N さんの例会・集会リポート   2004.09.11 年度始め総会
 
  
 上質の生活感覚に根ざした研究活動を


 文教研のNです。

 9月11日、文教研9月総会が行われました。参加メンバーをご紹介しましょう。(氏名省略)
 Yさんは、会員になって初めての例会参加。年度の初めにふさわしく、「新鮮」でしたよ。

 さて、報告内容は皆さんのお手元に既に送られている各部署からの印刷物にのっとって行われました。そこで、ここでは、そのことから話題が発展して興味深かったこと、また、私が組織担当であることから、その点から感じたことなどをお知らせしたいと思います。

 研究企画のほうからは、全国集会での成果を踏まえ、「喜劇精神とは何か、喜劇精神
の現代的意義とは何か」
というテーマが出されました。その内容については研究企画(案)にあるとおりです。そこで発展的に話題になったことの中に、芥川文学についての問題がありました。これはSさんが話してくれたことです。

 芥川文学を「笑い」という面から検討している研究はほとんどないに等しい。今の文教研こそ、この<芥川の笑い>に切り込めるのではないだろうか。大正10年の中国旅行以後、芥川は昔話のパロディーをいくつか試みている。「教訓談」(「かちかち山」の改稿)「猿蟹合戦」「桃太郎」。 そこには、中国旅行で彼が目の当たりにした、侵略者としての日本人という存在、そこへの厳しい批評の目が生きている。これらの作品は完成度としては、小品の部類ではあるだろうが、その<芥川の笑い>はやがてあの「河童」に繋がっていくものだろう。「河童」自体、そうした<笑い>の側面から、もっと検討してみる必要がある。
 と、私の理解した範囲だとそんなことが問題提起されたと思いました。
 今年の全国集会は太宰とケストナーでしたけど、芥川とケストナーなんていうのも、面白そうですね。

 さてさて、今回の総会で、あらためて私が感じたことの一つに、文教研という組織のことがありました。民間教育団体のご多分に漏れず、高齢化と人手の足りなさはもう常態化しているともいえます。しかし、ある意味、現在の文教研は他では考えられない「理想的な組織」じゃないですか。
 毎例会ニュースが出され、毎回会員全員に発送されています。充実したHPがあり、メールという会員交流の場もあります。自分たちの機関誌があって、それが自分たちの手で管理されています。それぞれが自分の仕事にかなりエキスパートで、かつ、みんなが全体のことを考えながら融通無碍に活動している。そして、何より、勉強しながら活動している。

 逆にいうと、こういう風に自分たちの組織を運営できる私たち、そういう活動を支持してくださる会員を含めての私たちだから、きっといい研究が出来るはずだ、と思うのですよね。
 自分たちの生活感覚に根ざした文学研究、文学教育研究でなきゃ、意味ないし、その生活感覚が上質じゃなきゃしょうがないですもの。

 がんばりましょうね。

〈文教研メール〉より



Nさんの例会・集会リポート前頁次頁
  

(参考) 2004年度研究企画 

T. 本年度の全体的テーマとして、「喜劇精神とは何か、喜劇精神の現代的意義とは何か」という問題を取り上げてみたらどうか。日本型現代市民社会において、ねばり強く柔軟に、現状変革のための実践に取り組んでいくために、私たち一人一人が「喜劇精神」を身につけていくことがますます必要になってくるのではないか。

U. どんな切り口から課題にアプローチしていくか
  1. 喜劇精神論の系譜――私たちが受け継ぐべき喜劇精神論とは
    ○戸坂潤/バフチン/熊谷孝/乾孝/ケストナー/ブレヒト/阿部公房……
    ○弁証法的発想と笑い
  2. ケストナー「ファービアン」の検討
  3.  〈民話・昔話・説話〉などの、近・現代文学における、〈パロディー〉化の検討
    @日本文学における喜劇精神の系譜
    芥川「桃太郎」・太宰「お伽草紙」などにおける、日本の〈昔話・民話・説話〉などを〈パロディー〉化した作品の検討。
    Aケストナーの「長靴をはいた猫」など……

  4. 『井伏鱒二全詩集』
    井伏的弁証法(加藤周一の指摘)
  5. 文学教育と喜劇精神――教室に、真の〈笑い〉を!
    @吉本的なバカ〈笑い〉には反応しても、本質的に笑わなく(笑えなく)なってしまった生徒・学生たち。教室に真の〈笑い〉を回復するために文学教育はどうあるべきか。
    A「荒川・福田対談」(『文学と教育』200号)で取り上げられている「漁師と金の魚」(プーシキン)の検討などを出発点として。

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