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『転形期の文学――国立市民大学文学ゼミの記録』(1967年3月31日発行)抜粋 |
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| ■第1回 ゼミの発足 一、あいさつに代えて 二、転形期ということ・対象領域の設定 ■第2回 文学理論常識一、二 ――用語の問題を中心に―― 一、思想と観念 二、表現ということ(一) 三、行動主義・精神分析・生哲学――表現ということ(二) 四、ギュヨーの場合・感情について |
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| ■第1回 ゼミの発足 一、あいさつに代えて |
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| 熊谷でございます。来週から、みなさんとごいっしょに勉強させていただくことになりました。どうぞ、よろしく。 楽屋をさらけ出した話になりますが、徳永さん(国立公民館社会教育課長の徳永功氏)から先ごろ電話を頂戴してまして、市民大学の仕事を手伝え、というお話がありました。そのときは、正直いって二の足をふみました。というのは、市民大学の何のというけど、所詮は婦人教養講座――最近ハヤリのBG相手の、あるいは家庭婦人相手の教養講座とどっちこっちのものだろう、と考えたからです。 ![]() 誤解のありませんように。婦人教養講座なんか無意味だ、と申しているのではありません。ただ、ああいう形の学習にはすごく限界があるのですね。経験的な話になりますが、話をする側から申しますと、聴衆のもっている常識や感覚に乗っかった格好で問題を処理するほかないのです。相手の舌(味覚)に応じた仕方でしか問題を料理できないし、相手にとって口あたりのいい、おいしさいっぱいみたいな、サワリだくさんの話をする以外手がないのです。 極端ないい方をすれば、聴衆のもっている教養や知識内容がたいへんリッパなものだ、ということを、いろいろさまざまに論証してみせるような話をすると、評判がいい。まかり間違っても、あなたのニンシキはおかしいんじゃないか、などということを口にしてはいけない。言ったら最後、ソッポを向かれてしまう。というのは、むろん極端ないい方をすればの話でして、婦人教養講座なんかなくもがなのものだ、などということを言っているわけではありません。それはそれで、少なくとも、なにがしかの知識の吸収の場ではあるわけです。 けれども、ただ、自己の行動様式の変革につながる自己の主体的な認知・認識の変革の場であるためには、教養講座という形のものでは、ぬるすぎてダメなんじゃないか、という気がします。私が二の足をふんだ理由も、その辺のところにあるわけです。 けれども、これは私の誤解でした。先刻、徳永さんがお話になられたような趣旨と性格の、文字どおりこれは市民のための大学、参加者個々人にとっては〝私の大学〟であるわけです。この市民大学セミナーは、もう一度学生時代にかえったつもりで勉強しよう、という方々の集まりです。また、大学生活を経験なさらなかった方々にとっては、社会教育の場で大学のセミナーを経験なさろうという、そういう場であるわけです。この市民大学セミナーのチューターであることを、いまは心から私、光栄といたしております。 そこで、あらかじめ、これからのセミナーに対する姿勢というか構えみたいなことについて一、二希望を申しあげておきます。 これから、皆さんが代り合って課題についてリポートしていただくわけですが、リポーターであるとないとにかかわりなく、その報告や討論はご自分の言葉でやっていただきたきたい、ということです。マス・プロ大学のゼミで割としょっちゅう見かけることなんですけれども、何かに書いてあることをノートに写してきて棒読みするみたいな報告ぐらい無意味なものはありません。文献から引用することはいいんですが、どこまでのところが引用なのか、どこからが自分の意見なのか、けじめをつけた報告をお願いしたいのです。 ということは究極において、活字への迷信からご自分を解放していただきたい、ということです。名前の通った学者や評論家が書いていることだから、といって、それを絶対視するのだったら、その本を家で、ひとりで読んでいればいいのであって、こうしたゼミに参加して話しあう、考えあう必要はないことになります。 その反面、数学のほうでいう定理や公式みたいに、学問的に論証ずみの理解の仕方や判断などに対して、自分の無知を武器としたみたいな議論を得々とやる、というようなのは、これはゼミの妨害です。学生のセミナーでよく見かける風景なので、ちょっと申しあげておきます。 それから、このセミナーにおいて終始私がとってきている基本方針なのですけれど、原典主義ということについてであります。原典主義――それを作品主義と言い換えてもいいのですが、 自分の眼は、この私のことで申しますと近視で乱視です。メガネをかけないことには物は見えない。自分の眼で見るとはいっても、メガネは必要です。が、そのメガネは自分の眼に合ったメガネでなければなりません。どんないいメガネであっても、他人のもの、他人の借り物では役に立ちません。このセミナーは、自分の眼に合ったメガネを求めての、まず自分の眼で作品を読む会としてスタートしたい、と思います。いいかえれば、自分の眼の |
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| 二、転形期ということ・対象領域の設定 | ||
| 自己紹介をかねて、セミナーの研究対象領域についての皆さんのご希望や<転形期の作家と作品><伝統の受けつぎと変革>というこのセミナーの全体のテーマの意味などについて、ご質問をいただいたわけです。ご質問に答えることから話をはじめることにします。 多分、みなさんがこのゼミに参加申しこみをなさったときに、みなさん方の胸にあった理解とそう違わないだろう、と思うのです。転形期というのは、どなたかのお訊ねの中にあった変革期ということと同じだ、とお考えくださって結構です。たとえば、十一、二世紀の院政期――これなど、古代から中世への変革期として典型的な転形期ですね。さらに、それにつづく中世の時代が、全期間を通じて転形期の様相を呈しているわけでしょう。 つまり、そういうような意味での転形期、変革期ということが、むろん前提にあっての話なのですけれども、私が〝転形期の文学〟云々という場合の転形期というのは、何かめいめいの〝私〟にとっての転形期というような意味をこめていっているわけなのですよ。〝私〟が〝私〟自身の生活やその周囲に、あるいは生活の基盤としてのその社会の中に転形期を実感する。それは、ある意味では歴史と生活との危機感みたいなものでもあるわけでしょうが、その危機感と照応するかたちでのやはり危機感に苦しんでいる人間の姿を、過去のある時点において発見するとすれば、その時期がまさに〝私〟にとっての転形期になるのではないか、というような意味なのです。 私自身のことを例にして申しますが、これは私の生活のぬるさと頭のわるいことから来ているのですけれど、歴史との(生きた歴史との)つながりの中で自分の生活を考え、自分を考えるという姿勢が自分自身の中に生まれてきたのは、学生生活も終わりに近いころなんです。まわりの学生、友人たちとくらべて一コマ二コマもずれていたわけです。おくれていたわけです。で、自分なりに〝歴史〟というものを自分自身の生き方とのつながりにおいて意識し、現在の歴史の進行の中に転形期を実感するようになった(なれた)ときは、およそ組織はズタズタに解体され、ひとりひとりの人間が孤立の状態に追い込まれている、そういう歴史社会的な段階だったわけですね。 豚の幸福と人間としての幸福ということを申しますが、豚の幸福に酔い痴れていることから開放されたとき待ちかまえていたのは、人間としての幸福ではなくて、人間としての不幸であった、という感じですね。明日を信じて生きる、というより仕様がないみたいな状態であったわけですね。私にとっての〝転形期の文学〟は、そこで、偶然めぐりあえた太宰治の文学や、井伏鱒二の文学、芥川文学などであったわけです。とくに、太宰文学でした。同時代の転形期の苦悶を苦悶している、ということで太宰の文学が〝私の文学〟であり〝転形期の文学〟であった、というわけです。 それと同時に、井原西鶴の文学、十七世紀の封建制下の民衆文学である西鶴の文学が、私にとっての〝転形期の文学〟であったのですね。西鶴自身の用語でいうと、「 「人は、ばけもの」――人間はバケモノだ、と西鶴はいっていますが、他を疎外することで自己疎外におちいり、バケモノになった人間。他から疎外されることで、人間らしくは生きられない人間の姿。そういう意味でのバケモノになってしまった人間の生活のありかた。人間の善意がつねに逆な結果をつくり出し、自他を疎外して、相手もろとも自分もバケモノになってしまっている、封建制下の民衆の姿。 そんなふうにだけいうと、何かニヒリズムが西鶴という作家をとらえてるみたいに聞えるかもしれないけれど、そうではないのです。西鶴文学のベースにあるものは、無限の人間信頼なのです。人間の可能性、自由へのかぎりない可能性に対する信頼なのです。人間というもの、民衆的人間というものに対する揺がない信頼が根底にあるものだからして、その人間(人間像)を、およそ現在の民衆生活においてあり得るかぎりの疎外の条件、状況の中に置いてみて〝実験〟をこころみるのです。そして、その実験を通して逆に、そこに人間の可能性をさぐり求めているのです。 どうも不十分にしかお話できませんが、十七世紀末期の民衆の生活は二重、三重の意味で追いつめられ追いこまれた状況にあったわけなのでして、人間を見失うまい(自己の人間を見失うまい)としても善意だけではどうにもならない、という、そういう状況にあったわけです。自分の、むしろ自他の実際の生活行為を、ときとしてつき放して、その実践に実験的な意味をもたせて自己凝視する、ということがそこに必要になってくるわけです。そういう自己凝視を「常の町人」の視点でおこなったのが、西鶴の文学です。鎖国以後の国民の歴史にとっての、あのきびきく激しい変動期の中での、自他をつき放しての自己凝視と可能性の追求です。一九三〇年代の私にとっての〝転形期の文学〟の一つに西鶴文学が位置づけられていた、という意味、ご諒解えられたでしょうか。 私のいう意味の〝転形期〟〝転形期の作家と作品〟というのは、そういうことなのです。私たちが私たちの生活と歴史の奥底に感じる〝転形期〟――それと見合うかたちの〝転形期〟について考えている文学を現在に、そして過去に追い求める、さぐる、ということなのです。私たちが、現在眼の前にあるもの、眼の前にある文学ですべてが満たされるのなら、過去の文学への探求はその限り不要です。現代の文学によってではなくては応答のえられないものがあると同時に、現代の文学が真実〝現代文学〟にはなりえていない、というか、ない切っていない、そういうことを残念だが実感せざるをえないから、過去に眼を向ける、向けざるをえなくなる、ということなのです。 〝現代の文学〟ということと、〝現代文学〟ということを私は区別して考えます。この時期に制作されている作品ということと、真実こんにち的な課題に答えてくれる文学作品との区別です。で、そういう区別に立っていえば、作家だけではなく私たち平凡な読者も協力して、これから作りあげていくものが現代文学なのだ、と思うのです。伝統をもりもり吸収し受けつぎながら、それを発展的に媒介して変革しながらであります。 さて、これからの私たちの学習に素材を提供してくれる対象領域のことですが、大方のみなさんのご希望は日本近代文学について考えてみる、ということだったようです。最初、公民館がわとの打ち合わせでは、中世文学のどこかに対象領域を設定して、ということだったのですけれども、でも、いいでしょう、ご希望の多い近代文学でまいりましょう。近代のどこを、ということについては、チューターにまかせる、ということでしたから、提案します。一応、私のほうから提案します。しかし、一応なのです。別の案も、みなさんのお話を伺っている間に用意してありますので、遠慮なくご意見をおっしゃってください。 私の第一案は、<幸徳事件以後>というテーマの切り取り方によるものなのですけれども――。日本の近代文学は、見方にもよりますが、自由民権運動の文学面での受けつぎという格好で、まさに文学運動としてスタートします。自由民権運動の壊滅によって失ったものの、文学運動による回復、失地回復みたいな様相で明治二十年代に成立するものですが、つまり二葉亭四迷の『浮雲』のことを思ってみてもいいでしょうけど、むしろ北村透谷たちの文学界のロマン派の運動のことを焦点にすえて考えてみたらいい、と思います。その辺のことを考えてみるのが、じつは第二案なのですよ。 第一案は、明治も終わりに近いころ、例の幸徳事件というデッチ上げ事件が発生しますね。盛り上りかけた政治意識や労働組合意識や何やが、ここのところで息をつめた格好になるわけですけども、逆に文学のほうは、結果論みたいなことになりますが、息を吹き返すのです。政府と検察当局、裁判所の結託による、デッチ上げによる大量殺人事件に対する民衆と民衆文学者による怒りが、文学の場で爆発します。民権運動とロマン派の文学運動の関係みたいなものが、この幸徳事件とこの時期にの多くの良心的でラショナルなものの考えをする文学者の上に見られるのです。 具体的には、少年詩人・佐藤春夫、石川啄木、永井荷風、森鷗外などの文学者の姿勢(文学への姿勢)の転換の中にそれが見られる、ということなのです。で、その辺のところからはじめて、芥川の文学、小林多喜二、徳永直、黒島伝治あたりにふれ、さっきお話した(「近代文学」の人たちのいわゆる暗い谷間の)太宰文学――『晩年』あたりのところまで問題を追ってみる、というテーマの切り取り方をしてみてはどうだろう、というのが私の提案です。ご検討ください。 (当日の談話をもとに、先生が文章としてまとめてくださったものです。=編集部) |
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| ■第2回 文学理論常識一、二 ――用語の問題を中心に ―― 一、思想と観念 |
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| こうして十五人、二十人の人が集まって、いっしょに一つの作業をやろうということになりますと、そこにルールが必要になってくるだろう、と思います。私のきょうの話は、そのルールに関してであります。とくに、用語のルールについてであります。 来々週からセミナーが始まるわけですが、それで私たち、替わり合っていろんな作品について報告したり討論したりすることになりますけども、きまって作品の ところが、たとえば「思想」なら「思想」という言葉は、このことばを使う人によって言葉の意味内容(概念内包)は、かなりまちまちなのですね。ある人は、それをただの「観念」というほどの意味に使っているし、だから行動とは直接関係しないような、頭の中だけの ですから、その人の思想をしるためには、その人の言葉(観念)だけではなしに、実際のその行動を見る必要がある。口でいくら進歩的なことをいっていたって、実際の行動が反動的なら、その人は反動的な思想の持ちぬしだ、ということになるのですね。「思想」というのは、そういうものだし、したがって「思想」という言葉は、そういうふうに使われるべきなのでしょう。 が、実際には「思想」という言葉は、ただの観念を意味する言葉としても使われているわけです。誤った用法なわけですけれども。で、セミナーでのこうした言葉の用法は、可能なかぎり本来の用法で、一義的に使うように、とりきめを行ないたいわけです。 用語のすべてにわたって、それを行なうことは不可能にきまっています。が、「テーマ」だとか「内容」だとか、「表現」だとか、それから今いった「思想」であるとか「感情」といった用語だけでも、せめて、と思うわけです。実際の報告や討論にはいってからの、用語の混乱からくるお互いの話のくい違いを、一つでも二つでも未然に防止したいわけです。さっそく、「表現」ということから始めることにします。
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| 二、表現ということ(一) | ||
| 私が今のところ、いちばん敬意を払っている表現論は、デューウイ( Johon Dewey )のものです。『経験としての芸術』( Art as
experience )というその著作の中に語られている見解です。鈴木康司氏による邦訳(春秋社刊)がありますので、くわしいことは、それについてご承知ねがいますが、その表現論は一九三一年、ハーヴァードでの講義の中で発表されたものです。 うんとしぼったいい方をしますが、デューウイは人間の外化行為を類別して、 (1)表現( expression ) (2)表示( manifestation ) (3)記述( discription ) の三つに分けております。ただし、概念として、あるいは範疇(カテゴリー、わく組み)として類別している、という意味です。 後で申しますように、感情に支えられなくては、どのような外化行為も不可能なわけですが、しかし(3)記述というかたちの外化行為は、いわば感情に一時停止をかけるかたちでの、概念による概念への抽象である、ということになるのだろうと思います。 これに対して、(2)表示というのは、個人感情を剥き出しにしたかたちの dischrge (発散)だ、ということになります。カチンと来たんで、どなる、おかしいから笑う、というようなのがこの表示です。 ですから、表示というのは、時間のカテゴリーでいうと「瞬間的」――瞬間的な外化行為だ、ということになります。アタマへ来たんで「バカヤロー」と、こう言うわけなのですから。そういう言葉を口にすることで、スーッとする。サバサバする。表示の効用はカタルシス(吐瀉・浄化)だ、とデューウイはいってますけど、つまりそれは瞬間的発散による自己充足的な行為なわけです。実効は必ずしもあがらない。 たとえば、郵便料金は値上がりする。牛肉も値上がりするし野菜もだ。上がらないのはサラリーだけ、というわけでカッカしてるわけです。おまけに、毎日毎朝の通勤ラッシュで、いらいら、カッカしてるところ、いやというほど足を踏まれたりすると、おかど違いの「バカヤロー」が隣の男に対して出てしまうわけです。が、この発散、この表示は、物価を吊り上げ、賃金の釘づけをやっている当の相手にとっては痛くもかゆくもありません。表示の効用、まずはかくのごとし、というわけです。さらにいえば、そんな風なことで怒りを発散させてサバッとしてくれれば、相手にとって、こんな都合のいいことはありません。表示の効用は所詮カタルシス以上のものではないわけです。あるいは、カタルシスの効用以上のものではない、ということなのですが。 ここのところで、どなたもお気づきだと思うのです。(1)いうところの芸術カタルシス説や、(2)芸術というのは芸術家その人の自己表現だ、という考え方は少しおかしいんじゃないか、ということにお気づきだと思います。カタルシス――それは、表現以前の表示の段階のものなのですね。「自己表現というのは実は自己露出、つまり表示以外のものではない」(デューウイ)のですね。 表示に対する表現――このことに関して、デューウイは次のような例をあげて説明しております。 赤ちゃんが泣く。オギャー、オギャー泣く。これは第一次的には、赤ちゃんは泣くために泣くのだというのです。泣くこと自体が目的で泣く――これは赤ちゃんの表示だ、というのです。ところが、赤ちゃんもおいおいに知恵がついいてくる。泣けば、おとなが自分のそばへ来ることを意識するようになっていきます。すると、こんどは、人を自分のそばに呼ぶために 芸術という行為は何も特別のものなのではなくて、もともと人間の生活行為の部分なのだ、という彼の考え方がそこにハッキリあらわれていて、おもしろいのですけど、それはともかく、第一次的な泣きと第二次的な泣き――これは、ただの 表現という行為は、表示とはちがって自己目的々な行為ではありません。手段意識につらぬかれた行為です。くどくいえば、現実のある事態(事物のあるありかた)を、別のあるかたちのものにつくり変えるための外化行為が表現です。(そこで、表現の究極の形態が創造――創造的表現だ、ということになるわけです。創造という行為も、けっして無から有をつくり出すいとなみではなくて、事態をつくり変えることによってあたらしい展望をそこに導く、という行為以外ではないのですから。) 表現――そこにあるのは、ある事態、ある問題との持続的な対決です。問題を解決にみちびくための、持続的な対決です。「表現は時間的な構成をもつ」とデューウイがいうのも、そういう意味だろうと思います。 泣くほかない現実を、泣かずに生きていけるような現実につくり変えていくために(直接的には、涙に崩折れないようにするために)、それを笑いでこらえる、という西鶴の姿勢、その喜劇精神なども、だから真実の意味での表現行為をあらわすものだ、と私は思います。 感情というところに焦点をおいていうと、表示はいわば個人感情のナマなかたちの発散でした。表現は、他者の感情を自己のそれに媒介した〝感情の組みかえ〟の行為である、という点で表示と区別されることになるだろう、と思います。デューウイもまた、表現は感情をはぐくむ行為だ、といっております。けれども、問題がこの辺のところまでまいりますと、そろそろ、デューウイの考え方にも限界が見えてきます。表現が他者につながる これは、プラグマティズム(――デューウイはジェームスとともに、プラグマティズムの代表的な哲学者なわけですが)のコミュニケーション・セオリー( Communication theory 伝え理論 )の限界を示すものであると同時に、デューウイその人の場合に即していえば、学説史的な不可避的な限界をいいあらわすものであった、というふうに私は考えております。 ごく簡単に申しますと、表現という行為は他者を自己に媒介すると同時に、他者Aの体験を他者Bに、他者B の体験を他者Aに伝える(つまり、もろもろの他者の体験を他者相互に媒介して伝える)という、そういう行為になるわけですけども、そういう理解と把握がそこに成り立つためには、思考ということが人間の内がわで他者との〝伝えあい〟である、という考え方が理論的な裏打ちをもって先行していなければならないわけなのですね。表現が媒介的外化行為である、というのは、表現といういとなみが〝内なる他者〟との対話としての思考活動に支えられ、認知の構えをつくり変えるいとなみの中で実現する、ということなのですね。そういう理解は、まだこの段階のコミュニケーション・セオリーの、したがってまたこの段階の表現論のものではなかった、ということなのです。 デューウイの表現論を越えた、新しい up to date な伝え理論が一般的なものになってくるのは、もう少し後のことです。それは「脳皮質に形象と言語による思考の担い手である第一信号系と第二信号系があるという注目すべき思想がわきあがる」(『パヴロフ選集』邦訳六五一ページ参照)時期を待たなくてはなりません。もっとも、私たちの日本の場合についていうと、この「注目すべき思想」――第二信号系の理論も、まだまだ一般的なものになっていませんし、それ以前のところで、〝伝え〟や〝表現〟の問題がああだ、こうだ、といわれてるのが現状です。それは一つには、この第二信号系の理論もまだ、概念的な伝えの究明にいそがしくて、芸術の伝え、伝えあいの解明にまでは十分手がおよんでいない、ということもあるにはあるわけなのですが。私がこうしてデューウイをみなさんの前にかつぎ出してきて、つべこべ言わなくてはならないのも、そのことに関係しているわけなのですけど。 |
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| 三、行動主義・精神分析・生哲学――表現ということ(二) | ||
| ともあれ、概念として「表現」ということを「表示」と区別して考えようとか、「表現」というのは、感情による感情の組みかえというかたちの媒介的外化である、というようなことを云々したのは、一般に表現ということが(したがってまた「表現」というこの用語が)ルーズに使われているからです。いいかえれば、それが表示とどっちこっちのものとして考えられ、自己表現説などがハバを利かせている、というようなことがあるからです。 その結果、作品の表現内容は作者の意図した主題のストレートな具体化・実現だ、というみたいな考え方が、かなり一般的におこなわれている。作品表現に示されている意識内容は作者のそれとイコールだ、というつかみ方ですね。この考え方で行くと、作品の正しい理解というのは、作者の意識や感情、意図した主題などを正確につかむことで実現される、ということになりますね。けど、これは違うでしょうね。意識と行動は必ずしも一致しません。 意識のありようを客観的につかもうとして、それを行動のほうから測定していくというやり方がありますが(行動主義の考え方)なるほど意識と行動との間にはある函数関係があることは確かですけども、ネズミが右へ曲ったのはハラのへってる証拠だ式の、きめてかかった行動判断がそこに先行してるのですね。 また、精神分析の芸術論みたいに、三島由紀夫が好んで肉体的にたくましい青年を描くのは、三島が自分の肉体的劣等感を補償しようとする意識(――無意識という名の意識)のあらわれだ、という方式の表現理解にも私としては首をひねらざるをえません。 そういう要求もあるかもしれないが、それはしかし、あくまでも一つの要素にすぎません。欲求不満のあらわれだ、無意識願望だ、補償だ過補償だ、という精神分析の網で創作(表現)の隠れたモティーフをすくい上げ、その網の目からザーザーこぼれ落ちていくものには眼もくれない、というのでは困るのですね。これはどうも、一事が万事というわけにはいかない事柄なのですから。 で、行動主義的な理解にしろ、精神分析の場合にしろ、それからみなさんがよく耳になさるだろう追体験ということ――あれはディルタイの生哲学あたりを本拠とした考え方と見ていいでしょうが、その追体験方式の考え方にしろ、おしなべて、こうした一連の自己表現説に欠けているものは、表現が媒介的外化だという点への無理解です。 |
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| 四、ギュヨーの場合・感情について | ||
| その点、ギュヨーの次のような理解は問題の所在に迫るものがあるように思われます。「表現された感情を理解できるためには、読者はあらかじめ、その感情を自身にもっていなければならない。」という意味のことを語っています。それを裏からいえば、作者は、読者(他者)の感情を自己に媒介して表現しなければならない、ということになるのですから。私のいう〝媒介的外化〟の基本的な契機の一つが、すでにそこに指摘されているわけです。 また、彼は、こうもいっております。芸術のエスプリを身につけた芸術家(天才)の内的過程構造についてであります。「天才はいちばん複雑で、(それ自体)複雑でありながら、ひとまとまりの個体である。」彼は「一種の生きた社会を自己の内部にもっている。」その内的構造の特徴は、「その内部が管弦楽的であり得ること」及び「同時に、つぎつぎに多種多様の音階を自分のものになし得る力である」こと等々だ、というのです。媒介的外化の論理へもう一歩――という所まできている、という感じです。 ここで、ちょっと注記しておきます。「感情」という言葉を無規定に使ってきていましたが、それは「高貴な理性」と対比的に使われている、いわば本能的なカンジョウというふうな、古典的な(?)意味での「感情」というような意味ではありません。感情もまた認知である。それは構えのような認知のことである、という意味での「感情」のことです。あるいは、それは、 (当日の談話をもとに、先生が文章としてまとめてくださったものです。=編集部) |