文教研・文学教育研究基本用語解説 Ⅶ         1975年8月発行「文学と教育」第92+93合併号に掲載
(原文のゴシック体の部分を太字に、傍点の部分を斜体に、それぞれ変えた。)
 1 文体と文体論と
 2 教養的中流下層階級者の視点
 3 文学史
 4 印象の追跡としての総合読み



文体と文体論と

 文体ということ、また、文体論ということについて安岡章太郎は次のように語っていたが、私にはとてもおもしろかった。
 「文章論とか文体論とかいったものは、それが必要なことはよく知られているが……それに手をつけることは難かしいし、 ほとんど不可能なのである。(中略) つまるところ、文は人なり、それだけである。/それにしても、文芸批評や評論に、もっと文体で作品や作家を論じたものは出て来なければならないはずだ。いや、むしろそれが批評の根本にならなければ嘘だろう。にもかかわらず、それがほとんど見当たらないのは、ひと口にいって、われわれの文章と思想とが、別々のものに考えられているためだろう」云々。
 以下、ある程度この安岡氏の文章に即して、またある程度に、自分がいま実際に感じていることにこの文章を引きつけて話題を組むことを考えているわけだが、読んでまず思ったことは、こういうことだ。文体論の必要と困難――実践的に有効な文体論を出発させることの必要と、それを実現させることのむずかしさ――について、その理由というか根源をこれほど明快直截に語っている文章に接したのは初めてだ、ということである。
 もっとも、文体論の必要なことは誰でも感じていることだ、と氏が言っているのは言葉のあやか故意の発言だろう。そう考えないと、話のツジツマが合わなくなる。誰もがその必要を感じているようだといいのだが、実際は違うから、ぐあいの悪いことになっているわけだ。
 早い話が、職業柄(がら)人一倍その必要を自覚していなければならないはずの国語教師の場合はどうかというと、それがその文体という言葉に対してさえ、多くの国語教師はソッポを向くのである。文体という概念(思考の形式)を最初から持ち合わせていないのだ。文体概念を――文体という言葉をではない、文体という概念をその発想ぐるみに考えるという思考方法をである――身につけるような教育を人々が過去において受けて来なかった、ということだろう。
 それは、文体論の従来の不毛が国語教育面にもたらした悪因悪果の一事例である。この悪果が、今また逆に悪因となって文体論の不発と不可能を結果している、という悪循環がそこに見られるわけなのだろう。
 ところで、安岡氏が文体論の困難について、それを「ほとんど不可能」に近いまでの困難さだ、というふうに受けとめているのは、実は氏ご自身が文体論の必要を痛感しているからのことだろう。実感において――というのは実践的な意味において――その必要を思う人であってこそ、またそれの実現のむずかしさを知っているからである。
 そうした困難をどこから突破していくかということなのだが、文体論研究者の場合かつてR.M.マイヤーなどがそうであったように、人間の気質の類型・類別との対応の中で散文の文体の十種の分類を行なうといった、ごく形式的な問題処理に終始しているような例が今でも少なくない。たとえば、H.ザイドラーのように、従来の言語哲学的な(つまり前科学的な)発想から文体論を解放することに熱心だった(と思われる)研究者の場合ですら、実際に文体論を構築する上の処理のしかたは、やはり形式的に過ぎるようである。
 どうも安岡氏や私たちが求めているような文体論と、専門家たちの実際の研究作業との間には、課題意識がまるで違うというか、接点を見つけることがむずかしい状況が横たわっているようである。
 とはいえ、スペシャリストのそういう研究が無意味だなどと不遜なことを言うつもりはない。そんなつもりは私にはないけれども、しかし文体論の研究がこうした方向をたどりながら、それがさらに細分化し、より微視的な「精密化」の一途をたどるだけだとしたら、それは、文体論の最も現実的な課題を棚上げした格好の、だだのペダンティシズムとディレッタンティズムに堕して行くことは明らかである。
 アカデミズムが、アカデミー・オンチのペダンティシズムに転落して行くという、そういうことが実は、文芸批評界なり教育現場なりに、実にいいかげんなえせ 文体論のバッコ、チョウリョウを許す要因ともなっている。その一方では、(教育面に例をとれば)「国語教育に必要なのは文法であって、文体や文体論ではない」式の暴論に口実を与えるような結果もつくり出している。
 そこで、話をもう一遍もとへ戻して、問題のカベをどこから、どう切り開いて行くかということだが、現状では、実際にその必要を感じているような人々が相互に、めいめいの持ち場というか仕事の現場から、ここが自分にとっての問題点だというものを出し合うことが多分、先決だろう。安岡章太郎氏が文学者としての持ち場・立場から、上記のような発言を行なっているように、である。
 それと同時に、やはり安岡氏が提示しているように、自分にとってこれが文体概念の原点だというものを相互に提示し合って検討することが必要だろう。文体論というのは、つまるところ、実際のいろんな文章をデェタとして扱いながら、文体概念を次元を高めながら明らかにしていく学問作業なのだから、文体概念の原点はかくかくのものだということを作業仮説として用意しないことには、この作業は出発しないわけなのである。安岡氏による原点の提示は、ところで文章と思想とを別々のものとして考えない、ということである。文章と思想との二元論からは文体論は出発しない、不発に終わる、ということである。
 その点、私たちも大体同様の考えかたをしている。大体と言ったのは、氏が思想がそれだと考えているものを、私たちは、場面に応じて見せる思想の表情というか具体相としての〈発想〉をそこに位置づけて、〈人間の認識過程における現実把握の発想――そういう発想の切り口からつかまれた文章のありかた〉が文体ということの原点だ、と考えているからである。
 その点に出発して、言葉の概念的操作による〈説明文体〉と、形象的操作によるところの〈描写文体〉との文体の二大別をそこに考えている。また、文体〈への定着を求めている、ある確実さを持った発想や、またどのような意味にもせよ、ある文体への定着を見せている発想のことなどを〈文体的発想〉と私たちは呼んでいる。(文体分類の問題は、認識過程全般の問題にかかわっている。『芸術の論理』Ⅰ・5参照。)
 こうした私たちのつかみかたの根底にあるものは、第二信号系の理論である。あるいは、コミュニケーション理論やイマジネーション理論に組み込まれた、第二信号系の理論である。(Q)

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教養的中流下層階級者の視点

 中流下層階級者という言葉そのものは、もともと芥川龍之介の言葉であって、『大導寺信輔の半生』(一九二五・一)の中に見ることができる。熊谷孝氏の言葉を借りれば、この作品の中で芥川は「資本主義的人間疎外をその矛盾の根源において最も痛烈に味あわされている階級、教養的中流下層階級者の生活の実際と、痛苦にみちたそのメンタリティーについて」語り、「また自分の文学的視点をこの中流下層階級者のそれとしてハッキリ位置づけて」いるのである。
 ところで、中流下層階級者の視点が、実は、真にカルチベイトされた主体的な教養によって導き出された教養的 中流下層階級者の視点であったことに注目しなければならない。芥川のように存在としての階級を否定しながら、そこに密着して自己の存在を証明をなさざるをえないにせよ、「中流下層階級者の一人として心の底から母国を愛し、母国の文化と母国語文化を愛した芥川」であってはじめて可能になった視点であったということである。
 が、芥川にとっての教養的中流下層階級者の視点の獲得は、言葉としても明確に『大導寺信輔の半生』の中に位相づけられることによって確固たるものとなるのであるが、その獲得への道筋は、既に『芋粥』(一九一六・九)にも見られ、そうした意味では、生涯、一つの作品を書き続けたとも言い得る芥川文学の、主題的発想の展開の中軸をなすものであった。言いかえれば、芥川文学は中流下層階級者の一人としての自己の存在証明の闘いの道筋であったのである。自身の出身階級というものと密着しながら、自身の階級でないとつかみ得ない事柄や感じ得ない苦悩とかを徹底的に形象化していく中で、芥川の階級存在それ自体の可能性を形象的に認識していったのである。
 文学的視点としての中流下層階級者の視点は、そうした芥川文学を受け継いだ太宰治にあっては、自分の属する出身階級への自己否定をとおして出身階級の自己を越える、つまり、「宿命の階級」を形象的に分析していく中で階級者の苦悩を見渡せる立場につきえたものとしてあらわれる。芥川は中流下層階級者の視点を獲得していく過程においてはじめて、近代主義批判を可能にし、「脱大正」を可能にしたわけであるが、そこではあくまでも、自分たちの階級の苦悩に眼を据え、敵対する階級を徹底的に否定していくという姿勢を崩してはいない。それは、大正デモクラシー下の文学状況にあって重要な意味を持っているわけなのだが、「二十年戦争」下の太宰文学になると、芥川の否定した「宿命の階級」の、その階級者の苦悩へも眼が向けられていくのである。現実の疎外者は誰なのか。真に疎外している者は誰なのか。そうした問いかけの中で、太宰は、支配階級の中にも味方を求め続けるのである。
 近代日本文学史の系譜で見れば、教養的中流下層階級者の視点は、事実の問題としては既に『青年』(一九一〇・三~一一・八)以後の森鴎外によって切り開かれ、芥川によって定位され、井伏鱒二から太宰治へと、そうした流れの中で受け継がれてきている。自分の階級を否定しながら自己を越える、その弁証法的な自己変革のバネとなるものは、まさに教養――文化である。太宰治が、文学の芽を刈りとるものに対して血の叫びをあげたのは、まさに当然であった。(K . S)

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文学史

 それぞれの文学作品は発想とことばの統一的把握としての、その「文体」が問題にされる、ということが前提とされねばならない。そうするとき、文学史は、「それぞれの文体(文体的発想)においてのみ人間的感動が保障されえた、人間の現実認識の歴史、人間の精神生活の歴史である」と整理されよう。そして私たちが把握しようとするのは、その「文体の変革・創造の歴史としての文学史」である。また、文学史に展開される人間模様は「人間と人間の生きかたの、現実性と可能性へ向けてのイマジネイティヴな発想が描く曲線・軌跡」としてい意識されるものであろう。
 文学史(文学史研究)とは、いわゆる文学史家の整理した固定的体系への追体験的理解ということではない。私たち自身が、現代の実人生をポジティヴに生きつらぬいていくために、既往現在の文学作品との対決(対話)を通して、「現在を過去につなげて未来を探る」、そのような主体的な作業をいうのである。そして、《現代史としての文学史》という視角からの、自己の現実把握の発想のつかみ直しというその作業は、私たち自身が私たちの母国語文化の中に民族の文学史を新しく見つけていくという、主体的でダイナミックな文学史の構想につながっている。
 文学史と作品鑑賞とが別々にあるものではないとすれば、その関係はそれぞれの作品の読み自体に文学史が息づき、また、自己のありようが問い直されるような準体験としての文学の読みは、その作品を文学史に位置づけて考えることなしには成立しない、ということになろう。「現代史としての文学史」というあり方を実現する文学史の方法(方法意識)は、基本的に、その読みが、「自己の絶えざる印象の追跡としての総合読み」として行われ、そこから「文体の変革・創造」の発展過程が探られる、そのようなものでなければならない。そこで、総合読みの発想に立つ文学史」の原理面について述べることにする。
(1)その作品形象の文章表現を、文体という一点においてその言表表現の場面規定においてつかむ。――①作品の文章が媒介する、その 社会をある生き方で生きたその人間主体の現実把握の発想のしかたをつかみ、②そうした発想において把握された現実の姿・現実の問題を、私たちが歴史のパースペクティヴ(遠近法)において主体的につかみ直す。
(2)作家がその生活場面で、読者との唯一の伝え合いの通路として用意した、本来の読者の視座を探り自己に媒介することで、創造の完結者としての読者の、本来的な鑑賞のダイナミズムにおいて、その文章(文体的発想)について思索する。この「本来の読者」の発見は、また、次のような発展を文学史研究にもたらす。――①その作品の文体的発想が読者にどのような客観的機能を持ち得たかという読者中心の文学史の考察から、個々の作家の枠を越えて、民族の文学の継承・発展の系譜を主体的に把握できる。②ある作家についても、作品創造の連続・非連続について、個人的内省にだけその契機を求めるのではなく、内なる読者との対話を通じての主題的発想の展開としてその内的必然を把握できる。③現代において真の古典は何か、現代文学の最大の課題は何かということを明らかにする道を開く。(Υ)

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印象の追跡としての総合読み

 読みとは、その文章が示す発想=文体的発想と、自己(読み手主体)の発想とを対比・対決させながら、自己の発想のしかたを点検し、たしかなものに組み変えていく過程である。そして、究極においては自己変革をめざす。別のいい方をするなら、自己の体験の枠を越えた、他者の経験を媒介し自己変革をという「準体験」を実現させることにある。自己変革、それを言葉操作という側面からいうなら、自己の文体変革=文体づくりということになる。なぜなら、言葉と発想・言葉と人間とは、二人三脚の関係だからである。「印象の追跡としての総合読み」はそうした自己変革・自己の文体変革を保障する読みの方法をいう。
 したがって、読みの対象となる文章は、読者に新しい発想を提起し、自己凝視を促すような文体の文章でなければならない。それを教育という視点から整理していうなら「発達に即し発達を促す教材体系」の構想が要請される。
 ところで、印象(文学作品の場合は、概念にささえられた、イメージの造型・客観化としての形象的反映像)とは、刺激に対する全人格的な反応・反射・反映のことである。つまり、読者の母国語体験の蓄積のうえにたった、文体刺激に対する文体反応のことである。そういう印象から読みは始まる。白紙の立場で文章と向い合うわけではない。また、その印象は、文章全体を読み終わって、初めて湧き起こるというようなものでもない。読みは、次のような過程を繰り返しながら進行する。

〔前〕 作品・文章の冒頭の部分を読むことで、というより、その題名を読むことで、既にある印象を読者はもつ。全体像の予測をふくんだあるイメージが形成される。どういうイメージかはそれ以前の母国語体験のあり方が規制する。第一次の段階をとした理由である。
〔中〕 読者は、その印象や予測をささえとしながら、次のセンテンスを読みすすめる。あるときは喜びや驚きを感じ、またあるときは、自己の発想と文章の示す発想とのくい違いが生じ自己凝視を迫られる。個々で読者は、他者の発想と自己の発想との対比・対決の体験=準体験をする。
〔先〕そうした過程で最初の予想や期待は変更・修正され新たな予測や期待が生じる。それをささえにさらに読みつづける。

 読みという営みは、実は〔前〕〔中〕〔先〕の過程を何回となく繰り返しながら進行し、文章の最後まで読みすすめる。が、それで完結するわけではない。さらに最初にもどって読み返す。読み返すことで、上昇循環的に深まっていく。よりダイナミックなイメージが形成される。
 しかし、自己の実感ベッタリの読みの繰り返しでは、深まりようがない。読みの上昇循環を保障するには、その過程で、①言語表現のあり方を規制する場面規定、つまり、誰が誰に向けての、あるいは、誰と誰との間で、どのような時間的・空間的な場面での言表か。②あるいは、読者である自己の生活実感や実践と、その言表場面とがどう関係するのかという、自己規制をともなわせることである。
 「印象の追跡としての総合読み」は、そうした操作を加えながら、印象を追跡しなおしていく。あるいは、対象をつかみなおしていく読みのことを言う。(F)

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