作品発表舞台の変遷――初出雑誌“あとがき”抄   【井伏鱒二 Ⅰ  大正時代】
(作品初出誌は手近な資料 ―原本及び複写― から適宜選択した。)  

1923.2

井伏鱒二
「粗吟丘陵」
『音楽と蓄音機』
大正12年2月号
音楽と蓄音機社
(発行兼編輯兼印刷人)
横田昇一
 
《三月号に就て》 我国は近々五十年にして一般教育の普及は目ざましい勢で進んで来た。しかし未だ完成の域に達すると云ふ事は遺憾乍[なが]ら云ひ得ない。而して其の不備なるものゝ一つとして「耳の教育(・・・・)」が非常に閑却せられてゐる事は等しく識者の認むる所で、本号に英国教育界に於ける蓄音機の利用を簡単に紹介して置いた様にこれは先進国の欧米に於てもこれに就き大正四年本誌の前身「蓄音機世界」創刊以来聊[いささ]か期する処あり、これが成果を納める為に菲才を顧みず社中と共に努力する所あつて、今回幸に、諸先生御後援の下に「日本教育蓄音機協会」なる一機関を設立し、諸方面よりも非常な賛意を寄せられて愈々[いよいよ]これが具体的発表を為すを得るにいたつた事は一同の深く感謝に堪へざる処で、就いては三月号誌上に於てはこれが詳細なる創設趣旨並に事業方針等を発表する筈である。尚ほ別に記事に就いては一層努力を以つて読者諸彦にまみえんとするものである。切に乞う御後援。(横田生)  ・井伏鱒二「粗吟丘陵」

主な執筆者
田辺尚雄/石川義一/光成信夫/未知夫/横田昇一
  
1923.7

井伏鱒二
「幽閉」
『世紀』
創刊号
大正12年7月号
世紀社
(編輯兼発行人)
三宅昭
 
《編輯雑記》 ◇「世紀」は出来るだけ正しい公平な見方をして行くつもりだ。だから見えすいてゐる現文壇の真贋は恐らく間違はないだらうと思ふ。「世紀」は必要にせまられゝばた易く全紙を挙げて戦闘の武器にする。
◇プロ・ブルの論争は、決して終結してはゐない。たかゞ、成上りの、力の足りないプロ文学者を軽蔑するために、所謂一流どこの大家が、わざわざ雑誌を発行するといふ一事は冷静に考へて見たら何を語つてゐるか。全文壇を興奮させるだけの種子は誰が蒔いたか。そして、口々に敵は敵らしく、味方は味方らしくいがみ合つてゐるうちに、種子は刻々と生長して行つてゐるのだ。勝敗の決をとる必要はないぢやないか。
◇「世紀」は投書雑誌ではないが、出来るだけ、実力のある新人のために紙面を割愛するつもりだから、遠慮なくあらゆる種類の原稿を本社へ持ち込んでもらひたい。
◇古垣鉄郎氏は本年リオン大学の法学部を卒業した新進法学者、「国際聯盟の委任統治」(Les Mandats internationaux de la Société des Nations)を彼地で出版してゐる。毎号、特に文芸と社会問題との間に介在する諸問題について筆をとられることになつてゐる。社会問題について教養の少ない文壇が、幾分でも利益を得れば幸甚だと思つてゐる。
◇小松龍雄氏はアナトオル・フランスのものを、内田伝一氏はピエル・アンプのものを近刊する。「世紀」は両氏の力によつて仏蘭西文壇の真面目な紹介につとめるつもりである。「世紀」は決して際物的の出鱈目な紹介はしない。商売主義にか
□[一字不鮮明、判読不可]はされて必要以上に八釜ましい現文壇に静かな明かな光線を投じてやることが「世紀」のひそかに希望するところだ。
◇次号のために古垣鉄郎氏は「レオン・ブルジョアの社会連帯主義に就いて」、内田天一氏はピエル・ラセールの「仏蘭西詩壇と南方の詩人」、及アンドレ・ポオニエの「ピエル・アンプの思想」を既に寄せられた。仏蘭西流の文芸評論を殆ど知らない我論壇に好個の参考たるを失はないであらう。小林龍雄氏には、バルビユスかルイ・フイリツプの翻訳をお願ひして置いた。尚須藤武一郎氏の「ロマンチシズム汎論」は続載する。( )[カッコ内空白 ママ]
・井伏鱒二「幽閉」

主な執筆者
古垣鉄郎/ピエル・ラセール(内田伝一 訳)/須藤武一郎/大山広光/光成信男/柴孝平/栗原信/三宅彰/山崎隆春/深瀬禎/佐々木錦之助/高崎信/アンリ・バルビユス(小林龍雄 訳)
 
 1923.8

井伏鱒二
「借衣」
『世紀』
大正12年8月号
世紀社
(編輯兼発行人)
三宅昭
 
《編輯後記》 ×今回古垣鉄郎、内藤辰雄の両氏が編輯部員として入社された。つゞいて清水武雄、吉田佐平の両氏も入社された。いづれも真摯な作家、批評[ママ]であることはすでに定評である。然し惜むべきことには柴孝平氏は今月より退社された。これは同氏の一身上の都合によることで、如何とも止むを得ないことである。
×九月号よりの本誌は面目を一新して読者諸君にまみえる存念である。豊島与志雄氏の散文、小松耕輔氏のフランス音楽印象記、深瀬禎氏の樺太紀行記、武藤直治氏の日本文壇に対する批評等を掲載することになつてゐる。
[関東大震災のため、九月号は発刊されなかった。以後『世紀』は廃刊。]
×創作では内藤辰雄、宮嶋資夫両氏が力作を寄せられることになつてゐる。加ふるに内藤氏は文芸批評をも執筆される。
×巻頭に載せた古垣氏の「レオン・ブールジヨアの社会連帯主義批判」は百二十枚の大論文である故次号にわたつて続載する。尚同氏は九月下旬国際聯盟委員としてジエネヴへ赴任せられるが、引き続いて本誌のために欧州文壇の趨勢及び新作家の創作を毎号翻訳して寄せられる手筈である。
×有島武郎氏の死は社会の人心を動揺させたことは甚だしいものである。或雑誌或新聞にとつては少くともよい喰物であらう。然しいくらさわいでも結局は氏の死も一人間の死以上には出ないものであらう。それに対して人間以上の価値を見出さうと努めるよりも、我等は心ひそかに氏の死を弔ふものである。他の如く氏の死を罵倒も賞讃もしない。我等は唯この死を死として秘密のまゝにして置き度い。氏も唯弱い人間として認むる以外には。(謹而弔問)
×この夏を利用して北海道箱館の故石川啄木氏の令妹の嫁げる宮崎家を訪ね、未だ世に発表せられざる個人の遺稿を集めて十月号の本誌を飾る予定である。 
 
・井伏鱒二「借衣」

主な執筆者
古垣鉄郎/清水武雄/ピエル・ラセール(内田伝一 訳)/須藤武一郎/中山鏡夫/古垣百合/光成信男/栗原信/林杣木/三宅彰/深瀬禎/ヱドガー・ポー(山崎隆春 訳)
 
1924.11

井伏鱒二
「レギーネを愛す」
 
『文学界』
大正13年11月号
聚芳閣
(編輯兼発行者)
松本清太郎
  
《毎号懸賞募集規定》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]□短篇小説(二十字詰三百行以内)一人一篇/新作家紹介――毎号短篇小説を募集し、当選の十篇を本欄に掲載し、新作家紹介の一端とする。〔…〕/□文壇漫画(官製はがき五枚以内)諸君が新聞雑誌で散見する文壇知名の人々の風貌、逸話、又は、文壇時事を材とした、奇抜で、しかも下品ならざる漫画を寄せられたい。(軽妙なる解説文を添ふるも可)〔…〕/□ ゴシツプ(官製はがき、一題二百字以内、一人五題迄)文壇の人、事件、問題に関する寸鉄殺人的の批評を募る。辛辣なるほどよし。但し安価なる人身攻撃に亘ることを忌む。短いほどよし。〔…〕   ・井伏鱒二「レギーネを愛す」

主な執筆者
佐々木味津三/北小路功光/宇佐美文蔵/宵島俊吉/小島徳弥/加藤由蔵/正岡蓉/斎藤睆/松本清太郎/足立欽一/高梨直郎
 
(参考)  『人類』
大正13年8月号
アカシア社
(発行編輯兼印刷人)
大町克雄
 
 《編輯後記》 □新居格氏がこの間東京朝日新聞で、こんなことを云つてゐる。あらゆる点に於て時代は漸く量の時代を通り越して、質の時代に入つた。一切の雑誌編輯がその点に瞳をすゑなければならぬ時代になつたと思ふ。真にうがつた言葉である。自分も早くから考へてゐたことである。本月号は特に、その意志を発表し尽してゐるといふ確心[ママ]を有する。永田衡吉、伊藤忞、太田誥一、松戸侃二、諸氏の作品は、沈滞し切つた我文壇に、必ずや何物をか齎[もたら]すであらう。〔…〕
□自分等は、決して自分のしてゐる仕事を、かさに被せるわけではないけれ共、目下雑誌の仕事は、編輯はもとよりだけれども、植字から校正まで、印刷工と一所に真黒になつてやつてゐる。この炎天に、随分苦しい時もあるけれども、自分の仕事だと考へれば、苦しくも何ともない。製本、発送もちろんである。長崎方面の同人連中のうちに、与へられた仕事もせず、撞球なんかにこりて、怠業してゐるものもある。少しは考へて見給へと云ひたくなる。真摯をかぐのが、一番いけない。遊蕩的に文芸を弄するものは社会の毒虫といつてさへいゝ。〔…〕
□武藤の『夜の空』(本誌五月号所載)は、今度文芸戦線同人集の内に出ることになつた。同君は更に、『文芸戦線』七月号に『蘇らぬ朝』といふ戯曲を発表してゐる。新居氏が、『唯物論者の立場から宗教の破産を明白に宣言したものであつて宗教の力が深刻な階級対立の社会事実に面して、どんなに無力であるかを指摘してゐる。くだくだしくこの戯曲を説明しないが、思想が戯曲化されてある意味に於て、武藤君の作を成功だと考へたい。』と推賞してゐる程いゝ作品である。『夜の空』にしろ『蘇らぬ朝』にしろ同君の筆法が、ますます手堅くなつて行くことを、嬉しく思ふ。〔…〕
□愈々いやな夏が来た。今の模様から察して、随分今年の暑気はひどいやうだ。けれどもわれらには、人類の仕事あるのみである。暑気位何でもない。。お互に精進しませう。〔…〕
主な執筆者
山内房吉/永田衡吉/伊藤忞/太田誥一/松戸侃二/永見徳太郎/村上文哉/下田巌/林田綾子/守部放羊/金子彪/古川賢一郎/高比羅清/寂丘抱春/山田宗夫
 
1924.9

井伏鱒二
『祖父」
『人類』
大正13年9月号
アカシア社
(発行編輯兼印刷人)
大町克雄
  
[この「祖父」掲載号の編輯後記は、手元の複写資料が不鮮明で判読不能のため、その代りとして『人類』が『アカシア』から改題・再出発した当時の「社告」を載せておく。東郷克美編・解題『大正十三年前後の井伏鱒二資料」より引用。]
《『社告」(1924.5『人類』第3巻第1号)》 雑誌『アカシア』も愈々[いよいよ]満一ヶ年を期として『人類』と改題しました。そして内容を哲学、思想、文学、音楽、美術等一般芸術の研究と批判及び創作、詩、戯曲其他を包括する壱百頁乃至百参拾頁の月刊雑誌とします。そして従来の本社を東京の左記に移転し、一切の編輯及び営業事務を取扱ひ 兼ねて地方文化開発のため、長崎市及び同県島原町に支社を置きます。尚将来は同志の居住する各県下に支社を置き全国的に致すつもりであります。本社は主義として、飽くまで、当来の新文化創造の使命の自覚に立ち一方旧芸術文学思想、哲学――一切の文化の根底的の批判と変革とを意図してゐます。そして時代の先覚たる一般新知識階級諸氏の創作及び研究の発表機関としての役目も果すつもりであります。何卒以上の御賛同をお願致し度う御座います。
   東京市小石川区丸山町十一ノ五号 / 『人類』発行所 アカシア社 / 代表者 大町伯夫   
・井伏鱒二『祖父」

主な執筆者
藤井真澄/深瀬禎/井東憲/浦瀬白雨/山河亮/石河光哉/汐見澪二/大町伯夫/町田信治/山田鴉衣/岡本巌/永元つぎ子
 (参考)  『人類』
大正14年1月号
アカシア社
(発行編輯兼印刷人)
大町克雄
《編輯後記》 □愈々第四巻を発行することになつた。吾々の前途は益々多忙である。近時所謂大家の作品が殆ど愈く[ママ]であると云つていゝ程、人生考察から遠ざかつて行きつゝあるのは殊に悪い傾向である。尠なくとも芸術至上主義を唱ふる吾々は飽くまで彼等の態度窮弾[ママ]して、自己の批判に訴へて、新しい創作の形式と内容を創造しなければならぬ。
□文学は反逆の声である、あらゆる伝統とあらゆる権威、あらゆる観成物
[ママ]の一切に対する、根底からの批判と変革の要求の所産であらねばならぬ。吾々は年頭にあたつてこの意気をもつて進まねばならぬ。〔…〕
□長崎支部では十一月十三日、山田耕筰氏の作品発表会をやつた。当日は折からの荒天であつたけれ共、頗
[すこぶ]る盛会であつた。独唱家は萩野綾子嬢、作品の中でも、北原白秋氏作の芥子粒夫人が呼びものであつた。社は同会の会費を社会事業である淳心園に寄付して了つた。音楽会の如きものを商売にする人があるのに、支部の催はかへつて損をする程であつた。〔…〕
□次号は前述の通りですでに満腹である。目ざましい活躍振りを現すことが出来るであらう。
主な執筆者
渡平民/大町伯夫/伊藤忞/木寺黎二/町田信治/アントン、チエホフ(木村秀吉 訳)/村上文哉/高橋新吉/渋江周堂/新藤遠/光用潤/難波克夫/守部一美

 
1925.1

井伏鱒二
「うちあはせ」
 
『文学界』
大正14年1月号
聚芳閣
(編輯兼発行者)
松本清太郎
 
《編輯後記》 かねてから計画しておりました通り、大正十四年一月の本誌を特別増大号としました。各誌新年号へ御執筆のために多忙なる中にもかゝはらず、お約束の日よりも早くその力作を御寄稿下すつた諸氏に深く感謝致します。編輯その他に不体裁はあつても、内容に於ては堂々たるものであることを自任します。
 前号に予告しておきましたが、本号へ創作を寄せらる筈の加宮貴一氏及び金子洋文氏岡田伊三郎氏の原稿は、遂に締切十二月二十日までの間に合いひませんでした。誠に残念ですが、次号誌上には必ずこれを飾ることができ、読者諸君の御期待に添ふ覚悟です。
 別欄に書きました如く、応募創作が、数に於ては好成績でしたが質に於て遂に推薦すべき佳作のなかつたことは返す返すも遺憾に思ひます。投書家諸君に、より以上の努力が望ましいものです。
 短歌と長詩の推薦は数氏の作品を掲載しました。
 それから、新年を迎へるとともに本誌は、内容その他の面目に大改善を加へたく、そのため二月号から、下段の通り定価を改正します。幸ひにこれを諒承せられたく、改巻後の本誌の面目一新を御期待下さい。
・井伏鱒二「うちあはせ」

主な執筆者
十一谷義三郎/北小路功光/佐々木味津三/高梨直郎/新井紀一/倉田潮/下村千秋/諏訪三郎/中西伊之助/正岡蓉/松本清太郎/足立欽一
 
1925.1

井伏鱒二
「テリア種のいろいろ」
(無署名)
 
『趣味と科学』
創刊号
大正14年1月号
聚芳閣 
《編輯後記》 □科学雑誌とか趣味雑誌とか云ふものの編輯は決して楽なものではありません。おまけにこの雑誌は科学と趣味とをうまく調合して一つの高級な家庭雑誌をつくらうと云ふので編輯者は尚一層苦しみました。雑誌の特色と云ふものは一つは内容の如何に在るは勿論のことでありますが、あとの一つは編輯者のもつ独自性とでも云ふやうなもの、簡単に云へば味のある個性的手腕に在ると思ひます。此「趣味と科学」を編輯するに当つて私たちが一種の不安に駆られたのも要するに原因は其処に在つたと云はねばなりません。この雑誌が今後どう云ふ風に進んでゆくかそれは記者自身さへ謀り知ることは出来ません、しかしただ一つの根本目的であるところの科学知識の般化、換言すれば趣味性の向上と云ふ一本のレールの上で総ての編輯方針を定めてゆかうと思つて居ります。
 □私共編輯者は科学者ではありません、やはり科学の上では一年生ばかりです。その代り背後に数人の科学者を控へて記事の正確を期してゆくのであります。他の科学雑誌があまりに専門的になりすぎてゐるのに対して本誌はどこまでも一般的に常識的に進まうと志してゐます、世の中の人たちはみんな科学者になる目的で科学雑誌を読まれるのではないでせう、本誌はどこまでも素人向きの科学雑誌として今まで科学の知識に乏しかつた日本の家庭に新しい常識を注入してゆかうと思ふのであります。
□本誌が新年創刊にかかわらず新年の記事を一切除去したと云ふことに就ては少からず異様に感ぜられるかも知れませんが、其処にも編輯者としては一つの抱負があつたことを申し添え
[ママ]ねばなりません。私共編輯者は種々協議して新年の記事に就ての予定もし、又現在既に手元に集つた幾篇の興味ある原稿があるに拘らず断然として其等の計画を放棄したことは要するに吾々が従来の極めて露骨なジヤーナリズムを排して所謂きわ物の類によつて雑誌を飾らうとする見え透いた商売気を去らうとしたことに依るのであります。本誌の読者諸氏は吾々編輯者の極めて冒険的なしかも真剣な計画に対してその心を諒として何卒心からの御愛撫を賜らむことを偏に懇願する次第であります。
□もう一つ、われわれは雑誌経営者にとつて最も冒険的な計画を本誌に於て実行いたしました。と云ふのは有名無実な執筆者の顔ぶれによつて読者を瞞着しようとする最近の雑誌界の傾向に対する徹底的な反抗であります。本誌は如何なる有名な人物の原稿を集めてもその名を担いで雑誌を売り記事を売らうとは致しません、この事に就ても相当の批難はあるかもしれませんが心ある読者には編輯者のこの心持は察していただけようと思つております。我共[ママ]の雑誌は殆ど外国雑誌からの翻訳であつて、多数の欧米諸国の雑誌のなかから特に興味ある記事を抜いて読者諸君に世界の新らしい趣味と知識とを伝へようとするのであります。本誌の記事が殆ど無署名であると云ふのもそれらの記事が全部外国の書籍雑誌からの翻訳だからであります。又巻頭の「美人の研究」や「文明史に現れたる興味ある蛮人原始人の習慣」などは外国雑誌から摘出して文章を作り直したものであります。文責は無論記者に在ることは云ふまでもありません。
□来月号には化学的探偵法の研究及化学的犯罪の研究の記事を沢山集めます。
・井伏鱒二「テリア種のいろいろ」(無署名)

主な執筆者
(全部の記事が無署名)
 
1925.7

井伏鱒二
「(コラム)ゴシツプ」
(井伏生)
 
『文学界』
大正14年7月号
聚芳閣
(編輯兼発行者)
松本清太郎
 
《編輯室から》 △本欄に発表した通り、この十月号を以つて本誌一周年になりますので、倍大号を出しますに就ては、一般読者諸氏より拡くその原稿を募ります。三九頁を御覧の上御寄稿を希ひます。△夏と女の感想に就て、文壇諸家の感想を発表しました。御精読を乞ふ。△応募小説、戯曲は今月はよいのがなく、霜尾君の「由良川端より」を発表しました。△短歌では、相良、植松二君のを本欄に紹介しました。〔…〕△本誌が毎号種々なる意味に於て、諸君より原稿を募集します事は、本誌がやがては読者号を出す事の出来得る可能性を発起せんためであります。△大阪に今度「文学界の会」が設立されまして大阪の読者諸君が毎月会合して歌会や雑談会をする報知に接しました。かうした諸君の会合に就ては、各県全国的に設けられることを希望いたしてをります。何分の御努力を待ちます。 ・井伏鱒二「ゴシツプ」

主な執筆者
武藤直治/霜尾延孝/上泉秀信/佐藤惣之助/江馬修/福田正夫/青野季吉/新井紀一/小牧近江/恩地孝四郎/白鳥省吾/高梨直郎
 
(参考) 『桂月』
創刊号
大正14年11月号
桂月社
(編輯兼発行人)
田中貢太郎
 
《雑誌『桂月』発行に際して》 [この創刊号に井伏作品の掲載はないが、発行人の田中貢太郎と井伏鱒二とは格別の関係にあり、この後、井伏の初期作品の多く(11篇)が同誌に掲載されることになるので、創刊の言をここに採った。なお、『桂月』には「あとがき」に類する欄の設定がない。]先月の御案内状の端にちよと書いておきましたやうに、いよいよ雑誌「桂月」を発行しました。此の雑誌は当分のうちは桂月翁[大町桂月]の逸話が主になつて載りますが、将来は桂月翁の主義思想を践んだ国家主義の文学雑誌にして風教に益あるものにしたいと思つてをります。
 雑誌「桂月」は桂月会で発行してをりますが、それには金銭上の面倒なこともありますから、過つて累を桂月会に及ぼしてもならないと思つて、大町芳文、高木八太郎、田中貢太郎の三人が責任者となり、経営者となつてをりますから、雑誌の責任はこの三人が負ひます。
 この雑誌は一部十五銭、一ヶ年一円八十銭として御承知下される諸君から実費を戴かうと思つてをりますが、それは数回出してから御相談を申します。
 雑誌発行所は 『桂月社』 として当分の間、東京市小石川区茗荷谷九十五番地田中貢太郎方に置きます。雑誌に関する一切の交渉は同人の方へ願ひます。
主な執筆者
大町桂月/笹川臨風/沼波瓊音/土井晩翠/水守亀之助/大町芳文/高木八太郎/田中貢太郎
 
1926.1

井伏鱒二
「たま虫を見る」
 
『文学界』
大正15年1月号
聚芳閣
(編輯兼発行者)
狩野鐘太郞
 
《編輯後記》 〇大正十五年一月元旦。正に新しき年を迎へたことを全日本の読者諸君と共に慶びます。
〇本誌新年号は何らその定価の値上をせず、また特別新年号としての企を廃しまして、普通号式に出してみました。これも本誌の試みとして、意義あると存じます。/然し乍
[なが]ら、その内容に於て、新年の劈頭を飾るべく、ここに「新進作家号」として、創作を主に発表しました。
〇評論に大月隆仗氏の 「「私小説」に就て」――を、林政雄氏より「文学又は文壇をすくふもの」――共に二氏独自の評論である。
〇本年より、本誌文学界は増々実質的に進んで行きたく思ひます。
〈投稿家諸君に〉
新しく募集した「コント」「映画劇ストオリイ」は非常な不成績だつた。それでも「コント」の方は、五篇ばかり採ることが出来たが「映画劇ストオリイ」の方は残念ながら投稿の中から一篇も採ることが出来なかつた。/「コント」の方も、五篇採るには採つたが、いづれも最上のものといふわけにはいかない。もつともつと諸君の健闘を望んでやまない次第である。/それから、「随筆」「万華鏡」の原稿もかなり集るには集つたが、一つとして採用出来るものがなかつた。「万華鏡」の原稿なんか、諸君の中から、寸鉄人を刺す底のものを得ることが出来ると望んで居たのだつたが、期待がはづれてがつかりした。/兎に角、もつと勉強して下さることを望んでやまない。〔…〕
 
・井伏鱒二「たま虫を見る」

主な執筆者
大月隆仗/林政雄/加藤由蔵/武藤直治/小島健三/山田清三郎/藤田草之助/岩渕甚四郎/伊藤忞/浅井真代/福田正夫
 
1926.1

井伏鱒二
「寒山拾得」
 
『陣痛時代』
創刊号
大正15年1月号
陣痛時代社
(発行兼編輯者)
高丘和季  
《編輯後記》 ◇世間さまなみに見参する、同人孰[いず]れも七面倒くさい文学饒舌は嫌いだ、謙虚な心持で制作に従ふだけ。今は薄明だ、だが時と読者と同人の精進の三つが、同人等の為に大日輪を予期させるだらう。
◇同人十二人、敢
[あえ]て尠[すくな]しとしない、半数づつ書いても毎月六篇づつは載る。本誌は内容主義だから埋草式は採らない。小説と戯曲と評論で当分はひた押にやつてゆく。毎月本誌の内容定数六篇はかゝさない積[つもり]だ。
◇何分にも題名が祟りをなしてか、陣痛期間が長かつたゝめに創刊号はいろんな点でやつれがみえる、編輯者の不慣れと鈍根とが禍ひしてゐる点も多々あらう、だがこれからはすくすくと肥立つてゆくから、まづ大目に見て欲しい。 
・井伏鱒二「寒山拾得」

主な執筆者
山中貫一/古賀栄一/能勢行蔵/柿沢元徳/小沼達/吉仲豊/小林克巳
 
1926.9

井伏鱒二
「鯉」 
『桂月』
大正15年9月号
桂月社
(編輯兼発行人)
田中貢太郎
 
《雑誌『桂月』に就ての御願ひ》 雑誌『桂月』も皆様の御援助によつて拾壱号をお目にかけることになりました。御承知のとほり雑誌の経営は非常に困難である上に、近近紙数を増加して本誌の使命に向つて、進みたいと思ひます。それに就ては基礎を強固にする必要がございます。それには皆様にお願ひしてお一人で 一人づつの購読者 を御作りしていただきたいと思ひます。どうかこのお願をお許し下さいまして読者の御勧誘をお願いします。そして、この購読料は、 一ヶ年間郵税共一円八拾銭 半ヶ年間九十六銭 でございます。それから、 文章、詩、和歌、俳句、 なにによらず御寄稿していただきたうございます。その中でも文章は、身辺の雑事、他人の逸話、逸事、小説、なんでも短くて趣味のあるものならよろしうございます。 桂月社同人  ・井伏鱒二「鯉」

主な執筆者
大町桂月/坪谷水哉/馬場孤蝶/中野三允/小島徳弥/田中貢太郎/弘田茂呂太
 
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