国語教育以前の問題から        -

 明治図書出版刊「教育科学・国語教育」48(1962.12)掲載
(この号には「特集:これからの国語教育研究―その課題と方法―」として、時枝誠記、熊谷孝、白井勇、三浦東吾、高橋和夫 各氏の論文が掲載された。)

   視点

 やや対症療法的な発言に過ぎるかもしれませんが、標記のテーマ(「これからの国語教育研究の課題」云々ということ)について、僕は次のように考えています。何はともあれ、まず第一に、国語教育以前の問題に目を向けることだ、というふうにであります。むしろ、(1)《国語教育以前》について考えると同時に、(2)《国語教育以前》によって国語教育自体を考えなおすことが今は必要だということを僕はいいたいのです。
 国語教育以前? ……国語教育以外 ではなくて、以前 です。誤解をさけていえば、それは、現実の国語教育活動にとって必然的な前提をなす、もろもろの問題、というふうな意味です。あるいは、国語教育に内在すると同時に、それに先行するところの諸般の問題、という意味です。
 それは、たとえば、政治と教育の問題や、学校教育の自由の問題、あるいは学校という場を中心とした教師と生徒、また教師相互の人間関係の問題といったような、ひろがりをもつ問題でもあります。(この点については、拙稿『国語教育と学校教育』――国土社刊・教育実践講座・Vol.U参照)が、今はさし当って、国語教育の方法体系や指導手順等々に直結するところの、「ことば」の論理や発達の論理などの事項に問題を限定して考えてみてもよいかと思います。
 ともあれ、いま、そうした点への考察が必要だというわけは、次のとおりです。教師その人の国語教育以前の問題に対する理解の仕方や、問題のつかみ方、それの処理の仕方といったものが、その教師の教育実践の基本的な方向を規制するということが、現実の事実としてそこにあるからです。
 いいかえれば、めいめいの《国語教育以前》が、めいめいの国語教育の立場と方向(そして方法)を決定している、という事実を見すごしてはならない、ということなのであります。たとえば、僕なんかもその被害者の一人にかぞえられていい、戦前のあの暗記つめこみの言語主義の立場、また戦後の一時期を支配した、「はい回る」経験主義や言語技術主義の立場――そうした国語教育の立場を決定しているものは、すべてこの《国語教育以前》にほかなりません。
 このようにして、国語教育以前が(指導手順のありようなどを含めて)国語教育活動のいっさいを決定する(方向的に決定する)という意味において、国語教育以前を反省することが、これからの国語教育研究にとって、もっとも実践的な課題である、ということになるのであります。あえていえば、そういう視点を欠いた「研究」では、研究が研究にならない、といってよいのであります。国語教育以前の研究が、こんにちこの只今の段階では、とりもなおさず国語教育自体の研究である――というのが、そして僕の実感です。

   《国語教育以前》による反省 (一)

 で、そんなふうに国語教育以前に対して反省をこころみると同時に、またそこに国語教育の外側から国語教育自体を省察する、という姿勢が教師その人に求められるのではないか、と思うのです。上記、課題の(2)としてかかげた、《国語教育以前》による現実の国語教育活動への反省ということです。
 それは、みずからの指導理念や実際の指導過程、授業のありようなどに対する教師めいめいの自己反省を中心に、こんにちの国語教育の動向・状況一般について外側から検討をくわえる、というふうなことなのですけれど――。国語教育以前に対する考察と、国語教育以前による、そのかぎり外側からの国語教育自体の検討とは、そして同時的に、まさに同時的・相関的におこなわれなくてはなりません。

 念のため、一言。外側からの問題の検討ということですが、それは、視点を外部にとって内部の検討、自分が外側に回ってみての自己凝視(――自己の対象化による自己省察)という意味です。つまりは、国語教師として自己をつき放すかたちで、囚われない目で、自分自身の「国語屋」的な感覚や常識について根本的な反省をこころみる、ということ以外ではありません。
 たとえばの話ですが、僕たち教師は、(そのことを実際に口にするしないは別として)この子は算数や理科には強いが国語には弱いとか、この子とあの子とでは、あの子のほうが国語の力は上だ、というふうな色分けや評価を、クラスの子どもたちに対して、おこなっている。ところで、国語に強いとか弱い、国語の能力が高いとか低い、ということの判断なり評価の基準は一体なんなのか、ということなのであります。
 いや、教師その人がいったい何を基準としてそういう評価をおこなっているのか、ということなのですが――。たとえば、そういうような点について根本的に(というか基本的に)考えてみる必要はないか、ということなのであります。
 二、三具体的な事例をあげれば、漢字の書き取りをやらせてみたり、教科書の文章を読ませてみたりして「出来がわるい」と、この子は「国語に弱い」ときめこんでしまうような先生がいないわけではありません。また、たとえば、この教材、この作品のテーマはこれこれしかじかだ、という結論(答)を教師自身あらかじめ用意しておいて、生徒の理解がしかしそこへ結びついてこないような場合、こんど受持ったクラスの子どもたちの「読解力」は「えらく低い」ときめつける。――そういう先生もなかにはいる、ということなのですが。
 この場合は、つまり、教師その人の気持からすれば、二年がかり三年がかりで自分の指導を徹底させたクラスと、そうでないクラスとの違い……というようなことなのでしょうが、「指導を徹底させた」ということが、しかし実際には、ただ「飼いならした」というにすぎないような結果に終っている場合も皆無ではありません。 飼いならしたつもり(?)が、そして実は教師自身、自分の内フトコロを生徒たちに見すかされていた、というような例も、これまた少なくない。「こんなような答え方をしていれば、あの先生はご機嫌さ」というふうにであります。教師の紋切り型の指導が、やがて生徒の「国語」のつかみ方(「ことば」の操作の仕方)そのものを紋切り型なのもにしてしまう。――こんな、おそろしいことはありません。
 最初にかかげた事例にもどりましょう。
 字が書けない、読めないというのは、たしかに「国語に弱い」ことには違いありません。が、同じ「弱い」というのにも、先に伸びが期待できるような、現在の時点での弱さと、いわばこれが到達点で限界点だというふうな、先が案じられるような弱さとがあるはずです。
 「強い」というのだって同じことなのであって、そこでは、つねに、子どもたちの未来像が――その将来につながる現在が評価されなくてはならないでありましょう。教育的な評価というのは、《将来》へ向けてのスプリング・ボードとしての《現在》への評価、、将来への可能性や必然性を含みこんだ《現在》に対する評価ということ以外ではない、とそんなふうに僕は考えます。
 だからして、教師のペースでヘンにちんまりとまとまった、紋切り型の作品理解を口にするような優等生が、じつは「問題児」なのです。それとして多少ズレてはいても、自分の目でものをみ、ものを考えようとしているような子どもが、むしろ「安心できる子ども」に違いありません。
 教師は生徒を評価することによって、じつは自分の実践を評価し、自分の実践に区切りをつけ、またそれによって実践の新しい方向と指導手順を見つけるわけです。このようにして、評価ということが、ただたんに成績簿に点数を記入することでない以上、弱い、強いの判定には、国語教育以前による反省をそこに伴なわせることが必至的なものとなってくるのであります。

   《国語教育以前》による反省 (二)

 先ごろ逝くなられた柳田国男先生が、ふだん、こんな意味のことを口にしておられたそうです。「国語教育の目的は、要するに、思ったことを自由に話せ、自由に書けるような人間をつくることだ」云々。
 「朝日新聞」の追悼記事のなかで見つけた先生のことばですが、考えさせられるものがありました。国語教育の目的云々――まさに、国語教育に内在すると同時に、国語教育に先行する問題であります。
 どうなんでありましょう? あなたは、柳田先生がそう考えておられたように、その目的をつかんでおられたでしょうか? それとも、また?……
 というようなことを言うのは、究極において目的が方法を、《何を》が《いかに》を決定するからです。あなたがもっている方法体系や、あなたの実践の足どりといったものが、実はあなたご自身の課題意識のありよう(目的の設定の仕方)につながるものがあるからです。
 僕自身、じつは意表をつかれた思いで先刻の先生のことばを耳にした(目にした?)わけなのですが、しかしそこに引用されていることばのかぎりでは、首をかしげさせられるものを感じたことも、また事実です。つまり、国語教育のある側面だけが強調されている感じで、もう一つのだいじな側面が切り捨てられているように、だんだん思われてきたのです。
 というより、他の側面のもつ重要性をうんと強調しないと、先生の主張や考えが生きてこないし実(み)を結ばないのではないか、というのが僕の実感です。もう一つの重要な側面?……思考と認識の形成という側面です。文学的思考や芸術的認識ということを含めての、思考や認識の形成ということです。「ことば」の教育としての国語教育は、それが「ことば」の教育としての国語教育は、それが「ことば」の教育であるがゆえに、基本的に子どもたちの思考活動をささえる教育にならざるをえない、というのが、そして僕の考え方です。
 いや、僕個人がそんなふうな考え方をしている、いないの問題ではなくて、「ことば」を与える、「ことば」を操作させるということは本来、その「ことば」を媒体として、ある種の概念をつかませ、またその概念を使ってものを考えさせる、ということでありましょう。さらにまた、概念を組み立てて一まとまりの思考活動を繰りひろげ、そこにある種の認識を成り立たせる、ということにほかならないでありましょう。
 或いはまた、ある種のイメージやイメージ体験をそこに成り立たせ、事物を象徴(意味象徴)としてつかんだり、あらわしたり、ということが、「ことば」を操作するということの実質的内容にほかならないでありましょう。
 そこで、次のようにいうことができましょう。たんに「書く」とか「話す」ということ、つまり実体のない「書く」ということ一般、「話す」ということ一般というふうな、「ことば」の無内容な使い方というものはどこにもないということなのですが――。「ことば」を使うということは、つねにそれを、ある条件刺激構成の媒体として操作する、ということ以外ではないのですから。
 国語教育は、「ことば」の教育なのだからして、そこでは、ただ、「ことば」の操作の形式面をつかませればいいんだとか、その内容面のことは、これは国語科のような形式教科・道具教科のわく 外の任務である、といった考え方ぐらい、バカげたものはありません。形式を内容から切りはなして、形式だけを扱う?……一体、そんなことが出来ることか出来ないことか。J.デュウィーもいっております、「ある関連から形式と見られるものが、他の関連からすれば内容だということになる」(『経験としての芸術』一九三四)というふうに。また、「形式と内容との間に線を引くことは、反省による以外は不可能なことだ」(同上)というふうに。

 僕は、つまり、国語科は事実教科だということをいったわけですが、それはしかし、国語科の作業が結果的に 思考や認識をはぐくむ役割を分担することになるから、というような意味からの発言ではありません。「ことば」を教えるということが、とりもなおさず思考や認識をそだてることである、という意味です。「ことば」を自由に使えるようにするということは、第二信号系をくぐって「ことば」体験――による理性体験をつくり上げる、ということにほかならないのですから。
 僕のいいたいことは、つまり、その辺の問題をとっかかりにして、国語教育以前による反省をあなたご自身の実践に反映・媒介させていただきたい、ということなのです。

   《国語教育以前》への反省

 ことのついでに、次のことを言そえておきたい、と思います。それは、勝負を――国語教育の勝負のしどころを、国語科の狭いわく のなかだけに求めるような態度におちこまないようにしていただきたい、ということなのです。事物をさし示すことで、「ことば」に具体的な裏づけを与え、概念に実体を与えることで国語教育を内容のあるものにするのは、むしろ社会科・理数科などの指導の実際面においてなのですから。
 それと同時に、「ことば」を「ことば」本来の思考(内部コミ)と伝えの媒体としての機能と役割において、それをいきいきと使うことで事物をつかむ、ということをやるのも、やはりまた、この「他教科」においてなすのですから。(いきいきと使う?……誤解があるといけませんから、註をそえます。「ことば」を意識しないで、「ことば」の機能をフルに生かして使うというです。)
 つまり、あらゆる教育の場が国語教育の場となる、という国語教育意識がそこに必要とされる、ということなのです。国語科プロパアな任務の一つは、その意味では、「ことば」にかえしてきて整理することで、子どもたちの「ことば」体験を確実なものにする、という点に求められるでありましょうか。
 おおよその見当は、まずそんなところでしょうが、しかし国語教育以前を媒介させることで、その辺の問題の根本的な処理を、すぐれた現場感覚において、一つあなたご自身にやってみていただきたい、と思うのです。ここにいう国語教育以前――それは、さし当って、「ことば」の論理のことであります。
 「ことば」の論理に対する、はなはだしい無知と無理解が、そして先刻ふれたような、国語科を形式教科あるいは道具教科と見なすような教科観念(考え方)や、国語教育のいっさいを国語科で尽そうとするような、カタワな考え方(教科観念)を人びとの間につくりだしているわけです。国語科を形式教科として考えるような、この教科観念からは、たとえば文学教育みたいに「事実」教科であることの明白な国語教育の側面は、いわば教科外のこととして白眼視されることになります。そこでは、せいぜい、「文学的表現の修辞の仕方を味わって読ませる」というような、形式面 の指導に軽くふれること形式的 に責任をとる、といったところがオチです。
 事情、右の通りなのですから、形式的にではなく実質的に国語教師としての責任をとろうとすれば、そこに必至的に《国語教育以前》への――「ことば」の論理への、かなり徹底した考察(研究と学習)が必要になってまいります。さらに、この「ことば」の論理と芸術の論理とをつきあわせて考えていくならば、文学の認識機能や表現性格などに対するまっとうな理解も生まれてくるに違いありません。
 「ことば」の論理の学習――それを僕の立場からすれば、コミュニケーション理論としての第二信号系理論をくぐることが先決だ、ということになります。与えられた紙幅が尽きました。僕がそう考える理由については、本誌 No.27,28,43所掲の拙稿などによってご承知ください。ともあれ、その点に探索の手を伸ばすことで、たとえば読解指導方式の薄手な《伝え》理論などと絶縁したくなることでけは、たしかです。
 絶縁したくなる、ならない……それは好悪の問題ではなくて、論理の問題です。論理の要請です。子どもたちに対する、教師の責任の問題です。
 もう一つの、「ことば」の論理と芸術の論理との関連の問題――意味形象を《伝え》としてそこに成り立たせる「ことば」の操作の問題。この点については、拙著『文学――創作と鑑賞の論理』(三井出版K.K、10月刊)についてご承知いただきたい、と思います。
     〈国立音楽大教授〉      
(文中、今日の人権感覚に照らして適切でない表現があるが、文章の歴史性を考慮し、そのままとした。) 
熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 1955〜1964(昭和30年代)著作より