情状酌量するも ――文学教育と芸術観の形成――     熊谷 孝

「文学教育」第1巻 第1号(1957年8月15日)掲載---
 話しっぷりがとびぬけてヘタクソなために、思うことの半分もいえてない、という点は重々情状酌量するとしても、しかしこれじゃあんまりだ、と思うことがしょっちゅうである。というのは、ある二・三の領域のかなり多くの芸術家たちのいだいている芸術観についてである。
 要するに、指をめまぐるしく動かす動作のなかに味わう忘我の境地が芸術の醍醐味だ、というのである。芸術はその意味では伝えでも訴えでもない、それは、相手を要しない芸術家その人の自己表現だ、というのである。この人たちがそんなふうないい方をする気持もわからないではない。が、これでは芸術は遊びだといってるみたいなものだ。
 遊びというコトバを使うと相手は怒るが、僕としては、むしろ、あゝそうだよ、芸術は遊びさ、遊びじゃ悪いんかね、とでも反駁してもらいたいところである。遊びだと割り切ってくれれば、いっそスッキリするのだが、当人たちが遊びではないつもりで遊びをやり、それが享受者の《受け内容》としては(享受者自身によるその主体の位置づけ方いかんで)ある程度に実際に芸術として作用する場合もなくはないという点に、世上一般の芸術観の、混乱のモトがある。人びとの芸術観を、したがってその創作や享受や批評の態度をいい気な、ひとりよがりなものにしているモトがそこにある、という意味だ。
 芸術の効用は《無用の用》というところにある、というような、一ひねりひねった芸術観なども、やはりこのようにして生存権をかちえた芸術観の一種類だろう。この《無用の用》説は、ひところ官民一体の支持をうけたが、《軍》と《官》の手でやがて芸術は《不急不要》の烙印を押されるに至った。それが、《皇軍》慰問用の芸としてその無用の用をつとめさせられたのは、僅かその寸前の短い一時期のことであったように記憶する。
 そこで思うのだが、情勢が悪くなればすぐにフニャッとして相手に屈従してしまうような、そんなヘナチョコな芸術観といいかげんもう手を切ってもいいときじゃないのか。芸術観指導とでもいうべき側面を、こんにちの芸術教育や文学教育は、むしろ積極的に正面におしださなくてはいけないのではないのか、とふと、そんなことを思ってみたりもするのである。

熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 1955〜1964(昭和30年代)著作より