日本メールオーダー社刊「週刊アルファ/大世界百科」93 1972年6月28日号 掲載

  国語教育---
 自国の国民を学習者対象として、母国語の操作の仕方を習得させる教育活動が国語教育である。そこで、日本における国語教育は、もともと日本語を母国語とするところの学習者(日本人である学習者)を対象として、日本語の操作の仕方を、段階を追って組織的・体系的に指導していく教育活動である。「アルファ 93」表紙
 子どもたちの多くは、すでに小学校入学時までに家庭の教育や幼稚園・保育園などの教育に媒介されながら、きわめて自然な形で約6000語の母国語の語彙をききわけるようになっている。また、そのうち、約3000語を自分の語彙として、自己の精神発達の状況とみあう形で一応自由につかえるようになっているのがふつうである。そのことばの獲得がいわば初発のものであり、幼児期という初発の精神の成長期の実生活的必要によることば操作の仕方の習得であるということがあって、各人の生涯の言語生活の一面を規制するアクセントや、イントネーション(声の抑揚・声調)、そのエロキューション(発声法)などの基本・基底が、ほぼこの時期までに根ぶかい定着をみせるのである。幼児期の各種公教育において、国語教育がより重要視されなければならない理由である。
 このようにして、小学校の国語教育は、ある一定の仕方においてすでに母国語の所有者であるところの児童を対象として、その精神の発達をうながす姿勢で、より多面的で確実な、またより高次な母国語操作の仕方をはぐくむ作業にとりくむのである。
 ことばの発達は精神の発達と相即的であり、したがって精神の発達をうながすことなしには、ことば操作の次元をたかめることは不可能だということが、このばあい、国語教育の方法原理を決定する。たとえば、読み(言語理解)の指導の教材には、児童の生活にとってじゅうぶん精神の糧となりうるような、すぐれた文体の文章が系統的に選択してあたえられねばならないということ、またその指導は、作品の文章のあり方に即して、そのすぐれた現実把握の発想をつかませることが可能なような、文体重視の指導にならなければならない、ということなどである。このようにして、また、中学校後期から高校へかけては、‘ことばによる人生設計の実験期’ともいうべき、この青年期の精神発達の特徴をつかんだ指導のカリキュラムと教材の選択・編成がそこに要請されることになるわけである。
 ともあれ、母国語はそれをもちいる国民にとっては、自他・環境の認知を根幹とする、国民共通のコミュニケーション・メディアにほかならないが、その母国語のあり方自体が、母国の歴史の反映であり、母国の文化の基本的・基礎的一環であるという見地にたって指導がいとなまれるという点は、国語教育にとって特徴的なことである。上記、教材編成の基準も、実は母国の文化の健康な面を児童・生徒の意識内容に反映させることが可能なような文体のある文章(作品)の選択ということが前提である。
 公教育としての学校国語教育は、現行の学制・教科編成のもとでは、国語科の作業を中心にすすめられている。その作業が、聞き方や話し方などの話しことばの指導と、国字の読みや書写に発する、言表理解や作文などの書きことばの指導との双方の面にわたるのは当然のことであるが、実際にこの教科教育をおしすすめるうえからは、話しことばや書きことばの指導を具体的かつ体系的に、どの面でどう実施するかという、教科構造論的な指導過程論と柱立てが必要となってくる。そこで、たとえば、ある人びとは、‘言語’と‘言語活動’という柱立てを要求する。また、ある人びとは、‘文法教育’‘文学教育’‘論理教育’という3側面の統一として国語教育を構想する、という現状である。
(熊谷 孝)


熊谷孝 人と学問昭和10年代(1935-1944)著作より昭和20年代(1945-1954)著作より1955〜1964(昭和30年代)著作より1965〜1974(昭和40年代)著作より