文教研編集・発行
『民族の課題に応える 文体づくりの国語教育
――
文教研第十七回〈横浜〉集会記録集
(1969.1) 所収

   “文体づくり”という言葉に託して [同書まえがき]
 『民族の課題に応える 文体づくりの国語教育』表紙
 会場は、張りつめた空気に包まれていた。二泊三日の集会、終始、緊張の連続だった。あとで、だれかがいった、「きびしかったな」と。
 ことしの文教研夏期集会は、改悪教育課程と私たち自身どう対決し、具体的にどう実践を組むか、という課題をかかげて開催された。組合活動と教研活動とを、日常どう実践的に統一するかが、そこに討議された。話題の中心は、体制側の要求する、主体性剥奪のあの画一的な人間づくりの作業を授業の実践面でどうはねのけ、子どもたちの未来へ向けて人間性のゆたかさをどう保障していくか、ということであった。
 で、そのことを、国語教育が分担すべき任務・課題に即していうと、どういうことになるのか、という形で報告がおこなわれ討論が進められて行った。この点に関する文教研アピールが「文体づくりの国語教育」「印象の追跡としての総合読み」ということであったわけだ。その具体的な内容については、ここに掲載する各報告についてと承知いただきたい。もっとも、これらの報告は、集会当日の報告のエッセンスを伝えるものであって、提示した事例その他にわたりカットされている点がある。と同時に、当日の質疑や反論に対する各リポーターの応答をある程度含み込んだ形のものにリライトされている。紙幅の都合で、当日の討論の模様を再現できない、ということなどもあって、そのような編集方針をとった。今次集会に対する私たちの反省の記録「民族の今日的課題と国語教育〈座談会〉」を機関誌から転載したものも、同じ理由からである。夏目武子・小口みち子・福田隆義・荒川有史・佐伯昭定・高沢健三・黒川実・大内寿恵麿の諸君が、何回か合宿までして編集の仕事を進めてくれた。心から感謝を。
  一九六八年十二月
 熊 谷   孝


  教育課程改訂をめぐる問題点一、二――講演「日本の教育と母国語の教育」から


    体制側のいう『国語の愛護・尊重』とは何か

 ……以上、今度の教育課程の改訂がどのような政治的意図のもとに、直接何をめざして行われたものであるのか、ということや、その最終答申案、カクレミノ審議会の最終案の線と実際の文部省告示の線との部分的な微妙な違いが一体何を意味しているのか、というような点について私の考えているところを端的に申し述べました。ともあれ、こんどの改訂の意義は、58年(昭和35年)の改訂のそれとのつながりの中で考えられなくてはならないし、直接的には70年安保へ向けての準備工作的な狙いのものであること、民主教育を守ろうとする教師大衆のあらゆる組織と組織活動を分断し破壊しようとするものであること等々を、きょうのこの公開研究会でお互いに確認し合いたいと思います。
 と申しますのは、この改訂に対する教育現場の反応が全般的にフヤけていると思うからです。小中に自分の現場を持たない私なんかは、きょうのこんな形でしかアピールする場を持つことが出来ません。どうか皆さんは、それぞれの自分の職場、自分の地域での同僚やナカマたち、それから児童の父母たちとうんと話し合っていただきたいと思います。講演する熊谷孝氏
 フヤけてると言いましたのは、お配りした「講演と報告のための資料」という印刷物の最初のページをごらんいただくと解るんですが、ある小学校の校長さんは、こう言っています。「新聞なんかでは、こんどの改訂は日の丸路線だとか、灘尾文政がどうとか、国家社会への奉仕を打ち出したものだとかいって騒いでいるが、『国語』に関する限り、こんどの改訂の精神は本当だと思う。国語の愛護・尊重を呼びかけているところは共感を呼ぶ」というみたいなことを公言しています。その原文・出典は「資料」に示した通りですからおたしかめ下さい。
 この校長さん、これまで比較的いい線を行っている人だったものですから、驚きました。かんじんの所へきて、ガタガタに崩れてしまったという感じです。が、このガタガタが実は現場一般の線なのですね。自分では妥協のつもりじゃなくて、結果的には相手側のほうに回ってしまっている。そこが問題だと思うのです。
 カクレミノ審議会の小学校部門「国語」の委員長をつとめあげた輿水実さん、この当事者が「国語の愛護」ということについてハッキリこう言っています。
 ――「今度の指導要領の特徴は国語に対する関心、愛護、尊重を強く打ち出していることですね。国民学校時代に、国語の愛護、尊重を強く打ち出したんですが、それ以後ずっとなかったことなんでよ。国民性育成、国民的自覚の主張と非常に縁があるんじゃないか。」
 非常に縁があるんじゃないか……まるで他人事みたいな、おトボケぶりですけども、それはともかく、こんどの指導要領の謳い文句の「国語の愛護」とか「尊重」というのは、当事者の輿水さんが自認、確認しているように、意図においてハッキリ国民学校時代の、つまり太平洋戦争下のファッショ的な国語教育、国防教育としての国語教育の復活・再現を図ったものなわけですね。これこそ明治百年記念事業の最たるものだ、と言わなければないません。
 ですから、「『国語に関する限りは、私はこの度の改訂の精神が本当だと思う」というこの校長さんの受けとめ方は、現在の国語教育の九十度か百度の右旋回を全面肯定するものだ、ということになってしまうわけですよ。(九十度か百度といったのは、すでに60年安保挫折あたりからすごい右旋回が始まっているわけですから、これでちょうど百八十度右旋回することになるのです。)
 おそらく、この校長さんには――というのは、今まで正当な主張をつづけてきていたこの校長さんにとっては、という意味ですが――右旋回肯定なんて意志は多分ないんだろう、と思います。ところが、結果としては、それを肯定したのと同じことになってしまっているのです。これが、こわい。このこわいことが、いま、そこ、ここの現場に見られるという点に日本の教育と母国語の教育の問題点の一つがあるわけです。


    教育職人的感覚の排撃――教科教育の原理への関心を

 この点に関して私は、問題が二つあるように思う。その一つは、国語教育に特別熱心な小学校の現場の先生たちが、「国語」という教科に肩入れしすぎるあまり、国語科を何か独立王国みたいに考えてしまって、他教科との関連や、学校教育全体との関係・関連の中で「国語」をおさえることを忘れている、という点です。
 というのは、実は私、非常に遠慮したいい方をしたわけなので、熱心なのはいいが国語屋という教育職人に……といういい方は、これはまた、ものごとには言っていいことと悪いことがあるわけでして失言の部類にはいってしまいますけれども、ともかく「木を見て森を見ない」教科主義みたいなセクショナリズムが実際にある、ということを私は言いたいわけです。
 小学校の全科担任制に対する中学校の教科担任制の中で、中学校は中学校で「私は国語のスペシャリストだ」という意識が、やはりこの「木を見て森を見ない」馬車ウマ的感覚に結びつきやすいのですね。
 そういうところから、改訂の全般の方向や、ある教科――たとえば社会科などについていえば「改悪」だといっていいが、国語科に関する限り 「改善だ」とか「まあまあだ」というつかみ方、受けとめ方に滑りがちなのですね。
 たとえば、六月二日の朝日の社説が、そういう受けとめ方、考え方を実によく代弁しています。改訂の基本方針には若干懸念される点があるし、社会科歴史の改訂ぶりには首をかしげさせられる点がなくはないが、しかし公平にいって、「国語」についていう限り、「漢字学習が強化され、作文、習字にも特別の時間がさかれるようになったことは注目すべき改善」だ、というのですね。

 問題の第二点は、こういうことです。朝日の社説ふうの考え方ですね。漢字学習の強化とか、毛筆習字の必修化、それからこんどの改訂の告示にしめされてるみたいな、カッコつきの作文指導の「強化」、それを教科内容なり指導過程の「改善」だと考えるそのピンボケな感覚……いや、感覚も感覚だけれども、国語屋ともいうべき人を含めて多くの現場人の、「国語」という教科の原理、原則、第一義的なことに対するはなはだしい勉強不足が問題だと思うのです。
 結構、率先して教育課程改悪反対のデモなんかに出かけて行くような先生が、そして社会科の時間なんかには基本線を守り通した授業をやっているような先生が、国語の授業になると、先生のアンチョコ、教師用指導書にオンブした授業を平気でやっている。
 あの指導書の基本路線というのが――部分的に例外はあるでしょうが――実は、さっき話題にした「国語愛護」「国語尊重」の国民学校方式、ファッショ体制奉仕の国語教育方法論なのです。具体的にいうと、「解釈学的国語教育」の指導過程なのです。この解釈学の指導過程を技術面で部分的に少しモダナイズして「国語教育の近代化」とか「現代化」ということをキャッチフレーズにおし出したのが、改訂指導要領の国語教育理論なわけでしょう。この点については、あとで時間を使って少していねいにお話しするつもりです。それから、指導書に書いてある指導の組み方というのが解釈学方式以外のものではない、という点の具体的な実証・分析は、きょうの午後、郷キミ子・黒川実両君の報告の中で行われることになっていますから、そのつもりでお聞きください。
 で、ともかく、一方で指導要領反対を叫びながら、一方では、それこそまさに指導要領方式を具体化した指導書の指導案にしたがって授業をおこなう、というのはすごい自己矛盾です。社会科の授業でやったことを、国語の授業でこわしている。しかも自分の手で。なおかつ、そういう自己矛盾におちいっていることに自分自身気づいていない。三派の学生諸君の言葉を待つまでもなく、これはマンガですよ。三派の諸君の「ナンセンスだ」「ありゃ、マンガだよ」というせりふ は今のところ大学教授に対して向けられていますが、どうか、こういう悪罵を受けるのが私たち大学の教師だけの範囲内にとどまるように、教科教育の原理に小中の現場人の関心が向くように皆さんの手で大いにアピールしていただきたい、と思います。


    教育課程改訂の意義を、部分と全体との関係においてつかみとろう

 教師は勉強しなくてはどうにもならない、とくに第一義的なことがらについてうんと勉強しなくちゃ、ということを申しあげたところで、ちょっと問題の第一点に返ります。輿水実さんなんかが、かえって「森を見て木を見る」いい方をしているんですから皮肉です。「資料」の二ページ目の上段に書いておきましたから、一緒に目を通してください。
 ――「教育全体が『国民性の育成』という方向になってきたんですし、国語科はそれに寄与しよう、という姿勢できてるんです。」
 そういう教育課程全体の改訂の方向から、国語科では、漢字学習を強化したり毛筆習字を必修化したり、そのくせ授業――国語の授業の総時間数はもとのまま、という「姿勢」をとっているわけなんですね。これが国語科の「改善」の実態なのですね。いや、それにとどまるのではない。教科書の改編がすぐに行われるわけです。追っかけ追っかけです。追討ちをかける、という言葉がありますけど、それですね。
 ですから私たち、まかり間違っても、「国語科に限っていえば、こんどの改訂は改善だ」みたいな、たわごと は口にしないことですね。この点について、高橋碵一さんのすてきな発言があります。「資料」の第一ページの上段をごらんください。
 ――「教育は、部分で教育するのではなく、全体で教育するものだ。私たちは教育課程全体を問題にしなければならぬ。たとえば、理科の専門家が『こんどの改訂で社会科は悪くなったかもしれないが、理科はよくなった』といういい方をしたら、どういうことになるか、それが一番危険だ。かつて私たちの習った教育も、ある部分は非常に非科学的で、ある部分は相当科学的であった。けっして全部非科学的なことを言っていたわけではない。科学的なことと、科学的でないことを一緒に教えられたときに、結局出てきたものは何だったのか。(中略)どこかに不合理なことを認めていたならば、その教育全体は結局不合理になってしまう。どこの一点にも不合理を許してはならない。そうでなければ、子どもは健康に成長しない」云々。
 高橋さんのこの発言の中の「理科」という言葉を「国語」と置きかえれば、この発言がそっくりそのまま、現代国語教育批判、教師批判になるわけです。
 私の口ぐせですが、「部分」というのは「全体」に対しての「部分」ということ以外ではないわけです。その部分を全体から切りはなすと、それはもはや部分ではなくて、それ自体「小さな全体」に転化してしまうわけです。私の手の指にくっついている限り、無精して伸びたそのツメは私の部分です。けれども、ツメ切りで切り落されたそのツメは、もはや私の部分ではなくて、それ自体、小さいながら独立した全体です。リクツは同じことなのでして、教育課程全体との関連の中で考えないと、こんどの国語科改訂の意義 、そのおそるべき改悪であることの意義 や意味を意味をつかみそこなうことなしとしないわけです。


    これが「教える」ということではないか

 これも高橋さんの同じ場所での発言にあったことなのですが、高橋さんが少年時代にこんなことを経験したというのです。「資料」の四ページ目をごらんください。
 ――「小学校四年の修身の教科書に教育勅語がついていて、先生の前で暗誦させられた。『だめだ、教えた通りでない』と叱られた。『お前は、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、と切って読んだが、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ……一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮の皇運ヲ扶翼スベシ、ではじめて息をつくのだ』といわれた。」
 この先生は藤井先生という方なのだそうですが、なぜ、そんなことを先生がやかましく言うのか、その意味が高橋さんに解ったのは、大学生になってからのことだそうです。
 ――「父母ニ孝ニ、というのは、『父母に孝行せよ』といっているのではない。『父母に孝行し兄弟仲よくしていて、いったん戦争が始まったら、そんなことは忘れて天皇に忠義をつくせ』ということなのである。藤井先生は、できるなら、もっと私たちに教えたかったのだろう。しかし、それ以上口をすべらせれば、今度は先生のほうが大変なことになる世の中に教えていたのである。(中略)三十年、四十年後に『ああ、あの先生は、こんな深い読みをもって教えてくれたのか』といわれるような先生――大変だろうが、そういう先生になれたらすばらしいと思う。」
 非常に感動的な話だと思います。この話につなげ、私の言いたいことを申しますと、藤井先生のような教え方が出来ないものだろうか、ということです。というより、今、ほんとうに必要なのは、こういう教え方なんだと思います。教室のいっせい授業で何もかも、いっさいがっさい解らせてしまうとう発想ではなく、解り得る 時期がきたときに本人がハッと思い当たるような教室内外での指導、教え方……。
 解り得る、というのは、あくまで解り得る ということなのであって、可能性 の域にとどまっているわけです。その時期がきても、解るだけの素地 がつちかわれていないと、そのことが解りえないまま、むしろ大事なそのことに気づかないまま中年になり老年になってしまう、ということになるわけです。
 国語教育、とりわけ文学教育は人間教育としての性質を持っています。いや、どの教科教育の場合もそうなんだが、特に、という意味です。で、実をいうと、私たち文学教育研究者集団で実践し研究している文学教育は、目の前の子どもたちの明日のために、その日のためにという、そういう素地づくりの作業なわけです。
 そのことを、これから「文体づくりの国語教育」というしぼり方でお話ししようと思いますが、その前に一言しておきたいのは、教育の作業はおしなべて、子どもたちの未来へ向けておこなわれるべきなのであって、教師や先生、おとなの眼からみて、子どもの現状、おとなにとって好都合だということで子どもの成長・発達を評価してはならないということです。話がすべりましたが、私たちの志向する文学教育はあくまで子どもたちの明日のためのものだということです。そもそも、文学というものに即効的な道徳教育的な効果を期待してはいけないのですね。
(くまがい・たかし/国立音楽大学教授)

熊谷孝 人と学問昭和10年代(1935-1944)著作より昭和20年代(1945-1954)著作より1955〜1964(昭和30年代)著作より1965〜1974(昭和40年代)著作より