国語教育としての文学教育     熊谷 孝

日本生活教育連盟編集・誠文堂新光社刊「カリキュラム」1959年4月号掲載---
 はじめに、教科論の面にしぼって、国語教育と文学教育との関係・関連について考えてみようと思います。文学教育が教科活動として、国語教育とどのような関係に立つときに、国語教育そもののゆがみない体系的発展が約束されるか、というような点について考えてみようというのであります。「カリキュラム」(1959.4)表紙
 自己流のいい方ををすれば、それは《国語教育としての文学教育》について考えてみる、ということになります。つまり、教科論の面からとりあげるとはいっても、国語教育の部分としての文学教育を考える、というのではありませんで、それはあくまで国語教育としての文学教育について考える、ということなのであります。いいかえれば、文学教育がそれとして国語教育である、という考え方を私はしているのであります。
 たんにコトバだけの問題でしたら、それを部分といおうと何といおうと、さしつかえないのですが、学習指導要領方式の形式論理に立って、文学教育は国語教育の部分だ、しかもそれの一小部分にすぎない、というふうないい方をされると、私はもう我慢ならなくなるのです。
 私はこう考えるのです。それを部分といったっていい。すくなくとも、そのほうが通りがいいことは、わかっている。が、それが部分であるというのは、あくまで、方向分析的につかまれた《側面》という意味での部分ということでなければならない、というふうに考えるのであります。
 部分といえば、それはたしかに部分であります。国語教育という全体に対する、それは部分に違いありません。もしも、文学教育をもって、それを国語教育のすべてであるという人があったとしたら、その人の頭はどうかしている。が、それが部分であるというのはくり返しになりますが、弁証法的な理解における全体と部分との関係――そうした関係理解のもとにおける部分ということであって、それ以外であってはならないと思うのです。
 私がこだわるのはコトバではありません。そのコトバが意味する内容に関してであります。そして、その点にこだわるのは、右のような考え方にしたがって文学教育の位置づけを考えないと、現実の国語の学習が成りたたなくなるからです。
 というのは、こういうことなのです。アトランダムにいうと、国語教育には、文学学習や語い学習、文法・作文・読解等々のさまざまの学習部面があるわけです。で、それらがたんに部分――学習指導要領方式の考え方による国語教育の部分(小さな全体としての独立した部分)であるのなら、文法の指導は文法の指導、語義・語感の指導はまたそれとして単独に、別個に成りたつはずであります。そして、それらの部分の寄せ集めとして、国語教育という《全体》が成りたつことになるはずであります。
 けれど、すくなくとも、私たちの学習体験や指導体験からすれば、国語教育のいとなみは、そんなふうに分解したり分割してりして行なわれ得るものではありません。それは、もっと一まとまりの、一つながりの作業であります。
 現実の国語の学習にあっては、語義・語感に対する理解の伴なわない文法の指導というのはナンセンスです。また、文法意識――とまでいかなくとも、文法的な感覚にささえられない語義・語感・文脈の理解というのも考えられないのです。さきごろ、ある私立学校の文法の時間を見せてもらったのですが、『万葉集』の
梅の花散らくはいづくしかすがにこの木の山に雪は降りつつ
という歌を教材として品詞分解をやっていました。
 指導がゆきとどいているらしく、品詞概念そのものは一般によくつかめているのですが、何しろまだ第一学年の二学期にはいったばかりのことで、古文や古語には、まったく不馴れです。「散らく」と「しかすがに」がわからない、と生徒たちはいうのです。それでも、「散らく」のほうは前後の脈絡から推して、どうやら当りをつけましたが、「しかすがに」のほうは、それが一単語であるのかさえ、まったく見当つかないらしいのです。
 で、これは語義がつかめないことには、どうにもならない。ひとつ辞書に当ってみようじゃないか、というところへ生徒たちの話し合いが行ったのですが、そこのところで先生は話をひきとって、こういった。「このあいだ文学史の時間に、万葉調と古今調の話をしたでしょう。五七調から七五調へということや、句切れのことを。……この歌が万葉集の作品だというところへ目をつけて、句切れに注意しながら、もう一ぺん読みなおしてみるといいな。」
 みごとな指導ぶりだ、と思った。あとで辞書もひくことはひきましたが、しかしその前に生徒は、語義の大まかなところと、それが副詞であることを、ちゃんとさぐり当てていました。句切れからいって、「梅の花散らくはいづく」までが一単位、「しかすがに」以下が別の構成単位であることを理解することで、それがつかめたのであります。ばかりか、この歌の意味するところや感動のうちだし方、そこに示された感情のワク組み等々を、かなり正確につかみとっていたようです。
 そろそろ終業のベルという頃になって、この教室の指導者は、「きょうの反省」ということで、生徒たちの自由発言を求めました。「はじめ、この歌を読んだとき、先生が注意してくださるまでは、“梅の花”で詠嘆的に軽く切って読み、それから、“散らくはいづくしかずがに”“この木の山に雪は降りつつ”と、しらずしらず七五調にして読んでいました。それで、“しかすがに”が、よけいにわからなかったのです」と生徒の一人は語っていました。この内省報告は印象的でした。同感のものも多かったらしく、「私も、そう」「僕も……」と一瞬、教室がどよめきました。
 現実の国語の学習指導というのは、つまりこうしたものだと思うのです。この文法の時間は、見ようによっては読解の時間であり、また文学史の時間でもあるのです。文法学習が軸になってはいますが、しかもそれは、おしなべて《国語》学習の時間なのであります。ということは、国語教育というものが、文法教育や文学教育などのただの寄せ集めではない、ということにほかなりません。
 文法の学習指導は、文法の学習指導としてそれだけで単独に行われえない。文学教育によるささえが、そこに必要なのであります。一方、文学の学習指導は文学の学習指導で文法教育にささえられなくては、確実な成果をそこに期待しえないのです。そこに、つまり、相互のささえ合いが必要とされるのであります。
 現実の国語学習は、そうした相互のささえ合いの上に、全体的・統一的に一まとまりの作業として推められているわけなのですが、それが《教科論》の面に移されて論議されるとなると、文学学習より文法学習のほうがだいじであるとか、いや文学学習のほうをたいせつに考えなくてはとか、妙にズレた話のやりとりになりがちです。現場に密着して考えたら、そういうおかしな意見は出てこないはずなんですが、現実にそれがある。ふたことめには「現場では……」というようなことを口にする、現場主義者の間にそれがあるというのは奇妙なことです。
 そこで、次のことをはっきりさせておきたいと思うのです。いわゆる意味の文法学習が文法教育ではない、ということを、であります。あえて申しますが、いわゆる意味の文法の学習指導をおこなうのが文法教育ではないのであって、文法学習を軸とした、その側面からの統一的な国語の学習指導――それが文法教育なのであります。同様にして、文学教育は、文学の学習を軸として、その側面から文法も扱えば読解もやる、作文もやる、そしてまた話しことばの指導もおこなう、ということになるのであります。
 その指導は、必然的に《話す》《聞く》《読む》《書く》の四つの言語学習領域にわたって行われるわけです。したがって、文法学習なり文学学習なりに焦点をすえながら、話しことばの指導も、また文学のことばの指導も、具体的な内容の裏づけをもって、そこのところで行われることになるのであります。そうした意味では、文学教育も、また文法教育も、それとして国語教育そのものであるといっていいのであります。
 国語科文学教育を、たんに話す作業や聞く作業、あるいは読んだり書いたりという作業のそれぞれの一小部分というふうに考えないで、それをあくまで体系的に一貫した一まとまりの作業、すなわち《国語教育としての文学教育》として考える手がかりは、さし当って、まず、右のような点にあるわけです。が、国語教育のいわば柱を読解であるとか作文であるとか、そういうところで考えないで、軸を文法・文学その他に求めて行っているという点については、なお多くの説明を要するかと思います。
 この点については、あとで十分論議を尽したいと考えますが、第二信号系としてのコトバの機能において現実の言語過程をつかんだときに、いいかえれば、コトバの認識機能のもつ反映論的な意義において言語をコミュニケーションの現実のプロセスをかえりみたときに、右のような方向における軸のとり方に、おのずからなって行く、ということだけを、あらかじめいい添えておきたい、と思います。
 
 誤解のないように申しあげておきますが、私は、文学教育のいとなみそのものを、狭く国語教育のワクに縛りつけて考えているわけではありません。どころか、たとえばクラブ活動のような、教科外活動としての文学教育や、学校教育のワク外のさまざまの文学教育活動の意義・役割を、むしろ高く評価するものなのであります。国語科教育活動や、生徒たちの文学的環境との関係・関連をつかむことなしには、フルにその機能を発揮しえないのが事の実際であります。
 にもかかわらず、課題としてここでとり上げようとするのは、教科活動としての文学学習――国語科文学教育についてであります。というわけは、私自身、これまでに、しばしば口にもし書いてもきているように、特設「道徳」における例の《文学作品の利用》ということが、直接間接に国語教育や学校文学教育の破壊を結果しつつある、ということが一方にあるからであります。
 それへ追い討ちをかけるように、こんどの学習指導要領の改訂です。
 それを文学教育の面にしぼっていえば、国語科文学教育も、特設「道徳」のそれにならって道徳化することを要求されている、ということになるのであります。と同時に、作品表現の切れはじについて、それの修辞のしかたを「味わって読む」ことなどに、おいおいとその主要な任務が局限されてきているのであります。
 現に、中学国語科改訂案をみると、「読み物は、文学作品に片寄らないように」という注意まで添えられている。それは、まるで、これまでの国語の学習が文学に片寄ってでもいたかのような口ぶりです。そして、文学に片寄るな、とあるその次のセンテンスには、「古典に対する関心を持たせるように留意」せよ、とあります、古典は、どうやら文学ではないらしいのであります。すくなくとも、文学として――人間的感動においてそれを読ませたくないらしいのであります。
 国語科文学教育は、このようにして、特設「道徳」の実施と学習指導要領の改訂とによって腹背に衝撃を受け、すでに、はやくも、よろめき出した恰好なのです。学校文学教育の破壊は、ところで学校教育のなかのたんにその一小部分だけの破壊を意味しているのではありません。国語教育のすべてと学校教育そのものの破壊を――さらに、いっさいの文学教育活動と子どもたちの文学環境全般の破壊を、そこに必至的にもたらさずにはおかないのです。最近とくに目立ってきた、商業マス・コミによる児童向け文学作品やそのダイジェストなどの道徳化の傾向は、いったい何を意味するのでありましょうか。
 で、このさい、文学教育の教科としての位置づけや、教科活動としての視点からそれの機能・役割・方法等々を、がちっとおさえておく必要がありそうに思われるのであります。国語教育のカラにとじこもって、文学教育を考えるのではなくて、文学教育を国語教育としておさえ、むしろ《国語教育としての文学教育》のケルン[Kern 核、本質、中心部]として、文学教育活動全般の成長と前進を期する必要が、いまはあるのではないか、と考えるのであります。そして、それは、教科論の面における私たちのたちおくれを、とりもどす、実践的な課題ともつながっているのであります。
 私たちは、外に対しては、教育の反動化を教科論と教科活動の実際面でもはね返していく必要がある。内に対しては、また、実践優先に名を借りた、理論軽視・理論疎外の現場主義を克服してかかる必要があるように思うのです。いま、私たちに必要なものは理論であります。強力な理論を身につけることで、日本の教育と国語教育、そして文学教育を内側からささえていくことなのであります。《国語教育としての文学教育》という私の提唱はそういうことなのであります。

熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 1955~1964(昭和30年代)著作より