わたしの文学教育論 ――小著『文学教育』への批判をめぐって―― 

国土社刊「教育」80(1957年11月)掲載---
    問 題 点
「教育」1957.11表紙
 小著『文学教育』(国土社、一九五六年一一月刊)について、次の方々が書評の筆を執ってくださいました。
森山重雄氏(『日本読書新聞』一九五六年一二月一七日号)
益田勝実氏(『日本児童文学』一九五七年一月号)
国分一太郎氏(『アカハタ』同年一月二二日号)
鴻巣良雄氏(『日本文学』同年二月号)
栗栖良夫氏(『日本読書新聞』同年三月四日号)
菅忠道氏(『図書新聞』同年四月二〇日号)
小沢雄樹男氏(『びわの実』第六号、同年四月号)
 これらの書評は、そのすべてが好意にみちた厳正で折り目ただしい批判でありました。わたしは、そこに強いはげましを与えられ力づけられ、また深い反省の機会に恵まれたことを感謝しております。
 そっちょくにいって、うれしかったのは、それが肯定的に受けいれられなかったかということは別として、年来わたしの主張しつづけてきたことが、そこで検討され、いわば公的な問題として公民権を与えられた、という点であります。それは、たとえば、(1)「文学教育とは、ひっきょう、文学特有の準体験的な認識方法をもって、文学的思考を獲得されることだとする、あたらしい問題提起」(来栖氏)であるというような、小著の論点の指摘のかたちで、あるいは、(2)「あたらしい文学の研究とむすびつき、その成果に学ぶことが文学教育の前進だ、といっていることは……とくに小中学校の実践家にとって、大きな方向がこのなかにあると思う。」(来栖氏)というふうな積極的な意思表示のかたちによってであります。
 また、たとえば、(3)「文学教育を認識論的基底にまで掘りさげようとするこの見解は、戦後の文学教育論に欠けた点で注目される。」「問題史的展望で熊谷氏が極力主張することは、戦後の文学教育が戦前の文学教育の理論的遺産を十分に摂取したところから出発しなかったという指摘である。」(森山氏)というような紹介のかたちや、「この本の特ちょうは……文学の教育性、教育的機能といった概念をもととして文学教育を考えるアイマイさを克服して、文学機能そのものの形象の力によって教育し、、また文学機能についての深い理解を与えようとしたところ」にある(国分氏)といったふうな、半ば意思表示をふくめた紹介のかたちによってなのです。
 さらに、(4)益田氏や鴻巣氏は、わたしの立つ基本的な視点を明らかにしたうえで、わたし自身の論脈のもつニュアンスまで生かした問題の検討をおこなってくださいました。たとえば、鴻巣氏は、「わたしたちの後につづく若い世代が、こんにちのこの民族の不幸をのりこえて、自由の空気を胸いっぱい吸えるような世の中をつくりだすために、文学を生活に結びつけ、民族的な文学的思考力 を自分たちのものにしておかなくてはならない。」という小著の文章を傍点をつけて引用され、わたしの視点なり立場そのものの位置づけをおこなったうえで、この視点、、この原理からはみだすと思われるような叙述部分について反省を促がしてくださいました。
 こうした方々の批評活動を媒介として、わたしの提出した《準体験》《準体験的認識》《文学的思考》《文学機能》等々の一連の概念も、ようやく公民権をかちえて一般にもちいられるようになってき、また、前には《文学の教育的機能》ということを力説していたような人びとまでも、今では《文学独自の機能を生かした教育》として文学教育を考えるようになってきています。
 が、問題が残るのは、準体験です。
 波多野完治氏は、文学教育の会総会(一九五七年四月二八日)における記念講演のなかで、「わが国で今日、文学教育が一つのコンクリートな形をとるようになったのについては、熊谷氏の努力が大きく作用している。……(準体験という)この考えは、文学教育を基礎づけるための、非常に大切な努力であると思いますが、しかし準体験という考え方は、どうも少し混乱があるようだ」という批判を投げだされました。「私はこれに対して複合体験、または、二重体験という概念を与えたいと思う」といわれるのです。
 当日の講演速記は、本誌六月号に掲載されましたので、お読みになられた方もきっと多いと思うのですが、波多野氏は、こうして温かいはげましとともに、小著をその根底からきっぱりと批判してくださいました。波多野氏のこの批判にあわせて、この際わたしとしてぜひお答えしておきたいと思うのは、国分氏による批判と、「熊谷氏の説には、ルカーチの影響が考えられる」という森山氏の批判に対してであります。
 が、森山氏のご意見に答えることは、同時に《古典評価における相対主義と客観主義》の問題一般を論じることになって、とうてい紙幅が許しません。そこで、(1)わたしの見解は、わたしの理解しているかぎりのルカーチのそれとは基本的に異なるものであること、(2)古典が後世に大きな役割を演じるのは、時代の変化に応じて幾通りもの解釈を可能とするからだ、というような相対主義的な理解をわたしがしているわけではないこと、したがって、(3)古典とは、社会的範疇の翻訳による、過去の文学遺産の再創造であるというわたしの古典論は、その翻訳者・媒介者の前向きの特定の主体的な位置づけ方を前提としたものであるということだけを申しあげて、ここでは直接、国分・波多野両氏の批判にお答えしたいと思います。反批判というよりは、あくまで自分自身の反省のためであります。

    具体的と抽象的と

 国分氏がわたしに向って反省を求めておられるのは、次のような点についてでありました。
 ――この本の欠点は(1)そのコトバヅカイからおして、ごく少数(十人ぐらい)の評論家を相手にして物を言っているように感じさせること、(2)他人の論文を引用するとき、その一部だけをぬいて、その人がその全論文でいっている主旨に注目していないことなどである。
 (1)の指摘は、これはおそらく世評を代弁なさったものだろうと思います。わたしの書く文章がヘンに小むずかしいというのは、どうも定評(?)らしいですから。が、オマイのコトバヅカイでは、通用するのはせいぜい十人ぐらいの相手に対してだけだよ、というのは、綴り方の専門家だけあって国分さんもなかなかシンラツだなと苦笑させられますが、それはまあいいです。
 わたしとしては、むしろ、コトバヅカイに気をくばるというより、思考の道筋、思考の進め方そのものを、もっともっと具体的なものにしていくように心がけなくては、と思っております。立体構成的にではなくて平板に、ムヤミヤタラに実例を並べ立てることで、それで話が具体的になったと思い誤まったり、また、世間の常識に媚びた発言をすることで、相手を前々どおりのモヤモヤのなかに放りだしたまんま、具体的に問題がつかめたような印象――つまり印象だけの具体性を与えるような文章でない文章を書きたい、と思うわけです。
 論点の(2)の引用の仕方の問題については、これは引用する目的いかんによることで、かならずしも国分氏の意見にはしたがいかねます。大泥棒カンダタの生前の善行の例(芥川竜之介『蜘蛛の糸』)ではありませんが、結論そのものには狂いが生じているとしても、だからそこへ到達するまでの過程が全部狂っていたのだ、ゆがんでいたのだ、というものではないと思うのです。大泥棒のやったことでも善行は善行としてキャッチして、まちがいはないと思うのです。ヤツは本当は大泥棒なんだ、ということを一々たしかめてかかる必要があるかないか――これは時と場合によりましょう。
 が、氏がそんないい方をなさるのは、じつは次のような点がシコリになってのことなのです。「たとえば昔、高倉テル氏が生活綴り方の芸術偏重を非難したのは言語技術主義を主張する点にあった」わけだ、それなのに論文全体の主張となっている言語技術主義そのものには眼をつぶって(あるいは見落して)彼の部分的な主張を肯定的にとりあげたのはけしからん、というふうなことらしいのです。第二には、熊谷は、一方では、民族の自由がどうのというようなことをいっているくせに、「伊藤整氏からの引用が、エゴを大切にして、組織をやっつける論文から出されている」点がおかしい、ということなのです。
 第一の論点から見ていきますが、この点についてなら、わたしはあえて論争も辞さない考えです。言語教育・文法教育を最後の盾とした、暗い谷間のどん底における高倉氏の抵抗を《言語技術主義》だというのは、歴史の事実に反しています。権力とよしみを通じるところに成りたつ後期の芸術教育――北原白秋のいわゆる「えせ芸術教育家」たちによる、このえせ芸術教育への生活綴り方の横すべりを食いとめようとした高倉氏の発言が、いったい、どこでどう言語技術主義とつながるというのでしょう?
 また、伊藤氏の論文を、たんに「組織をやっつける」ためのものと見るか、究極においてそれは《組織の名にあたいする組織を》と考えての、氏一流のパラドキシカルナな表現であると見るか、これはおそらく議論のあるところかと思います。
 こんにち、ひとは、組織のなかに生きる以外に、ニヒリズムの袋小路に自分を追いやるほかないわけですが、既成の組織のもつ悪しき権威主義や官僚主義が、多くの良心と善意の人びとを故意にこのニヒリズムの泥沼に追い立てている一面も見のがしえません。この現状、この現実に眼をつぶって、左より右は右というふうな割り切り方をすることは、組織の発展にとっても危険なことではないかと思うが、まちがっているでしょうか?
 ともあれ、部分に眼を奪われて全体の主旨に注意を払わなかったわけではありません。むしろ、その《全体》のつかみ方のうえで、国分氏とわたしとのあいだに上記のような見解の相違がある、というだけのことなのです。

    準体験か複合体験か

 美というコトバと同様、鑑賞というコトバは概念規定のアイマイなコトバだ、と思います。アイマイだアイマイでないというより、学問的な範疇概念としては使用に堪えないコトバだ、と思うのです。鑑賞というこのコトバから、ひとは、いったい何を思い浮べるか? 鑑賞とは味わうことだ、といっても、味わうことのナカミは人さまざま、――おそらく十人十色以上のものがあろうかと思われます。ともかく、それはひどくアイマイなコトバです。
 そこで、わたしは、いわゆる鑑賞体験の場合をもふくめて、芸術的体験の性質を、《準体験》とういコトバを使ってそのニュアンスを誤りなく伝えよう、あらわそうと考えました。生哲学・解釈学流のあの追体験ではなくて準体験です。三〇年代の暗い谷間の時期において、文化ファシストどもが合いことばとして使った追体験――あの追体験を方法とする形而上学・鑑賞主義の文芸学への 抵抗の武器として、わたしたちがそこにうちだしたのが、準体験というこの範疇概念でありました。
 ところで、前に見てきたように、波多野完治氏は、この準体験という考え方に混乱があると語っておられるわけです。この概念によって説明することでは、こんにち、もはや、文学を文学として説明したことにはならないし、また文学教育を基礎づけることもできない、というところまで、現在、文学や文学教育の認識理論が進んだということなのかもしれません。あるいは、そうかもしれないのですが、この概念のあやふやな点を見きわめるためにも、もうすこし先まで考えてみましょう。
 コトバそのものの生い立ちからもおわかりいただけたかと思いますが、準体験というこのコトバは、たんに鑑賞の代用語ではありません。それは、認識・表現・理解という、芸術の基本的な三つの側面を一貫する、芸術体験の性質をいいあらわすコトバなのです。認識することも、表現することも、また表現されたものを受けとめるその理解のはたらきも、すべてこれは準体験することであり、準体験的認識をそこに成りたたせることだ、というふうに、わたしは考えてきているわけです。
 くわしいことは、旧著『文学序章』なり『文学入門』『芸術の論理』などについて見ていただくほかありませんが、この準体験は(文学の場合にかぎってみても)コトバによる行動の代行であるという意味では、明らかに間接体験の一種であります。と同時に、それがたんに間接体験一般に組みこまれて終るものでないことも、また明らかでありましょう。文学が文学として成りたつのは――という意味は、コトバを媒体とした表現や表現理解が芸術のそれとして成り立つのは、ということを指しているわけですが――コトバの抽象性・間接性をこえたところにおいてである、という一点からでも、右のことは明らかだろうと思います。
 もっとも、表現は、その伝えの内容が外的世界にぞくする事がらであろうと、人間内面の内的世界・意識の世界に関する事がらであろうと、それはつねに抽象的です。何かを伝える、表現するということは、いつもきまってその何かを一定の視点(抽象軸)から抽象し概括する、ということにほかなりません。
 したがって、また、そこに認識されたもの、表現されたものというのは、(内的世界をもふくめて)客観的世界の主観的反映にほかなりません。芸術の認識、芸術の表現もまたやはり、一定の立場にたつ主体の主観をくぐりぬけた、そのかぎりではあくまで主観的で抽象的なものです。が、その抽象軸を、読者がめいめいの体験の裏づけにより、その実感、その主観の抽象軸の融通性によってこえるのでなければ、その表現や表現理解が芸術のそれとして成りたつことはできません。
 抽象軸の融通性によってこえる?……つまり、作品に描かれている事がら、たとえば主人公の気持なり考え方なり行動なりを、自分の気持とふれあうその体験の面において理解し、またそのふれあう面を通路とし媒介として別の世界へはいっていく、ということなのです。自分たちめいめいの生活の特殊をぬけだして、別箇の生活面へ、そしてじつは典型的生活場面へぬける、という関係です。
 このようにして、文学作品において、コトバは、直接の現実体験以上にナマナマしく現実を体験させてくれる媒体としてはたらくのです。それは、もはや、コトバがコトバ本来の抽象の機能において作用している姿であるとはいえません。それをコトバの融通性、融通性の面におけるコトバの使用、とわたしはいいならわしてきましたが、パヴロフにしたがって波多野氏が名づけられたように「第一信号としての言語」「言語の包蓄する感性的世界」というふうにそれを言いかえても、そのかぎり、さしつかえは起こりません。
 けれど、あえていうなら、コトバには、感性的な世界があるというだけでなく、それを踏まえて、その認識をもう一歩先へおし進めたところで、文学教育の基礎づけとなるような、文学の説明原理も生まれてくるのだと思います。つまり、たんにコトバには感性的な側面があるだけでなくて、そうした側面におけるコトバの使用によって芸術の表現がそこに媒介されるという媒介の論理――抽象から具象へ、さらに典型的形象創造への飛躍・媒介の論理――において、逆にコトバのこの感性的側面がつかまれなくてはならない、ということなのです。
 そればかりではありません。芸術表現の媒体となりえたコトバ――つまり文学作品そのものの《文学機能》や、それが《文学的思考》をそこにつくりあげていく過程が具体的につかまれなくてはなりません。文学作品は、読者をふだんのままの姿勢で(その主体の位置づけに変改を要求することなしに)彼らを別個の人生体験(典型的な生活場面)にさそいこむのです。いいかえれば、そこに描かれた出来事や人間のなやみや訴えを、それに対する自分自身の感じ方などをもひっくるめて、それを読者は、日常的全体的なものとして受けとっている、という関係です。これが、わたしのいう《準体験》です。その機能の面からいえば、準体験とは、典型的場面を体験するはたらきのことです。

 ところで波多野氏は、熊谷のいう準体験という考え方には混乱がある、それは複合体験と名づけられるべきものだ、といわれる。複合体験の概念規定がわたしには、よくはつかめないのだが、
 ――どんなことばにも、多かれ少なかれ、第一信号的な要素がある。それが、文学教育において教えられなくてはならない。そうかといって、こっちのほうだけを教えればいいかというと、そうではない。言語の第一信号的な性格だけが教えられるということは、私は文学教育の偏向であるというふうに考えます。この間接体験として与えられる内容の方面が文学教育において、なおざりにされてはならない。
といっておられるところからも、おそらくそれは、直接体験と間接体験との複合(あるいは第一信号的な要素と第二信号的なそれとの複合)という意味での複合体験ということなのでありましょう。
 とすれば、芸術の体験は、すでに見てきたように間接体験の一種にはちがいないが、間接体験のワクに閉じこめられた体験でありませんでした。波多野氏のおっしゃるように、まさに《複合》体験なのであります。この点、まったく異議はありません。
 が、問題は、芸術の体験は、どういう性質の複合体験かということでありましょう。もし複合体験ということをいうならば、複合体験でない体験というようなものは、現実には存在しえません。じつをいうと、この点は氏も認めておられるところなのです。
 ――感性的な体験というものは、われわれ大人においては、パヴロフのことばを使うと、第一信号だけによってでき上っているのではない。条件反射のうちで、ことばを含まない直接的な経験の累積によって、感性的な認識ができ上っているとは考えられない。
 それは、つまり、感性的な認識を主題としてとりだす必要からの抽象・分析の結果として、感性的体験プロパァを考えることも可能だ、というだけのことであります。
 そこで、問題は複合体験か準体験かではなくて、芸術の体験はどういう性質の複合体験であるのか、という点の追求に移行せざるをえなくなります。そして、それをわたしは、《準体験》とでも名づけるほかないような、典型の認識を成りたたせるところの複合体験である、と考えているわけです。
 芸術の体験――自己流のいい方をすれば準体験――を複合体験一般に還元して考えることは、いまの問題のかぎり、ぜんぜん意味のないことだと思います。また、複合体験(=現実の体験)を、主題にしたがって分析的 に直接体験と間接体験との二つの側面に分けて考えることは必要ですが、この二つのエレメントを形式論的にバラバラに分解 することは、問題の本質をゆがめるものでしかありません。
 ところで、氏の考え方にしたがえば、文学作品の内容は、もっぱら間接体験として与えられるものだということになるらしいのです。これでは間接体験と直接体験との複合ということが統一的な意味を失ってしまいますし、また文学作品の内容は一義的に概念的なものだということになって、典型の問題につながる文学の表現、文学の表現理解という芸術体験そのものの特性が切り捨てられてしまう感じなのです。
 そこで、わたしは思うのです。複合体験一般で問題を処理しようとするかぎり、典型の認識としての文学の本質は、けっきょくつかめないのではないか、ということであります。
 たとえば、氏は、「文学作品を読んで得た感性的な体験を、第二信号に変える」ことに文学の学習指導の意義と目標を設定しておられます。たしかに、文学の表現は、その日常的・具象的な表現を一度非日常的なものにまで抽象・概括することなしには、その作品を文学として読んだことにはならないのですから、その意味で氏のいわれるような面の指導が必要になりましょう。
 が、それは、文学教育にとって欠くことのできない、だいじな面ではありますが、しかしあくまで指導の側面、指導過程の一コマとしてだいじだ、ということなのです。というわけは、抽象することなしにはその作品を文学として読んだことにはならないと同時に、それをただ抽象し放しにしたのでは、やはりまた文学として読んだことにはならないからであります。抽象し放しでなく、それをもう一度日常化する(生活の場にかえしてくる)という操作が、その作品の表現を文学にするのです。いいかえれば、典型の認識をそこに実現させるのです。指導の手がその点にまで及ばなければ、それは文学教育の名にあたいする文学教育ということはできません。
 波多野氏の《複合体験》という考え方と、わたしの《準体験》のそれとのちがいは、何かその辺の問題のつかみ方のちがいとして具体的にあらわれているようにおもうのですが、どうでしょう?

熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 1955〜1964(昭和30年代)著作より