〈劇評〉 おゝらかな「毛抜」      熊谷 孝

森村学園女子部 「The School Life」 №61(1957年7月18日)掲載---
 翫右衛門の魚屋宗五郎はすばらしかつた。それは、多分すばらしいと言つていいんだと思う。天目茶わんで冷酒を一杯、二杯とあおつて宗五郎の眼がすわりだす頃には、こちらはもうすつかり舞台の雰囲気にひきこまれてしまつていた。
 僕だけじやない、まわりのみんながである。
 観客席には、はじめ、しかし、妙にとり澄ました、一種いうにいわれぬ冷い空気が漂つていた。
 ――「ひどい舞台ね」森村学園女子部「The School Life」16
 ひどい舞台ね、というこのつぶやきにしても 「こんなチヤチな舞台では役者がかわいそうだ」とか 「一度でもいい、歌舞伎座みたいなところでやらせてみたい」というのとはまるで違った「ひどい舞台ね」であつた。
 つまり愛情がないのである。芝居というものへの愛情も、この一座、この舞台に対する愛情らしいものも、そこには見られないのである。
 芝居は出し物や役者の演技よりも見物人、見物人しだいで芝居のよしあしがきまる、というのが僕の持論――というより実感なのだが、舞台の盛りあげも観客へのアツピールも、きようの相手にはいつこうに通じないらしいのだ。無表情というに近い、人びとのあの固い表情は、すくなくとも芝居を楽しんでいる人のそれではない。
 舞台からのアピールにこたえてわきにわいた、この一座の大向うは、いつたいどこへ行つてしまつたのだろう? いつそこへ行つてみても、カブキなんてものを見るのは今日がはじめて、といつた顔つきで、素朴に眼を輝やかして舞台を見入つていた、あの大向うはどこへ姿を消し去ったのか?
 きようの観客席には、いつも見かける、アツパツパーに下駄をつつかけたオカミサンたちの姿も油ツくさい仕事着の工員さんたちも来ていない。
 この一座に対する色メガネがとりはずされ、この一座が正当の公民権をかちえたと同時に、この一座はまたかんじんの大向うを失つてしまつたのであろうか。
 が、そんなふうに考えたのは、僕のまつたくの思いすごしであつた。「毛抜」の弾正(長十郎)が小姓や腰元(国太郎)たちにたしなめられて、ちよいとテレたといつた表情でユーモラスに「唯今はまことにはやブザマなところをお目に入れまして――」と観客席に向つて手をつくあたりから人びとの気分もぐつとほぐれだし、そこに舞台と観客席との親和的な一体感がかもしだされてきたのであつた。本来の“カブキ”の実現である。花道を観客席のどまんなかへ突きだした、あの歌舞伎本来の親和精神の実現である。
 そうした後をうけた翫右衛門(宗五郎)と国太郎(宗五郎の女房)とのピタリと呼吸の合った演技は観客自身、宗五郎の悲しみを悲しみとし、宗五郎の怒りを怒りとするところまで、ぐんぐん引きずつていく。その先のところで何を感じ何を考えるかは、これは観客自身の問題だが、ともかくすごい迫力である。それは、芸域をぐんとひろげ幅のある演技をそこに示すことで、この一座が新しい別個の観客層に食い入っていく逞しい姿を、まざまざと眼の前に見る思いであつた。

熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 1955~1964(昭和30年代)著作より