原則的と現実的と     熊谷 孝

千葉県教組松戸市支部刊「闘いのなかに」1959年3月号掲載---
    既成事実は現実ではない

  どうも記憶がふたしかなのですが、破防法(破壊活動防止法案)反対闘争のときだったんじゃないか、と思います。政府与党上程のこの法案に対して、始終反対を叫びつづけていた評論家の清水幾多郎氏に向けて、ある高校の先生から抗議文が寄せられました。
  ――「清水さん。あなたの主張しておられることはむろん原則的には正しいでしょう。が、それは、あくまで原則論としての正しさにすぎません。あなたのなさっているように、原則論を原則論としてふりかざしてみたところで、現実は一歩も前進はしないのです。世論の支持は、圧倒的に保守党の側にあるのであって、あなたや、私たち少数の者が、いくら反対を唱えてみたところで、法案の国会通過は、もはや時間の問題です。現実というものを、あなたは、もっともっと深く見つめる必要がある。現実の問題処理は、あくまで現実的でなければならないからです。通過するにきまっている法案に対して、いまさら反対を叫んでみたところで、それが、いったい、何になりましょう」うんぬん。「闘いのなかに」千葉県教組松戸市支部
  もっとも、これは私の作文です。手もとに資料がないので、うろおぼえの記憶をたどって書きつけてみたにすぎないものなのですが、しかし大体そんな意味の文章であったかと思います。
  たしかに、この高校の先生が指摘しているように、つい先ごろの警職法改悪に対する場合とはちがって、そのときは反対運動が、全国民的なスケールにおいて盛りあがってきてはいませんでした。労組や文化人、学生等々のあいだでの動きには、かなり活発なものがあったのですが、全般的には世論の支持がなかった。マス・コミの逆宣伝で色メガネをかけさせられた、国民大衆の世論には、むしろ、この悪法を歓迎しているような傾向さえ見られたのであります。
  清水さんは、ところで、この先生に対してというよりは、この先生によって代表されるような、良識という名の世間一般のものの考え方に対して、次のような反論を展開しました。
   ――「あなたが考えている《現実》というのは、じつは現実でも何でもない、ただの《既成事実》のことにすぎないのではないか。それは、国民大衆を植民地奴れいのクサリに括りつけ、あなたの教え子たちを、ふたたび戦火のなかへ追いやろうとしている者たちの作りあげた、既成事実のことではないのか。相手はつぎつぎと既成事実を作りあげては“これが現実だ。これが現実なのだから、こちらの言う通りになれ”といって、一歩一歩私たちを窮地に追いこんでいる。この既成事実を現実と見誤まって、相手の言いなりになることが、果して《現実的》な態度であろうか」うんぬん。
  手もとに資料を欠いているものですから、これもやはり私の作文です。岩波の『世界』に載った評論なのですが、いま手もとにそれがないので、大体そうした意味のものだった、ということしか、ここでは紹介しかねます。
  ともあれ清水さんが言うのは、既成事実が《既成》事実であるからといって、それを承認してしまうことが《現実的な態度》であるというのなら、現実的な態度とはアキラメに生きる態度と紙ひとえ(あるいはイコール)ということになってしまいはせぬか、ということだったようです。この評論家に抗議した高校の先生のコトバのなかには、「清水氏の考え方や発言は一種の書生論だ」というのがあったのですが、「書生論――いいではないか。近視眼的な常識の目から、現実ばなれのした書生論と見えるものが、時間の距離をもって眺めれば、それが実はもっとも現実的なものの考え方であった、ということになるのだ。歴史は、かぞえきれないほどの、おびただしい事例をもって、そのことを実証しているのである。書生論と呼ばれるものこそ、歴史を推し進める現実の力である。」というふうに、氏はそれに反論していたように記憶します。
  どちらの意見がどう、というのではありません。私は、時効にかかったこの論議において、裁判官の役を買って出るつもりはありません。第一、この二人の意見には、噛み合っていないところさえあるのです。主題を、もう一歩先へ進めたところで話し合えば、存外つながるところも出てきそうな話のやりとりです。この高校の先生にしたところで、何もいっさいをアキラメて闘争をやめてしまおう、というのではないでしょう。むしろ、かえって、破防法闘争の敗北による失地回復を、いつ、どこで、いかなる構想と手段によっておこなうか、そこのところを清水氏に考えてほしい、ということこそ、この人の胸の底にある願いなのでありましょう。
  が、それが上記のように、からだを張ってがんばっている相手に水をさすみたいな、妙に持って廻ったいい方になると、これは清水さんでなくとも「それではあなたは、既成事実を鵜呑みにして、相手の言いなりになるつもりか」といった、開き直った口のきき方もしたくなろう、というものです。
   ともあれ、何が真に《現実的》な態度であり、また何が観念的・傍観者的(あるいは敗北主義的)な態度であるのか、ということを考えていく上で、この二人の論争の論点は、私たちに有力な示唆を投げかけてくれるように思われるのです。あながち、神奈川方式や長野方式の問題に口をさはさむつもりで、この例を引き合いに出したわけではありません。が、それが、この問題を考えていく上に、一つの手がかりを提供していることも、また、たしかです。

   改訂指導要領は返上しよう

   ところで、さきごろの警職法反対闘争ですが、あのときの、すさまじい盛りあがり方には、予期せぬものがあって、相手も首をすくめたに違いありません。が、しかし同時に、笑いが止まらなくて困る、というふうな一面が相手方にあったことも、見のがしえません。というのは、警職法に国民の目が一せいにそそがれることで、警職法とじつは表裏一体の関係にある一連の法案が、国民の監視の目をまぬがれて、悠々と通過しそうな見とおしを用意しえたからであります。
  つまり、それと同じことが、勤評と「道徳」の特設との関係、そして学習指導要領の改訂との関係においても見られるわけであります。
 現実という名の既成事実を、まず、どこかの一点で作りあげる。正面からではダメなら裏側から廻る、というわけです。で、表なり裏なり側面なり、そのいずれかの一点で作りあげた既成事実に立って、第二、第三の既成事実をつぎつぎと作りあげていく、というのが、いつも変わらぬ相手の常套手段のようです。つまり、警察予備隊という既成事実の上にたって、それをアメリカ人たちからは、カントリー・アーミイ(土民軍)と呼ばれている、「戦力なき軍隊」自衛隊にまで仕上げていく、あの手口であります。
  いまさら言うまでもないことですが、「道徳」の時間特設は修身復活への第一歩であります。作成委員某氏の意見によれば、それは純粋に倫理学的要請にもとずく時間特設なのだそうですが、そうした学者の意図とは別個に、「道徳」という名の空地は、「修身」という家屋を建てるための、建築用敷地として用意されたもの、と考えるほかありません。
  それが空地であることをカヴァーするためにこそ、こんどの指導要領の改訂です。音楽科で《君が代》を必修歌唱として歌わせ、国語科では、国粋主義的な意味での《国民的自覚》を促がす――たとえば古典を、文学としてではなくて、右の国民的自覚を促がす道徳教材として使え、といった調子です。教科課程の改訂は、ですから、勤評を実施しようとするモクロミと同一のモクロミで立案されたもの、と考えざるをえません。
  だから、勤評闘争を軸としていえば、改訂指導要領返上闘争は、勤評闘争の重要な一環であります。今は勤評問題で忙しいから、このほうは後廻し、という性質のものではないのであります。
  ところが、さきごろの第八次教研でありますが、朝日新聞の報道を額面どおり受けとるとすると、ちょっと不安になるのです。福島・和歌山・高知の教組から出された、改訂指導要領返上論に対して、「それは原則論であって容易ではない」という「反論」が出て、うやむやに終ったらしい模様なのです。原則的には正しいが現実的でない、という例の論法によってであります。これでは、まるで、原則に忠実であることが、つねに非現実的な態度に陥ることであるみたいな印象を受けてしまうのですが、討議の実際は、新聞の報道とは、かなりニュアンスの違ったものであったろうことを、私は信じたいのであります。
   ただ、いささか危惧するのは、(朝日の報道にしたがえば)反論した側の論拠が「勤評闘争といった権力闘争なら職場の中はまとまるが、教科ごとに上からびっしりおしつけられた場合は、不安だ」というふうなことである点です。
  それは、まるで、改訂指導要領返上闘争を権力闘争として考えていないみたいな口ぶりです。加えて教科指導や教科論の面においてこそ、教師は専門家として、自信をもって起ちあがれるはずであるのに、それが闘えない、そこのところで足並みが乱れてしまうというのでは、理論の裏づけをもち、理論的な反省を伴なって教科指導をおこなっているような教師は少ない、と言っているようなものだからです。もしも、それが現状であり事実であるとしたら?……私が危惧するといったのは、その点であります。
  が、すくなくとも私の見ききしているかぎりの現場の実際は、科学的な教育の場であります。そして、現場の教科指導が、現に理論的・科学的にいとなまれているという点にこそ、この返上闘争の揺がぬ拠点が見いだされるのであります。

 (国立音楽大学教授)
熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 1955~1964(昭和30年代)著作より