|
「朝日新聞」1955年2月14日号掲載---
|
この本は、少年少女たちに生活つづり方を熱心に指導してきた著者(教育評論家)が、はじめて書きおろした少年少女小説だ。戦争中、東北の郷里からかり出されてきた町工場の少年工たちが主人公で、終戦後、組合の結成に加わった健四郎ら五人の少年工と給仕の恵美子が、スト破りの皮ドロボウ事件の犯人を、力をあわせて探偵する。そして事件は、会社の仕組んだ芝居だということをあばき、組合がふたたび立上るという、筋だ。作者の強い正義感が、会話の多い、キビキビした文章にのっている。「将来、工場や会社で働くことになる男女の中学生たち、とくに都会に働きに出なくてはならない農家の小さい人たち」に読まれることを作者は願っているが、その小さな読者たちはどんな読みとり方をしたろうか。 農家の次男坊小林昇君(宮城県遠田郡南郷中学三年)は「この小説を読んで、初めてのことばかりでビックリした。怪盗なんか出てくる小説よりずっと面白い。健四郎たちが、終戦のとき、故郷へ帰りたいと思うが、貧乏で食えないから帰ってくるなと家からいわれるとこは、涙が出た。ただ、百姓はなんぼ貧乏してもストなどやらないののはなぜかと健四郎は疑うが、この本ではそれなりで終っている。そのわけを、僕も知りたいんだが……」と評している。 工場労働者の長男、堤洋一君(東京都立(ママ)上板橋一中二年生)の読後感――「この本では、大人も子供も、やることや話っぷりが僕たちの家のものや近所の人たちとそっくりなので、うれしくなった。健四郎たちがシャクにさわったり、泣きだすところは、僕もそんな気持ちになった。労働者やその子供たちが貧乏で困っているのは本当です」 「私たちの生活のヌルサを反省させられた」といったのは熊谷映子さん(東京都森村学園中等科三年、会社員の長女)。「“二十四の瞳”は温くやわらかく励まされた感じだったが、これはムチで打たれる思いだ。給仕の恵美子が戦争中経験した苦しみや戦後味わった喜びは私にも分る。が、小説ではその喜びのまま終っているのがどうもしっくりしない。いまの生活や実際の世間の動きをみていると、そういう甘い結末がおかしいように思う」 「国分氏の評論をよんでいつも感じる、あのジンとくるものが、ここにはないね。なぜだろう」と首をかしげた先生がいたが、児童文学者関英雄氏は「筋の面白さに気がとられて、主人公たちの肉づけが足らないのかも知れない。読みながら、ふっとケストナーの“少年探偵エミール”を思い出したが、あのユーモアがここにもほしい」といっていた。(新潮社、二八〇円) |
‖熊谷孝 人と学問‖熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より‖熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より‖熊谷孝 1955〜1964(昭和30年代)著作より‖ |