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明治図書出版刊「教育科学・国語教育」9(1961.4)掲載 - |
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一 身もふたもない言い方をするようですが、国語教育を国語教育らしいものにするということ以外に、とくに「配慮」しなければならないようなことは何一つない。そう思うのです。子どもたちの思考の発達を国語教育の側面からささえていくうえに「必要」な、ただ一つの「配慮」は、国語教育らしい国語教育を教育実践の場で実現できるようにすることだけである、と真実わたしは考えるわけなのであります。 むろん、そう言っただけではコトバが足りませんが、ともかくこれが「思考力を伸ばすために」うんぬんという、標記の与えられた課題に対する、わたしの答というか考え方だといいきって、さしるかえありません。 国語教育らしい国語教育というのは、国語教育本来の課題と任務を自覚した教育活動のことに違いありません。日常の実践が、たえずそれの本来の課題への反省においていとなまれる、というような教育活動、教育実践が、つまり国語教育らしい国語教育をみちびくことにもなるのだ、と思います。 国語教育のいとなみは、後にのべるような意味において、ほんらい、それとして思考をはぐくみ認識をそだてる学習指導の体系、その作業実践にほかなりません。ですから、まっとうなかたちで国語学習の作業がおこなわれさえすれば、それはその儘で子どもたちの思考の発達をささえるいとなみになる、というはずのものなのであります。 つまり、国語教育の基本線をはずした(あるいは、はずれた)そのどこかで特別な「配慮」をこころみないと思考に結びついてこない、ということではないわけです。むしろ、反対に、基本線をふみはずした学習指導では、思考や認識の発達をささえるということからは遠ざかっていく一方だ、ということが現実の事実として指摘されなくてはならないのであります。 くり返しになりますが、それの本来の任務を自覚したいとなみが行なわれさえすれば、ほかから何かを付け足すというかたちでの「特別な配慮」など考えることなしに、国語教育は、それとして思考の発達をうながす国語教育になる、ということがいわれてよいのです。 で、むろん、そういう自覚が伴ないさえすれば、過不足ないかたちで一挙にそのことが実現される、というのではありません。さし当たって方向的に――方向としてそれがもたらされるに違いない、というまでのことなのです。しかし、いま必要とされるのは、指導の方向そのものを確かなものにする、ということ以外ではないのでありましょう。 二 真実、これが国語教育だといって良いような国語教育活動というのは、(すこし視点をずらせていえば)その課題、その任務を、自分たちめいめいの教育実践の場において主体的につかみとった、教師自身の自主的な教育活動のことであるともいえましょう。 ですから、それは当然、自主編成の問題ともつながるわけですが、総じて受身な態度、受身な姿勢からは実現不可能なことです。この点、大久保忠利氏も書いておられるように(「生活教育」二月号)、教師の「国語教育の研究が“教科書にある教材をいかにこなすか”の“こなし方手順”の手さぐりに終って」いるようなことでは不可能に近い、というほかありません。 教師の勉強が、こうして単なる「こなし方手順の手さぐり」に終り、そのあげく、その手さぐりが「国語教育の本質探究とスリカエ」られたのでは、これは、もう、おしまいです。ところが、今まで「そういう傾向があまりに強すぎはしなかったか? むしろ、国語教育はこうあるべきだ。ゆえに、こういう教科書をつくれというように高まらなければならない。」という氏の考え――考え方は、同時に私自身のものでもあります。 引用をすこし先までつづけると、「今までの多くの国語教育の指導諸計画は、一般に、一学級50人以上の教室を無意識に不動のものと想定して前提とし、それへの一斉授業としての計画として立てられていたのではないか」というのです。盲点を大きく突いた指摘であります。で、「50人もの学級では、国語教育はできない。」それを「三十五人以下の学級に……」という叫びを教師はあげるべきだし、「熱心にその実施に努力すべきだ」という主張が、ついでそこに掲げられています。 つまり、これなんだと思うのです。「国語教育はこうあるべきだ」ということから出発して、教科書はこう、学級編成はこうという手順で、教師は主体的・自主的に考えていくべきだ、と思うのです。子どもたちの思考の発達をささえる作業をそこに実現するために、であります。そこで、手順はけっしてその逆ではない――逆であってはならないわけです。問題を、いつも原則にかえして考えなおす必要がある。原則への(また原則による)反省に立って、現実の問題を、それこそ現実的・具体的に処理していかなければならない。そう考えるのです。 反対に、既成事実を現実と見あやまり、現状を不動のものと考えるところからは、次から次へと作られていく既成事実に追いまくられ、追い詰められていき、あげくの果てには、基本線をふみはずすことにもなってしまうわけです。こうして基本線をふみはずしたとき、それは、修身や国史を核とした、かつてのあの読み・書き・ソロバンのあのつめこみ教育にかえるか、これも思考の発達をはばむ、はい廻る経験主義・言語技術主義の泥沼に落ちこむほかないわけであります。 三 そこで、国語教育の本来の課題は何か、ということなのですが、それをわたしは、次のように語ったことがあります(「文学と教育」十五号、『文学教育は子どもの認識をどう育てるか』)。 ――「国語教育は、もともと第二信号系としてのコトバの訓練ということを課題としております。それは、思考や認識との結びつきにおいて言語能力をひきだす作業です。そこでは、コトバの第一信号的(感性的)な面の指導ということも、第二信号系をくぐって、それとの結びつきにおいて行なわれるわけです。」 ――「誤解のないようにいいそえますが、それは、コトバの訓練をとおして思考に結びつき認識に結びつく、ということではありません。そうではなくして、思考や認識――したがって自我に結びつかなければ、コトバの指導はおこなえない、ということなのです。このようにして、言語能力をそだてるものとして国語教育は、本来的に思考の発達をはぐくみ認識をそだてる教育となるのであります」ういんぬん。 こうした考え方は今でも変っていません。第二信号系としてのコトバの体験をくぐってするところの、規定性・融通性双方の面にわたる統一的な言語能力の指導ということを、わたしは、国語教育の中心課題として考えているわけなのです。以下にのべることも、やはり別の機会に語ったことなのですが(「生活教育」昨年12月号別冊、『国語教育の基本路線』)、そうした第二信号系としてのコトバ体験を、子どもたちの内がわに成り立たせるように指導するということは、コトバ本来の抽象・概括の理性的なはたらきへと、まっとうな形で結びついていけるようなコトバの指導をおこなう、ということにほかなりません。 そこに結びつくことの出来るような、コトバの使い方が成り立った場合に、子どもたちのある最初のバクゼンとした感じ は、おいおいに一つのまとまりをもった考え や意見 の形をとるようになっていきます。そのことで、また、感じ方そのものも方向感覚のたしかなものになっていくのです。 で、さらに次にはまた、そうした感じや考えを、考え方――思考の仕方そのものについての反省のなかに整理し、それを発展的な形でまとめるという理性的なはたらきを、そこにもたらすことにもなるのです。それは、コトバと結びついた理性的なはたらきにささえられてこそ、第一信号系(感性面)のほうも次第にまっとうなものに育ぐくまれていく、という関係を示しております。 ことのついでにいえば、第一信号系と第二信号系とを対立的に、あるいはたんにランクの差として考えることはナンセンスだ、ということなのであります。感性面への反映(ふつうに感性的認識といわれているもの)も、それはすでに 第二信号系(コトバ・理性)をくぐり、第二信号系に媒介された「感性」による対象のハアクであるという理解は、国語教育をおし進めていくうえに、意外にだいじなことのように思われるのです。 ともあれ、そうした意味での第二信号系としてのコトバ体験を子どもたちの内に成り立たせ、それを充実していく任務と役割りを、国語教育は本来的に負っているわけです。国語教育が国語教育らしいものになりさえすれば、とこの稿のはじめにいったのは、さし当たってこの点に関してなのであります。 四 第二信号系としてのコトバ体験を成り立たせる、ということを、ある側面からいえば、それは、まず、コトバの理性的なはたらきをとおして事物を体験(準体験)させる、ということになりましょう。またそうした意味でのコトバの学習をとおして、(1)その言葉の意味する事物をつかませる、あるいは(2)その事物や、事物と事物との関係や関連などについて、それを概念に抽象して考えたり、形象にシンボライズしてつかんだりする能力を身につけさせることだ、といっていいかと思います。 コトバの規定性による概念への抽象と、融通性の面の使用をくぐってする形象への抽象とでは、しかし抽象の仕方というか方向を異にしています。この二つの抽象の極に、それぞれ科学の認識と典型の認識(文学)とが考えられることは申すまでもありませんが、見落とされてならないのは、この二つの抽象が相互に他の一方の抽象にささえられて成り立っている、という点に関してであります。 概念だけがポツンとそこにあって、概念的認識が成り立つわけのものではない。概念への抽象、概念による抽象ということが成り立つためには、現実の事実として、コトバの融通性をくぐりぬける方向での、別途の抽象のはたらきにささえられる必要がある。また、形象への抽象が成り立つためには、そこに概念や概念的抽象によるささえが……ということになるのであります。 国語教育がそこにめざす思考力というのは、こうした客観世界の二つの仕方における反映・抽象・認識をささえる「思考」力ということになるのだろう、と思います。ですから、論理的な「思考」力を養うためには、「文学に片寄らない」ように「配慮」して、論説文や説明文にたっぷり時間をさいて読解指導をやればいい、というような意見や考え方が、考え方そのものとしていかに愚劣か――コトバを要しないだろう、と思います。 一般に思考力といわれているもの――それは、じつは、ある一定の思考内容と結びついた、一定の思考方法のことに違いありません。何か思考力一般といった実体的なものを想定することは、おそらく間違いないでありましょう。 将来への伸びを感じさせるような動的な思考方法と、それとして、ちんまりとまとまってはいるが、しかし伸びが止ったという感じの固定した思考方法と。――内容(事物の内容)のつかみ方に問題があるのです。いうところの、すぐれた「思考」力というのは、思考の仕方(事物のつかみ方)そのものを、たえず自己変革し発展させていけるような思考方法のことを、じつは指しているのだろう、と思います。 で、そうした動的な思考方法を子どもたちのものとするために、彼等のコトバ体験を動的で生産的なものとしなくてはなりません。自己変革の可能性は子どもたち自身がもっているのですから、それをひきだすために、そこに動的なコトバ体験をみちびく条件を意識的に用意しなくてはなりません。コトバの学習をとおして事物をつかませることの必要について、さっき申しましたが、そこで、こんどは、コトバそのものを学習することの必要について語らなければならないか、と思います。 五 事物への直接間接の体験によって、コトバは具体的な内容の裏づけを獲得するわけです。と同時に、それで一おう事物がつかめたことにもなるのです。が、あくまで一おうにすぎません。 コトバをとおして事物をつかむと同時に、事物をつかんだところでコトバに帰る――コトバに帰り着いたところで概括し整理する、という操作をやらないと、本当には事物をつかんだことにはならないのです。また、コトバ体験が、思考や認識の拡大再生産過程をもたらすような、第二信号系としての動的なコトバとはなりえないのです。 コトバの学習に始まってコトバの学習に終る、コトバに帰り着くところまで指導の手をゆるめない、という「国語」という教科にプロパーな一貫作業が、そこに必要になってくるのであります。 事物についての経験をコトバで整理し、コトバにまとめさせるということは、ですから子どもたちが将来、より広い視野と、より高い次元でその事物を――さらに事物相互の関連においてその事物を「つかみなおす」ことのできるような思考方法と認識活動の足場を、コトバとしてそこに用意する ことにもなるのです。 「いつもコトバにかえしてきて考える」「考えなおす」ということが、子どもたちに習慣づけられなければなりません。ひらたくいって、そういう習慣を養なっていくのが、「国語」というこの教科の任務である、といってもいいのかもしれません。そういう習慣が身につくようになってこそ、子どもたちは、与えられた場面の偶然性をこえて事物がつかめるようにもなっていくのです。また、そこをのりこえて事物の本質がつかめるような、規定性・融通性双方の面にわたる統一的なコトバ体験と言語能力を成り立たせることにもなるのであります。 なかばくり返しになりますが、コトバの学習に始まってコトバの学習に終る、という形での学習の上昇循環をくり返す作業のなかに、国語教育自体、思考と認識の足場をつくりだすと同時に、他教科による思考や認識の発達の足場をたしかなものにしているわけなのであります。 上昇循環の形をとらない、同じ次元でのコトバの反復習熟がもたらすものは、コトバ体験のステロタイプ化と思考方法の固定化にほかなりません。この悪しき国語教育がつくりだすものは、思考することをやめた「小さな大人」としての多弁家・能弁家にすぎません。 |
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(国立音楽大学教授) |
‖熊谷孝 人と学問‖熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より‖熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より‖熊谷孝 1955〜1964(昭和30年代)著作より‖ |