文学教育のカベ
こんにち、学校文学教育が当面している第一のカベは、なんといっても改定学習指導要領による教師の指導の制限・制約だ。あるいは、教育課程の改定と、その改定と見合うかたちの教科書の改編という既成事実の上に立った、画一的で紋切り型なその指導方式の強制・強要である。それをひとくちにいえば、教育の自由がそこにない、ということだ。
そこで、いま、もし学習指導要領がそこに指示している通りの指導を教師がおこなうとすれば、文学教育は道徳教育のただの一環となるか、読解指導という名の読みかた作業のごく片すみの一小部分として終始するのほかはない。いいかえれば、文学教育というこの一まとまりの体系的な教育活動は、すでにそこからは姿を消しさって、童話なり小説なり詩が、ただの読みかた教材か教訓ばなしの材料に使われる、ということになってしまうのだ。
ともあれ、先年実施された教育課程の改定以来、文学教育は一方では、文学作品の道徳教材としての「利用」というかたちをとって、道徳教育の作業に組みこまれてしまっている(教育課程審議会答申『小学校・中学校数育課程の改善について』別紙(1)
「道徳教育の特設時間について」3・指導法、(2)読み物の利用、参照)。もっとも、国語科のほうでも、これまで通りに(?)文学作品を扱うことは扱うが、しかし、それもやはり、道徳教育と「密接に関連させ」たかたちで、という条件つきである(小・中学校学習指導要領「国語」第3・指導計画作成およぴ学習指導の方針・9、参照)。さしずめ、それは、「道徳」優先の文学教育といったところである。
「道徳」優先の文学教育――それは、いいかえれば、文学作品の「道徳的解釈を前提としたプンガク教育」ということである。「道徳」実施要綱にしたがって例示すれば、それは、芥川の『蜘蛛の糸』を、「利己的な行動を反省して互に助けあう心持」を養うための教材として「利用」する、というふうな考え方のプンガク教育である。これは、ひどい。たとえそのような「解釈」を可能なものにしかねないような弱さ(作品としての弱さ)をこの作品が持っているとしても、この主題のすり替えは大胆すぎる。
まっさかさまに、ふたたび地獄へおちてゆく大泥棒カンダタの姿にシンポライズされているものは、おそらく、エゴイズムに結びつかざるをえない疎外状況における人間の苦悶とか、しかしそこでのどうにも片づかぬ気持とか何かそういった方向のことではないか、と思う。もっとも、僕にはそんなふうに思えるというだけのことなのであって、こういうつかみ方でいいのかどうか全然自信がない。自信はないが、しかし、いえることは、まかりまちがってもその主題が《利己心のいましめ》といった方向のことではない、ということである。
この場合、あえて一事が万事といっていいかと思う。《道徳教育としての文学教育》 における作品のテーマのつかみ方は、どれもこれもほとんど似たりよったりである。
『レ・ミゼラブル』は、そこではミリエル司教の徳行をたたえる高僧美談と化し、『リヤ王』はまた孝行むすめの孝子美談に早替りする、といったぐあいだ。
ところで、さきに、国語科文学教育もやはり道徳教育に結びつかなけれはならないような、条件つきの文学教育にされてしまっている、という点にふれた。が、条件は上記のその一点に尽きるのではない。これからの「国語」の読解作業は、教材選択の上でも「文学作品に片寄らないように」と
くに「留意」して進められなけれはならない、というのである(中学校学習指導要領 「国語」第3、指導計画作成および学習指導の方針・3、参照)。文学がどうのといったことは、ほどほどにして、文学作品に片寄るな――と、そんなふうにオカミからいわれたのでは、文学というものに対してシモジモが敬遠の姿勢をとるようになるのは、これは水の低きにつくの理である。
多分、そのことと関係があるのだろう、官製の教研集会や公開研究授業などで文学教材を扱うことは何がなし憚られる空気だ、という。ある現場の先生は僕にむかって、こういった。「官製の研究授業などで文学の学習指導なんかやるのは愚劣ですよ。
助言者役の指導主事にいやみ をいわれるぐらいがオチですからね。見世物授業には説明文の読解をやるにかぎる。それも教科書に出ている文章を扱ってみせることですね。 抵抗がなくていいですよ」と。
教科書文学教材の問題点
この現場数師のいう「抵抗のない教科書教材」ということについてなのだが、上記のような文学教育の否定は、現実には国語教科書からの文学教材の排除というかたちをとって進められている。まず、掲載作品の数が問題にならないぐらいに少ない。絶対量が少ない上に、それは故意に二流・三流の作品を選んだとしか思えないような作品の質である。
それにくわえて、すぐれた作品も、原作のもつ文学精神を骨ぬきにし感動を水で薄めたみたいなかたちのものに改悪する、という操作が教科書検定においておこなわれている。いや、検定で直接手をくわえる、くわえない、ということより、あらかじめ改悪した上で申請しないと検定が通らない、という点に問題があるわけだ。
それは、やや逆説的ないい方をすれば、今の教科書のあの「道徳」化され非文学化されたブンガク教材を扱うのだったら文学教育は不要だ、ということにもなりそうである。なるほど、あのてい の教材なら、「段落」に分けて各段落の「文意」をつかみ、それをつなげて全文の「要旨」や「主題」 をつかみ、それと同時に「うまい表現」の個所についてはその「修辞の仕方」を「味わって読む」という、例の「読解」方式の指導がちょうど似つかわしい、ということにもなろう。
だからして、こういう教科書を使ったのでは文学教育はできない、という叫びが、いま、多くの教育現場の声になってきている。話を具体的なものにするために、一、二実例をあげておこう。
これは先ごろ、文学教育研究者集団・安房文学教育の会共催の年度大会の席上、福田隆義氏(東京・墨田・業平小学校)が語っていたことなのだが、今の教科書教材の改悪ぷりは目にあまるものがある、というのだ。つい先ごろも、『第三の火』(さがわ・みちお作)という教科書の詩教材を教室で扱おうとして調ぺてみたら、改悪も改悪、あまりひどすぎる。たとえば、この詩の第五連は、原作では
文明の歩みは さらに進む。
三たび 人間のとらえた火、
これこそ第三の火――原子エネルギー。
しかし、忘れてはならない、
それは のろいの火 として最初 広島に燃え
つづいて長崎――一九四五年。
一しゅんのひらめき、天にそぴえる
あくまの足もとに、
つみもない たましい四十万が はかなく消えた。
人間は こんなおそろしい火を 手に入れたのだ。 (傍点・筆者)
となっているのだが、教科書では「のろいの火」が「戦の火」に、「あくまの足もとに」が「火柱のもとに」と改められ、さらに「つみもない」ということばがカットされてしまっている。
「のろいの火」という個所は、すでに検定申請の際に、教科書会社の配慮からだろう、「にくしみの火」と改められていたのだそうだが、それでも、まだきついというのか、結果は「戦の火」というふうに骨ぬきにされてしまったのだ、という。「こういう例は別に珍らしくも何ともないのですよ。ほかに、私の扱った教材例からだけでも、プーシキンの『金の魚』、宮沢賢治の『虔十公園林』、新実南吉の『手ぷくろを買いに』『ごんぎつね』というふうに改悪の例は少なくない。教科書文学教材のほとんどがこの調子なのですね」云々。
文学の背骨を失ってしまった、こんなフニャフニャのプンガク教材で文学教育ができるだろうか。一体、またなんで文学を目のかたき にして、非常識きわまるこんな改悪をやろうとするのか。これでは、独占資本に奉仕する教育――と、そんなふうにいわれても仕方がないではないか。
文学観の問題
やはりおなじ文教研の年度大会で、山田松治氏(千葉県八束小学校)は、自己反省のかたちをかりて、現在の読解指導ブームを痛烈に批判していた。「自分の今までの授業をふり返ってみると、文学 を与えるべきものを、ただ作品の文章 を段落に分けて切りとり、読解 という名のもとに与えていたにすぎなかった。文学の感動、文学の持つたのしさを無視して、まるで文学をわからせないようにするための教育をしていたように思う」云々。それは、せっかく文学にむかって歩みを進めている子どもたちの「足をひっぱる」みたいな、非教育的な教育の仕方であった、云々。
こんにちの学校文学教育は、松田氏がそこに示しているような反省から再出発しなけれはならないように思う。それは方法を反省するというより、自己の文学観念・教育観念そのものへの反省において方法を改める、という方向での再出発でなけれはならないだろう。
というのは、今の国語教育界を支配している文学の機能理解が、第二信号系の理論に媒介される以前の伝え理論による、きわめて古風な二元論でしかない、ということが現実の事実としてそこにあるからだ。要約すれば、その考え方は次のようなものだ。「文学は、たしかに認識という側面をもっている。この認織がまっとうな認識であるということが、すぐれた文学作品の条件である。しかし、認識だけでは文学にならないことも、また、いうまでもない。それが文学になるのは、その認識が美的感情や倫理的な評価と結びついたときにおいてである」云々。
そこに考えられている認識というのは、しかし実は形象的認識のことではなくて、概念的・一般的な認知・認識のことらしい。 たとえ当事者がそれを形象的認識の名で呼んでいようとも、それは、《感情ぐるみの事物認識》としての、あるいは《感情をはぐくむ認識》としての形象的認識とは別個の認識のことだ。ともあれ、認識(概念的認識)を美的感情や倫理的評価へつなげていくと文学・芸術の体験が実現する、というに近いこういう文学の機能理解からは、文意は文意として概念化してつかみ、修辞の仕方はまたそれとして味わって読む、という「読解」方式の二元的な表現理解の方法が正当化されることになる。
というわけは、この考え方は視点を変えていえば、(1)作家が作家その人の認識 (概念的認識)を感情に結びつけ倫理的評価に結びつけて、形象の衣(ころも)をそれにかぷせて外化すれば創造的表現 になる、という認識と表現の二元論なわけだし、それはまた、(2)「この作品は、内容はすぐれているけれど形式がととのっていない」式の、形式と内容の二元的評価をみちぴくものだからである。
こんにちの文学教育は、ところで、こういう文学のつかみ方と絶縁するところから再出発しなければならない。なぜなら、 (詩人渡辺武信氏のことばを援用していえば)「それがどういう意味を持っているかは、詩を書いた結果わかってくるので、はじめから主題をとらえているなら、なにもわざわざ詩を書く必要はない」ということ、つまり芸術における意味認識(形象的認識)は、作家の内部に先行する概念的、一般的な意味認識に形象の衣をかぷせただけのものではない、ということが現実の事実としてそこにあるからだ。
そこで、さし当たって、次のような点が反省され想起されなくてはならないように思われる。
(1) 日常的な生活過程における事物の認知は、感情と別個に機能するのではなく、感情と評価をそこに伴なっているのが一般である、ということ
(2) 芸術過程における認識(形象的認識)もまた、概念的な抽象・認識とは異なり、感情を捨象する方向に機能するのではなく、自他のもろもろの感情をそこに媒介し評価するというかたちでの、《感情による感情の再評価》という感情まるごとの事物認識を実現するはたらきをするのだ、ということ
(3) そこでつまり、文学教育における表現指導も表現理解の指導も、他者の感情や体験を自己に媒介し組みこむかたちでの、いわば《普遍に通ずる個》《一般をふくむ特殊》としての主体的・全体的な自我をそ
こに掘り起こす作業にならなければならない、ということなどである。(この項の叙述に関する詳細と論拠・論証については、牧書店刊の小著『芸術とことば』のT「作家の内部」、U「芸術の対象と方法」を参照していただきたい。)
文学教育の限界
そこで、いま、表現理解とその指導ということに関していえば、「表現された感情が理解できるためには、読者はあらかじめ、その感情を自身に持っていなければならない。」(『社会学的見地からみた芸術』)とい
う、いわばギュヨー的なこの表現理解の構造把握に立った鑑賞指導がこんにち必要なのではないか、と思う。いいかえれば、作品に表現されているある体験やある感情――それを理解できるような感情の素地を学習者の自我の内部にさぐり求め、それを一まとまりの感情体験にはぐくんでいく、
という姿勢が教師その人に必要とされるのではないか、ということなのだ。
つまり、そこでの教師の任務は、この作品の主題や内容はこれこれしかじかだ、というようなことを「ことば」で教えこむことではない。そうではなくて、そこに表現された感情がじつは自己の先行体験につながる何かである(あった)、ということに気づかせることなのである。いわば、そのときどきの行きずりの感情にまかせて、ただなんとなく過ごしてきたこれまでの自分の生活の足どりを、いま改めて別個の感情で見つめなおさせることだ――と、そんなふうにいったらいいかもしれない。
文学のいとなみは、思うに、他者の自我につながり、もろもろの他者の自我を自己のそれに媒介するという形での、自我をこえるいとなみに違いない。読者が作品の鑑賞において出会うのは、作家 その人であるよりは、この作者 がそこに媒介したこのもろもろの他者である。他者との出会い、そして他我(他者の自我)との抵抗・齟齬・摩擦において、読者は自己の自我を意識するのである。自我が意識され、自我がそこにはたらかなければ文学(文学体験)は成り立たない。と同時に、自我をつき放して見る、考える ――自己凝視というかたちになってこないと、それは読者の自我を感情まるごとに変革してゆく準体験にはならない。
文学教育の仕事は、その意味では、文学本来のこの自己凝視・自我対象化の機能にそくして、上記の《別個の感情》に結びつき得る感情の素地を学習者の自我の内部に掘り起こしていくことであるといえよう。そういう仕事は、教師が自分自身の自我を通さなくではできない仕事だ。ただたんに、何かを教える、指導書に書いてあることを受け売りして「教える」、というような教師の姿勢からは、文学教育は生まれてこない。
つまり、教師もまた生徒といっしょになって考える、感じる、というところが基本の姿勢としてないと文学教育は成り立たない、ということなのだ。文学教育の現在不毛の要因の一つは、教師自身の自我を素通りしたかたちで、ただ形式的に「文学をわからせる」作業が進められている、という点に求められそうである。 そこで、やや対症療法的な発言になるが、文学教育としての鑑賞指導の目的なり役割は、なにも作品をすみからすみまで、すっかりわからせる、というような点にあるわけではない、ということをいっておきたい。そうではなくて、学習者めいめいの微妙な先行体験の違いに応じて、めいめいがめいめいの仕方で、しかしともかく自分でわかって行けるように生徒相互の鑑賞体験を媒介する、というのがその任務である。
読解方式の指導の揚合はいわずもがな、これまでの学校文学教育は、ところで、どうも全部をわからせる――一律に、紋切り型に、全部をわかったことにさせてしまうプンガク教育だったような気がしてならな
い。しかし、文学・芸術の表現の特徴の一つは、マチス流にいえば、「その作品を描いた当人にもわからないところがある」という点だろう。それを鑑賞者・読者の側に回っていっても、わかるところもあるが依然わからないところが残る、というのが作品鑑賞の実際ではないのか。
むしろ、教師はそこのところで、文学教育の限界について思いをひそめるぺきだ、と思う。文学は究極において自分でわかるほかないし、わかり方がまためいめいに違う、ということをハッキリおさえた上で、何をなすぺきかという問いを自身に持つよ
うにしなけれはならない、ということなのだが。
そこの順序をとり違えると――それがつまり、作品のいっさいをわからせたことにしてしまう読解方式の文学学習であり、「道徳」優先のブンガク教育である。あるいは、いわゆるイデオロギー批評的な内容主義
(というより、じつは素材主義)のプンガク教育である。
これは僕個人の経験だが、子とものころにアンデルセンの童話を読んだ。読んだというより、家で読まされたのである。つまらないとは思わなかったが、特別面白いと思ったわけではない。アンデルセンが面白いと思いはじめたのは、じつは大学生になってからだ。そこで、このごろ、しみじみ思うのだが、やはり小学生のうちに「読まされされ」てよかった、ということである。高校生なり大学生になってから初めて読んだ、というのでほ、ああいう文学はやはり自分のものになりきらないように思うのだ。育った心で読み返す、というかたちにならないと結局、本当には自分のものになりきらないのである。
僕のこのアンデルセンの場合と似たような経験は、しかしだれかれの経験のなかにあることに違いない。そこで、これは僕のねがいなのだが、鑑賞指導の場面において、子どもたちに対する次のようなひとことが教師に欲しいのである。「面白いお話だったね。だけど、きみたち。きみたちがもっと大きくなったら、一度また読み返してみるんだな。そのときは、きっと、いま面白いと思っている倍も面白いと思うだろうよ。」
第一信号系と第二信号系のあいだ―文学教育と国語教育―
先年逝くなられた柳田国男氏が、ふだん、こんな意味のことを口にしておられた、という。「国語教育の目的は要するに、思ったことを自由に話せ、自由に書けるような人間をつくることだ」云々。朝日新開の追悼記事のなかで見つけた氏のことばだが、半面の真実を尽くしているように思う。が、引用のかぎりでは、あくまでも半面の――
というほかないようだ。そこに語られていない他の半面が、じつは国語教育のキメ手なのだ、と僕は思うのだが。
それを端的にいって、国語教育は、ただ「思ったこと」を自由に話せるとか書けるというだけではなくて、何をどういう仕方でどう感じどう思うか、という「思ったこと」「思うこと」への反省――思考・思考活動につながっていく教育だ、ということ
なのである。
いいかえれば、感情を分かちあう という意味での感じる ということなどを含めての、思考や認識の形成という仕事が国語教育のだいじな半面・側面なのである。そこに同時に、この側面のだいじなことを強調しないと、じつは柳田氏の主張や考えも生かされてこないように思う。つまり、「思ったことを自由に 話す」というようなことさえ、この側面の指導をおろそかにしたのでは実現しないだろう、という意味である。とくに、「思ったことを自由に話す」自由を欠き、「思う」ことの自由さえ飼いならされた思考の自由へと滑ぺりがちな、この社会的シチュエーションのもとでは、ということにならないだろうか。
国語教育のほうで意識しておこなっている「ことば」操作の指導――その「ことば」を操作させるということは本来、(1)「ことば」を伝え合いの媒介としてある種の概念をつかませ、またその概念を使ってものを考えさせる、ということだろう。さらにまた、概念を組み立てて一まとまりの思考活動をくりひろげ、そこにある種の認識を成り立たせる、ということであろう。
あるいは、また、(2)ある種のイメージやイメージ体験をそこに成り立たせ、事物を感情ぐるみに意味形象としてつかんだり、あらわしたり、ということが、「ことば」を操作するということの実質的内容にほかな
らないであろう。主として、この(2)の側面 の「ことば」操作の指導に関係していくのが《国語数育としての文学教育》である。
そこで、次のようにいうことができようか。たんに書くとか話すということ、つまり実体のない書く ということ一般、話す と いうこと一般というような、「ことば」の無内容な使い方はありえない、ということなのだが。国語教育は「ことば」の教育なのだからして、そこでは、ただ、「ことば」の操作の形式面をつかませればいいんだとか、それの内容面のことは、これは「国語」と
いう教科のわく外 の任務だ、といった考え方ぐらい、パカげたものはない。形式を内容から切りはなして、形式だけを扱う? ……一体、そんなことができることだろうか。内容を失った「ことば」は「ことば」ではない。そこに成り立つのは音声刺激であって、「ことば」反射ではない。
「ことば」と思考。思考するとは本来、内化された「ことば」――内語(internal speech)を支えとして、自我の内部にあたためられた他者と体験を交換し合ういとなみのことではないか。だからして内側に思考が進行していなければ、それは「ことぱ」にはならない。また、「ことば」がただの音声刺激ではない「ことば」刺激として事物や事物への感情に結びつかなければ、ついに内面の思考(内部コミュニケーション)を促がすことはできない。
いいかえれば、そこでの「ことば」反射が「ことば」系(第二信号系)のなかだけで空転してしまって、運動感覚系(第一信号系)に結びついていかないならば、そこにはイメージもイメージ体験も成り立ちはしない。上記《国語教育としての文学教育》の任務の一つは、思うに、カオスに「ことば」を与え、その「ことば」刺激、その「ことば」反射を運動感覚系の反射につなげ、そこに成り立つイメージ体験において感情まるごとの自己凝視を実現させることだ、というふうにもいえようか。
第二信号系としての「ことば」というのは、具体的にいえば、「ことば」一般のことではなくて、民族の共通信号としての民族語・国語のことだ。それは、時空的な民族体験、ナカマ体験における歴史の要約と創造のための共通信号である。だからして、また、国語はその一つ一つの「ことば」に歴史のおもみ を感じさせるものがある、ということにもなるのだ。
川端康成氏が、こんなことを書いていたのを思いだす。わが家の庭にいつもやってくる鳥が「かささぎ」だということを知ったとき、「その鳥がたちまち私の情感にしみこんできた。」「かささぎという名を知った今と、知らなかった前とでは、その鳥は私にはもはや同じ鳥ではなくなった。……
かささぎという言葉の、日本の古歌の流れは、私のなかに浮きあらわれて、なつかしい瀬音も聞えそうだった。」云々。
つまり、「かささぎ」というもの に対する「私」の体験は、「私」個人の直接体験に限定されない、ということだ。かささぎ に対する、洗練されたもろもろの民族の体験を、「かささぎ」というこの「ことば」信号を」媒介として、「私」はそれを反射・反映して「私」自身の体験を成り立たせている、と
いう関係なのである。
「ことば」体験は、このようにして開かれた体験である。それは、既往現在の自己の体験のわく をこえて遠い民族の過去の体験につながり、自他の体験を現在に媒介して未来への予測と設計と実践をみちぴく。あるいは、夢やねがいをそこに――である。
いうなれば、このような体験への足がかりを、発達にそくして発達を促がすかたちで用意しようとするのが文学教育である。 文学教育――それは、子どもたちに「ことば」を与え、子どもたちの「ことば」に民族の共通信号としてのはたらきを与えようとする教育活動、教育作業にほかならない。
(一九六三・九・一五)
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