岐路に立つ国語教育
 熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集』より

 
国語教育時評 2
現場の問題から
    (初出:「教育科学 国語教育」1965年5月号)

 「要するに職人だな」

 よほど頭にきてることがあるらいしのだ。なにが国語教育だと、先生すっかりナナメである。「とにかく、うちの学校の国語屋さんたちときたら話になりませんよ。」と前置きして彼の語るところは、こうである。彼? ……名前は伏せる。東京近県のある中学校に職場をもつ、若い国語教師とご承知いただきたい。
 ――あれは要するに職人だな。もっとも、自分の担当教科の内にとじこもってしまって、教育の基本的な問題に対してはノー・コメントの姿勢をとるという傾向は、最近では各科共通ですけれど。だから国語科だけがそうだというわけではないけれども、だけどうち の教科は、ちょっとひどすぎるんじゃないかな。授業にしても教科書絶対、指導書絶対の授業なんですよ。こんな教材、こんな指導書でまともな教育ができるかなんて、連中、考えてみたこともないんでしょうよ。
 ――ええ、そりゃもう、すなお なものですよ、上からの指令やPTAの幹部の要求などに対しては。学テ、O・K。進学補習、O・K。むしろ、ここが自分の腕の見せどころと、はりきるのですよ。例の進学組と就職組に分けた差別教育の問題で、ぼくたち頭をかかえこんでるわけですが、そんな悩みはこの人たちにはない。疑問も悩みもないんだ。これでも教師ですかね。そのくせ、ふたことめには教師たるものはとか、国語教育というものはとかブチまくるのだから、いいかげん頭にきますよ。国語教育界というところには、なにか戦前からそういう職人的というか、馬車ウマ的な遵奉精神の伝統みたいなものがあるのじゃないですかしら、云々。
 別れしなに「要するに、戦前派や戦中派はだめですね」と、そういってしまってから、チラリと私のほうを見て、「失言、失言」と首をすくめてみせた。
 要するに旧世代はだめだ、という議論については、紙幅がゆるせば後で話題にするとしよう。さし当たってその一コマ前の話題だけれど、この若い友人の指摘しているうような現実が、どこの職場・現場にもあてはまるような現実だと私には思えないし、また思いたくもない。ただ、それがきわめて例外的な事例にすぎない、というふうには、いいきれないものがあるような気がするのである。なかば経験的にそう思うのである。


  国語教育以前の問題・評価の問題


 この友人からそんな話を聞かされた後、『国語通信』№71
(筑摩書房)に次のような職員会議風景が載っているのを目にした。
 ――毎年、学年末の成績会議になると、僕は憂うつになる。生徒たちのデキの悪さを改めて見せつけられるからではない。大きく言えば生徒の未来を決定づけてしまうような成績会議の場でさえも、「デキネエ」ということばでいとも簡単に生徒が処理されていくという膚寒い現実があり、その膚寒い現実と、とことんまで闘っていない僕の自責の念からくるのである。合格点より何点低いかということを二、三時間いじくりまわして、「不合格点」のレッテルをはるだけの成績会議に「待った」をかけ、討議を本質的な問題に少しでもひきもどそうとすると、なかば眠む気のさしてきた連中はいやな顔をして、「もうこのへんが限界ですよ」とかなんとか言って、サラリと逃げる。ああ、やっぱりだめだ、教師集団を確立するためにもっとエネルギーを割かなくちゃ、といつも思う。(林悦三氏――東京都立北高・定時制
 これもどうやら、この筆者の職場だけの例外的な事例ではなさそうだ。「教師集団を確立する」ことなしには国語教育も、いや、どのような教育のいとなみも実現しない。国語教育以前が国語教育のありようそのものを制約するのである。筆者がそこにふれている評価の問題ひとつとり上げてみても、そうだ。
 ――五段階評価があって、たとえば子どもを見たとき、顔に点数が書いてあるような、そういう尺度で子どもを見ている。それを不思議に思わなくなってきている、云々。(真下巳知男氏――群馬・月夜野中
 ――五段階につけること自体が生徒を差別する考え方だ、ということに教師が気がつかなければならない、云々。(池上正道
氏――東京都・四谷二中
 これは、『国語教育』№61(三省堂)所掲の座談会記事からの引用だが、たとえばそこに指摘されている問題に、この評価の問題がつながっている。さらにまた直接、国語教育自体の問題としていえば、国語の教授・学習内容そのものが、この五段階評価法によって規制される面が大きい、ということだ。それは、たとえば次のようなことである。
 漢字の書き取りにふり仮名をつけさせるとか、短文を品詞に分解させるとか、あるいは、ヘンにひねった出題の仕方で相手の虚をつくとか、何かそんなふうな仕方で、個人別の成績差が「ひと目でわかる」ようなテストが行なわれがちだ、ということが、まず前提としてそこにある。
 それは、明日からの教育実践の足場と方向を見さだめるためのテスト評価ではない。少なくとも、テストの主たる目的は、⑤~7%、④~24%、③~38%……という、例の成績分布図を作製することにある。学級全般の学習意欲が高まって、優が60%、良が40%、可や不可はなくなった、というような場合でも、⑤60%、④40%、④以下のバーセンテージゼロ、ゼロ、ゼロというような評価の仕方は許されないのが、この五段階法なのである。
 そこで、生徒の顔に点数が書いてあるということになり、「できる」「できない」で生徒を差別する、ということにもなるのである。いや、できる子、できない子というのを帳簿づらで作りあげ、次には帳簿の記載にしばられた生徒観を教師自身もつようになるのである。これでいいのか。
 テストの目的と方式が上記のようなものになりがちだ、ということは、ところでまた、テストのそういうありかたと見合うようなかたちで授業が進められがちだ、ということである。文学の授業に関していえば、作品の文章を段落に分けて各段落の要旨をいうとか、指導書という名の教師用虎の巻に記載されているような方式で、主題を徳目化して短いことばにいいかえるとか、何かそういうお手軽な授業になりがちである。
 お手軽な授業? ……かんじんの文学的感動、人間的感動を疎外したブンガクの授業という意味である。さらにいえば、作品表現への感動を媒介にして、子どもたちに自己内外の現実をみつめなおさせる、という本筋のところからはほど遠い、形式的で紋切り型な授業という意味だ。
 夏目武子(横浜市立大綱中)の談話によれば、「これが文学の授業だ、と自負できるような授業をやれるのは、中三では、せいぜい秋ぐらいまで」だ、という。「そういう授業は高校入試に関係がないと考えるらしく、入試シーズンが近づくにつれて一般の生徒はついてこなくなる」からだ、という。そういうカベをどう突き破って本筋の授業を実現させるか、というところにその日の夏目氏の話題の眼目があったわけだが、ともあれこれは、テストの方式や内容が授業のありようを制約している一例だ。
 五段階評価の問題に話をもどすが、地方教研や各種の民間教研などに参加していて、きまって出くわす質問は、こうだ。あなたにそういわれるまでもなく、自分たちとしても紋切り型の授業はやりたくないし、子どもたちの感動をたいせつにした授業を心がけているつもりだ。だが、評価に困るのだ。評価を伴わない教育はありえない、とあなたはいうが、それで困るのだ。現実をみつめなおす「文学の眼」が、その授業をとおして一体どの程度に子どもたち自身のものになりえたか、それをひとりひとりの子どもについて測定できないからだ。なん人かの子どもたちについては反応がハッキリしているのでつかめるし、クラス全体としても、ある手ごたえを感じるのだけれど……。それで結局、評価しなければならんから、授業の実際の内容とはあまり関係のない、ありきたりの発問でテストを行なうことになってしまうのだが、云々。
 私は思うのだが、五段階評価を不動の前提として考えるかぎり、この問題の根本的な解決はありえないだろう、ということだ。また、テストを「ありきたり」の「紋切り型」の方法でお手軽に行なうことをやめない限り、(教師の主観において)授業そのものをいくら「本筋のところ」で進めてみても、子どもたちの授業への関心は、究極において本筋のところへ向かいはしないだろう。試験には出ないが、これはだいじなことなんだよ、ではダメなのである。だいじなことは試験に出なくて、だいじでないことがテストの対象になる? おかしなことではないか。
 が、問題は、むろん、教科や教室の内側に向けられた教師個々人の努力だけでは解決しえないものを含んでいる。入試や学テや、教科書検定の実状を思ってみただけでも、それは自明のことだ。とすれば、こんにちの日本の教師たるもの、この内側の問題を解決するためにこそ目を外に向け、外に対する働きかけの態勢を組むべきではないか。教科の問題を教科のわく 内だけで解決しようとする教師も、結果的には、やはり「要するに職人だな」である。


 「先生は本当の勉強を教えてくれない」

 上記、三省堂の『国語教育』№61に、次のような中学生(群馬・月夜野中三年生)の作文が掲載されている。
 
 ――現在、最高授業がつまらない。一番不服を持っているのが、国語の授業だ。(中略)第一に教え方だが、あんなやり方私にだってできる。本を一回通して読み、段落にわける。そして、一段落ずつこまかくやっていく。(中略)「悄然という意味。はい、○○さん。わからない事はない。『学習の手びき』にちゃんと出ている。」こんな事でもやるうちはいいが、「ここはほかの意味があるのじゃないかな」と考えていると、「ここは別に問題ないですね。では次。」ずっと前も自分の考えを言うと、「ああ、そんな考え方もありますね。」ぜんぜん問題にしてくれない。私達の意見も聞いてくれないし、教えるのにも自分で考えるのではなく、何でも「学習の手びき」中心である。
 ――先生は文学というものを、「有名だから一応読んどけ。」と言うだけだ。そして「有名なものは作者と題名だけはおぼえておく方がいい。」これでは文学者がかわいそうだ。もっとおかしい事は、「読むのは読んどけ。しかし読むとなると卒業してからだな。今は勉強がいそがしくて、そんなひまはないな。」本を読む事だって勉強なのに……。先生は文学を文学と思っていないらしい。先生は試験のために勉強をやっている。本当の勉強というものを教えようとしない。文学は試験に出るためにおぼえるだけであって、文学の真実の中みなど問題じゃない。
 ――二年の時の国語のよさが、今しみじみとわかる。(中略)今こうしてA先生におそわっていると、B先生(二年のときの国語の先生)のやろうとする事、言おうとする事がが理解できるし、しないわけにはいかない。(中略)A先生の考えている国語の授業はきらいだが、B先生や私の考えている国語というものは大好きだ。一生好きでいられる。
 どうだろう? 「私」という教師はA先生なのか、それともB先生なのか。そのことを、ひとつ、めいめいにお考えになってみていただきたい。この生徒の見たA先生とA先生自身は別の人であるとしても、である。
 「反抗期の子どもによくある発言だよ。気にしない気にしない」などと話をはぐらかさないで、どうか、この中学生の真剣なまなざしを見てやっていただきたい。そして、「あの先生は進学指導のヴェテランだ。先生が中三を担当するようになってから学テの成績も上がったし、進学率もぐんとよくなった。」などという、校長や父母や生徒たちの「人気」の上にあぐら をかいて、国語教師の魂と根性をだれかに売り渡しているようなことはないか、ということを考えてみていただきたいのである。
 自己の周囲について、そういうことを考えていただければ、生徒の作文をながながと引用した目的も果たせた、というものである。


 主体性の問題・世代の問題

 話題が教師論で終始する結果になったが、教師の主体性の問題をぬきにしたのでは、国語教育論は初めから成り立たないだろう。以下、その点について千葉一雄(宮城・池月小)の発言に耳を傾けるとしよう。(2月25日付・熊谷あての書簡による。)
 ――「おたずねの“現場の問題点”についてなのですが、私の感じていることを端的に申しますと、教師の“人間”を通さない授業が多すぎる、ということです。いろんな研究授業を見るのですが、教師はまるで指導書のマイクロフォンですね。会場で配布される教案が、まずそうです。教材観も指導計画も、そして指導手順まで指導書に書いてあることを理想像にしてる場合がほとんどです。感動のない死んだ授業です。教師の自己がそこにないから、そういうことになるのです。」
 ――「文部教研でも県支部の第14次教研でも同じでした。この方法を使えば必ず授業がうまくいく、という特効薬みたいな“方法”を求める声がとても多い。地方の現場をご存じない先生には想像もつかないでしょうが、これが実態なのですよ。教室の子どもたちの実状に即して教師が自分で教材をえらび指導手順を組む、という意欲を欠いているから、そういう考え方に落ちこむのですね。教科書の教材だから、というので無批判に受け入れ、自分では感動もしてない作品を、生徒にどうやって感動させるかなんて、矛盾した虫のいいことを考えるものだから、“方法”という特効薬さがしになるのですね。」
 千葉氏の指摘のとおりだと思う。問題は、そこに指摘されているような弱さをどう克服していくかである。
 終わりに、ひとこと。「世代」に関する先刻の話題だが、各世代がそのパースナリティーの形成期において通過し体験した歴史の曲がり角は別なのだから、そこに形成されたお互いのセンシビリティーにある違いが見られるのは当然のことだろう。だが、その違いが、行動の選択に関して究極の判断を左右するような、そのような「違い」であるとは私には思えない。ものの考え方の一致・不一致を決定するものは世代であるよりは、歴史の道程をどういう姿勢、どういう立場で歩いてきたか、ということではないのか。
 お互いの「違い」に腹を立ててみたって、どうなるというのか。そんな違いに対してムキになるより、歴史の被害者としてのお互いの共通性に目を向け、協力して「加害者」どもに対する闘争を組むことを考えるほうが、ずっとノーリツ的だし意味がある、というふうに私には思えるのだが。
  

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