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明治図書出版刊「教育科学・国語教育」9(1959.11)掲載 - |
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一 移行措置下にある、こんどの教育課程は、「生活のうちに横たわっている原理、原則あるいは基本的なものをしっかり身につけていくように」学習の系統的な整理、系統化をはかったものだという。が、改訂指導要領に示されているプログラムが、それとして現実に右の歌い文句と合致するようなものになりえているか、どうか――そこのところを、国語の読解指導の面にしぼって検討を加えること、これがおそらく《読解指導の系統化》という標記の課題が要求している当のものに違いない。 課題の要求しているところは、よくわかるつもりだが、しかし、わたしとしては、それへの直接の答案を書くわけには行かない。書けないのである。いや、書きようがないのだ。 というのは、《読解指導の系統化》ということを額面どおりの意味に受けとるとすると、それは《読解指導》というワクづけ方や、そのワク組みを妥当なものとして認めたうえでの、それの系統化論議ということになってしまって、わたしとしては発言のしようもなくなるからだ。 念のため、一言。読解指導というワクを認めないなどといっているのではない。学習指導要領一流のワクづけ方による、そのワク組みは、認めがたい、という意味だ。理由はあとでのべる。 結論めいたことを先にいってしまうと、現に学習指導要領が指示しているような方式での《話しことばの指導》というような軸のとり方やワクの切りとり方が、国語学習の非系統化をもちきたしている当のものだ、という見方をわたしはしているのである。つまり、そうした軸のとり方こそ、新旧双方の学習指導要領に共通する(あるいは、学習指導要領一辺倒の国語学者や国語教育学者たちに共通した)言語観や文学観・教育観にもとづく、一種特有な国語教育体系論の具体化にほかならないのである。こうして実践的なカリキュラムとして具体化されたものが、ところで国語学習の系統化を促がすどころか、それを阻むものでしかない、という点にこそ問題があるのだ。 だから、むしろ、国語学習の真の系統化を考える立場からは、こうした方式の軸のとり方やワクづけ方では系統的な指導は不可能に近い、という点に話題を集注させたほうがいいくらいである。そうでないと、ここがおかしい、あそこがヘンだ、というようなことを、それこそ非系統的に、アトランダムにしか指摘できないことになるからである。で、さしずめ、まず、その辺のところから話をはじめることにしよう。 二 読解指導を国語教育の体系的主軸の一つとして設定する、という方式の考え方――これは、ところで、こんにちの国語教育理論の主流をなしている考え方にほかならない。主流には違いないが、しかしこの方式の考え方が、国語教育体系論として公民権をかちえた、唯一の正しい見解を示すものだ、というわけでは必ずしもないのである。この点に関して、これまでに論議が十分に尽されているとは、いえないのである。 したがって、読解指導ということを、教科論・体系論の問題としてどう理解し、どうつかむかということで、標記の体系化の問題にしても、問題の仕方自体が変ってくるのである。あえてこの問題に紙幅を割こうとする理由も、そこにあるわけだ。 で、読解を軸として考える考え方――それは、つまり、言語(国語)を音声言語と文字言語としてつかみ、そしてそれを裏返したかたちで、その学習領域を、《聞くこと》と《話すこと》、それに《読むこと》と《書くこと》との四つの軸でおさえて考える、という方式の考え方によるものである。論理そのものとしては、である。 もっとも、それを、これまでの学習指導要領のように、《書くこと》を作文と書写とに分ければ柱は五本になろうし、また、こんどの改訂指導要領のように、逆に「聞いたり、話したりする学習」を一本にくくり、さらに作文と書写とを一本にくくれば、当然、軸は三つになるわけだ。 ともあれ、このようにして、聞いたり話したりの《話しことば》の指導や、作文・書写の指導などとあわせて、読むことの指導――読解指導は、国語学習指導体系の主軸の一つだ、ということに学習指導要領では位置づけられているわけである。 ここのところで、事ここに至ったいきさつをふり返ってみると、戦前・戦中において支配的だった形象理論による読解指導は、(生哲学方式のその論理の当然の帰結として)ほとんど、もっぱら、ある種の文学作品の?……むしろ、作品の性質がどうというよりは、文学そのものに対する態度・姿勢のほうに問題がある、といったほうが当っているかもしれない。 それは、ひとくちにいって、“滲み出る芸術”をそこに期待した、観照的・詠嘆的な態度であった。ある現場教師のことばを借りていえば、それは、「そよ風にゆらぐ青葉に文学的美の表現を求めて児童国語教育指導の材料とせんとするが如き」態度による読解指導であった。(1) ところで、この傾向は(傾向そのものとしては)、すこし形を変えただけで戦後にもちこされ、新教育の経験主義・教養主義と結びついて、コース・オブ・スタディーないし学習指導要領ラインの学校文学教育の骨格を形づくったのであった。 したがって、こうした傾向に対しては、ずっと後になってからだが、「国語の学力を、文学的なものについてつければ、自然と理科や社会科の力もつくと考えられていたのではなかろうか。しかし果してそうだろうか」(2) というような批判もおこなわれることになった。「文学的文章の読み方が教えられると、なるほど、文の大体は読める。その感じもわかる。しかし、法律の文章のように、一つの文章で実にたくさんの意味をふくんでいるようなものの解釈も上手になるかどうか。」(3) また、戦後数年の一時期にあっては、「いままでの国語教育は文学教育であった。すくなくとも、文学教育でありすぎた」というような声さえ聞かれた。(4) 直接、形象理論の系譜を受けつぐ、国語教育界の指導者たちのあいだからの反省(あるいは批判)の声としてである。だから、文学教育一辺倒のこれまでの国語教育を、「われわれの日常における、話し・聞き・書き・読む言語生活教育にする」ことの必要が、それに力説されることにもなった。(5) むしろ、文学教育は、「書物を読む方法と能力を養う言語教育」の部分であるべきこと。(6) すなわち、言語教育ないし言語生活教育としての読解指導の部分として位置づけられるべきことなどが、そこに語られたのであった。いわゆる新教育への“手直し”がはじまった、一九五〇〜五二、三年の時期においてである。 文教当局が、今日、十分の自信と自負とをもって、いわば国定カリキュラムのかたちで、読解指導を国語教育の軸として押しだしてくる理由と根拠は、右に見るような歴史的背景のなかに用意されたもの、と見てよさそうである。 三 けれど、文学教育を「話し・聞き・書き・読む言語生活教育」のその四領域のなかに分散・分解させ、とくに「読む言語生活教育」としての読解指導の一小部分としておさえる、というふうなことで問題が解決したわけではない。ことばの上だけの処理としては、それでカタがついたかもしれないが、国語学習指導の実際面において、文学教育や文法教育が学習そのものの体系的主軸として機能し作用してくることは、否みようがないからである。 第一、たてまえそのものからすれば、国語教育は、これまでも「話し・聞き・書き・読む言語生活教育」としてワクづけられていたのである。が、この方式の指導のプログラムでは、現実にどうしようもないからこそ、そこに文法教育を軸とした国語教育が行われ、また、文学教育に軸を求めた国語教育が実践されることにもなったのである。 つまり、この方式の指導では、ことばが思考や認識と結びつかないし、ことばを一まとまりの統一的なものとして生徒につかませることができない。国語教育の究極の目標であるはずの、国語としての「ことばそのものの訓練……第二信号系という本質をつかみだしてくる能力としての言語能力」(7) を系統的に身につけさせることは期待できない。指導のプログラム――教育課程の組み方そのものに混乱があるからだ。 その結果、次のような、笑えない、“笑い話”をさえ生んだのが、この言語生活教育のカリキュラムであった。「ある村の学校での話です。一時間の国語の授業のうち、十分を聞くことに、十分を話すことに、のこりを読むこと・書くことにというように、割り当ててやっているが、そういうやり方はいいか悪いかという質問を、わたしの友人がうけたというのです。どんな答をしたかは、つい、聞きもらしましたが、友人はいうのでした。地方の学校では、そういう種類の質問が、じつに多いのだよ、と。」(8) それは言語技術主義の指導方式がいけなかったのであって、言語生活教育そのものが誤まりだということにはならない、という人があるかもしれない。が、文学教育や文法教育を、読解指導(読む言語生活教育としての読解指導)その他のなかに分散・分解・解消してしまう、やり方そのものが、じつは経験主義・言語技術主義にほかならないのである。アメリカ渡りのランゲイジ・アートの考え方では、「芸術的・文学的要素はほとんど考えられていない」のであり、それの日本版である学習指導要領の言語技術主義も、「ことばをことばとして教えていくということを、ことばがいちばん純粋な形で出てきている文学作品のなかで、とり上げていくことをやらない」点に、むしろ特徴が求められるのである。(9) くり返しになるが、つまりこうした教育課程では現実に国語の学習指導が成りたたないから、文学教育への道を一部の現場教師はえらんだのである。それが、しかし、すでに見たように、観照的・詠嘆的な、単なる情操教育や教養教育へと横すべりした点に問題があったわけだ。否定されるべきは、したがって教養主義・経験主義の文学教育であって、文学教育そのものではなかったはずである。民間教育運動と結びついた、その後の学校文学教育は、理論的にも実践的にもすでに経験主義・教養主義を克服しさっている。(10) 四 言語を、音声言語と文字言語としてつかむことに、むろん、まちはいはない。けれど、言語に音声言語あり文字言語ありということからして、言語(国語)学習指導の体系そのものが、読むこと・書くことの指導と、聞くこと・話すことの指導とを平行させ、あるいはそれらを組み合わせることの上に成りたつ、と考えることは、現実の事実(指導の実際)に反した、形式主義的な理解である。 むしろ、音声言語であれ文字言語であれ、そこをつらぬく言語(国語)として一まとまりのものを――つまりは「第二信号系という本質をつかみだしてくる能力としての言語能力」そのものを系統的に身につけさせることができるように、学習指導体系が組まれなければならないのだ。 だから、それはまた、言語の認識機能のもつ反映論的な意義において、言語コミュニケーションの現実のプロセスがかえりみられなくてはならない、ということでもある。あらいいい方をすれば、表現する(話す・書く)ことも、また理解する(聞く・読む)事も、それは認識・思考のプロセスにほかならない、ということだ。思考する、考えるということは、ほんらい言語コミュニケーションによる、ナカマとの体験の交換・交流を意味している。また、認識するとは、ナカマの体験をくぐってするところの、客観的世界の反映のいとなみにほかならない。(11) だから(と多分いっていいだろう)、言語のこの認識機能を見落した学習指導体系では、それは《国語》の学習指導体系として現場の実践に役だつものにはなりえないのだ。 で、認識(反映)というこの一点にしぼって考えた場合、言語認識の極は科学と文学とに求められるのであり(一般的認識と典型の認識と)、そこにすくなくとも文学教育や文法教育が、それとして一まとまりの国語教育であるという位置づけ方を、国語教育の体系のなかに与えられねばならぬ理由と根拠をもつのである。 わたしは、それを《国語教育としての文学教育》《国語教育としての文法教育》というふうに語ってきているが、あえていうが、いわゆる意味の文法の学習指導をおこなうのが文法教育ではない。そうではなくて、文法学習を軸とした、その側面からの統一的な国語の学習指導が文法教育である、という考え方をしている。同様にして、文学教育は文学の学習を軸として、その側面から文法も扱えば読解もやる、作文もやる、そしてまた話しことばの指導もおこなう、ということになるのである。したがって、文法学習なり文学学習なり、あるいは一種の科学学習なりに焦点をすえながら、話しことばの指導も文字ことばの指導も、具体的な内容の裏づけをもって、体系的に一貫した一まとまりの作業としてそこにいとなまれるのである。 五 多分、諒解していただけたかと思う。指導者自身、そのことを自覚しているといないとにかかわりなく、現場の学習指導が、じつはある程度に右のような指導体系を内に用意して進められている、ということをである。それと同時に、読解・作文・話しことばという、あの柱の立て方では、じつは系統的な国語学習は不可能に近い、ということを、つかんでいただけたかと思う。 文学教育の面にしぼっていえば、第一、文学感覚が古い。これをしも文学観という名で呼ぶとすれば、その文学観は大時代な、すごく古風な文学観である。そこでは、文学学習は、たんに「経験を広め心情を豊かにする」ためのものとしてしか、つかまれていない。人間的感動に結びつき、経験の仕方そのものをつくり変えていくためのものとしては、文学は、けっしてつかまれていないのである。 で、この古風な文学観にのっとって、小学校一年では童話や説話を読ませ、二年ではそれに加えて詩を、三年ではさらに物語や伝記や脚本を、というふうに読み物の種類をふやしていくことが、つまり文学読解の系統化だというように、そこでは考えられているらしいのだ。が、早い話が、一年生に十分感動を与えるような詩や物語だってある。(五年生の頃になると急に童話が姿を消しているが)また逆に、五年生か六年生にならないと、文学的感動においてそれがつかみきれないような、童話作品だってある。直接、読解の問題ではないが、「詩などを書く」ことを五年生ごろから指導するのが望ましい、としているのなどは、つまり《読むこと》と《書くこと》との間の系統化を無視したところからくる、大きなミスだ。(わたしの知っている現場では、詩を作らせる指導を、いずれも二年生ごろから始めて実績を挙げている。) それで中学校になると、「読み物は文学作品に片寄らないように」という注意を一方で与えながら、いわば作品の部分的な表現に目をとめて、その「修辞」に注意して、それを「味わって読む」ことなどが指示されている。と同時に、文学に片寄るな、とあるその次のセンテンスには、「古典に対する関心を持たせるように」と書かれている。つまり、古典は文学ではないらしいのだ。かつて戦前においてそうであったように、古典は「道徳」教材であって、人間的感動にささえたれた文学作品・文学教材ではないらしいのである。 だから、「古典をわかりやすく書き換えた文章」(一年)からはじめて、やがて「現代語訳や注釈をつけた古典」を読ませる(三年)、というような配慮がそこになされていたとしても、それを手ばなしでよろこぶのは早い、ということになりそうである。たとえば、「すぐれた作品を読み、人生や社会の問題を考えていく態度を身につけること」(三年)というような指示にしても、それを「政治史や社会経済史に片寄る」な(二年・社会科)とか、「複雑な社会構造などの学習に深入りしないよう」に(同上)というような指示と、いったい、どう結びつけて考えたらよいのだろうか。 |
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(国立音楽大学教授) | |
注 |
‖熊谷孝 人と学問‖熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より‖熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より‖熊谷孝 1955〜1964(昭和30年代)著作より‖ |