|
波多野完治編『芸術心理学講座 第5巻 〈芸術教育〉』1957年11月 中山書店刊 所収- ・この論文は上掲書第3部「芸術教育における家庭・学校・社会の役割」の第5章に当たる。 ・明らかに誤植と判断できるものは訂正した。 ・今日の人権感覚からは不適当と思われる表現の用いられている箇所があるが、この論文の歴史性を考慮して、手を加えずそのままにした。 |
一 日本の社会は、文学への関心であるとか、文学的関心、文学愛といったものが、そだたないようにできている。すくなくとも、まともな文学への関心は、である。 もっとも、以前とは事情もずいぶん違ってきている。が、しかし、今でもそういう関心の成長をはばむ力は大きい。子どもにすぐれた文学を、と考えるような人たちというのも、これは、きわめて限られている。限られた人たちでしかない。 限られた、そうした人たちのあいだに、かろうじて持ち続けられてきている文学への関心というのが、ところでまた、ズレてゆがんだ関心でしかない場合がすくなくない。一口にいって、その関心には問題意識が欠けている。環境と自分との不安定な関係を、自分自身の生き方を新しく位置づけることでつきやぶろうとする、積極的な意欲と問題意識を欠いている。 人々の文学への接近は、かえって、むしろ、現実の圧力から身をかわすためにおこなわれているのである。あきらめに生きる作中の人物への同一化をたえずくり返すことで、自分のあきらめの感情に一種の安定感を与えているのである。あるいは、また、作中の人物のヒロイックな行動に拍手を送ることで、胸のわだかまりや怒りを発散させているのである。作中の人物への同一化によるこのカタルシス(吐瀉・浄化)は、単に気休めを与えるだけで実効を伴わないのを特徴としている。 人々は、いわば現実の苦悩を瞬時、瞬時に忘れようがために、架空の人生に遊ぶのである。だから、あえていえば、ウサバラシに飲む、飲んで浮世の苦労を忘れる、というのと、しょせんそれは一つことでしかない。忘却の効用は別として、飲むことで問題そのものは解消しないように、単に架空の人生に遊ぶことで、現実の問題は処理されないのだ。 それは、一口にいって、問題を回避したところに成りたつ、青白い、敗北的な(というのは通俗的な)文化主義的な文学への関心でしかない。そうした文化主義的な関心からの、せめて子どもだけはしあわせに、という、子どものための“よい文学環境の架構”というのが、いきいきとした子どもの生活の実際からは縁遠い、ひ弱な童心主義(1)の世界に、子どもの遊び場をしつらえることになるのは当然である。 “よい子”好きなおとなたちがつくりだす“よい本”というのは、多かれ少なかれこうした調子のものだ、と前提して、近藤日出造氏のあげておられる例は好適である。(2) ――秋になりました。木の葉がハラハラとちります。風が吹きました。ちった木の葉がコロコロところがります。ころがる葉を、ポチがおいかけました。童心主義の系列の作品には、実際に、この手が多いのである。現実ばなれがしていて(――というのは、子どもの生活の現実・実感からも縁遠い作品でしかなく)どうにもひ弱すぎるのだ。 右の引用につづけて、近藤氏は、“たとえばこんな文章があり、イラカの上に重なって靡く鯉のぼりの絵があたとすると、やはり《よい子》の母親は、家計簿に、文化費――百五十円と書き込むことだろう、しかし、こうした文章と絵は、幼い眼に当節の複雑怪奇さを眺め、拙い耳に破壊音をきく子どもに、決してゾクゾクするようなスリルを感じさせない”といっておられる。また、“こういったあんばいのものは《よい子》の母たちに上品さと詩情を感じさせ、この絵本こそ、愛児の座右にそなえて然るべし、と思うだろうけれど、愛児は、これを見て、「なァんだ、つまんない」とつぶやくだけである”とも語っておられる。 ――子供は、木の葉を追った犬が、とんでもない失敗をやらかすことを期待する。鯉のぼりが風を食って靡いただけでは、本を放り出して、“ボクもごはんを食べよう”と思うだけのことである。(同上、近藤氏)つまり、文化主義の文学教育は、現実のみにくい面は子どもに知らさないように、という“童心”へのいたわりからして、子どもの目に眼帯をかけようとするのだが、その眼帯のために、明るく、いきいきとした現実面も、子どもは見ることができなくなってしまうのである。 文化主義・童心主義という名のこの眼帯のせいで、子どもはツンボ桟敷にすわらされ、メクラにされる。子どもの《人間》は、ついに燃焼するときがなく、しぼんでしまうのである。 このようにして、日本の家庭は、文学教育に場所を提供していないか、それとも、本当の子ども心は無視した、あるいはそれをスポイルするような、ゆがんだ教育の場でしかない、というのが一般のようである。 さらに、ここにつけ加えていっておかなくてはならぬのは、“詩をつくるより田をつくれ”のコトワザを地でいったような ――本をよむ暇があるなら縄をなえ。という、親の怒声のかげに身をすくめ、首をうなだれている、農村の小中学生たちのことである。 そこでは、文学作品にしたしむことを含めて、読書は《罪悪》でさえあるのだ。 二 “本をよむ暇があるなら縄をなえ。” 生活の苦しさがいわせることばである。 学級文庫や公民館で、本の貸出しはやっていても、子どもがそれを借りてきて読んでいるようでは、くらしが成りたたない。そこで、“本をよむ暇があるなら……”ということになるのである。 すべては生活の苦しさ、環境の悪さからきている。この悪現実を、宿命的なものとして受けとり、それとの基本的な対決を避けたところで、問題を糊塗しようとするかぎり、文学は、こうして、役たたずの無益有害のシロモノとして退けられるか、アルコール代用の現実忘却の効用を買われて《珍重》されるかの、どちだかになるのほかはない。 くりかえしになるが、日本の家庭は、正常な文学教育にとって、むしろ、その破壊・妨害の役割をはたしているのが一般のようである。 これも、そうした文学教育破壊の一例になろうが、東京都内の某中学校のF先生が、つぎのような現場報告を書いている。(3) ――いつか三年生の読書会で、『伸子』(宮本百合子)を読みあったことがありました。これは女生徒たちの希望で読みはじめたのでしたが、そのころ、私は、メンバーの一人であるAという女生徒の母親の訪問を受けました。『伸子』のような傾向的な作品を読むのは好ましくないということやら、高校受験をひかえていながら当人にその自覚がないのは困ったことだということを、ひとくさり語ったあげく、読書会を脱会させたいから、教師である私に子どもを説き伏せてほしい、という要請でした。親と子、あるいは教師との、こうした対立が、《世俗》と《世俗を越えて伸びようとするもの》との対立のかたちをとっていることは、どのケースについてみても、ほとんど例外なく同じであるが、親たちは、しかし、かならずしも教師や子どもたちの傾向が真実に背を向けている、その意味でかたよっているとは思っていない。むしろ、真実をめざして歩みを進めているらしく思われるので不安だ、という場合がすくなくないのである。 右の点に関して、東京山の手の某女子高校のN先生は、つぎのように語っておられる。(4) ――社会的な問題を扱った書物を生徒たちが読んでいると、親は、そんなものを読んではいけない、という。「そこに書いてあることは正しいが、正しいことは通らぬ世の中なんだから、正しいことの書いてある本を読むな」と、おとながいっているみたいだ、とよく生徒が笑うんですよ。つまり、この《世俗》は、文字どおり世俗なのである。わが子が悪現実にめげずに伸びていく子であることを願うかわりに、適当に、じょうずに世渡りできる人間にそだつように期待しているのである。さらにいえば、それは、親に向かってはあくまで《すなお》で、正直で、やさしく、世間に対しては、また、ヤミ屋のごとく、すばしっこく、こすっからく、しかも他人にこちらの内幕を見すかされぬ程度の、外面の《上品》さ《趣味》《教養》を身につけて、という、いとも至難な期待であるともいえようか。 であるからして、子どもたちが、右にいうような意味でのアクセサリーとしての文学的教養を身につけることを、都会の《ざあます階級》の親たちは、けっして否定しない。どころか、処世的な意味で、それを実用的な知識として、子どもが文学学習に身をうちこむことを望ましく、好ましいことと考えている。 が、同時に、その学習が《行き過ぎ》や《横すべり》になることを、極度に警戒する。 そこで、わが子に与えられる教材は、『伸子』でなどあってはならない。ソヴェートや新中国の小説・評論などは、もってのほかである。せいぜい、鴎外や漱石・一葉――それも通俗的な理解における一葉や漱石である。 つまり、こんにちのわたしたちの生活とは直接の利害関係をとり結んでいないような《古典的》《博物館的》な作品を、と、親たちは考えるのである。そのコテン的な文学教材は、しかもある程度に、親たち自身がなかみを知っているものでなくてはならない。女学生時代に、その作品の切れっぱしを教室で読んだことがあるとか、それがわが若き日の愛読書であったとかいうふうな――。 子どもが自分をのりこえて成長してくれることを、むろん親たちは望んでいる。が、それも、親たち自身のもつ生活感覚と矛盾するようなものであってはならぬらしいのだ。 三 以上のことからして、親たちが、その少年期や青年期において身につけてきた、文学的教養のどういうものであるかは、語らずして明らかであろう。こんにちの日本の家庭教育のありようは、まことに二〇年代・三〇年代(大正初年〜昭和一〇年代)の過去の教育の《成果》にほかならない。 それを頭から《不健全なもの》ときめこんで、文学と名のつくものをいっさいがっさい学校や家庭から締めだしにした、過去の教育のバーバリズム。(たとえば、通学カバンのなかにツルゲーネフの『散文詩』がはいっていたというだけの理由で、中学三年生だったわたしは、配属将校と校長に小一時間セツユされた。) “フランスやドイツやイタリーやイギリスやロシアの教科書は、それぞれの国の童話作家・国民詩人などの作品をもって満たされている。ところが、日本の教科書にはそうした要素がほとんど欠けている”(5)と当時高倉テル氏を嘆かせたような、非文学的で無味乾燥な、往年の《国定》国語教科書。そこにまれに見あたる文学教材といえば、“全体を通じて季節的配列をし……青葉に光る露を叙さねば気がすまぬといった調子”(6)の、年寄くさいカビくさい、ヘンに上品にとりすましたものにすぎなかった。 そうした学校教育の風潮に反発した、一部の文化家庭の文学教育はといえば、それが例の現実逃避の童心主義・文化主義にほかならなかった。一方、そのとき、農産漁村の炉辺においては、老人たちが孫やひ孫に語って聞かせる“むかし、むかし、あったとさ……”のなつかしい民話はとうにすがたを消し、『立川文庫』や『講談文庫』その他の豆本の類が、子どもたちの《文学》教材として登場してきていたのである。(小学生であったわたしに、もっとも深い感銘を与えた《小説》は、『少年倶楽部』連載の『日米未来戦』〈?〉であった。神風思想につらぬかれたこの小説では、むろん日本が勝つのである。) 過去のそうした教育が、“すなおに伸びようとする子どもたち”を“意固地に狭くかたよった教育方針”でゆがめることに躍起になっているような、今のおとなたちをつくりだしたのである。つまり、自分たちが子どものころに受けた教育の方式を、こんにち、そのままくり返しているのである。戦前と戦後、“時代は少しも変らないと思う。一種の、あほらしい感じである”(『苦悩の年鑑』)と太宰治がつぶやいたのも、うなづけないことはない。 が、過去のそういう教育が今のようなおとなたちを、とそういっただけではウソになる。“時代は少しも変らない”という、ことばのアヤは別として、過去が過去になり切っていない、こんにちの現実のありようが、親たちにめいめいの教育方針、めいめいの処世方針に対して自信をもたせているのである。この悪現実を、不可抗の宿命的なものとして受けとるかぎり、しかしそうした考え方、感じ方になる道理である。 おまけに、戦後の学校教育のしくみ、たてまえが、こうした親たちの宿命観、親たちの要求とマッチしたものになっている。たとえば、――戦後の教科書は、一見、文学的にできている。それがしかし、就職試験や世渡りの社交に事欠かぬ程度の《実用的》な、名作ダイジェストふうの教養趣味のものにすぎない。(という点こそ、まさに親たちの要求と合致する点ではないか。) さきほどの例にもあった百合子や多喜二などは、今の教科書では敬遠されている。プロレタリア文学と名のつくものや、その系統につながる作品は、すべてタブーなのである。 漱石の作品にしても、『草枕』や『坊っちゃん』などの初期のものがほとんどで、あとは申しわけに『三四郎』がチラッと顔をのぞかせる程度だ。竜之介の作品についても、同じようなことがいえる。『地獄変』以前の、観念的でおさない竜之介がすがたを見せているだけだ。 外国文学では、英・米・仏・独・伊その他総花式に作品の切れっぱしが掲げられているが、新中国やソヴェトの作品は一編も見あたらない。近代ロシアの作品でさえ、ツルゲーネフのものを例外として皆無である。 学校文学教育の系統的な指導は、児童や生徒の家庭――日本の家庭の経済的貧困を前提とするかぎり、さしあたり検定教科書によるほかないが、かんじんの“教科書の文学教材がよくないこと”が、こうして総括的に第五次日教組教研大会などにおいても問題にされている。この大会で、茨城教組の代表は、今の教科書の文学教材のもつ精神について、それが (1) 機能社会科とか相互依存社会科とかいわれているものの精神で書かれたもの (2) 修身的(封建的)な教訓を含むもの (3) あきらめの精神を説いたもの(なるようにしかならないと教えるもの) (4) 社会的な問題を個人の努力の強調にすりかえるもの の四つのかたよりを見せている点を指摘している。 さらに、教室でのその指導の仕方であるが、“生徒がめいめいばくぜんといだいていた文学観を、できるだけ深めまた高めていけばよい”(『学習指導法・国語科編』)といったふうなことがたてまえになっている。すくなくともそれは、生徒の文学観にハッキリとした目標を与えようとするものではないのである。 四 現状が右に見てきたとおりであるとすれば、単に、“理想像における文学教育のありかた”といったものを、ここで夢想してみてもはじまらない。現実の悪条件は、さらに日ましに倍加されようとしているのである。例の教育三法への動きと結びついた、教科書のなしくずし固定化への動き、届出制による教材の選択・使用の自由の剥奪、等々々。一方、少年少女雑誌や児童読みもの・マンガの類は、極度に俗悪化してきている。上掲、近藤氏のことばをかりれば、“幼い世界には社会党クソ喰えとばかり、右翼的な風が吹いている”という俗悪ぶりなのである。 だから、必要なことは、“画にかいた餅”も同然の《文学教育の理想像》をうんぬんすることではなくて、教師や親たちが、今、この悪現実のもとでなにをなしうるかについて考え、そして考えたことをすぐにも実行に移していくことである。 問題を、一つの教室、一つの家庭のワクのなかで解決することは不可能である。ヨコにタテに、そして外とつながることである。たとえば、ここに児童文学者の組織がある。この組織が、教組やPTAの組織とつながり、実質的に家庭や教育の現場との結びつきをつくりだしたとき、どういう筋で“どう発展させ、どんな表現をしたら子どもが喜んで読むか、という、一番大切な研究”を抜きにして、“これは反動的だ、これは進歩的だ”といった、“作家仲間だけで”くり返されている“いわゆるクソリアリズム”論議(前掲・近藤氏)がすがたを消すようになることは見えている。 また、いうところの俗悪低劣な読みものが受けるのは、それが俗悪低劣であるからだ、といった式のギロンがなくなることも、うけあいである。子どもがそれに飛びつくのは、その《通俗性》でなんかない。受けるのは、むしろ、その泥まみれな力強さだ。童心主義の作品には求められない《力強さ》に対してである。 教師とPTA組織というところに軸をとってみれば、――そこでワカラズヤの母親たちに手をやいた、例のF先生の場合であるが、その後何回か母の会をひらいて話し合いを重ねた結果、“母親の多くが子どものころ読んでいる作品”をつぎつぎに教材にして、“子どものものなら私にもわかるという親の自信にもたれかかり、親子ともどもで読んだ読後感や批判を語り合う”ようにした、という。 “その処理には長い努力と忍耐を要した”が、しかしそのかわり、この読書会は、子どもたちの卒業まで続いているらしい。今では赤よばわりをした自分たちが恥ずかしい、というところまで母親たちも成長してきている、ということだ。つまり、これなんだと思う。PTAならPTAという組織をフルに動かしていくことなのだ、と思う。そういう組織、そういう組織活動を通じて自他の《人間》《生き方》をつくり変えていくことである。文学教育は、こうしてPTA活動――成人教育や校外生活指導の部面へ持ち込まれなくてはならない。PTA活動のなかへそれを持ち込むことで、また、教室や家庭の文学教育活動も正常の軌道に乗るようになるのである。 参考文献 |
‖熊谷孝 人と学問‖熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より‖熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より‖熊谷孝 1955〜1964(昭和30年代)著作より‖ |