肯しつゝ味はつた。しかも、そのために文学界が解散するといふことは、どうしても実感を以て浮んで来なかつた。○理由は簡単だ。林の解散論は要するに、第一線に活躍する文壇は今底をついてゐるといふことに対する警告である。だから、若し、そのために文学界が解散したら、結局文学界は十字架を背負はぬ基督の役を演ずるだけのことである。○とに角、お蔭で本号の同人雑記は当夜の同人会に列席した各自の印象で埋つてゐるので、私は今こゝで繰返す必要もなくなつた。それに、各自の言説の間に、私が調停注釈をする必要のあるものは、何もないのである。喜ばしいことは、雑誌のために空しい忠誠を誓つた言葉が一つもないことだ。換言すれば、各自が夫々自発的な必要から、此の雑誌を支持してゐることである。〔…〕(河上徹太郎)  ・井伏鱒二「十二月一日」

主な執筆者
外村繁/小山祐士/舟橋聖一/林房雄/青野季吉/保田与重郎/渡辺一夫/エリオツト/今日出海/中島健蔵/中野好夫/神保光太郎/伊藤信吉/横光利一/石田波郷/阿部知二/森山啓/河上徹太郎
 
1940.1

井伏鱒二
「ウヰズルさん」
『中央公論』
昭和15年1月号
中央公論社 
《編輯後記》 〇謹んで後記二千六百年の新春を迎へる。聖戦正に四ヶ年、かの欧州大戦が四ヶ年を以つて終結したことを思へば、犠牲に於いてその比に非ずと雖[いえど]も、今次支那事変が如何に重大難事たるかを更めて痛感する。厳寒の征野に我等の生命線を維持する将兵諸士の艱難労苦に対して衷心の感謝を捧げる。〇世界はますます紛糾する。拡大する欧州動乱は中立国の単なる不介入を許さない。事変処理は如何に実行すべきか。未曾有の難局に堪へる国民生活はどうなる。百三億の膨大なる事変予算を前にして、皇紀二千六百年の大祝典は徒らな饗宴であつてはならぬ。纏綿[てんめん]たる歴史と伝統を顧みるとき、我らはかかる難局に直面して新たなる決意と勇気を強ひられるのみ。〇聡明なる政治家が要望される。物資と武力が動員される。今日は政治と実行の時代だ。だが東亜永遠の平和を建設するものは単なる武力でもなければ政治でもない。彼等を後衛し前導する文化力が更めて検討評価さるべき必要はないか。二千六百年の伝統を誇る日本文化を検討し、文化の力を強調し、科学大衆化の意義を以つて巻頭を飾る所以である。〔…〕〇新中央政権が三民主義を如何に展開するかは我等の重大関心事だ。宮沢俊義氏は孫文主義を明晰に分析し、三民主義は共産主義に在非ざることを闡明[せんめい]した。石浜知行氏は蒋政権の経済工作を分析し、現下の食糧問題に答へて東畑精一氏、世界平和再組織論を提げて古垣鉄郎氏、何れも粒よりの力篇ばかりだ。〔…〕〇〔…〕その他広津氏の力作、井伏氏の飄逸、武者小路氏の好篇、みな自身をもつて推す佳篇である。  ・井伏鱒二「ウヰズルさん」

主な執筆者
小倉金之助/古垣鉄郎/宮沢俊義/東畑精一/三木清/馬場恒吾/久原房之助/天野貞祐/佐藤垢石/内山完造/平沼騏一郎/安部能成/大森義太郎/島崎藤村/山本実彦/杉山平助/斎藤茂吉/小林秀雄/石坂洋次郎/北原白秋/広津和郎/武者小路実篤/島木健作
 
1940.1

井伏鱒二
「歯痛の日」
『文芸』
昭和15年1月号
改造社 
《編輯後記》 〔…〕*新年早々泣言でもあるまいが、紙の統制が愈々[いよいよ]具体的な問題として身近に迫つて来たので弱つてゐる。今後は文字通り一頁のスペースも軽率には編輯出来ない感じだ。慎重の上にも慎重を期さなければならない。/さうかと言つて、野心的な企画が全部封じ込まれるやうでは尚困るが。〔…〕/*野上豊一郎教授とともに、一ヶ年半に亘つて欧州各地を視察された野上弥生子氏がUボートの出没する大西洋を渡つて帰朝された。お知り合ひの片山、宮本両氏に集つて頂き、豊富な土産話を伺つた。作家の眼を通して見た欧州の風物は、興味津々たるものがある。/*上田広氏が戦地から帰還されたので、広津、保高の両氏と、戦争及び戦争文学を中心にして座談して貰つた。文学に対して示唆する所多いと思ふ。〔…〕/*最後に寄稿家の方々にお願ひ――電力統制その他の事情によつて、従来の〆切日では到底間に合ひかねますので今後は右の事情よろしく御諒承願ひます。 ・井伏鱒二「歯痛の日」

主な執筆者
横光利一/林房雄/豊島与志雄/辰野隆/川端康成/林芙美子/上林暁/宮本百合子/伊藤整/保高徳蔵/伊藤永之介/高見順/阿部知二/髙村光太郎/神保光太郎/片山敏彦/日比野士朗/中野好夫/森山啓/河上徹太郎/青野季吉
 
1940.3

井伏鱒二
「朝鮮の久遠寺」
『新潮』
昭和15年3月号
新潮社 
《記者便り》 ▼月々、雑誌を編輯してゐると、今月はなかなかよく出来たとおもふときもあれば、何かしら、物足りなくおもふこともある。それは編輯生活を長くしてゐればゐるほど、はつきりわかるのである。もちろん編輯者は、すこしでも充実したものたらしめたいとはおもひながら、たとへば、執筆依頼の原稿が、締切間際になつて、どかどかと破られてしまふやうな立場におかれると、プランどほりにゆくとおもつてゐた安心が、足もとから、ぐらぐらと崩されてしまふのである。〔…〕それでは、かねがね、多くの原稿を依頼しておけばいいやうなものの、やはり月々発行の雑誌とあれば、成るべくならば、新しい問題をとらへて、それについて論じてもらひたくもなる、……といふやうなしだいで雑誌の出来栄えも、その時々によつて多少の相違がある。たまには、かういふ編輯者の愚痴もきいて頂く。同時に、記者も、努力してこの上とも、いい雑誌をつくりたいとおもつてゐる。
▼それはさておき、本号には皇紀二千六百年奉祝芸能祭脚本たる、長田秀雄氏の「大仏開眼」五幕十一場、二百三十枚の長篇戯曲を掲載することの出来たのはうれしかつた。〔…〕
▼座談会は「文学の諸問題」といふ題目で、文芸界の現実に即して、その傾向、動向について、縦横に論議した。近来まれにみる問題を数々ふくんだ記録である。
 
・井伏鱒二「朝鮮の久遠寺」

主な執筆者
深田久弥/太宰治(「無趣味」)/岡田三郎/新居格/窪川鶴次郎/中村武羅夫/木村毅/中山義秀/丸山薫/片岡良一/菱山修三/高橋新吉/川端茅舎/飯島正/尾崎士郎/長田秀雄/北原武夫
 
1940.4

井伏鱒二
「掛け持ち」
『文芸春秋』
昭和15年4月号
文芸春秋社  
《編輯後記》 〔…〕〇どんなに遠慮した表現を用ひて見ても、現在の世の中が渾沌としてゐる事は誰もが認める事実であるし、この状勢を収拾するものはよき「政治家」の出現以外に方策はないといふ事も全国民の承知してゐる処だが、さうした事実とは無関係に、あひ変らずの議会では百五億予算が通過し、代議士は政党の分裂騒ぎに憂身を窶[やつ]してゐる始末だ。「良識」に力なく、政治家に人なし。
〇事変処理の問題にせよ、その他国内の諸問題にせよ、突詰めた論議の出来る時期に達してゐないと云ふ事が、著しく評論家の気勢を殺
[そ]ぐ結果となるのは残念なことで稍々[やや]もすれば同工異曲の評論で頁を埋める事になるのは、編輯部として実に申訳ないと思ふ。国民精神の低調を指摘する声が近来高まつて来たが、その一因は確かにこんな処にもあると思はれる。〔…〕 
・井伏鱒二「掛け持ち」

主な執筆者細迫兼光/安部能成/石原純/宮田重雄/舟橋聖一/牧野伸顕/新村出/藤原銀次郎/谷口吉郎/菊池寬/林房雄/榊山潤/横光利一
 
1940.4

井伏鱒二
「へんろう宿」
『オール読物』
昭和15年4月号
文芸春秋社 
《編輯後記》 〇建国二千六百年紀元の佳節に当り、畏くも天皇陛下には、優渥なる詔書を渙発あらせられ、全国民にその嚮[むか]ふべき大道を明示し給ひました。真に恐懼感激に堪へない次第であります。我々はこの有難き聖勅を拝して惶懼の情に咽ぶと共に、深く時局の重大なる意義を認識して、神武天皇御創業の昔を偲び、八紘一宇の肇国[ちょうこく]の精神を体して、百艱を克服、益々国威の宣揚に努めなければなりません。
〇扨
[さ]オール読物は、寄稿家諸氏の御協力と愛読者各位の御後援によつて、茲[ここ]に目出度く創刊第十年を迎へました。我々はこの喜びを皆様と頒[わか]ちまた平素の御厚誼に報ひるべく、本号を創刊十周年記念と□□[ふめい]万難を排して御覧の如き画期的大編輯を敢行しました。当代一流の大家が、競つてこの記念号の企てに参加され、得意の麗筆を揮つて会心の力作を寄せられたことは、洵[まこと]に空前の壮観と申すよりほか言葉もない程であります。
・井伏鱒二「へんろう宿」

主な執筆者
菊池寬/吉川英治/大佛次郎/長谷川伸/川口松太郎/火野葦平/子母沢寬/石川達三/丹羽文雄/海音寺潮五郎/徳川夢声/獅子文六/三角寛/野村胡堂/堤千代/里見弴/久米正雄/久保田万太郎/横光利一
 
1940.4

井伏鱒二
「オコマさん(四)」
 
『少女の友』
昭和15年4月号
実業之日本社 
《編輯後記》 編輯同人の粕谷君が三月〇日入営致しました。せつかく一年間親しんで来たのに、かねて期してはゐたとはいへ、遠く去り、別れてしまつたのは、寂しいことです。森田君、粕谷君とこれで二人の入営者、少女の友の為に誇らしく存じます。今の入営者は平和の時代と違つて、時としては戦場に命をさらすことだつてあることを考へると、私達を代表して御国の楯となつた二人の若き友に心からの敬意と感謝を捧げず捧げずにはゐられません。/どうぞ貴女方も、朔北寒風激しい地に軍務に服する二人の同人に心からなる声援を送つて下さい。/二人の友のはげしい毎日を想ふと、遊ぶに似た自分達の生活を、ほんとに申しわけなく想ふのです。/怠ける心に鞭うつて、更に一層よき「友」をつくることにより、二人の友に恥ぢないやうにしようと思ひました。別れの日粕谷君と固く手を握り交して再び見ること遠いその面輪[おもわ]をなつかしく眺めて、君健かなれと心に祈つたのです。(MOTOI) ・井伏鱒二「オコマさん(四)」

主な執筆者
中原淳一/林芙美子/吉屋信子/西條八十/室生犀星/中里恒子/芹沢光治良/山本周五郎/木々高太郎/村岡花子/石原純/野上彰
 
 1940.5

井伏鱒二
「父親としての気持」
『婦人公論』
昭和15年5月号
中央公論社 
《編輯後記》 最近あるところから私はこんな質問をうけました。それは、婦人雑誌はこれでいいか? 〔…〕婦人雑誌には知的な要素が足りない、青年期から壮年期に入つた女性の頭脳は消極的で発展性が欠けてくる、それに順応して雑誌が編輯されるので十年一日の如きマンネリズムに堕する。今の婦人雑誌には昔のやうな覇気がない。〔…〕この中でも甚だしく同感のものもあり、又大変な見当違ひの不満、女性生活の現実を知らない意見もあります。いはば本当の意味での文化的開花期にあるといへる今日の婦人界ほどその知的高低の差異の激しい時代はないのではありますまいか。知的要素の欠乏といひますが、今日の或る種の婦人雑誌――私の処の雑誌などもその中の尤[ゆう]なるものと信じてゐますが――の内容は第一級の綜合評論雑誌に較べても、決して本質的な意味では劣つてゐるとは考へられません。平明な表現で説かれてゐるといふことは、その説かれてゐる思想を普遍的に知らす一つの必要な技術であつて内容の低さでないことは勿論です。青、壮年期の自覚ある女性が意志的にぐんぐん思想と技術とを学びとつてゐる熱意も無気力な男性インテリより遥かに強く高いものがあります。日本の文化の正統を伝へるものは綜合雑誌から次第に婦人雑誌に移りつつあるのではあるまいか。さういつた意見を洩らす評論家にもよく逢ひます。或る種の雑誌にマンネリズムと売らんかなの俗悪が支配してゐることは、婦人読者大衆の数と層が広大すぎそして甚だしく未開拓な状態で放置されてゐたことの表れにしか過ぎません。よき国民文化は女性文化から生れると信じられます。よき子はよき母から生れると等しく。〔…〕(龍造) ・井伏鱒二「父親としての気持」

主な執筆者
吉田絃二郎/森田草平/柳田国男/中村汀女/杉村楚人冠/林芙美子/青野季吉/河上徹太郎/谷川徹三/山川菊栄/渡辺一夫/網野菊/豊田正子/河崎なつ/野村胡堂/小島政二郎/清沢洌/サトウ・ハチロー/野上弥生子/武者小路実篤/阿部知二/島木健作/芹沢光治良/川端康成
 
 1940.5

井伏鱒二
「痛恨痛惜事」
『三田文学』
水上瀧太郎追悼号
昭和15年5月号
三田文学会  
《編輯後記》 ▽思ひがけない水上瀧太郎先生の急逝に遭つた。一時、われわれは何をどうしていゝか判らない心持であつた。世の人々が何といはうと、先生が「三田文学」の人々に垂れられた恩義は宏大無辺のものであつた。それだけに、われわれはそんな心持になつたのである。先生に対するわれわれの態度について、いろいろの事をいふ人がゐる。が、そのどれもに対して今更ら一つ一つ抗弁しようとは思はない。彼等は要するに何も知らないのだ。われわれは、持つと、先生に対して、なすべき事をしなければならなかつた。深い恩義と温い庇護に対しては、言葉や文字では酬いる事は出来ないのだ、今「追悼号」を刊行するに当つて、それらの人々に一読を得て、先生とわれわれとの関係を知つてもらひたいのである。
▽本号は、何をいふにも先生の全く予期しない御他界であつたため、その編輯プランも準備も全きを期し得なかつたのは心残りであつた。時日があつたら、もつと、先生の大きい存在を正しくお伝へ出来たらうし、執筆して戴く方々の範囲も広くなり得たのであつたが、四十九日までに公刊したいと考へたためにいろいろの不備も忍ばねばならなかつた。〔…〕(和木清三郎)
・井伏鱒二「痛恨痛惜事」

主な執筆者
小林一三/高橋誠一郎/島崎藤村/横光利一/与謝野晶子/久保田万太郎/小島政二郎/石坂洋次郎/北原武夫/奥野信太郎/田辺茂一/柴田錬三郎/蔵原伸二郎/勝本清一郎
 
1940.6

井伏鱒二
「オコマさん(六)」
 
『少女の友』
昭和15年6月号
実業之日本社 
《編輯後記》 僕達は月末になると、編輯の最後の仕上の為、印刷所へ参ります。銀座にある社とは変つて山の手の此の印刷所は、窓から青い樹々や季節々々のいろいろな草花が見えるのです。来る度毎に木々の色が変り、名も知らない美しい花が咲いてゐるのです。一月前は黒い土しかなかつたところに桜草に似た可愛い芝花や、常夏や、その外、筆花の様な野花に似た花が可憐に彩つてゐるのを見ると、思ひがけなかつた驚きに、喜びを感じるのです。自分たちが間に合ふとか間に合はないとか、紙が足りるとか足りないとか、随分散文的な事柄に血眼になつてゐる時、その窓の下に、自然の大きな息づきを感じさせるやうなかうした花々の花びらの一つ一つの美しさを見るごとに、自分たちが自然の与へた生命を随分いぢめてゐるのだなあと、つくづく感じるのです。そしてかうした自然の作り物を見るごとにそんなに自分の生命をいぢめないで、もすこしすこやかに大事にしたいものだと思ふのでした。(MOTOI)  ・井伏鱒二「オコマさん(六)」

主な執筆者
村野四郎/中原淳一/吉屋信子/川端康成/長谷川時雨/村上元三/間宮茂輔/村岡花子/石原純/小堀杏奴
  
 1940.9

井伏鱒二
「(嫌な奴・好きな人)」
 『婦人公論』
昭和15年9月号
中央公論社
《編輯後記》 一日一日が真に重大なる歴史の連鎖であること今日の如きはないでありませう。〔…〕米内内閣が退陣したのは僅[わずか]に二十日と経たないこの間のことです。しかもそれは遥かな昔の出来事の様な気さへいたします。〔…〕この度の米内内閣から近衛内閣への移行は在来の政変観でこれを見ようとする人には到底理解出来ない形で行はれ、その内閣のもつ使命もまた嘗[かつ]てなき重大な意義をもつてゐました。国家組織の画期的飛躍を意味する近衛内閣は出づべきものが出でたといふ形で成立し、〔…〕この指導者たちと共に国民は国運打開の途を火の如く協力突進する以外に道のない絶対面にたつてゐるのです。内閣は大東亜共栄圏の確立を先づ宣言しました。このことの達成の為には如何に容易ならぬ実力と覚悟を必要とするかは諸姉は勿論、充分に自覚してゐられることでありませう。〔…〕米国と如何なることがあらうとも知れぬ。英国と――この後記を書いてゐる今、邦人の逮捕問題を契機として日英関係は現実に発火前夜の緊張のうちにあります――来るものすべてを倒し、来るものすべてに勝たねばならぬ吾々として、どんな言葉の形容をも許さぬ緊張した覚悟が必要なのです。諸姉には充分の覚悟が出来てゐますか。諸姉に充分な認識がありますか。〔…〕今月はこの新体制の問題を特輯しました。〔…〕(龍造) ・井伏鱒二「(嫌な奴・好きな人)」

主な執筆者
末川博/五島美代子/星野立子/藤田徳太郎/壺井栄/髙村光太郎/河上徹太郎/谷川徹三/山川菊栄/今井邦子/高橋誠一郎/豊田正子/安井曾太郎/藤田嗣治/野上弥生子/小島政二郎/野村胡堂/武者小路実篤/阿部知二/林芙美子/島木健作/堀辰雄
 
1940.10

井伏鱒二
「童話『ドリトル先生』物語」
 
『文学界』
昭和15年10月号
文芸春秋社   
《文学界後記》 〇新体制の懸声に応じて、右文化部門に自主的綜合の気運が動きを見せてゐる。文壇でもそれに呼応した企画が現れる時は、恐らく目睫[もくしょう]に迫つてゐるのであらう。機は熟し、人々の覚悟は極つてゐて、たゞきつかけ(、、、、)乃至主唱者を待つてゐるやうな状態である。
〇要するに此の問題は、現実の条件は既に先に立つて出来てゐて、こちらがそれに適応するか否かゞ残されてゐるだけだ。然し、だからといつて全然消極的に、便宜的に、先方から規定されるのを待つといふ訳のものでもない。国民良識の在り所を示す術が文学であるならば、新体制と文学は原理を共にする筈だ。文学する心の中にある此の本能を尊重すること、そしてそれに勇気と誇りを持つこと、それは何度説いても説き足りない現下の緊急事である。社自粛とは、そのもの本来の機能に純粋になることである。
〇かういふ時期にいけない風潮の一つは、たゞ作品の傾向や天才を今日の文壇的落伍者の如く顧みないことである。しかもそれが何故いけないかといへば、さうする態度の中には、人のことだと思つて(、、、、、、、、、)する気持があるからである。何故ならそこには結局天に唾
[つばき]するものの自己否定が含まれてゐるからだ。それは文学の如く、個人的に見えて実は一時代の共通の精神の所産である仕事にひそむ重要な秘密である。
〇次にいけない風潮は、自ら十分な覚悟なくして、企画さへあれば自分も乗るんだけどといふ顔である。それは結局自分のことを棚にあげ、自ら責任を回避した表情だからだ。「かういふ時に何故文芸家協会は立たんか」などいふ。尤
[とっと]もだ。然し協会とは君達のものではないか。かういふ問題はたとへ君に企画指導の才がなくてもいゝ。動かうといふ能動性があれば、機構は必ずついて来る。最後に新体制がついて来て君に便乗する。新体制とはさういふものなのだ。(河上徹太郎)
・井伏鱒二「童話『ドリトル先生』物語」

主な執筆者
阿部知二/岩倉政治/阿部艶子/深田久弥/中山義秀/舟橋聖一/青野季吉/萩原朔太郎/西村孝次/中島健蔵/中村光夫/暉峻康隆/林房雄/今日出海/河上徹太郎
  
  1940.11

井伏鱒二
「俗化」
  
『現代文学』
昭和15年11月号
(編輯所)
現代文学編輯事務処
(発行所)
大観堂
  
《編輯後記》 〇先月号は素人の不慣れな編輯で、その出来栄えもいかがかと不安であつたが、意外にも各本面から好評と激励の言葉をいただくことが出来た。編輯者の一人として、こんなうれしいことはない。寄稿家諸彦[しょげん]の御厚情と読者諸氏の御支援によるものと、ここに感謝の意を表する次第である。〔…〕
〇今日ほど汎
[あら]ゆる領域に於る新しき世代の育成が問題になつてゐる時期もすくないと思ふ。文学界に於ては芥川賞、文芸推薦などによつて早くから新人優遇の道が展かれてゐる。そして今月は池田源吾氏の「運・不運」が文芸推薦となつた。しかし、はたして「運・不運」が時代の文学たる芽生えを孕んでゐるかどうかは、若干の疑問なきを得ない。これは何も池田氏の作品にケチをつけようためではなく、時代の文学形成が懸つて私どもにある、その共同責務に於てこれでいいのかと憂ひたいのである。現在のざはめきたつてゐるかにみえる一部の文壇事情などを超えて、遥かなる思ひをこらし、私どもは新文学の意味と真実をまもり、育てたいと思ふ。〔…〕 
・井伏鱒二「俗化」

主な執筆者
青野季吉/坂口安吾/川崎長太郎/上田広/中川尾良夫/赤木俊/野口冨士男/宮内寒弥/永瀬清子/杉山英樹/大井広介/奥田瞭
 
1940.11

井伏鱒二
「郷土大概記」
 
『文学界』
昭和15年11月号
文芸春秋社 
《文学界後記》 〇時局に直面しての文学の立場を見るに、一方では事変で赤裸にされた世人の心の純粋さを率直に受け容れやうとしつゝあると共に、他の一方では文学の非効率性と因循性とのために、再び一種の純文学の危機を招きつゝあると見られていゝ。
  〔…〕昨今新体制に呼応して色々と文学者の会合が設けられてゐるが、何かさういふものに出ないとバスに乗り遅れるやうな気持で、仕事はおつぽり出して結局議論倒れと会合疲れに終ることは、それこそ大変な文学の危機である。
〇純文学者はも一度文学では食へない覚悟に立還るべきだ。その揚句文学で食へることが実証される。純文学はさしあたり社会に役に立たないことを認めるべきだ。その揚句大に世道人心に貢献出来るやうな文学が生れるのだ。
〇そして一方選ばれた少数の文学者が、自分の仕事を犠牲にして実質的に乗出し、文学並に文化一般の適正な位置づけのために働くべきだ。勿論文学者並に文化人一般の公認と援助の下にである。さういふ合理的な組織に結集しない限り、文学者が個人並に少数の特殊団体でかけ廻つたり、或は顔触れに漏れることは厭だし他人のために時間を割くことは厭だみたいな会合を催してゐては駄目である。/かういふ際だ、文学一般のために一ト肌脱がうといふ人はゐる。然し他の文学者のために一ト肌脱ぐ覚悟がなくては、真の国士的役割は果せない。文壇は未だ個人主義の延長の上で動いてゐる。
〇紀元二千六百年を称へるため、同人の文学的能力を総動員して、「日本を讃へる」特輯を企てたい。〔…〕(河上徹太郎)
 
・井伏鱒二「郷土大概記」
・同人座談会「文学と新体制」
(河上、林、舟橋、亀井、中村、中山、井伏、深田、青野、中島)

主な執筆者
今日出海/中島健蔵/芳賀檀/三好達治/青野季吉/小林秀雄/石川達三/上田広/亀井勝一郎/芹沢光治良/林房雄/阿部知二/舟橋聖一/中山義秀/河上徹太郎
 1940.12

井伏鱒二
「郷土大概記(二)」
 
『文学界』
昭和15年12月号
文芸春秋社  
《後記》 〇岸田さんが翼賛会の文化部長になつたことは、何を措いても我々文壇人が挙[こぞ]つて心強い気持になれた所の、最近の快事である。〔…〕氏の職掌である文化部では、例へば鉄やガソリンがわが国で逼迫してゐるといつて、その一塊一滴を補ふことすら出来ない筈だ。しかもそれでいて、ともすれば政治の八つ当りの対象になる文化面を代表してこれに積極的な表現を与えへねばならないといふことは、大変な役割である。しかも氏は敢然立つた。今や現代日本の文化部長には、何が可能であるか、といふ認識論的な命題が、氏を取囲むわれわれ文学者に与へられた緊急な課題である。
〇〔…〕氏を助けるには一種の転身が必要である。此の転身の中には、文学の文化的優位性や、私小説・本格小説論や、文学の歴史性・社会性などに関する、既に我々が幾度か文壇で論じた問題の、決定的な実践理論が含まれてゐる。しかもそれは同時に、現下の時局に処して従来通り創作活動を続ける所の、すべての文学者にとつても心得る必要のある理論である。
〇新体制に呼応して、文学者の会合が色々出来る。中には成立事情に絡んで摩擦があるやうに見える向がなくもないが、然し今までの観念でいへば呉越同舟の会の席上で非常に顕著に感じることは、お互に出来るだけ広い見地に立つて、相手の「純文学する心」を認め合はうといふ精神だ。これが一概にいゝか悪いかいへないが、とにかくこれからの文学を導く方向はこゝから生れるであらうし、又国民文学といふやうな概念も、こんな所から生れるのかも知れない。(河上徹太郎)
 
・井伏鱒二「郷土大概記(二)」

主な執筆者
岸田国士/芳賀檀/浅野晃/小林秀雄/保田与重郎/中山義秀/島木健作/河上徹太郎/中島健蔵/阿部知二/深田久弥/三好達治/青野季吉/林房雄/三好達治/神保光太郎/田中克己/蔵原伸二郎/伊藤静雄/阪本越郎/前川左美雄/河盛好藏/高見順/舟橋聖一
 
1941.1

井伏鱒二
「郷土大概記(三)」
 
『文学界』
昭和16年1月号
文芸春秋社 
《文学界後記》 〇多事多端の二千六百年も暮れて、こゝに新しい世紀の第一年の新年号を世に贈る。/とはいへ、本誌の例として別に正月号らしいサーヴイスも編輯上では出来なかつた。蓋[けだ]し、新体制の動きは翼賛運動となつて秋以来着々進んでゐるし、それと並んで本誌の編輯プランも、目だたない乍[なが]ら、一二ヶ月前から自ら出来た一つの方針の下に着々動きつゝあるので、今更盆も正月もない訳なのである。
〇新体制運動の進行と共に、確かに文芸雑誌の役目は変つた。以前は文壇といふ自主的な社会の機構に対して之に追随する機関誌であつたが、その後次第に文壇を漸層的に改組して之を文化的に位置づけするのを任務とするに至つた。然しそれが完成されないうち更に現在では変つて、文学そのものを解体して之を一国のの文化面に浸透せしめて、そこに文学の存在理由を確かめるといつた使命を帯びるに至つた。これは政治に於ける文化の使命が検討再認されるやうになつて来た時節柄、必然のことである。
〇或る文芸雑誌の如きはいちはやくさういふ傾向に対して反応を示して来た。あれはあれでいゝと思ふ。然し本誌の如き雑誌は、執筆者の内在的な力といつたものに頼るべきものである故に、矢張独自なゆき方があると思ふ。しかも現在は、人為的な強制は抜きにしても、眼前の光景の印象の強烈さに幻惑されて、此の内在的な力が当人にも掴み難い時代である。さういふ操作に役立つために、本誌並に我々編輯者の責任は大きいのである。
〇長らく本誌の編輯をやつてゐた内田克己君が、此度翼賛会岸田文化部長の希望で、同氏の所に働くことになつた。地味ではあつたが本誌のための内田君の功績は、野々上、式場両君の名と共に忘れられない。〔…〕(河上徹太郎)
 
・井伏鱒二「郷土大概記(三)」

主な執筆者
今日出海/三木清/保田与重郎/亀井勝一郎/芳賀檀/小林秀雄/林房雄/中島健蔵/北原武夫/阿部知二/三好達治/青野季吉/川端康成/太宰治(「東京八景」)/田畑修一郎/日比野士朗/舟橋聖一
 
1941.1

井伏鱒二
「小間物屋」
 
『中央公論』
昭和16年1月号
中央公論社 
《巻頭言》「新しき心構」[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]記念すべき紀元二千六百年は去つて、新しい年が来る。時の悠久なるを思ひ、我が民族の悠久なるを想ふ。悠久なる時は現在から現在へ動いてゆき、悠久なる民族もまた現在から現在へ動いてゆく。我々は新しき心構をもつて新しい年を迎へねばならぬ。
 新しき心構とは何か。この国は国民全部で背負つてゐるのだといふ自覚である。これは自明の事実だが、自明であるために却
[かえ]つて忘れられ易い。この事実を強く自覚する所から国民の新しき心構が出て来る。その自覚から国民各自に、自分の行動に対する自信と共に責任感が生れてくる。銘々が日本の国を背負つて立つ一人だと思へば、信念のない追随はできないわけであり、無責任な傍観も許されない筈である。
 たとへば自分だけが愛国者であるかの如く称して他を排斥する者は、天下を私
[わたくし]するものと言ひ得る。この国は総ての国民によつて愛せられることを欲し、事実、総ての国民がこれを愛してゐるのである。愛国を口にするもせざるも、国を思ひ国を憂ふる心に二つはない。天下を私するかの如き所謂愛国者は、日本の国を背負つてゐるのは国民全体だといふことに想ひ到らざるものである。真の愛国者にはこの自覚に立つ新しき心構がなければならぬ。 
・井伏鱒二「小間物屋」

主な執筆者
東畑精一/宮沢俊義/木村禧八郎/具島兼三郎/岩渕辰雄/鈴木安蔵/高浜虚子/徳冨猪一郎/島木健作/野上豊一郎/村松梢風/髙村光太郎/金子光晴/志賀直哉/清水幾太郎/徳田秋声/里見弴/野上弥生子/横光利一/石坂洋次郎/武田麟太郎/久保田万太郎
 
 1941.2

井伏鱒二
「黒い表紙の日記帳」
 
『改造』
昭和16年2月号
改造社 
《編輯後記》 ◇緊迫せる内外諸情勢に対応して真に時艱[じかん]の淵因を訊[ただ]し、低迷せる世局をして一転溌剌たる創造の営為にまで矯[た]め、高めんことは、刻下の急務である。新世紀第一年の光輝ある年をして、民族飛躍の記念すべき年たらしめんには、為政者たると被治者たるとを問はず、一億一心の協力が最も要請される。政に信なくんば国滅ぶ。近き例をフランスに看よ。廟堂にありて国政を掌るものは、民意の帰趨を究めて、単に勢力均衡の上に政局を安定せしむるの怯愚[きょうぐ]を捨てて、責任ある政道を確立すべきであり、国民また小我を去つて大道につき、思ひを百年の後に致して真乎日本の建設を竭[けっ]すべきである。〔…〕
◇わが憲法学の権威佐々木惣一博士の立論は、邦家政治の方式に、抱懐される学的蘊蓄
[うんちく]を傾け、愛国の至情を尽された見解の披瀝である。大政翼賛会の健全なる生長発展を衷心希望される博士の誠意を汲まれ、本誌前号の黒田、宮沢両教授の論文と共に一読されんことを。
◇生命流動の哲学を確立したアンリ・ベルグソン寂しく逝く。彼の唱道したベルグソニスムは汎
[あまね]く全世界の知識人にその感化を及ぼしたが、彼を育み、彼の哲学を生んだ祖国は破れつひえた。回想する三木清氏のヱツセイは、ヴィシイの人々を語る井上勇氏の最近ニユウスを籠めたルポルタアジユと共に興味深い。〔…〕
◇創作欄は、川端康成氏の流麗なる短篇「冬の事」をはじめとし、精進の跡を示す井伏、立野、矢田の三氏に、久しぶりに葉山嘉樹氏の力作を得た。〔…〕
 
・井伏鱒二「黒い表紙の日記帳」

主な執筆者
佐々木惣一/玉虫文一/鈴木安蔵/岩渕辰雄/久原房之助/吉田絃二郎/西川正身/サトウ・ハチロー/山口青邨/浦松佐美太郎/阿部信行/木村毅/小栗忠太郎/木村荘八/山本実彦/森田草平/里見屯/三木清/窪田空穂/富安風生/山口誓子/川端康成/矢田津世子/立野信之/葉山嘉樹
 
 1941.2

井伏鱒二
「青苔の庭(第二回)」
 
『新女苑』
昭和16年2月号
実業之日本社
《編輯後記》 ×「私達の問題」を読んで感じたことは、この苦難の時代に対して誰もがその各々の立場から積極的に協力しようとする意欲に燃えてゐることであつた。数多い投書のうち、不平や愚痴を並べたり為政者や指導者に対して、徒らなあら探しや揚足取りをしてゐるものは、完全に唯の一人もなかつた。これを新聞などの投書と比較してみると実に対蹠[たいせき]的な相違である。本誌の読者のかかる健全な傾向が、全部本誌の力によつて齎[もたら]されたものとは言はぬが、その幾分の力にはなつてゐると信じてもよいのであらう。
×対談会「若い女性の教養」は大政翼賛会文化部副部長の菅井氏と、同じく生活指導部副部長の岩塚氏とが指導的な立場から、今後の女性の教養について腹蔵のない意見、見解を述べられたものであり、「新聞陣の観た時代相社会相」は、社会の木鐸たる新聞人が直接身で体験した諸々の世相を語る興味深いものです。〔…〕
×「若い女性はかく考へる」は一般女性の読書、国民服、隣組、稽古事について普く意見感想を収集したものであり、「新しい隣組への試案」は若い女性が隣組に参画するうへに於て非常に参考になると思ひます。〔…〕
×評論には、兎角論議の的になる短歌について岡野氏を煩はし正しい稼働の神髄を論じて貰ひ、また芳賀氏の「明日の文学」は現今のナチス文学の動向を知るうへに於て是非御熟読を乞ふ。
 
・井伏鱒二「青苔の庭(第二回)」

主な執筆者
川端康成/野間仁根/吉田絃二郎/水原秋桜子/西條八十/三宅周太郎/今日出海/武者小路実篤/林芙美子/芹沢光治良/芳賀檀/亀井勝一郎/窪川稲子/河上徹太郎
  
 1941.2

井伏鱒二
「多々良紀行」
『博浪沙』
昭和16年2月号
博浪社
(発売所)
東京堂、他
 
《後記》 歴史が大きく廻転してしてゐます。その廻転には、わが日本も一つの大きな歯車であることは申すまでもありませんが、その日本といふ歯車も、上は台閣の諸公から下は私ども草莽[そうもう]の微臣に至るまで一億の大小の歯車の運動によつて廻転してゐるわけだと思ひます。そしてそのエネルギーが、新しく生れつつある大いなる文化に聊[いささ]かでも寄与するところあらしめたいと思ひます。たとへ誇大妄想の譏[そし]りはうけても、この夢はいつまでも抱いてゆく決心です。(編輯子)〔…〕 ・井伏鱒二「多々良紀行」

主な執筆者
吉田甲子太郎/鈴木彦次郎/平山蘆江/牛島英輔/岡田典夫
 
 1941.3

井伏鱒二
「追悼記」
 
『博浪沙』
田中貢太郎追悼号
昭和16年3月号
博浪社
(発売所)
東京堂、他
 
《後記》 ×小誌の題簽は故田中主宰の筆であります。本号の題字は村松梢風氏にお願ひしました。カツトの似顔は故福井謙三氏写であります。
×故先生の選集が中央公論社から発行されることになりました。御期待下さい。詳しいことはいづれ小誌で発表いたします。
×今度はいつもより大へん発行が遅れました。出来るだけ立派な追悼号にしたかつたからです。それでもまだ計画の半分も実行出来ませんでした。年譜や著作目録なども間に合ひませんでしたが、いづれ載せたいと思つてゐます。〔…〕
 
・井伏鱒二「追悼記」

主な執筆者
菊池寬/荒畑寒村/村松梢風/徳川夢声/宮地嘉六/丹羽文雄/佐藤惣之助/榊山潤/大鹿卓/富田常雄/添田知道/田中美知子
 
1941.4

井伏鱒二
「モデル供養」
 
『公論』
昭和16年4月号
第一公論社 
《編輯後記》 ◆校正の朱筆を執りつゝある記者は、今(十一日午后四時)泰仏印交渉の妥結を聞ひた。目出度い限りである。此の協定を妨害せんとする英米策謀の執拗さは、読者の想像以上のものがあつた。にも拘らず茲[ここ]に完全なる妥結を見たのは全く、日本の実力の然らしめる処である。と同時に松岡外相以下各当事者の四十日間に亘る寝食を忘れての闘ひには感謝の外ない。/東亜の友邦泰国は遂にその失地を回復した。後世の史家が、東亜民族の勃興の姿に筆を執る時、その第一頁を飾るものは、今回の妥結のことであらうことを想像して、記者は感慨深きものがある。
◆自信力なきものは滅ぶ。個人に於ても国に於てもさうである。精神的にも、物質的にも、又地理的にも、日本の如く恵まれた国は少ない。従つて日本程、戦ふ実力を持つた国はないのである。にも拘らず日本人ほど日本の実力を知らないものはない。/自らを信ぜずして国民的気魄は湧き出ない。本号『戦譜日本の実力」を読むと、我々日本の有難さをしみじみと思ふ。涙の出る思ひがする。
◆本誌愈々
[いよいよ]好調である。二十年三十年の歴史を持つ他の綜合誌に比して、本誌の発行部数が多いとは妄断はしない。然し乍[なが]ら、独り、マルキシズム、自由主義の洗礼を受けない本誌が、今や、現日本の思想界の巨火であることは事実である。〔…〕
◆雑誌が独自の主義主張を堅持することなく、文字通り、社会全般に亘る諸問題を、無計画に羅列することが、今日までの所謂綜合雑誌であるが、この時代は既に過ぎてしまつた。我誌は断乎時代に先駆し、新日本建設の推進力たることを期す。〔…〕(勝弥生)
 
・井伏鱒二「モデル供養」

主な執筆者
河上徹太郎/木下孝則/大熊信行/長田新/白柳秀湖/松前重義/野上弥生子/木々高太郎/富沢有為男/舟橋聖一
 
 1941.5

井伏鱒二
「風貌姿勢」
『四季』
同人特輯
昭和16年5月
四季社 
《編輯後記》 *同人組織の雑誌が、「同人特輯」もおかしいのですが、それぞれ忙しくしてゐる同人が、今度の号で全部顔をそろへて見ようと思つたのでした。三、四どうしても都合のわるい人ができましたが、みな快く書いてくれました。
 次号は訳詩号といつた特輯を出すことになつてゐます。この方も諸氏の承諾を得てゐるので、良いものができさうです。
*なほ、同人丸山薫君がこの五月末、文部省の練習船に乗つて、約二ヶ月、海洋の生活をしてくるとのことです。さぞ、詩嚢
[しのう]をこやして、たくさんの詩品をしめしてくれることであらうと今からたのしみにしてゐます。(編輯部) 
・井伏鱒二「風貌姿勢」

主な執筆者
萩原朔太郎/三好達治/竹中郁/田中冬二/津村信夫/保田与重郎/大山定一/竹村俊郎/阪持ち越郎/伊藤静雄/桑原武夫/田中克己/山岸外史/大木実/臼井喜之介/稲葉健吉/呉茂一/石中象治
 
1941.10

井伏鱒二
「西金の渡船番」
 
『改造』
昭和16年10月号
改造社 
《編輯後記》 〇世界の眼は、今、二つの海に注がれてゐる。独・米開戦の危局を孕む大西洋と日米の切迫した空気を映す太平洋と。そして、この両洋に直面するアメリカの動向が、ルウズヴェルトの立場が、世界史転換の楔として観察されるのだ。〇由来、東亜においては、アメリカとわが国とは根本的に対蹠[たいせき]的立場をとつてきた。支那事変四年の推移を通じて、この認識は国民的なものとなつてゐる。日米外交が再び検討されねばならない時機となつて、わらわれは、内に毅然たる決意を蔵しつつ、しかもこれに処するに縦横の策を以てすべきであることを、痛感する。〇そのためには、国民的政治力の強大化が切に望まれる。政府の所信に対応し、これに一丸となつて時艱[じかん]を克服すべく、国民の覚悟もまた改めて自覚されねばならない。その反省の上に立つて、国民の政治力結集がおこなはれることが欲せられるのである。〇さきに本誌に「科学政策の矛盾」を発表されてより満五年を経て、田辺元氏また堂々の論文を寄せられた。目まぐるしく転換する時世をを深く洞察して、提示された立論は、凡そものを考へる人びとにとつて示唆し、訴へるところ多いであらう。〇一国民として抱懐する、政治的意見の表明、また、今日の政治運営にとつて、無縁ではなからう。橘、長野、岩渕氏等の鼎談が、国民のうちにあふれてゐる政治的関心、政治的意識の、ひとつの選ばれた表現をなしてゐるとすてば、この企画の効果は、はたされたといつてよい。〇満州国十周年の記念すべき秋[とき]満州開拓について、その現状、ならびに将来について縷説[るせつ]された小磯氏の説論、欧州大戦の進展を観察しつつ、支那事変について論究された石原氏の文章、東洋文化の本質を究明した森谷氏の論文、等えがたきものである。蝋山、平氏等の蘊蓄[うんちく]をかたむけられた文章と共に、御愛読をねがひたい。〇創作は、室生、井伏、橋本の三氏の精進作をもつてした。広津、田村、古川、久保田氏等のヱツセイまた灯下ひもとくにふさはしきものと信ずる。〇山本社長は、関東軍の招聘[しょうへい]に応じて、目下満州国滞在中である。 ・井伏鱒二「西金の渡船番」

主な執筆者
田辺元/木村禧八郎/石原莞爾/蝋山政道/鈴木東民/岩渕辰雄/小磯国昭/窪田空穂/林健太郎/宮城音弥/近藤忠義/古川哲史/広津和郎/久保田万太郎/橋本英吉/室生犀星
 
1942.9

井伏鱒二
「昭南日記」
 
『文学界』
昭和17年9月号
文芸春秋社  
《文学界後記》 かねてから計画立案中であつた、中堅文化人十数名を招請しての「知的協力会議」は、六月初めに諸家の提出論文、乃至覚書執筆を乞ひ、そのプリントを全出席者に配布して検討の上、七月下旬折柄の猛暑の中を、二日八時間に亘つて座談会を催し、目下各自その速記録を訂正加筆中であるが、その前文は本誌十月号の全誌面を費して掲載される筈である。
 我々の意図する所は、単に文化各部門の交流といふ名目論に止らず、今の時代に生きる知識人として、その専門、立場、思想的経歴を問はず、一つの共通の理念を目指すものがあるのを感じて、今それを仮に「近代の超克」と題し、此の観点の下に現代文化の本質を各方面から検討しようといふのであつた。招請した人が、関西在住者三氏も含めて、一人残らず賛成出席されたことは。以て如何に此の題目と企てとが時宜に適つたものであるかを証するものとして、心強く思つたのである。
 出席者は左の方々である。菊池正士(物理)下村寅太郎(物理)、鈴木成高(歴史)、津村秀夫(映画)、西谷啓治(哲学)、諸井三郎(音楽)、吉満義彦(神学)、中村光夫、林房雄、三好達治、亀井勝一郎、河上徹太郎、小林秀雄。
  〔…〕夫々問題を自分の胸に持つてゐる読者は、夫々どこかでそれが表現せられてゐるのを見出すであらう。此の発見は、我々出席者の各自が亦
[また]同じく感じた感慨である。それだけでも充分いみがあつたと思つてゐる。〔…〕(河上徹太郎) 
・井伏鱒二「昭南日記」

主な執筆者
小林秀雄/西谷啓治/諸井三郎/津村秀夫/吉満義彦/中村光夫/河上徹太郎/亀井勝一郎/中山義秀/田中克己/河盛好藏/舟橋聖一/芹沢光治良/村田孝太郎/宇野千代
 
1943.1

井伏鱒二
「ゲマスからクルーアンへ」
 
『文芸春秋』
昭和18年1月号
文芸春秋社 
《編輯後記》 〇大東亜戦争第二年の新春を迎へんとしてゐる。読者諸彦[しょげん]と共に謹んで英霊に感謝の誠を捧げ、前線将兵の武運長久を祈り、大東亜戦争完遂の為めの鉄石の決意を新たにしたいと思ふ
〇南太平洋に於いて間断なき敵の反攻と死闘しつゝある将兵を偲び或ひはアリユーシヤンの密雲こめる厳寒の孤島に国土防衛を泰山の安きに置いてゐる将兵を思へば、眼頭のうるむを禁じ得ない。英霊の心を心とするといふ言葉を最も深い意味に於いて身に体さなければならぬ。我々も微力ながら日本の精神的確立の為めに努力を致して来たのであるが、顧みて自らの無力と怠慢を恥ぢざるを得ない。大東亜戦争の前途容易ならぬものあるを考へるにつけ、本年度は一段の奮闘を心に誓ふ次第である。
〇戦力の増強が頻りに叫ばれてゐる。しかし、日本では戦力の増強も、生産力の拡充も万邦無比の国体に淵源する国民の忠誠心を離れては考へられないのである。機構の改廃も機構の面から情勢論的に考へるのでなくて、国体の側から考へねばならぬ。然るが故に国民各層が国体の精神に徹するといふことに尽きる。以上の意味で、座談会の御熟読を乞ふ次第である。〔…〕
〇保田与重郎氏「草莽
[そうもう]の論理」は勤皇の道統を草莽の祈念として描いて、現代の政治思想文芸の根本中心の一転を凝視する大文章である。凡[およ]そ革新を考へる者は、どうしても草莽の祈念から出発しないことには危険なのである。〔…〕
〇マライ戦線一年の従軍より最近帰還された井伏鱒二氏から現地報告を頂いた。淡々として飄逸なる氏独自の境地を覗へることを喜ぶ。〔…〕
 
・井伏鱒二「ゲマスからクルーアンへ」

主な執筆者
岡不可止/保田与重郎/大槻正男/菊池寬/保利清/牧野富太郎/中谷宇吉郎/山田孝雄/釈迢空/前田普羅/三好達治/吉植庄亮/横光利一/橋本英吉
1943.1

井伏鱒二
「十七年七月下旬ころ」
 
『文学界』
昭和18年1月号
文芸春秋社
《文学界後記》 〇巻頭の座談会は、十月号の座談会「近代の超克」が結論をなす刻下の我々の生きる道を説いたものが何もないので、それを同人仲間でつけようといふのが動機でも推したものである。従つて顔触れも特に吟味した訳ではないが、これが出遭ふや否や、忽ち大激論を生み、やがて大混乱に陥つた。各出席者の真剣な直言は、実に目覚ましいものがあつた。然し何といつてもその侭読者に公開する体をなしたものではないので、大苦心の揚句、林亀井両君の神仏論を中心に一篇を編んだが、読んで見て十分啓示に富んだものが出来たと、私は喜んでゐる。
〇南方に徴用された友人達が続々帰つて来る。彼等の話は、種々雑多だが、然し一言一言聞く者の胸を打つ。さしあたつての休養と神経の調整が今の所みんなに必要だと私には思へるが、その後の活動が期待される。それがどんなものを生むか? 貴重な報告書のは外に、真に今後の文壇の中枢をなす大切なものが彼等の土産の中にはひつてゐることは、既に誤たず私の眼に映つた。
〇一般文学雑誌の解体の中にあつて、同人諸氏の本格的な勉強は自から本誌に集中してくる傾向が、顕著に見える。既に本誌でもさうだが、来月あたりは相当それが濃厚になるだらう。編輯してゐて自然いゝものが集まるのは、嬉しいやうな、くすぐつたいやうな気持である。〔…〕(河上徹太郎)
 
・井伏鱒二「十七年七月下旬ころ」

主な執筆者
岸田国士/青野季吉/森山啓/芳賀檀/河上徹太郎/久米正雄/高橋健二/片岡鉄兵/西村孝次/横光利一/亀井勝一郎/三好達治/芹沢光治良/中山義秀/阿部知二/今日出海/太宰治(「黄村先生言行録」)/石塚友二
 
1943.2

井伏鱒二
「旅館・兵舎」
 
 『時局情報』
昭和18年2月号
毎日新聞社
《編輯後記》 ◆新春と共に「戦ふ日本」の姿は、いよいよ厳しく、かつ深刻になつてきた。あらゆる面に於て――生産面や生活面に於てはもとより、道ゆく童児の心すらも、厳しき緊張を帯びてきた。今年こそ、いよいよ決戦の年なのだ。われらはもはや言挙げすることはいらないのだ。黙々として、唯、挺身するあるのみだ。◆本号の編輯目標は、そこにおいた。〔…〕国を挙げて、あらゆる力を集中して、戦ひに勝つことに供[ママ]へねばならぬ。何もかもを犠牲にして、戦力集中に努めねばならぬ。それがわれわれの責務なのだ。◆国内の戦力集中と共に、も一つ我々の忘れてはならぬことは南方建設だ。南方を立派に東亜的に建設することが、大東亜戦争の一つの勝利なのだ。陸軍報道班員として、或ひは本社特派員として、親しく南方建設にいそしんできた本社新鋭諸氏の帰還を迎へて、座談会『南方建設の途』を聴き、また現に南方にある方々からの特信を得て『南方特信』を特輯したのも、南方にそゝがれつゝある国民の眼に、一つの現実的映像を投じたいために外ならぬ。◆さらに今月のおおきな問題は、国府の参戦とルーズヴェルトの呼号だ。国府が敢然として大東亜戦争に参加したことは、東亜全体が、完全に一丸となつて米英にぶつかることを意味する。筆者吉岡氏は国府建設に身を以て協力し来つた人、その「国府参戦」の一文は他に求め得ぬものといへよう。ルーズヴェルトは叫ぶ――今年こそはベルリン、東京進撃の年だ、と。叫ぶその声は、その言葉は、まことに勇ましい。だが、米国の真実は果して如何。楠山、横山、祝、日高の四氏が、それぞれの立場から、米国のそれぞれの面を解剖して読者にお答へするだらう。◆用紙の制限から止むを得ず幾分ペーヂを節約した上に、更に発行部数をも制限したので、それでなくても不足勝の本誌は、ますます入手難で読者諸氏に御迷惑をおかけすることだらう。しかし、戦ふためにはこれも仕方がない。御諒承をお願ひする次第である。 ・井伏鱒二「旅館・兵舎」

主な執筆者
吉岡文六/塚田一甫/山本正雄/清水武雄/楠山義太郎/城戸又一/横山五市/岩井良太郎/小林勇/秋山謙蔵/阿部知二/氏森励/日高一郎/ジェームス
 
 1943.3

井伏鱒二
「待避所」
『文学界』
昭和18年3月号
文芸春秋社 
《文学界後記》 先日私は、帰還報道作家三十数氏の慰労歓迎の宴に侍する機会を得、或る異常な印象を受けたのであつた。個々の人達には、既に私は半数近くも会つてゐたが、然し、これだけの人数が一堂に会すると、何とも形容し難い雰囲気が醸し出されるのであつた。そこに漲[みなぎ]るものは硝煙の匂といふやうな簡単なものぢやない。又南方呆けといつたやうな、間伸びしたものぢやない。厳つく、朴訥で、それでゐて何か神経の疲れが眼につく凄惨なものがあつた。
 私は彼等の表情から強ひて理屈をつけて複雑なものを析出しようとも、又現在の気分をその侭尊重しようとも思はない。たゞその中で私の眼についたのはいはゞ彼等は我々より一年遅れてゐるといへるものがあることだ。この点こそ彼等の健康さであり、強味であるとして、特に私は信じたい。彼等の大部分は、一昨年の十二月八日に内地にゐなかつた。又少く共、その後の我々の決意の成熟と添つて経験してはゐない。我々は、その決意が最初如何に峻烈で純真であつたにしろ、その後の盛り立て方が特にジヤーナリズムの上で、一種の事大主義によつて形式化されてゐないとは、正直な所保証し得ないのである。
 彼等の粗野な感覚が匡救
[きょうきゅう]力を発揮しうるのは、特にその場に於てゞある。私は帰還作家の諸君に、何卒諸君の一年遅れた途惑ひを大切にして戴きたい、と御願する。何卒、そこで下手に順応しないで、率直に処して貰ひたい。中島健蔵は、一年振りに綜合雑誌の論文を読むと、何が書いてあるのだか訳が分らない、といつてゐた。尾崎士郎は、或る公の席で、現下の文化人の国策協力の諸運動が、名目的に小器用に纏[まと]まつた企画の中でお行儀よく遂行されて許[ばか]りゐる、と評した。さては大木惇夫が東京新聞で詩壇の詩の本質を忘れた時事的題材への追随を戒めた文章など、諸君の言葉は、今力強く、清新に、世人の耳を傾けしめる力を持つてゐる。かういふことが堂々と直言出来る諸君の特権に、私は今最も期待する。(河上徹太郎) 
・井伏鱒二「待避所」

主な執筆者
亀井勝一郎/芳賀檀/岸田国士/青野季吉/中島健蔵/西村貞二/小田切秀雄/内田克己/江口榛一/中村光夫/深田久弥/舟橋聖一/芹沢光治良/小田嶽夫/寺崎浩/今日出海
 
1943.3

井伏鱒二 他
(座談会)
「新生マライを語る」
 
『知性』
昭和18年3月
河出書房  
《後記》 ×××「言挙げせぬ国」日本はまた「言霊の幸はふ国」である。一見矛盾するこの言葉が、実は一体のものとして、伝承されてゐるところにわが国の言論の本質がひそんでゐる。しかるに我が国を襲うた西洋文化の奔流はこの本質を忘れしめ、われわれは我が国の精神文化をヨーロッパ的論理によつて分析したり論議したり、徒らに喋々として混迷に陥り、多くは観念の亡者となり果てて、簡単明瞭な事が容易に解らぬといふ悲喜劇をしばしば繰返したのである。日本言論界のこの不幸は、大東亜総力戦に再会してはつきり響いて来てゐる。「対外思想戦の前に先づ国内思想戦だ!」といふ悲しむべき言をわれわれは今にして尚耳にせねばならない。
 幸ひ言論報国会が信頼すべき人々によつて結成され、戦時下言論の統制、指導に積極的に乗出したことは洵
[まこと]に欣ばしい。惟[おも]ふに言論報告といふことは敢て戦時下のみのことではない。われわれの言論のすべてが皇国のためにあるべきは歴史に徴しても明かである。同時にまたそれが徒らに時局便乗的な観念論に堕することのないやう深く自戒しなければならぬことは、今日、深く主張さるべきであらう。本号に於て敢て「言論報告と批評精神」を特輯として掲げた所以もここにある。〔…〕
×××旧臘
[きゅうろう]南方より帰還された多くの報道班員のうち、特にマライ方面に活躍された五氏にお集まり願つて、新生マライの文化事情を語つて頂いた。地域を同じうし、しかも一人一人職域の違つた人の集りであるところに、この座談会の面白さ、他に見られぬ充実感があると思ふ。〔…〕  
・井伏鱒二 他(座談会)「新生マライを語る」
(中島健蔵/堺誠一郎/井伏鱒二/佐山忠雄/神保光太郎)

主な執筆者
穂積七郎/浅野晃/大類伸/飯塚浩二/寒川光太郎/徳永直/宇野浩二/桜田常久/里村欣三/
  
1943.5

井伏鱒二
「紺色の反物」
 
『改造』
昭和18年5月
改造社  
《編輯後記》 〇日本を世界の檜舞台に登場させたものは日露戦争の勝利だといはれるが、その勝利を決定的ならしめたのは日本海々戦の勝利であつた。勿論勝利は陸海協力の上陸作戦の成功、遼陽会戦、旅順攻略、奉天大会戦その他の戦果の上に立つものであつたが、戦局は常に必ずしも安心を許す時のみではなかつた。これらの時機を凌ぎ超えて来て、最後に敵を起つ能はざるに至らしめたこの会戦の意義の大きさは言ふを俟たない。
 この日この月が国民的記念日として記念されることは今日に於て特に意味深いものがある。
〇敵米空軍の蠢動
[しゅんどう]は敢ておそれるに当らないが、昨年の小癪な例もあるから油断は出来ぬ。揺がぬ信念国土防衛への決意を、しつかりと築かねばならない。この号にはその点に関して大いに意を用ひる所があつた。
〇来朝中の陳特派大使を迎へて座談会を催し得たことは、東亜建設の現段階に於て特に意義深く喜びに堪へぬ。御出席各位並びに関係方面の御好意に深い謝意を表したい。
〇我々が決戦への決意を固くしてからすでに相当の日時を閲
[けみ]してゐる。併しこれを総力戦的に戦ひ抜くための体制整備については未だしの感なきを能はない。我々は緊急要請されるこの課題解決に微力をいたしたいと思つてゐる。〔…〕 
・井伏鱒二「紺色の反物」

主な執筆者
松下正寿/清水伸/陳公博/大川周明/橘樸/松本重治/山本実彦/坂口三郎/矢部貞二/火野葦平/窪田空穂/会津八一/水原秋桜子
  
1943.6

井伏鱒二
「燕巣」
 
『文学建設』
昭和18年6月
文学建設社 
《編輯後記》 ◇日本をして、一切の外的影響の犠牲から立ち直らせる絶好の機が来てゐる。日本民族精神の、その純真無垢本然の姿を、たやすく再びこゝに見得る絶好の時が来てゐる。明治維新以来、いまほど高く歴史の声の喚起されてゐる時はない。国家非常のときには、現在的観点が逸早く捨てられると共に、歴史の声が喚起されるのは、日本人の特質である。長い伝統が潜在力となつてゐる、日本精神の底流が、革新の時には必ず地かくを破つてほとばしるのだ。これが日本人の特質である。復古! 日本黎明理念への復帰! 祖国の使命に貫かれてゐる日本民族、真にその誇に恥ぢぬ日本民族たるの自覚から、あらゆる行動がなされねばならない。
◇文学は作家の志向を重しとする。国家新生の高度構想を思ひ見よ。歴史に付加し、民族精神に或る種の拡充を与へる高度構想は、文学の面に於ても必然必至、本質的の道だ。これは擬態と追随の『世渡り』で出来る業ではない。志向と気迫の無い文学者は、退場を命じられなくとも、自分から脱落して行く。吾人が、志をみがかねばならないといふのは此処だ。文学は志士の道であるといふのは此処だ。
◇民族精神を形成するものは、あくまでも観念だけではないはずである。必ず行動を伴はねばならないのだ。凡
[およ]そ理論だけの志士といふものは無い。それだのに、世には、国民文学の書けぬ国民文学屋が多い。歴史を知らぬ歴史文学屋なども、ぞくそくと出て来る。いくら流行物といつても是ではあまりに厚顔である。廉恥を知らねば日本人とはいへぬ。西洋音楽の真似のやうな新日本音楽と共に、これは時節柄『不許可』にしてもらひたいと思ふ。〔…〕 
・井伏鱒二「燕巣」

主な執筆者
岩﨑栄/緑川玄三/土屋光司/由布川祝/中沢
巠夫/新居格/佐野孝
 
1943.6

井伏鱒二
「借衣」
 
『オール読物』
昭和18年6月
文芸春秋社 

[敵性語排斥運動の中で、同年九月号より「文芸読物」と改題]
《へんしふあとがき》 ☆衣・食・住なんの不自由もなく新緑の美しき自然に包まれて元気でゐられる私たちの幸福さは、日々刻々、敵撃滅のために敢然死闘し、或は又厳しき護りに忍苦する皇軍将兵の賜であることは瞬時も忘れてはならぬことと存じます。
☆皇軍の偉勲に答へ、米英を叩きに叩きのめす為の私達の御奉公は、灼熱しても未だ足らぬ生産力の増強と、消極的ではありますが消耗物質の節約の二点につきます。船を飛行機を弾丸を無尽蔵に最短期に生産してゆくために、国民の総力をあげて努力せねばなりません。
☆雑誌用紙の制限も又やむを得ない事であります。只この少い紙面を如何に有効に使用し、愛読者のよき心の糧ともなり、明日の活動力の源泉となるかに私達の全的の努力が注がれます。〔…〕
☆上田広氏の「地の声」は初めて落下傘部隊に取材した小説で精進の結晶たる野心満々の逸作です。マライの好もしき雰囲気を描いた井伏鱒二氏の「借衣」は清新な朗風をはらんだ快味ある作です。〔…〕
☆本誌の改題は予想を遥かに超えた熱烈な御投書を得ました。締切後の整理も完了。目下慎重に審議中で、発表も間近いとと存じますが、こゝに御投書下さつた皆様に誌上より厚く御礼申上げ、新誌名の発表を御期待を願ひます。
 
 ・井伏鱒二「借衣」

主な執筆者
上田広/野村胡堂/菊池寬/稲葉真吾/石黒敬七/成瀬関次
1943.10

井伏鱒二
「吹越の城」
 
『文芸読物』
(『オール読物』改題)
昭和18年10月
文芸春秋社
《編輯後記》 ☆破格の恩命に浴しアツツ島守備部隊の遺勲万古に薫る! 山崎部隊長以下の壮烈極りなき奮戦の詳報は、銃後国民にとり実に比類なく貴い教訓でありました。特にわれわれが最も深い感銘に打たれた点は、あの昼夜を措かぬ激闘のさ中にあつて毫も冷静を失はず、沈着剛毅、最後の一瞬まで真に日本人たるの生き方を生きた見事さであります。われわれも局所的な戦局の起伏によつて愚な焦燥にとらはれることなく、中に烈々たる闘魂を蔵しながら、あくまでも漫々たる大河の如き重圧をもつて聖戦の歩武を推し進めてゆかなければなりません。小さな石にもせゝらぎを立てるやうな態度は、お互に堅く戒慎したいものであります。
☆空の決戦は日を経、月を追うて益々熾烈であります。「航空決戦の実相」座談会は、わが荒鷲が如何に崇高な純忠な精神と卓抜な技術とをもつて戦ひつつあるかを語ると同時に、銃後に向つて、これと対応すべき必死の増産を要請した国民必読の記事であります。今や一億の一人一人が、それぞれの戦闘配置に於いて死力を尽すべき秋[とき]であります。
☆今回の軍人援護強化運動が、援護精神をそのまゝ戦力増強に打ち込まんとする点に主力を注いでゐることは本庄大尉の一文にある通りであります。正しい理解の下に遺憾なきを期されたいと希望する次第であります。
 
・井伏鱒二「吹越の城」

主な執筆者
本庄繁/上田広/劉寒吉/浅野武男/真室二郎/野村胡堂/大原富枝/鈴木俊秀/吉川晋/吉川英治
  
1943.10

井伏鱒二
「防諜」
 
『理想日本』
昭和18年10月
日本文化宣揚会
《編輯後記》 ×××別に専門知識を、といふのでなない。いはれても応じない方がよい。各自の専門が留守になるから。/また生兵法を奨励しようとするのでもないし、坊門宰相の輩出を希望するのでもない。/敢て戦術、戦略眼ともいはないが、ただすなほな軍事常識を一層心得ておかねばならない、といひたいのである。/これをいふのは、戦術戦略上「素人にもわかる」、愚にもつかぬデマが、まことしやかに、意外に流布するからである。この意味において、民間軍事評論の占める地位は大きいのであるが、我国のそれは列国に比して甚だ貧弱であつて、一般を困惑せしめることにはなつても、指導する力はない。辛うじて、現役をしりぞいた将軍によつてすくはれてゐる。×××アツツ島の玉砕は、いち早く発表されて、かへつて敵を狼狽させもしたが、キスカの撤退は、機密のままにしばらくその発表は保留されてゐた。しかもこの機密の保持されたことが、いかに戦略上有利な結果をもたらしたかは、この発表と同時に報道された。/しかししかし、この報道を聞いて、愧死[きし]しなければならない人人がなかつたであらうか。然り、キスカの撤退はは発表以前に、遺憾極りないことながら、すでにささやかれてゐた。しかもそれは名もなき民の間にではない。つひにはそこまで流布してきたであらうけれど。×××一般に人の知らないことを知つてゐることは、その人の高さを示すことになつてゐる。しかしそれも事による。ましてそれを機密漏洩者に摘要すべからざることはいふまでもない。いな、かかる者に対してはいかに名のある民であらうとも、卑下し、排撃する習慣を持たねばならぬ。単に軍事常識の上からのみではないけれど。×××大切なこと、真剣なことの会談は、期せずして鳩首[きゅうしゅ]といふことになる。すなはち首が思はず前に出てあつまる。その反対は首が開き分散する。首が一様にうしろに傾くから。それには掛ける椅子が、深かぶかしてゐればゐるほど便利である。/某紙掲載の座談会は、主題によつても、正に時局下真剣以上のものであるが、それの現場を示す写真によれば、出席の名士の首は前にではなく一様にうしろに傾いてゐた。すなはちあつまらずして分散してゐた。   ・井伏鱒二「防諜」

主な執筆者
菅波三郎/稲原勝治/東史郞/大蔵栄一/葛城隆/松本与次郎/幡掛正浩/田尻隼人/鶴田吾郎/森銑三/望月昇/松波治郎/富安風生/末松太平
 
1943.12

井伏鱒二
「布山六風」
  
『文学界』
昭和18年12月号
文芸春秋社 
《編輯後記》 〇ブーゲンビル島沖の大戦果に一億の血は湧き立つた。しかも我々は、この耀かしき戦果に徒らに酔ひしれてゐてはならぬ。今後ますます熾烈の度を加へるであらう敵の反攻に備へ、その息の根を止めるまでは、ぢつくりと腰を据えて頑張らねばならぬ。
 「出陣学徒壮行会」の報道映画を見て烈しい感動に胸を抉られた。泥濘のトラツクを行進する隊列の見事さ。ゲートルから制服の背中まで泥が斑らにはねた学徒たちの、東条首相の壮行の辞に聞き入る顔の一つ一つにたたへられた、何ともいへない厳しい静けさに、筆者は泪が顔に伝ふのを止めることができなかつた。山本元帥の云はれた如く、今時の若い者はなぞと口幅つたいことは申されぬ。筆者は自らの懶惰
[らんだ]な学生生活を想ひ、心から彼等の武運を祈つた。
〇火野葦平氏の「軍隊手帖」が連載される。名も無い兵士たちの皮膚の中に深く浸透してゐる軍隊精神、軍隊教育の美しさを、さういふ一見凡庸な卒伍の心と肉体を通して探らうとする独特の試みである。生きた軍隊教育史として御愛読を請ふ。
〇現代文学への反省は、今こそ最も真剣に冷静に行はれなければならぬ。或ひは米英の東亜罪悪史を書かんといひ、或ひはよみびとしらずの草莽
[そうもう]の文学を説く、舟橋、丹羽、高見三氏の鼎談会は、現今の文学者としての心の在りかた、生きかたについて深い示唆を与へるものであらう。〔…〕
〇〔…〕井伏鱒二氏の独特の風韻に富んだ短篇の外、横光氏の「旅愁」、青野氏の「心輪」の刻苦精進もますます目ざましいものがある。〔…〕
井伏鱒二「布山六風」

主な執筆者
中島健蔵/福田恆存/丹羽文雄/高見順/舟橋聖一/三好達治/藤田徳太郎/火野葦平/里村欣三/青野季吉/横光利一
 
 1943.12

井伏鱒二
「その一例」
『知性』
昭和18年12月
河出書房 
《後記》 現下の熾烈な生産決戦の要請に応へるため、国民動員が更に強化された。大東亜戦争の様相は、もはや五大重点産業時代より更に航空機増産の超重点産業時代へ進展した一事によつても、その深刻さが窺へやう。/そして今までの勤労管理の対象であつた労務者以外に、学生、知識階層、女子が職場に進出することになつた。戦時勤労管理は、管理対象の拡大と共に新たなる段階に入つたといふべきである。/そしてこの生産決戦を勝ち抜くためには、これら産業戦士たるものの前線将士に劣らぬ敢闘魂の発揮が期待され、また事実産業戦士の勤労意欲たるや、この際大いに昂揚されてゐることも事実である。然し、この勤労意欲昂揚の指向が、具体的問題に立到つたとき、果して円滑に行はれるやうな機構ができてゐるかどうか。これには疑問がある。  ・井伏鱒二「その一例」

主な執筆者
辻猛三/渡辺泰造/堀武男/矢野健太郎/今泉孝太郎/芳賀檀/中村光夫/飯田蛇笏/江口榛一/榊山潤
 
1944.1

井伏鱒二
「便乗紀行」
 
『文芸読物』
昭和19年1月
文芸春秋社 
《編輯後記》 ☆決戦下に三度陸軍軍記念日を迎へるに当つて、更めて必勝の信念を固くすると共に、生産増強こそ米英撃滅の鍵であることを十分に理解しなければなりません。これが護国の英霊の冥福を祈り、前線将兵の勇戦善謀に応へる唯一の道であります。
☆日本の戦力は、中井中将や佐々木中佐が云はれてゐる如く、決して数量的にも敵米英に劣るものではありません。たゞそれが現実の軍備となつて前線に到達し敵兵を薙ぎ倒すか否かは、われわれの心構へと実践の如何に懸つてゐると云へます。
☆戦局の現段階の由々しさは周知の如くであります。数量を笠にきる敵の傲慢な反攻を、日本人として黙視出来るものが一人たりとも有る筈がありません。今こそ三千年伝来の烈々たる大和魂を爆発せしめ、一切を戦力増強にブチ込むことに依つて勝機を掴むべき秋
[とき]であります。
☆本号は陸軍記念日特輯として報道班員、及び帰還作家の団体たる文化報公を動員して、戦時下の国民雑誌として些
[いささ]か会心の編輯をした積りであります。〔…〕
☆「文芸春秋」の廃刊云々が伝へられましたが、さる事実は絶対無く、全然誤報であります。
・井伏鱒二「便乗紀行」

主な執筆者
山本和夫/高見順/火野葦平/榊山潤/野村胡堂/佐々木克巳/岡不可止/辰野九紫/小川真吉/藤山愛一郎/里村欣三/小田嶽夫/笹岡了一
 
1944.6

井伏鱒二
「昭南所見」
『四季』
終刊号
昭和19年6月号
四季社 
《終刊の言葉》 さまざまのことおもひ出す桜かな  芭蕉
 この雑誌につながる憶ひ出を語れば尽きない。「四季」がなくなる。ひとしほの感慨をおぼえることは書くまでに及ばないであらう。「四季派」とか「四季詩風」と人が言ふやうであるが、それは何であるか、誰もわからないといふのが本統であらう。同人一人々々、みんな独自の世界を持つてゐて、文学集団又は文学運動の色彩はたいへん薄かつたことゝ思ふ。若し、強ひて、この雑誌の特色を求めるとすれば、創刊以来、かはることなかつた一種の風格であつたとも思ふ。
 時代の移り変りやあれこれの巷のざわめきから、いつも離れて、飄々乎として、昔ながらの城に、静かな饗宴を繰りひろげてきたのである。そして、この意味では、文学界のすべてを通じて、唯一の特異な存在であつたともいへるかも知れない。兎も角、「四季」八十冊、良かれあしかれ、日本の文学界に残した印象は尠くないであらうが、これは今日語るべきものでないであらう。同人一人々々、この雑誌がなくなつたからといつて、為事
[しごと]の上で、格別困るといふやうな人はないであらう。しかしながら、この雑誌に依て最近の心境を知り合ふやうな機会がなくなつたことは何といつても寂しいと思ふ。
 萩原先生逝き、中原中也、立原道造、辻野久憲といつた同人を、詩神に捧げたかなしみは、この雑誌を思ひ出す時、必ずうかびあがつてくることどもであらう。「四季」は此岸の国から消えるが、このまま彼岸の世界に引き継がれて、萩原さんを中心にして、賑はしくつづけられて行くであらう。ぼくら、現し世に生をいとなむ。みいくさの空をあふいで、この訣別に堪へ、大いなるあかつきへの決意をここに再び新たにしよう。
 椿落つ庭あかあかと人の影   (神保光太郎)
 
・井伏鱒二「昭南所見」

執筆者
三好達治/田中克己/神保光太郎/井伏鱒二/より辰雄 訳/大山定一/西村孝次/沢西健/岩田潔/竹中郁/田中冬二/大木実/塚山勇三/塩田満留雄/小林富司夫/門馬東太郎/牧章造/小山正孝/野村英夫/森亮 訳/呉茂一/大山定一 訳/津村秀夫/北川桃雄/大木実/鈴木亨
1944.6

 井伏鱒二
「村長」
『文芸春秋』
昭和19年6月
文芸春秋社  
《編輯後記》 わが帝国海軍の最高司令官たる連合艦隊司令長官が二代にわたり第一線に於てその職に殉ぜられた事は、烈々たるわが海軍の闘魂を世界に示すものであり、同時に戦局の容易ならざる相貌を物語るものである。われらは古賀元帥の英霊に痛恨敬弔の誠をいたすと共に益々意気軒昂、敵撃滅の一途に邁進せねばならぬ。
〇文芸綜合雑誌として新出発した本誌は、幸に圧倒的好評を以て迎へられ、各方面から多大の支援鞭撻を受けた事は感謝に堪へない。決戦下全国民の精神的糧として、ともすれば窮屈になりがちな生活に香気と潤ひを与へ、すぐれた芸術の感動を通じて士気高揚に資したいのが、本誌の念願とするところである。知識層雑誌として最大の発行部数を有する本誌の社会的影響力を、この志向に充分に発揮してゆきたいと考へる。
〇新田潤氏の「三小隊一番機」は西南太平洋の航空決戦場に従軍中の力作であり、報道文学として近来の収穫たるを誇るに足るものである。また里村欣三氏の「補給」は現代戦に於て補給機構が占める重要な位置と、その巨大な姿とを緯とし、これに真摯に取組む兵達を経とした異色の野心作であつて、ともに出色の戦記文学と云ふ事が出来よう。
〇別項の如く、日本文学振興会では、今度新たに戦記文学賞を設定した。これはその選考委員のひとり川端康成氏の云つてゐる如く、最も直接に御軍に参ぜんとする賞であつて、これが同時に新しい文学芸術胎動の機縁ともなれば幸である。
〇横光利一氏の大作「旅愁」は愈々
[いよいよ]第五篇を本誌から起稿した。年四回掲載の予定である。期待されたい。 
・井伏鱒二「村長」

主な執筆者
斎藤瀏/尾崎喜八/里村欣三/新田潤/佐藤春夫/黒田巌/横光利一/菊池寬/会津八一/山口誓子
 
1944.7

 井伏鱒二
「防火用水」
『文芸春秋』
昭和19年7月
文芸春秋社 
《編輯後記》 〇自民族に依る世界制覇に焦る敵米英は遂に欧大陸に兵を上げ、米空軍をして我が本土の一端を掠めしむるに到つた。盟邦ドイツ国軍は血迷へる彼等を艦砲の射程圏外に誘致して殲滅せんとし、皇軍また神籌[しんちゅう]を秘して一挙に彼を撃殺し去るの日を迎へんとして居る。〇我等は茲[ここ]に皇軍の尽くるなき神策鬼謀に絶対の信頼を捧げ、将兵諸士の倫を絶せる忠誠勇武に万斛の感謝を捧ぐると共に、各々その本分を尽して聖戦目的の達成に邁進し、大御心に応へ奉るの決意を愈々[いよいよ]固くせねばならない。〇「歩兵操典」に曰く「戦闘惨烈の極所に至るも上下相倚し毅然として必勝の確信を持せざるべからず」と。戦闘間の将兵に与へられたこの言葉は、同時に総力戦下に於ける銃後国民の南針でもある。前線に神兵あり、総力戦完遂の鍵は今や一に国民の士気、覚悟の如何に係るを思ひ、互ひに信じ、互ひに助け、全心全能を竭[つく]して戦ひ抜かねばならぬ。〇十年前の長篇小説の提唱は、その余弊として、何でも彼でも引伸して書く習慣を作り、その結果は短篇形式を全く破壊し、延[ひい]ては散文の書方そのものをも緊[しま]りのないものとしてしまつた。弛緩した散文は弛緩した文学精神の結果であり、緊迫せる時局下のものたり得ない。〇本誌今回の短篇特輯も直ちに緊張せる散文、緊張せる文学精神を十分に具現し得たものとは思はないが、その方向への踏み出しともならば倖せである。的確なる表現技巧の再発見、緊張せる文学精神の再発見は、良き作品の創造となつて戦力の培養に資するであらうし、戦記文学や報道文学にすら数層倍の魅力と説得力とを与へ得るであらうと確信する。 ・井伏鱒二「防火用水」

主な執筆者
川端康成/内田百閒/河上徹太郎/柳雨生/打木村治/倉光俊夫/菊池寬/菊池寬/蔵原伸二郎/岸田日出刀/三好達治/宮城道雄/上司小剣
 
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