N さんの例会・集会リポート   2004.09.25 例会
 
  
 ナチス政権成立・焚書事件の後、『飛ぶ教室』は発表された


 文教研のNです。

 東京は大分涼しくなりましたが、それでもこの間の土曜日は、渋谷の街を歩いて例会会場に入るとどっと汗が吹き出る、そんな感じでした。

 さて、内容は実に刺激的なものでしたよ。I さんがドイツ語の資料を試訳され、もしかしたら、世界で最も質的に優れたケストナー『飛ぶ教室』の刊行年に関する書誌的研究となるであろう発表、をされました。細かい内容については、ニュースを見てくださいね。そして、この成果は今回出版の『ケストナー文学探検地図』にかならず反映されますので、お楽しみに!

 結論だけ言えば、従来、『飛ぶ教室』は「ヒトラーが政権を掌握する前、1932年の秋頃に書かれ、翌33年の1月頃に出版された」というのが一般的だったのですが、それを覆し、1933年11月に刊行された、という推論が導けるドイツ語の資料があることを確認されたのです。 この確認は大きな意味を持っています!

 というのは、『飛ぶ教室』という作品の場面規定が変わってくるから、いや、場面規定がより鮮明になるから、といったほうがいいかもしれません。1933年というのは、1月にヒトラーが首相になり、5月には焚書事件がおきる、出版のブラックリストが作られ、ナチスの意に染まない本はどんどん排斥されていく時期です。ケストナーはそうしたナチス政権下を生きながら、『飛ぶ教室』を書いた事になります。

 このドイツで既に発掘されている資料と事実の確認が、ドイツでも日本でも書誌学的に決して常識とはなっていない中で、その重要性を明らかにしたところに今回の指摘の大きな意味があるわけです。

 無論ナチス的状況はナチスが政権をとってから始まったわけではありません。それはワイマール期からつくられ、そして、ナチスが政権をとる時期には、学生や若者たちが自ら率先して、本を焼く、自分で自分の首をしめる状況にいたったのです。それがどれほどに厳しい現実であったか。
 こうした場面規定の中にあの作品を置いてみたとき、様々なシチュエーションが、今まで以上に、もっと鮮明に私たちに語りかけてくるものがあるのではないか。今次集会の統一テーマは「『飛ぶ教室』をふたたび」。今こそ、この研究成果の上に、そして、私たち自身が抱えている課題から眼をそらさずに、もう一度『飛ぶ教室』を読んでみよう! そこには、きっともっと深いケストナーからの呼びかけが聴こえてくるはずだから……。

 こうしたことが、今回の例会で、I さんの詳細な報告の中で見えてきたものだったと思います。集会まで、例会は後二回しかありませんけど、深まった議論を期待しましょう。

〈文教研メール〉より



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